2026年10月30日金曜日

新しい手帳

                                 
   書店がいつもの年より早めに並べたのか。それとも、たまたま私がその時期に書店へ行くことがなかったからか。

10月初めだった。ラトブのヤマニ書房へ行ったら、新年(2027年)用の手帳がいっぱい平積みされていた。

現職のときは年の終わりに会社から「新聞手帳」(日本新聞協会発行)が支給された。やめてからは毎年、暮れにいろんな手帳の中から1冊を選んで使ってきた。

それがいつのころからか、「手帳は高橋」の「ニューダイアリー1」=写真=に絞って買うようになった。

ほかの手帳と違って、革カバーの角2カ所が金具で補強されている。それで使い込んでもほつれない。今度もそれを選んだ。

スマホを使いこなしている人は、スマホの機能を利用してスケジュールを管理する。手帳要らず、である。

しかし、私は昔から手帳に予定を記入し、それをチェックして一日のスケジュールを組み立てる。

気になる言葉はネットで確かめ、情報も集める、ブログも日曜日以外は毎日、ネットにアップする。デジタルに無縁ではないが、気持ちはずっとアナログだ。

 暮らしの「起点」となるのが胸のポケット、ないしはズボンの後ろのポケットに入る手帳で、例年、11月下旬から12月上旬に購入する。これを今年は10月早々に手に入れた。それで、冒頭のような感慨を抱いた。

手帳がないと「仕事」にならない。会議や講習会、飲み会や家の用事など、手帳の書き込みを見ながら、その日の予定を組みたてる。

いつだったか、同日同時刻のイベントが2つあって、直前になってかち合っていることに気づき、慌てて調整をしたことがある。手帳を見ずに引き受けたのが原因だった。

ダブルブッキングだけではない。手帳に書いても忘れることがある。それもあるので、とにかく毎日、手帳をチェックする。手帳の第一の目的がこれである。

図書館の利用カードなどもカバーの内側の切れ込みに差し込んでおく(キャッシュカードは持っていない)。とにかく便利にできている。

ただし、手帳のほかに月替わりのカレンダーにも予定を書き込む。こちらはカミサンの用事とだぶらないようにするためだ。

カミサンは月に1回、「女子会」(昼食会)に出かける。ほかに、来客などの予定が入る。アッシー君を務めることも多い。しかし、そこまではなかなか気が回らない。しょっちゅう催促されて書き込む。

