2014年7月11日金曜日

歯科医とスズキ

 広野町の歯科医院が3年4カ月ぶりに再開した、というニュースに接したのは7月4日。会ったことはないが、奥さんとスズキの魚を介して縁ができた歯医者さんだ。カミサンも記事を読んでうれしくなったのか、さっそく奥さんに電話をした。
 
 それから2日後の日曜日、魚屋さんからスズキのあらをもらった。あら汁にした=写真。歯医者さんを思い出した。
 
 3年前の2011年7月、小欄で「広野へ」と題して次のようなことを書いた。

 3・11前、双葉郡の沖で歯科医のご主人が釣ったスズキを、奥さんが持ってくる――そんなことが何度かあった。奥さんとカミサンが「古裂れ」を介して知り合った。その縁で、今ごろになると旬のスズキが届いた。

 最初に魚をまるごと一匹持ってこられたときには、どうしていいかわからず魚屋さんに駆け込んだ。二度も、三度も甘えるわけにはいかないので、以後は悪戦苦闘の末、自分でスズキを三枚におろすようになった。

 歯科医院は自宅が「大規模半壊」になった。津波も床下まで襲った。原発事故の影響で広野が全町避難を余儀なくされた。家族全員が「避難民」になった。すると、空き巣に入られた。
 
 で、3・11から4カ月後、奥さんとカミサンが連絡を取って、捨てるしかないという古着をリサイクルするために、もらいに行った。私は運転手だ。

 ご主人は一度、東京に職を得たが、今は福島市で仕事をしている。単身赴任だ。残る家族(奥さんと子どもたち)は東京暮らしのまま――。
 
 去年(2013年)秋、少年時代をそこで過ごしたという後輩を車に乗せて、広野・楢葉町を巡った。除染作業が進み、国道6号沿いの田園風景が一変していた。

 広野での歯科診療は、当面は週一日、木曜日だけだという。福島から通うのはきついにちがいない。が、細くても、小さくても再び広野とのきずなが生まれた。次はスズキとのきずな、だが……。

0 件のコメント: