2026年10月21日水曜日

M9・9では地球が壊れる?

                                
 平日は正午になると、カミサンがBS日テレの中国時代劇「瓔珞(えいらく)」を見る。地デジのニュースはその前、民放で見ている。NHKのニュースはそれで、「見なくてもいいか」となる。

 宮廷の愛憎劇らしい。私はあんまり興味がないので、本を読みながら、ときどき響く甲高い声になにかあったなと感じるくらいだ。

 10月16日も同じように本を読んでいたら、0時40分ごろに突然、テレビから緊急地震速報のチャイムが鳴った。

 すぐ画面を見ると、日本列島のうち、北海道から中部地方あたりまでの東日本が赤く染まっている。これはただ事ではない!

 強烈な揺れが来る! 身構えていたが、ウンともスンともいわない。テーブルに置いていたドコモのスマホも静かなままだ。おかしい。

 フェイスブックで情報を探ると、「最大震度7」「M(マグニチュード)9・9」「(エネルギーは)東日本大震災の22倍の大きさ、津波は100m、地球規模の破壊が起こる」。信頼できる知人がいち早く情報を伝えていた。

 3・11はマグニチュードが9・0だった。1960年のチリ地震が過去一番の巨大地震で、マグニチュードは9・5。それをしのぐ超巨大地震ではないか。たしかに地球規模の破壊が起きても不思議ではない。

 ところが、速報から8分後。M9・9は誤報だとわかる。実際には0時38分、カムチャツカ半島で地震が起きた。マグニチュードは6・9で、函館では震度1だった。

 事態は一変し、誤報を引き起こした気象庁の緊急地震速報システムがおかしいんじゃないの、となった。翌日の新聞が原因を伝える=写真。

NTTドコモの「沈黙」も、気象庁からのデータを異常と誤判定したシステム不具合が原因だったという。これはこれでまた問題になった。

ほかの電話会社のケータイは鳴った。しかも、取り消しの通知も緊急地震速報と同じ音で鳴ったという。

「せめて取り消しは違う音で」と思うのは、当然だろう。あんないやな音はできれば聞きたくないからだ。

自治体も一瞬、緊張したのではないか。3・11を超える大惨事を覚悟した職員もいたにちがいない。

なにしろM9・0の記憶がまだ生々しく残っている。私は、大津波は経験しなかったが、沿岸部の惨状は見ている。

M9・9ともなれば、それこそ地球の破滅を思わせるような大変動ではないか。人類の終わりが始まるのではないか。そんな思いにもなるというものだ。

温暖化が進行するにつれて、地球の不安定要因が増えている。地球は大地も空も大動乱時代に突入した。そんな不安を突きつけるような大誤報だった。

2026年10月20日火曜日

渓谷の鉄道事故慰霊祭

                                
   夏井川渓谷の小集落・牛小川に隠居がある。週末に牛小川へ通うようになったのは、平成7(1995)年5月末。31年前のことである。

1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、3月20日に地下鉄サリン事件が起きた。そんな騒然とした時代で、地元の駐在所から身元確認の電話がかかってきたりした。

隠居は故義父が建てた。平の街なかにあったのを譲り受け、解体・移築した。その管理人として、土曜日の夕方、職場から直行した。

カミサンは翌朝、磐越東線の一番列車でいわき駅から江田駅までやって来た。毎日曜日、車で江田駅へ迎えに行くのが習いになった。

隠居の前を、磐東線と県道小野四倉線が走る。たまに通過する列車の音で時間がわかる。

朝の二番列車が通れば、「9時過ぎか」。午後の一番列車なら、「1時半過ぎか」。夜は、最終列車が通り過ぎると「9時だな」。

地元の住民と知り合い、祭礼や総ぐるみ運動に参加した。目の前の自然だけでなく、道路、鉄道、水力発電所など、牛小川の歴史も少しずつだがわかるようになった。

それで知った悲劇である。昭和10(1935)年10月27日午後6時ごろ、折からの豪雨で山の岩石・土砂が崩れ落ち、線路が消えたところへ郡山発平(現いわき)行きの列車が突っ込んだ。

