2026年4月20日月曜日

月曜日のカツ刺し

                               
   日曜日の晩は刺し身で一杯と決めている。4月12日はこれを控えた。翌日の朝、病院で定期検査があったからだ。

晩酌も生カツオの刺し身もない。となれば、ご飯と少量のおかずをつついて終わり、である。簡単なものだ。記者時代の早飯食いが癖になっていて、なんとも味気ない。

検査の結果は現状維持ということで、夕方、北の方へカツオの刺し身を買いに行った。

いわきにも鹿児島産の生カツオが入り、ちょっと前から魚屋を巡って、トレイの刺し身、あるいは柵を買って食べるようになった。

月曜日にカツ刺しを買うのは、最近では初めてだ。目指す魚屋は休みだった。日曜日には店を開けているから、翌月曜日が定休日なのだろう。しかたない、別のところから生カツオの刺し身を買って来た。

日曜日に刺し身をつつくようになって、もう何十年にもなる。この日の晩は、カミサンが台所仕事から解放される。それも含めて、いわきらしいといえば、いわきらしい晩酌の楽しみ方ではある。

毎晩、焼酎をなめながらブログの原稿の下書きをつくる。特に日曜日は刺し身があるので、ゆったりした気分になってあれこれ考える。

このごろはどういうわけか、朝にアップする原稿を2~3本は用意できるようになった。

チビリチビリやっているうちに下書きが2本できることがある。これを、朝食をはさんで10時前には原稿に仕上げる。

日中、急に用事が入って原稿をつくれないことがある。ストックがあるから慌てることはない。

早寝早起きになって、未明の4時にはもう目が覚める。それからが長いので、起きたらすぐブログの原稿づくりに精を出す、ということが増えた。それも関係している。

日中の会議や集まりなどを除いて、自分の予定はこの「朝活」であらかたすませることが習いになった。

おっと脱線した。カツ刺しの話である。行きつけの店があったころは、4月でもマイ皿に25切れくらいは盛ってもらった。

それが、売っているのは細長いトレイに10切ればかり、というのがほとんどだ。月曜日に買いに行ったところには、たまたま柵もなかった。

10切れのトレイを買った。まさか月曜日だから、というわけではないだろうが、味がイマイチだった。半分が生臭かった。

その半月前、最近ではめったにないことだが、家で酒盛りをした。若い仲間が地元小名浜の魚屋から刺し身の盛り合わせを買って来た=写真。こちらは「金曜日の刺し身」である。

生のカツオも少し入っていた。小名浜の魚屋のカツオを、ほんとうに久しぶりに食べた。小名浜というだけで舌が喜んだ。

刺し身は魚の鮮度がいのち。味が落ちると、晩酌の量も減る。金曜日は逆に少し飲み過ぎた。金曜日と月曜日では刺し身の鮮度が違うのだろうか。

2026年4月18日土曜日

春の朝のルーティン

                              
   4月に入ると、日によっては朝、ストーブなしでも寒さを感じなくなった。気温が上がれば春の朝のルーティンが始まる。

朝食後、庭で歯を磨きながら、地面に目を凝らす。ヤブガラシがあちこちから赤い芽を出す。

このつる性植物を放置すると、そばの生け垣に絡みつき、葉を茂らせて本体の光合成を阻害する。

今年(2026年)はこのルーティンを5日に始めた。赤芽は毎日10本以上引っこ抜く。それでも次々に現れる。

面白いことに、車を止めるスペースには出てこない。つるを巻きつけるには木が必要だ。駐車スペースにはそれがない。

ヤブガラシは地下茎で増える。それで絶えず樹木の有無を探りながら、地下茎をのばしているのだろうか。

根本的な解決策は地下茎の除去しかないという。しかし、そこまでやるには体力が要る

とりあえずは芽生えを摘み取り、生け垣に絡みついたものはそのつど除去する。見落としていて、花まで咲かせたものはもうあきらめるしかない。

ヤブガラシと同じように、地下茎で増えるものがある。ミョウガだ。ミョウガは、春に現れるのをミョウガタケ、初秋にできる花穂をミョウガの子という。どちらも汁の実や薬味にする。

