2026年5月9日土曜日

室温が「夏日」に

                                 
   ゴールデンウイークど真ん中の5月2日に「立夏」を迎えた。天気はしかし、日替わりで雨が降ったり、晴れたりとあわただしい。

 連休明けの7日には晴れて気温が上昇し、わが家では正午に室温が「夏日」を越えて26・5度に達した。

「夏日」には、厚着ではいられない。毛糸のチョッキを脱ぎ、長そでの裾をまくる。今年(2026年)初めて、茶の間のガラス戸と2階の窓を開けた。

日が沈んでも熱気はこもったままだった。晩酌(焼酎)も今年初めて水を用意した。「初水割り」である。

 4月以来、朝食後に庭で歯磨きをしている。ヤブガラシの新芽を摘み、ミョウガタケの生長を確かめる。

ヤブガラシは再生能力がすごい。摘んでも、摘んでも出てくる。ミョウガタケは、3日に1回はカットし、みじんにして味噌汁に散らす。

しかし、4月中はまったく気にしていなかったものが2つある。庭のクモの巣とヤブカだ。

5月に入るとさっそくクモの子が現れた=写真上1。体長は5ミリくらいだろうか。クモの巣にはガガンボがかかっていた。

いよいよか。クモの子を見て覚悟を決める。7日には今年初めて、顔にベタッとクモの巣が張りついた。

これは払うしかない。せめて身長を超えるところに網を張ってくれよ――。そう心の中で叫ぶ。

クモの巣が嫌で庭に花を植えない家があるらしい。そこまで敏感ではないが、庭の食物連鎖を考えると、なるほど、である。

花が咲けば、蜜を吸いに虫が来る。虫がいれば、それをえさにするクモが現れる。そのクモや虫を狩るハチもやって来る。

 アシナガバチも、キイロスズメバチも、間もなくわが家の庭の常連になる。ときには軒下に巣をつくる。

エビネの花が終わり、シランが咲き出した。ヒヨドリが種を運んだと思われるマルバシャリンバイの花も咲いている=写真上2。

となれば、小さな虫たちがやって来る。7日は急に虫が飛び交い出した。クモも網を張るわけだ。

イエカも、ヤブカも現れる。4月末には茶の間でカミサンがパチンとやった。「蚊取り線香は?」。聞くと「去年買っておいたものがあるはず」という。

7日にはやはり茶の間で虫がまとわりついた。チクリとやられたわけではない。が、額をピシャリとやったら黒い虫だった。

庭と茶の間は直結している。戸を開けていれば、昼も夜も虫が迷い込む。いや、迷い込むのではなく、庭の延長と思って現れるのだろう。

とにかく次はひとつ。蚊取り線香をすぐ使えるようにしておく。以上、エアコンのない「昭和の家」の、令和8年初夏の記録。

2026年5月8日金曜日

「清光堂書店物語」

                                                 
 いわき市勿来文学歴史館で、企画展「清光堂書店物語~教科書から繪はがきまで~」が開かれている(6月30日まで)=写真(リーフレット)。

「こどもの日」に夫婦で出かけた。企画展示スペースは狭いのだが、その狭さが気にならないほど中身が濃かった。初めて目にする資料が多かったためだろう。

清光堂書店は明治から昭和初期まで、浜通り有数の書籍文房具商だった。平・二町目の本町通りに本店、才槌小路に分店、今の銀座通りに支店があった。地元の景勝地を扱った「繪はがき」を発売し、郷土出版にも力を入れた。

いわきゆかりの大須賀筠軒の漢詩集や山村暮鳥の詩誌「風景」なども出している。筠軒の漢詩集は息子の大須賀乙字(俳人・俳論家)がまとめた。

暮鳥は大正元(1912)年秋、日本聖公会の牧師として常陸太田講義所から平講義所に着任する。

やがて才槌小路に家を借りて教会兼住まいにした。その斜め向かいの角に清光堂の分店があった。ここで暮鳥は生涯の友となる吉野義也(三野混沌)に出会う。

 磐城平時代の暮鳥と仲間を追っているうちに、およそ100年前のいわきのことが気になりだした。

同時に、いわきの今の文芸の根っこには暮鳥がいる、今のいわきを知るには100年前のいわきを知る必要がある、ということも意識するようになった。

文芸史的にはずっと脇役だった「清光堂書店」に光が当てられた。それぞれ断片としてしか見てこなかった筠軒の漢詩集や「平町市街全図」(地図)、古い繪はがきなどがつながり、書店を経営した人物像(関内米三郎・彦太郎父子)にもピントが合い始めた。

