2025年6月25日水曜日

37回忌追悼イベント

                               
   「舌頭に港町十三番地ひばり逝く」。二日酔いの頭に字余り俳句がポロリと口をついて出た。

美空ひばりさんが亡くなったのは1989(平成元)年6月24日午前零時28分。土曜日だったので、たぶん朝のニュースで彼女の死を知った。

その日の夜、「いわきの里 鬼ケ城」でまちづくり団体関係者の合宿に加わり、夜を徹して酒を飲み、議論した。

そのあと、夜明け前の野鳥の合唱に誘われて外に飛び出した。うっすら明けかけた空の下、バンガローが並ぶキャンプ場をうろつきながら、彼女のヒット曲「港町十三番地」を口ずさんでいた。それが冒頭のへぼ俳句につながった。

それから36年後の今年(2025年)。6月22日の日曜日は、磐越東線小川郷駅前で8時から朝市が始まるのに合わせ、早めに家を出た。朝市で野菜を買ったあと、夏井川渓谷の隠居で少し土いじりをした。

9時を過ぎると郡山行きの、次いでいわき行きの2番列車が通過した。2番列車の前に土いじりをすませたのは、ここ何年かでは初めてだ。

それから1時間余りたって、カミサンから声がかかった。「海へ行こう」。薄磯海岸にあるカフェ「サーフィン」で昼食をとろう、という意味である。

カミサンは部屋を夏座敷に切り替え、私も生ごみを埋め、草をむしったあとはやることがない。じっとしていても汗がにじむ。海風のイメージに誘われて、ここは素直にアッシー君を務めることにした。

ヤマ(渓谷)からハマ(薄磯)へ。平市街経由でおよそ1時間、サーフィンには正午前に着いた。

 私はグリルサンド、カミサンはナポリタン。サーフィンではいつもこのパターンだ。それを食べ終えるころ、先客の女性からスマホで誘われたらしく、地元の女性が来店した。塩屋埼灯台の下を通って来たという。

灯台のふもとには「雲雀乃苑(ひばりのその)」がある。そこが人でいっぱいだった。そうだ! ひばりさんの命日に近い日曜日である。雲雀の苑では追悼イベントが行われているのだ。

ひばりさんは晩年、長い入院生活のあと、いわきの塩屋埼の海をモチーフにした「みだれ髪」と「塩屋岬」で「復活」を果たした。

その縁で「みだれ髪」の歌碑と遺影碑、「永遠のひばり像」が灯台のふもとに立つ。去年10月には、京都太秦(うずまさ)映画村にあったブロンズの「ひばり像」が移設された。

