2023年2月9日木曜日

家の戸締まり

        
 上の子が家に来て、顔を見るなりひとこと。「戸締まり、ね!」「ん? おっ、わかった」。いわき市南部で1月中旬と2月上旬、立て続けに殺人事件が起きた。いずれも住家の中で遺体が発見された。

 1月15日、同市山田町の民家で77歳の男性が死んでいるのを同居する女性が発見した。警察は殺人事件と断定した。

 さらに2月3日、同市勿来町窪田の民家で独り暮らしをしていた85歳の女性が死んでいるのを、長男が発見した。警察は強盗殺人事件として捜査を続けている。

 どちらもいわき南署管内だ。今からざっと40年前の昭和56(1981)年10月、平から勿来に転勤し、3年間、同署管内をエリアに取材を続けた。

 毎日、同署に顔を出した。昔がそうだったように、今も凶悪犯罪は少ない、そんな土地柄だと思っていたのだが……。

 事件の起きた山田町は新興住宅が増えつつある近郊農村、勿来町窪田は路線商店を軸にした住宅地だ。新聞に載った地図から、どんなところが現場かは容易に想像がつく。

予断はもちろん控えないといけないが、このローカルな世界も物騒な世の中と無縁ではなくなった。

一昨年(2021年)から全国で50件以上の強盗、窃盗事件に関与したとされるグループの摘発が進んでいる。東京・狛江市では独り暮らしの女性が殺された。

「ルフィ」などと名乗る人物がフィリピンの収容所から実行犯に指示を出して凶行に及んでいた。その4人のうち2人が7日、日本に強制送還された。残る2人も、8日の大統領訪日に続いて、きょう(2月9日)送還された。

メディアは連日、このニュースを報じている。そんななかで起きたいわきの殺人事件と強盗殺人事件だ。

年寄りが狙われていることから、若い人間は「家の戸締まりを」と心配が募るのだろう。夜はむろん、玄関のカギをかける=写真。

わが家は店舗兼住宅だ。店の一角に、カミサンが運営する文庫(地域図書館)がある。ふだんはおばさんたちの茶飲み場だ。フェアトレード商品も展示・販売している。

平成28(2016)年7月のある日、文庫からフェアトレード商品の売上金5万円ほどがなくなっていた。出窓のカギがかかっていなかった。コソ泥は窓を開け、荷物をそっくり地面に置いて、そこから忍び込み、カネだけを盗って逃げた。

犯人はその年の大みそか、いわき市好間町の店舗に侵入して捕まった。20代でコソ泥を始め、シャバと刑務所を行き来しているうちに72歳になったと、あとで刑事から聞いた。

 店のレジは住まい部分にある。すぐ隣が寝室で、そこから明かりがもれていたはずだ。レジには手をつけなかった。人の気配がするところまで忍び込んで来る度胸はなかったのだろう。「鬼平犯科帳」風にいえば、小心な「独りばたらき」だった。

それに比べたら、「ルフィ」一味は鬼平が最も憎む「急ぎばたらき」だ。証拠隠滅のためには殺傷もいとわない。

そういえば、わが生活圏でも4年半前に殺人事件が起きていた。それを思い出した。こちらもまだ解決していない。

2023年2月8日水曜日

昔野菜を継承する

                            
 きのう(2月7日)の続き――。いわき昔野菜保存会は2月4日、映画「SEED~生命の糧~」の上映イベントを開いた。同保存会顧問の江頭宏昌山形大学教授の講演と、会員らによるおはなし会も行われた。

 午前の部のおはなし会では、大久の新妻ゆき子、佐藤三栄さんの2人が「大久じゅうねん保存会」の取り組みについて語った。

 じゅうねんはシソ科のエゴマの方言だ。じゅうねんはいわきをはじめ、阿武隈の山里で広く栽培されている。

 私は15歳まで阿武隈の山里で育ったので、小さいころから「じゅうねんよごし」には親しんできた。畑のじゅうねんを見たことはないが、食卓では普通の食材だった。

 大久では、新妻さんが中心になって栽培している。新妻さんの話で「なるほど、ネギと同じだ」と思ったのは種子の選別法だ。

 5月にじゅうねんの種をまき、10月下旬から収穫する。根元から刈り取って干し、たたいて実を落とす。泥や枯れ草を洗って落とし、乾かして袋詰めにする――。

ネットの「いわき野菜ナビ」にある「洗って」が「水選(すいせん)」を指すことを、新妻さんの言葉で初めて理解した。水に浸してごみなどを取り除き、すぐ引き上げれば、種子の内部まで水はしみ込まない。それを乾かせばいいのだという。