一例が、才槌小路の分店をまかされていた乾康治である。乾は彦太郎の妻の弟であることを初めて知った。

暮鳥の関連資料を読んでいたとき、暮鳥後援者の1人に乾の名前があった。しかし、具体的な関係はわからなかった。

乙字の最初の妻・宮内千代の出身地、旧那珂湊町の縁戚宅に筠軒・乙字関係資料が残っている。いわき地域学會の仲間とそれを見に行ったことがある。

「乙字のトランク」に貴重な資料がいっぱい入っていた。その中にも乾の名前があったように記憶する。

千代は彦太郎の妻とは親戚で、乙字と結婚した際には米三郎が仲人を務めたという。それだけではない。彦太郎の母親は、暮鳥がよく通った平・三町目の「十一屋」の娘だった。

なんと、なんと、である。清光堂を介して二重、三重にも人間がつながっていくではないか。

企画展を監修したのは、いわき歴史文化研究会員の磯上知代子さん。年下の元同僚だ。

企画展を見て駐車場に戻ると、彼女が車でやって来た。企画展が充実している話をしたら、調査をすればするほど課題がみえてくるという。それはこちらも同じ。

話を聞いているうちに、私のなかで1つだったあるところの家系図が、実は2つの家のもの、それを混同していたことを知った。調べが足りないことがよくわかった。

2026年5月7日木曜日

マイ皿復活

                                 
   ゴールデンウイーク中のわが家の出来事を振り返ると、刺し身のマイ皿復活が真っ先に挙げられる。

日曜日の晩は刺し身で一杯と決めている。3月に初めてその魚屋を訪ね、生カツオの刺し身があるかどうかを聞いたら、「カツオは4月になってから」という。竹を割ったような受け答えが好ましかった。

それではと、店頭にあったメヒカリの干物を買って、から揚げにして食べた。ほくほくしてうまかった。

 干物がうまいなら――と、また4月半ばの月曜日、刺身を買いに行くと店が閉まっていた。

なぜ月曜日かといえば、この日、病院で定期検査があったからだ。前夜の日曜日は、それで刺し身と晩酌を控えた。

「一日遅れの日曜日」のつもりだったが、世間はそう簡単には問屋を下ろしてくれない。定休日だったのだろう。

 別のところから買った生カツ刺しの味がイマイチだった。今度こそ食べたい。そんな気持ちがふくらんで、4月の終わりにまた店を訪ねた。

生カツ刺しを15切れほど頼んだ。トレイに盛り付けられたのを、家で印判の皿に移し替え、「笑点」を見ながら「試食」する。悪くはない。

「今度は皿を持ってくるから」。店主に告げていたので、連休ど真ん中の日曜日(憲法記念日)、久しぶりにマイ皿を持って出かけた。

たまたま奥さんも店にいて、ちょっとした会話になる。店主がいう。「ダンナさんは平から?」「そう、神谷から。草野の『魚新』が店をやめてから、ずっと刺し身の店を探してたの」

日曜日の「刺し身ドライブ」の話をすると、マイ皿に盛り付けられたカツ刺しを思い出した。魚新ではいつもマイ皿いっぱい、25切れくらいは盛ってくれた。

量は40代のころから変わらない。それが後期高齢者になって余るようになった。冷蔵庫に入れて、翌朝、海鮮丼のようにして食べる。それでも余れば、にんにく醤油に漬けて揚げたものを晩酌のつまみにする。

その「にんにく揚げ」さえ余ることがある。すると、これを醤油で煮てほぐしたフレーク状のものが出る。これも酒のつまみになる。再利用の再利用だが、それぞれに味が違うのであきることがない。