 外出から戻ると、手帳はこたつの上に置く。去年の手帳も置いてある。1年の流れはそう変わらない。先々の予定を組むときの参考にする。

 今はそこに新年の手帳が加わった。3冊が段になっている。新しい1月の予定が入り始めた。それを新年の手帳に書き込む。

あわただしい年の瀬がきて、新年を迎えると、また新しい手帳と古い手帳の2冊だけになる。

新しい手帳を手に入れると寒い季節になる。いや、もうなった。関東以西では先日、「木枯らし1号」が吹いた。いわきも寒風が吹き荒れた。29日も寒かった。

2026年10月29日木曜日

今年はネギの種がない

                                
   10月10日に近い日曜日は、今年(2026年)は10月11日。10月10日前後の日曜日に三春ネギの種まきをするのだが……。

今年はその種がない。苗床をつくっても意味がない。この秋は、日曜日に夏井川渓谷の隠居へ行っても草むしりをするだけだった。

ネギに関しては「自産自消」を続けている。いわきの平地のネギと違って、三春ネギは秋まきだ。収穫するのも秋・冬、つまりは種まきから1年後である。

秋に発芽したネギ苗を越冬させて、晩春~初夏に定植する。それとは別に、うねで越冬したネギを何本か残し、形成されたネギ坊主を乾燥させて、秋にまく種を採る。

つまり、自産自消のサイクルは採種~保存~播種~定植~収穫と2年がかりだ。

昔はさらに月遅れ盆のころ、溝を斜めに切って植え直す「ヤトイ」をやって曲がりネギにした。今は浅く植えて高く土を寄せる。

長雨で地下水位が上がり、根腐れを起こしたことがある。曲がりネギにするのはそれを防ぐためだが、年を取ったので楽なやり方に切り替えた。

地元の住民も曲がりネギにはしない。まっすぐの三春ネギを栽培している。しかし、いつもこのサイクルとやり方が順調にいくとは限らない。

2020年秋には、冷蔵保存をしていた種が腐敗していたらしく発芽しなかった。乾燥剤を入れなかったのが原因だった。

急きょ、田村市の実家に頼んで、春にネギ苗を調達し、冬に食べながら何本か残して越冬させ、ネギ坊主を回収して種を採った。

その子孫維持に半分しくじって、今年は種取りができなかった。2年前(2024年)の秋、苗床をつくって種をまいたあと、手を抜いて苗の養生に失敗した。

育ちが悪く、2025年春に定植してもすぐ苗がとろけた。結局、この年は三春ネギを食べずに終わった。当然、ネギ坊主はなしだった。

問題は秋の種まきをどうするか、だった。幸い、冷蔵庫に2024年採取の種が小瓶に入って残っていた。

ネギの種は、冷蔵庫に入れておけば2年は持つ。去年は秋にこの種をまいて苗を育てた。

それが今、畳2枚分くらいのネギのうねと、1枚分くらいのネギの苗床として残っている=写真。

今年は去年の失敗にこりてちゃんと追肥をやり、土寄せをした。しっかり育っている。

が、前述のように秋にまく種がない。今、苗床に残っているネギをどうにか越冬させて、来年(2027年)のネギ苗として活用するしかない。

うねの方は引っこ抜いて食べながら、こちらも少し多めに残して、種採りと来年の定植用(もしかして分げつする可能性もある)に充てる。

そうやって、来春にネギ坊主が形成されるのを待つ。ネギ坊主ができれば、また2年サイクルの自産自消が復活する。種を確保するにはそうするしかない。

2026年10月28日水曜日

「老い」の本を読む

                                             
    ここ1~2年、意識して「老い」をテーマにした本を読んでいる。以前は医師や精神科医などが書いた小説やエッセーなどだったが、今は著者自身が老いて考えたこと、感じたことなどをつづったエッセー集がほとんどだ。

 筆頭は今年(2026年)4月29日に102歳で亡くなった作家の佐藤愛子さん。これはもう「あっぱれな老い」というほかない。

『九十歳、何がめでたい』『九十八歳、戦いやまず日は暮れて』などのほか、孫育ての本も手に取った。

前に、父・佐藤紅緑や兄・サトウハチローの生涯を描いた彼女の小説『血脈』を読んだ。

破天荒な生き方で知られるハチローは「長崎の鐘」の作詞者でもある。ほかに、「リンゴの唄」「悲しくてやりきれない」、童謡の「うれしいひなまつり」「ちいさい秋みつけた」などを書いている。

 イメージと現実のギャップが面白くて、『血脈』の中に分け入った。それでわかったのは、「泣き虫の不良」で、「エゴイズムと無邪気な感情が背中合わせになっている人間」(『血脈』あとがき)ということだった。

父親の血を引き、嵐のように実人生を走りぬけた。この矛盾の深さがハチロー作品を魅力のあるものにしているようだ。

先日は作家阿刀田高さんのエッセー集『90歳、男のひとり暮らし』を読んだ。今年10月12日、94歳で亡くなった作家黒井千次さんは、高校時代の2年先輩だという。

黒井さんの訃報からほどない日、阿刀田さんが新聞のインタビューに答えていた。「黒井さんを、七十数年間、敬愛し続けてきました」。追悼記事の最初の行から温かい気持ちになった。

