2026年5月14日木曜日

傘・羽・毛布

                                            
 「うわー、虫がいっぱい落ちてきたー」。カミサンが大声で助けを求める。すぐピンときた。

 家の東側にある生け垣のマサキを剪定していたら、ミノウスバの幼虫が糸を引いて垂れさがったのだろう。

 見るとそうだった。ミノウスバの幼虫がいっぱい、マサキの葉から糸を引いて宙に浮かんでいた。

 糸を切って幼虫を1匹1匹地面に落としていたのでは間に合わない。また幹に取り付いて這いあがる。

 前にこうもり傘を開いて宙に浮かんだ幼虫をまとめてそこに落とし、あとで始末したことがある。その手を使うしかない。

 開いてひっくり返した傘の柄を左手に持ち、右手に庭ボウキを持ってマサキの枝葉をたたくと、幼虫が糸を引いてバラバラ落ちてきた。

 これを繰り返しているうちに、やっと落ちる幼虫がいなくなった。この間ざっと20分。傘の内側にはちぎれた枝葉とともに、ミノウスバの幼虫がうようよしていた=写真。

冷たいようだが、マサキの葉を守るためにはミノウスバの幼虫を退治するしかない。この「捕物」にはとにかく傘が有効だ。

捕虫網も殺虫剤もない。が、虫を退治しないとあとあと大変なことになる。とっさに思い浮かんだのがこうもり傘を「受け皿」にすることだった。

 ある年、初夏なのに葉が食害されて丸裸になった。それに懲りて傘の利用を思い立った。

 それと同じで、日常のほかの場面でもモノがなければ別のモノで代用する。たとえば、電気ひげそり。ときどき小さな専用ブラシで刃を掃除する。

 そのブラシがどこかに消えた。夏になってこたつのカバーを取り外したときにでも出てくるのだろう。

 それを待っているわけにはいかない。何を代用するか。目の前の筆入れにカラスの羽があった。

ふだんはパソコンの画面や眼鏡、キーボードの小さなほこりを払うのに使っている。これをブラシ代わりにしたらどうか。

正解だった。羽毛はしなやかなうえに強い。専用の小さなブラシよりかえっていいかもしれない。刃がきれいになった。

「なにがなんでもブラシが必要」ではなく、「なければないなりに」である。代用できるものがあればいい。身近なモノで用をすませる。

日常のほころびはそうして、いくらでも取り繕うことができる。夜、寝ていて足が冷えたときもそうだ。

たいていは毛布と掛け布団がずり上がって、足が夜気に触れているときにそう感じる。

冷えるのを防ぐために敷き布団の下に毛布を差し込んだら、夜気が遮られた。それで足の冷えもおさまった。

ひげそりだってそうだ。ひげが白くなって目立たたないのをいいことに、2日に1回から3~4日に1回のサイクルに変えた。

まずは電気ひげそりを当てたあと、入浴しながら安全カミソリで深剃りをする。これだと安全カミソリの刃が古くても痛くない。長持ちさせるための「合わせ技」でもある。

傘・羽・毛布プラス合わせ技。本来の用途のほかに応用を効かせる。それで暮らしがうまく転がっていけばいい。

2026年5月13日水曜日

文庫本2冊

                                
 カミサンの茶飲み友達が「読んだから」と文庫本を置いていった。沢野ひとし『ジジイの片づけ』(集英社文庫、2025年)。

 それを晩酌が始まったときに、カミサンが差し出して言う。「『あなたに』って言ってたわけではないけど」

 本のタイトルを見た瞬間、「ジジイを片づける?」。そう早とちりした。カミサンが私の表情を見て、急いで抑えにかかる。「ジジイを片づけるんじゃなくて、ジイサンがやれる片づけの本」

 『ジイジの片づけ』ならほんわかした気分にもなるが、「ジジイ」ではいくら著者の自虐語とはいえ、ムッとくる人もいるだろう。

沢野ひとしは「ヘタウマ」と評される線画が特徴のイラストレーター、という程度の印象しかない。

作家椎名誠とは高校時代からの友達で、椎名誠の本にもイラストを寄せている。それで椎名誠とセットで名前は知っていた。

 それからすぐの日曜日、夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、マチへ戻っていわき市立美術館の「堀内誠一展」を見た。

 名前の知られた絵本作家・アートディレクターである。さぞや来館者でいっぱいだろう。美術館の駐車場が満パイだったらどこに止めようか。そんなことを案じながら駐車場に入るとガラ空きだった。なんで?

