2026年4月8日水曜日

気温20度が目安

                              
   新年度最初の行事として、4月6日、地元の小学校の入学式に臨席した=写真(入学式のしおり)。来賓の顔ぶれは3月下旬の卒業式と変わらない。

 校庭のソメイヨシノがちょうど満開だった。校長先生も式辞の冒頭で、満開の桜の花がピカピカの1年生を迎えたことに触れた。

 前日の日曜日は、目が覚めると少し体が汗ばんでいた。冬物のパジャマはそれで終わりにした。今年(2026年)初めて、小名浜では最高気温が20度を超えて22.1度になった。内陸の山田では23.0度だった。6日も20度には達しなかったが、ストーブなしで過ごした。

 暖気は(寒気も)皮膚の感覚でわかる。室温20度が目安だ。20度だとストーブは要らない。18度あたりがギリギリで、それだとチョッキの着脱くらいでなんとかなる

 この冬は夜、「あったかソックス」をはいて床に就いたので、湯たんぽなしですんだ。そのソックスも数日前からはいていない。はかなくても足の冷えが気にならなくなった。

 4月に暦が替わると、少しずつタケノコの皮をはぐように、服装を冬物から春物に切り替える。上の下着は長袖から半そでに、ズボン下も熱がこもるので脱いだ

 上着もそうだ。厚手のシャツでは熱がこもる。シャツの一番上のボタンをはずし、体温が外気温に触れやすくすると、こもっている熱が抜けた。

 夜は夜で、お湯割りで焼酎をなめるとすぐ上半身が汗でにじんだ。これも間もなく水割りに切り替える。

車で目撃したマチの光景だが、若い人がデニムのジャンパーを脱ぐとTシャツ1枚だった。翌日も半そでの人が何人かいた。

若い人と違って、高齢者は寒暖の波にはすぐ乗れない。それで気温と服装が微妙にずれる。でも、もう4月だ。寒の戻りはあるにしろ、極端な寒さはないだろう。

ひと冬世話になったハンドウォーマーも、座卓のわきに置いたままにしている。しかしまだ片付けるまでにはいかない。

 パソコンを開いてキーボードに触れても、手のひらがひんやりすることはなくなった。車のハンドルは太陽に熱せられて、素手ではやけどするくらいに熱く感じるようになった。ハンドルにタオルを掛ける日も近い。

庭の緑も日増しに濃くなり、花を付けてきた。この暖気に誘われて、朝、歯を磨きながら地面に目を凝らす。

6日には初めてヤブガラシの芽を摘んだ。ミョウガタケが地面を突き破る気配はしかしまだない。

 4月に入ってホッとしているのは、灯油の使用がぐっと減ったことだろう。このまま石油ストーブをつけずにすむといいのだが、そうはいかない。7日の夕方には寒が戻って、ストーブなしではいられなかった。

今度の原油高騰、それに関連するガソリン・灯油その他の急騰は原因がはっきりしている。理不尽を、横暴を忘れることはしない。

春の到来はそうしたなかで、灯油の消費を抑える。これだけは一筋の光のような思いになる。

2026年4月7日火曜日

青切符

                                
 新年度がスタートした4月1日午後。平のマチへ行くと、本町通りにパトカーが止まっていた。

 事故?ではない。 パトカーの乗務員が歩道に寄って自転車の男性に何やら話をしていた。そうだ、この日から自転車にも「青切符」が導入されたのだ。

 翌日の新聞が新制度スタートの記事を載せていた=写真。自転車による信号無視、一時不停止、スマホや携帯電話の使用(ながら運転)、傘差し運転、通行区分違反などで青切符が交付されるという。