このミョウガタケを、4月11日に今年(2026年)初めて確認した=写真。ヤブガラシのようにあちこちに現れるというわけではない。

毎年決まったエリアから茎をのばす。日ごとに数を増やし、5日後には7本を確認した。

丈はまだ2センチ、あるいは5センチくらい。最初に見つけたものは8センチほどになった。これが10センチ超になったら根元からカットして、刻んで汁の実にする。

もう一つ、生け垣のマサキの新芽を食害するミノウスバの幼虫もチェックする。そろそろ発生しているかも――。思い立って15日夕方、家の東側の生け垣を見ると、3カ所で葉が食害されていた。

柄の長い鎌で葉をこすると幼虫がバラバラ糸を引いて垂れさがった。まだ4月中旬だというのに、すでに散開している。

私は春の朝のルーティンと、ときどきのミノウスバ除去を合わせて、大江健三郎の小説名を借りて「「芽むしり仔撃ち」と称している。

作品の中身とは関係なく、春がくると「芽」をむしり、「仔」を撃つ(虫を退治する)。これをやらないと落ち着かない。

 毎年春に同じことをやって感じるのは、これらの出現が早まっている、ということだ。なかでもミノウスバの幼虫は、前は4月末から5月初めの大型連休が発生のピークだった。

 ついでながら、春の到来を告げるほかの生物はというと、ツバメの初認は6日だった。平の街のなかで見た。私が遅れただけで、いわきへの飛来はもっと早かったはずだ。

食卓に今年初めてハエが現れたのは4月9日。「うるさい」は漢字で「五月蠅い」と書く。もうこれは「四月蠅い」に替えるしかないか。カも現れた。これも早い。

2026年4月17日金曜日

忘れ物

                                                  
 黒い布バッグがある=写真。図書館に返す本を入れる。銀行へ行くのに通帳とハンコを入れる。書類を入れて会議に出席する。撮影不可のところではカメラをしまっておく。

要するに、モノを持って出かけるときには、決まってこの黒い布バッグを利用する。

このバッグを、同じ場所で、同じ理由で2回忘れた。いわき駅前の再開発ビル「ラトブ」の総合図書館に本を返し、新たに借りて、1階のスーパーで買い物をしたときのことである。

 いつものように私がカートを押し、カミサンが買い物かごに品物を入れる。カートにはフックが付いている。本が入った布バッグを提げながらのカート押しはきついので、これをフックに掛ける。

 会計をすませてカミサン携帯の布バッグに品物を入れたあと、カートを所定の場所に戻すのだが、このとき2回続けて黒い布バッグをフックにかけたままにしてしまった。

スーパーのマルトへは買い物かごと変わらない大きさのマイバッグを持って行く。車に常備している。

ラトブではそこまでの量にはならない。で、いつもカミサンがバッグに入れておく小さな布バッグを広げて品物を移す。

 このバッグに入りきらないときは、私の黒い布バッグも利用する。その場合は黒い布バッグを忘れるようなことはない。

 カミサンの小さなバッグに入り切ったとき、錯覚が起きる。そのバッグを持つと、マイバッグを持ったような気になる。黒い布バッグの存在が頭からスポッと抜ける。

 カートを所定の場所に置く。地下の駐車場に戻って車の運転席に座る。「あれつ!」となる。ここでやっとバッグをカートのフックに置き忘れてきたことに気づく。

 1回目はカートのフックに掛かったままだった。2回目は、カートのフックにはない。レジ係に聞くと、エスカレーターの向かいにサービスカウンターがある、そちらに聞いてくれという。

 マルトにサービスカウンターがあるのは承知している。ラトブの1階にもサービスカウンターがあったのだ。

 急いでカウンターに行くと、奥の方に見慣れた黒い布バッグがあった。だれかがレジに届け、そこからサービスカウンターに移されたのだろう。「本が入っている」「カートに置き忘れた」と告げると、係の女性がにっこりしながら返してくれた。

