2026年11月3日火曜日

彼の死を実感

                     
 いわき地域学會の事務局になっているので、会あてに郵便物が届く。その一つに福島県歴史資料館の「福島県史料情報」がある=写真。

 大きさはA3判1枚を2つに折った4ページで、記事は、フロントが1本のほかは各2本、計7本だ。

 歴史資料館が所蔵する公文書・古文書、新収蔵資料などをコンパクトに紹介・解説している。私のような門外漢には願ってもない情報源である。

 たとえば、第69号(令和6年6月発行)の「『古社寺建築物調』に見える白水阿弥陀堂」は、明治32年に作成された白水阿弥陀堂の平面図を紹介している。

国宝の白水阿弥陀堂は明治35年、特別保護建造物に指定されたが、翌年1月、暴風のために倒壊する。

 お堂はその後、大規模な修復・復元工事が施された。平面図はその前の建物を正確に記録したもので、建築史研究上、大変貴重な史料という。

第75号(令和8年6月発行)には「『磐前縣一覧表』の種類について」が載る。 いずれも筆者は県歴史資料館の渡辺智裕さん。いわき出身で、いわき地域学會の会員でもあった。

 この「一覧表」は5年前、いわき中央公民館の市民講座(講師は近代史の本田善人さん)で知った。

文献紹介の先行例があった。「いわき地方史研究」第6号(昭和44年)で菊池康雄さんが「一覧表」を取り上げ、中に出てくる「新聞紙局」と「新聞展観社」について研究会の会員に詳細を尋ねた。

 それから24年後。平成5(1993)年に『いわき市史3 近代』が刊行される。そのなかで本田さんが答えている。

さらに、いわき地域学會会報「潮流」第37報(平成21年)には、「いわき・図書館のはじまり考――明治6年磐前新聞展観社の設置について」と題する論考を寄せた。

市民講座の話と合わせると、新聞紙局は磐前県庁内にあって、磐前新聞を印刷・発行した。

新聞展観所(縦覧所)は、磐前県のエリアである浜通りと田村郡・石川郡・白川郡(今の東白川郡)内の7カ所にあった。

これは「一覧表」の新聞関係に焦点を当てたものだが、渡辺さんは本田さんの研究に導かれながら、原本調査をした。その結果、「一覧表」には初版と改訂版の2種類があることがわかった、としている。

渡辺さんとは地域学會の総会で顔を合わせる程度で深い付き合いはなかった。が、「福島県歴史情報」を通じて、その学恩に浴してきた。

いずれも過去形で書くしかない。渡辺さんは、私から見たら若手だが、調査研究の現場ではすでにリーダークラスだったのだろう。その渡辺さんが亡くなってだいぶたつ。

フェイスブックで渡辺さんの死を悼む知り合いのコメントに触れて、「まさか」と思ったのはいつだったか。

11月2日、「福島県史料情報」の最新号(第76号=10月発行)が届いた。どのページにも渡辺さんの名前はなかった。

私はこの冊子に載った渡辺さんの文章に刺激されて、何度かブログを書いてきた。あまりにも早い。早い死が残念でならない。

2026年11月2日月曜日

通学路の危険個所点検

                                
 ある日、地元の小学校から電話がかかってきた。通学路の危険個所を点検するので、立ち会ってほしい――。

 当日、現場を見てわかったのだが、そこは隣の行政区内の生活道路=通学路だった。私はその一つ東側、こちらの行政区との境にある生活道路のことと思い込んでいた。

ただ、わが行政区内の小学生も必ずその生活道路を通る。どこの何が問題で、どう対処するのか――。実際に見聞できたのはよかった。

10月最終週の火曜日午後1時半。校庭に教頭先生、中学校の校長先生、両校のPTA会長と私(隣の行政区長は所用で欠席)、市からは関係部署、それに警察の担当者など、合わせて十数人が集まった。

この時点で初めて、市の事業として「合同点検」が行われていることを知り、あとで市のホームページを開いて内容をおさらいした。

市教委の「市通学路安全対策基本方針」に基づき、安全確保に必要な対策を取るため、関係機関・団体が情報を共有、連携して取り組む、とあった。

そのための合同点検で、3カ所(最後の1カ所は近接する横断歩道2カ所)を見て回った。

最初に見たのは学校からまっすぐ南に伸びる生活道路の旧道交差点=写真=で、わが行政区の小学生も必ずここを通る。登校時間帯には出勤する車も多く、毎朝、交通指導員が立つ。

2カ所目はその先、国道までの間で、夕方には防犯灯が必要というところもあった。これは隣の行政区経由で市に設置・補助を申請することになる。

そのあと、同じ道を戻り、学校前を通る市道の横断歩道をチェックした。かつては「平窪・草野間連絡道路」として、整備促進期成同盟会が組織され、市に拡幅などを陳情してきた田んぼ道である。

道路幅は広い。私も夏井川渓谷の隠居へ行ったり、マチのホームセンターへ出かけたりするとき、よくこの市道を利用する。

幹線道路の国道399号(旧6号)との関係でいえば、平・鉄北地区~平窪方面へ行くには便利な裏道・抜け道・近道である。

ここの危険個所は、丘陵が南にせり出し、大きくS字になっているところの横断歩道だ。

隠居やマチからの帰り、道路が丘陵の先端をカーブして直線になるところで、急に横断歩道が現れる。ここではそれでいつも減速する。

道路環境をよく知る地元の住民はともかく、初めてのドライバーには、この路面標示は全く予測がつかないのではないか。

見通しが悪いのは歩行者も同じ、横断中に、急に車が現れるという事態になりかねない。

もうひとつの横断歩道は上神谷側からいうと急カーブが始まる手前、田んぼのあぜ道が交差するところにある。

警察としてはどちらも「撤去(移動)したい」が本音だが、住民が慣れ親しんでいることもあって、そう簡単にはいかない。

横断歩道があることを告げる路面標示(ダイヤマーク)をはっきりさせるということになるらしい。

横断歩道ひとつとっても、立場によって評価が異なる。またまた「現場」に教えられた。

2026年10月31日土曜日

堤防が通学路

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 午後遅く、高校生の孫から電話がかかってきた。学校へは自転車で通っている。駅前の駐輪場に止めておいた自転車がパンクしたという。

 「ペッペのそばのファミマにいる、迎えに来て」。両親は働いている。どちらもいない。代わってこちらにSOSが入った。

 たまたま「キョウヨウ(今日、用)」も「キョウイク(今日、行く)」もすんで、午後はフリーだった。

 「ペッペ」と「ファミマ」が頭の中で行ったり来たりする。というより、ファミマって、どこにあるの?

 それで、「ペッペの前、線路のそばの道路にいてくれ」といったのだが、ちゃんと伝わらなかったようだ。着いて待っても孫は現れない。

 こちらから電話を入れると、「ファミマの前にいる」という。そこがどこなのか、頭に浮かばない。再度「こっちまで来てくれ」と念を押す。少したって、孫がやって来た。

方向から類推して、ファミマはあそこか。いわき駅近くのアルファ―ワンの斜め前のコンビニらしいと、ようやく合点がいった。

駅前から自宅まで歩けば1時間以上はかかる。帰るとサッカーの練習がある。「練習場まで送っていくか」というと、母親が送ってくれるという。

夏井川のハクチョウウォッチングを兼ねて、堤防に出た。すると、「毎日、ここを通ってる」という。おお、通学路だったか。

朝晩、国道6号~同399号を利用するより、断然いい。安全だ。それに、と思う。堤防を行き来すれば、ハクチョウその他の水鳥が目に入る。

つい、説明を始める。「ほら、そこ(の波消しブロックの上)にカワウとアオサギがいる」「中州にいるのはカモ」

「調練場、サケのやな場の下流な、そこにハクチョウが飛来したんだ。見たか」「まだ見てない」

やな場はもうできてもいいはずだが、まだ影も形もない。まさか温暖化の影響でサケが帰って来なくなったわけではあるまい。気になるところではある。

堤防が通学路と聞いて、なんとなくうれしくなったのは、孫が川を、空を、その日々の変化を体全体で感じ得るからだ。

今季、神谷の夏井川でハクチョウを見たのは、三島(小川)で初飛来を確認した翌日、10月19日だった。

後日、新川合流部でも羽を休めていたが、以後は姿を見ない。合流部の下流では堆積した土砂の除去工事が行われている。これではハクチョウも落ち着いて羽を休めることはできないだろう。

