2026年6月22日月曜日

モミの木の年輪

                                 
 夏井川渓谷の隠居の前の電柱に防犯灯が取り付けられてある。この明かりを確保するために、地元の住民が隠居の木の枝葉を剪定し、電柱のすぐそばの立ち枯れモミを1本伐採してくれた。

 カミサンの父親に代わって私ら夫婦が隠居の管理人になったのはざっと30年前。そのころはどの木も細く小さかった。

 この間2回、電力会社が電線保護のために剪定をしてくれた。そのあと、また枝葉が茂ってきた。

2本あるモミの木は2回目の剪定後、立ち枯れた。地元の住民が伐採してくれたのはそのうちの1本である。

根切りされたモミの木の断面=写真=を見ながら、川内村での草野心平の逸話を思い出した。5年前の拙ブログを要約・再掲する。

――いわき地域学會が阿武隈の山里、川内村の村史編纂事業を請け負った。そのときの調査の一コマだ。

私は、山里にまで浸透した幕末の俳諧ネットワークと、川内村と草野心平のつながりを担当した。

上川内の禅寺、長福寺の矢内俊晃和尚の招きに応じて、心平が川内村を訪ね、村民との交流が始まった。

心平は名誉村民に推戴され、やがて天山文庫が生まれる。心平と交流のあった和尚はガリ版刷りの個人誌「蕭々無縫」を出して、心平との交遊をつづった。そのエピソードのひとつ。

あるとき、心平はまな板用に栗の木の切れ端を村の棟梁に削ってもらう。和尚と一緒の帰り道、木の年輪を見て「君、こっちは北なんだね。こっちは南側だったんだね」という。

「君、同じ南側でも育ち具合が違うんだね。育たなかった年は気候が悪かったんだね。この時は、この木も随分と苦労したろうね。木ばかりでなく、みんな苦労したんだね。凶作だったりして」――

根切りされたモミの木の話に戻る。年輪は、はっきりわかるのは30本。それにプラス5~6年といったところか。私らが通い始めたころはまだ幼木だったことが、これからもわかる。

 根元の東西南北でいうと、東(写真の右側)からは30本ほどだが、反対側の西からは30年プラス5~6年のように見える。

 最後の5年間は強剪定がたたって生長が止まり、年輪の間の間隔が詰まったために東側から見るとプラス5~6年の判断がつかなかったのかもしれない。

 たったそれだけの年数ながら、幹は根元では50センチほどになっていた。根切りをして倒れた瞬間、地響きがした。それだけ木質が重く、稠密にできていたことになる。

 40センチほどの長さに切断して、庭の隅に片付けたが、もしかしたら丸太の椅子になるかもしれない。カミサンはさっそくそんなことを考えているようだった。

2026年6月20日土曜日

亜脱臼から1年

                                           
 毎朝、近くの接骨院で腰をもんでもらう。急に腰痛がきて歩けなくなった。突発性の側弯症だった。

 5月前半の日曜日、夏井川渓谷にある隠居の菜園で1時間ほど草むしりをした。そのときの姿勢と、前々からの腰の張りとが重なって、翌日午後、突然、腰に痛みが走った。

カミサンの肩に手をおきながら車に乗り(運転は大丈夫)、カミサンの通院している接骨院へ行った。

すぐ手当てをしてもらったあと、腰にコルセットをはめると、痛みが消えてひとりで歩けるようになった。

初診ではない。診察券は去年(2025年)6月に出してもらった。ちょうど1年前である。

寝床で本を読んでいるうちに昼寝をし、目が覚めると右肩が異常に盛り上がっていた。腕を上げると痛い。

 カミサンのサポートで接骨院へ出かけた。このときも車の運転は大丈夫だった。肩の亜脱臼だという。

 当時のメモが残っている。「右肩がぽっこり膨らんでいる」。すぐ施術してもらうと元に戻り、湿布薬を出してもらった。

あとは「痛いときだけ来ればいい」。ねんざと違って、正常な位置に骨が戻ったら、それで終わりということなのだろう。

 実際、その後は異常な膨らみも、痛みもない。とはいえ、再発を避けるために寝床と寝方を変えた。

 本を読むための電気スタンドが寝室の右と左の壁際にある。右側の寝床に入り、右肩を下にして本を読むのを何十年も続けてきた。その結果の亜脱臼である。

 接骨院へ行ったその日から、今度は左側の寝床に移り、左肩を下にして本を読みながら眠るようにした。それがこの1年の習慣だ。

 腰の痛みが消え、少し余裕が出たころ、院長に聞いてみた。「肩の亜脱臼からちょうど1年。あのポッコリは何だったんですかね」

 1年前、私は「ぽっこり」はガングリオン(脂肪のかたまり)だと思っていた。そうではなく、「上腕骨頭(こっとう)」がはずれかかった状態だった。はずれると、つまり脱臼すると肩を固定する必要があるという。

 脱臼でも、亜脱臼でもクセになることがあるらしい。それを恐れて寝方を変えたのだが、左肩を下にしていたら、今度は左肩が亜脱臼にならないか心配だ。

自分でもできる手当の仕方がないものか、図書館から本を借りて読んでみた。『とっさの時の応急手当』(徳間書店、1992年)=写真=で、脱臼はあっても、亜脱臼には言及がなかった。

ま、機械に例えれば、亜脱臼は部品がはずれかかっている状態で、ちゃんとはめてやればまた普通に動かすことができる。これが脱臼となると、機械の場合は部品交換というレベルなのだろう。体を長く使うためには、やはりメンテナンスが必要のようだ。

2026年6月19日金曜日

夜明けの動物たち

                                         
 間もなく夏至。夜明けの4時ともなると、もう空は明るい。青空が戻った水曜日(6月17日)の夜明け、起きぬけに夏井川渓谷の隠居へ出かけた。

 隠居の屋根にかかる庭木の剪定・伐採を地元の住人(造園業)に頼んだ。2~3日かかるというので、2日目が始まる前に様子を見ることにした。

 既に剪定・伐採された木は庭のヘリに寄せられていた。まるで生け垣のように整然としている。美しい。美しいと感じる仕事を久しぶりに見た。職人としての美意識だろうか。

 それについてはいずれ触れるとして、きょうは隠居までの道行きで出合った「夜明けの動物たち」を紹介したい。

 いつもは日曜日の朝9時前後、神谷~平窪~小川の耕土を過ぎて渓谷に入る。今回は、4時半ごろに家を出た。隠居へは5時過ぎに着いた。

同じルートなのに、車窓に広がる景色が違って見えた。鳥たちは夜明けとともに眠りからさめるのだろう。水を張った青田にシラサギやアオサギがいる。これは日中と変わらない。

 平窪の田んぼのあぜ道に「工事」と「通行止め」の看板が立っている。それぞれの上のはしっこにカラスが止まって、体を激しく上下させながら鳴いていた。

 カラスの体操? 合唱? 朝のあいさつ? なんだ、シンクロしたこの動きは! カミサンと2人、びっくりして大笑いした。

 小川の三島を過ぎ(夏井川に残留コハクチョウの「エリー」がいる)、磐越東線をまたぐ跨線橋にさしかかると、前方の対向車線にカラスが止まっている。

 と見たのは錯覚で、すぐキジの雄だとわかる。雄は車が近づくと右側の土手に消えた。

 そのあとをもう1羽がゆっくり追っていく。キジの雌だ=写真。夜明けの5時前、行き交う車はない。車を止めてパチリとやった。

 キジのつがいはどうやら、左側の河川敷の方から跨線橋に現れ、右側の田んぼの方へえさを探しに向かったらしい。右奥には二ツ箭山が鎮座している。

 平地から渓谷へ――。磐東線の上小川トンネルと磐城高崎踏切が接続する先に渓谷へ入る坂が待っている。「地獄坂」という。

 左にカーブしながら傾斜がきつくなる辺りで、いきなり前方に小動物が現れた。2匹いる。しっぽが長い。車から逃げるように坂を駆け上がりながら、やがて左の杉林に消えた。リスだった。

リスを久しぶりに見た――。そんな感慨にひたりながら江田駅を過ぎて椚平に入ると、またリスが車の前を横切った。

危ない! 私は、スピードは出さない。エンジンをふかして渓谷を駆け抜ける車だと、このリスは避けきれなかったろう。

リスに限らない。タヌキもまたこんな時間帯に、不運にもスピードの出ている車と遭遇して輪禍に合う確率が高いのではないか。夜間だけでなく、夜明けもまた要注意。5時前のドライブでそれを実感した。

路上の「死物」にはできるだけ出合いたくない。同時に、大きな生きた動物にも。さいわいクマらしい生き物は見なかった。

2026年6月18日木曜日

地元の葬祭場

                               
   「多死」という言葉を初めて知った。「日本は多死時代を迎えている」という。新聞に載っていた。

ネットで検索したら、ピークは団塊ジュニア(1971~74年生まれ)が高齢期を迎える2040年ごろで、火葬待ちの長期化、墓の維持の困難といった問題が指摘されている。

多死の始まりはジュニアの親たちだろう。私ら団塊の世代(1947~49年生まれ)のことである。

間もなく80代。他人ではなく、自分のための葬祭場利用を考えないといけない年代になった。一種の「終活」にはちがいない。

葬祭場は身近にあった方がいい。近所の人のためにも、家族のためにも、住み暮らしていた地域で葬儀が営めればそれに越したことはない。

 去年(2025年)の師走、近くにJAの葬祭場ができた。地権者や隣接する行政区の区長らとともに、落成式に招かれた=写真(落成式の資料表紙)。

 近年は核家族化と少子高齢化を背景に、大がかりな葬儀が少なくなったような印象を受ける。一般葬より家族葬を選ぶ家も増えた。

 近所の葬祭場も、一般葬と家族葬の2つに対応できるよう、同じ敷地内に大小2つのホールがある。

やはり「多死社会」に対応してのことだろう。式典のあと、両施設を見学した。そのときの日記から――。

旧神谷村単位でいうと、神谷には葬祭場はなかった。地続きの隣の地区(下神谷)の葬祭場や、夏井川の支流・新川の先にある葬祭場を利用することが多かった。

その意味では、やっと地元の葬祭場ができた。「予約するわけにはいかないが、いずれ世話になるところ」。落成式の出席者の間にはそんな空気が漂っていた。

旧ロッコク(現国道399号)沿いにある。歩いても行けるが、車でならほんの少し大回りをして、旧ロッコクの交差点に出てから左折する方が安心だ。

わが家からすぐ旧ロッコクに出ると、四倉方面から来る対向車両とすれ違う。合間をみて右折するので、ちょっと怖い。

もうひとつ、交差点からそばの夏井川の堤防に出るルートがある。堤防を100メートルほど行って下りればすぐ葬祭場の広い駐車場に着く。

帰りはこのルートを利用すると安心して旧ロッコクを横断できる。マチからの帰路、夏井川の堤防を利用する。その最後の区間でもある。

先日、近所のおじいさんの通夜がそこで行われた。わが家の向かいに故義伯父の家がある。カミサンが庭木の剪定をしていると、ときどき手伝ってくれた。

満95歳。告別式は近親者だけで営むということなので、通夜の席が最後の別れの場になった。半分は一般葬、半分は家族葬ということだろうか。

 故人の孫たちも、すっかり大人になった。カミサンは一気にン十年前の「米屋のおばちゃん」に戻って、孫たちと思い出話に花を咲かせた。これも故人の人徳ゆえだろう。

2026年6月17日水曜日

初キンカン

                              
    家にいて蚊に刺された最初の日を記録している。それをならすと、「初刺され日」は5月20日ごろになる。

 ところが、ここ数年は蚊の出現が早まっている。5月の連休が明けると、そろそろ防虫の準備をしなくては、となる。

 蚊取り線香の有無を確認し、なければ買っておく。刺されたときにすぐ対応できるよう、キンカンも用意しておく。

 今年(2026年)は5月18日に初めてチクッとやられた。すぐキンカンを患部に塗った。「初キンカン」である=写真上1。

蚊取り線香は去年の残りがあった。香りが強い。ふだんは無香の「菊花せんこう」を使っている。それを調達できなかったので別の品を買ったのだった。

煙と一緒に香料が漂ってくると、頭がクラクラする。一種の「香害」である。それが嫌で「菊花せんこう」にしていたのだが……。

蚊取り線香も、チクッとやられた日に初めて使用した=写真上2。香りが茶の間に充満しないよう、玄関の戸を開けたまま、上がり口に置いて蚊を遠ざけた。

6月に入るとぐずついた天気もあって、キンカンも蚊取り線香も使わずにきた。12日に気温が上がると、午後遅くになって蚊が現れた。16日もそうだった。

庭を含めたわが家の蚊の生態を過去のメモから整理したことがある。蚊が現れて人間を指し始めるのは前述のとおり、5月20日前後だ。

ほかには①蚊が姿を消すのはほぼ10月下旬②午後から夕方にかけてはヤブカ、夜はアカイエカに変わる③最近は蚊取り線香をたいてもブンブンやっている――。

蚊が姿を消すのは、このごろは11月に入ってから。つまり、現れるのが早まり、消えるのが遅くなっている。蚊に悩まされる期間が長くなった。

庭にある不要な鉢を逆さにしたり、古タイヤの内側の水を捨てたりして、庭から水たまりをなくさないといけない。草木が密生し、葉が茂りすぎているのも、蚊のすみかになるようだ。