夏井川渓谷の隠居の庭で三春ネギの栽培を始めたばかりのころ、種の選別に苦労した。ネギの師匠(平)から「水選」にすれば、砂は沈み、中身のない種は浮くので簡単に種選りができることを学んだ。

自家採種を続けている栽培者にとっては、じゅうねんであれネギであれ、種の選別は悩ましい問題だったにちがいない。水選は栽培者の試行錯誤が生み出した知恵というべきだろう。

午後の部は、私が司会を担当した。江頭教授の講演のあと、昔野菜を栽培している桜井三千男・真理子さん夫妻、休耕地を借りてチームで市民農園を運営している、イタリアンレストラン「テラッツァ」オーナーの小野田康行さんが登壇した。

小野田さんが代表を務める「明るい農村カンパニー」については、前にブログで紹介した(2022年4月22日付「ツナガル畑」)。

ここでは桜井夫妻に絞って書く。桜井さんは「定年帰農」組だ。東京から平の実家へ戻って間もなく12年。家の田畑を引き継ぎ、米と野菜を自給し、今では「販売農家」の仲間入りをした。

国連は2019~28年を「家族農業の10年」として、さまざまな取り組みをしている――。このことを知っている人は? 会場に問いかけると、江頭教授以外は誰も知らなかった。むろん、私も。

世界の農家戸数の90%は家族経営、「新しい小農」としての農的暮らし・田舎暮らしなどが大事になる、ということだった。

イベント終了後、真理子さんから「いわきの豆類」と題した実物見本をちょうだいした=写真。在来作物の多様性を象徴するような美しさに息をのんだ。

2023年2月7日火曜日

2年がかりの上映イベント

                      
   映画「SEED~生命の糧~」の上映イベントが立春の日の2月4日、いわき駅前のまちポレいわき(地下)で開かれた。いわき昔野菜保存会が主催した。

上映会は去年も企画されたが、コロナ禍のために中止になった。その意味では2年がかりのイベントだ。

午前と午後の2部制で行われた。江頭宏昌山形大学教授が講演し=写真上、映画を見たあと、在来作物(昔野菜)を栽培している保存会員などによる報告(おはなし会)が行われた。種子の交換会も開かれた=写真下。

映画は2016年、アメリカで製作された。監督はタガート・シーゲル、ジョン・ベッツの2人で、環境活動家のバンダナ・シバ(インド)らのほかに、霊長類学者のジェーン・グドール(イギリス)が登場した。

世界では、人々によって大切に受け継がれてきた在来作物の94%の種子が消滅し、種子の多様性が失われつつある。気候変動や多国籍企業の市場独占などが要因だという。映画はそうした中で在来作物の種子を継承することの大切さを訴えていた。

江頭教授は同保存会の顧問で、いわき市が震災直前の平成23(2011)年1月に開いた第1回昔野菜フェスティバル以来、イベントで講師を務めている。

今回は「在来品種継承のための課題」と題して話した。これまで江頭教授が話してきた内容を重ね合わせると、こんなことがいえるようだ。

農作物は在来品種から近代品種に切り替わった。在来品種は、「均一性」では近代品種にかなわない。近代品種は優秀性と均一性を追求してつくられた。効率重視社会の価値観が反映されている。

さらに、在来作物は生産・流通効率が悪い。後継者不足と栽培者の高齢化にも直面している。課題は新しい担い手をどう確保するか、だろう。

江頭教授は研究者として在来作物に的を絞ったきっかけを、2人の先達の言葉から紹介した。

ひとつは、青葉高元山形大学教授が本に書き残した「野菜の在来品種は生きた文化財」という言葉。もう一つはKJ法で知られる川喜多二郎東京工業大学名誉教授の三つの科学(書斎科学・実験科学・野外科学)の統合。在来品種の調査・研究には野外科学が欠かせない。

