翻訳者・児童文学評論家清水真砂子さんの半生を振り返るインタビュー記事が朝日新聞に載った(10月2日、14回で終了)。
「語る――人生の贈りもの」で、必ず吉野せいに触れるはず。そう踏んでいたら、8回目(9月24日付)に登場した=写真。
5年前の元日付のブログで、吉野せいの『洟をたらした神』に清水さんが触発された話を書いている。それを要約・再掲する。
――『洟をたらした神』の中公文庫版は、清水さんが解説を担当した。冒頭に「三巻で終わるかと思っていた『ゲド戦記』の第四巻が十八年の間隔をおいてアメリカで出版され、翻訳の準備にとりかかったとき、さて、主人公テナーの台詞をどうするかと考え、あの作家、この作家の文体を考えて最後に行き着いたのが吉野せいだった」
遅い結婚をし、共に暮らし始めた相手から彌生書房の『洟をたらした神』を渡された。「一気に読み、その文章の力強さ、深さ、繊細さに驚き、以来この本は私の最も大切な一冊になった」という。
テナーは元巫女(みこ)、せいは「百姓バッパ」。別人格なのは当然だが、清水さんは「いつも吉野せいの目を、その息を背中に感じながら」翻訳を進めた。
それとは別に、元東北福祉大准教授大島真理さんの『図書館魔女は不眠症』という本の中に、吉野せいの話が出てくることを知った。
大島さんは『ゲド戦記』の原作者ル=グウィンに触れ、さらに清水さんから聞いた翻訳のエピソードを書いている。そこに『洟をたらした神』の解説と同じ話が紹介されている。
「テナーの言葉を日本語として訳すとき、誰の言葉にしようかと考えた過程がとても興味深かった。巫女としての語り口、石牟礼道子、森崎和江、茨木のり子、と変遷し、最後にその精神性として『洟をたらした神』の吉野せいへとたどり着いたという」
清水さんが最後に吉野せいを選んだのは、文庫の解説にもある「ずっぷりと土着のようでいて異邦人。人を愛し、慈しみ、静かに、時に激しく生きて闘った人のことば」が『洟をたらした神』にはあったからだろう。
こうなったら、『ゲド戦記』の4巻を読まなくては、テナーの話し方、そこから透けて見える精神・人生・暮らしに触れなくては――。
なぜ吉野せいだったのか。それは『ゲド戦記
帰還』の冒頭部分を読めばわかる。「中谷で農園をやっていたヒウチイシが死んだあとも、残された女房は農園を離れなかった」
「なんでもこのよそ人(びと)の女房、生まれた土地では一目も二目も置かれていたとか」。大魔法使いのオジオンもこの農園には必ず立ち寄った。
農園には牧草地のほかに畑と梨畑があった。そんな情景を思い描くと、女房はやはり吉野せいがふさわしい。
すると、ヒウチイシは夫の吉野義也(詩人三野混沌)、大魔法使いは親友の草野心平か――などと連想がわいた。連想というよりは妄想だが、しかし心平は図星かも、そんな思いになった。