機関車や客車など4両が脱線し、県道と下の河原に転落、12人が死亡し、50人が負傷した。

10年前、事故を伝える当時の地域紙を読み、現場を訪ねた経緯をブログに書いた。それを下敷きにして振り返る。

牛小川の集落から川前へおよそ1キロ進んだがけっぷちが現場で、県道沿いに遭難碑と六地蔵が立つ。

碑の直下に夏井川、山側の石垣ののり面の上には磐東線。少し東に寄ったところで線路はロックシェッドに覆われている。

遭難碑は後世に事故を伝え、犠牲者を慰霊するために建てられた。六地蔵は遺族の1人が建てた。

事故の様子を伝える新聞は、いわき市立図書館のホームページにある「地域資料のページ」で読むことができる。

昭和初期、いわき地方には日刊紙(夕刊)が5紙あった。欠落紙を除く4紙が事故を詳報している。犠牲者のなかにはカミサンの親類がいた。

それから91年。小川郷(さと)の会が主催して、10月18日、慰霊祭が行われた=写真。

遺族、JR、小川町の関係者らが参加した。私も地元・牛小川の半住民ということで声がかかった。

カミサンの親類が犠牲になっていること、そして事故が起きた集落に隠居があって、そこに毎週日曜日、通っていること。

これも念頭に慰霊碑と六地蔵を見ると、通りすがりのドライバーではいられなくなった。郷土史の「年表の1行」でもすまされなくなった。

現地の住民の語り伝え、これからも起こりうる突然の災害・事故の教訓として、あらためて鉄道の、地域の安全を祈ったのだった。

2026年10月19日月曜日

ハクチョウが飛来

                                 
   猪苗代湖にハクチョウの第一陣が飛来したのは10月4日。すると、7~10日過ぎたら、いわき市に最初のグループが飛来するはず――。

なぜ7~10日後か――は、これはもう個人的なデータに基づく「経験則」というほかない。

福島県内の主なハクチョウ飛来地は、会津では猪苗代湖、中通りでは福島市の阿武隈川だ。

ここに、秋になって初めてハクチョウが飛来すると県紙が記事にし、ローカルテレビ局がニュースにする。その初飛来日をメモしておく。

さらに、浜通りのいわき市に初めてハクチョウが渡って来た日(正確には、初めて目撃された日)も記録する。

両方のデータを突き合わせると、猪苗代湖・阿武隈川の飛来といわき市への飛来には7~10日の時間差があることがわかる。

で、今年(2026年)は10月4日に、第一陣が猪苗代湖に現れた。これに7~10日を加算して、いわきには10月11~14日に飛来する、という予測を立て、マチへ行けば必ず帰りは夏井川の堤防を通るようにした。

いわき市のハクチョウ飛来地は、北部の夏井川では上流から三島(小川)、平窪(平)、塩~中神谷(平)の3カ所だ。南部の鮫川では昔から沼部が飛来地として知られている。

 今年10月13日、「孫」の父親が赤井(平)の田んぼに現れた第一陣を動画にしてフェイスブックにアップした。

赤井は平窪の飛来地のすぐそばである。猪苗代湖に現れてから9日後、まさに経験則通りの飛来だった。

実は、去年も10月17日に「孫」の父親の情報でいわきへの初飛来を知った。これを機に、平・塩~中神谷の夏井川をながめ、日曜日には小川・三島の同川でハクチョウの有無を確かめ続けた。

今秋、塩の対岸では河川の土砂除去工事が進められている。なにかとざわついていることもあって、水辺にはほとんど鳥がいない。

ハクチョウもそうなのかどうか。いわきに現れた13日以降も、毎日のように堤防からウォッチングしたが、姿はなかった。

18日の日曜日。カミサンの実家へ寄った足で、右岸経由で夏井川渓谷の隠居へ行き、昼過ぎにいつもの県道を下って平地の三島まで来ると、右岸の浅瀬にハクチョウが10羽、羽を休めていた=写真。この秋初めての対面である。

 三島には翼をけがして残留した「エリー」がいたが、「白鳥おばさん」によると、8月29日の夕方までは羽をバタバタやって元気だったのが、翌30日には姿を消した。

エリーの前に、やはり翼を傷めて残留したコハクチョウの「エレン」がいた。エレンは傷が癒えると、仲間と一緒に北へ帰り、秋に再び三島の夏井川へ戻って来た。2023年のことである。