堀内誠一は女性雑誌「anan」(1970年創刊)のロゴマークをデザインしたことで知られる。

 カミサンにとっては青春の象徴のような雑誌だが、「平凡パンチ」派の私は全く縁がなかった。

表紙のロゴマークは強く印象に残っている。むろん、その作者が堀内誠一だったとは当時、知るよしもない。

絵本作家としても活躍した。とはいえ、作品はほとんど見ていなかった。展示物で唯一、懐かしさを感じたのは宮沢賢治の童話「雪わたり」の表紙絵だ。この童話絵本を手に取った覚えがある。

名前だけは超有名だが、作品が思い浮かばないのはアートディレクターとかデザイナーとか、シロウトにはよくわからない業態の仕事をしていたからだろうか。

あまりにも消化不良なので、美術館1階のギャラリー広場で開かれている堀内誠一関連グッズ販売コーナーから、『父の時代私の時代――わがエディトリアル・デザイン史』(ちくま文庫、2023年)を買って読むことにした。たまたまアート系の文庫本が短い間に2冊そろった=写真。

『ジジイの片づけ』は、目次からするとジジイにとどまらず、一般の家庭の片づけにも通じるノウハウ本のような印象だ。すぐできるようなことがあれば、それを参考にしよう。

堀内誠一の自伝の方は、日本の商業デザイン史の一断面とみることができるかもしれない。

いずれにせよ、未知の分野の読み物ではある。これからじっくり読むことにする。

2026年5月12日火曜日

ヤブガラシの芽と土の「ふた」

                                  
 毎朝、庭で歯を磨きながら地面を見ている。そのことを前に書いた。これもその一コマ。

 放っておくと新芽が延びてそばの木に絡みつく。ヤブガラシはそれで繁殖するが、本体の生け垣(マサキ)は光合成を阻害される。

 ヤブガラシの赤い新芽はボールペンの先端くらいの太さしかない。それが地面を突き破って地上に現れる。

 毎朝、赤芽を摘んでいてわかったのだが、先端には光合成をするための葉の赤ちゃんが眠っている。芽が伸びるとすぐ葉が開いて緑色になる。

 摘んでもつんでも、次の日にはまた芽が出る。ほんとうによく現れる。ヤブガラシに限らない。植物の発芽と再生能力はみごとというほかない。

しかも、土よりやわらかい植物体が土のすき間から針のような芽を出す。なかには土の塊を持ち上げる芽もある=写真上1。まるでモグラがマンホールのふたを頭でぐいとやったような感じだ。

そんな小さなドラマを見ているうちに、足元に広がる地面にも興味がわいてきた。土とは何?

ちょっとしか離れていないのに、なぜ発芽の仕方が違うのか。地面の土の構造が影響しているのか。

 実はもう1年以上前になるが、『土と生命の46億年史――土と進化の謎に迫る』(ブルーバック)=写真上2=を買って読んでいた。今も時折、読み返す。

著者は土の研究の第一人者、藤井一至さん。原発事故で汚染された農地の再生を報じる新聞記事で知ったのだが、藤井さんは今、大熊町の農地で土壌分析の協力をしている。

土の専門家が福島県の土壌を調べている。それだけで心強く思うのは、土と植物、キノコの関係がいつも頭にあって、その流れで藤井さんを知っていたからだ。

「土とは岩石が崩壊して生成した砂や粘土と生物遺体に由来する腐植の混合物」と藤井さんはいう。

この定義に従えば、板状に結びついていた土は、ほかの土よりは粘土分が多かったのだろう。

土だけでなく、キノコもまた進化の過程でさまざまに変化した。マツタケのように松の根と共生する菌根菌もあれば、シイタケのように樹木を分解する腐朽菌もある。

「樹木の巨大化が引き起こした土壌酸性化はキノコの進化を促し、今日の森の物質循環が成立するようになった」ともある。

わからないなりにキノコや植物と土の関係にも興味を持っていたことが伏線になって、ヤブガラシが板のように固まった土を持ち上げている姿に「オヤッ」となった。そこから藤井さんの本を思い出した。