その像が、3・11の大津波で亡くなった人々を悼む姿に見えることから、映画村閉館後の安置先として雲雀乃苑が選ばれたのだった。

これは、見にいかなくては……。しかし、駐車場はどこも満パイだった。カミサンに頼んで、助手席からパチリとやって通り過ぎた=写真。

37回忌である。地元の「歌手」が出演し、じゃんがら念仏踊りが披露されたという。

ひばりさんを偲ぶファンの多さに驚き、歌手としては別格の存在だったことをあらためて実感した。

2025年6月24日火曜日

日陰の花

                                            
   この花=写真=を見るのは3年ぶりだった。しかも、隠居の庭に現れた。変わった植物である。名前はサイハイラン。

6月1日の日曜日に地区の球技大会が開かれたため、夏井川渓谷の隠居へ行くのは1日遅れて翌2日になった。

いつものように菜園の隅に生ごみを埋めたあと、隠居の庭をウオッチングした。枯れてキノコのなる木がある。アラゲキクラゲはと見れば、なかった。

根元には剪定枝が積み重ねられている。そこにもキノコはなかった。ん? 代わりに、菌根共生をするサイハイランがあった。花が咲いていたのでわかった。

3年前の2022年5月中旬、同じ隠居の別の場所でサイハイランが咲いていた。そのときのブログがある。一部を要約・再掲する。

――隠居と道路の境に前週まで気づかなかった花のつぼみがあった。サイハイランだ。前に検索してわかったのだが、サイハイランは「部分的菌従属栄養植物」らしい。

サイハイランは緑色葉を持っているが、薄暗い林床にいるため独立栄養だけで生育は難しいと考えられていた。

そこで研究が進められた結果、ナヨタケ科の菌類と菌根共生をしていることがわかった。ナヨタケ科のキノコはヒトヨタケ、キララタケ、イヌセンボンタケなどだ。

緑色葉を持ちながらも菌根菌に炭素を依存する「部分的菌従属栄養植物」である可能性が考えられるという(谷亀高広「菌従属栄養植物の菌根共生系の多様性」)。

ある年突然、サイハイランが庭のモミの木の下に出現した。それがわが隠居での出現第1号だった

2022年は隠居と道路との境に5株も現れたが、前に出現したモミの木の下には影も形もなかった――。

そのモミの木の下に現れたときにも(菌根共生系とは知らずにいた)、ブログ(2020年6月11日付)に書いた。それも要約して再掲する。

――おやっ、サイハイランではないか。こんな薄暗い庭に生えるなんて、キノコの力でも借りてるんじゃないの?

脳内にナラタケと共生する腐生植物のツチアケビの姿が浮かぶ。ツチアケビは光合成をおこなう葉を持たない。代わりに、養分をすべてナラタケに依存しているという。

 サイハイランもツチアケビと同じラン科の植物だ。ネットで調べたら、やはりキノコと関係があった。

毎年、渓谷を縫う県道小野四倉線のどこかでサイハイランを見る。5月も後半になると県道は緑のトンネルに変わる。薄暗い道端の草むらで淡い紫褐色の花が下向きに咲いている。

2020年も6月7日、車を運転中に目に入った。帰りに写真を撮る。そう決めて隠居に着いたら、庭にあった。庭に生えたのは初めてだった――。

サイハイランは漢字で「采配蘭」と書く。花の付き方が、武将が軍勢を指揮するときに手にする「采配」に似ているからだという。

名前は物々しいが、たたずまいはひそやかだ。6月8日には2本になり、同15日には3本が咲いていた。22日にはそれらしい花茎を1本だけ残して消滅していた。

2025年6月23日月曜日

締め切りだけが人生だ

                                 
   唐詩選の原作を離れて広く日本人に浸透した井伏鱒二の超意訳がある。「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」

 この名句にならって、ときどき口の中でつぶやく言葉がある。「締め切りだけが人生だ」。10年前の拙ブログでも「締め切りのある人生」について触れている。

作家の故清川妙さんのエッセー集『清川妙 91歳の人生塾』(小学館)に、「締め切り」の話が載る。

「心に締め切りを持とう」というタイトルで、「39歳で執筆生活をはじめて以来、ひと月も休まず、締め切りというものと付き合ってきた」として、こう述べる。

「もしかしたら私にとって締め切りとは、ひとつの挑戦なのかもしれない。(略)何も意識しなくても日々流れていく時間を、あえて自分で意識して管理していくこともある」。それに触発されてこんなことをブログに書いた。