夏場、家の中では24時間、蚊取り線香を絶やせない。そして、困ったことがひとつ増えた。眼鏡である。遠近両用なので、寝床に入るとき以外はかけっぱなしだ。

眼鏡をはずして本を読んでいた一昔前の癖で、額やこめかみ辺りに止まったものをパシッとやる。と、眼鏡のつるをたたいている。

眼鏡にはできれば触りたくない。ゆるんだり、壊れたりする原因になる。我慢すると蚊に刺されっぱなし、ということになる。わざわざはずしてパチッとやっていたのでは遅い。

というわけで、キンカンはパソコンのそばに、蚊取り線香は玄関の上がり口に置いたままだ。そうやってもう1カ月になる。

2026年6月16日火曜日

防犯灯を遮る緑

                                 
    夏井川渓谷の隠居には、県道小野四倉線に沿って敷地の境界に木が植えられてある。

故義父が半世紀前、元は畑だった土地を借りて山側の半分を盛り土し、平のマチにあった家を譲り受けて解体・再建した。

道路との境には、塀の代わりにケヤキその他の若木を植えた。クワの木は畑の名残だろう。これらの木々が50年を過ぎて太く高くなった。

拙ブログで確かめると、原発震災から間もなく1年というときに、電線が引っかかるので電力会社が剪定をしてくれた。

道路に沿って電柱が立ち、伸びてきた架空線が隠居のところでいきなり木の茂みに隠れる。

私ら夫婦が通い始めて最初の剪定が行われてから9年後の令和3(2021)年。今度はこちらから電力会社に連絡して、師走に剪定をしてもらった。

 作業は2日がかりで行われた。初日朝の作業開始時間に合わせて出かけ、あいさつをした。そこで現場のリーダーと再確認したのが、切る高さだった。

こちらの希望は「家の軒下あたり」まで。それだと「木が枯れて突然倒れ、そばを通る車にぶつかる心配がある。屋根の上あたりまで残しておいた方がいい」という。

実生で育ったと思われるモミの木が2本ある。「モミは枯れるかもしれない。そのときは根切りをする」ということだった。

 2回目の剪定から5年。ケヤキやカエデ、クワの木はまた電線を隠すまでに枝葉を広げている。

モミの木は案の定、立ち枯れた。それこそいつ倒れるかわからない。電力会社に電話して事情を説明すると、担当社員が確かめに来た。ついでにほかの木の剪定もお願いした。

 それとは別に、旧知の地元の区長から連絡がきた。隠居のそばの電柱に防犯灯がある。隠居の木の枝葉に隠れているので、夜、明かりが道路に届かない。

 「明かりが届くように区で剪定作業をするが、いいか」という。これも「どうぞ、どうぞ」である。

 6月中旬の日曜日、隠居に着く時間に合わせて作業が始まった。やって来たのは3人。3人は先日、隠居の向かいにある私有地で雑木を伐採した。同じ3人で剪定・伐採作業が行われた。

今度も造園業を営む1人がレッカー車を出し、別の1人が木の枝葉を切り、もう1人が木の切断に加わって、あっという間に作業が終了した=写真(上がアフター、下がビフォー)。

自然景観だけでなく人間の住むエリアでも美しい花の景観を楽しんでほしい、同時に、地域の安全のために防犯灯をちゃんとともしたい――。

そんな郷土愛の延長で電柱のすぐそばのモミの木も1本、伐採してくれた。これでお互いの心配がひとつ消えた。

2026年6月15日月曜日

6月の白雲

    土曜日(6月13日)は「梅雨の晴れ間」のような好天になった。未明の3時半前には、福島地方気象台から雷注意報が発表された。

午前10時過ぎには早くも西の湯ノ岳~三大明神山の上に白雲が現れた。雷注意報が出るわけだ。

しかし、雷鳴は響くが、雨を伴うかどうかはわからない。いつものことながら「雷鳴だけで終わってほしい」。勝手な願望が広がる。

朝、神谷公民館、次いで近くの忠魂碑と戊辰戦争の追福碑の清掃作業が行われた。公民館清掃は、毎年この時期に行われる。神谷地区の8人の区長が老体を鞭打って草刈りをし、ごみ袋に詰める(今回は袋詰めが主)。

それが終わると忠魂碑と追福碑を清掃する。忠魂碑は平六小の裏山公園にある。そばには「殉国碑」も建つ。

神谷市郎著『神谷郷土史』によると、忠魂碑は大正9(1920)年10月に建立された。忠魂碑には、アジア・太平洋戦争の犠牲者は含まれない。『神谷郷土史』にある戦争犠牲者138柱は殉国碑を含めての数だろう。

いかにも神谷らしいのはふもとの立鉾鹿島神社の境内にある「為戊辰役各藩戦病歿者追福碑」だ。

神谷村は笠間藩の分領だった。江戸後期、今の平六小に陣屋があった。本藩が新政府軍に加わったため、戊辰戦争では隣の磐城平藩をはじめ奥羽越列藩同盟を相手に、孤立無援の戦いを強いられた。

戊辰戦争の記念碑は2つ。1つは、平六小の校庭にある「奉公碑」だ。『神谷郷土史』によると、大正6(1917)年に建立された。戊辰戦争で幕府軍と戦って斃れた人々の霊をまつる。つまりは自藩の慰霊碑だろう。

もう1つが追福碑で、昭和7(1932)年に建立された。やはり戊辰戦争の犠牲者をまつるが、こちらには「各藩」が入っている。

戊辰戦争の結果、周りは「負け組」になったが、神谷は「勝ち組」に入った。「各藩」が入っているのは、勝ち負けなく弔おうという、一種の政治的判断だったのだろう。

 さて、毎年清掃奉仕をしていると、自分の年齢を考えてしまう。小学校の裏山公園へは何段もの石段を登っていく。年々、たどりつくまでに時間がかかるようになった。

よその区は2年で交代が慣例のようだが、わが区は新しい区でもあるので、なかなか次の人が見つからない。私自身が高齢化の先陣を切っている。その矛盾を考える日でもある。

もう1つ、午後には雷雨が来た。午後1時から夕方5時過ぎまで、いわき地域学會の事務局(故義伯父の家)で仲間と2人、会費納入のための振込用紙をつくり、総会資料などとともに封入作業をした。

3時ごろには雷鳴がとどろき、すぐ北側を雷雨が通過した。すると、暗雲はこちら側にも押し寄せ、南の空が灰色になったと思う間もなく、雷雨がやって来た。

    雷雨はやがて去り、また夏のような青空が戻った。午前・午後と久しぶりにフル回転した。終わって、さあ飲むぞ――と意気込んだのはいいが、すでに体力が尽きていて、すぐ眠くなった 。やはりトシである。 

2026年6月13日土曜日

きょうは何の日

                                
 朝に限らない。その日初めて車のエンジンをかけると、女性の音声で「きょうは○月○日です/○○の日です」と車がささやく。

 耳が遠くなったせいもあって、エンジン音にまぎれてほとんど聞き取れない。6月10日もそうだった。

 あとで新聞を読みながら思い出した。6月10日は「時の記念日」ではないか。私がいわき民報の記者をしていたころは、前日の9日に時計店の広告が載ったり、当日に記事が掲載されたりした。