ごく普通の家の庭でも、足元に目を凝らすと地球史にも通じる自然の不思議が見えてくる。

2026年5月11日月曜日

「思い出すこと」

                                
   好間町榊小屋の好間川沿いに「ギャラリー木もれび」がある。オーナーの菊田清二さんは、平・祢宜町のセブンイレブンの経営者でもある(今は息子さんに代替わりしたようだ)。

ギャラリーオーナーとして知り合い、コンビニも経営していると知ったとき、店に初めて買い物に行った話をした。

当時、私らは平・下平窪に住んでいた。深夜まで営業する? 興味がわいて、子連れでコンビニをのぞいた。

その後、私たちは平・中神谷へ引っ越した。菊田さんも同じ小学校の学区内に住んでいて、奥さんの英子さんとカミサンがPTAつながりで知り合った。

私もやがて英子さんと「木もれび」や自宅近くの夏井川の堤防であいさつを交わすようになった。

5年前の令和3(2021)年師走、菊田さんが経営するコンビニのチラシが新聞に折り込まれた。

チラシには夫婦連名の「あいさつ文」が載った。「新しい小売業態としてのコンビニエンスの経営に飛び込んで45年になりました。(略)すぐそばにある便利なお店として、これからもお役に立っていきたいと思っています」

出会いの妙というか、偶然の「コンビニ探検」がやがてPTAとギャラリーを介してつながった。

それを踏まえて折り込みチラシの話をブログに書いた。以下の一部も同じブログに書き留めた。

――ギャラリーは、平成17(2005)年に菊田さん夫妻が開廊した。菊田さんの会社のホームページによると、社業はコンビニ部門自然エネルギー部門不動産管理事業――とあって、4番目にギャラリー木もれびが紹介されている。

内容は「いわき市の芸術家の活動の場の無償提供、宣伝、広告とボランティア活動」、つまりは企業メセナ(見返りを求めない芸術文化支援)だ。

「木もれび」は、経済と文化(美術)を往還する菊田さんの思いをエンジンにして、ボランティアが運営を担っている。知人らがそのメンバーに加わっている――。

折り込みチラシは「夫婦連名」。このことが今思い返せば、いかにも菊田さんらしい。

菊田さんの人生の伴走者だった英子さんが令和5(2023)年師走に亡くなる。翌年、菊田さん英子さんの追悼集『思い出すこと』を出した。さらに、それをベースに画文集を出版した=写真。