10月30日の朝、藤間の直売所へ行った帰り、河口から右岸の堤防に出た。もしかして河口付近に飛来していないか。

図星だった。ここでも土砂除去工事が行われている。河口近くで川幅が広いためか、工事も気にせずに8羽、ちょっと離れて4羽が羽を休めていた。8羽のうち、画像を拡大して4羽をアップする=写真。

堤防を行き来する楽しみがこれである。孫もリバーウォッチングを楽しみながら行き来しているといいのだが。

2026年10月30日金曜日

新しい手帳

                                 
   書店がいつもの年より早めに並べたのか。それとも、たまたま私がその時期に書店へ行くことがなかったからか。

10月初めだった。ラトブのヤマニ書房へ行ったら、新年(2027年)用の手帳がいっぱい平積みされていた。

現職のときは年の終わりに会社から「新聞手帳」(日本新聞協会発行)が支給された。やめてからは毎年、暮れにいろんな手帳の中から1冊を選んで使ってきた。

それがいつのころからか、「手帳は高橋」の「ニューダイアリー1」=写真=に絞って買うようになった。

ほかの手帳と違って、革カバーの角2カ所が金具で補強されている。それで使い込んでもほつれない。今度もそれを選んだ。

スマホを使いこなしている人は、スマホの機能を利用してスケジュールを管理する。手帳要らず、である。

しかし、私は昔から手帳に予定を記入し、それをチェックして一日のスケジュールを組み立てる。

気になる言葉はネットで確かめ、情報も集める、ブログも日曜日以外は毎日、ネットにアップする。デジタルに無縁ではないが、気持ちはずっとアナログだ。

 暮らしの「起点」となるのが胸のポケット、ないしはズボンの後ろのポケットに入る手帳で、例年、11月下旬から12月上旬に購入する。これを今年は10月早々に手に入れた。それで、冒頭のような感慨を抱いた。

手帳がないと「仕事」にならない。会議や講習会、飲み会や家の用事など、手帳の書き込みを見ながら、その日の予定を組みたてる。

いつだったか、同日同時刻のイベントが2つあって、直前になってかち合っていることに気づき、慌てて調整をしたことがある。手帳を見ずに引き受けたのが原因だった。

ダブルブッキングだけではない。手帳に書いても忘れることがある。それもあるので、とにかく毎日、手帳をチェックする。手帳の第一の目的がこれである。

図書館の利用カードなどもカバーの内側の切れ込みに差し込んでおく(キャッシュカードは持っていない)。とにかく便利にできている。

ただし、手帳のほかに月替わりのカレンダーにも予定を書き込む。こちらはカミサンの用事とだぶらないようにするためだ。

カミサンは月に1回、「女子会」(昼食会)に出かける。ほかに、来客などの予定が入る。アッシー君を務めることも多い。しかし、そこまではなかなか気が回らない。しょっちゅう催促されて書き込む。

 外出から戻ると、手帳はこたつの上に置く。去年の手帳も置いてある。1年の流れはそう変わらない。先々の予定を組むときの参考にする。

 今はそこに新年の手帳が加わった。3冊が段になっている。新しい1月の予定が入り始めた。それを新年の手帳に書き込む。

あわただしい年の瀬がきて、新年を迎えると、また新しい手帳と古い手帳の2冊だけになる。

新しい手帳を手に入れると寒い季節になる。いや、もうなった。関東以西では先日、「木枯らし1号」が吹いた。いわきも寒風が吹き荒れた。29日も寒かった。

2026年10月29日木曜日

今年はネギの種がない

                                
   10月10日に近い日曜日は、今年(2026年)は10月11日。10月10日前後の日曜日に三春ネギの種まきをするのだが……。

今年はその種がない。苗床をつくっても意味がない。この秋は、日曜日に夏井川渓谷の隠居へ行っても草むしりをするだけだった。

ネギに関しては「自産自消」を続けている。いわきの平地のネギと違って、三春ネギは秋まきだ。収穫するのも秋・冬、つまりは種まきから1年後である。

秋に発芽したネギ苗を越冬させて、晩春~初夏に定植する。それとは別に、うねで越冬したネギを何本か残し、形成されたネギ坊主を乾燥させて、秋にまく種を採る。

つまり、自産自消のサイクルは採種~保存~播種~定植~収穫と2年がかりだ。

昔はさらに月遅れ盆のころ、溝を斜めに切って植え直す「ヤトイ」をやって曲がりネギにした。今は浅く植えて高く土を寄せる。

長雨で地下水位が上がり、根腐れを起こしたことがある。曲がりネギにするのはそれを防ぐためだが、年を取ったので楽なやり方に切り替えた。

地元の住民も曲がりネギにはしない。まっすぐの三春ネギを栽培している。しかし、いつもこのサイクルとやり方が順調にいくとは限らない。

2020年秋には、冷蔵保存をしていた種が腐敗していたらしく発芽しなかった。乾燥剤を入れなかったのが原因だった。

急きょ、田村市の実家に頼んで、春にネギ苗を調達し、冬に食べながら何本か残して越冬させ、ネギ坊主を回収して種を採った。

その子孫維持に半分しくじって、今年は種取りができなかった。2年前(2024年)の秋、苗床をつくって種をまいたあと、手を抜いて苗の養生に失敗した。

育ちが悪く、2025年春に定植してもすぐ苗がとろけた。結局、この年は三春ネギを食べずに終わった。当然、ネギ坊主はなしだった。

問題は秋の種まきをどうするか、だった。幸い、冷蔵庫に2024年採取の種が小瓶に入って残っていた。

ネギの種は、冷蔵庫に入れておけば2年は持つ。去年は秋にこの種をまいて苗を育てた。

それが今、畳2枚分くらいのネギのうねと、1枚分くらいのネギの苗床として残っている=写真。

今年は去年の失敗にこりてちゃんと追肥をやり、土寄せをした。しっかり育っている。

が、前述のように秋にまく種がない。今、苗床に残っているネギをどうにか越冬させて、来年(2027年)のネギ苗として活用するしかない。

うねの方は引っこ抜いて食べながら、こちらも少し多めに残して、種採りと来年の定植用(もしかして分げつする可能性もある)に充てる。

そうやって、来春にネギ坊主が形成されるのを待つ。ネギ坊主ができれば、また2年サイクルの自産自消が復活する。種を確保するにはそうするしかない。

2026年10月28日水曜日

「老い」の本を読む

                                             
    ここ1~2年、意識して「老い」をテーマにした本を読んでいる。以前は医師や精神科医などが書いた小説やエッセーなどだったが、今は著者自身が老いて考えたこと、感じたことなどをつづったエッセー集がほとんどだ。

 筆頭は今年(2026年)4月29日に102歳で亡くなった作家の佐藤愛子さん。これはもう「あっぱれな老い」というほかない。

『九十歳、何がめでたい』『九十八歳、戦いやまず日は暮れて』などのほか、孫育ての本も手に取った。

前に、父・佐藤紅緑や兄・サトウハチローの生涯を描いた彼女の小説『血脈』を読んだ。

破天荒な生き方で知られるハチローは「長崎の鐘」の作詞者でもある。ほかに、「リンゴの唄」「悲しくてやりきれない」、童謡の「うれしいひなまつり」「ちいさい秋みつけた」などを書いている。

 イメージと現実のギャップが面白くて、『血脈』の中に分け入った。それでわかったのは、「泣き虫の不良」で、「エゴイズムと無邪気な感情が背中合わせになっている人間」(『血脈』あとがき)ということだった。

父親の血を引き、嵐のように実人生を走りぬけた。この矛盾の深さがハチロー作品を魅力のあるものにしているようだ。

先日は作家阿刀田高さんのエッセー集『90歳、男のひとり暮らし』を読んだ。今年10月12日、94歳で亡くなった作家黒井千次さんは、高校時代の2年先輩だという。

黒井さんの訃報からほどない日、阿刀田さんが新聞のインタビューに答えていた。「黒井さんを、七十数年間、敬愛し続けてきました」。追悼記事の最初の行から温かい気持ちになった。

その直後、図書館で大活字本の書架をながめていたら、黒井さんのエッセー集『老いのかたち』が目に入った。これは読まないわけにはいかない。

「自然に老いていけばいいではないか」「健康な老化があるならそれが一番望ましい」……。

子供は「足し算の光が年齢を輝かせている」のに対して、「老人の年齢は下り坂にかかっており、生の終末からの引き算として現れる」。さすがである。

本の中に出てくるアメリカの詩人・批評家、マルコム・カウリー/小笠原豊樹訳の『八十路から眺めれば』=写真=が図書館にあったので、すぐ借りて読んだ。

老いの実感に洋の東西はない。カウリーは「老いを告げる肉体からのメッセージ』を一覧にした。これが具体的でわかりやすい。

そのなかの1つ。「片足で立つことができず、ズボンをはくのに難渋するようになったとき」。これには苦笑した。

「もう日が沈んだあとの車の運転はよそうと決心したとき」。私もあと2年で八十路。つい口から笑みがもれる。

老いについてはことさら卑下するのでもなく、誇張するのでもない。等身大で受け止める。

そんな味わい深い老いの洞察に触れて思うのは、少年のような「好奇心」は老人になっても衰えることがない、いや、持ち続けることはできる――ということだった。

2026年10月27日火曜日

キジが隠居の庭に

                                  
 福島県知事選(いわき市は県議補選も)の投・開票が行われた10月25日・日曜日は、朝7時過ぎに投票をすませて夏井川渓谷の隠居へ直行した。

 天気が思わしくないので、着くとすぐ畑の隅に生ごみを埋めた。ごみバケツを持って、草を踏み分けながら畑に行くと、急に前方からバタバタという羽音がして、大きな鳥が飛び立った。

キジの雄だった。キジは一直線に対岸の森へ向かい、黄葉(紅葉にはまだ早い)が進んだ木々の間に姿を消した。 

ずっと下流、わが生活圏にある夏井川では、ときどき河川敷でキジの雄を見かける。草が茂っているから身を隠しやすい。雌を従えて子孫を増やすにはうってつけの場所である。

そのキジがわが隠居の庭に現れるとは! 下の庭=写真=と、さらにその下にある岸辺の空き地の草が刈り払われた。クマ対策も兼ねる。

隠居の庭の草も刈られたが、伸びるのも早い。それに、ふだんは人がいない。身を隠しながらエサあさりができる場所としては好都合なのだろう。

そこへ急に人間が現れたものだから、キジは驚いた。いや、人間も驚いた。隠居へ通い続けて30年余り。庭で初めてキジに遭遇したのだ。

自然界では予想もつかないことが起きる。人間界も同じで、同じ日々の繰り返しながら「非日常」が待っている。

選挙はその典型だ。神谷地区では小学校のほか、中学校の体育館が投票所になる。地区内にいる8人の行政区長が2カ所の投票所の管理者や立会人を務める。

最寄りの投票所は、以前は管理者が市役所OB、立会人の1人が区長という慣例だった。

ところが、近年はOBの都合がつかないのか、管理者も区長が務めるようになった。それで回ってくる順番が早まった。

私は、今年(2026年)2月の衆院選に投票立会人を務めた。それからすぐなので、担当の区長の激励を兼ねて投票所へ足を運んだ。

順番では、2回の選挙をはさんで3回目に管理者か立会人の役割が回ってくる。が、このサイクルが早まることもある。

今年の総選挙の前は市長選(2025年9月)、その前は参院選(同年7月)だった。参院選では管理者を務めた。わずか1回、それも半年をはさんでまた役割が回ってきた。

さて、選挙権は国民の権利である。投票をすませたあとは日曜日でフリーになる。せいせいして隠居へ行くと、キジが飛び出した。

 それだけではなかった。草むしりを兼ねてネギのうねに土寄せをしていたら、そばの道路から声がかかった。マチに住む知人である。

 さらにそのあと1人、また別の1人からも声がかかった。夏井川流域の会の旧知のメンバーだ。

毎年、区間を定めて夏井川沿いウォーキングを実施している。今回は渓谷の牛小川(小川町)から夏井川に注ぐ支流・鹿ノ又川(川前町)付近まで、県道約5キロを歩くということだった。

午前9時、隠居の隣にある電力の社宅跡地を出発して上流へ向かった。マチに住む知人たちと渓谷でバッタリ、なんてことはそうあるものではない。