2026年6月17日水曜日

初キンカン

                              
    家にいて蚊に刺された最初の日を記録している。それをならすと、「初刺され日」は5月20日ごろになる。

 ところが、ここ数年は蚊の出現が早まっている。5月の連休が明けると、そろそろ防虫の準備をしなくては、となる。

 蚊取り線香の有無を確認し、なければ買っておく。刺されたときにすぐ対応できるよう、キンカンも用意しておく。

 今年(2026年)は5月18日に初めてチクッとやられた。すぐキンカンを患部に塗った。「初キンカン」である=写真上1。

蚊取り線香は去年の残りがあった。香りが強い。ふだんは無香の「菊花せんこう」を使っている。それを調達できなかったので別の品を買ったのだった。

煙と一緒に香料が漂ってくると、頭がクラクラする。一種の「香害」である。それが嫌で「菊花せんこう」にしていたのだが……。

蚊取り線香も、チクッとやられた日に初めて使用した=写真上2。香りが茶の間に充満しないよう、玄関の戸を開けたまま、上がり口に置いて蚊を遠ざけた。

6月に入るとぐずついた天気もあって、キンカンも蚊取り線香も使わずにきた。12日に気温が上がると、午後遅くになって蚊が現れた。16日もそうだった。

庭を含めたわが家の蚊の生態を過去のメモから整理したことがある。蚊が現れて人間を指し始めるのは前述のとおり、5月20日前後だ。

ほかには①蚊が姿を消すのはほぼ10月下旬②午後から夕方にかけてはヤブカ、夜はアカイエカに変わる③最近は蚊取り線香をたいてもブンブンやっている――。

蚊が姿を消すのは、このごろは11月に入ってから。つまり、現れるのが早まり、消えるのが遅くなっている。蚊に悩まされる期間が長くなった。

庭にある不要な鉢を逆さにしたり、古タイヤの内側の水を捨てたりして、庭から水たまりをなくさないといけない。草木が密生し、葉が茂りすぎているのも、蚊のすみかになるようだ。

夏場、家の中では24時間、蚊取り線香を絶やせない。そして、困ったことがひとつ増えた。眼鏡である。遠近両用なので、寝床に入るとき以外はかけっぱなしだ。

眼鏡をはずして本を読んでいた一昔前の癖で、額やこめかみ辺りに止まったものをパシッとやる。と、眼鏡のつるをたたいている。

眼鏡にはできれば触りたくない。ゆるんだり、壊れたりする原因になる。我慢すると蚊に刺されっぱなし、ということになる。わざわざはずしてパチッとやっていたのでは遅い。

というわけで、キンカンはパソコンのそばに、蚊取り線香は玄関の上がり口に置いたままだ。そうやってもう1カ月になる。

2026年6月16日火曜日

防犯灯を遮る緑

                                 
    夏井川渓谷の隠居には、県道小野四倉線に沿って敷地の境界に木が植えられてある。

故義父が半世紀前、元は畑だった土地を借りて山側の半分を盛り土し、平のマチにあった家を譲り受けて解体・再建した。

道路との境には、塀の代わりにケヤキその他の若木を植えた。クワの木は畑の名残だろう。これらの木々が50年を過ぎて太く高くなった。

拙ブログで確かめると、原発震災から間もなく1年というときに、電線が引っかかるので電力会社が剪定をしてくれた。

道路に沿って電柱が立ち、伸びてきた架空線が隠居のところでいきなり木の茂みに隠れる。

私ら夫婦が通い始めて最初の剪定が行われてから9年後の令和3(2021)年。今度はこちらから電力会社に連絡して、師走に剪定をしてもらった。

 作業は2日がかりで行われた。初日朝の作業開始時間に合わせて出かけ、あいさつをした。そこで現場のリーダーと再確認したのが、切る高さだった。

こちらの希望は「家の軒下あたり」まで。それだと「木が枯れて突然倒れ、そばを通る車にぶつかる心配がある。屋根の上あたりまで残しておいた方がいい」という。

実生で育ったと思われるモミの木が2本ある。「モミは枯れるかもしれない。そのときは根切りをする」ということだった。

 2回目の剪定から5年。ケヤキやカエデ、クワの木はまた電線を隠すまでに枝葉を広げている。

モミの木は案の定、立ち枯れた。それこそいつ倒れるかわからない。電力会社に電話して事情を説明すると、担当社員が確かめに来た。ついでにほかの木の剪定もお願いした。

 それとは別に、旧知の地元の区長から連絡がきた。隠居のそばの電柱に防犯灯がある。隠居の木の枝葉に隠れているので、夜、明かりが道路に届かない。

 「明かりが届くように区で剪定作業をするが、いいか」という。これも「どうぞ、どうぞ」である。

 6月中旬の日曜日、隠居に着く時間に合わせて作業が始まった。やって来たのは3人。3人は先日、隠居の向かいにある私有地で雑木を伐採した。同じ3人で剪定・伐採作業が行われた。

今度も造園業を営む1人がレッカー車を出し、別の1人が木の枝葉を切り、もう1人が木の切断に加わって、あっという間に作業が終了した=写真(上がアフター、下がビフォー)。

自然景観だけでなく人間の住むエリアでも美しい花の景観を楽しんでほしい、同時に、地域の安全のために防犯灯をちゃんとともしたい――。

そんな郷土愛の延長で電柱のすぐそばのモミの木も1本、伐採してくれた。これでお互いの心配がひとつ消えた。

2026年6月15日月曜日

6月の白雲

    土曜日(6月13日)は「梅雨の晴れ間」のような好天になった。未明の3時半前には、福島地方気象台から雷注意報が発表された。

午前10時過ぎには早くも西の湯ノ岳~三大明神山の上に白雲が現れた。雷注意報が出るわけだ。

しかし、雷鳴は響くが、雨を伴うかどうかはわからない。いつものことながら「雷鳴だけで終わってほしい」。勝手な願望が広がる。

朝、神谷公民館、次いで近くの忠魂碑と戊辰戦争の追福碑の清掃作業が行われた。公民館清掃は、毎年この時期に行われる。神谷地区の8人の区長が老体を鞭打って草刈りをし、ごみ袋に詰める(今回は袋詰めが主)。

それが終わると忠魂碑と追福碑を清掃する。忠魂碑は平六小の裏山公園にある。そばには「殉国碑」も建つ。

神谷市郎著『神谷郷土史』によると、忠魂碑は大正9(1920)年10月に建立された。忠魂碑には、アジア・太平洋戦争の犠牲者は含まれない。『神谷郷土史』にある戦争犠牲者138柱は殉国碑を含めての数だろう。

いかにも神谷らしいのはふもとの立鉾鹿島神社の境内にある「為戊辰役各藩戦病歿者追福碑」だ。

神谷村は笠間藩の分領だった。江戸後期、今の平六小に陣屋があった。本藩が新政府軍に加わったため、戊辰戦争では隣の磐城平藩をはじめ奥羽越列藩同盟を相手に、孤立無援の戦いを強いられた。

戊辰戦争の記念碑は2つ。1つは、平六小の校庭にある「奉公碑」だ。『神谷郷土史』によると、大正6(1917)年に建立された。戊辰戦争で幕府軍と戦って斃れた人々の霊をまつる。つまりは自藩の慰霊碑だろう。

もう1つが追福碑で、昭和7(1932)年に建立された。やはり戊辰戦争の犠牲者をまつるが、こちらには「各藩」が入っている。

戊辰戦争の結果、周りは「負け組」になったが、神谷は「勝ち組」に入った。「各藩」が入っているのは、勝ち負けなく弔おうという、一種の政治的判断だったのだろう。

 さて、毎年清掃奉仕をしていると、自分の年齢を考えてしまう。小学校の裏山公園へは何段もの石段を登っていく。年々、たどりつくまでに時間がかかるようになった。

よその区は2年で交代が慣例のようだが、わが区は新しい区でもあるので、なかなか次の人が見つからない。私自身が高齢化の先陣を切っている。その矛盾を考える日でもある。

もう1つ、午後には雷雨が来た。午後1時から夕方5時過ぎまで、いわき地域学會の事務局(故義伯父の家)で仲間と2人、会費納入のための振込用紙をつくり、総会資料などとともに封入作業をした。