午後の部の司会を担当したので、2人の学者の名前が出たついでに、第1回昔野菜フェスティバルで聴いた「生産消費者(プロシューマ―)」について尋ねた。

 初回の講演で江頭さんは、未来学者アルビン・トフラーの『第三の波』を紹介しながら、通常の経済とは別の「非金銭経済」の出現について触れた。

「社会の冨」が金銭だけでなく金銭以外のものも含むようになった、「生産消費者(プロシューマー)」が登場してきた――。生産消費者とは、たとえばDIY、ガーデニング、家庭菜園を楽しむ人であり、ボランティアやNPOの活動もそれに含まれる。

あとで自分のブログを読むと、以上のことが書いてあった。今回もそれを再確認する場になった。在来作物の継承にはたぶん、若いプロシューマ―が必要になる。

2023年2月6日月曜日

ネギ踏み

                      
 きのう(2月5日)の日曜日は、昼過ぎに夏井川渓谷の隠居へ着いた。カーラジオは「子ども科学電話相談」から正午のニュースに移り、さらに「のど自慢」へと進んでいた。

 晴れて気温が少し上がった。ラジオはいわきの小名浜と内陸の山田町で9度を超えたことを告げた。車に表示される外気温は、平では9度だったが、渓谷では8度に下がった。

日陰はさすがにひんやりする。が、日なたは光がまぶしいくらいに躍っている。結果的に山田は午後1時、10.6度まで上がった。それがこの日の最高気温だった。

 前の週は急きょ、水道管の凍結・破損による漏水が心配で、生ごみ抜きで隠居へ行った。畑に埋める生ごみは2週間分だ。

 先週は、水道管は凍ったままだった。今週は水道管も水が出るだろう――。それをまず確かめた。台所の方は期待通りに水が出た。破損はしていない。

 洗面所は? あれっ、チョロチョロ水が出ている。洗面台の下にある観音開きの戸を開けると、中に置いたポリバケツに水がいっぱいたまっていた。

 こちらは水道の元栓を閉めないと、必ず凍結・破損する。何度も痛い目に合っている。蛇口に接続する蛇腹状の管がやられる。

それで、冬になると管工事業の同級生の忠告に従って、元栓を閉めるようにしていたのだが、どこかにゆるみがあったらしい。

 いったん元栓を開けて勢いよく水が流れるのを確かめてから、また閉めた。チョロチョロは止まったが、どうも気持ちが晴れない。

 こうなったら、春がきても、夏になっても、洗面所は使用中止でいくしかないか。前は蛇口に「故障」の紙を張った。今度は「使用中止」とでも書くことにしよう。使わないことにするのなら。

 水道を確かめたあとは畑にスコップを入れた。2週間分の生ごみがある、穴も少し大きくしないと――。そう思ったが、これが容易ではない。

 地表から1センチほどは、太陽に温められたためにスコップが入っていく。しかし、それから下がカチンカチンになっていた。それを無理やりスコップで崩し、ようやく深さ15センチほどの穴をつくった。

 スコップがはね返されたのは、この冬では初めてだ。光は春、しかし土は真冬。逆からいうと、真冬の中で春の光は強くなるわけだ(隣の錦展望台にある梅の木が開花を始めた。渓谷にも梅前線が到着した)。

そのあとはネギの苗床で「麦踏み」ならぬ「ネギ踏み」をした=写真(踏まれた感じがわかってもらえればいいのだが)。

ネギ苗にはとっくにもみ殻を敷いた。モグラ道ができて苗床が盛り上がることも、今季はまだない。とにかくネギ苗を踏みつける。

2年前(2020年)の師走。たまたまテレビで下仁田ネギの番組を見た。下仁田では「ネギ踏み」をする。霜柱で根が浮かないようにする防寒対策だった。

以来、わが三春ネギの苗床でもネギ踏みを実践している。その効果があったかどうか、この冬はわりと立派な三春ネギを収穫できた。野菜の、植物のたくましさを再認識したのだった。

2023年2月5日日曜日

池波正太郎生誕100年

                      
   今年(2023年)は関東大震災から100年の節目に当たる。いわきの大正時代を調べていると、「詩人山村暮鳥来平100年」(2012年)、「磐越東線全通100年」(2017年)といった節目の事象に事欠かない。

世界史、あるいは日本史レベルで見ても、「第1次世界大戦勃発100年」(2014年)、「ロシア革命100年」(2017年)、「米騒動100年」(2018年)と、節目の年が続く。関東大震災はなかでも未曽有の大災害だった。