その店は南と西が開放されている。南側には網をかぶった棚があって、天日干しのメヒカリなどが並んでいる。そのうち雨が降り出し、夫婦でこの棚を西側の軒下に移動した。

軒下にピタッと収まるように棚をつくったのだろう。そのはまり具合に感心していたら、どうもカツオだけでは足りないと判断したのか、タコの足を切ってマイ皿に加えた。値段は? 思ったより安い。

魚新が店を閉じて9カ月。やっとマイ皿に盛りつけられた刺し身=写真=を目で楽しみ、舌で味わいながらグイッとやった。

「町中華」ならぬ「町魚屋」に、やっとたどり着いた感じだ。ここしばらくは「試食」を続けてその味を体にしみこませることにしよう。

2026年5月3日日曜日

歩道が川に

                                           
   朝も夜も天気予報を確かめる。朝はその日の予定のために。夜は翌日の行動を決めるために。

毎日が日曜日の身ながら、カミサンが店を開けているので、朝晩の店の開け閉めなど客人が出入りする家としてのルーティンがある。それをときどき手伝う。

日曜日には夏井川渓谷の隠居へ行き、月曜日にはごみネットとごみ袋を出す。ほかに、アッシー君や会議、買い物や図書館通いなど。私用・共用とりまぜて毎日なにかある。

雨の予報だと、外出の予定があっても変更がきくものは延期する。晴れても風が強ければ、ディスプレイのマネキン(板人形)などは店頭に出さない。

気温もチェックする。寒くなるのか、暖かいのか。寒ければ防寒グッズが必要になる。石油ストーブもつけないといけない。

というわけで、日々、テレビの気象情報を欠かさずに見る。1時間単位で気象の変化を伝えるネットの情報もチェックする。

5月1日もそうだった。雨の予報だったので、前日の4月30日に回覧資料を配った。配り始めるとすぐ車のバッテリーが上がったことは、きのう(5月2日)書いた。

当日はお昼過ぎに大雨になった。風も強まった。この雨風の中、「獏原人村」(川内)の「村長」が宅配の卵を持って来た。

家の前の歩道は冠水し、濁流となっていた。そこを「村長」が平靴で水に浸かりながら店に入ってきた。

濁流の水位はわが家の基礎であるコンクリートの「たたき」近くまで上がっていた=写真。歩道は、年に何回かは冠水する。しかし、そこまで水が迫るのはめったにない。

さいわい雨はすぐ弱まり、歩道の冠水もほどなく消えた。豪雨がそのまま続けば、やがて車道も冠水し、床下浸水がおきたかもしれない――そんな不安が頭をよぎった。

気象台のホームページもよく見る。「最新の気象データ」で現在の雨量と気温を、「過去の気象データ」で前日の雨量を確かめる。

5月1日は、午後2時10分現在で平の雨量が76.5ミリ、さらにざっと2時間後の同4時30分には89.0ミリになっていた。結局、平の5月1日の雨量は89.5ミリだった。

2日付のいわき民報によれば、好間町今新田(いまにいだ)にある「平観測所」では、午後0時43分までの1時間に27.5ミリの降水量を記録した。

この時間帯に家の前の歩道が冠水し、獏原人村の村長が靴を水没させながら卵を届けに来た。タイミングとしては最悪だった。

2日は晴れて、小名浜では夏日になった。風も強かった。4日には地元の神社の祭礼がある。朝10時からの祭典に招待されている。

この日は、朝のうちは雨の予報だ。今年(2026年)はどうも、ゴールデンウイークの天候が芳しくない。

みこし渡御は、車を利用するにしても青空の下でないとなぁ、晴れてほしい――。切にそう思う。

2026年5月2日土曜日

車が来るまで

                              
 「クルマガクルマデ」。あれっ、駄じゃれになっちゃったかな。自分で言って笑ってしまった。「車が来るまで『仕事』は休み」。そう言いたかったのだ。

 「仕事」とは毎月1日と15日の2回、行政嘱託員として区内会の役員さんと、担当する隣組の班長さんに回覧資料を届ける作業のことだ。

わが行政区には隣組が30あって、およそ290世帯が加入している。5月1日は朝から雨の予報だった(その通りになった)。

雨の中を配りたくはない。で、前日の4月30日朝、一日早く回覧資料を紙袋に振り分け、役員さんが担当する分をポリ袋に詰めて、いつものように車で出かけた。

 行政区内には3~4階建ての集合住宅が8棟ある。前はそこに2~3人、区の役員がいたが、今はゼロ。周囲の戸建て住宅の役員さんが分担してカバーしている。

 配達はまず、私が担当している集合住宅の3カ所から始まる。住宅に設けられているごみ集積所のそばに車を止め、1階の郵便受けに紙袋を差し込んだあと、戻って車のエンジンをかけようとしたら……。

