2026年7月13日月曜日

シュレーゲルアオガエル

                                
   シュレーゲルアオガエルというカエルが日本にいることを知ったのは17年前。夏井川渓谷に住む知人から連絡があった。「モリアオガエルが卵を産んだ」

そこから話が始まる(ただし、親のシュレちゃんを見たことはない。シュレちゃんという前提で書く)。

 モリアオガエルは、繁殖地として国の天然記念物に指定されている川内村の平伏(へぶす)沼が有名だ。草野心平と川内村を結びつけたのも、このモリアオガエルである。

 ふるさと小川の隣村・川内村にあるというモリアオガエルの生息地を一度訪ねてみたい――。

昭和24(1949)年2月1日付の読売新聞福島県版に載った心平のエッセーに反応して、村の長福寺の坊さんが心平に誘いの手紙を書いた。これがきっかけで、やがて天山文庫ができる。

今年(2026年)は天山文庫設立60周年の節目の年で、いわき市立草野心平記念文学館では企画展「草野心平と川内村」が開かれた。

いわき地域学會が『川内村史』の編纂事業を引き受け、私も執筆者の一人として、「幕末の川内の文芸」と「川内と草野心平」を担当した。

それもあって、平伏沼へは何度も足を運んだ。繁殖期には沼にせり出した木々の枝に白い卵塊がいっぱい付いていた。

ある年には沼の水が涸れ、水を張った発泡スチロールの箱を卵塊の下に置いているのを見たことがある。お年寄りが「オタマジャクシ番」をしていた。

平伏沼だけでなく、国道399号沿いの小さな沼地で、樹上にモリアオガエルの白い卵塊が産み付けられているのを何度か見た。

その経験からすると、地べたに近い幼木の卵塊は少し奇異に映った。しかも、そばには小さな水田があるだけだ。

モリアオガエルが地べたに産卵するとは聞いたことがない。卵塊の写真を撮り、ネットで検索すると、シュレーゲルアオガエルという別種のアオガエルがいることがわかった。そのときのブログを要約・再掲する。

――モリアオガエルは木の上にソフトボール大の卵塊を産みつける。こちらの卵塊は平板だ。

シュレーゲルアオガエルは水田や森林に棲むという。つまり、モリアオガエルと同じ森のカエルだ。

アオガエルというくらいだから、両者はよく似る。繁殖期になると水田や湿地の地面・草むらなどに卵塊を産みつける。モリアオガエルが樹上派なのに対して、シュレちゃんは地上派だ。そこが違う――。

今度は知人の家の庭の置物の間に産卵した。下には何もない。そこで知人は卵塊を庭の低木に移し替え、下に水を張ったバケツを置いた。私が見たときには、卵塊は古くなったのか、色がかなり濁っていた=写真。

オタマジャクシが生まれ、バケツの中で泳ぎ出したのはいいが、すぐ消えるという。平伏沼ではイモリが天敵だ。沼地のない渓谷では、捕食者は……?

隣の集落でも「モリアオガエルが卵を……」となった。地上派らしいから、モリ君ではなく、シュレちゃんではないか。私はそう思っている。

2026年7月11日土曜日

キノコの発生地研究

                                               
   今年(2026年)の4月に区切りの会報第30号が発行された。それを機に、いわきキノコ同好会は解散した。

解散を決めた総会から季節がひとつ巡った去年4月、冨田武子会長が亡くなった。突然の訃報だった。

第30号は会長追悼号を兼ねることになり、私は冨田会長との思い出を主に、ブログを選んで寄稿した。

「福島きのこの会」の会長でもある阿武武さん(石川町)は、「いわきキノコ同好会のこと」と題して、同会の30年の歴史を振り返った。それとは別に、訃報に接したあと、冨田会長の業績記録を取りまとめて寄稿した。

阿部さんは令和7(2025)年12月、自身20冊目の出版物である『福島のキノコと裏磐梯の森』をまとめ、県内の図書館に寄贈した。

7月1日付の県紙で知り、いわき総合図書館にあるのを確認して、借りて読んでいる=写真。いわきキノコ同好会の会報に発表した論考などが収録されている。

阿部さんとはいわきのキノコの観察会、総会兼勉強会で何度か顔を合わせた。2018年9月、私が小川町の山中で撮影・採取したアカイカタケについては、直接、電話や手紙をもらった。

