2026年9月28日月曜日

同級生が仏画展を開催

                                                
    阿武隈の山里で生まれ育った。中学校へは3つの小学校から生徒が集まった。いわゆる団塊の世代で、1学年は5クラスに膨らんだ。

今思うと、町の小学校3クラスに在の小学校各1クラスが加わって、同級生の数が一気に増えたのだ。

集団就職から高校進学が普通になりつつある時代、私は開校して3年目の平高専(現福島高専)に入った。

 それを機に、いわきに根を生やした。同じようにいわきに住む中学校の同級生が何人かいる。

年に1回は田町(平)に繰り出し、ミニ同級会を楽しんだが、震災後は集まりが途絶えた。

近所に住む同級生は中学校で一緒になった。有限会社を営んでいる。建築業、つまりは大工さんである。

彼に頼んで夏井川渓谷にある隠居の台所を改造し、少し外に張り出した縁側を幅1.5メートルほどの濡れ縁に作り替えた。

 職業柄、寺を巡り、仏像を見る機会が多かった。それだけではない。若いころ、自分の生き方に悩んで仏教に傾倒した。

 家をつくっても寿命は50~60年ぐらい。自分の手がけた作品(建物)は結局、この世には残らない。

それに比べたら、仏像は何世紀も生き伸びる。仏像に魅かれて仏画に取り組むようになった。

結婚すると趣味の写仏を封印して仕事に励んだ。時は過ぎ、いつの間にか後期高齢者になった。

2年ほど前、脊椎を傷めて会社を休眠させた。一線から退くと時間が余った。若いときの趣味だった仏画への情熱がよみがえり、写仏を再開した。

先日、彼から封書が届いた。突然の連絡である。最初は廃業のあいさつかと思ったが、違った。

チラシが同封されていた。「松本守雄仏画展――千年の祈り・その色彩」とあった=写真。なんと個展の案内ではないか。

いつ、どこで? これにも驚いた。いわき市暮らしの伝承郷で、10月8日から12日までの5日間開催する。

伝承郷のスタッフには顔なじみが多い。カミサンが同施設の事業懇談会の委員をしている。

アッシー君を務めるついでに企画展をのぞいたり、園内の古民家を巡ったりする。それで学芸員氏とも知り合いになった。

チラシを見たあと、すぐ同級生に電話を入れた。すると翌朝、軸装された仏画その他を持って来て、個展を開くまでの経緯と仏画の手法を説明してくれた。

写仏は写経と同じで、印刷された仏様の上に紙ないし絵絹を重ね、筆でなぞって彩色する(同級生は絵絹を使う)。

展示する作品は①仏画22幅②色紙24点③四国八十八カ所御朱印掛軸のほか、愛蔵する郷土作家3人(大平華泉・若松光一郎・坂本勇)の作品で、仏画などにはフロアから自作の照明器具で光を当てるという。

写仏を始めたきっかけは前述の通りだが、仕事と写仏を介して軸装を頼んだ画材店や寺、遠野和紙芸術文化研究会などとつながり、協力を得た。

 いわば、人生第二のステージである。写仏を通して心を落ち着かせるいい時間の過ごし方を手に入れたものだ。ぜひご高覧を。

2026年9月26日土曜日

自然は強くて脆い

                                             
    この1カ月余、星野道夫の本を読んでいる。図書館から最初に借りたのは大活字本『旅をする木』だった=写真。

返却日の1日前、2週間の貸し出し延長を申し込んだら「予約が入っている」と言われた。

故東野圭吾や夏川草介同様、星野も写真家ながら作家として高く評価されているのだろう。

星野の本を読み始めるとすぐ、ネパールで氷河と岩壁が崩落し、巨大な土石流が発生して多くの犠牲者が出た。きょう(9月26日)で事故から丸1カ月になる。

地球は、自然はどうなっていくのか? それを考えるために星野の本を読んでみようという人が増えているのかもしれない。

『旅をする木』にこんなくだりがある。「カリブーの仔どもが寒風の吹きすさぶ雪原に生み落とされるのも、一羽のベニヒワがマイナス五〇度の寒気の中でさえずるのも、そこに生命のもつ強さを感じます」

文章はさらに続く。「けれども、自然はいつも強さの裏に脆(もろ)さを秘めています。そしてぼくが魅かれるのは、自然や生命のもつその脆さの方です」

自然の持つ「脆さ」とは? 傷つきやすい生態系とか温暖化による変化だけではない。もっと直截的なものに違いない。

自然という現場に潜む危険、つまりは死を孕んだ世界に全身・全神経で立ち向かう、そんな極限状況のことではないのか。

アラスカやネパールと比較すること自体無理があるが、私が毎週日曜日、身を置く夏井川渓谷でも、ときどき自然の脆さを感じる。崖の落石だけではない。

隠居の庭の菜園にカブの種をまいたら芽を出した。やがて若葉が広がると思う間もなく、虫に食いつくされた。

一度種をまいて育てた辛み大根は、翌年からは「ふっつぇ」(こぼれ種)が芽を出し、冬にはずんぐりと肥大した根になる。しかし、耕すとかえって根は細く伸びるだけで肥大しない。

庭のモミの木の根元に生えるアカモミタケは、枝と幹が強剪定で立ち枯れると発生が止まった。自然と自然は危ういバランスでつながり、保たれているのだ。

星野はアラスカの先住民たちと暮らすうちに、自然と人間の関係についても考察を深める。

 未踏の大自然だと思われた原野は「太古の昔から、足跡を残さぬ人々の物語に満ちている」。なるほど。そう考えると納得がいく。

星野の文章のエキスを集約したエッセー集に『約束の川』(平凡社、2021年)がある。このエピソードはその中に出てくる。

 極北の人々は「生きのびてゆくために、いつも動物たちを見つめて暮らしてきた。どの動物を狩ってきたかによって、人間も違ってきた」。

 たとえば、ある村のインディアンの動きはカリブーのように、ユーコン河のインディアンは急流をさかのぼるサーモンのように。

 自然と人間の関係はその土地の風土と結びついて形成される。いわきでもウミとヤマとでは暮らし方(文化)が違う。その違いを踏まえて地域と地球の変化を見ていく必要があるということだろう。

2026年9月25日金曜日

墓参り

          
 シルバーウィークの締めくくりは秋分の日。この日昼前、カミサンの実家の墓参りをした。

 月遅れ盆は、甲子園に出場した東日大昌平(いわき)の試合をテレビで見ているうちに、墓参りをする機会を逃した。その不義理をカバーする意味もあって、実家を訪ねる前に墓へ直行した。

 20~23日の4日間の天気は、いわきの平では雨・やや強い雨・晴れ・ときどき晴れだった。

 前にも書いたが、この4日間に出羽神社の例大祭式典に出席し(20日)、運転免許証更新のための高齢者講習を受けた(22日)。

 高齢者講習は21日の予定だったが、大雨予報のために順延になった。21日は、時間的にはフリーになったものの、外は雨。本を読んだり、講習の準備をしたりして過ごした。

 連休最終日の23日は、実家で昼食を用意するというので、その時間に合わせて墓参りをした。

墓地は平の城山の西端から下好間にまたがる「寺町」の一角にある。いつもは寺の山門内側のスペースに駐車するのだが、先行車が2台あった。

境内からちょっと離れたところに寺の駐車場がある。そこに初めて止めた。一帯は丘陵地で、坂を上って山門に入り、また石段を上って墓に行く。これだけで息が切れる。

面白いことに、どこへ行ってもヒガンバナが満開だった=写真上1。8月後半からの天候不順で例年より開花が遅れ、秋の彼岸に合わせるように、墓地の土手を、寺の庭を赤く彩っている。

墓の花立てに水をやったり、先祖の戒名を読んだりしては、ヒガンバナの赤をながめた。

そのなかで目に留まったのが墓の前、小道のそばに無造作に集められた江戸時代の墓石だ=写真上2。

高さはおよそ70センチ、厚さは15センチくらいだろうか。正面は風化していて、戒名あるいは仏様のレリーフ、どちらがあったかはわからない。むろん、それとはまったく違ったものだったかもしれない。

側面には没年月日(だろう)が彫られていた。ひとつは「明和九 壬辰 七月初七日」、もうひとつは「文化六 己巳 四月二十九日」と読める。

明和9年は西暦1772年、文化6年は同1809年である。間に37年の隔たりがある。同族の墓石とは言い切れないし、墓がどこにあったかも不明だ。

それはともかく、江戸時代にはすでに多くの墓があったことがわかる。当時の墓制、墓石の形態はどうだったのか。寺の歴史は?

わからないことがあると調べてみたくなる元ブンヤの習性が作用したらしい。2つの年月日が脳内を漂い出した。

2026年9月24日木曜日

雨のみこし渡御

                       
   月替わりのカレンダーは9月の20~23日の4日間が赤くなっている。4~5月のゴールデンウィークに次ぐ、シルバーウィークである。

年金生活者はむろん、毎日が日曜日で月曜日。とはいえ、区内会の役員と行政嘱託員をしているので、定期的な回覧配布と行事がある。

9月20日の日曜日は、地元の出羽神社の例大祭が行われた。拝殿で開かれた式典に出席した。

田んぼにはさまれた参道には小旗が並び、祭りを盛り上げていた=写真。神社はその先、小高い丘の上にある。

以前はふもとに車を止め、正面の急な石段を上ったが、年々きつくなる一方だ。車で頂上の社務所脇まで行ける女坂があるのを知り、今は上まで車で行くようにしている。

早朝は小雨の予報だったが、さいわい式典が終わるまでは曇天のままだった。

それでも時間を追うごとに天気が悪くなるという予報である。子どもみこし渡御とおはやしは中止になり、軽トラのみこしにはシートがかぶせてあった。

案の定、10時ごろから夕方まで雨が降り続いた。雨の中の静かな渡御になった。

例大祭は、以前は10月10日前後に行われていたが、何年か前から9月の敬老の日の前日、日曜日に前倒しされた。

昔から続く伝統行事とはいえ、毎年同じかたちを維持するのは難しい。時代に合わせて変えられるものは変えていく、という流れがどこでも普通になった。

式典開始時間も午前8時と早かった。10時前には小雨が降り出したことを考えると、時間を早めたのは正解だった。

もうだいぶ前になる。夕方、マチの帰りに夏井川の堤防を利用すると、朝、神社で送り出したみこしが河原に下り、若い衆が川でみそぎをするところだった。

堤防の安全、つまりは水防の祈りも兼ねているらしく、川と人間の、カミを介した原初的なふれあいが強く印象に残った。

毎年、式典後には夏井川渓谷の隠居へ行くのだが、雨ではやることもない。それに、翌21日には運転免許証の更新に必要な「高齢者講習」の予定が入っている。

天気はしかし、20日より21日の方が台風の影響で悪くなりそうだ。式典が終わって家に戻ると教習所から連絡が入り、講習が22日に1日順延となった。大雨の予報ではしかたがない。

雨で隠居行きを中止し、翌日の講習も順延になって、のんびり骨休めをすることにした。

昼は車で5分くらいのところにある「チャイコタ」(旧マユール)でランチのカレーを食べる。カミサンとママさんがおしゃべりするのにつきあったが、ここも11月には閉店するという。

なんとも複雑な思いになりながら、昼食後はそのままカツオの刺し身を買いに行く。

春以来なじみとなった魚屋のご主人が顔を見るなり、「なんだい、きょうは早いこと」。「雨が強くなりそうなので」

さいわいこの日は小雨で終わった。教習所もそうだが、個人としても早めに動いた分、余裕ができた。何をするわけでもない。ただただダランと過ごした。

2026年9月22日火曜日

クロニンニク

                               
 年に1回、会津に住む高専の後輩と会う。高速バスでやって来る。彼をピックアップして、一緒に会議に出たあと、夕方のバスで帰るまでわが家で一休みする。

 私が漬物好きなのを知っている。毎回、会津の味噌漬けを土産に持って来る。今回は「満田(みつた)屋のみそ漬」だった。

 浜通りの人間、つまりは観光客にも喜ばれるさっぱりした味で、ご飯のおかずにはぴったりだ。

 この漬物のほかに、奥さんがつくったという「クロニンニク」をちょうだいした=写真(左が味噌漬け、右がクロニンニク)。

 さっそく、その日の晩酌にクロニンニクが出てきた。バラになった鱗茎(りんけい)で、とても大きい。

やはり黒くなった皮をはがして一口かじると、やわらかい。しかも、ほのかに甘い。かじった断面が蛍光灯のあかりを受けて輝いている。みずみずしい証拠だ。

 初めての、しかもほっこりした食感。「確かにマロングラッセみたい」とカミサンがいう。後輩がそう言っていたのだとか。なるほど、そうかもしれない。

 前に2回ほどクロニンニクを食べた記憶がある。鱗茎の1つひとつが小指くらいの小ささだった。味もイマイチだった。なんで黒いのか、黒くするのか、わからないまま忘れていた。

それに比べたら、このクロニンニクはとにかくうまい。小粒の味とは大違いである。すぐネットでクロニンニクの情報を仕入れる。以下は、その一部。

白い生ニンニクを一定の温度と湿度の環境下で数週間じっくりと加熱・熟成させる。そうすることで驚くほど変化する、とあった。

別の情報はより具体的だ。ほぐしたニンニクを薄皮が付いたまま(むいてもかまわない)、ひたひたのオリーブオイルに入れて、極弱火でコトコト15~20分煮る。

温度を上げ過ぎない。それでニンニクの糖分がキャラメル化する。シロップでマロングラッセを煮詰めたような、しっとりとしたやわらかさと甘みが引き立つ。これを数週間かけて熟成させるとクロニンニクになる。

見た目も、食感もドライフルーツやマロングラッセに近くなり、酸味と風味の効いた濃厚な味わいになる――。

つくり方はともかく、えらく時間がかかることだけはわかった。それを踏まえて、お礼を兼ねてメールでクロニンニクのレシピを後輩に聞いた。

すると、奥さんの話として、畑からとれたニンニクのうち、大きく立派に育ったものを選び出し、電気ジャーに入れて朝晩24時間、それを2週間燻り続けたという。やはり、じっくり、ゆっくり、である。

そこまでやって、ようやくマロングラッセのような味と食感のクロニンニクになるわけだ。

辛抱強く、熟成するのを待つ。これは、簡単にはつくれない。つくってくれ、ともいえない。1片ずつ、希少な高級品をいただくように濃厚な味を楽しんだ。

2026年9月21日月曜日

雨庭

                               
   雨が降れば車の轍(わだち)に水がたまる。晴れれば少しずつ地面が乾き、轍の水たまりも減っていく。乾いた庭に戻るにはしかし時間がかかる。

なにしろこの長雨である。乾く暇がない。ちょっと降っただけで庭全体が水に浸かったようになり、黄色くなりかけて落ちた柿の実が半分沈んでいる=写真。

大雨で冠水するのは歩道だけではない。家の庭も冠水するのだ。その証拠写真を撮っておこう――。

そんな思いで庭の水たまりを撮影した雨の日(9月16日)の朝、朝ドラの延長で見ていた「あさイチ」で、「雨庭(あめにわ=レインガーデン)」という言葉を知った。

 雨庭? 雨でできた庭の水たまりのことか。最初はそう思ったが、もちろん違う。身近な治水対策のことだった。

雨水は下水道や河川に「すぐ流す」が基本だが、それでは都市型水害や内水はんらんを防ぎきれない。

そこで、地域全体で「いったん受け止める」対策も施されるようになった。その具体策が雨庭である。

家の庭や公園、学校、道路わきの花壇などに雨庭を導入し、一気に下水道や河川に流れ込むのを分散する。京都市では2017年度から雨庭の整備が進められているという。

家庭でできる雨庭づくりが紹介されていた。約1坪でも効果がある。土を掘り起こして、ホームセンターなどで売っている砕石や砂利を敷き、土をかぶせて植物を植える。

雨が降ればこの小さなくぼ地に水がたまり、やがて地中に浸透していく。こうした雨庭を地域のあちこちに設ければ、地域に降った雨は地域で「いったん受け止める」ことができる。