 今はそんなことはないらしい。10日はどのメディアにも時の記念日を伝えるものはなかった。

ネットで6月10日をチェックすると、あれれ、となった。時の記念日のほかにいろんな記念日が出てきた。

「歩行者天国の日」「商工会の日」「路面電車の日」「ミルクキャラメルの日」でもあるという。

語呂合わせももちろんある。「無糖茶飲料の日」は「6=む」「10=とう」で「無糖」。お茶の伊藤園が制定した。

緑豆(りょくとう)再発見委員会がつくった「緑豆の日」も、「6≒りょく」「10=とう」で「緑豆」だという。

忌日としては文人大町桂月、建築家アントニ・ガウディ、作曲家吉田正など。誕生日では絵本作家モーリス・センダック、プロ野球の日本シリーズで巨人を相手に大逆転劇を演じた西鉄の「鉄腕」稲生和久などがいる。

大町桂月は、いわきでは夏井川渓谷の「籠場の滝」そばに立つ歌碑(「散り果てゝ枯木ばかりと思ひしを日入りて見ゆる谷のもみぢ葉」)で知られる。

ガウディは今も建設中のサグラダ・ファミリア教会(スペイン)が有名だ。10日に主塔の「イエスの塔」が完成し、ローマ教皇が出席して完成記念式典が開かれた。

たまたま「時の記念日」から発して「きょうは何の日」を検索し、ガウディの仕事に触れた日の夕方、サグラダ・ファミリアのニュースに接した。没後100年に合わせた行事だったという。こんな偶然もあるのだ。

さて、私は、腕時計は持っていない。壊れたのをきっかけに、腕にはめるのをやめた。携帯電話(今はスマホ)を見れば、時間がわかる。それがひとつ。

もうひとつはこの30年余、日曜日に夏井川渓谷の隠居で過ごしていることが大きい。

人間の決めた時間ではなく、自然の移り行きに身をまかせたい。そんな思いが強くなった。時間はひとつではないのだ。

自然の世界はそこに生きるものたちが、そこにある環境に合わせて自分の時間を生きている。

動物の時間、植物の時間……。冬に眠る木々もあれば、冬に姿を見せるキノコもある。昼間、動き回るもの、夜間に動き回るもの……。種によって時間は異なる。

家にこもっている分には、茶の間にある電波時計=写真=で事足りる。それに、と思う。現役のころは締め切りに追われたが、今は締め切りを追うくらいに自分の時間がある。

朝活でブログの原稿を仕上げる。会議や行事がなければ、あとは自分の時間だ。腕時計から解放された分、気持ちがおおらかになったような感じがする。

2026年6月12日金曜日

糠仕事

                                 
 朝は起きるとすぐ糠床をかき回す。次に、パックに入れて冷蔵庫で保管していた糠漬けを取り出し、包丁を入れて器に盛る=写真。

 冬(師走~4月)は白菜漬け、それ以外は糠漬けと決めている。どちらも私がつくる。

去年(2025年)の夏、虫がわいて糠床をダメにした。それで、5月の大型連休明けに新しい糠床をつくった。

糠はカミサンの実家から調達する。実家は元米屋だが、精米は続けている。糠床をつくって半月後、また糠を調達した。

甕(かめ)を糠床に利用している。甕の大きさからして、最初の糠だけでは厚みが足りない。カブやキュウリ、ニンジンを一緒に漬けると入り切れなくなる。それで、量を倍増した。

毎年そうだが、最初はカブを漬ける。小さいので漬かりが早い。4つに割って一昼夜漬けておくとしんなりする。まあまあの味だ。朝の「糠仕事」の復活である。

キュウリはそのあとに漬ける。いわきの歴史や民俗、生業などに詳しかった故佐藤孝徳さん(江名)の言葉がブレーキを掛ける。

「キュウリは、八坂神社の祭りが終わるまで食べない」。つまり、7月。露地栽培では確かに、そのころからキュウリがなって旬を迎える。

ハウス栽培が主流の今は、冬でもキュウリを売っている。で、糠漬けを再開するときには一種の戒めとして、孝徳さんの言葉を思い出す。

といっても、カブの糠漬けを食べ始めると、やはりキュウリの糠漬けが恋しくなる。カブを漬けたら、キュウリも解禁――カブを言い訳にして、早い段階からキュウリを漬ける。

 キュウリはなんといっても鮮度が大事だ。内部に水分がたっぷり含まれているうちに漬けると、切り口も色鮮やかでうまい。水分が飛んでしなびたようなキュウリは、漬けても中身が白くて味が薄い。

 大根は、キュウリとは逆だ。できるだけ水分を飛ばす。冬のたくわんは干した大根を漬け込む。それと同じで、適当な長さに切って4つに割ったのを、台所の窓辺に2日くらい置いて糠床に入れる。すると、しんなりして食べやすくなる。

 問題は甕を置いておく場所だ。台所の一角が定位置だが、年々、気温が高めになっている。

今年は減塩気味なのと、かきまわす回数が少なかったせいか、糠床をつくって2週間もたたないのに、かすかなシンナー臭がする。

これまでにも何度か経験しているので、食塩と唐辛子を加え、かきまぜる回数を増やすことにした。昆布も後日、調達して入れた。

夏場は糠床を北側の階段の下に移す。時には保冷剤をのせる。そうして糠床の熱を抑える。

 糠仕事は日々、野菜と乳酸菌に思いを寄せ、包丁の扱い方を学ぶ場でもある。男はつい、キュウリでも大根でも厚めに切ってしまう。とにかく薄く切る。これも修業のひとつと言い聞かせる。

2026年6月11日木曜日

イノシシの破壊力

                               
   ぐずついた天気が続く。関東・甲信地方は梅雨に入ったが、東北南部はまだだ。いわきは北関東と同じ気象環境だが、東北南部なのでいわきだけ梅雨入りというわけにはいかないのだろう。

 日曜日(6月7日)は地区の球技大会が開かれた。月曜日は医療センターで定期検査を受けた。それで夏井川渓谷の隠居へ行くのは火曜日にずれ込んだ。

 未明からパラついていた小雨が一服した午前10時ごろ、思い立って出かけた。カミサンも同行した。

 四倉や平(荒田目=あっため)、小川(柴原)でクマが目撃されたばかりだ。渓谷に現われても不思議ではない。そのことをまず思い浮かべる。

私はまだ目撃したことはないが、渓谷で最大の動物といえばイノシシだ。この大物は常時、出没しているというわけではない。

磐越東線の江田駅から隠居のある牛小川までの田んぼや畑には、電気柵やトタン板が張られている。イノシシ対策だ。

隠居の庭にも現れる。地面がほじくり返され、土がむき出しになっているのでわかる。拙ブログから3件を選んで紹介する。

 今から18年前(2008年6月)――。畑のへりのやぶが、トラ刈りされたようにむきだしになっていた。そこだけ土砂降りの雨が土を洗い流し、あるいは重機が表土をはがしたようになっていた。