 ――2007年秋に会社を辞めて、やっと「締め切り」のない生活を楽しめると思ったのも束の間、年が明けると次第に落ち着かなくなった。

ちょうどそのころ、若い仲間から「ブログをやりましょう」と声がかかった。アナログ人間なので、デジタルの知識・技術にはうとい。

全部セットします、文章を打ち込むだけでいいです、というので、2008年2月下旬、「新聞コラム」の感覚で「ネットコラム」を始めた。

一日に1回は自分に「締め切り」を課する。一日をその「締め切り」を軸にして編集する。

しかし、それだけが「締め切り」ではない。回覧物を配る、所属する団体の書類をつくる、案内はがきを印刷して投函する。そういったことにもすべて「締め切り」がある。

締め切りが終わったら、次の「締め切り」がやってくる。その繰り返し。締め切りが自堕落になるのを防いでいるのかもしれない――。

原稿だけではない。年度が新しくなると、区内会に各種の依頼・要請が届く。これも期限、つまり締め切り付きだ。

回覧の文章を作って隣組に配るのだが、やはり期限=締め切りを明記せざるを得ない=写真。

前年度までは広報資料の配布が月に3回あった。この4月からはそれが1、15日の2回に替わった。

回数が減ったのはいいのだが、期限(締め切り)の関係で月2回の回覧では間に合わないものも出てくる。

たとえば、一斉清掃。今年(2025年)は6月8日だったが、1日に市から提供を受けたごみ袋を、回覧網を通じて配るとその日までに間に合わないかもしれない。

で、5月20日、臨時に回覧網を使って配布した。これも実施日=期限を逆算してのことだ。

6月は、1日の「広報いわき」などの配布のほかは、予定がない。つまり、15日は配布が休みになった。

一時的に締め切りから開放されるとはいえ、なにがあるかわからない。回覧配布回数が減れば減ったで、「締め切りだけが人生だ」という思いが強まる。やはり、地元の回覧物があって、15日前後に配布した。

2025年6月21日土曜日

すべてが歌のネタ

                 
   東日本大震災とそれに伴う原発事故のあと、市民は災禍をどう受け止めたのか、朝日の新聞歌壇をウオッチしたことがある。

被災者自身の作品が登場するのは2011年4月に入ってからだった。それからさらに1カ月後の5月16日、いわき市在住読者の短歌「ペットボトルの残り少なき水をもて位牌(いはい)洗ひぬ瓦礫(がれき)の中に」(吉野紀子)が掲載された。

 短歌の評。「小名浜の人、仏壇にあった位牌を瓦礫の中から拾い上げた。飲み水も乏しい中でペットボトルの水で洗う。絆への切実な思いが伝わる」(馬場あき子)

 作者の吉野さんはカミサンの高校の同級生だ。カミサンとのやりとりのなかで知ったのだが、吉野さんは、もともとは俳人だ。

震災直後はなぜか、俳句ではなく短歌が生まれた。それを新聞歌壇に投稿すると、複数の選者が選んだ。年間の優秀作品に贈られる「歌壇賞」にも選ばれた。

 自分自身の体験ではなく、大津波で壊滅的な被害を受けた豊間方面へ出かけたときの実景を詠んだそうだ。

巨大地震は東北地方の沿岸部に甚大な被害をもたらした。その惨状は五七五では詠みきれない、プラス七七が必要だったのだろう。

 吉野さんの作品を選んだ一人、馬場あき子さんがこの3月で半世紀に及ぶ朝日歌壇の選者を辞した。そのインタビュー記事が先日掲載された。

 併せて載った「朝日歌壇の歴史」のなかで、東日本大震災の項に吉野さんの作品が引用されている。

馬場さんの「歌の心得」として、「歌の種は体の中に自然に埋まってくる」「心に収めていると出てくるんです。日頃生きていることは全てネタだと思えばいい」というくだりに目が留まった。

この言葉から浮かび上がってくるのは日常をやり過ごさない、日常を大切にする、ということだろう。

 手前みそながら、私もブログを書くにあたっては「日常を記録する」ことを基本にしている。

 非日常をニュースとして伝える仕事をしてきた。で、退職してからは逆に、日常の中にブログのネタを見つけるようにしている。

アメリカの写真家ソール・ライター(1923~2013年)は、ニューヨークの街角で、誰に見せるでもなく「日常にひそむ美」を撮り続けた。

ソール・ライターだけでなく、歌人としての馬場さんの姿勢、心得にもバイブレーション(共振)がおきた。

 馬場さんが6歳のとき、実母が亡くなった。継母はいわき出身の人で、継母を詠んだ歌が中山雅弘さんの『いわき諷詠』で紹介されている=写真。「ままはははやさしかりにき小名浜に貝焼き食べてなつきゐしわれ」

併せて、震災後に詠んだなかから一首。「ははと遊びし水石山はたすかりて地震のあとにほととぎす鳴く」

吉野さんの短歌も、『いわき諷詠』に載る。それもあって、新聞の評にあった「小名浜の人」が、今は新たな意味を持って迫る

2025年6月20日金曜日

断片をつなぐ

                                
 いわき市は平市街の東方、夏井川の堤防からの眺めである。2月には湯ノ岳の上にあった夕日が、今はずっと北の閼伽井嶽と水石山の上にある=写真。

 夕方、わが家から街へ行くとき、街から帰って来るとき、たまに夏井川の右岸の道路を利用する。そこから見る夕日が美しい。

 日没の位置は今が「北限」だろう。6月21日、1年のうちで最も昼が長い夏至を迎えるからだ。

春分あるいは秋分の日、日の出・日の入りは東西の線と重なる。春分のあとの夏至までは、日の出・日の入りの位置は北にずれる。そのあと、秋分から冬至までは逆に南に移る。

知識としてはわかっていても、住んでいる場所に当てはめるとどこがそれなのか、実はよくわかっていない。

個別・具体の断片をつないでいったとき、平の東部から見る太陽の軌跡が体感できる。

私の場合は、ブログに書き残しておいたおかげで、日没の南限と北限の位置が具体的に見えるようになった。

一つひとつはピース、つまり断片でしかない。が、つないでいけば実際的な知識になる。

各地に「種まき桜」があるように、日没の位置で田植えや稲刈りの時期を計る「田植え夕日」や「稲刈り夕日」があるかもしれない(と、これは単なる妄想だが)。

ノンフィクション、とりわけ自然科学系の本を読んでいると、それまでに得た知見 に断片的な知識が加わって、より確かなものになっていく。雑学の妙でもある。

たとえば、中西朗『渡り鳥から見た地球温暖化』(成山堂書店、2005年)。「はしがき」にこんな意味のことが書かれていた。

ハクチョウの繁殖地が温暖化の影響で暖かくなると、ハクチョウの食べ物である水生植物や昆虫が豊かになる。すると、生まれてくる若鳥が増える。

その結果、越冬地への飛来数が増える。越冬地もまた温暖化ですみやすくなっている、という。

これまでのハクチョウの雑学的な知見に新たな知識のピースが加わって、ハクチョウの生態が前よりはよく見えてきた。

前に紹介したギリシャ語の「カイロス」についても、新たな知見を得た。井上章一・磯田道史『歴史のミカタ』(祥伝社、2021年)の冒頭部分。磯田さんが「クロノス時間」を紹介したあと、「カイロス時間」についてこう述べる。

「カイロスはギリシャ神話の『機会の神』で、彼の頭髪は前髪だけで後頭部は禿(は)げている」。で、通り過ぎたら後ろ髪、つまりチャンス(機会)はつかめない。

「カイロス時間は何かのきっかけで発現する機会です。そのきっかけは戦争・災害・疫病の他に、技術発展が行き着くところまで行った時も含まれます」

まったく考えもしなかった、歴史家的「カイロス時間」の見立てである。これを断片のままにしておくと、今の私では理解しきれない。これまでの知識とつなぎながら、じっくり考えてみることにする。

2025年6月19日木曜日

道路をふさぐ木

                                 
   わが生活圏のいわき市平中神谷地内を起点、山形県南陽市を終点とする国道399号は、いわき市小川町上小川地内で平地から山地に分け入る。

二ツ箭山麓を過ぎたあと、山中の最初の小集落が現れる。横川(小川町)だ。夏井川の支流・加路川沿いにある。

横川集落から399号を折れて「母成(ぼなり)林道」を行くと、やがて山陰の夏井川渓谷(江田地内)に出る。渓谷が通行止めになったときの迂回・避難ルートでもある。

5月29日、この横川地内で崩落事故が起き、399号が全面通行止めになった。集落のちょっと先が現場で、林道の利用には支障がないらしいと知って、少し気持ちが落ち着いた。

崩落現場のずっと先、川内村といわき市を直結する「十文字トンネル」を少し行ったところに「獏原人村」がある。

そこの主人がいわきの契約者に鶏卵の宅配をしている。全面通行止めになって以来、「富岡を経由している」とこぼしていた。

事故からすでに3週間(6月19日現在)。十文字トンネルを利用すれば平までは40分といったところだが、今は下川内~県道富岡大越線~山麓線の大回りルートを余儀なくされている。

何年か前、田村市の実家への往復に、このルートを利用したことがある。そのときの感覚からいうと、直行ルートの倍、1時間半はかかるかもしれない。

さて、崩落事故の原因だが、報道によると、吹き付けが行われたモルタル内部の岩が風化し、土砂化して崩れたらしい。399号を管理している県いわき建設事務所はそうみているようだ。