 それで、アカイカタケは福島県内にも関東にも記録がない、非常に珍しいキノコであることを知った。

そんなことを思い出していたときに目に留まった、ショッキングなニュースである(7月7日付朝日新聞)。

中国は武漢でのキノコ食中毒事故である。両親と山を訪れた9歳の少年が食菌とよく似た野生のキノコを採った。

「AIアプリが『毒はない』と判定した」ために調理して食べたら、「直後に嘔吐などの症状が現れ、急性肝不全などの合併症を引き起こした。病院の集中治療室に運ばれ、一時危篤状態に陥り、8日間入院した」という。

キノコは変異が多い。食用キノコか、毒キノコかは専門家でも難しい場合がある。その判断をAIにゆだねた? そんなことが可能なのか。

 キノコ同好会では観察会のあと、必ず鑑定会を開いた。参加者の採取したキノコがテーブルの上に置かれる。冨田会長らが1つひとつ見て回る。

同定に合わせて「食不適」「毒」「食毒不明」などと用紙に書き込まれる。種類の同定がつかないものもある。

同好会に入ったのは食欲のためだが、観察会・鑑定会と年末の勉強会を重ねるうちに、キノコの世界の奥深さを知った。

キノコは、色が多彩で形も多様。そのうえ、人知れず発生しては姿を消すものが多い。まだまだ未解明な世界だ。AIで食毒が判定できるのは、いわばほんの一部でしかない。

現場での学習、先輩からの助言、それでも危なっかしいものは食べない、そういう経験を重ねた人間からすると、食毒をいとも簡単にAIにゆだねるのは安易、いや危険すぎる。

 AIアプリを使ったのは、親か子どもかは定かではない。が、AI頼りのキノコ狩りは命にかかわるだけにやるべきではないだろう。阿部さんもこのニュースには危惧を抱いたのではないか。

2026年7月10日金曜日

『老いるショック』

                                             
   5月中旬の新聞切り抜きだからもう2カ月前になる。朝日新聞に作家の五木寛之さんのインタビュー記事が載った。

タイトルは「93歳の死生観」。見出しには「死は日常の延長に/個人のものとして/自然に逝きたい」とあった。

90歳を過ぎて咽頭がんの告知を受けたという。その経験から「死ぬことぐらい、個人のものではないか」「自分で生きて自分で死んでいきたい」と思ったそうだ。それが見出しに反映されている。いかにも五木さんらしい死生観ではある。

それよりなにより、前文に出てくる「多死時代」が目に留まった。「多死」とは団塊の世代を意味する言葉だ。

 団塊の世代は戦後すぐの昭和22(1947)~24年に生まれた、第一次ベビーブーム世代を言う。

きょうだいに例えれば、私は次男だ。長男(長女)267万人、次男(次女)が268万人、三男(三女)が269万人と、この世代は飛び抜けて出生数が多かった。

 日本の高度経済成長期を突っ走ってきた世代も、今や80歳目前だ。生まれてから後期高齢者になるまで、受験戦争、学園紛争、核家族化、バブル経済、大量退職と、さまざまなシーンでインパクトを与え続けてきた。そして今、「多死」の時代を迎えているというわけだ。

