2026年10月28日水曜日

「老い」の本を読む

                                             
    ここ1~2年、意識して「老い」をテーマにした本を読んでいる。以前は医師や精神科医などが書いた小説やエッセーなどだったが、今は著者自身が老いて考えたこと、感じたことなどをつづったエッセー集がほとんどだ。

 筆頭は今年(2026年)4月29日に102歳で亡くなった作家の佐藤愛子さん。これはもう「あっぱれな老い」というほかない。

『九十歳、何がめでたい』『九十八歳、戦いやまず日は暮れて』などのほか、孫育ての本も手に取った。

前に、父・佐藤紅緑や兄・サトウハチローの生涯を描いた彼女の小説『血脈』を読んだ。

破天荒な生き方で知られるハチローは「長崎の鐘」の作詞者でもある。ほかに、「リンゴの唄」「悲しくてやりきれない」、童謡の「うれしいひなまつり」「ちいさい秋みつけた」などを書いている。

 イメージと現実のギャップが面白くて、『血脈』の中に分け入った。それでわかったのは、「泣き虫の不良」で、「エゴイズムと無邪気な感情が背中合わせになっている人間」(佐藤愛子『血脈』あとがき)ということだった。

父親の血を引き、嵐のように実人生を走りぬけた。この矛盾の深さがハチロー作品を魅力のあるものにしているようだ。

先日は作家阿刀田高さんのエッセー集『90歳、男のひとり暮らし』を読んだ。今年10月12日、94歳で亡くなった作家黒井千次さんは、高校時代の2年先輩だという。

黒井さんの訃報からほどない日、阿刀田さんが新聞のインタビューに答えていた。「黒井さんを、七十数年間、敬愛し続けてきました」。追悼記事の最初の行から温かい気持ちになった。

その直後、図書館で大活字本の書架をながめていたら、黒井さんのエッセー集『老いのかたち』が目に入った。これは読まないわけにはいかない。

「自然に老いていけばいいではないか」「健康な老化があるならそれが一番望ましい」……。

子供は「足し算の光が年齢を輝かせている」のに対して、「老人の年齢は下り坂にかかっており、生の終末からの引き算として現れる」。さすがである。

本の中に出てくるアメリカの詩人・批評家、マルコム・カウリー/小笠原豊樹訳の『八十路から眺めれば』=写真=が図書館にあったので、すぐ借りて読んだ。

老いの実感に洋の東西はない。カウリーは「老いを告げる肉体からのメッセージ』を一覧にした。これが具体的でわかりやすい。

そのなかの1つ。「片足で立つことができず、ズボンをはくのに難渋するようになったとき」。これには苦笑した。

「もう日が沈んだあとの車の運転はよそうと決心したとき」。私もあと2年で八十路。つい口から笑みがもれる。

老いについてはことさら卑下するのでもなく、誇張するのでもない。等身大で受け止める。

そんな味わい深い老いの洞察に触れて思うのは、少年のような「好奇心」は老人になっても衰えることがない、いや、持ち続けることはできる――ということだった。

2026年10月27日火曜日

キジが隠居の庭に

                                  
 福島県知事選(いわき市は県議補選も)の投・開票が行われた10月25日・日曜日は、朝7時過ぎに投票をすませて夏井川渓谷の隠居へ直行した。

 天気が思わしくないので、着くとすぐ畑の隅に生ごみを埋めた。ごみバケツを持って、草を踏み分けながら畑に行くと、急に前方からバタバタという羽音がして、大きな鳥が飛び立った。