3時ごろには雷鳴がとどろき、すぐ北側を雷雨が通過した。すると、暗雲はこちら側にも押し寄せ、南の空が灰色になったと思う間もなく、雷雨がやって来た。

    雷雨はやがて去り、また夏のような青空が戻った。午前・午後と久しぶりにフル回転した。終わって、さあ飲むぞ――と意気込んだのはいいが、すでに体力が尽きていて、すぐ眠くなった 。やはりトシである。 

2026年6月13日土曜日

きょうは何の日

                                
 朝に限らない。その日初めて車のエンジンをかけると、女性の音声で「きょうは○月○日です/○○の日です」と車がささやく。

 耳が遠くなったせいもあって、エンジン音にまぎれてほとんど聞き取れない。6月10日もそうだった。

 あとで新聞を読みながら思い出した。6月10日は「時の記念日」ではないか。私がいわき民報の記者をしていたころは、前日の9日に時計店の広告が載ったり、当日に記事が掲載されたりした。

 今はそんなことはないらしい。10日はどのメディアにも時の記念日を伝えるものはなかった。

ネットで6月10日をチェックすると、あれれ、となった。時の記念日のほかにいろんな記念日が出てきた。

「歩行者天国の日」「商工会の日」「路面電車の日」「ミルクキャラメルの日」でもあるという。

語呂合わせももちろんある。「無糖茶飲料の日」は「6=む」「10=とう」で「無糖」。お茶の伊藤園が制定した。

緑豆(りょくとう)再発見委員会がつくった「緑豆の日」も、「6≒りょく」「10=とう」で「緑豆」だという。

忌日としては文人大町桂月、建築家アントニ・ガウディ、作曲家吉田正など。誕生日では絵本作家モーリス・センダック、プロ野球の日本シリーズで巨人を相手に大逆転劇を演じた西鉄の「鉄腕」稲生和久などがいる。

大町桂月は、いわきでは夏井川渓谷の「籠場の滝」そばに立つ歌碑(「散り果てゝ枯木ばかりと思ひしを日入りて見ゆる谷のもみぢ葉」)で知られる。

ガウディは今も建設中のサグラダ・ファミリア教会(スペイン)が有名だ。10日に主塔の「イエスの塔」が完成し、ローマ教皇が出席して完成記念式典が開かれた。

たまたま「時の記念日」から発して「きょうは何の日」を検索し、ガウディの仕事に触れた日の夕方、サグラダ・ファミリアのニュースに接した。没後100年に合わせた行事だったという。こんな偶然もあるのだ。

さて、私は、腕時計は持っていない。壊れたのをきっかけに、腕にはめるのをやめた。携帯電話(今はスマホ)を見れば、時間がわかる。それがひとつ。

もうひとつはこの30年余、日曜日に夏井川渓谷の隠居で過ごしていることが大きい。

人間の決めた時間ではなく、自然の移り行きに身をまかせたい。そんな思いが強くなった。時間はひとつではないのだ。

自然の世界はそこに生きるものたちが、そこにある環境に合わせて自分の時間を生きている。

動物の時間、植物の時間……。冬に眠る木々もあれば、冬に姿を見せるキノコもある。昼間、動き回るもの、夜間に動き回るもの……。種によって時間は異なる。

家にこもっている分には、茶の間にある電波時計=写真=で事足りる。それに、と思う。現役のころは締め切りに追われたが、今は締め切りを追うくらいに自分の時間がある。

朝活でブログの原稿を仕上げる。会議や行事がなければ、あとは自分の時間だ。腕時計から解放された分、気持ちがおおらかになったような感じがする。

2026年6月12日金曜日

糠仕事

                                 
 朝は起きるとすぐ糠床をかき回す。次に、パックに入れて冷蔵庫で保管していた糠漬けを取り出し、包丁を入れて器に盛る=写真。

 冬(師走~4月)は白菜漬け、それ以外は糠漬けと決めている。どちらも私がつくる。

去年(2025年)の夏、虫がわいて糠床をダメにした。それで、5月の大型連休明けに新しい糠床をつくった。

糠はカミサンの実家から調達する。実家は元米屋だが、精米は続けている。糠床をつくって半月後、また糠を調達した。

甕(かめ)を糠床に利用している。甕の大きさからして、最初の糠だけでは厚みが足りない。カブやキュウリ、ニンジンを一緒に漬けると入り切れなくなる。それで、量を倍増した。

