2026年9月15日火曜日

目指すは循環型ライフスタイル

                                               
   いわき市の「広報いわき」9月号などで知った、新しいかたちのリユース(再利用)拠点である。

「ジモティースポットいわき」という。9月10日午前11時、内郷高坂町大町地内にオープンした。

 広報いわきによると、市とジモティー(本社・東京)がリユース協定を結び、それに基づいて同スポットいわきが設けられた。

 拠点の運営は、音楽やイベントの分野で活動しているソニックプロジェクトの関野豊代表取締役が担う。

ジモティーは都道府県や市区町村といった地域ごとの情報をやりとりできるウェブサイト「地元の掲示板ジモティー」を運営している会社だという。

同時に、ネットのジモティーをリアルに体験できる店舗型のリユース拠点を、フランチャイズ方式で全国各地に展開している。

たまたま10日朝、カミサンが「ジモティースポットいわきへ行こう」というので、いつものようにアッシー君を務めた。

それまでまったく頭になかったので、急いで場所を確かめ、新聞やネットから情報を集めた。

リユース拠点、つまりは店である。店は既存の建物をリユースしたものだった。オープンしたばかりとあって、店内の商品棚はガラ空きだった。

スタッフからチラシをもらった=写真。市のホームページやチラシに従ってリユースの流れを簡単に記す。

いわき市民なら、家庭で不要になった家電、楽器、ゴルフ用品、子ども用品、スポーツ・レジャー用品、食器、衣類、本、CD、ペット用品などを、予約なしで持ち込める(ただし、身分証明書が必要)。

扱わない品物もある。リサイクル家電の4品目(冷蔵庫・冷凍庫、洗濯機・衣類乾燥機、エアコン、テレビ)のほか、マットレス、マッサージ器具などで、なんでもいいわけではない。

無料で引き取った不要品は、再利用品として販売、あるいは無料で譲渡される。まだ使える不要品を捨てずに地域内でリユースする流れを構築するのが狙いという。

オープン直後、旧知の関野さんとおしゃべりをしている間にも、ベビーカーその他の不要品が次々に持ち込まれた。主婦にとっては待望のリユース拠点がオープンした――そんな印象を受けた。

リユースされる品物の値段はどうか。古い額縁があった。値札はまだ付いていなかった。

カミサンは古着回収のザ・ピープルとも関係しているので、衣類はピープル、それ以外はジモティーへ、という考えのようだ。

9月13日には市役所駐車場の回収ボックスへ、知り合いから家に届いた古着類8袋を運んだ。

リユースのための機会の拡大、拠点の誕生――これもアッシー君をしていて知ったことではある。

2026年9月14日月曜日

アレチウリに覆われる

                                
   連日の曇雨天である。日照時間が少ない。稲や野菜は大丈夫か。そんな心配をしながら、夏井川渓谷の隠居へ出かけた。9月13日、日曜日朝のことである。

前の週は市民体育祭があって行けなかった。2週間ぶりということもあるのだろう。県道小野四倉線のガードレールが、ところどころ「緑のマット」に覆われていた=写真。これには驚いた。

アレチウリだ。この時期、侵略的帰化植物であるアレチウリがつるを伸ばし、葉を広げて、そこにあるものを覆い尽くす。同じ日本のつる植物であるクズさえ覆われて日光を遮られる。

ガードレールにとどまらない。今にも地面をはい出して道路をなめようか、という勢いだ。

7年前の2019年9月中旬、アレチウリについて書いたブログがある。年数はプラス7年にして要約・再掲する。

――この時期、全国至るところで見られる現象かもしれない。夏井川の堤防を行くと、アレチウリに覆われたところがある。

アレチウリは北米原産の1年生のつる性植物だ。日本では1952年、静岡で発見されたのが最初だという。

夏井川のアレチウリに気づいたのは2008年秋だった。覆われた植物は日光を遮断され、やがて枯れる。アレチウリが侵略的な植物、といわれるゆえんだ。

 この17年、秋になって遠出したときにアレチウリの有無をチェックしてきた。夏井川流域では渓谷、川前、小野町(夏井の千本桜)……。至るところに繁茂している。上流も下流もない。