表示盤は点灯したが、車はまったく動かない。バックに切り替えても同じだ。燃料は満タンにしたばかりだから、バッテリーか?

その場からすぐ個人事業主でもあるディーラーに電話をかけた。運よく会社にいて、事情を説明するとすぐ駆けつけてくれた。

車の症状を見て「やはりバッテリーらしい」という。ディーラーは、乗ってきた車を代車として残し、携帯した機器を使って私の車のエンジンをかけ、バッテリー交換のために会社へ運転していった。

代車での配達は心もとない。いったん家に戻り、自分の車が戻って来るまで、家で待機することにした。そのとき、カミサンに言ったのが「クルマガクルマデ(車が来るまで)」だった。

結果はやはりバッテリーだった。故障からざっと5時間後、車がきれいになって戻ってきた=写真。

それまで配達は中断したままだ。休んでいるところへ、当日の4月30日付でコピーされた回覧資料が届いた。

建前は5月1日配布とはいえ、朝から雨の予報だから一日早く動いたのだが、いくらなんでも30日の持ち込みはギリギリすぎないか。

しかたない、配達できずに持ち帰った回覧袋にこれを追加し、すでに配布した3カ所には別袋でまた届けることにした。

配達を始めるとすぐのトラブルで、未配達の隣組がほとんどだったので対応できたが、配達が終わったあとだったら、資料は15日回しにするしかなかった。

ギリギリになって届いた資料を見ると、5月初旬の行事予定が入っていた。やはり今回配らないと「あとの祭り」になる。

回覧を頼む側は、せめて配達日の2日前(5月1日なら4月29日)までに資料を届けてくれないと困る。下準備が1回で終わらずに、二重になる。

車のトラブルといい、ギリギリの資料持ち込みといい、今回はおつりがくるほど心がざわついた。

2026年5月1日金曜日

笑点とピタゴラスイッチ

                               
 日曜日の夕方は茶の間の座卓に皿(生カツオの刺し身)と茶わん(焼酎)、ポット(お湯)が並ぶ。

 刺し身をつついては焼酎、次いでお湯を口に含む。一瞬、焼酎の生(き)を楽しんでから、のどの奥でお湯割りにする。

 座卓の先にはテレビがある。5時半になると「笑点」を見る。大相撲のときは、「笑点」の後半の「大喜利(おおぎり)」の時間にNHKから4チャンに切り替える。

 「笑点」は昭和41(1966)年5月にスタートした。今年(2026年)で放送開始60年である。

 いわき市もまた同じ年の10月1日に14市町村が合併して誕生した。今年、市制施行60年である。

同じ60年ということで、なにかつながれば面白い――。これはしかし、単なる外野の思い付きにすぎないが。

ついでにいえば、いわき市立草野心平記念文学館で開かれている企画展「草野心平と川内村」は、心平ゆかりの天山文庫設立60周年を記念したものである。

大喜利の話に戻る。番組開始から60年というのは長寿も長寿、大長寿番組だ。人気のひけつは「大いなるマンネリズム」だそうだ。

司会者(落語家)が「お題」を出し、常連メンバーの6人(やはり落語家)がトンチを利かした答えを披露する。

やりとりはパターン化されているが、実にさまざまなお題があるから、毎回新鮮であきがこない。

 「よい答え」も「悪い答え」も、それなりに凝り固まった頭をほぐしてくれる。脳みそのマッサージ効果が大喜利の最大の魅力といってよい。

マッサージ効果という点では、Eテレのピタゴラスイッチ=写真=もなかなかのものだ。「ピタゴラ装置」にはいつもびっくりする。

文房具やトイレットペーパーの芯、ビー玉……。なんでもいい、家に普通にあるようなものを組み合わせて、球がころころ転がっていく流れをつくる。

こちらは平日の晩酌の時間によく見る。ニュース番組の合間にチャンネルを合わせ、夫婦でいつも感心する。よく考えつくものだ。

