2026年8月14日金曜日

ターシャ・チューダーの愛読書

                                          
   ターシャ・チューダー(1915~2008年)は絵本画家である。米国のバーモント州でガーデニングを中心とした田舎暮らしを楽しみながら絵筆をとった。

その思想と暮らしを紹介する「ターシャ・チューダー 人生の軌跡展」が、郡山市立美術館で開かれている(8月23日まで)。冠に「夢は叶えるもの」とある。

絵本原画や下絵、ターシャが日々の暮らしの中で愛用した道具の数々、収集したアンティークドレスなど約250点が展示されている(PRチラシ)。

 カミサンはターシャのファンでもある。ターシャのスローライフを紹介する本や評伝を何冊も持っている。

 8月9日の日曜日、開館時間の9時半には着くよう、7時40分に家を出た。アッシー君である。

 いわきのわが家から美術館まではざっと85キロ。予定通り、1時間40分後には美術館に着いた。65歳以上の特典で入館料は900円と、一般より300円安かった。

 ターシャは、カミサンを介して昔から知ってはいたが、ちゃんと向き合ったことはない。糸車や木製シャベル、アンティークの天秤棒、熊手などから、田舎暮らしの楽しさと厳しさを感じた。

 花を中心としたガーデニングにいそしみ、木の実も暮らしに利用する。キノコはどうか? 絵本の下絵、原画をよく見たが、なかった。なんだ、キノコには興味がなかったのか。

 今から16年前の2010年8月、同じ郡山市立美術館で「ビアトリクス・ポター展」を見た。

絵本の「ピーターラビット」の生みの親としてだけではなく、ナショナルトラスト運動の理解・賛同者としての彼女に引かれて出かけた。

彼女はキノコ研究者でもあった。同じ絵本作家でも、ビアトリクスとターシャでは自然に対する興味・関心が異なる。

 唯一、「おっ」となったのは愛読書のコーナーだった。ターシャの蔵書が10冊展示されていた。

 壁にはターシャの言葉が2行に分けて記されている。「本は、どんな船よりもさまざまな異国へ私たちを運んでくれる、すばらしい乗り物です。」。いい言葉である。

 彼女が愛読したのは『ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー詩集』、ウィリアム・ブレイク詩集『無垢と経験の歌』、ウォルター・ドゥ・ラ・メア詩集『トム・ティドラ―の大地』のほか、『シェークスピア物語』『イソップ物語』などだ。

ウォルター・ドゥ・ラ・メアは初めて知った。英国の作家・詩人・児童文学者で、一般にはウォルター・デ・ラ・メアと表記されるようだ。ターシャよりは一世代年長だ。

ターシャはこうした詩人や作家たちの作品を読むことで自分の感性を養ってきたのだろう。

家に帰ると、カミサンがターシャの本を引っ張り出してきた。キノコの有無を探していると、ハリー・デイヴィスの『ターシャ・チューダーの人生』に収録された「飾り罫」のなかにあった。

結局、それだけだったが、全くキノコに興味がなかったわけではないことを知って、ホッとした。

2026年8月13日木曜日

阿武隈高地へ

                                           
   いわきから車で郡山市立美術館へ行くには国道49号を利用し、阿武隈川の手前で右折する。これが一番だが、どういうわけか右折してから道に迷う。

夏井川沿いに小野町へ行き、田村市船引町から国道288号に出るルートがある。このルートでも阿武隈川を渡らずに左折するのだが、やはりそのあと道に迷う。

 カーナビは付いていても使ったことがない。利用法が分からないといった方が早い。それに遠出するといっても、ふだんは夏井川渓谷の隠居止まりだ。使う必要もない。

 分水嶺の阿武隈高地をはさんで、郡山市は西の盆地に、いわき市は東の沿岸部にある。

郡山は標高が郡山駅周辺で230メートルほど、いわきの中心はいわき駅周辺で8メートルほどだ。間を遮る高地では標高500メートル超の山里をピークに、カーブとアップダウンが続く。

 郡山市立美術館で「ターシャ・チューダー 人生の軌跡展」が開かれている。新聞で知ったカミサンが「日曜日(8月9日)に行かなくちゃ」という。いやも応もない。行くからには道に迷わないようにしないと。