毎年そうだが、最初はカブを漬ける。小さいので漬かりが早い。4つに割って一昼夜漬けておくとしんなりする。まあまあの味だ。朝の「糠仕事」の復活である。

キュウリはそのあとに漬ける。いわきの歴史や民俗、生業などに詳しかった故佐藤孝徳さん(江名)の言葉がブレーキを掛ける。

「キュウリは、八坂神社の祭りが終わるまで食べない」。つまり、7月。露地栽培では確かに、そのころからキュウリがなって旬を迎える。

ハウス栽培が主流の今は、冬でもキュウリを売っている。で、糠漬けを再開するときには一種の戒めとして、孝徳さんの言葉を思い出す。

といっても、カブの糠漬けを食べ始めると、やはりキュウリの糠漬けが恋しくなる。カブを漬けたら、キュウリも解禁――カブを言い訳にして、早い段階からキュウリを漬ける。

 キュウリはなんといっても鮮度が大事だ。内部に水分がたっぷり含まれているうちに漬けると、切り口も色鮮やかでうまい。水分が飛んでしなびたようなキュウリは、漬けても中身が白くて味が薄い。

 大根は、キュウリとは逆だ。できるだけ水分を飛ばす。冬のたくわんは干した大根を漬け込む。それと同じで、適当な長さに切って4つに割ったのを、台所の窓辺に2日くらい置いて糠床に入れる。すると、しんなりして食べやすくなる。

 問題は甕を置いておく場所だ。台所の一角が定位置だが、年々、気温が高めになっている。

今年は減塩気味なのと、かきまわす回数が少なかったせいか、糠床をつくって2週間もたたないのに、かすかなシンナー臭がする。

これまでにも何度か経験しているので、食塩と唐辛子を加え、かきまぜる回数を増やすことにした。昆布も後日、調達して入れた。

夏場は糠床を北側の階段の下に移す。時には保冷剤をのせる。そうして糠床の熱を抑える。

 糠仕事は日々、野菜と乳酸菌に思いを寄せ、包丁の扱い方を学ぶ場でもある。男はつい、キュウリでも大根でも厚めに切ってしまう。とにかく薄く切る。これも修業のひとつと言い聞かせる。

2026年6月11日木曜日

イノシシの破壊力

                               
   ぐずついた天気が続く。関東・甲信地方は梅雨に入ったが、東北南部はまだだ。いわきは北関東と同じ気象環境だが、東北南部なのでいわきだけ梅雨入りというわけにはいかないのだろう。

 日曜日(6月7日)は地区の球技大会が開かれた。月曜日は医療センターで定期検査を受けた。それで夏井川渓谷の隠居へ行くのは火曜日にずれ込んだ。

 未明からパラついていた小雨が一服した午前10時ごろ、思い立って出かけた。カミサンも同行した。

 四倉や平(荒田目=あっため)、小川(柴原)でクマが目撃されたばかりだ。渓谷に現われても不思議ではない。そのことをまず思い浮かべる。

私はまだ目撃したことはないが、渓谷で最大の動物といえばイノシシだ。この大物は常時、出没しているというわけではない。

磐越東線の江田駅から隠居のある牛小川までの田んぼや畑には、電気柵やトタン板が張られている。イノシシ対策だ。

隠居の庭にも現れる。地面がほじくり返され、土がむき出しになっているのでわかる。拙ブログから3件を選んで紹介する。

 今から18年前(2008年6月)――。畑のへりのやぶが、トラ刈りされたようにむきだしになっていた。そこだけ土砂降りの雨が土を洗い流し、あるいは重機が表土をはがしたようになっていた。

近所の畑を見ると、山側のジャガイモ畑に今までなかったネットが張られてあった。イノシシが出たばかりということだった。

イノシシの吻(ふん)は非常に強い。6070キロくらいの石は簡単に動かす。その吻でラッセルするのだから、たまったものではない。菜園の野菜は被害がなかったから、目当ては土中のミミズだろう。

9年前(2017年5月)――。隠居の下の庭は放置するとヨシ原になる。夏には2メートルほどに生長したヨシで覆われる。ある日、その一角が畳2枚分くらいほじくり返されていた。