エリーもそうして白鳥おばさんの前に現れるといいのだが(これはもう、期待というよりは願望に近い)。

 そんなことを思い出しながら平に戻り、鎌田(平)から夏井川の堤防に出ると、塩のはるか下流、調練場(中神谷)の中州に4羽が休んでいた。ここも今季初飛来である。

2026年10月17日土曜日

食器洗いはサッと

                                              
   わが家に毎月、「読書推進運動」の冊子が届く。最新号では、「敬老の日読書のすすめ」にちなんで、新潮社の編集者が、作家阿刀田高さんに執筆を依頼して『90歳、男のひとり暮らし』を本にした経緯を書いている。

 年寄りには「キョウヨウ」と「キョウイク」が必要だということを、前にブログで紹介した。「教養」と「教育」ではない。「きょう、用(がある)」「きょう、行く(ところがある)」。

年を取っても社会とつながっている。孤立ではなく、他者との関係を維持している。ボケないためにもそういう日常が大切だ、という意味である。

 阿刀田さんの本にも「キョウヨウ」が出てくるというので、図書館から借りて読んだ=写真。

 キョウヨウは第2話「教養がありますか」に出てきた。「老人にはキョウヨウが大切なんだ」。その意味を友人が教える。「今日、用があるかどうか」

キョウヨウは自分でつくる。夕食の買い物をする。図書館へ行って本を探す。本を見て歩くのも好きだという。さすがは国立図書館の元職員だけのことはある。

 第1話は「九十歳 手料理いたします」。洗濯は洗濯機がある。掃除はおおむねヘルパーに頼む。問題は食べることだという。「下手くそでも自前のほうが好ましい」

 そうやって料理をして、食べたあとに洗いものをする。てんぷらのような油の多いものは避ける。「老齢の身によくないし、後始末もしんどい」から。

 この後始末、つまり食器洗いは、油の多いものを食べないので、お湯でサッと洗ってすます。

 これに、私のなまけ心が反応した。食べるものは、漬物以外はカミサンにまかせっきりだ。

朝は台所の食卓で、昼と夜は茶の間で食べる。茶の間での食事のあとは、私が片付けをして食器を洗う。

ただし、油の付いた食器はカミサンにまかせ、ご飯茶わんなどを水でサッと洗って終わりにする。

この点は阿刀田さんと同じだ。水を流しながら思い浮かべる情景がある。山麓にポツンと一軒あった「バッパの家」での食事と後片付けである。

家の東側には沢から木の樋で水を引いた池があった。そこで鍋釜や食器を洗った。樋からは水を汲んだ。

食事はめいめいが囲炉裏の周りに箱膳を出し、終わるとごはん茶わんにお湯を注ぎ、たくわんがあるときにはたくわんで茶わんの内側をこすってきれいにする。お湯とたくわんは胃袋へ。

食器はそのあと、水を張ったボールに入れて洗った。今の言葉でいえば、フローではなくストック。これが当時の茶わん洗いだった。

なにしろ、水道はない。流しっぱなしにはできない。水を大事に使わないと、自分が苦労する。

子供のころの体験がしみついているのか、食べ物は残さない。残れば食べ方を工夫する。生ごみとして廃棄する量を減らす。そうすれば食器洗いも楽になる――と思っている。

胃袋はエネルギーの生産工場であり、残り物の分解・処理工場である。年寄りは毎日、食器洗いをしながらそんなことを考える。

2026年10月16日金曜日

「クマに注意!」

                                                  
    いよいよここまできたか――。いわき市から「クマに注意!」の広報資料が届いた=写真。

隣組に1枚の回覧ではなく、世帯配布である。10月15日付でほかの回覧資料とともに隣組を通じて各世帯に配った。

 チラシには、①クマの出没ポイント②クマを寄せ付けない環境づくり③クマに出会わないために④クマに出会ってしまったら――などが載っている。

 いわきの平地、それも市街の一角で暮らしていると、「クマより人間が怖い」なんて軽口をたたきたくなるが、一歩郊外に出るとそんなことは言っておれない。

 夏井川渓谷の隠居にいるときはイノシシのほかに、どうしてもクマが気になる。川岸の空き地の草刈りはクマの隠れ場所をなくすという意味合いを持つようになった。隠居の下の庭も、それできれいに刈り払ってもらった。