草刈りが行われる土手はさすがに目立たない。放置された土手では、在来の植物があっという間に「緑のマット」で覆われる。

個人としては、せめて自分の家の周りだけは生やさない、生えたら引っこ抜く、と決めている。

でないと、家まで覆いつくされる。日よけになっていい、なんて悠長にかまえていられるほどつつましい植物ではないのだ――。

渓谷のアレチウリについてもブログで書いていた。それによると、2009年秋、牛小川で初めてアレチウリに気づいた。

隠居の対岸のやぶをアレチウリの葉が覆い、つるがそばの2本の高木まで伸びていた。

長い柄のついた小鎌で根元からつるを刈り払った。そのあと、気になって集落を巡ったら、廃屋と公衆トイレ跡の間にアレチウリが葉を広げていた。地元の人間が草刈りをしているから、まだその程度ですんでいるのかもしれない。

 そして今、2026年――。隠居からマチへ下りたあと、夏井川の堤防を利用して帰宅した。

実は朝も堤防を通った。堤防は今のところ、休日以外は通行止めだ。自転車通行のための路面標示と防草シートの張り付け工事が行われている。その進行状況を確かめたかったのだ。

一部では工事が済んでいた。通行止めの区間に限っていえば、アレチウリには気づかなかった。

ちゃんと見れば、間違いなくある。すぐ消えるような、そんなやわな植物ではないのだ。それをあらためて思った。

2026年9月12日土曜日

『種をまく人』

                                              
  いわき駅前の再開発ビル「ラトブ」に総合図書館が入居している。先日、本を返しに行ったら、「子どものフロア」にリサイクル図書のコーナーが設けられていた。

 リサイクルに回された児童図書が何十冊(いや、それ以上だろうか)も箱に入って並んでいた。

 本の背表紙をながめているうちに、『種をまく人』の文字が目に留まった。手に取って表紙の絵を見ると、既視感がある=写真。

 ところはアメリカ・オハイオ州のクリーヴランド。貧民街の一角にごみ溜めがある。その空きスペースにベトナム難民の女の子・キムが豆の種をまく。それが物語の始まりだ。

 表紙のイラストだけではなく、最初のキムの話にも記憶があった。間違いなく前に読んでいる。

リサイクルに回ったのであれば、ぜひ手元に置きたい。「これっ」。カミサンに見せると、カミサンが用紙に書き込んで受付に本を持って行った。

 廃棄する代わりに市民に提供された図書館のリサイクル図書を何冊か持っている。

 1つは伊藤始・杉田秀子・望月武人著『五日市憲法草案をつくった男・千葉卓三郎』(くもん出版、2014年)で、著者はいずれも教員経験者だ。児童向けの本で、漢字にはすべてルビが振ってある。

昭和43(1968)年、色川大吉東京経済大学教授とゼミの学生らによって、東京都のほぼ西端、あきる野市五日市の旧家の土蔵から「五日市憲法草案」が発見された。その経緯と草案起草者千葉卓三郎(1852~82年)の足跡を記した本である。

もう1つ。絵本の「やめて!」は表紙で男の子が叫んでいる。絵本には爆撃機・戦車・兵士・犬を引き連れた警官・不良少年が登場する。空爆・市街での発砲・弾圧・いじめに「やめて!」だった。

『種をまく人』はしっかりしている。ハードカバーなのだが、とても薄い。約95ページ。普通の本の3分の1くらいしかない。

キムが豆の種をまいたのは、農民だった亡父をしのんでのことだ。アパートの住人のアナはルーマニア出身で、そのキムを見るために望遠鏡を買う。

アナから電話をもらったウェンデルは学校の用務員で、アナの頼みでキムに会う。そして、畑をつくるために土を耕し始める。

グァテマラ移民の子のゴンサーロは、英語を話せない伯父さんの世話をする。伯父さんは国で農業を営んでいた。その伯父さんがウェンデルと一緒に土を耕すようになって生気を取り戻す。

