変な夢を見た。動物園ならぬ「猫園」があって、私とどこかの子どもがほぼ同時に入場する。そのわきを「ジェジェ」という名の猫が追い越していく。
子どもが「ジェジェ」と叫ぶ。私はそれを「ジジ」と聞き間違えて、「なにを!」といった顔つきになって子どもをにらみつける。
それから場面は園内のカフェに変わり、子どもが休んでいるのを見て、私がマスターに頼んで子どもにアイスクリームか何か、甘いものをふるまう。それで子どもも打ち解け、先ほどまで続いていたわだかまりが消える。
なぜ猫の動物園か、なぜ猫の名前が「ジェジェ」で、私と子どもの2人だけなのか――むろん夢の中の話だからわからない。ただ最近、猫がらみの出来事が2つあった。
1つは夏井川渓谷にある隠居からの帰り、あるところで停車したら、ちょうどそばの家の猫がガラス戸のカーテンのすき間から顔を出した。タイミングのよさに表情が緩んだ。
もう1つは詩人・思想家吉本隆明が猫好きだったこと。猫に関する本も出している。難解な思想と普通のペット愛が同居していることに驚いた。
私が最近読んだ吉本隆明の猫の本は『フランシス子へ』と「なぜ、猫とつきあうのか」だ。
フランシス子は次女(吉本ばなな)がつけた猫の名前である。詩人は亡くなる直前、最愛の猫だったこのフランシス子を主題に、インタビューに応じた。
「猫さんと仲良しになるのにいちばんいい方法っていうのは自分も猫になればいいんです。『猫を飼っている』という感じじゃなくて、自分も猫化して、猫さんとおんなじになっちゃえばいい」
「僕の猫とのつきあいかた、かわいがりかたっていうのは、もとをたどれば、親父の直伝なんです」
それで、「子どものころから数えきれないほどの猫とつきあってきました」。が、始終一緒にいるのはフランシス子が初めてだった。
『なぜ、猫とつきあうのか』もインタビュー集である。猫は死ぬときは姿を隠す――と思い込んでいたが、猫も進化するのか、「ちゃんと箱のなかでおとなしく死ぬっていうの初めて体験した」というくだりには蒙が啓(ひら)かれた。
ここまで徹底するのが「知の巨人」と言われるゆえんでもあるのだろうと、いささかあきれていたら、詩人の最後の食エッセー『開店休業』にも猫の話が出てくる。
「猫の缶詰」と「猫との日々」で、前者では猫の「フランちゃん」(フランシス子)の長寿の理由を語り、後者では「絶えず入れ替わりで家に入り込んでくる野良猫も、最近は猫用の缶詰などを食べ、私などよりも栄養価が上昇して、結構でっぷりとした体格になって愉しそうだ」とつづる。
ここで初めて、猫の話が身近になった。わが家の縁側を寝床にしている地域猫のゴンも、最近、ぶくぶく太ってきた=写真。
キャットフードの量を少し控えめにしないといけないのではないか。猫かわいがりは肥満症を招いて、かえって猫を苦しめる。そんなことに思いが至った。