 忘れるパターンがまったく同じでは、もうフックに掛けるわけにはいかない。何事三度で、フックに掛けて買い物をすればまた忘れてしまう可能性がある。

 このへんのことに注意がゆるくなるのは、やはり老化が関係しているのだろう。そのことを頭に入れておく。といっても、いざその段になると忘れるのが老化というものだ。

しかたがない、今はバッグのひもを握って、カートにバッグを載せるようにして売り場を巡っている。

2026年4月16日木曜日

岸辺のヤナギ

                                
 冬場は里山も河川敷も枯れ草色に覆われている。そうしたなかで、年が明けるころにはハクチョウの飛来がピークを迎える。

 マチからの帰り、夏井川の堤防をゆっくり進みながら、ハクチョウその他の水鳥を観察する。寒いので、車からは出ない。

これを繰り返しているうちに、枯れ草色の河川敷にもうっすらと緑色が加わってくる。それが日を追って濃くなる。淡い緑色の点々が線になり、線がやがて面になる。4月に入ると、緑がはっきりわかるようになった=写真。ネコヤナギだろうか。

岸辺のヤナギといえば、石川啄木の短歌である。「やはらかに柳あをめる/北上(きたかみ)の岸辺目に見ゆ/泣けとごとくに」

ヤナギの緑が目の前にあるので、思い出して泣きたくなるような気持ちにはならない。が、やわらかに緑が色づいた様子は、北上川も、夏井川も変わらないはずである。

ただし、啄木のヤナギは大木がふさわしい。こちらは土砂を除去して裸地になった岸辺の幼木たちだ。

ふだんから夏井川の堤防を利用している。長い散歩にドクターストップがかかるまでは朝晩、堤防を散歩した。マチへ行けば、堤防経由で帰ってくる。

河川敷に重機が入って岸辺の立木を伐採し、土砂を除去するのを何回か見た。そのつどコラムやブログに書いてきた。それを参考にして振り返る。

昭和63(1988)年6月、夏井川が建設省(現・国交省)の「ふるさとの川」モデル河川に指定された。

河川を拡幅し、親水公園づくりを進めるのが主だったように記憶する。サイクリングロードもそのときできた。

私が40代に入る前後で、夏井川は会社の行き帰り、灯籠流しが行われる鎌田の平神橋からチラッと見るだけだった。その後、堤防の散歩を始めた。

いったんは川幅が広がり、大河のような風情を見せた川だったが、年を経るごとに中洲が大きくなる。河川敷には草と木が生える。自然の遷移に休みはない。

 モデル事業から20年余りたったころ(東日本大震災の前だった)、右岸・山崎地内で氾濫を防ぐための土砂除去工事が行われた。

鎌田の中洲も肥大し、草が生えてヤナギが生長したため、それを伐採して土砂が除去された。

20年に一度はこうした土砂除去工事が必要なのだろう。これが「エコな工事」なのだろうと、当時思ったものだ。

それからわずか9年後の2019年秋、「令和元年東日本台風」に襲われる。その被害復旧と国土強じん化のために、また河川敷の立木伐採と土砂除去が行われた。

川の自然は時々刻々、変化する。河川の防災工事はだから、恒久的というよりは応急的なものとみた方がいい。

いずれまた川には土砂が堆積し、裸地には草木が生い茂る。ヤナギはその先行植物だ。

ヤナギの繁殖力はすごい。緑が流れに近い湿地(裸地)を帯状に占領している。5年もたてばかつてない「大ヤナギ林」が出現するに違いない。

2026年4月15日水曜日

老人・吉本隆明

                                             
   詩人にして思想家・評論家、吉本隆明(1924~2012年)は、団塊の世代にとっては「知の巨人」だった。

詩集では「固有時との対話」「転移のための十篇」など。論考では「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」など。20歳前の若者には、難解ながらなんとかくらいついて読み解こうとする重要なテキストだった。