 車のドライバーは、自転車が前を走っていたり、前からやって来たりすると、にわかに緊張する。

 わが生活圏ではアジア系の外国人が自転車で行き来することが多い。あるとき、こんなことがあった。ブログに書いたヒヤリハットを要約・再掲する。

――国道に架かる橋のたもとを左折して道を下り、別のところから堤防へ出ようとしたとき、橋上の歩道をそのまま走ってきた自転車が、安全も確かめずに車の直前を横切った。

左折しかかっていたので、ブレーキをかけなければ自転車ごと女性をはねていたことだろう。

まっすぐ横切るかもしれない。恐れた通りに、何のためらいもなく目の前を直進した。

これが初めてではない。やはり国道から同じ交差路を左折し、夏井川の堤防を利用して、住宅が密集する路地からわが家のある旧道(幹線道路)へ出ようとしたとき。

左側は民家の生け垣になっていて見通しが悪い。車は標識に従って、少し開けて一時停止をした。

するとすぐ、生け垣の角から外国人の乗った自転車がブレーキをかけずに突っ込んできた。

こちらは止まったままだ。自転車の外国人もびっくりしたのだろう。衝突を避けるためにブレーキをかけながら転倒した。

けがはなかったようだ。「スミマセン」。立ち上がって脇を通り過ぎながら、日本語で謝った――。

外国人に限らない。日本の若者や老人も道交法にはうといのか、「マイルール」で自転車を運転しがちだ。

 それで思い出すのは、デンマークの自転車専用レーンだ。コペンハーゲン市で朝、歩道と車道の間にある専用レーンを自転車が列をなして走っているのに驚いた記憶がある。

日本の道路事情では自転車専用レーンの設置は厳しいかもしれないが、検討すべき課題ではあるだろう。

 しかし、なんといっても危ないのは車である。4月3日の早朝、カミサンを通りの奥の接骨院へ送り届け、道路へ戻ろうとしたら、右から車がやって来る。少し距離があるので対向車線に出てしまおうかと思ったが、バックして通り過ぎるのを待った。

 これがよかった。車の陰になって見えなかったが、別の車が対向車線にはみ出して追い越しをかけていた。飛び出していたら衝突していたかもしれない。

どこに事故の誘因がひそんでいるかわからない。久しぶりのヒヤリハットだった。それを思い浮かべて、ときどき反省している。

2026年4月6日月曜日

ピンクの点描画

                                                       

    目当ては小川諏訪神社のシダレザクラと、夏井川渓谷のアカヤシオ(岩ツツジ)。雨が上がった日曜日(4月5日)早朝、渓谷の隠居へ花見を兼ねて出かけた。

まずは平地の小川諏訪神社である。8時半に着いたが、すでに花見客でにぎわっていた。

もう桜の名所として定着したようで、老若男女が滝のように垂れた花にスマホを向けていた。

何のキャラクターかはわからないがコスプレイヤーもいて、花の下で写真を撮っていた=写真上1。

渓谷の隠居まではそこから15分ほどだろうか。県道小野四倉線へ出ると、急に車の往来が減る。

小川の平地では集落に沿ってソメイヨシノが咲き、家の裏山ではヤマザクラが点々と薄いピンクの花を付けている。山はすっかり「ほほ笑む」状態になった。

渓谷でも、県道沿いにあるソメイヨシノが咲き、ヤマザクラが花と茶色い葉を広げていた。ほかの木々も芽吹いてきた。うっすらと淡くパステルカラーに染まりつつある。

錦展望台の対岸を中心に、渓谷ではアカヤシオがほぼ満開だった=写真上2。同じピンクでも薄いのと濃いのがあり、開花の早い遅いが色の違いになって表れているようだ。

隠居の庭でネギ苗床の草むしりをしていると、そばの道路から声がかかった。見知らぬおばさんで、アカヤシオの点描画に感心していた。

確かに今年(2026年)は例年になく花の量が多い。色も濃いピンク色がよく目立つ。おばさんではないが、私らも今年の花の見事さに心が弾んだ。

近年は特に東日本大震災以降、小川諏訪神社に花見客が集中するためか、渓谷まで足をのばしてアカヤシオを楽しむ人は少なくなった。

震災前は県道に路駐の車が続いて行き来するのに難儀したが、今はそんなことはない。

隠居の庭には対のシダレザクラがある。赤いつぼみをビッシリ付けている。花を開いたつぼみもある。花が5~6輪開けば開花だそうだから、わが隠居のシダレザクラもこの日「開花」を確認した。