リオーナは空き地で土を掘り返している人たちを見て、花を植えたくなり、市当局に掛け合ってごみを一掃させる。

以下、サム、ヴァージル、セヨン、カーティス、ノーラ、マリセーラ、アミール、フローレンスの話が続く。

アメリカの都市の、貧しい移民が流れ着いた街の一角の、どうしようもないごみ溜めが、少女のささやかな行為をきっかけに、人種・民族・言葉を越えてつながり、美しい菜園に生まれ変わる。土地の再生とコミュニティ創造の物語である。

2026年9月11日金曜日

オモダカとクサネム

                                       
   この夏、住宅地にある水田で珍しい形をした草の葉を見た=写真上1。葉には覚えがあった。オモダカである。前に見たのはいつだったか。何年、いや何十年前?

オモダカは、漢字では「沢瀉」と書く。別名サンカクグサ、ハナグワイ、イモグサなど。家紋の一つに「沢瀉」紋がある。戦国武将たちに好まれたという。このへんのエピソードが頭にあったのかもしれない。

高校生の孫から、夏休みに入ると何度かアッシー君を頼まれた。家はわが家から車で5分ほどのところにある。もとは水田で、戸建て住宅が何棟か建つなかの1棟に息子一家が住む。

家の裏には田んぼが1枚、三方を新興住宅に囲まれて残っている。孫が外出の準備を終えるまで、玄関前の駐車スペースに車を止めて待つ。

盛り土をしたために、宅地は水田よりは1.5メートルほど高い。フェンス越しに直下の稲穂とあぜを見るともなく見ていると……。

前述のオモダカが目に入った。葉がとがった矢尻のような三角形をしている。輪のないベンツのマークに似る。白い花を咲かせたものもある。

それに触発されて、直下の畔の草をながめると、田んぼの黒土の縁でセリが葉を伸ばしていた。

それから少し離れたところにはオジギソウによく似た草も=写真上2。とりあえず写真を撮って、ネットで名前を調べたら、クサネムがあらわれた。

クサネムのネムはネムノキのネムだとか。葉が似ていることからその名が付いたようだ。

7~10月に薄黄色の蝶形花を付ける。黄色いチョウの一種、キタキチョウは、幼虫がネムノキやハギ類、ジャケツイバラなどとともに、このクサネムを食草にするそうだ。

なんとも厄介なのは種子の大きさや形状が籾(もみ)に似ることだとか。稲にまぎれて残っていると、機械による収穫の際に混入してコメの品質を低下させる。

オモダカも、クサネムも水田の雑草だが、クサネムはとりわけ「雑草害」を引き起こす草として嫌われているらしい。

もう一つ、フェンスに絡みついたつる植物にも触れておこう。わが家の庭では、ヤブガラシが次々に芽を出し、つるを伸ばして庭木に絡みつく。それを防ぐために、今も朝、歯を磨きながら「芽むしり」をしている。

このヤブガラシが、駐車場のコンクリートの端から芽を出し、フェンスに絡まって伸びていた。

絡みついても日光を遮る庭木はない。むしろ、フェンスと組み合って、ちょっとしたオブジェになっていた。しかし、1週間後にはこれが根元から切られて姿を消した。

 草に対する感覚は場所にもよるし、人にもよる。風景として見る分にはどれもかわいいものだった。

2026年9月10日木曜日

キュウリがウナギに化けた

                               
   若いころ読んで、確かにそういうところがあるな、と思った。贈与の経済とまではいかなくとも、贈与の文化が普通にあった。

貨幣経済とは別に、人々が暮らしを営むうえで欠かせない無償の物々交換のことである。

東西に長い阿武隈高地の一筋町で生まれた。「生(な)ったから」「もらったから」と、隣近所で野菜を分け合い、融通し合う習慣があった。高度経済成長期の前、昭和30年代前半の記憶である。