同美術館へはこれまでに6回出かけている。拙ブログによると、2009年に1回、2010年と2016年に各2回、2022年に1回の計6回で、2016年の2回目以降は49号と288号の中間、阿武隈の丘陵地帯を縫う県道小野郡山線(県道65号)を利用している。

ちなみに、見に行った企画展は「布ものがたり」「「ビアトリクス・ポター」「ノーマン・ロックウェル」「古民藝もりたの眼」「西洋更紗トワル・ド・ジュイ」「ソール・ライター」で、写真家のソール・ライター展を除けば、カミサンのアッシー君だった。

今回も小野町から県道65号を利用することにした。渓谷の隠居へは帰りに寄ることにして、行きは国道49号から同349号(中三坂から)を経由し、小野インターの先で県道65号に折れた。

郡山市に入ってしばらく行くと大滝根川と並走し、さらに進むとT字路になる。「ニュータウン」へ行く道だ。

そちらへ右折すれば、美術館まではまっすぐなのだが、一度そこを通りすぎて、途中でカミサンから指摘されてUターンしたことがある。

そのため、カーナビ代わりのメモには「ニュータウンの標識を右折」と書き込み、それだけを注意した。で、今回はすんなりたどり着くことができた。

ドライブ中、驚いたことが2つある。いわきの平地と小野町の山里では、道沿いの花とセミの鳴き声が違っていた。

わが家ではミンミンゼミが鳴いていた=写真。ミンミンの声に送られて国道6号(旧バイパス)に入ると、道端には白いシンテッポウユリが咲いていた。これが山里に入ると、ヤマユリの花とアブラゼミに変わった。

ヤマユリは、夏井川渓谷ではすでに花期を過ぎて、どこにも見当たらない。それが阿武隈の山里(田村市はわが故郷でもある)では満開だった。高地へ来たことを実感した。

2026年8月12日水曜日

都市型水害

                                          
   2カ月ほど前になるだろうか。いわき駅前の再開発ビル「ラトブ」地下駐車場に車を止め、エレベーターホールに入ると、押しボタンのわきに「注意/水没被害」のシールが張られてあった=写真。

 地下街や地下駐車場が台風や集中豪雨によって冠水被害に遭う時代、ラトブでも警戒を、ということなのだろう。河川のはんらんだけでなく、新たに都市型水害を意識しないといけなくなったようだ。

シールの内容は、冠水被害が心配されるとき、地下駐車場などに止まっている車の移動・入庫の規制を行う場合がある。そのときは館内放送・誘導員の指示に従ってほしい――というものだった。

 いわき駅前を中心とした平市街では南を新川(旧古川)が細々と流れ、城山をはさんだ北をマチはずれの東へと夏井川が伸びている。夏井川は鎌田地内で急に曲がったあと、蛇行しながら太平洋へ向かう。

 平市街の東方、夏井川の先の旧神谷村に住んでいる。水害常襲地帯だったようで、白土と山崎の境にある新川合流部から下流で夏井川の堤防が決壊すると、集落が冠水する恐れがある。

 大雨のたびに不安がよぎるが、いわき駅前についてはまったく考えたことがなかった。

しかし、ゼロではない。下水路のような旧新川が平市街を流れていたころ、一帯は水害の常襲地帯だった。

ラトブでは地下2階、それも同1階へと通じるスロープの真ん前に車を止める。そこがふさがっているときには近くの空きスペースを利用する。

ラトブがオープンしたのは2007年10月25日。6階に創業者支援室(インキュベートルーム)が設けられ、若い仲間が「ネット古書店」を立ち上げるというので、開業と同時に同居人になった。