福島県内では「阿武隈川の東にはクマは生息しない」と長い間言われてきた。しかし、この「定説」が近年、通用しなくなった。

 福島県の中通りと浜通りの間を南北に縦断している阿武隈高地の山里でも、クマあるいはクマらしい動物が目撃されるようになった。

いわき市内で初めて、クマの目撃情報が流れたのは2012年7月31日だった。田村郡に接する川前町上桶売字大平地区でツキノワグマの足跡が確認された。隠居からは、車で20分ほど山に分け入ったあたりである。

隠居に回覧チラシ「クマにご注意」が差し込まれていて、クマの出没場所が近いことを実感した。

以下、近隣の田村市、双葉郡大熊町も含めて、拙ブログに残っているクマ情報を順に並べると次のようになる。

▽2020年6月11日=川前町下桶売字荻地内の吉間田集会所付近でクマが目撃され、直径6~7センチの足跡が確認された。

▽2021年5月19日=田村市船引町永谷の山林でツキノワグマが捕獲された。イノシシ用の罠にかかった。

▽2024年1月22日=三和町中三坂字湯ノ向地内でクマが目撃され、付近の畑でクマのものと思われる足跡が確認された。

▽2025年4月14日=大熊町の国道288号沿いの山林にイノシシ用のくくり罠をしかけたところ、浜通りで初めてクマが捕獲された。

▽2025年7月31日=川前町下桶売地内の県道小野富岡線でツキノワグマが目撃された。

▽2026年5月24日=山田町でクマが現われた。目撃者が撮った画像からツキノワグマと断定された。

▽2026年6月3日=四倉の志津~太夫坂~五丁目地内の3カ所で、続けざまにクマと思われる動物が目撃された。いわき中央署はドライブレコーダーからクマと断定した。

いわき市のクマ目撃マップによれば、これに今年6月8日、小川町柴原地内のクマ情報が加わる。山ののり面にいるのを目撃され、画像からクマと断定された。

昔、いわき駅前にイノシシが現れて大騒ぎになったことがある。ツキノワグマがイノシシの二の舞を演じないよう、祈るばかりである。

2026年10月15日木曜日

磐東線サイクルトレイン

                                           
 日曜日は夏井川渓谷の隠居で過ごす。庭の一角にある菜園で土いじりをしていると、そばの県道をサイクリニストが駆け上がっていく。地理院地図によると、このあたりで標高は200メートルほどだ。

平地の小川では、加路川が夏井川に注ぐ片石田で標高が48・5メートルほど。これが急坂を上って渓谷に入ると、江田駅前あたりで134・7メートル、さらに上流の川前駅付近では281・5メートルになる。

 その後も坂道が続き、市境を過ぎて田村郡小野町に入ると、やっと平坦な盆地が現れる。高原である。小野新町駅付近で標高はすでに428メートルほどになっている。

 阿武隈の山の向こうの小野町と、太平洋に接するこちら側の平地、たとえばいわき駅前とは高低差が420メートルほどある。

 ヤマ(阿武隈高地)に近いタニ(渓谷)の半住民としては、平地から駆け上がってくるサイクリニストには、いつも「ご苦労さん」という気持ちになる。

 そして、そのたびに県道と並行して走る磐越東線を利用した自転車のダウンヒル(下り)があれば爽快なのに、と思う。

渓谷では、アカヤシオが開花する春と、紅葉の燃える秋に列車の徐行運転が行われる。

2013年11月19日付のブログで、カエデの紅葉に触れながら次のようなことを書いた。

――新聞で知ったのだが、11月9日には「サイクルトレイン」が実施された。いわき駅から田村市滝根町の神俣駅を目指して自転車で夏井川渓谷を駆け上がり、神俣駅から列車でいわき駅へ戻る、というきついイベントだ。

かねがねその逆、ヒルクライム(登り)ではなく、ダウンヒルなら団塊の世代も参加できる、そんな列車が運行できないものかと思っていただけに、次はぜひダウンヒルの企画を立ててもらいたいものだ。むろん、競技ではなく楽しみとして――。