夏井川渓谷の県道小野四倉線も、モルタル吹き付けののり面が多い。同じ工法なら、内部の岩も風化して土砂化する可能性があるのではないか。

もともとが「落石注意」の標識が立っているV字谷で、モルタルの上にワイヤが張られているところもある。

近年はナラ枯れが進み、沿道でも立ち枯れの大木が見られるようになった。倒木・折損枝のほかに、大人のこぶし大から買い物かご大の石まで、よく道端に寄せられでいる。住民は、がけの上には浮き石があるともいう。これに、岩の風化という新しい心配のタネが加わった。

倒木・折損枝は渓谷だけで起きるのではない。木があればどこでも起きる可能性がある。

6月15日の日曜日は、渓谷の入り口、高崎地内で若木が折れ、県道の片側をふさいでいた=写真。

まだ供用が開始されていない広域農道と県道が交差する付近だ。こんなところで? いや、だからこそどこでも油断はできない。

横川の全面通行止めは、応急工事が進められており、27日には規制が解除される(ただし片側交互通行)。

本格的な復旧工事は先にしろ、川内村の住民、そしていわき市の戸渡の住民も、もうちょっとで不便な迂回から開放される。

われら夫婦も、日曜日は片側交互通行のような気持ちで渓谷の細い道を行き来するとしよう。

※追記=399号は21日午後3時、予定より6日早く片側交互通行として利用が再開された。

2025年6月18日水曜日

まるで梅雨明け

                                
 梅雨入りしたばかりだというのに、梅雨が明けたような猛暑になった。極端な天気の変化に体がついていけない。6月15日の日曜日はこんな具合だった。

前日の14日昼前、東北地方の梅雨入りが発表された。南部の梅雨入りは平年より2日遅く、前年より9日早い。

同日午後には雨になり、翌日曜日になってもやむ気配がなかった。予報では、10時ごろには雨が上がるというので、小雨の中を夏井川渓谷の隠居へ出かける。

 すると、北西の方角が少し明るくなり、雲のすき間に青空がのぞくようになった。平から小川へと進むにつれて雨がやみ、小川江筋の取水堰がある三島橋付近から見える山には、湯気のような水蒸気がたなびいていた=写真。

 ところが、である。渓谷の隠居に着いたとたん、また雨になった。雨ではなにもできない。ネギの溝づくりは来週以降にする。

カミサンは傘をさして高田梅を収穫した。カミサンの知り合いがこれを梅干しにしてくれる。そばかすがあっても大丈夫だという。収穫がすむとすぐマチへ戻った。

 午後は一転して雨雲が去り、青空が広がった。すると、気温が急上昇した。今季初めて茶の間のガラス戸を開け、扇風機を回した。蚊取り線香もたいた。

 いわき市南部の山田では最高気温が29.9度と真夏日の一歩手前、小名浜でも25.8度と夏日になった(両地区は16日も夏日、17日はさらに暑くなって、小名浜はなんと6月観測史上最高の34.5度にまで達した)。

 日曜日の夕方、いつものように魚屋へ刺し身を買いに行く。神谷地区に隣接する草野地区の住民が言っていたそうだ。

「今年(2025年)は夏井川の水が多い、神谷で圃場(ほじょう)整備をしていて、水を使わないからだろうか」

中神谷地区の圃場整備はかなりの面積に及ぶ。県のホームページによると、対象面積は64.8ヘクタールで、今年はここでは稲作を中止している。つまり、小川江筋の水は使わない、ということになる。

 私はマチへ行った帰り、堤防を利用して夏井川を見る。この時期は流域の水田に水を供給してやせ細り、場所によっては川底をさらしている。

 今年はちょうどそこ(左岸域)で工事が進められているため、5月下旬から堤防を行き来できなくなった。

 堤防に出れば下流・草野地区の住民と同じ感想を抱くかもしれない。で、翌月曜日、国道6号の夏井川橋のたもとから犬猫病院まで、いつもの堤防を車で走ってみた。

確かに、この時期にしてはたっぷり水が流れている。「川中島」がどこにもない。雨が多いのもあるが、やはり中神谷の圃場整備が大きいのかもしれない。

「水が多い」。下流の住民にとっては、そばを流れる夏井川を見て暮らしているからこそわかる変化だった。