長い髪を切り、背広にネクタイ姿で社会に出るといつしか遠ざかり、時折、メディアに載る文章を読む程度になった。

ついには訃報に接して驚いたが、その前に海でおぼれて死にかけたという新聞記事を読んだ記憶がある。

娘が2人いて、長女は漫画家(ハルノ宵子)、次女は小説家(吉本ばなな)になった。

難解な思想に挑んだときからすでに半世紀以上。なにかの拍子に87歳で亡くなった「知の巨人」の晩年に触れて、ハルノ宵子の『隆明だもの』=写真=を図書館から借りて読んだ。

雲の上の詩人は、娘からみると「ただの老人」でしかなかった。体が衰えていくさまを時系列的に並べると、こんな感じだった。

「父は前年に西伊豆の海で溺れて死にかけ、それをきっかけに眼も脚も急激に悪くなっていった」(注=「前年」とは1996年のこと)

「2000年代前半、父の眼はいよいよ悪くなってきていた。『糖尿性網膜症』だ。(略)糖尿はそもそも毛細血管がボロボロなのだから、はるかに進行が早い」

詩人の「その兆候」も同じころに始まる。「ある深夜、父が書斎の机の前にゴロンと寝転がっていたので、真冬だったし『カゼひくよ、ちゃんと寝た方がいいよ』と声をかけると、『ああ……キミか、オレ今どこにいるのか分からないんだよ』と言う」

それが最初だった。海で溺れたのが72歳。「その兆候」があらわれたのは80歳になったあたりらしい。

老いれば体のあちこちに不具合が生じる。不具合は1人ひとり違う。「知の巨人」が糖尿病からくる不具合に苦しんでいたとは。

病気は病気を呼ぶのか、「足は糖尿病の血行障害で冷えるので、5本指ソックスに部屋履きの2枚重ねで過ごしていた」というあたりになると、だんだんこちらの防寒対策と重なってくるところがある。

老いを、本人は独特の言い回しで表現している。「老人はなにかというと、人間じゃない、『超人間』だと理解するんです。動物と比べると人間は反省する。動物は反射的に動く。人間はそうではない」(『老いの超え方』朝日新聞、2006年)

「超人間」という物言いは、いかにも「知の巨人」らしい。が、どう解釈すべきか迷う。「超人間」と言われても、老いてよれよれになった生身の人間の姿しか思い浮かばない。

ただ一つ、うなずいたのは「修練」についての言葉だ。「本当にいつでも机の前に座っている人は、別に特別な才能やひらめきがなくても、持続的にやっていると衰えないと思います」。老いはだれもがたどる道だが、この修練=持続には元気が出た。

2026年4月14日火曜日

令和7年度ガン・カモ調査

今年(2026年)1月11日現在でいわきにはハクチョウなどの水鳥が何羽いたか――。

令和7年度のガン・カモ調査結果がまとまり、日本野鳥の会いわき支部の会報「かもめ」第170号(4月1日発行)に掲載された。

それによると、支部分担15地域合計で2896羽が観測された。前年よりは544羽増、前々年に比べても574羽増だった。

 一斉調査日には支部から延べ27人が参加した。ちょうど寒波が南下したタイミングだったという。

 寒波襲来の直後には珍しい鳥が見られることがあるらしい。沼部(鮫川)と平・塩(新川合流部の夏井川)では、アメリカコハクチョウ(コハクチョウの亜種)、四倉漁港ではコクガンの若鳥が確認された。

特筆すべきこととして紹介されている事例にうめいた。今回「ついに」コサギが確認できなかったというのだ。

コサギはいわきでも水田や川で普通に見られるサギだ。「近年減少傾向」にあったそうだ。

日曜日、夏井川渓谷の隠居へ行くとき、神谷~中塩~平窪と小川の水田地帯を通る。

サギ類がよく水田を歩いているが、それはくちばしの黄色いダイサギかチュウサギがほとんどだ。くちばしの黒いコサギは、言われてみれば確かに1、2回しか見ていない。

調査の目玉ともいうべきハクチョウはどうか。コハクチョウは平・塩122羽、三島(小川)85羽、鮫川の沼部30羽で、夏井川で一番歴史のある平窪~愛谷堰は13羽だった。

