生態学系の本を読み続けているせいか、ふと思い出した詩の1行がある。
人間の開発圧力が及んで、動物たちが姿を消していく。そのとき、動物たちには人間にサヨナラをいう気はない――そんな感じの詩行だった。
だれの詩だったか。確かアメリカの詩人だ。ロバート・フロスト? 違う。ゲーリー・スナイダー? それも違う。
フロストでも、スナイダーでもない、だれか。ネットでアメリカの現代詩人を検索して、記憶がよみがえった。ヘイデン・カルース。
そう、カルースの詩集『雪と岩から、混沌から』(書肆山田、1996年)=写真=の中に出てくる1行だった。
詩集としてはけっこうな厚さで、沢崎順之助とD・W・ライトが作品の選択、試訳と分担しながら、共同で作業を進めた。
夏井川渓谷の隠居へ通い始めたころ、新聞か雑誌で知り、山村暮らしをしている詩人に興味がわいて本屋に注文したのではなかったか。
まだ50代前だった。隠居へ行くたびに詩集を開いていたが、そのうち本棚の隅に置きっぱなしになった。
カルースは1921年、アメリカ・コネチカット州に生まれた。ニューハンプシャー州の山村に生活して詩作を続けている、と本の著者略歴にある。ジャズ音楽を中心にした評論も多いという。
それ以外の情報は、残念ながらネットでも得られなかった。翻訳詩集が出たとき、詩人は75歳だった。本人とも連絡を取りながら、日本語訳の詩集がなった。生きていれば104歳になる。
記憶にあった1行は、「随想」という詩の最終行だった。「動物の死を題材にした詩はじつに多い。」で始まる27行の詩で、「この歳月は動物を消滅させる歳月だった。」ともある。
「シカはけたたましいスノーモービルに追い立てられ/ぴょんぴょん跳ねて、最後に生存のそとへ/跳んで消える。タカは荒らされた巣のうえを/二度三度旋回してから星の世界へ飛んでいく。」
「生存のそと」も「星の世界」も動物の死を暗示する。そして、その結語。「動物たちには人間を責める能力があるかどうかは知らない。/しかし人間にサヨナラを言う気がないことは確かだ。」
「サヨナラだけが人生だ」は、作家井伏鱒二の、唐詩選からの「超訳」だが、こちらはある意味で自然と人間の対立を象徴する。
もともと動物たちは人間にサヨナラを言うような存在ではないにしても、カルースが文字にして示すと心が波立つ。
「人新世」がいわれる現代、「生存のそと」へと消えてしまうのは、次は……という思いになる。
40代後半で乱開発の警鐘に触れ、70代後半でさらに事態は深刻の度を増したという思いを深くする。