「多死」については、拙ブログの6月18日付「地元の葬祭場」でも触れている。その一部を要約・再掲する。

――団塊ジュニア(1971~74年生まれ)が高齢期を迎える2040年ごろがピークで、火葬待ちの長期化、墓の維持の困難といった問題が指摘されている。

多死の始まりはジュニアの親たちだろう。私ら団塊の世代のことである。間もなく80代。自分のための葬祭場利用を考えないといけない年代になった。

葬祭場は身近にあった方がいい。近所の人のためにも、家族のためにも、住み暮らしていた地域で葬儀が営めればそれに越したことはない――。

 団塊のひとりとしては、やはり「多死」という言葉に鈍感ではいられない。なにが多死か、だが。

五木さんの言うように、死は個人のものである。「個死」がほかの世代より多いという意味では、確かに「多死」だが、「個死」であることに変わりはない。

 「多死」に至るまでには「多病」がある。「生老病死」でいうと、「生」のピークを過ぎて「死」を迎える間の「老病」である。

 「老病」意識が強まってきたなかで、おもしろい駄じゃれを見つけた。『老いるショック』

『老いるショック大賞』という本の広告が新聞に載った。図書館のホームページをのぞくと、「予約中」になっていた。

先行する本にフジテレビ系長期連載ドキュメント「老後」を書籍化した『老いるショック』があった。

後期高齢者にはどんな多病と老衰が待っているのか。それを知りたくて、図書館から借りて読んでいる=写真。

テレビ局の若いディレクターによる老いの疑似体験が参考になった。介護・介助用具・心構え……。これから未知のゾーンに入っていく。

2026年7月9日木曜日

医療センターを「卒業」

                  
 高血圧と慢性の不整脈で近所の医院に通っている。何年かにいっぺんはいわき市医療センター(旧磐城共立病院)で検査を受ける。

 いわゆる地域医療連携で、以前は胃潰瘍もあったため、旧磐城共立病院時代から胃カメラを飲み、内視鏡で大腸を検査してきた。

 そもそもは震災翌年の暮れ、原因のよくわからない貧血症状が出たことから、医療連携による定期検査が始まった。

消化器科の検査では大腸のポリープが見つかり、あとで2つほど取った。循環器科では2年前、左心耳閉鎖術を受けた。

心臓由来の血栓はおおかた左心耳で形成される。血栓による脳梗塞を予防するのが目的だった。

切開手術ではない。足の付け根の静脈からカテーテルを入れ、心房中隔を突き通して左心耳に、閉鎖に必要な「器具」を留置するというものだ。カミサンと相談して手術を受けることにして、5日間入院した。

故義弟が隣の福島労災病院に通院していた。私が送り迎えをした。帰りにカミサンがオープンしたばかりの医療センターの一般病棟を撮影した=写真。ここの何階かの病室に泊まるとは、そのとき考えもしなかった。

左心耳閉鎖術は新しい技術だという。担当の若いドクターは、今回の治療に関するデータを学会や医学雑誌などで発表したいという。

左心耳閉鎖術に関するデータの収集・解析を進めることで、治療の有効性や安全性が詳細に検証され、より適切な治療が可能になる。これからこの治療法を必要とする人のためにも、というので了承した。

以来、医療センター通いが続いた。術後2年を前に、先日、エコー検査などで経過を確認した。

その結果、医療センターに通ってもいいし、かかりつけ医院に戻ってもいい、というので、かかりつけ医院に戻ることを決めた。

理由ははっきりしている。外来の診察室が何列も並んでいる。待合室は診察室の前だけでなく、一般の通路側にもある。通路側のいすに座っていると、ひっきりなしに外来患者が行き来する。

こちらも同じ外来には違いないが、患者の多さにだんだん気持ちが沈んでいく。かえって心理的に疲れる。それで、かかりつけ医院に戻ることを決めた。

待合室で診察券などを受け取るために待っていると、看護師さんが来て一言、「ご卒業、おめでとうございます」。

そうか! ひとまず、かかりつけ医院に戻っていいところまで症状が落ち着いてきた、ということなのだろう。霊柩車でわが家へ戻るのとはわけが違う。うれしいひとことではあった。

そして1カ月後、処方された薬がなくなるころにドクターの書状を持って、かかりつけ医院へ行く。

旧知の看護師さんと顔を合わせたので、「医療センターは『卒業』」というと、「あら、よかった!」。声のボルテージが急に上がって喜んでくれた。朝ドラ「風、薫る」のりんと直美の顔が思い浮かんだ。

2026年7月8日水曜日

表で光合成、裏で蒸散

                                 
 日曜日は夏井川渓谷の隠居で過ごす。土いじりに疲れると、隠居に戻って一休みする。

 その間、NHKのラジオを聞くともなく聞いている。「子ども科学電話相談」で、ときどきオヤッとなる。

 6月最後の日曜日もいろんな質問が寄せられた。そのなかに、植物の葉の蒸散に関する質問があった。

答えがわかりやすかった。簡単にいうと、植物は葉の表で光合成をし、裏で水分を蒸散させる。これがひとつ。

もうひとつは葉の熱と蒸散の関係。太陽の光を受けると葉が高熱になる。葉はそのために水分を蒸散させて、「体温」を下げる。なるほど!