その直後、図書館で大活字本の書架をながめていたら、黒井さんのエッセー集『老いのかたち』が目に入った。これは読まないわけにはいかない。

「自然に老いていけばいいではないか」「健康な老化があるならそれが一番望ましい」……。

子供は「足し算の光が年齢を輝かせている」のに対して、「老人の年齢は下り坂にかかっており、生の終末からの引き算として現れる」。さすがである。

本の中に出てくるアメリカの詩人・批評家、マルコム・カウリー/小笠原豊樹訳の『八十路から眺めれば』=写真=が図書館にあったので、すぐ借りて読んだ。

老いの実感に洋の東西はない。カウリーは「老いを告げる肉体からのメッセージ』を一覧にした。これが具体的でわかりやすい。

そのなかの1つ。「片足で立つことができず、ズボンをはくのに難渋するようになったとき」。これには苦笑した。

「もう日が沈んだあとの車の運転はよそうと決心したとき」。私もあと2年で八十路。つい口から笑みがもれる。

老いについてはことさら卑下するのでもなく、誇張するのでもない。等身大で受け止める。

そんな味わい深い老いの洞察に触れて思うのは、少年のような「好奇心」は老人になっても衰えることがない、いや、持ち続けることはできる――ということだった。

2026年10月27日火曜日

キジが隠居の庭に

                                  
 福島県知事選(いわき市は県議補選も)の投・開票が行われた10月25日・日曜日は、朝7時過ぎに投票をすませて夏井川渓谷の隠居へ直行した。

 天気が思わしくないので、着くとすぐ畑の隅に生ごみを埋めた。ごみバケツを持って、草を踏み分けながら畑に行くと、急に前方からバタバタという羽音がして、大きな鳥が飛び立った。

キジの雄だった。キジは一直線に対岸の森へ向かい、黄葉(紅葉にはまだ早い)が進んだ木々の間に姿を消した。 

ずっと下流、わが生活圏にある夏井川では、ときどき河川敷でキジの雄を見かける。草が茂っているから身を隠しやすい。雌を従えて子孫を増やすにはうってつけの場所である。

そのキジがわが隠居の庭に現れるとは! 下の庭=写真=と、さらにその下にある岸辺の空き地の草が刈り払われた。クマ対策も兼ねる。

隠居の庭の草も刈られたが、伸びるのも早い。それに、ふだんは人がいない。身を隠しながらエサあさりができる場所としては好都合なのだろう。

そこへ急に人間が現れたものだから、キジは驚いた。いや、人間も驚いた。隠居へ通い続けて30年余り。庭で初めてキジに遭遇したのだ。

自然界では予想もつかないことが起きる。人間界も同じで、同じ日々の繰り返しながら「非日常」が待っている。

選挙はその典型だ。神谷地区では小学校のほか、中学校の体育館が投票所になる。地区内にいる8人の行政区長が2カ所の投票所の管理者や立会人を務める。

最寄りの投票所は、以前は管理者が市役所OB、立会人の1人が区長という慣例だった。

ところが、近年はOBの都合がつかないのか、管理者も区長が務めるようになった。それで回ってくる順番が早まった。

私は、今年(2026年)2月の衆院選に投票立会人を務めた。それからすぐなので、担当の区長の激励を兼ねて投票所へ足を運んだ。

順番では、2回の選挙をはさんで3回目に管理者か立会人の役割が回ってくる。が、このサイクルが早まることもある。

今年の総選挙の前は市長選(2025年9月)、その前は参院選(同年7月)だった。参院選では管理者を務めた。わずか1回、それも半年をはさんでまた役割が回ってきた。

さて、選挙権は国民の権利である。投票をすませたあとは日曜日でフリーになる。せいせいして隠居へ行くと、キジが飛び出した。

 それだけではなかった。草むしりを兼ねてネギのうねに土寄せをしていたら、そばの道路から声がかかった。マチに住む知人である。

 さらにそのあと1人、また別の1人からも声がかかった。夏井川流域の会の旧知のメンバーだ。

毎年、区間を定めて夏井川沿いウォーキングを実施している。今回は渓谷の牛小川(小川町)から夏井川に注ぐ支流・鹿ノ又川(川前町)付近まで、県道約5キロを歩くということだった。

午前9時、隠居の隣にある電力の社宅跡地を出発して上流へ向かった。マチに住む知人たちと渓谷でバッタリ、なんてことはそうあるものではない。

2026年10月26日月曜日

コキアの実はとんぶり

                                              
   今春、わが家の庭の一角にカミサンがコキアのポット苗を2本植えた。隣の店の駐車場に並ぶコキアは丈が1メートルもあるが、こちらはラグビーボウルくらいの大きさしかない。

育ちはあまりよくなかったらしい。それでも、秋になって緑色から赤色に変わった=写真。

茨城県の国営ひたち海浜公園は、秋になるとこの草で赤く染まる。毎年、ニュースになる。それで数年前、「コキア」という名を知った。

庭のコキアが赤くなったのに刺激されて、周りを見渡すと、道路向かいの民家の入り口にも、赤く染まったコキアが2本ある。

こちらもわが家と同様、小さい。新築から間もないこともあり、緑地も若いために肥料が十分ではなかったのだろう(と思ったが、あとで聞くと、カミサンが進呈したものだった。小さいはずである)。