私は会社を辞めたばかりだったが、すぐ記念誌などの製作の仕事が舞い込んだため、若い仲間に手伝ってもらった。それで2年ほど、インキュベートルームに通った。

オープン当初はそれこそ、毎日3~4回、地下駐車場から車を出し入れした。止めた階を忘れて、「何階に止めたんだっけ」と慌てたこともある。

1階から地下1階、同2階、そして地下2階から同1階へは「左回り」で進むが、地下1階から1階へは、道路に出るので「右回り」になる。

地下1階に車を止めて地上に出るとき、地下2階と勘違いして、1階で左に回ったことがある。すぐ「逆走」に気づいた。

以来、地下1階が空いていても、必ず地下2階の「マイスペース」を利用するようにしている。

そこが冠水する? にわかには信じがたいが、地球沸騰化時代、今までの常識は通用しなくなった。そのことだけは確かなようだ。

ラトブの地下駐車場が冠水するときには、駅前の道路も冠水して湖になっている――。

そんなことを考えているときに、台風15号が東からやって来て、茨城県南部に上陸した。「逆走台風」と呼ぶメディアもあった。

いわき市は、雨は少なかったが、一日中、暴風が吹き荒れた。暴風警報は、夜8時には強風注意報に切り替わった。やれやれ、である。

2026年8月10日月曜日

地域学と地元学

                                            
 土曜日はBSテレ東で映画「男はつらいよ」を見る。主人公の「寅さん」が全国各地を旅して回る。先日、映画を見ながらふと思った。「男はつらいよ」は「地元学」と結びついた物語ではないか。

地元学を提唱した結城登美雄さんが熱中症で亡くなった。80歳だった。訃報のあとに見たからかもしれない。

結城さんの名前を知ったのは東日本大震災前の2009年8月だった。『三澤勝衛著作集 風土の発見と創造 1地域個性と地域力の探求』『同 4暮らしと景観/三澤「風土学」私はこう読む』(農文協)の2冊が、いわき総合図書館の新着図書コーナーにあった。

「いやしくも川の工事をしようとするものは、まずそれをそこの川に訊き、山の工事をしようとするためにはそこの山に訊いて、その言葉に従ってするということが、いわゆる成功の捷径でありましょう」

この三澤の文章を民俗研究家の結城さんが紹介していた。夏井川の河川改修を見てきた人間には、傾聴に値する言葉だと思った。

私はいわき地域学會に所属している。いわきを総合的に調査・研究することを目的にした個人参加の集団で、「地域学」や「地元学」といわれる分野では老舗的な存在だろう。

それもあって、「地元学」の結城さんには親近感を抱いた。その結城さんが大震災後の2012年11月、いわきで講演した。

市主催のまちづくり・未来づくり講演会で、「『よい地域』であるために~地元学からの出発~」と題して話した。そのときの拙ブログを要約・再掲する。

――結城さんは東北の農山漁村を中心にフィールドワークを重ね、各地で地域おこし活動を行っている。宮城県の旧鳴子町(現大崎市)での「鳴子の米プロジェクト」では総合プロデューサーを務めた。

プロジェクトの過程で多彩なおむすびができる、おむすびを入れる漆塗りの器ができる、くず米を使ったパンができる、といったように、新しい仕事が生まれ、おカネが地域を循環する可能性がみえてきたという。

自然とともに生きる村にこそ可能性がある、未来がある。結城さんは鳴子のほかに、岩手県・旧山形村(現久慈市)の「バッタリー村」、沖縄や宮城県丸森町の「共同店」などの事例を紹介した――。

結城さんの訃報を知って、図書館の本をチェックしたら、『山に暮らす海に生きる――東北むら紀行』(無明舎出版、1998年)があった=写真。

すぐ借りて読み始めると、いわきでの講演でも紹介した「バッタリー村」が載っていた。「バッタリー村」の憲章がおもしろい。

「この村は与えられた自然立地を生かし この地に住むことに誇りを持ち ひとり一芸何かをつくり 都会の後を追い求めず 独自の生活文化を伝統の中から創出し 集落が共同と和の精神で 生活を高めようとする村である」