日曜日のたびに三島を通り、マチからの帰りにたびたび塩のハクチョウ=写真=を見てきた人間には、コハクチョウの数字は越冬前半の状況を示したものと映る。このあとかなり渡ってきた印象があるからだ。

オオハクチョウは沼部で30羽、塩で2羽が観測された。鮫川河口のコブハクチョウ3羽は、「留鳥」化したものではないだろうか。

三島では、コハクチョウに寄り添うようにしてよく目立つオナガガモが、今年は観測されなかった。

代わりにというわけではないが、塩には75羽、平窪~愛谷堰には計59羽が飛来していた。

数としては冬鳥のマガモが最多の975羽で、前年の倍を超えた。塩ではなんと628羽も観測された。留鳥のカルガモも664羽と多かった。こちらもマガモ同様、各地に散らばっていた。

平成23年度から15年間のコハクチョウなど4種類の観測数がグラフ化されて載っている。

マガモとカルガモはともかく、コハクチョウと夕筋海岸のクロガモは減少傾向にある。気象変動が人間の生活にもたらす影響は、ガン・カモ類の観測調査からも類推できる。そんな思いで毎年、観測結果を見ている。

※4月12日の追記=三島にハクチョウが1羽残留していた。今年も帰れなかった「エリー」だろう。夏もいるとなれば、なんとか日本の暑さを乗り切ってくれ。そう念じるしかない。


2026年4月13日月曜日

シダレザクラとアミガサタケ

4月12日の日曜日は朝、やぼ用をすませてから夏井川渓谷の隠居へ出かけた。快晴だが「花散らし」の風が吹き荒れていた。

 1週間前はマチのソメイヨシノと渓谷のアカヤシオ(岩ツツジ)が満開だった。アカヤシオは近年になく鮮やかだった。

 次は隠居の庭に2本あるシダレザクラだ。もう満開のはず。満開の花を見ないとシダレザクラに悪いな、というわけで、シダレザクラを目的に渓谷へ車を走らせた。

1週間前はつぼみが赤く膨らみ、5~6輪咲いていたので「開花」を確認した。思った通りに満開だった=写真上1。見事なボリュームに圧倒された。

強風で花びらが空を舞っていた。庭が白とピンクで染まるというほどではない。が、至る所に花びらが落ちている。

花見のあとは畑に生ごみを埋め、ネギの苗床の草をむしって、シダレザクラの樹下を、地面に目を凝らして歩いた。

4月も中旬になると、樹下にはアミガサタケが現れる。春を代表する食菌である。以前は、ここにも、あそこにもといった状態だったが、この2、3年はさっぱり姿を見せない。

出現しても1個か2個だ。今年(2026年)も期待せずに、しかし春のルーティンとして樹下を全部見た。

シダレザクラとアミガサタケが菌根共生をしているとはいえ、いつも樹下で子実体(キノコ)が発生するわけではない。

地下の菌糸網はシダレザクラの枝より先まで拡張したらしい。樹下の外側で発生することが多くなった。

今回も念のために樹下を見たあと、樹下の外側を丹念にチェックした。すると、畑の近くに1個、そこからちょっと離れたところに2個が頭を出していた=写真上2。計3個。これだけでもう舞い上がりそうになった。

それから対岸の森をながめた。アカヤシオはすっかりピークを過ぎたが、木々が芽吹いて早緑色が広がっていた。

これにアカヤシオのピンク、ヤマザクラの薄桃色が混じって、この時期はいつも安野光雅の風景画を思い出す。

畑のはずれでは辛み大根が花茎を伸ばし、花を咲かせていた。このエリアはこぼれ種で芽を出し、ずんぐりむっくりの大根ができるよう、不耕起のままだ。

森を見ても、シダレザクラを見ても、畑を見ても、花、花、花である。自然のサイクルと週1回の人間の休息日が、今年は見事に重なった。

   4月5日に続いて12日も、隠居にいながら花見を楽しんだ(12日はさらに春の恵みも)。