近所の畑を見ると、山側のジャガイモ畑に今までなかったネットが張られてあった。イノシシが出たばかりということだった。

イノシシの吻(ふん)は非常に強い。6070キロくらいの石は簡単に動かす。その吻でラッセルするのだから、たまったものではない。菜園の野菜は被害がなかったから、目当ては土中のミミズだろう。

9年前(2017年5月)――。隠居の下の庭は放置するとヨシ原になる。夏には2メートルほどに生長したヨシで覆われる。ある日、その一角が畳2枚分くらいほじくり返されていた。

頑丈な吻で土を掘り、石を飛ばしてミミズをあさったようだ。ヨシの地下茎が切断されてむき出しになっていた。

イノシシは、複数の群れが同じ地域を利用しているらしい。寿命は長くて10年というから、代替わりをしながら山里を転々としているのだろう。

7年前(2019年12月)――。隠居の隣、電力会社の社宅跡にそびえるモミの木のそばの土手が、およそ幅3メートル、長さ20メートルにわたってほじくり返されていた。

ここまでやるのはイノシシしかいない。しかも1頭や2頭ではない、群れをなして斜面をラッセルしたのではないか。あらためてイノシシの破壊力のすごさに仰天した。

 今年(2026年)、また集落に現れた。隠居の上下の庭にもラッセル痕ができた=写真。どうせなら下の庭をすべてラッセルしてほしいものだ。そうすれば、クマが隠れる草むらはなくなる。

 イノシシは、ネギには手を出さない。下の庭をきれいにしてくれるだけなら「どうぞ、どうぞ」なのだが。

2026年6月10日水曜日

キジの雄が目前に

                               
   夕方、自宅へ戻るのに平・山崎で県道から夏井川の堤防(右岸側)に出た。六十枚橋まで行って、また反対側の堤防に折れ、夕日に向かって車を進める。

 橋までもうすぐというところで、前方にちょっと大きな鳥がいた。減速して接近すると、キジの雄だった。

 マチからの帰り、やはり夏井川の堤防(左岸側)を利用する。2カ月に1回はキジの雄に遭遇する。

左岸のキジは警戒心が強い。車を見るとすぐ土手の草むらに移動して姿を隠す。シャッターチャンスがあっても、堤防の天端からは遠い。望遠レンズがない。撮ればボケブレになる。

それに比べると、今度の雄は車を見ても動じない。どころか、近づいてくる。車を止める。カミサンがパシャパシャやる=写真。最後は車のそばまで寄って来て、運転席側の草むらに消えた。

僥倖である。前からも、後ろからも車は来ない。キジが姿を消すまで、じっくり動きを観察することができた。

この河川敷にはキジの雄が何羽いるのか。つまりは縄張りが何カ所あるのか、推測したことがある。もう18年も前のことだ。そのブログを抜粋・再掲する。

――朝晩、この堤防(左岸側)を散歩していたころ、初夏に雄のキジがよく鳴いた。1羽や2羽ではきかない。

1羽が鳴くと、必ず少し離れたところで別の1羽が鳴く。それが下流の方まで延々と続く。

肉眼では黒い粒でしかないキジも、双眼鏡で見ると、赤い肉だれと気品のある緑黒色の体がよく分かる。

対岸ばかりでなく、こちら側に来ているときもあるから、川の両岸が同じ雄の縄張りとみてよい。

ある朝6時ごろ、いつものように堤防の上を歩いていると、右岸の3カ所からキジの鳴き声が聞こえた。音源を探ると1羽は畑の真ん中に、ほかの2羽はそれぞれ離れて河川敷の砂地に近い草むらにいる。肉眼でもはっきり見える。

3羽の距離を歩いて測った。AキジとBキジの間は240歩(一歩90センチとして216メートル)、BキジとCキジの間は100歩(同じく90メートル)である。真ん中のBキジの縄張りは、中間で線引きをすると108メートル+45メートル=153メートルになる。

少し余裕をもたせて200メートルごとに縄張りがあるとすると、現にその程度の間隔で「ケーン、ケーン」と鳴いているのだが、雄のキジは1キロメートルに5羽、河口まで4キロメートルとして20羽がそれぞれ縄張りを持っていることになる。

もう少し狭めて150メートルごとにオスがいるとすると、26羽強だ。これはいくらなんでも多いか――

「令和元年東日本台風」のあと、河川敷の立木の伐採と土砂除去が行われた。畑はなくなった。キジも一時姿を消した。それが少しずつ戻りつつある。メスが子どもを連れて歩いているのも目撃した。

おもしろいことに、キジはやはり「非日常」である。キジに出合うと、気持ちがクシャクシャしていてもすぐ晴れる。不思議なものである。鳥には人を癒す力がある。

2026年6月9日火曜日

クマ対策

                               
   5月24日は山田町。6月は、3日四倉町、4日荒田目(あっため=平)、5日にまた四倉町。そして今度は小川町の柴原だ。8日午前10時ごろ、画像から柴原にツキノワグマに現れたことが確認された。

二ツ箭山麓の柴腹も含めて、いずれもいわきの平野部といってよい。南だから、北だから、なんてことはもう言っていられない。どこにでも出る。そう覚悟した方がよさそうだ。 

平藤間の直売所へ野菜を買いに行くのに、必ず荒田目を通る。その荒田目の田んぼで朝、クマらしい動物(断定はされていない)が目撃された。

夏井川を軸にすれば、六十枚橋のこちら側(左岸)がわが家のある中神谷(平)~下神谷、橋を渡った対岸(右岸)が山崎(平)~荒田目だ。

夏井川はこの時期、田んぼに水を取られて中洲がいっぱいできている。クマは泳げるし、簡単に夏井川を横切ることができるだろう。神谷に現れても不思議ではない。

神谷の北東にある四倉でのクマ出現には驚いた。近い。それ以上に近いのが、すぐ対岸の目撃情報だ。

5日、直売所の行き帰りに荒田目を通った=写真上1。道路沿いに建物が密集し、周りを田畑が囲んでいる。近くに夏井小学校がある。

かすむようにして見えるのは閼伽井嶽~水石山だ。阿武隈の山々からは遠く離れた、どちらかというと海に近い集落である。

7日には神谷地区の球技大会が開かれた。朝7時、荷物を運ぶために公民館へ行くと、玄関に紙が張ってあった=写真上2。「熊対策のため/手動です」。そばには同じ文字を記した立て看も。

公民館の玄関のドアは自動だから、クマが現れたらすぐ開いて、中に入られてしまう。それを防ぐためにドアの開閉を手動に切り替えた、というわけだ。

別のところでその話をすると、四倉にあるホームセンターもそうだという。「ドアの前に立っても開かない、おかしいなと思ったら、手動になっていた」

福島市の工場建物に入り込んだクマは、水道の蛇口をひねって水を飲み、窓のカギを開けて逃走した。クマは知能が高い。やはり自衛策は必要だろう。

クマが生息していないのだから、クマに出合うことも、クマを恐れることもなかった。が、こう目撃情報が増えると、ヒトゴトではない。

球技大会は石森山の中腹にある昌平中学・高校のグラウンド(ソフトボール)と体育館(バレーボール)で行われた。周りは森である。ひょいと黒い生き物が現れないか。時折、そんな心配がよぎった。