頑丈な吻で土を掘り、石を飛ばしてミミズをあさったようだ。ヨシの地下茎が切断されてむき出しになっていた。

イノシシは、複数の群れが同じ地域を利用しているらしい。寿命は長くて10年というから、代替わりをしながら山里を転々としているのだろう。

7年前(2019年12月)――。隠居の隣、電力会社の社宅跡にそびえるモミの木のそばの土手が、およそ幅3メートル、長さ20メートルにわたってほじくり返されていた。

ここまでやるのはイノシシしかいない。しかも1頭や2頭ではない、群れをなして斜面をラッセルしたのではないか。あらためてイノシシの破壊力のすごさに仰天した。

 今年(2026年)、また集落に現れた。隠居の上下の庭にもラッセル痕ができた=写真。どうせなら下の庭をすべてラッセルしてほしいものだ。そうすれば、クマが隠れる草むらはなくなる。

 イノシシは、ネギには手を出さない。下の庭をきれいにしてくれるだけなら「どうぞ、どうぞ」なのだが。

2026年6月10日水曜日

キジの雄が目前に

                               
   夕方、自宅へ戻るのに平・山崎で県道から夏井川の堤防(右岸側)に出た。六十枚橋まで行って、また反対側の堤防に折れ、夕日に向かって車を進める。

 橋までもうすぐというところで、前方にちょっと大きな鳥がいた。減速して接近すると、キジの雄だった。

 マチからの帰り、やはり夏井川の堤防(左岸側)を利用する。2カ月に1回はキジの雄に遭遇する。

左岸のキジは警戒心が強い。車を見るとすぐ土手の草むらに移動して姿を隠す。シャッターチャンスがあっても、堤防の天端からは遠い。望遠レンズがない。撮ればボケブレになる。

それに比べると、今度の雄は車を見ても動じない。どころか、近づいてくる。車を止める。カミサンがパシャパシャやる=写真。最後は車のそばまで寄って来て、運転席側の草むらに消えた。

僥倖である。前からも、後ろからも車は来ない。キジが姿を消すまで、じっくり動きを観察することができた。

この河川敷にはキジの雄が何羽いるのか。つまりは縄張りが何カ所あるのか、推測したことがある。もう18年も前のことだ。そのブログを抜粋・再掲する。

――朝晩、この堤防(左岸側)を散歩していたころ、初夏に雄のキジがよく鳴いた。1羽や2羽ではきかない。

1羽が鳴くと、必ず少し離れたところで別の1羽が鳴く。それが下流の方まで延々と続く。

肉眼では黒い粒でしかないキジも、双眼鏡で見ると、赤い肉だれと気品のある緑黒色の体がよく分かる。

対岸ばかりでなく、こちら側に来ているときもあるから、川の両岸が同じ雄の縄張りとみてよい。

ある朝6時ごろ、いつものように堤防の上を歩いていると、右岸の3カ所からキジの鳴き声が聞こえた。音源を探ると1羽は畑の真ん中に、ほかの2羽はそれぞれ離れて河川敷の砂地に近い草むらにいる。肉眼でもはっきり見える。

3羽の距離を歩いて測った。AキジとBキジの間は240歩(一歩90センチとして216メートル)、BキジとCキジの間は100歩(同じく90メートル)である。真ん中のBキジの縄張りは、中間で線引きをすると108メートル+45メートル=153メートルになる。

少し余裕をもたせて200メートルごとに縄張りがあるとすると、現にその程度の間隔で「ケーン、ケーン」と鳴いているのだが、雄のキジは1キロメートルに5羽、河口まで4キロメートルとして20羽がそれぞれ縄張りを持っていることになる。

もう少し狭めて150メートルごとにオスがいるとすると、26羽強だ。これはいくらなんでも多いか――

「令和元年東日本台風」のあと、河川敷の立木の伐採と土砂除去が行われた。畑はなくなった。キジも一時姿を消した。それが少しずつ戻りつつある。メスが子どもを連れて歩いているのも目撃した。

おもしろいことに、キジはやはり「非日常」である。キジに出合うと、気持ちがクシャクシャしていてもすぐ晴れる。不思議なものである。鳥には人を癒す力がある。