令和5年が明けるとほどなく、「池正」こと作家池波正太郎が生まれて100年の年にあたることを知った。

池正は関東大震災のおよそ7カ月前、1月25日に東京・浅草で生まれた。震災で焼け出されたあと、埼玉県から下谷に移り住む。

公務員生活を経て作家活動に入り、大江戸を舞台にした『鬼平犯科帳』=写真、『剣客商売』、『仕掛人・藤枝梅安』の三大連作シリーズで不動の人気を得た。

40代のとき、この三大連作を読みふけった。なかでも、「鬼平」こと火付盗賊改役長谷川平蔵の述懐には感じ入ったものだ。

「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく」。なんとも矛盾に満ちた、一筋縄ではいかない人間模様が描かれる。

三大連作はテレビでもドラマ化された。鬼平役の中村吉右衛門がつぶやく。いかにも鬼平とはこんな人間だったか、と思わせる表情と口調で。テレビの「鬼平犯科帳」も欠かさずに見た。

江戸の切絵図に興味を持ったのは、この三大連作に刺激されたことも大きい。江戸の名所、季節の食べ物、花、鳥……。いつの間にか、小説のなかで江戸の町を行き来している。

それがまた、江戸時代後期、磐城平藩・山崎村の浄土宗名越(なごえ)派本山、専称寺で修行し、福島の大円寺住職を経て、江戸に移り住み、俳諧宗匠として活躍した出羽国生まれの俳僧一具庵一具(17811853年)の足跡をたどるのに役立った。

 それだけではない、随筆もよく読んだ。『男の作法』のなかでこんなことを語っている。「冬なんかに、ちょっときょうは寒い、風邪を引きそうだなあと思ったときは、入浴をしても背中は洗わないほうがいいよ。(略)そこから風邪が侵入してくるわけ」。今もこれを実践している。

原文を思い出せないのだが、政治もまた泥沼に蓮の花を咲かせるようなものだ――といったことを随筆に書いていた。卓見というべきだろう。

父母、祖父母、親戚、そして地域の住民から愛情を注がれて子どもは育つ。その記憶が子どもの宝になる。ときには孤独を強いられる人生の支えになる。「愛された」という記憶があれば、人は決して最後の一線を踏み外さない。そんな意味のことを池波正太郎は「鬼平犯科帳」や「仕掛人藤枝梅安」で書いていた。

さて、関東大震災から100年でもある。いわきと関東大震災の話を前に何回か書いたことがある。いずれ再構成して大災害を考える素材にしようと思っている。

2023年2月4日土曜日

世代交代

                                
 私が10~20代のころ、外国文学の翻訳者は学者が中心だった。先日紹介した『現代フランス文学13人集』は、4冊13作品を7人が翻訳している。

 中村光夫、清水徹、白井浩司、平岡篤頼、菅野昭正、大久保輝臣、若林真で、中村や清水、白井、菅野などは翻訳だけでなく、新聞や雑誌にもよく寄稿していた。ウィキペディアなどを参考に、簡単に生年と肩書などを紹介する。

 中村(1911年)は文芸評論家、明治大学名誉教授、東大仏文卒。どちらかといえば、翻訳よりは評論で名が通っていた。

清水(1931年)は明治学院大学名誉教授、白井(1917年)は慶応大学名誉教授、平岡(1929年)は早稲田大学名誉教授、菅野(1930年)は東京大学名誉教授、大久保(1928年)は学習院大学教授(在職中に死去)、若林(1929年)は慶応大学名誉教授。いずれもフランス文学者として知られた存在だった。

この7人には入っていないが、篠田浩一郎(1928~2022年)も、清水や平岡、菅野らとは同世代のフランス文学者だ。

篠田訳のポール・ニザン『アデン・アラビア』はわが青春の書だった。「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ」。この書き出しに引かれた。

篠田も東京外国語大学名誉教授と、アカデミズムの世界で生きてきた。去年(2022年)のクリスマスの日、94歳で亡くなった。

訃報に接したあと、思い立っていわき駅前の図書館へ出かけた。フランス文学のコーナーに篠田訳の本があれば借りよう――。そう決めて、書棚の背表紙を眺めたのだが。

ああ、そうか、という思いを強くした。中村訳の「異邦人」(アルベール・カミュ)や清水訳の「エジプト――土地の精霊」(ミシェル・ビュトール)、菅野訳の「トロピスム」(ナタリー・サロート)などに熱中したのは、もう半世紀以上も前のことだ。