四倉町のある店では、お客さんが鈴の音を鳴らしながら入店した。腰に「クマ鈴」を付けていたという。マチの中でも自衛が必要になったようだ。

2026年6月8日月曜日

ユウゲショウ

                                           
   ユウゲショウ。漢字では「夕化粧」と書く。帰化植物である。この花を最初に見たのは7年前。わが家の前の道路の縁に咲いていた。それを取り上げたブログ(2019年8月13日付)がある。一部を抜粋して再掲する。

――月曜日の早朝6時前、ごみネットを出すと、車道の縁石の隅にピンクの小さな花(直径1センチ強)が咲いていた。初めて見る花だ。歩道側、アスファルトの切れ目にも同じ花が咲いている。

車道側の縁石には砂が少し溜まっているだけだ。植物にとっては苛酷な環境だ。大きく育つ草は、とてもじゃないが根を張れない。水分だって十分取れない。そんなところに、丈の低く小さな草が根づいた。

「夏 赤い花」で検索すると、それらしい花の写真に出合った。「ユーゲショウ」という名が付いていた。

国立環境研究所の「侵入生物データベース」などによると、北米南部~南米原産で、明治時代に移入した。市街地・路傍・堤防などに生息し、昼から夜にかけて開花する。

データベースの地図は、関東以西が赤く染まっている。東北は無印だが、いわきではすでに生息している。

「侵入マップ」が北へと赤くなりつつある? 「かわいい花だね」と、喜んでばかりはいられない――。

 この花が夏井川渓谷の隠居の庭にも咲いていた=写真上1。5月下旬に気づいた。隠居には30年以上通っているが、ユウゲショウが庭に現れたのは初めてだ。いわき市内でも生息範囲を広げているのだろう。

 では、平地のわが家の周辺はどうか。前に咲いていたごみ集積所では、カミサンがときどき草をむしる。

それでユウゲショウは消えた(そう思っていたが、およそ10日後にチェックすると、ちゃんと花が咲いていた)。

南隣の故義弟の家までの砂利道はどうか。思い立って見たら、車のわだちの間の草地に、しおれたような、これから開花するような、なんともわからない形の花があった=写真上2。

ちゃんと4弁の花を咲かせているものもある。翌朝また見たが、しおれか、つぼみかは判断できなかった。

 ではと、次の日も観察し、それでもわからないので翌日また観察した。それでやっと、しおれらしいことがわかった。

 ついでに近所の道端や花壇なども見て回る。毎朝通っている接骨院では、花壇にこの花が群れ咲いていた。

環境研究所の地図は7年前と同じままだ。本州中部~西日本が赤く、琉球列島と東北・北海道は白い。

東北の南端であるいわき市ではすでに侵入し、平地から山地へと分布範囲を拡大中だ。私の頭の中では、いわきの地図はもう赤く染まっている。

2026年6月6日土曜日

点検商法

                              
   近所に住む知り合いから電話がかかってきた。分電盤がどうの、クーリングオフがどうの、という。

話が見えない。が、「点検商法」にひっかかったのではないか。どうもそんな感じがする。書類と資料を持ってすぐ来るように伝える。

 図星だった。分電盤の交換を主にした工事契約書の写しをみると、金額が17万円余となっている。この数字だけで「やられた」と思った。

 知り合いは高齢で、独り暮らしだ。「分電盤の点検に来た」というので、信じて家の中に入れたら、「分電盤を交換しないといけない」と言われた。で、そのまま工事の契約書にサインをしたという。

が、日を追って釈然としない気持ちが募った。クーリングオフのための書類を見ても、字が小さくてさっぱりわからない。とうとう頭が混乱してわが家に電話をかけてきた、というわけだ。

とにかく、すぐにクーリングオフの手続きを取る必要がある。まずは、知り合いに代わってカミサンがいわき市の消費生活センターに電話を入れ、状況を説明する。

すると、いわき市内では分電盤の点検商法が急増していることがわかった。やっぱり。まちがいない。知り合いもこの点検商法に引っかかったのだ。

はがきでのクーリングオフの仕方を教わった。すぐはがきに解約の文章を書かせ、郵便局に連れて行って、窓口で簡易書留の手続きを取った。

はがきの表と裏はコピーし、簡易書留の領収書とともに、家に保管しておくようにアドバイスする。

 電話から1時間余りでいちおう解約の手続きは完了した。が、完全に終わったわけではない。契約書を盾に業者が四の五の言ってくるかもしれない。そのときはもう110番通報である。

 2年前、わが家で何度か漏電ブレーカーが落ちた。電力会社に電話してアドバイスを受け、電気工事協同組合に加盟している近場の業者に連絡して、分電盤をチェックしてもらった=写真。

特に問題はないが、漏電ブレーカーはだいぶ古くなっている。それに、アンペアブレーカーも、設置した当時よりは、電子レンジやパソコン、プリンターなどの機器が増えて容量がぎりぎりになっているようだという。

本格的な工事にはかなりカネがかかる。ということで、わが家では漏電ブレーカーを交換するだけにとどめた。そんな経験もあるので、17万円の話はヒトゴトではなかった。

市によると、①分電盤については4年に1回の法定点検が電力会社に義務付けられている②法定点検の場合は必ず事前に書面で通知の上、調査員証を携帯した調査員が来る③点検後にその場で何らかの契約を勧誘することはない――ということだ。

「市内で急増‼分電盤の点検商法にご注意‼」。市は今年(2026年)4月1日付で注意喚起の広報を出した。

知り合いにも市内の現状を説明し、簡単に見知らぬ人間を家に入れないよう、念を押した。

2026年6月5日金曜日

骨休め

              
   南東北のいわき市が台風6号の暴風雨圏に入ったのは6月3日の昼前。台風の中心から外れていたとはいえ、横殴りの雨と風が夜まで続いた。

台風が太平洋上へ去った翌4日も、日中はぐずついた天気が続いた。冷たい北東風(やませ)が吹き荒れた。

こんなときには家でじっとしているしかない。「骨休め」である。とりわけ3日は朝のうちに用事をすませて、茶の間で静かにして過ごした。

用事のひとつが、カミサンの知人の家に行って、玄関前に出ている小さな木製家具を回収することだった。

ダンシャリで小物入れとスリッパボックスが出た=写真。3日に朝一番で引き取りに行くことにしていた。

 知人は他県に引っ越したので空き家だが、子どもさんがときどき来る。先日、それに合わせて、やはり不要になったものを引き取った。

 小さな家具は。台風が来なければ日中でもいいのだが、雨風が強まれば濡れたり、倒れたりしかねない。

 いつものように、朝4時に起きると外はうっすら明るい。庭に出たら、かすかに雨が降っている。新聞のラップは濡れていない。降り始めたばかりのようだった。

風もなかった。そのうち、カミサンが起きてきたので、今のうちに行くか――となって、車で10分ほどの知人宅へ出かけ、小さな家具を積んでとんぼ返りをした。

 腰痛を発症して3週間余り。マッサージに通っている接骨院は児童・生徒やサラリーマンのために、登校・出社時間を考慮して早朝から対応してくれる。その時間に合わせて、高齢者も何人か治療してもらう。私ら夫婦もそうだ。

 家具は雨がやむまで車に積んだままにしておき、接骨院へ行く時間を待っていたら、突然、スマホが鳴り出した。

 早朝6時。「高齢者等避難」を呼びかける防災メールだった。これから雨風がひどくなるのだろう。

 避難所は? 田んぼと地続きの小学校や公民館ではない。高台の中学校だ。区内会の役員をしているので、高齢者だからといって避難するわけにはいかない。6人いる役員全員がそうだ。

 いざとなったら「垂直避難」をすると決めて、夫婦で接骨院へ行き、戻って朝食をとったあとは、テレビで台風情報を更新しながら、ブログの原稿を打って過ごした。

 カミサンは、治療には私より時間がかかる。雨なので車で迎えに行くつもりでいたが、風もないし、傘があるからと、歩いて戻った。

私は戻ると、家の前のごみ集積所に「容プラ」(容器包装プラスチック)を出し、糠床をかき回して、大根・ニンジン・キュウリを刻んで食卓に出した。予定の「家事」はこれですべて終わりだ。朝活である。

「風と坊さんは午前10時から」というたとえがある。この日の風もそうだった。

3日は、学校が臨時休校になった。鉄道も運休した。午後には雨風が強まったが、通りの歩道は冠水するほどではなかった。

カミサンも週一の宅配に応じただけで、珍しく来客はなかった。しっかり骨休め、つまりは昼寝ができた、といっていた。

2026年6月4日木曜日

四倉にもクマ

                           
   6月3日のいわき地方は、台風6号の影響で早朝から雨に見舞われた。朝のうちは、風はなかった。四倉もそうだったろう。

このなかで朝7時半から10時20分までの間に、四倉の志津~太夫坂~五丁目地内の3カ所で、続けざまに「クマと思われる動物」が目撃された。

志津も太夫坂も市街地に近い。五丁目はそれこそ市街そのものだ。3地区は近接していて、近くには四倉高校や道の駅よつくら港がある。

つまり、平地で海にも近い。そんな人間の暮らしが濃厚なところで目撃情報が相次いだ。

四倉では、台風どころではなかったろう。「今度は四倉でクマ⁉」。だれもがそう思ったに違いない。

というのは、5月24日に市南部の山田町でクマが目撃されたばかりだからだ。目撃者が撮った画像から、こちらはすぐツキノワグマと断定された。

四倉と同様、山田町も平地にある。山田は都市郊外型の農村兼ベッドタウンだ。鮫川流域の下流部にあり、河口域に広がる市街の植田町に隣接する

 山があるとしても、阿武隈山系が平地へと沈む先端部で、野生のツキノワグマが生息するような環境ではない。

 そこにクマが現われたのを、散歩中の女性が目撃した。5月24日午後3時20分ごろだったという。

女性はこれを撮影し、110番通報をした。いわき民報は同日夜、いわき南署から提供された画像をホームページとX(旧ツイッター)で速報した。すると、瞬く間に情報が駆け巡ったという=写真(5月26日付同紙)。

裏付けのある情報は強い。いわきにクマが現われたとはっきり言えるのは、川前町下桶売地内の県道小野富岡線で去年(2025年)7月31日、ツキノワグマが目撃されて以来、2件目だ。

そこへ今度は四倉の「クマと思われる動物」の、しかも複数の目撃情報だ。なにか体の大きい生き物がうろついていたことは間違いない。

それでわが隠居のある夏井川渓谷にも、クマが現われる可能性があることを、あらためて痛感した。

去年目撃された川前の下桶売から渓谷の牛小川までは山続きだが、直線距離ではわずか15キロしか離れていない。

去年秋、後輩が隠居の上と下の庭の草刈りをしてくれた。生い茂った草がきれいになくなった。草刈り中にクマが現われないかと、気が気でなかったという。

牛小川の住民もまた、クマの出没を意識して暮らさないといけなくなった。私有地の立木を伐採したり、茂った草を刈ったりするのはクマ対策でもあるという。

と、ここまで書いてきて晩酌を始め、終わってまたネットをチェックしたら、なんと「四倉のクマ」情報は8件になっていた。

いわき中央署はドライブレコーダーからクマと断定した。台風で臨時休校になった四倉小では、職員が校庭を走る姿を目撃している。

四倉小・中と四倉高校などは、3日に続いて4日も臨時休校になる。台風の次はクマか。なんてことだ。

2026年6月3日水曜日

ネギ苗を定植

                                
 もう6月。1年の半分、上半期の最後の月である。5月後半から、ネギ苗を定植する日を探ってきた。

 夏井川渓谷にある隠居の菜園で昔野菜の「三春ネギ」を栽培している。早ければ5月末、遅くとも6月前半には苗を定植する。

 隠居へ行くのは日曜日。定植のために平日に出かける手もあるが、キュウリの収穫以外では実行したことがない。

 5月10日では早すぎる。17日も同様で、菜園の草むしりだけにとどめた。あとは24日と31日だ。平地の塩(平)のネギ畑を参考にしよう。毎年、そうしているのだから――。

 先の金曜日(5月29日)夕方、図書館から本を借りた帰り、夏井川左岸の堤防を利用した。

ネギ栽培の参考にしているネギ畑を見ると、広い畑に何列もの溝ができて、ネギ苗が植えられていた。人が3人もいるところを見ると、この日に定植作業をしたのだろう。それで腹を決める。5月31日の日曜日は三春ネギの苗を定植しよう。

定植のためには前年の秋から準備をする。三春ネギはいわきの平地のネギと違って「秋まき」だ。まずは10月10日を目安に種をまく。

苗床は畳4分の1くらいのスペースで十分。水をたっぷりやって土をならし、薄い板を使って深さ3~5ミリの溝をつくり、黒い種を筋まきにする。まいたら溝の両側から土をかぶせて、種が雨で露出しないようにする。

次の日曜日には、種のすぐ上の土が筋状に割れてくる。その割れ目から発芽しつつある緑色のネギ苗がのぞくようになる。

寒くなるともみ殻を敷いてやり、追肥を何度かすれば、春にはぐんぐん丈が伸び出す。今年(2026年)は生長が順調だった。

去年は手を抜きすぎて苗の養生に失敗した。育ちが悪く、定植してもすぐ苗がとろけた。結局、去年は三春ネギを食べずに終わった。

 ネギは越冬し、春を迎えてからネギ坊主をつくる。その中に種が眠っている。今年はネギ本体がないので、ネギ坊主も、種もない。

 ネギの種は、冷蔵庫に入れておけば2年は持つ。その種が少し残っている。今年は秋にその種をまいて苗を育てるしかない。そうやってネギ坊主をまたつくる。そこまでやらないと種は途切れてしまう。