追悼集は英子さんの死後、英子さんを思い出してつづった文章を、菊田さんの知人が冊子にまとめた。

画文集は「木もれび」の運営にも携わっている元ギャラリー界隈オーナーの佐藤界さんが書と絵を担当した。

先日、菊田さんからこの冊子の恵贈にあずかった。不思議なことだが、菊田さんと顔を合わせると、いつもそばに英子さんがいるような気がしてならない。

菊田さんの脳裏に生き続けているのはもちろん、その思いがあふれてくるからだろう。

2冊の本を読んで、それが間違いではなかったことを確認した。これほど率直な「亡妻記」を読んだことがない。

2026年5月9日土曜日

室温が「夏日」に

                                 
   ゴールデンウイークど真ん中の5月2日に「立夏」を迎えた。天気はしかし、日替わりで雨が降ったり、晴れたりとあわただしい。

 連休明けの7日には晴れて気温が上昇し、わが家では正午に室温が「夏日」を越えて26・5度に達した。

「夏日」には、厚着ではいられない。毛糸のチョッキを脱ぎ、長そでの裾をまくる。今年(2026年)初めて、茶の間のガラス戸と2階の窓を開けた。

日が沈んでも熱気はこもったままだった。晩酌(焼酎)も今年初めて水を用意した。「初水割り」である。

 4月以来、朝食後に庭で歯磨きをしている。ヤブガラシの新芽を摘み、ミョウガタケの生長を確かめる。

ヤブガラシは再生能力がすごい。摘んでも、摘んでも出てくる。ミョウガタケは、3日に1回はカットし、みじんにして味噌汁に散らす。

しかし、4月中はまったく気にしていなかったものが2つある。庭のクモの巣とヤブカだ。

5月に入るとさっそくクモの子が現れた=写真上1。体長は5ミリくらいだろうか。クモの巣にはガガンボがかかっていた。

いよいよか。クモの子を見て覚悟を決める。7日には今年初めて、顔にベタッとクモの巣が張りついた。

これは払うしかない。せめて身長を超えるところに網を張ってくれよ――。そう心の中で叫ぶ。

クモの巣が嫌で庭に花を植えない家があるらしい。そこまで敏感ではないが、庭の食物連鎖を考えると、なるほど、である。

花が咲けば、蜜を吸いに虫が来る。虫がいれば、それをえさにするクモが現れる。そのクモや虫を狩るハチもやって来る。

 アシナガバチも、キイロスズメバチも、間もなくわが家の庭の常連になる。ときには軒下に巣をつくる。

エビネの花が終わり、シランが咲き出した。ヒヨドリが種を運んだと思われるマルバシャリンバイの花も咲いている=写真上2。

となれば、小さな虫たちがやって来る。7日は急に虫が飛び交い出した。クモも網を張るわけだ。

イエカも、ヤブカも現れる。4月末には茶の間でカミサンがパチンとやった。「蚊取り線香は?」。聞くと「去年買っておいたものがあるはず」という。

7日にはやはり茶の間で虫がまとわりついた。チクリとやられたわけではない。が、額をピシャリとやったら黒い虫だった。

庭と茶の間は直結している。戸を開けていれば、昼も夜も虫が迷い込む。いや、迷い込むのではなく、庭の延長と思って現れるのだろう。

とにかく次はひとつ。蚊取り線香をすぐ使えるようにしておく。以上、エアコンのない「昭和の家」の、令和8年初夏の記録。

2026年5月8日金曜日

「清光堂書店物語」

                                                 
 いわき市勿来文学歴史館で、企画展「清光堂書店物語~教科書から繪はがきまで~」が開かれている(6月30日まで)=写真(リーフレット)。

「こどもの日」に夫婦で出かけた。企画展示スペースは狭いのだが、その狭さが気にならないほど中身が濃かった。初めて目にする資料が多かったためだろう。

清光堂書店は明治から昭和初期まで、浜通り有数の書籍文房具商だった。平・二町目の本町通りに本店、才槌小路に分店、今の銀座通りに支店があった。地元の景勝地を扱った「繪はがき」を発売し、郷土出版にも力を入れた。

いわきゆかりの大須賀筠軒の漢詩集や山村暮鳥の詩誌「風景」なども出している。筠軒の漢詩集は息子の大須賀乙字(俳人・俳論家)がまとめた。

暮鳥は大正元(1912)年秋、日本聖公会の牧師として常陸太田講義所から平講義所に着任する。

やがて才槌小路に家を借りて教会兼住まいにした。その斜め向かいの角に清光堂の分店があった。ここで暮鳥は生涯の友となる吉野義也(三野混沌)に出会う。

 磐城平時代の暮鳥と仲間を追っているうちに、およそ100年前のいわきのことが気になりだした。

同時に、いわきの今の文芸の根っこには暮鳥がいる、今のいわきを知るには100年前のいわきを知る必要がある、ということも意識するようになった。

文芸史的にはずっと脇役だった「清光堂書店」に光が当てられた。それぞれ断片としてしか見てこなかった筠軒の漢詩集や「平町市街全図」(地図)、古い繪はがきなどがつながり、書店を経営した人物像(関内米三郎・彦太郎父子)にもピントが合い始めた。

