2020年10月8日木曜日

いわきの「あわもち」

                    
 きのう(10月7日)のTUF「ふくしまショー」は会津の柳津町。最後に登場したのが「あわまんじゅう」だった。ほんの4日前、いわきの「あわもち」を食べた。名前は違っても、中身は同じではないか――。

 日曜日(10月4日)の朝9時前、カミサンの運転手を務めた。行く先はカミサンの幼なじみが住む平市街西部の住宅地。ダンシャリして出たものを引き取った。

 帰りに「あわもち」=写真=をもらった。「朝8時に買って来たの」だそうだ。あわもちは粟餅。それを朝8時に買いに? 洋風グルメの人と思っていたら、和の食べ物にも目がない。いや、全国の銘菓になじんだ舌には洋も和もないのだろう。

「県社の下の味覚堂で売っている」という。県社は旧城跡と向かい合う丘の一角にある子鍬倉神社のことだ。

カミサンの実家は久保町。中世の城下町だ。県社のふもとの古鍛冶町は近世の城下町の一部。久保町と古鍛冶町は丘(平・大館)で遮られていたが、昭和に入って切り通しができた。カミサンの実家への行き帰り、たまに県社の下の道を通る。紺屋町からは一本北に入った細道だ。昔は三和町と関係がありそうな名前の食堂があった。たしか「沢渡屋」といった。味覚堂は通り過ぎるだけだった。

 江戸時代、磐城平城の北西(三坂・好間など)から城下町へ入るには――。久保町を経て八幡小路の坂を東進したあと、飯野八幡宮の前を直角に折れて「ねずみ坂」を下り、古鍛冶町、研町(とぎまち)、紺屋町と進んで、土橋(今の才槌小路)から一~五町目へ行くのが本道だった。

 今、平・松ケ岡公園の東麓を久保町・好間方面へ向かい、JR常磐線・磐越東線の踏切を渡ると、道は徐々に勾配(こうばい)を増して、また下っていく。その坂のかたわらに巌谷小波の句碑「馬も来ぬむかしをかたれ萩の花」がある。

昭和6(1931)年、山崎與三郎らの努力によって菅ノ沢の道路が開削される。これを記念して小波の句碑が建立される。同年12月21日、小波らが臨席して「記念碑建碑式」が行われた(常磐毎日新聞)。

味覚堂は、正式には「いわきあられ本舗味覚堂」本店だ。名前は知っていても、あられが主力商品だとは記憶にあっても、ふだんあられやせんべいには縁がない。ましてや、あわもちを売っていること自体知らなかった。

あわもちは、餡(あん)を黄色い粒々の粟で包んでいる。さっぱりした甘さで口当たりがいい。味にうるさい人が朝8時の開店と同時に買うわけがわかった。

店のホームページをのぞくと、創業は昭和24(1949)年、昔ながらの手作業・天日干しであられを仕上げている、とあった。

町の和菓子屋さんだ。根強いファンがいるのだろう。カミサンの幼なじみもその一人らしい。早朝、散歩がてら出かければ、5分で店に着く? 市外からお客さんが来たとき、「平の和菓子です」と自慢できる、そんな“発見”をしたような気分になった。

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