夏井川渓谷の小集落・牛小川に隠居がある。週末に牛小川へ通うようになったのは、平成7(1995)年5月末。31年前のことである。
1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、3月20日に地下鉄サリン事件が起きた。そんな騒然とした時代で、地元の駐在所から身元確認の電話がかかってきたりした。
隠居は故義父が建てた。平の街なかにあったのを譲り受け、解体・移築した。その管理人として、土曜日の夕方、職場から直行した。
カミサンは翌朝、磐越東線の一番列車でいわき駅から江田駅までやって来た。毎日曜日、車で江田駅へ迎えに行くのが習いになった。
隠居の前を、磐東線と県道小野四倉線が走る。たまに通過する列車の音で時間がわかる。
朝の二番列車が通れば、「9時過ぎか」。午後の一番列車なら、「1時半過ぎか」。夜は、最終列車が通り過ぎると「9時だな」。
地元の住民と知り合い、祭礼や総ぐるみ運動に参加した。目の前の自然だけでなく、道路、鉄道、水力発電所など、牛小川の歴史も少しずつだがわかるようになった。
それで知った悲劇である。昭和10(1935)年10月27日午後6時ごろ、折からの豪雨で山の岩石・土砂が崩れ落ち、線路が消えたところへ郡山発平(現いわき)行きの列車が突っ込んだ。
機関車や客車など4両が脱線し、県道と下の河原に転落、12人が死亡し、50人が負傷した。
10年前、事故を伝える当時の地域紙を読み、現場を訪ねた経緯をブログに書いた。それを下敷きにして振り返る。
牛小川の集落から川前へおよそ1キロ進んだがけっぷちが現場で、県道沿いに遭難碑と六地蔵が立つ。
碑の直下に夏井川、山側の石垣ののり面の上には磐東線。少し東に寄ったところで線路はロックシェッドに覆われている。
遭難碑は後世に事故を伝え、犠牲者を慰霊するために建てられた。六地蔵は遺族の1人が建てた。
事故の様子を伝える新聞は、いわき市立図書館のホームページにある「地域資料のページ」で読むことができる。
昭和初期、いわき地方には日刊紙(夕刊)が5紙あった。欠落紙を除く4紙が事故を詳報している。犠牲者のなかにはカミサンの親類がいた。
それから91年。小川郷(さと)の会が主催して、10月18日、慰霊祭が行われた=写真。
遺族、JR、小川町の関係者らが参加した。私も地元・牛小川の半住民ということで声がかかった。
カミサンの親類が犠牲になっていること、そして事故が起きた集落に隠居があって、そこに毎週日曜日、通っていること。
これも合わせて、慰霊碑と六地蔵を見ると、通りすがりのドライバーではいられなくなった。郷土史の「年表の1行」でもすまされなくなった。
現地の住民の語り伝え、これからも起こりうる突然の災害・事故の教訓として、あらためて鉄道の、地域の安全を祈ったのだった。