食卓にのぼる野菜は、農家でなくても自産自消が一般的だった。むろん、自産だけでは足りない。それを補うように各家の余剰物が隣近所を行き交った。

主食の米は、ふだんは買って食べた。初夏には親類の田植えを、秋には稲刈りを手伝ったから、なにがしかをお礼としてもらうこともあったのではないか。

その意味では、贈与の習慣は家計の一助になっていた。経済的には貧しい時代、コミュニケーションと贈与の文化があったからこそ、人々は貧しさをオブラートに包んで前を向いて暮らしてきた。

 10代の後半になって家を離れ、文学に魅かれて本を乱読した。政治や経済には縁がなかったが、周りに影響されたかして、栗本慎一郎やカール・ポランニーに触れ、経済人類学や贈与の経済があることを知った。それが冒頭の感慨を呼んだ。

 年を取った今、当時のことをよく思い出す。懐かしさというよりは、今こそ必要な価値、習慣ではないか、という思いが強い。

現在のわが家の例でいうと、主婦のお茶飲み友達による贈与のネットワークが思い浮かぶ。

 カミサンが生協(パルシステム)や川内村の卵の「ハブ」になって、毎週、何軒かの分をあずかる。

 そのなかで自家菜園のキュウリやナス、ネギが届く。こちらからも直売所で多めに買った野菜その他を回す。

楢葉町で農家レストランを営む知人は、いわきへ来るたびにちょっとしたおかずを置いていく。

年金生活者にとっては、この贈与の習慣はありがたい。糠床の材料になり、家計の足しになり、晩酌のおかずになる。

 先日はこんなことがあった。卵を取りに来る近所の独り暮らしの女性(90代)に、カミサンがキュウリを2本持って行ったら、ウナギのかば焼きをもらって来た。

 土用丑(うし)の日には生協から鹿児島・大隅半島産のウナギのかば焼きを取り寄せて食べた。

 知人は親類がかば焼きを食べるのを見て、「おいしそうだから」と、生協からウナギのかば焼きを取り寄せた。

 ただし、本人はウナギを食べない。冷凍庫に入れたままだった。で、「海老(えび)で鯛(たい)を釣る」ではないが、キュウリ2本が立派なかば焼きに化けた。

 わが家では身の半分にも満たなかったが、知人からもらったのは1匹の姿がよくわかる大きさだ=写真。晩酌のおかずとして、ありがたくいただいた。むろん、主婦のネットワークと贈与の習慣にも感謝しながら。

2026年9月9日水曜日

アンダーパス

                     
 9月7日。いわき地方にレベル4土砂災害危険警報と同大雨危険警報が発表された。未明から強い雨に見舞われた。

 月曜日である。燃えるごみを出す日である。朝一番でごみネットとごみ袋を出さないといけない。

 ごみ袋の中身は剪定枝6袋。別の日に出してもいいのだが、ごみネットは出さないわけにはいかない。

 前夜に続いて、午前3時過ぎに起きてからも思案し、結局、明るくなりかけた5時過ぎには、右手に傘、左手にごみネットを抱えて、横殴りの雨にズボンを濡らしながら、そばの電柱にネットのひもをくくりつけた。