コキアは今、流行の園芸種なのだろうか。この時期、車で行くと、ところどころで赤くなっている。

「コキア 赤い」で検索すると、意外なものにたどり着いた。カタカナなのでいかにも新しい外来種のように思えるが、和名は「ホウキギ」、あるいは「ホウキグサ」だ。

ホウキグサなら知っている。「とんぶり」、つまり「畑のキャビア」である。「実」だけをありがたがっていて、畑の、庭のホウキグサの姿には思いが至らなかった。

「キャビア」と「とんぶり」について書いた拙ブログ(2017年正月)がある。それを要約・再掲する。

――2016年夏、同級生とロシアのサハリン(樺太)島、シベリア大陸のウラジオストク・ナホトカを旅した。

そのとき、手のひらにのるくらいの小さなガラス容器に入ったキャビアを土産に買ってきた。高かった。それが正月の食べ物として食卓にのぼった。

トリュフ、フォアグラ、キャビア。世界三大珍味だというので、一度は口にしたいと思っていた。

キャビアと聞くと連想するのが「畑のキャビア」である。54年前、宮沢賢治の世界(小岩井農場など)に触れたくて、新婚旅行先を盛岡市に選んだ。

披露宴に岩手出身の画家松田松雄が出席した。翌日、訪ねた盛岡の画廊に松田がいた。

松田の案内で飲み屋街に繰り出し、フグ刺しをごちそうになった。そのあと、居酒屋「茶の間」に連れていってもらった。「とんぶり」を食べた。「畑のキャビア」である。

「畑のキャビア」はプチッとした食感だけが記憶に残っている。ロシア産のキャビアは? 塩漬けだから多少はしょっぱい。プチプチ感はある。うーん、それだけのような気もする。だから、美味ではなく珍味? 

私には、トリュフよりマメダンゴ(ツチグリ幼菌)、フォアグラより焼き鳥レバー、キャビアより数の子が向いている――。

わが家のコキアも「とんぶり」が採れる? ところが、である。そう簡単にはいかないようだ。

「とんぶり」までの加工が難しいことから、秋田県大館市だけで栽培・生産されているという。それで、色の変化は楽しめたが、食欲は急にしぼんだ。

2026年10月24日土曜日

ミカンの皮

                                          
 先日、知人から九州産のミカンをちょうだいした。小粒ながら甘い。毎日1~2個に抑えて、何日か季節の味を楽しんだ。

 むいた皮は捨てない。一貫張りの小さなお盆に入れて陰干しをした=写真。干した皮は冬の白菜漬けの香りづけにする。

 細かくちぎりながらも、皮と皮が重ならないようにする。重なると湿り気が抜けずにかびることがある。乾けばわきに寄せて、新しい皮を干す。

 わが家では私が漬物担当だ。夏場は糠漬け、冬場は白菜漬け。1年をざっくり分けると、4~11月は糠漬けのカブやキュウリ、しめくくりがハヤトウリ。12~3月は白菜漬けを食卓に出す。

 香りづけにはミカンの皮だけでなく、柿(かき)の皮も利用する。去年(2025年)は色づいて落ちた庭の渋柿を回収して、干し柿をつくった。

 といっても、軒下に吊るすやり方ではない。皮をむいたあと、ざるに並べて2階の南側の窓辺に置いた。「置き干し柿」である。

傷ついたところがざるに接すると、くっついて実が崩れる。そうならないよう、毎朝、様子を見た。

倒れていれば立て、ざるを回転させながら、窓越しの光がまんべんなく当たるようにした。

 師走に入ると、水分が抜けて表面が焦げ茶色になる。ここまでくると出来上がりだ。正月のいい食べ物になる。

むいた皮にはヒヨドリも近寄らない。軒下の台の上に新聞紙を広げて、そこに並べた。こちらは水分が抜けるのも早いので、すぐ白菜漬けに使える。

わが家の道路向かいの奥、故義伯父の家に甘柿がある。これも色づいて落下するようになった。

熟した甘柿は中身がトロトロしている。こちらはタッパーの中で皮と種を取り除き、崩れた実をスプーンでならしてから冷凍する。甘柿シャーベットである。やはり正月の食べ物にする。