翻訳者は全く知らない人間に変わっていた。なかで1冊、背表紙に「中島万紀子訳」とあって、記憶の底の方でプクッと泡がはじけるような感覚になった。レーモン・クノーの小説『サリー・マーラ全集』だった=写真。

カミサンの幼なじみに同姓の女性がいる。前に娘さんが『ローリング・ストーンズ ある伝記』を共訳したと聞いたことがある。

そこから別のエピソードが浮かび上がってきた。翻訳だけでなく、シャンソンも歌う。いわきでなにかの集まりに出たことがある。図星だった。彼女の娘だという。

本の帯から、この小説のキテレツぶりがわかる。「アイルランド生まれの少女サリー・マーラ(クノー?)が書いた、世にも奇妙な全集」で、「性の探求『サリー・マーラの日記』」、「郵便局に立てこもるアイルランドの闘士達を描いた小説『皆いつも女に甘すぎる』」、「謎のヘンテコ性愛散文集『もっと内密なサリー』」の3編から成っている。

この本を借りて読んだが、たぶん原作はダジャレや語呂合わせ、隠語などで満たされているのだろう。それを日本語に置き換える苦労と、下ネタにも耐えるタフな精神を思った。

2023年2月3日金曜日

追加賠償

                      
 福島県から送金通知書が届いた。封を切ると、自動車税の「過誤納金還付(充当)通知書」とあった=写真。

 暮れに車を買い替えた。すでに納めた自動車税のうち、抹消登録後の過納分を返す、というものだった。1万円未満とはいえ、カネが戻ってくるのはいいことだ。

 その前の日、銀行からカネを下ろしてきたカミサンが、笑うしかないといった表情で通帳の残高を見せた。

 年金が振り込まれるまで、まだ半月もあるというのに、預金の残高が退職後、最低を記録した。

 1月は年が明けて最初の月だから、出費が多くなる。それだけではない。ロシアのウクライナ侵略に端を発した世界的な経済変動を受けて、日本はこのところずっと記録的な円安、物価高に見舞われている。それが庶民の生活を直撃した。

 入るカネは決まっているのに、出るカネがふくらんだ。そのうえ、この冬はたびたび灯油を買いに行く。銀行へ生活費を下ろしに行く回数が増えて、残高が急降下した。

 わが家の店と茶の間だけでなく、隣家の義弟の部屋のほかにもう1カ所、暖房を必要とする家がある。

18リットル入りで3缶、4缶、多いときには5缶と、短期間に何度もガソリンスタンドへ通った。新しい車はまだ遠出を控えているので、給油は月1回(前はだいたい20日に1回)ですんでいる。スタンドへは灯油を買いに行くようなものだ。

「どっからかカネを持ってきてよ」と言われても、知恵は浮かばない。定期預金がある。別の銀行にも少しはある。が、それを取り崩すことははばかられる。

そんなことを思いめぐらしているところへ、原発事故の「追加賠償5000億円規模に」というニュースが飛び込んできた。

最初は相双地区の避難者のことだろうと思っていたが、フェイスブックに、知人が10年前、賠償金を使って旅行した話をアップしていた。

さらに、いわき市長がコメントを寄せ、いわき市民も対象になることを知った。そこで初めて、じっくり新聞記事を読んだ。

「県北や県中地方といわき、相馬の両市、新地町の23市町村が対象の自主避難等対象区域の住民(子ども・妊婦を除く)の賠償額は20万円だが、既に12万円の支払いを受けた人は今回、差し引き8万円が支払われる」

カミサンに言って、古い通帳を出してもらう。平成25(2013)年2月20日付で東電から12万円が振り込まれていた。

ブログで触れていないか、チェックしたが、なかった。この時期、体調は最悪だった。冬から梅雨時まで、半年ほどはブログを飛び飛びにしか書けなかった。賠償金に関する文章がないのはそのためだったか。

文科省の原子力損害賠償紛争審査会は、避難者らの集団訴訟判決で指針を上回る賠償命令が相次いだため、暮れに指針を改定した。それに基づく追加賠償だという。

波状的に値上げラッシュが続いている。ガス代も、電気代も上がる。そんな状況下だけに、このニュースにはなんとも複雑な思いでいる。