隠居の庭には上の孫が小学校に入学したときに植えたサクラもある。このサクラは亡くなった義弟からの贈り物で、義弟がホームセンターから買ってきた苗木を、私が代わって植えた。これはすでに三分咲きくらいになっていた。

錦展望台には次々と花見客がやって来て、対岸のピンクの点描画にスマホを向けていた。ピンクの山をバックに記念撮影をする家族連れもいた。いつもの年よりは人が多い。たった1週間で渓谷の森は冬から春に衣替えをした。

2026年4月4日土曜日

2日連続の「でれすけ」

新しい朝ドラ「風、薫る」が始まった。小泉八雲と妻セツをモデルにした「ばけばけ」が終わって、朝ドラロスになりかけていたところへ「でれすけ」が耳に飛び込んできた。

 舞台は明治時代の栃木県那須地域。明治の世になって帰農した元家老の娘が、2人いるヒロインの1人。もう1人のヒロインは東京に住む。やがて2人は出会い、看護の道へ進むというストーリーのようだ。

 「でれすけ」は、私が子どものころ、耳にタコができるほど祖母に言われ、親にも言われた。年上の子どもたちも、なにかというと同年代、あるいは年下の子どもたちをけなすときに「でれすけ」を使った。

といって、だれでも「でれすけ」になるときがあるから、言われたからといって気にする人間はいない。

福島県と栃木県はもちろん、隣接の茨城県、千葉県でもなじみの言葉だとか。その意味では舞台の一つである北関東を、ひとことでわからせる象徴的な言葉でもある。

この「でれすけ」のおかげでロスな気分が吹き飛び、頭がすぐ「風、薫る」に切り替わった。

 「でれすけ」は3月30日の第1話に登場した。翌31日の第2話にも出てきた。まさかスタートから3日連続の「でれすけ」はないだろう。あったら演出の意図がはっきりする。「でれすけ」に神経を集中して第3話を見たが、さすがに3日連続はなかった。

 まずは言葉のおさらい。いわき市教委発行の「いわきの方言(調査報告書)」(いわき市文化財基礎調査)から意味を探る=写真。

「でれすけ」は①まぬけ②罵倒する語――とある。これにネットのAI回答を付け足すと、意味は「だらしない人」「馬鹿者」などとなる。

斜陽の炭鉱から未来の観光へ。いわき市の常磐炭礦が地下の採掘現場から湧出する温泉を利用して、「常磐ハワイアンセンター」を設立する。同時に炭鉱従業員の子女がフラダンスを習って、入場客に披露する。

それが後年、映画「フラガール」になったが、そのなかでも「でれすけ」が使われていた。「ああ、いわきだな」「福島だな」。南東北の人間もまた「おらほ(わがマチ)の映画」という思いを抱いたものだった。

ついでながら、元家老の娘の生家の撮影は南会津町の奥会津博物館にある「染屋」というかやぶき屋根の建物で行われた。ここは渋沢栄一を主人公にした大河ドラマ「青天を衝け」でも撮影に使われたとか。

「でれすけ」は今後もドラマで使われる予感がする。栃木偏、東京編、そしてどこかのマチが舞台になっても、「なまりなつかしいふるさと」を瞬時に思い出させる効果がある。

これはおまけ。第5話には会津出身の大山捨松が登場した。夫と馬車で田舎道を進んでいたとき、転んで手のひらをすりむいた那須のヒロインの手当てをしてやる。そのとき出た言葉が「さすけねえ(大丈夫)」だった。

   捨松はアメリカ留学から帰国後、大山巌と結婚し、日本の看護婦教育などに尽力した。なるほどである。 

2026年4月3日金曜日

積小為大

                             
   いわき市は今年(2026年)、市制施行60周年を迎える。それに合わせて、地域活動に携わっている市民と若手職員によるプロジェクトチームを組織し、市制100年を目標にしたまちづくりビジョンを策定する。