80年近く生きてきて、しかも毎日、庭の植物をながめてきて、光合成と蒸散が切っても切れない関係にある、なんてことは知らなかった。

 植物は動物と違って動けない。夏はじっと酷暑に耐えるしかない。人間は暑いと汗をかき、気化熱を利用して体温を調節する。植物もまたそれと同じことをしていたのだ。

ネットで光合成のおさらいをする。植物は日中、光のエネルギーを利用して、水と二酸化炭素から酸素と栄養分(糖やデンプンなど)をつくる。

二酸化炭素は気孔を通じて空気中から取り込み、水分は根から吸収する。蒸散も気孔を通して行う。

 光合成をするのは葉の細胞内にある葉緑体で、このおかげで酸素が大気中に行き渡り、人間をはじめ地球上のすべての生命が維持されている、ということになる。

 ラジオを聞いた翌日、家の庭の植物を観察した。ツワブキは、葉の表と裏がまったく違っていた=写真。表側は厚くテカテカしている。裏側はやや灰色がかっている。

単純化していうと、この植物も主に葉の表で光合成をし、裏で蒸散を行っているのだろう。

夏のある日、キュウリの葉のへりにいっぱい水玉ができていた。ネットで調べたら「葉つゆ」だった。

キュウリは、成分の90%以上が水分でできている。日中は光合成と同時に、地中から盛んに水分を吸い上げて蒸散を行っている。

ところが、気温が低くなる夜間は蒸散が少なくてすむ。吸い上げた水分の余りを、葉の先端などにある「水孔」から排出する。これを「溢液」現象というそうだ。

サトイモの葉の水玉にも理由があった。葉の表面は水をはじく構造になっている。ハスと同じく、サトイモも水玉で葉の表面の汚れを取る。

水玉になれば、気孔から水はしみ込まない。そうすると、体内に取り入れた二酸化炭素などの移動がスムーズになる。サトイモは、気孔は主に葉の裏側にあるそうだ。

ついでながら、ツワブキで水玉はできるのか? 水を垂らすと玉にはならずに流れ落ちた。

 「魚だって人間なんだ」という草野心平の詩がある。「たらふくエサをやればいいといふもんぢゃない。」で始まる7行の短詩で、魚のエサやりの戒めとして、この言葉で締めくくっている。

その延長でいってみる。「植物だって人間なんだ。肥料が欲しいときも、水が恋しいときもある。その声が聞こえるかどうか、だ」と。

2026年7月7日火曜日

ブログの数字が急増

                                  
   拙ブログのホームページには、右わきに「人気のある投稿」が5本並ぶ。最近の記事がほとんどだが、今は違う。

 先日は12年前の「学生プロレス」がトップにきた。現在はトップが2024年10月の「翅が三角形の蛾」で、2番目は2021年5月の「阿武隈にもクマが」、3番目は2018年5月の「奄美の田畑家と西郷どん」だ。

5番目は、7月6日早朝には6年前の「アシナガバチの巣が消えた」だったが、3時間後には2014年6月の「畑のキノコ」に替わり、昼前にはこれが4番目に繰り上がった。

ブログは2008年2月下旬に始めた。以来17年余、病気や旅行のとき以外は、毎日アップしている(最近は、日・祝日は休み)。

 私はアナログ人間でデジタル技術にはうとい。ネットにブログをアップするようになったのも、若い仲間が全部セットしてくれたからだ。なにかトラブルが起きるとすぐ連絡して来てもらう。