地元学の要諦は「ないものねだり」ではなく「あるもの探し」、その地に生きた先輩の声に耳を傾けて学び直そう、というところに共感した。合掌。

2026年8月8日土曜日

緑の塔

                                           
 「日本の夏」から何を連想するか――。若いときはヤマユリと青空にわく入道雲だった。

 40代で夏井川渓谷にある隠居の庭を「開墾」し、家庭菜園を始めてからは「暴力的な緑の繁殖」が真っ先に思い浮かぶ。

 わが生活圏のはずれ、住宅密集地から離れた一角にケータイの無線塔が立つ。塔の下半分はクズの葉で覆われている=写真。

 夏井川渓谷にある隠居までの道筋でも、クズがからまり、葉をまとった電柱や標識柱が何本もある。

 自分の暮らしと直接かかわりがないから、「すごいなー」で通り過ぎるだけだが、わが家の庭や隠居の庭、そして菜園となると、そんなゆとりはない。

 日曜日のたびに隠居の菜園で草むしりをする。草をむしって土が見えるようになったと思っても、すぐ緑に覆われる。

 小さな面積だが、「三春ネギ」のうねが畳3枚分くらいある。そこはがんばって草をむしり、ネギの根元に日光が当たるようにしている。

夏場は朝の1時間が限度だ。曇ってはいても気温は高い。すぐ汗みどろになる。2時間も、3時間も外にいると、熱中症になりかねない。

 そんなあんばいだから、草たちはまた競うように生えてくる。刈り残した風呂場の前のギボウシと、ミソハギが花をつけ始めた。酷暑のなかの一服の涼である。

 そうしたなかでも「収穫」はある。「ふっつぇ」のジャガイモの葉が、ほかの草にまぎれて枯れかかっている。草にまぎれて茎をむしると、小イモが転がり出る。7月には2回、それぞれ5~7個を「収穫」した。

 「こんなちっちゃなイモ、どうすんの?」。カミサンになじられながらも、私には決まった食べ方がある。

 「みそかんぷら」は同じ小イモでも、もうちょっと大きいものを使う。そこまではいかない、まさに豆イモだ。

 三春ネギの苗と豆イモの味噌汁。「ネギジャガの味噌汁」は秋以降が本番だが、夏も間引いた三春ネギと、この豆イモで「ネギジャガの味噌汁」にしてもらう。

三春ネギは、冬場には糖分をためて甘くなる。今は夏。甘くはないが、ネギジャガの味噌汁にすると、やわらかくて香りが立った。三春ネギの個性は夏でも健在だ。

東北地方は8月4日、ようやく梅雨が明けた。近年では2013年と2017年、東北南部の梅雨明けが8月にずれ込んだ。

2013年は8月3日、これがあとで8月7日に修正された。2017年もあとで修正が入った。8月2日に梅雨が明けたが、あとで「特定できなかった」に変わった

7日は立秋。暦の上では「残暑」に入る。新聞の「暑中見舞い」広告は「残暑見舞い」に変わった。

秋になったといっても暴力的な緑の繁殖は変わらない。日曜日の草むしりはしばらく続く。

2026年8月7日金曜日

七夕と機織り伝説

                                
   カミサンのアッシー君をして、いわき市暮らしの伝承郷を訪ねた。開催中の企画展「いわきの民俗芸能」は前に見ている。カミサンの用がすむまで館内で待つことにした。

ロビーに七夕飾りがあった。そばの壁面には何枚かに分けて七夕の起源やいわきの七夕祭り、七夕がらみの人と水の関係、なかでも機織り伝説などを解説する文章が張られていた=写真。

それに関連して、いわきの伝説を3つ紹介している。鮫川の「御前淵(ごぜんぶち)」(勿来地区)、夏井川渓谷の「籠場の滝」、そして沼ノ内の「弁天沼」である。

「籠場の滝」の伝説と七夕の風習がどうつながるのか? ここはじっくり読んでみなければ、という気になった。

「籠場の滝」は渓谷の隠居の手前にある。毎日曜日、そばの県道を通る。車から必ず滝の水量と勢いを確かめる。

地元の古老によると、「籠場の滝」の「籠」は、「磐城平藩の殿様の籠」ではなく、「魚止めの滝の籠漁」からきている。その話を聞いたとき、頭の霧がサッと晴れたような気がした。

そのことに触れているかどうか。まずは解説文をチェックする。「殿様が籠から降りて滝に見とれた」という説のほかに、「滝つぼに大きな籠をしかけて魚をとっていたことに由来する説」もあることを付け加えていた。