「いわき31万人のまちづくりビジョン策定プロジェクト」という。サイトにはこんな「前文」が載る=写真。

その後半部分。「だれか偉い人が決めるんじゃない。それぞれの『わたし』の声から、1枚の布を編むように、ビジョンの旗を編んでいきたい」

35年ほど前、同じように市が事務局になって、若手市民が集まり、自由にまちづくりのビジョンを議論した。その集まりを「いわき未来会議」という。

提言策定にかかわった市側の担当者(元係長)、会議の座長(経済人)、メンバーの1人だった私(記者)の3人が若手職員の勉強会に招かれ、当時の会議の様子などを話した。

市が主催する審議会や懇談会などは事務局主導が普通だが、いわき未来会議は、最初こそ事務局から「国際化」のテーマを与えられたものの、2回目「自然とヒトのシナリオ」、3回目「まちづくりにおける市民と行政」はメンバーが選んで提言した。

東日本大震災のあと、市民による対話の場「いわき未来会議」が発足した。フェイスブックでそれを知ったとき、不思議な感慨を覚えた。

35年前の「いわき未来会議」を知っていて、それを会の名称にしたとは思えない。前の未来会議と提言はまったく視野には入っていなかったろう。

提言は、私の中では今も生きている。なかでも2回目は、哲学者内山節の『自然と人間の哲学』をベースに議論した。

平成7(1995)年、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が起きたあと、夏井川渓谷にある隠居の管理人として、週末をそこで過ごすようになった。渓谷の人と自然を通して内山哲学を再認識した。