ブログの内容は、新聞社時代のコラムとそう変わらない。違うのは、主語が「私」になったことだろう。

ブログのホームページにはほかに、①過去7日間と当日その時点での「アクセス数」(棒グラフ)②「過去30日間」の折れ線グラフとデジタル数字――が表示される。

アクセス数は、去年(2025年)あたりまでは1日当たり2ケタ(多くて100前後だった)、デジタル数字は1万~2万あたりを行ったり来たりしていた。

ところがどういうわけか、今年に入ると徐々に数字が増え始め、6月24日にはデジタル数字が初めて10万を越えた=写真。

この数字は何を意味するのだろう。若い仲間に聞くと、①アクセス数=ブログを見た人の数②デジタル数字=読者が見たブログのページ数――ということらしい。

厳密にはより細かな計算方法があるのだろうが、アナログ人間にはよくわからない。要は、私のブログを何人が訪ね、何本の記事を読んだか、というデータのようだ。

ブログは自分のホームページだけでなく、SNSのフェイスブックとX(旧ツィッター)にもシェアしていた(今はフェイスブックだけ)。

発信力のある人間が何人か拙ブログを取り上げてから、アクセス数とデジタル数字が上昇に転じた記憶がある。

ブログ名を知り、あるいはキーワード検索で初めて訪問した読者が、過去にさかのぼってブログを閲覧した(今も閲覧している)、その数がけっこう多いということなのだろう。

7月4日にはデジタル数字が12万を超えた。翌5日にはダントツに高かった折れ線グラフの山が圏外に去った。

それで一時、11万台に下がったが、今また12万台に戻った。アクセス数も最近は、夕方には100を超え、1日が終わるころには150前後のときもある。

「ちりも積もれば山となる」で、ブログの記事数は6月末で6300本を超えた。ここまでくるともう私自身、キーワード検索で読むしかない。記事の新旧にもこだわらなくなった。

2026年7月6日月曜日

マチでヤマユリ咲く

                     
 ヤマユリの花が咲き出した。といっても、夏井川渓谷ではない。いわきの中心市街地である。

7月最初の日曜日(5日)。いつものように夏井川渓谷の隠居へ出かけて土いじりをした。

マチに用事があったので、10時過ぎには隠居を離れ、平窪で買い物をしたあと、ラトブに車を止めた。

 用事は2つ。1つはサンダルを買うこと。もう一つはカミサンに従って、駅前大通りと本町通りが交差する角のゲストハウス&ラウンジ「FARO」に本を届けること。

 ラトブの前の広い歩道は、国道399号を管理する県が「ほこみち」(歩行者利便増進道路)に指定している。

それでオープンカフェやキッチンカーの乗り入れが可能になり、ワークショップその他のイベントも開かれるようになった。

 NPO法人「R399戸渡(とわだ)やまゆり会」がこれに賛同し、小川町・戸渡産のヤマユリのプランターを2つ展示している。

 計7本あるヤマユリが多くのつぼみを付け、いくつかは大きく白くなって、まもなく開花という状態になっていた。よく見ると、その中の1輪が咲いていた=写真。今年(2026年)の初ヤマユリである。

 ヤマユリは夏を告げる植物だ。私が生まれ育った田村市常葉町では、ちょうど小・中学校が夏休みに入るころ、山道などで咲き出す。

「花札」に追加する図柄を勝手に選ぶとしたら、私は迷うことなく「入道雲にヤマユリの花」を挙げる。大好きな花のひとつだ。

ま、それはともかく、7月に入ると夏井川渓谷でもヤマユリの花が咲き出す。毎年、隠居までの道行きでヤマユリの花を見た日を記録している。

この四半世紀の「定線観測」では、おおむね7月12日前後に開花を確認している。最も早かったのは去年の7月6日で、その前は2018年の7月8日だった。

春のアカヤシオもそうだが、渓谷の「花ごよみ」は年々早まっている。7月第3週には「ヤマユリ街道」になっていることだろう。

戸渡やまゆり会は、戸渡産のヤマユリが旧戸渡分校の児童と皇室をつないだ縁を後世に伝え、ヤマユリの栽培・普及を通して小川地区の国道399号添いの地域振興を図ることを目的にしている。

拙ブログ(2018年5月4日付)から戸渡分校とヤマユリと皇室の関係を振り返る。

 ――昭和34(1959)年晩秋、分校の子どもたちがヤマユリの球根約2000個を集め、皇居の吹上御苑に献納した。

 同36年6月1日、小名浜の放魚祭に皇太子夫妻(現上皇・上皇后両陛下)が臨席した際、平(現いわき)駅で戸渡分校生と対面し、美智子さまがヤマユリのお礼に『新美南吉全集』(3巻)を贈った。

 さらに同年11月、東宮御所にヤマユリの球根300個を献上すると、お礼に皇太子がメタセコイアの苗木5本を贈った――。

「ヤマユリ分校」として知られるようになったゆえんがこれである。それから67年。今度はいわき駅前と戸渡が国道399号とヤマユリを介してつながった。