 ネギ苗は、育ちのいいのは大人の小指くらいまで太くなっている。むろん、鉛筆くらいのもの、それより細い未熟なものも多い。

 スコップで溝を切り、浅めに太い苗を並べて軽く覆土する=写真。隠居の庭は浅いところまで地下水が上がることもあって、梅雨に雨が多いと根腐れを起こす。それを防ぐために、浅く植えて土を高く盛るようにしている。

定植苗より細い苗は苗床をならして仮植えし、芽ネギとして夏場に収穫する。自家消費だから細くても捨てる必要はない。

 ということで、わが隠居での定植作業は、早朝の2時間ほどで終了した。日中にずれこむと、それこそ熱中症になりかねない。

5月最後の日にネギ仕事が済んで、せいせいした気持ちで6月を迎えることができた。

2026年6月2日火曜日

健康ゆすり

                               
   年金生活者なので、ノートパソコンを開いてキーボードをたたく「在宅ワーク」がすっかり常態化した。震災と原発事故のあとは散歩も控えるようになった。

震災前は朝晩、夏井川の堤防をグルッと回って戻る散歩を日課にしていた。けっこうな歩数になった。

ところが、未曾有の災厄に不整脈が亢進し、薬を飲むようになった。5千歩、1万歩といった散歩にストップがかかった。

歩かないと足は衰える。かかりつけ医や薬剤師の話を参考に、1日1500歩は歩くように心がけている。近所のコンビニまで毎日2回行くと、このくらいの歩数になる。

歩行を意識しているからか、足の関節がどうの、脚力維持がどうの、といったテレビコマーシャルや新聞広告、チラシにはやはり目がいく=写真。

50代以上をターゲットにした広告らしいが、私には最も数が多い「団塊の世代」(1947~49年生まれ)を狙い撃ちにした広告としか思えない。

そんな機能性表示食品に頼るよりも、とにかく歩くことだと自分に言い聞かせる。修行のような散歩ではない。簡単な用は歩いてすませる。そんなウオーキングでいい。

それにぴったりなのが、総合図書館が入居しているいわき駅前の再開発ビル「ラトブ」だ。

4~5階に図書館が入居している。館内を歩いて本を探す。帰りはエスカレーターを利用して1階まで下り、さらに地下2階の駐車場まで階段を利用する。この「ラトブ散歩」は1回で目安に近い歩数になる。

頭ではいつも「フレイルの悪循環」が点滅している。わかってはいるのだが、日中はどうしても「だるま」になってしまう。

 長時間あぐらをかいてキーボードをたたいていると、足の血行が滞るのか、しびれるような、重いような感じになる。そんなときには自然と「貧乏ゆすり」が出る。

災害が起きたとき、避難所で何もせずにいると、エコノミークラス症候群になる。その前症状のようなものだろう。

足のしびれ・重さを解消するために、自然と足をゆすっている。おそらく生理的に「貧乏ゆすり」が出るのだ。

車を運転しているときもそうだ。左足は「足置き台」に固定したままなので、時間がたつと重く感じることがある。すると、いつの間にか左足を揺すっている。

「貧乏ゆすり」はむしろ血行促進には必要なのではないか。あれこれ検索すると、「貧乏ゆすり」という言葉がよくない、「健康ゆすり」というべきだ、という専門家の意見に出合った。

大賛成だ。体が自然と「貧乏ゆすり」をするようになって、なぜだろう、「貧乏ゆすり」は否定するものではないな、そう思い始めていたので、「健康ゆすり」と呼ぼうという意見には大いに納得した。

医学的には「ジグリング」というそうだ。いすに座ってやるのが基本のようだが、あぐらをかいたまま足を揺すっても効果があるのではないか。軽い散歩と健康ゆすり。これならなんとか続けられる。

2026年6月1日月曜日

景観を楽しんで

                
  夏井川渓谷は、春はアカヤシオ(岩ツツジ)の花、秋は紅葉の名所として知られる。自然景観の美しいところである。

県道小野四倉線とJR磐越東線が渓流に沿って伸びる。春は乗客が対岸の森に展開するピンクの点描画を車窓から堪能できるようにと、列車が減速運転をする。

ビューポイントは渓谷の中間にある牛小川。10軒ほどの小集落で、家は県道と線路を境に山側に集中し、谷側にはわが隠居を含めて飛び飛びに3軒があるだけだ。

東北電力の水力発電所が対岸にある。かつては県道沿いに社宅があった。今は更地になっており、震災前は行楽で訪れたマイカーであふれかえった。

牛小川の集落でも高齢化が進む。集落から子どもの声が消えて久しい。「ここは限界集落だよ」。そんな自嘲の声も聞かれる。

が、住民は元気だ。牛小川の「財産」である自然景観を守るために、ビューポイントの環境づくりに力を入れている。

震災前、集落の東端にある県道沿いの空き家を所有者が解体し、更地にした。谷側の杉林も伐採した。

更地は「錦展望台」と名づけられ、行楽客に開放された。所有者が亡くなったあとは、地元に住む親戚が展望台を管理している。

この錦展望台の上流側に電力の土地が隣接している。そこを錦展望台から下りていけるビューポイントとして開放してほしい――

かつて発電所で働く住民もいて、地元とのつながりは深い。地元の要望に会社がこたえた。

一帯は「夏井川渓谷県立自然公園」に入っている。県の指導に沿って木々を伐採するまでに半年ほどかかったという。

展望スペースの拡大をはたらきかけた知人らは、電力の土地につながる私有地の草刈りをし、展望台から歩いて行けるスペースを確保した。

そして今度は、県道と線路の間にある私有地の雑木の伐採である=写真。

造園業を営む住民がレッカー車を出した。別の1人が木の根元を切り、もう1人が木の切断に加わって、あっという間に作業が終了した。

横に長い私有地にはすでにきれいな花を咲かせる木が何本か植えられている。ソメイヨシノではない。

自然景観だけでなく人間の住むエリアでも美しい花の景観を楽しんでほしいということだろう。それに、倒木や枝折れの予防にもなる。郷土愛の発露にはちがいない。

 わが隠居の庭にもシダレザクラが2本ある。アカヤシオに少し遅れて花が満開になる。

アカヤシオの花には間に合わなかったが、シダレザクラに出合えたといって喜んで帰る行楽客もいる。

わが隠居のシダレザクラは、「きれいだね」そう言ってくれる人がいるかぎり、懸命に花を咲かせる。そうに違いない――なんて、大木になったシダレザクラを家族のように思ってしまう。