勉強会では、新旧2つの未来会議の例を挙げて、まちづくりの提言が「次」に接続されていない話をした。

同時に、行政の施策は職員の考えや思いがベースになる。施策と自己表現を結びつけて考えるといい――役所取材から感じたことを、エールとして若手職員に伝えた。

最後に司会者から紙を渡された。「声を編む」ということで、好きな言葉、大事に思っている言葉を紙に書いてくれという。

私は「協働」、座長氏は「たのしんで」、元係長氏は「積小為大(せきしょういだい)」と記した。

そうか元係長氏は「積小為大」を胸に秘めて行政の仕事をしてきたのだな、と遅まきながら納得した。公務員としての自己表現に通じる言葉だろう。

新しい施策への夢・思いがある。それを形にするまでには曲折が待っている。曲折をクリアして施策が生まれる。まさに「積小為大」ではないか。

35年前、思いと時間を共有したという意味では、「戦友」との再会の場になった。3人とも白髪に変わったが、時の隔たりは全く感じなかった。

2026年4月2日木曜日

「好間渠」散歩

                                 
   もう半月ほど前のことだ。春分の日にカミサンの実家(平・久保町)へ行って線香をあげた。

家のそばに「好間渠」(好間江筋)がある。昼食をとったあと、江筋沿いの小道を少し散歩した。

 江筋は3面舗装の農業用水路で、幅は3メートル強だろうか。農閑期だが少し水が流れていた。

 カミサンの実家(ちょっと前まで米屋をやっていた)では、昔、この江筋から敷地内に水を引き、水車の回転力を歯車に伝えて米を搗いた。

 取水口はコンクリート壁面でふさがれてわからないが、家の下にある排水口は四角く切り取られたまま残っている。これも米屋の「水力精米」を伝える遺物には違いない。

 好間地区関係団体会議が平成10(1988)年に発行した『よしま――ふるさとの歴史探訪』にこんなくだりがある。

 「平七軒町から今新田(いまにいだ)へ好間川の上に樋(とい)を架けて水田用水としたので今新田側を『樋場』と今も呼んでいる」

 好間川を軸にして考えると、平・七軒町は右岸域で久保町の北隣、対岸(左岸域)が好間の今新田だ。

これは久保町から七軒町へと北流する江筋からの分水に違いない。あらかじめグーグルアースで確かめていた水路が頭にあった。

やがて分水のための水門に出合うはず、そう踏んで江筋沿いを歩いていると、案の定だった。

カミサンの実家の近所だが、北へと江筋沿いの小道を歩くのは初めてだ。音を立てて流れる分水路にちょっと驚いた=写真。

分水路は江筋からかなり低いところに設けられている。そこへ江筋の水門から水が滝となって落下している。

ネットで確かめると、水門がある場所は久保町ではなく七軒町だった。この水路の先端から好間川をまたぎ、今新田に水田用水を分水していたのだろう。

水門のそばに「きけん 好間二小PTA」の立て看があった。小学校は川向うの今新田にある。

その校庭を借りて、かつては平の久保町と隣接する七軒町、道匠小路の3地区合同の運動会が開かれた。

結婚して子どもが生まれたあと、リレーのメンバーが足りないというのでお呼びがかかり、久保町チームに加わったことがある。

少子高齢化はそのころから顕在化しつつあったようだ。運動会はその後取りやめになった。

七軒町などは平一小学区だが、久保町に隣接する右岸域の西側はほとんどが好間二小学区だ。江筋の水門そばに好間二小PTAの立て看があるのはそのためだった。

わが家の床の間に「好間渠誌」の掛軸(拓本)が飾ってある。記念碑は明治35(1902)年に建立されたらしい。それを読み解くための散歩でもあった。

カミサンの実家の田んぼは、今は学校法人に貸していて、建物が立っている。この分水路のほかに、下好間の田んぼを潤す別の水路もある。2つは好間川の手前で合流する。やはり「現場」に立つといろんなことがわかる。

2026年4月1日水曜日

庭の春の花

                               
    日曜日(3月29日)の早朝、茶の間のカーテンを開けると、庭のプラムの木が白い花をいっぱい付けていた。

 前日までは花に全く気づかなかった。咲き始めてはいたのだろう。が、地面の花にばかり目がいっていた。

 プラムは一部が腐朽菌に冒され、キノコが生えた。それで何年か前、幹から左右に張り出していた太い枝の半分を切り落とした。

 キノコはサルノコシカケのように大きくはないが、平べったい姿で残っていた。それを取ったら、また生えてきた。

 キノコの胞子はヤマであれ、マチであれ、ハマであれ、空中を飛び交っている。わが家の庭のプラムもどこかが傷ついていて、胞子の侵入を許してしまったのだろう。

 毎年花を付ける。半身だが、さらに枝が延びて傘状に広がってきた。白く清楚な花びらが目をやさしく包む=写真上1。

 やがては花さえ付けなくなって、そこにもキノコがにょっきり現れるようになるのかもしれないが、今のところはまだがんばっている。

 平・本町通りの街路樹が根元から伐採されたのはいつだったろう。たまたまわきの歩道を歩いたり、一方通行の道を車で通ったりしたとき、赤信号で足が止まる。

なにげなく目をやると、足元の切り株に、やはりサルノコシカケに似た白いキノコが生えていた。街なかの伐採木もキノコの胞子にとっては格好の「菌床」である。

 わが家の庭の話に戻る。地面から緑が次々に芽を出し、花茎を伸ばしてつぼみを持ったなと思うと、黄色い花を付けた。ラッパスイセンだった。

 それがあらかた開花したあと、今度はそれより少し大きなスイセンが咲き出した。プラムの花と同じ日に気づいた。なんと八重咲きのスイセンではないか=写真上2。

  庭の園芸品種はカミサンまかせだ。クリスマスローズが咲き、スノードロップも咲いている。そのなかで1輪、ヒアシンスも淡いピンクの花を付けた=写真上3。

あとは、花ではなく、ミョウガタケの出現を待つだけ。スイセンその他の園芸種に包囲されたためか、近年は芽生えが減った。

暖かくもなってきたので、そろそろ庭に出て、歯を磨きながらミョウガタケをチェックしよう。ヤブガラシは芽が出ていたら摘む。これは生け垣に絡みつくのでほっとけない。どちらも春の朝の習慣だ。