朝ドラの「あんぱん」を見ているうちに気が付いた。そうか、これは『アンパンマン』の生みの親、やなせたかしと妻をモデルにしたドラマなんだ――。
東日本大震災の前、常磐にある野口雨情記念湯本温泉童謡館で月に1回、童謡詩人についておしゃべりをした。
童謡館がオープンするとほどなく、初代館長の故里見庫男さんから「文学教室」の依頼を受けた。まずは金子みすゞを、あとは自由――というのが唯一の注文だった。
みすゞについては断片的な知識しかなかった。いろいろ調べているうちに、水戸で生まれ、平で育った島田忠夫が金子みすゞと双璧をなす新進童謡詩人であることを知った。みすゞと一緒に忠夫も取り上げた。
「全国区」の童謡詩人であっても、どこかでいわきの人間とかかわっていないか、いわきとゆかりのある人間とつながっていないか――そういった観点から調べていくと、闇に光がともることがある。忠夫はそんな存在だった。
その後、みすゞの師匠の西條八十、八十の弟子のサトウハチロー、あるいは工藤直子、竹久夢二、そして雨情、山村暮鳥ゆかりの人々を調べて、都合17回、彼らの人と作品を紹介した。まど・みちお、やなせたかしも調べて話した。
やなせは2009年に『たそがれ詩集』を出したばかりだった。そのなかの「晩年」に引かれた。
朱子の「偶成」(少年老い易く学成り難し……)の最初の行をもじっていた。「老年ボケやすく/学ほとんど成らず/トンチンカンな人生/終幕の未来も/なんだかヤバイ/それでも笑って/ま、いいとするか」。これも紹介した。
記憶に新しいところでは、東日本大震災がおきた直後の日曜日(3月13日)、ラジオ福島が午前10時の時報のあと、「アンパンマンのマーチ」を流した。
この選曲に、娯楽を突然奪われた子どもの親たちから多くの感謝の言葉が寄せられた(『ラジオ福島の300日』=2012年毎日新聞社刊)。アンパンマンは希望の象徴になった。
さらにもう一つ。2013年夏、草野心平記念文学館で「みんなだいすきアンパンマン やなせたかしの世界展」が開かれた。草野心平生誕110周年・同館開館15周年記念の冠がついていた。
詩人としてのやなせの代表作は「手のひらを太陽に」だろう。童謡館でやなせを取り上げていたこともあって、この企画展には違和感はなかった。来館者は開館記念展以来の「大入り」とかで、 軽く2万人を超えた。
朝ドラに刺激されて、図書館からやなせたかしの本を借りようと思ったら、主なものはすべて「貸出中」になっていた。出納書庫にあるものを中心に4冊を借りた=写真。
自伝に近い本を読みつつ、朝は「あんぱん」を見てやなせワールドに浸っている。
あんぱんづくりの名人「ヤムさん」(阿部サダヲ)は、アンパンマンの「ジャムおじさん」そっくりではないか。召集令状がきた若者に「勇ましく戦おうなんて思うなよ」と説く姿に共鳴した。
1 件のコメント:
いつも楽しく拝読。「あんぱん」のことから、『やなせたかしの生涯』の中に、やなせたかしの父、清が朝日新聞の特派員として、中国に赴任していた頃、草野心平らと「一葉社」という短歌結社を作っていたことが書かれております。草野心平は広東省の大学に在学中だったそうです。すでにご存知のことかもしれませんが、おや? と思ったものですから。
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