コンクリートに覆われた庭は、雑草が生えるのを防ぎ、雨水をすぐ側溝に流すが、「いったん受け止める」機能はない。

雨庭を、わざわざ「レインガーデン」と片仮名入りで紹介しているからには理由があるのだろう。

この考えは先進国にならったものではないか。AIに尋ねると、アメリカやイギリス、ドイツ、オランダ、シンガポールなどの例を教えてくれた。

イギリスでは自然の仕組みを生かした都市排水と緑化が進められている。ドイツは古くから雨水管理やエコロジカルな都市計画に力を入れている。

オランダは、海抜が低い土地柄から洪水を防ぐスポンジのような都市づくりが活発に行われている。

雨庭の比喩としてはこのスポンジが一番しっくりくるかもしれない。スポンジとは食器を洗う時などに使う、多孔質のやわらかい材料のことである。

地域全体が多孔質のスポンジ(雨庭)になれば、それこそかなりの雨水をいったん受け止めることができる。

雨庭づくりまではいかなくとも、庭には花壇を設け、木を植える。わが家ではそのレベルだが、これまで家の床下に浸水したことはない。これからはむろんわからない。

20日の少雨に続いて、21日は台風の影響で大雨が懸念される。どこまで庭が冠水するか、ときどき茶の間から様子を見ることにする。

2026年9月19日土曜日

天気のことわざ

                                            

 新聞の読書欄に天気に関する本が複数紹介されていた。図書館にあるかどうか、ホームページを開いてチェックした。

 猪熊隆之『天気のことわざは本当に当たるのか考えてみた』(ベレ出版、2023年)があった=写真。

 著者は気象専門会社を経営する山岳気象予報士だとか。パラパラやると、子どものころから耳にしてきた天気のことわざが取り上げられていた。

 「猫が顔を洗うと雨」とか、「カマキリが高いところに卵を産みつけるとその冬は大雪」などのことわざに対する評価が5つの「★」で表示される。2つとも★1つ、つまり根拠はない、という評価だった。

 大人が口にするのを聞いて、すっかり刷り込まれたことわざがある。それを3つほど、評価と合わせて紹介する。

 「ツバメが低く飛ぶと雨」。根拠として2説があるようだ。A説。ツバメが食べる蛾やハエなどは、空気が湿ると翅に水分が付いて重くなり、高く飛べない。結果としてそれを追うツバメも低く飛ぶ。

もっともらしい説だが、と著者は言う。虫の翅には非常に多くの細毛があり、雨粒すら弾く。それより小さな水蒸気が、虫が飛べなくなるほどくっつくのだろうか――。

日本の夏は晴れていても湿度が高い。夏のツバメはいつも低いところを飛んでいるかというと、そうでもない。

B説。虫は気圧や湿度の変化などから「雨が近づいたな」と感じたら、葉っぱの裏側にすぐ隠れられるよう地面近くを飛び、それを追いかけるツバメも低く飛ぶ。これも断言できない。★はともに3つだが、B説はそれなりに信ぴょう性がありそうだとか。

「朝焼けは雨、夕焼けは晴れ」。日本の上空は夏を除いて偏西風が吹いている。高気圧や低気圧はそれで西から東へと進む。

朝焼けは東の空に雲が少なく、水蒸気が多いときに起きる。しかし、雲が多いときにも起きる。

羊雲や鱗(うろこ)雲が多いと朝焼け・夕焼けになるが、天気が崩れることも多くなる。西の空の場合はその後も好天が続く。夏や冬は、このことわざは通用しない。

★は3つ。当たることもあるが、はずれることもある。美しい朝焼けはその後の空の変化に注意が必要だそうだ。

「暑さ寒さも彼岸まで」。東日本から西日本までは秋分の日を過ぎると、真夏日はほぼ出現しない。その意味では当たっていた。

が、温暖化や都市のヒートアイランド現象が進んだ現在、仙台市など東北地方では当てはまるものの、関東以西では、10月上旬でも真夏日になることが珍しくなくなった。関東から西日本では★3つ、北日本・北陸・長野県は★4つだとか。

さらに温暖化が進むと、このことわざの該当地域は北へ、標高の高いところへと移動するかもしれないという。

このところ曇雨天が続いて、一日に何度も天気予報をチェックする。間もなく秋分の日。早くも寒さを感じるようになって、晩酌(焼酎)は水ではなくお湯割りが増えた。