1時間後に見ると、ネットが風に翻弄されている。ごみ袋を出す人はまだいない。「重し」を兼ねてごみ袋をネットの端に載せることにした。

再び右手に傘、左手にごみ袋2袋を持って、これを3回繰り返した。ズボンは前より激しく濡れた。

 その後は時々、集積所と歩道の様子をチェックした。7時過ぎには早くも歩道が冠水し、さらに水かさが増しそうな勢いだった。

 8時前にチェックし、朝ドラが終わったあとにまた見ると、歩道の冠水は減り始め、側溝のふたが水をかぶる程度になった=写真。

防災ラジオはしかし、北の大久川流域の避難情報を伝え、8時45分にはいわき市全域に避難指示が出たことを知らせる。

8時前後がピークだったようだ。9時過ぎにはカミサンが向かいの郵便局へ行ったが、窓口が臨時休業になっていた。隣のコインランドリーもそうだった。

 小・中学校は早々と7日の臨時休校を決めていた。私自身、7日早朝に接骨院へ行くのを中止した。ほかの人もそうだった。家でじっとしている人が多かったのだろう。

 10時過ぎにはレベル4からレベル3に切り替わり、正午前には市内の避難指示も解除された。この時点でやっと線状降水帯の不安から解放された。

 その後に鹿島町のエブリアそばのアンダーパスで車が冠水し、60代の女性が亡くなったことを知る。

 鹿島でなぜ? そこからいわき市内のアンダーパスが気になり、いったい市内にはいくつあるのか、チェックしてみた。

 すぐ思い浮かぶのは平の赤井ガード、祢宜町ガード、大工町ガード、住まい近くの鑓水(やりみず)ガード、内郷の八反田アンダー、泉の玉露アンダーボックス、そして昔よく利用した錦の大島アンダーボックスだ。

公開されている県の冠水危険個所一覧によると、市内には全部で21カ所ある。鹿島は米田(こもだ)アンダーボックスで、エブリアへ行ったとき、1~2回利用した記憶がある。ニュース映像では、脇の駐車場から雨水が滝のように流れ落ちていた。

雨がほぼやんだ午後1時過ぎにはラトブの総合図書館へ出かけた。いつものように地下2階に車を止めようとしたら、シャッターが下りて、「地下2階は封鎖中」の看板が立っていた。商業フロアも臨時休館をした。

豪雨、道路の冠水、アンダーパスの事故……。これらはいつでも、どこでも起こりうる、という覚悟が必要になった。

2026年9月8日火曜日

体育祭は終盤、小雨に

                 
   9月6日午前9時。神谷地区市民体育祭が曇天下で始まった。プログラムもあと少しで終了というところで、西方の山並が雨のカーテンに隠れた。すると、会場の校庭にも弱い雨が降り出した。

同日午前6時。公民館の園庭から2発、花火が打ち上げられた。時を同じくして、隣の草野地区からも花火が上がった。

神谷と草野が同時に体育祭を実施するのは珍しい。というか、よその地区はすでに体育祭をやめている。よく続いているというべきだろう。

 神谷地区には8つの行政区がある。団体競技は8地区対抗戦で、去年(2025年)はわが区が優勝した。

開会式には優勝杯返還がある。前日の会場設営時点で防災倉庫から優勝杯を持ち出し、当日に備えた。忘れるとえらいことになる。

大会が近づくと、前日の準備、そして当日の役割分担を含めて、事前に詰めておくことがいろいろ出てくる。今年はこれに優勝杯返還が加わった。

花火が上がったあとの午前7時半、会場の平六小へ出向き、テーブルといすの設営、テント張りなどをすませた=写真上1。

ここまでは曇天で涼しいくらいだった。「雨も午後だね」。体育祭は終了後の大抽選会を含めて、正午前には終わる。雨には見舞われないだろうと踏んでいたのだが……。

終盤になって空模様がおかしくなった。風が吹いて小糠のような雨が降り出し、記録係としてテントの下で団体競技の順位をつけていたテーブルも、雨粒で濡れ始めた。

消防団のポンプ車が子どもたちを乗せてトラックを回る「さあ出動!」は急きょ中止になり、残るプログラムを繰り上げて実施した。

団体競技は3つ。安全運転と玉入れ、綱引きで、わが区は残念ながら3位に終わった。

閉会式は校庭から体育館に場所を移して行われ、引き続き参加者が楽しみにしている大抽選会が開かれた。

校庭と違って、体育館では同じ参加者数なのに、ぎゅうぎゅう詰めの印象だ。かえって、それだけに和気あいあいの景品引き換えになった。

最初、反省会の予定はなかったが、選手たちの意向で開くことになり、前日、急いで会場の手配をした。私ら区の役員は後片付けなどがあるので、選手たちだけで楽しんでもらった。

それから一夜明けた月曜日は、未明から強い雨になった。秋雨前線が北上する過程で線状降水帯が発生する心配もあった。

午前5時過ぎにはごみネットを、1時間後にはごみ袋を出した。いずれも傘をさしての作業だが、横なぐりの雨でズボンはすぐびしょびしょになった=写真上2。

さいわいわが地区は歩道が冠水した程度ですんだ。が……、鹿島町ではアンダーパスで痛ましい事故が起きた。