一例が、才槌小路の分店をまかされていた乾康治である。乾は彦太郎の妻の弟であることを初めて知った。

暮鳥の関連資料を読んでいたとき、暮鳥後援者の1人に乾の名前があった。しかし、具体的な関係はわからなかった。

乙字の最初の妻・宮内千代の出身地、旧那珂湊町の縁戚宅に筠軒・乙字関係資料が残っている。いわき地域学會の仲間とそれを見に行ったことがある。

「乙字のトランク」に貴重な資料がいっぱい入っていた。その中にも乾の名前があったように記憶する。

千代は彦太郎の妻とは親戚で、乙字と結婚した際には米三郎が仲人を務めたという。それだけではない。彦太郎の母親は、暮鳥がよく通った平・三町目の「十一屋」の娘だった。

なんと、なんと、である。清光堂を介して二重、三重にも人間がつながっていくではないか。

企画展を監修したのは、いわき歴史文化研究会員の磯上知代子さん。年下の元同僚だ。

企画展を見て駐車場に戻ると、彼女が車でやって来た。企画展が充実している話をしたら、調査をすればするほど課題がみえてくるという。それはこちらも同じ。

話を聞いているうちに、私のなかで1つだったあるところの家系図が、実は2つの家のもの、それを混同していたことを知った。調べが足りないことがよくわかった。

2026年5月7日木曜日

マイ皿復活

                                 
   ゴールデンウイーク中のわが家の出来事を振り返ると、刺し身のマイ皿復活が真っ先に挙げられる。

日曜日の晩は刺し身で一杯と決めている。3月に初めてその魚屋を訪ね、生カツオの刺し身があるかどうかを聞いたら、「カツオは4月になってから」という。竹を割ったような受け答えが好ましかった。

それではと、店頭にあったメヒカリの干物を買って、から揚げにして食べた。ほくほくしてうまかった。

 干物がうまいなら――と、また4月半ばの月曜日、刺身を買いに行くと店が閉まっていた。

なぜ月曜日かといえば、この日、病院で定期検査があったからだ。前夜の日曜日は、それで刺し身と晩酌を控えた。

「一日遅れの日曜日」のつもりだったが、世間はそう簡単には問屋を下ろしてくれない。定休日だったのだろう。

 別のところから買った生カツ刺しの味がイマイチだった。今度こそ食べたい。そんな気持ちがふくらんで、4月の終わりにまた店を訪ねた。

生カツ刺しを15切れほど頼んだ。トレイに盛り付けられたのを、家で印判の皿に移し替え、「笑点」を見ながら「試食」する。悪くはない。

「今度は皿を持ってくるから」。店主に告げていたので、連休ど真ん中の日曜日(憲法記念日)、久しぶりにマイ皿を持って出かけた。

たまたま奥さんも店にいて、ちょっとした会話になる。店主がいう。「ダンナさんは平から?」「そう、神谷から。草野の『魚新』が店をやめてから、ずっと刺し身の店を探してたの」

日曜日の「刺し身ドライブ」の話をすると、マイ皿に盛り付けられたカツ刺しを思い出した。魚新ではいつもマイ皿いっぱい、25切れくらいは盛ってくれた。

量は40代のころから変わらない。それが後期高齢者になって余るようになった。冷蔵庫に入れて、翌朝、海鮮丼のようにして食べる。それでも余れば、にんにく醤油に漬けて揚げたものを晩酌のつまみにする。

その「にんにく揚げ」さえ余ることがある。すると、これを醤油で煮てほぐしたフレーク状のものが出る。これも酒のつまみになる。再利用の再利用だが、それぞれに味が違うのであきることがない。

その店は南と西が開放されている。南側には網をかぶった棚があって、天日干しのメヒカリなどが並んでいる。そのうち雨が降り出し、夫婦でこの棚を西側の軒下に移動した。

軒下にピタッと収まるように棚をつくったのだろう。そのはまり具合に感心していたら、どうもカツオだけでは足りないと判断したのか、タコの足を切ってマイ皿に加えた。値段は? 思ったより安い。

魚新が店を閉じて9カ月。やっとマイ皿に盛りつけられた刺し身=写真=を目で楽しみ、舌で味わいながらグイッとやった。

「町中華」ならぬ「町魚屋」に、やっとたどり着いた感じだ。ここしばらくは「試食」を続けてその味を体にしみこませることにしよう。