2020年7月2日木曜日

「エール」再放送

昭和の歌謡史を彩る福島市出身の作曲家古関裕而(1909~89年)と妻・金子をモデルにした朝ドラ「エール」の再放送を楽しんでいる。 
 
本編では、作曲家古山裕一(モデル・古関裕而)、作詞家村野鉄男(同・野村俊男=1904~66年)、歌手佐藤久志(同・伊藤久男=1910~83年)の、いわゆる「福島三羽ガラス」が東京で再会し、これから歌謡界に打って出ようというところで放送が一時休止になった。コロナ問題で収録がストップし、撮りおきがなくなったからだ。

半月ほど前の6月16日に撮影が再開されたという。本編の放送が再開されるまでは再放送で我慢するしかない、と思っていたが、タイムスリップしたような面白さがある。

このワンカットがあとであそこに生きてくるのか、あとのためにこのシーンがあるのかと、ついドラマの時空を行き来し、作り手の意思を推し量りながら見てしまう。老いた作詞家・村野鉄男が小学校時代の恩師の墓参りをするシーンには、貧乏だが筋を通す彼の子ども時代を重ねてジーンときた。

村野鉄男はガキ大将ながら、「古今和歌集」を読む文学少年だった。いじめられっ子の古山裕一を突き放しながらも見守っている。「やめろ、その笑い。悔しいことを笑ってごまかすな。このずぐだれが」。ずぐだれ=意気地なし。再放送でも、やはりこの「ずぐだれ」のシーンが胸に響いた。

「エール」の放送開始と前後して、古関裕而の評伝を読んだ。刑部芳則『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和史』(中公新書、2019年11月)=写真上=と、辻田真佐憲『古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家』(文春新書、2020年3月)=写真下=の2冊で、ともに昭和史のなかで古関の人生と作品を論じている。
明治42年に生まれた古関の少年~青年期を、大正~昭和初期のメディア環境のなかでとらえてみたい――そう思っていた私には、大いに参考になった。刑部は日大准教授。「エール」では風俗考証を担当している。

古関より一回りほど年長のいわきの人間、たとえば三野混沌(1894年生まれ、以下同じ)、猪狩満直(1898年)、草野心平(1903年)、若松(吉野)せい(1899年)たちは、若いころ、山村暮鳥を中心に文学活動を展開した。雑誌・新聞などの活字メディアが発表の場だった。

これに対して古関たちは、活字メディアだけなく、新しいメディアであるラジオにも影響を受け、表現の可能性を見いだしていったのではないか。

というのは、日本でラジオ放送が始まるのは大正14(1925)年3月だからだ。いわきの群像のなかで一番若い心平でも22歳になっている。影響を受けやすい少年期には、ラジオはなかった。いわきは文学、福島は音楽。その違いがラジオ放送の有無だったと決めつけるわけではないが、重要な要素になっていたのは確かだろう。

辻田本にこうある。古関が福島商業学校(現福島商業高校)に通っていたころ、「北原白秋や三木露風の詩を好んでいたことに加えて、『楽治雄』というペンネームを使っていた(略)。いうまでもなく、ラジオに影響を受けたものだった」。

再放送を見ながら、フィクションの向こう側に横たわっている昭和史を吟味する――朝8時からの15分間がそんな時間になった。

0 件のコメント: