2025年7月16日水曜日

「地域」の前に「流域」がある

                               
   いわき地域学會が発足したのは1984(昭和59)年秋。私も誘われて入会した。

その3年後、会員を執筆メンバーに、私が勤めるいわき民報でいわき市内を流れる夏井川、鮫川、藤原川の「流域紀行」を連載した。

続いて、水源の「あぶくま紀行」、河口=沿岸部の「浜紀行」も手がけた。これらはいずれも単行本になった。

いわきは広い。広いいわきをてのひらにのせて語れるような方法はないものか――。ゴルフ場とごみ処分場の建設計画が持ち上がり、水環境問題が起きたとき、いわきを「行政区域」ではなく「流域」で見ることを提案した。

いわきは、大きくは夏井川(北部)・藤原川(中部)・鮫川(南部)の三つの流域からなる(便宜上、大久川や仁井田川ほかの河川は3流域の一部として扱った)。そこに人口が密集した平・小名浜・勿来の3極がある。

それぞれの流域にはハマ・マチ・ヤマがある。3極3層の地域構造。それを、わかりやすく、総合的にエッセーとして紹介しよう、いわきを深く考えるテキストをつくろう、という狙いで「いわき5部作」ができた。

その後、東日本大震災に伴う1Fの原発事故でも、風だけでなく水(川)の視点が必要になった。平成の時代が終わり、令和に入ると、今度は水害問題が起きた。

2019(令和元)年10月、台風19号がいわき市を直撃し、支流の好間川・新川を含む夏井川水系に大きな被害が出た。

2023(令和5)年9月には線状降水帯が大雨をもたらし、主に新川流域の内郷地区で床上・床下浸水が相次いだ。

令和元年東日本台風の甚大な被害などを踏まえ、国交省は「流域治水」の考えを打ち出した。

堤防整備、ダム建設・再生などの対策をより一層加速するとともに、集水域から氾濫域にわたる流域のあらゆる関係者で水災害対策を推進する、というものだ。

行政区の役員に就くと、充(あ)て職で夏井川水系河川改良促進期成同盟会のメンバーになった。

平成から令和へ、河川行政への要望活動がいちだんと強まった。それだけではない。先ごろ開かれた定時総会で組織の拡充が決まった。

具体的には、内郷地区(新川・宮川流域)の行政区が新たにメンバーに加わったのである。

総会ではそのための議案などが提案された=写真。歴史のある期成同盟会としては珍しいことだろう。

 行政区の年会費も併せて見直し、世帯数が100未満は1500円、100以上は3000円と、それぞれ500、1000円減額された。これも珍しいことにはちがいない。

 土地改良区を除く行政区は、これまで平・小川・好間の51区だったのが、内郷の32区を加えて83区に拡大した。

地球温暖化に伴い自然災害の規模が甚大化しつつある。それを物語る組織拡充ではある。

2025年7月15日火曜日

写真のコウノトリに会う

                             
   いわき市小川町三島地内の夏井川にコハクチョウが1羽残留している。そこへ6月下旬、コウノトリが現れた。草野心平記念文学館のスタッフが偶然、この大型鳥を撮影した。

7月11日から文学館の「オタクロード」(休業中のレストランへの通路)で、小さな企画展「コウノトリと帰らない白鳥展」が開かれている(8月31日まで)=写真。

 コウノトリ飛来の話は、先日のブログでも紹介した。残留コハクチョウにえさをやっている「白鳥おばさん」から届いた手紙で飛来を知り、その直後に文学館がコウノトリの写真をSNSにアップした。

 文学館では7月5日から8月31日まで、夏の企画展「吉村昭と磐城平藩」が開かれている。

 最初の日曜日(6日)にこれを見たあと、写真のコウノトリに会いに来ることにした。それで13日の日曜日、また文学館を訪ねた。

 コウノトリを撮影したのは館長氏だという。たまたまその館長氏から話を聞くことができた。

 前職はいわき駅前のラトブに入居している総合図書館の館長だった。定年で退職後、地元にある文学館の館長職に就いた。

 休日に三島の夏井川の近くを通ったら、前方に大きな鳥が現れ、岸辺に着陸する態勢に入った。

 館長氏はここでピンときたのだろう。急いで家に戻り、望遠レンズを持ち出して、大型鳥を撮影した。残留コハクチョウのそばにいるところも写真に収めた。

その撮影データを基に、小さな企画展を開いたというわけだ。あいさつ文にこうある(要約)。

コウノトリが飛来したのは6月28日。草野心平の詩に「幻の鳥の一列」があり、阿武隈の山並みに飛んでいくコウノトリが出てくる。幻といっても今ほどではなかったのだろう。