調べがアップデート(知識の最新化)されているのに安心した。以下は、解説文を下敷きにしている。

日本では、機織りは女性の重要な仕事だった。機織りの技術は信仰とも結びつき、日本に中国由来の七夕文化が定着するきっかけにもなった。

昔は、年中行事は旧暦で行われていた。新暦では季節感などとずれることから、七夕は旧暦に近い8月の6~8日、お盆は13~15日に行われている。

水の中から機織りの音が聞こえる、水底(みなそこ)に機織りをする女性がいる――この「機織り伝説」は、養蚕との関連が指摘されている。

福島県から宮城県を中心とした阿武隈川沿いの地域と、長野県を中心とした地域に機織り伝説が集中している。これらの地域には養蚕が盛んなところが含まれている。

養蚕にはきれいな水が必要だった。養蚕が盛んな地域では沼や淵が神聖な場所として重要視され、七夕伝説と結びついた可能性があるという。そうしたことを踏まえて、水に絡んだいわきの伝説が紹介される。

 「御前淵」では、青年が淵に鉈(なた)を落とす。「籠場の滝」では、長者・江田の伴四郎が脇差を滝つぼに落とす。「弁天沼」では、木こりが沼にマサカリを落とす。

 それを取りに潜った青年(御前淵)、若者(籠場の滝)、木こり(弁天沼)が見たものは――。

 淵の底で機織りをするお姫様(御前淵)であり、水中の御殿(籠場の滝)であり、御殿で三味線や琴を引く弁天様(弁天沼)だった。

七夕にまつわる昔話をひも解くことは、人と水との関係を追求する手がかりとなりうる、という。(折から「いわき七夕まつり」が開かれている。なにかの参考になれば)

2026年8月6日木曜日

夏ネギも軟らかい

                                             
   7月前半のこと。家庭菜園でキュウリの収穫がピークを迎えたらしく、あちこちからお福分けが届いた。

生(な)るときには一斉に生る。作る方も、もらって食べる方も、核家族だから食べきれない。

5本、7本とまとまって届く。まずは晩酌時に生で味噌をつけて食べる。採りたてなのでみずみずしい。

残りは1日2本をめどに糠床に入れる。といっても、キュウリは日を追うごとに水分が飛んで、中身が白っぽくなる。こうなると、漬けてもうまくないので、3~4本まとめて漬けることもある。

漬けている時間は糠床の塩分によって異なる。温度でも変わる。なにかでいちいち測って決めるわけではない。キュウリや大根の漬かり具合、味、そして色を見て判断する。

暑くて乳酸菌の活動が活発なら、12時間にとどめる。これだと、朝入れて夕方には取り出すことになる。今はだいたい24時間漬けておく。

私が手本にしているのは、先日、101歳で亡くなったネギの師匠、塩脩一さん(平北白土)宅でいただいたキュウリの糠漬けだ。

採りたての緑色、シャキシャキとした食感、絶妙な塩味――。キュウリの糠漬けとしては絶品だった。

塩さんにはネギのことをいろいろ教えてもらった。それで、夏井川水系だけでも、下流域の平地は千住系、渓谷あたりから上流では加賀系が栽培されていることを知った。

私が夏井川渓谷の隠居で栽培している「三春ネギ」は加賀系らしい。田村郡からいわきの川前を経由して、小川の渓谷の小集落へと種が伝わった。

現在、スーパーなどで売られている太くて白いネギは、塩さんのいう「いわき一本太ネギ」かどうか、私にはわからない。見た目はきれいで、白くて太い。が、どうにも硬くて味噌汁には不向きだ。

それはともかく、千住も、加賀も秋冬ネギである。夏に買って来て食べるのは根深でも細く小さいものが多い。

先日、高久に住む知人から電話があった。「夏ネギを持って行く」という。翌朝、夏ネギとキュウリ、インゲンが届いた=写真。

キュウリはイボイボが目立つ。すぐ3本を糠床に入れた。夏ネギはその晩、焼いて食べた。軟らかい。葉の部分には蜜があった。地ネギだろうか。

味があっさりしているのは、夏で、寒くて凍らないように糖分をためる必要がないからだろう。

いずれにしても、私はネギとジャガイモの味噌汁を、ネギの味を測る目安にしている。

翌朝、カミサンがこの味噌汁を出してくれた。焼いたときと同じ食感だった。夏ネギもジャガイモとの味噌汁にいいことがわかった。またひとつ、ネギ栽培の根深さを知った。