先人の知恵を大事にしながら、手を抜けるところは抜く。「置き干し柿」はそれで成功した、と思っている。白菜漬けから派生した思案の結果と言ってもいい。

庭の渋柿は手の届かない高所に少し残っているだけだ。こちらは採るのをあきらめ、きょう、故義伯父の家の甘柿を収穫する。

あとは鷹の爪(唐辛子)である。これは毎年、夏井川渓谷の隠居で栽培した。2株あれば十分だ。

花を咲かせ、実をつけ、赤く熟したのを摘む。それを持ち帰って陰干しをする。つやつやに輝いていた赤が、乾いてしわしわの地味な赤に変わる。

白菜漬けに入れる鷹の爪はそれで確保できる。余れば、刻んで擦りつぶし、「一味」にする。

今はしかし、手抜きをして栽培を休んでいる。「真っ赤なかわいい鷹の爪ちゃん」。栽培していれば軽口も出るが、ここ何年かはスーパーなどから買ってすませている。

そして、白菜漬けに欠かせないのが、香りづけのユズの実。これはいつもお福分けにあずかる。

それを期待するわけにはいかないので、直売所にあれば買う。準備の最後が、このユズである。最初の白菜を漬ければ、まずは師走を迎える安心感に満たされる。

2026年10月23日金曜日

ミョウガの子は終わり

 


 

 朝、雨が降っていなければ、庭に出て歯を磨く。春から夏にかけては、地面に目を凝らしてヤブガラシの芽を摘む。これを繰り返す。秋になった今も続けている。

 ミョウガも春には新芽を出す。こちらは15~20センチになったのを、根元からナイフでカットする。ミョウガタケである。刻んでみそ汁に散らす。

 ミョウガタケは、茎を伸ばして葉を広げるころには硬くなる。そうなると、もう食べられない。ヤブガラシだけをチェックする。

 葉が生い茂った月遅れ盆のころ、ミョウガの根元にミョウガの子が現れてうす黄色い花を咲かせる。

 今年(2026年)はお盆にミョウガの子を摘んだ。出現は平年並みだ。そう思ったが、その後はさっぱりだった。9月は長雨も重なって、庭で歯を磨くことがほとんどなかった。

 空から雨雲が消えるのに合わせて庭に出ると、ミョウガの花が目に付くようになった。まだ蚊が飛び交っている。半そで・素足でミョウガのやぶに踏み込むのはためらわれた。

 花のありかを確かめておき、長そでシャツに靴下をはいた朝、ミョウガの子をねじるようにして摘んだ。

 ミョウガの子もミョウガタケ同様、刻んでみそ汁に散らす。毎日がそれではあきるので、糠漬けと甘梅酢漬けにする。糠漬けは私、甘梅酢漬けはカミサンが担当する。

 そのまま1個を漬けても芯は硬い。縦に2つに切る。大きいのはさらに刻んで、薄い布巾に包んで糠床に入れる。

刻んだのをじかに入れると、朝晩かき回しているうちに、どこにあるのか、わからなくなる。それでガーゼのような布巾で包むようにした。

甘梅酢漬けはまかせきりなので、調味料のあんばいはわからない。こちらはもっぱら「食べる人」である。晩酌のつまみには、糠漬けよりは甘梅酢漬けがよさそうだ。

ある日の晩酌には、ミョウガの入った料理が3つそろった=写真。1つは朝のみそ汁の残り、そして少量の糠漬けと甘梅酢漬け。

おかずの主役にはならないが、脇役としてはみそ汁の具(ナメコとミョウガなど)も、糠漬けも、甘梅酢漬けも、しっかり季節の味を伝えてくれる。

ミョウガは、わが家の隣の故義弟の家の庭、夏井川渓谷の隠居の庭にも群生している。

義弟の家の庭からは、歯を磨きながらでもミョウガの子を摘める。が、いろんな草が生えている隠居の庭は、そう簡単ではない。まずは手前の草むしり。これが済まないことにはチェックができない。

10月半ばの日曜日に隠居へ出かけたとき、私がミョウガの周囲の草むしりをし、カミサンが群生に分け入って黄ばんだミョウガをカットした。ミョウガの子はしかし、期待したほど採れなかった。今年は、ここは不作である。

翌日は朝、家の庭のミョウガの群生に分け入って、花をチェックした。しおれて倒れかかった茎もある。

この10月前半、ここだけでもけっこうな数のミョウガの子を採った。これもしかし、もう終わりである。