そして、こう付け加えた。――アマカメラマンにまじって、風を切って県道を駆け下ってきた若いサイクリニストが、カエデの写真を撮っていた。

ダウンヒルだからこそできる「道草」だ。ヒルクライムでは、紅葉を撮影する余裕などないだろう――。

 そのあとも、別のブログに書いた。――JRが一枚かめばいい。磐越東線で自転車ごと小野新町まで行って、そこから夏井川に沿って下って来る。そう思うだけで爽快な気分になる――。

 これが12月5日にやっと実現する。「磐越東線サイクルトレイン」で、いわき民報で知った=写真。

コースは2つ。中・上級の小野新町駅発と、初級の川前駅発で、ゴールはともにいわき駅だ。

中・上級は小野新町駅を出発して夏井諏訪神社(翁・媼杉がある)~川前駅~夏井川キャンプ場(江田)~曙ブレーキ工業を巡る。

初級は川前駅を出て籠場の滝~夏井川キャンプ場~草野心平生家~ハクチョウ飛来地(三島)を回る。

 この日は土曜日。そして翌6日は予定が入っている。一日早く隠居へ行ってダウンヒルの一行を応援しようか、なんて考えている。

2026年10月14日水曜日

『しいたけと3・11』

                                  
    いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の総合図書館は、月ごとにテーマを決めて展示コーナーに本を飾る。10月は4階が「秋の夜長の極上エッセイ」、5階が「10月15日は『きのこの日』」だ。

 先日、山本美穂編『しいたけと3・11』(新泉社、2026年)を借りた=写真。サブタイトルは「福島原発事故が森林の恵みに与えた影響」である。

福島県内では浜通りと中通りを中心に、野生キノコの摂取と出荷が制限されている。

 事故から15年がたって、一部規制が緩和された。野生のマツタケ、ナメコ、ナラタケ、ムキタケ、クリタケに関しては、県の非破壊検査で基準値(キロ当たり100ベクレル)を超えなければ出荷が可能になった。

シイタケが被った影響については、拙ブログでも取り上げている。2020年1月、東京新聞が「広葉樹の里山で人は 福島・阿武隈」を連載した。感想を述べながら、記事の中身を紹介した。それを要約・再掲する

――原発事故まで福島県の阿武隈山地は、シイタケ栽培用原木生産の日本の一大拠点で、シイタケ生産も盛んだった。

事故から9年、里山で栽培する原木やシイタケは放射能の影響で生産が滞ったままだ。

事故前の年間出荷量は阿武隈の木を中心に約20万本。今は約8分の1に減り、大半は県南西部の南会津町産だ。切り出してそのまま基準値を下回る阿武隈の木はまだ少ない。

歴史の長いシイタケ原木栽培を断ち切るまいと、みずから厳しい自己基準を設けて奮闘している原木供給業者もいる――。

 それから2年近くたって、長編ドキュメンタリー映画「失われた春 シイタケの教え」を見た。そのときのブログも一部、紹介する。

――監督の写真家田嶋雅巳さんは7年の歳月をかけて、放射能汚染と向き合う阿武隈の原木シイタケ栽培農家と、原木を伐採して出荷する林家の日常を追った。この映画の撮影のために阿武隈の山里に近い郡山市に移り住んだという。

阿武隈の里山はクヌギやコナラを中心にした雑木山だ。高度経済成長期の前は、25年前後の周期でこれらの木を伐採し、マキや木炭にした。

切り株にはひこばえが伸びる。山の持ち主はこれを育て、また25年ほどたってマキや木炭にした。木の生命力を生かした循環型の燃料調達システムだった――。

『しいたけと3・11』は、事故後の影響を詳細に伝える。ほかに、金銭換算が容易でない部分で見えない被害が出ていることを指摘する。

たとえば、岩手県。地元産の原木が利用不可能になったが、統計的に明らかにすることができないでいる。原発事故にはこうした見えない被害がかなりある。

この見えない被害は市民のキノコ狩りにも及ぶ。3・11以来、愛菌家はキノコを採って食べる楽しみを奪われた。

損害を数値化できないので、裁判はできないと、知り合いの弁護士に言われた。原発事故で市民は今も「自然享受権」を断たれたままでいる。本を読み終えて、あらためてそのことを思った。