現在は、兵庫県などが中心となって保護・増殖が進められ、2025(令和7)年には、野外のコウノトリの個体数は500羽に達すると見込まれている。小川に飛来した個体も足環をしているので、どこかで放鳥された1羽だろう。

そして、三島に飛来したときの様子――。コウノトリは上空から残留コハクチョウを見つけたのか、ハクチョウめがけて着陸態勢に入り、近くに降り立った。

コウノトリは羽繕いをしたあと、少しずつコハクチョウに近づくのだが、コハクチョウは後ろに引いて2羽の距離は縮まらない。

さて(これは私の感想)――。三島にはこのごろ、アオサギも岸辺にいる。コウノトリはアオサギより一回り大きい。が、コハクチョウとはたぶん大きさはそう変わらない。足が長い分、大きく見えるのだろう。

写真に併せて、心平の詩「幻の鳥の一列」のほか、「コウノトリ自身」「新年の白鳥」が紹介されている。

「白鳥おばさん」は残留ハクチョウに「エリー」という名前を付けた。館長氏は、それには少し驚いたようだった。

2025年7月14日月曜日

酷暑にこそ糠漬け

                            
    福島県にも7月9日、「熱中症警戒アラート」が発表された。で、外回りの予定を急きょ、翌10日に順延した話を7月11日に書いた。

予報通り、9日は猛烈な暑さになった。茶の間で静かにしていたとはいえ、病院の入院患者よろしく、ずっと横になっているわけにはいかない。

もちろん座いすを倒して本を読むことはある、パソコンにブログの原稿を入力するのも、早朝から昼にかけての仕事の一つだ。

それとは別に、台所の糠床を再生させる――そう決めて、前日に引き続き食塩をパラッとやって、糠床をかき回した。

このところずっと食塩も、糠(ぬか)も補給せずにきた。すると、この暑さも手伝って、乳酸菌の動きが活発になったらしい。

キュウリはたちまち緑色が失せて、古漬けのような茶色に変わる。食べては塩気が足りない。「味のない古漬け」では食べ物にならない。

たまたま月曜日(7月7日)の夕方、晩酌をしているところに若い仲間がやって来た。古漬けのようなキュウリを見るなり、「食塩を足して乳酸菌の活動を抑えなくちゃ――」。

やっぱり、そうか。茶の間の室温は朝から30度を超える。ときに、34度にもなる。台所も似たようなものだ。窓と戸を開け放っても、室温はあまり下がらない。

糠床は、夏場は北側の階段の下に移すのだが、そちらはほかのものでふさがっている。今あるところで乳酸菌の活動を抑えるしかない。

というわけで、糠床に食塩を加えたあと、隣の直売所からキュウリを調達した。試し漬けである。

まずは午前10過ぎに3本を糠床に入れる。夕方5時前に取り出すと、見た目はほどよい感じで、塩味もまあまあだった=写真。やはり食塩が不足していたのだ。漬けていた時間はざっと6時間。

次の日、近所の知り合いから家庭菜園のキュウリが届いた。夕方、さっそく3本を糠床に入れる。翌朝5時には取り出した。およそ12時間漬けていたことになる。

ん? 表面の緑色は残っているにしても薄い。味は、まあまあだ。ということは、漬け過ぎか。

6時間と12時間。そして、この猛暑。塩分だけに絞っていえば、今は6時間で十分のようだ。

つまり、朝入れたら昼には取り出す。それが今の時期、糠漬けのキュウリとしては一番の食べ方らしい。

カミサンは、糠が古くなっていることも関係しているはずだという。その糠をどこから調達するか。

カミサンの実家では米屋をやめたものの、まだ玄米は残っている。自家消費用として精米しているので、糠は出る。それをしばらくは使えるという。

いずれにせよ、小さな営業と小さな暮らしが結びついてこその食文化だ。日曜日の魚屋さんの刺し身も同じで、暮らしの豊かさはそうした小さなネットワークの中で成り立っている。いや、「成り立っていた」と今はいうしかない。

2025年7月12日土曜日

トンチンカンの日々

                                
   50代のころはいずれそうなるだろうが――というヨユウで読んでいた。江戸時代中期に生きた尾張藩士で俳人の横井也有(1702~83年)の狂歌である。

  「皺はよるほくろはできる背はかがむあたまははげる毛は白うなる」「手は震ふ足はよろつく歯はぬける耳は聞こえず目はうとくなる」

毎朝庭に出る。あるとき、白い点が目に入った。クチナシだ=写真。白いのはクチナシの花だけでいい。狂歌を読んだあとにはそんな心境になる。

後期高齢者になった今はゲンジツとしてこの狂歌が刺さる。頭髪から始まって、目、耳、歯、そして足と、老化が止まらない。

 若いときから右耳の聞こえがよくなかった。それが昂(こう)じたのか、このごろは人と話をしていて、右耳に手のひらを当てたくなるような衝動に駆られる。

 亡くなった義弟がそうだった。隣家に聞こえるほど音量を上げてテレビを見ていた。私はまだそこまではいっていない。通常の音量だが、少し上げたくなる気持ちはある。

 テレビだけではない。聞こえの悪さのほかに、「誤認」によるトンチンカンも増えてきた。

 拙ブログに残っている記録をみると、南米の「イグアスの滝」が「イグアナの滝」になり、「スーラー野菜湯麺(タンメン)」が次の日には「ソーラー野菜湯麺」に変わっていた。

 いずれもカミサンからけげんな顔をされ、すぐ言い間違いを指摘されて、「アハハ」と笑ってお茶を濁した。

「ダイソー」を「ダイユー8」と聞き間違えたこともある。車を走らせるとすぐ、カミサンから「方向が違う」といわれた。

カミサンの「口」が頭と違ったことをしゃべり、私の「耳」が勝手に言葉を解釈したのかどうか、そのへんはよくわからない。

先日もトンチンカン問答が起きた。私が会議で外出中、高校1年の孫が父親とやって来て、カミサンに告げたそうだ。

「あした、桜丘(おうきゅう)祭だって」。「桜丘祭」とは高校の文化祭の名称だ。男女共学になる前は女子校で、カミサンも、カミサンの母親も、孫の母親もそこで学んだ。

カミサンにとっては懐かしい母校の文化祭である。「行くからね」と、アッシー君の私に伝えたのだった。

ところが、私にはそれが「アシ、オッタ」と聞こえた。孫はサッカーをやっている。練習か試合中にけがをしたのか!

私が眉を吊り上げ、目をむいて大声を出したために、カミサンがびっくりして復唱した。「あ、し、た、オウ、キュウ、サイ」。

それを聞いて安心し、大笑いになった。トンチンカンは笑い飛ばすしかないのだ。

トンチンカンがもたらす笑いは老夫婦にとって天の恵み――。まど・みちおさんが103歳で出した詩集『百歳日記』(NHK出版生活人新書、2010年)のなかで、そんな意味の詩を書いていた。

先日は「オロナイン」を「オロナミン」と言い間違えて笑われた。カミサンもラッキーセブンにひっかけて、「平成7年7月7日」と言う。「令和、ね」。お互い様なので、やんわりと訂正してやった。

2025年7月11日金曜日

熱中症警戒アラート

                          
   6月最後の日曜日(29日)。平地の平から夏井川渓谷の隠居へ向かうと、あちこちに「7月の花」が咲いていた。ネムノキである。

沿道では暦が7月に替わると決まってネムノキが満開になる。すると、隠居の庭にあるネジバナも――。7月最初の日曜日(6日)。ねじれたピンクの花がやはり、庭に咲いていた=写真。

東北南部は、梅雨入りが発表されたとたん、真夏のような猛暑が続いている。薄曇りの日でさえジメジメして暑い。扇風機をかけても室温は連日30度を超える。

7月9日には今年(2025年)初めて、福島県に「熱中症警戒アラート」が発表された。

この日は朝9時、区内会の会計さんと2人で地域の事業所を回り、8月末に開かれる地区市民体育祭への協力をお願いする予定でいた。

ところが、突然の熱中症警戒アラートである。予定に入れたからといって、猛烈な炎天下、1時間も歩き回ると体調を崩しかねない。救急車の世話にならないよう、急きょ、会計さんに連絡して一日順延を決めた。

 警戒アラート当日の9日。早朝5時に起きて窓を開けると、すでに空は青い。隣の駐車場に止まっている車は、早くも朝日を反射していた。

 恐ろしい明るさ――。そんな言葉が頭に浮かんだ。そして、「よかった、一日延ばして」とも。

事業所回りを予定していた朝9時台のアラート予報は「厳重警戒」だった。年寄りが外出するような状況ではない。

毎年協賛金のお願いに回っているので経験的にわかるのだが、ちょっとすくんでしまうような日射量だった。

雪国には「雁木(がんぎ)づくりの商店街がある。台湾には建物の1階部分をくり抜き、歩行者が通れるようにした「騎楼(きろう)」がある。

雁木は冬の雪対策だが、夏は日よけにもなるという。騎楼も雨(台風)だけでなく、日よけも兼ねる。

いずれにしても、日よけがあって、風が吹き抜けるスペースが欲しい。家の前にそれがあれば、一日そこで過ごしてもいい。

そう思うくらいの酷暑が続く。実際、9日はべらぼうな暑さになった。外出するなら日傘を、なんてことも考えた。

 さて、一日順延をした10日だが、起きると曇天で、茶の間の室温も30度を割っていた。

朝9時台のアラート予報は、「厳重警戒」よりは1ランク低い「警戒」だ。「警戒」では、運動や激しい作業をする場合、定期的に、そして十分に休息をとる、というのが留意すべきことのようだ。

 風は東から吹いていた。涼風である。しかし、国道を歩きながら事業所を回ると、汗がにじんでくる。ざっと4千歩、1時間。曇天、涼風でもくたくたになった。いや、その程度ですんだ、というべきか。

ルーティンはルーティンとして、自分たちの年齢・体調(というより回復力)を考えれば、一日順延で「大正解」だった。

2025年7月10日木曜日

手書きの効用

                                              
   東日本大震災の1年前だった。マチの商店会とラジオ福島が共催して、平・一町目のT1ビルでチャリティーセールを開いた。

文房具店のブースでは万年筆の無料診断が行われた。ちょうどいい機会なので、インキの出が悪い万年筆を診てもらった。

ペンドクターが問診をしたあと、「これはソフトペンですから、力を入れたらインクが途切れたり、二重になったりします」といって、古くなったペン芯を交換し、カートリッジインキを1本差し込んでくれた。

 すると、万年筆が生き返った。すらすら字が書ける。交換した部品も、カートリッジインキも無料だという。

悪いので、ブルーの12本入りカートリッジインキを買った。こちらもチャリティー価格で100円引きだった。

その後何度かカートリッジインキを買い替えた。それが切れたので、先日、同じ文房具店へ買いに行った。12本入りはどこにも見当たらない。しかたがない、5本入りを3箱買った=写真。

それからほどなく、全国紙にメーカーの全面広告が載った。斎藤孝明明治大学教授が「手書き」を大切にする理由をつづっている。

キャッチコピーにそれが出ている。「書くことで、先人の精神を/身体に刻む。それが学びです」

ほかに、「手書きの文字が伝えるのは/単なる『情報』だけではない」「自分で知識を“捕まえ”にいく、/能動的な行為に意味がある」とも。

「身体に刻む」ことの重要性は、体験的にわかる。拙ブログに書いた文章を再構成して紹介する。

――アナログ人間である。その人間がデジタル社会のなかで何を心に留めているかというと、メモは「手書き」で通すこと、これだけ。

書くということは、自分の脳内に文字を浮かび上がらせ、腕から手、指へと伝え、鉛筆あるいはボールペンを使ってそれを紙に記す、きわめて肉体的な行為だ。その行為の繰り返し、経験が体に蓄積されて次に生かされる、と私は思っている。

私は、パソコンを「外部の脳」、自分の脳を「内部の脳」と区別して考える。キーボードをたたいて、外部の脳に文章の処理を任せるようになってから、内部の脳はすっかり書くことから遠ざかった。

人間の脳は、使わなければ退化する、パソコンやスマホが普通になった今、人間の脳はこれから小さくなっていくのではないか、といった危惧を抱かざるを得ない。それを避けるために、意識して実践しているのがメモ(日録)の手書きだ。

「書く」ことをやめて、外部に映る漢字を「選ぶ」だけになった結果、漢字がどんどん自分の脳からこぼれ落ちていく。

書く習慣が薄れると考える力も衰える。アナログ人間だからこそわかるデジタル文化の落とし穴といってよい――

万年筆のカートリッジインキを買い、斎藤教授の文章を読んで、あらためて手書きの効用を胸に刻む。

2025年7月9日水曜日

早くもヤマユリの花が

                                  
   自分の「原風景」にはちがいない。が、幼いころの記憶にとらわれていると、現実を見失ってしまうのではないか。毎年、ヤマユリの花を見ながら、そんなことを思う。

阿武隈高地のほぼ中央、田村市の山里で生まれ育った。夏休みになると、毎日、大滝根川で水浴びをし、館山の奥の雑木林で「おっかけっこ」をした。ちょうどそのころ、林道ではヤマユリが咲き出す。

梅雨が明ける。夏休みが始まる。青空に入道雲がわく。それと前後して、ヒマワリではなくヤマユリが大輪の花を咲かせる。私の小学校時代の夏の原風景だ。

それが今はどうだ。夏井川渓谷でも7月の声を聞くと、すぐヤマユリが咲く。温暖化の影響か、開花時期が早まっている。

ちょうど1年前、渓谷のヤマユリについて、ブログにこんなことを書いた(2024年7月9日付)。

――7月7日はいつものように、夏井川渓谷の隠居へ出かけて土いじりをした。といっても、体感ではこの週末で最も暑かった。

畑の日陰を求めて穴を掘り、生ごみを埋めると、もう息が上がった。15分で作業を中止し、早々に隠居を離れた。

どうやら内陸部に行くほど気温が上昇したようだ。あとでデータを確かめると、中通りでは猛暑日のところが相次ぎ、浜通りでも隠居から近い阿武隈山中の川内村は36・7度だった。

こんな暑さの中で土いじりをすること自体無謀だが、一方では「ヤマユリが咲いているはず」という期待もあった。

小川町の平地ではすでに咲き出し、渓谷でもつぼみが白く大きくなって開花する寸前のものがあった。

籠場の滝の近くまで進むと、まだ小さくあおいつぼみが散見された。その先、少し開けたところで一輪、ヤマユリが咲き、かたわらでつぼみが大きく白くなっていた――。

今年(2025年)も去年と全く同じ状況になった。7月6日の日曜日、籠場の滝を過ぎると、渓谷で最初のヤマユリの花に出合った=写真。

2年前の2023年は、7月9日が日曜日だった。ブログによると、夜明けに雨が降ったあと、曇ったり晴れたりしながら気温が上昇した。朝、夏井川渓谷の隠居へ出かけたが、風がそよとも吹かない。これはこたえた。

この年は植物の目覚めが早かった。いや、その年も、というべきだろう。渓谷の「花ごよみ」が早まっている。

4月のアカヤシオが3月に咲き、5月のシロヤシオが4月に咲く。ヤマユリも咲き出すのは7月後半だったが、近年は7月前半に開花することが多い。

やはりこの年も9日には咲いていた。渓谷はその週半ばには「ヤマユリ街道」になったことだろう。

ブログによれば、これまで渓谷で最も早く咲いた日曜日は7月8日(2018年)だ。今年はそれをさらに2日早く更新したことになる。とにかく早い。そして、暑い。暑い。暑い。