 6年前、94歳で亡くなった安野光雅さんも遊び心に満ちていた。自著のタイトル『語前語後』は、「午前午後」をもじったものだろう。

その中にピタゴラスイッチについて書いた文章がある。「ある日、テレビを見ていて、すごくおもしろい番組に出会った。忘れないために書き留めたが、『ピタゴラスイッチ』というもので、以前評判になった『セサミ・ストリート』よりうんといい、とわたしは思う」

森毅編著『キノコの不思議――「大地の贈り物」を100%楽しむ法』でも、安野さんは遊び心を発揮した。

毒キノコのワライタケにひっかけて、「ナキタケ」を創案した。ワライタケがあるならナキタケがあってもいい――そんな対語的発想、遊び心で存在しないキノコを生み出したのだろう。

車のハンドルに必要なのは「遊び」。笑点もピタゴラスイッチもこの「遊び心」を刺激する番組ではある。

2026年4月30日木曜日

牛乳瓶とドレッシング

                                 
   牛乳は昔ながらの瓶詰めを宅配で取っていた。金と月の週2回、各2本が届いた。

牛乳箱は勝手口にある=写真。そこにある日、配達する人間が入院したので宅配を休止するという「お知らせ」が入っていた。宅配はそのまま復活することなく終わった。

 牛乳瓶にこだわるわけではない。が、宅配牛乳は瓶詰めという子ども時代からの記憶がある。飲んだら空き瓶を箱に戻す。それで牛乳宅配は回っていくものだと思っていた。

 コンビニで買う「コーヒー牛乳」は紙パック入りだが、宅配はやはり瓶詰めが安心できる。その瓶詰め宅配がなくなったことはやはり寂しい。

 調味料の一種、タマネギをベースにしたドレッシングもそうだ。いわきに住む元シェフが製造し、月に1回、本人が持って来た。

 やはり入院するのでしばらく製造は休むという連絡があったが、いまだに宅配は再開されない。

 このドレッシングがあると、生野菜のサラダがおいしく食べられる。ドレッシングの甘みとほのかな酸味、風味がからんで舌が喜ぶ。そのことを前にブログに書いた。一部を引用する。

――元シェフとカミサンが話しているのを耳にしたことがある。「新玉ネギを使っているのでサラッとしています。お客さんのなかには『とろみ』が少ないという人もいます」

手づくりのオリジナルドレッシングだから、同じ原材料でも季節によって微妙に味が変わるのだろう。

 東京から来た人が、このドレッシングサラダを食べてうなったことがある。東京までドレッシングを送る量はないが、客人が東京から来たときにおみやげ代わりに持たせてやるくらいのことはできる。これも、いわきの味にはちがいない。

ドレッシングの商品名は「分離液状ドレッシング」、原材料は「食用植物性油脂、穀物酢、玉ネギ、ニンジン、砂糖、食塩、ニンニク、胡椒(こしょう)」と、ボトルのラベルにある。

使うときにはボトルを逆さにして、シャカシャカやる。それで油分と水分がほどよく混じり合う――。

わが家では、カミサンが知り合いの分もまとめて引き受けていた。知り合いがドレッシングを引き取りに来ながら、お茶を飲む。

宅配の卵もそうだ。ドレッシングは中断したままだが、卵があるので「女子会」(お茶飲み)は今も続く。

 瓶詰め牛乳とドレッシング。この2つの代用品は紙パック入りの牛乳と、市販の各種ドレッシングだが、スーパーではどれを買うか、いつも迷う。

牛乳はともかく、ドレッシングはタマネギをベースにしたものを選ぶようにしている。しかし、これぞというものがまだない。

 個人営業だと、融通が利く。1人ひとりの注文にこたえられる。そういった柔軟性、ふところの深さがある。そんな小さな事業所がひとつ、またひとつといった感じで消えていく。これも高齢社会の一断面なのだろう。