キジの雄だった。キジは一直線に対岸の森へ向かい、黄葉(紅葉にはまだ早い)が進んだ木々の間に姿を消した。 

ずっと下流、わが生活圏にある夏井川では、ときどき河川敷でキジの雄を見かける。草が茂っているから身を隠しやすい。雌を従えて子孫を増やすにはうってつけの場所である。

そのキジがわが隠居の庭に現れるとは! 下の庭=写真=と、さらにその下にある岸辺の空き地の草が刈り払われた。クマ対策も兼ねる。

隠居の庭の草も刈られたが、伸びるのも早い。それに、ふだんは人がいない。身を隠しながらエサあさりができる場所としては好都合なのだろう。

そこへ急に人間が現れたものだから、キジは驚いた。いや、人間も驚いた。隠居へ通い続けて30年余り。庭で初めてキジに遭遇したのだ。

自然界では予想もつかないことが起きる。人間界も同じで、同じ日々の繰り返しながら「非日常」が待っている。

選挙はその典型だ。神谷地区では小学校のほか、中学校の体育館が投票所になる。地区内にいる8人の行政区長が2カ所の投票所の管理者や立会人を務める。

最寄りの投票所は、以前は管理者が市役所OB、立会人の1人が区長という慣例だった。

ところが、近年はOBの都合がつかないのか、管理者も区長が務めるようになった。それで回ってくる順番が早まった。

私は、今年(2026年)2月の衆院選に投票立会人を務めた。それからすぐなので、担当の区長の激励を兼ねて投票所へ足を運んだ。

順番では、2回の選挙をはさんで3回目に管理者か立会人の役割が回ってくる。が、このサイクルが早まることもある。

今年の総選挙の前は市長選(2025年9月)、その前は参院選(同年7月)だった。参院選では管理者を務めた。わずか1回、それも半年をはさんでまた役割が回ってきた。

さて、選挙権は国民の権利である。投票をすませたあとは日曜日でフリーになる。せいせいして隠居へ行くと、キジが飛び出した。

 それだけではなかった。草むしりを兼ねてネギのうねに土寄せをしていたら、そばの道路から声がかかった。マチに住む知人である。

 さらにそのあと1人、また別の1人からも声がかかった。夏井川流域の会の旧知のメンバーだ。

毎年、区間を定めて夏井川沿いウォーキングを実施している。今回は渓谷の牛小川(小川町)から夏井川に注ぐ支流・鹿ノ又川(川前町)付近まで、県道約5キロを歩くということだった。

午前9時、隠居の隣にある電力の社宅跡地を出発して上流へ向かった。マチに住む知人たちと渓谷でバッタリ、なんてことはそうあるものではない。

2026年10月26日月曜日

コキアの実はとんぶり

                                              
   今春、わが家の庭の一角にカミサンがコキアのポット苗を2本植えた。隣の店の駐車場に並ぶコキアは丈が1メートルもあるが、こちらはラグビーボウルくらいの大きさしかない。

育ちはあまりよくなかったらしい。それでも、秋になって緑色から赤色に変わった=写真。

茨城県の国営ひたち海浜公園は、秋になるとこの草で赤く染まる。毎年、ニュースになる。それで数年前、「コキア」という名を知った。

庭のコキアが赤くなったのに刺激されて、周りを見渡すと、道路向かいの民家の入り口にも、赤く染まったコキアが2本ある。

こちらもわが家と同様、小さい。新築から間もないこともあり、緑地も若いために肥料が十分ではなかったのだろう(と思ったが、あとで聞くと、カミサンが進呈したものだった。小さいはずである)。

コキアは今、流行の園芸種なのだろうか。この時期、車で行くと、ところどころで赤くなっている。

「コキア 赤い」で検索すると、意外なものにたどり着いた。カタカナなのでいかにも新しい外来種のように思えるが、和名は「ホウキギ」、あるいは「ホウキグサ」だ。

ホウキグサなら知っている。「とんぶり」、つまり「畑のキャビア」である。「実」だけをありがたがっていて、畑の、庭のホウキグサの姿には思いが至らなかった。

「キャビア」と「とんぶり」について書いた拙ブログ(2017年正月)がある。それを要約・再掲する。

――2016年夏、同級生とロシアのサハリン(樺太)島、シベリア大陸のウラジオストク・ナホトカを旅した。

そのとき、手のひらにのるくらいの小さなガラス容器に入ったキャビアを土産に買ってきた。高かった。それが正月の食べ物として食卓にのぼった。

トリュフ、フォアグラ、キャビア。世界三大珍味だというので、一度は口にしたいと思っていた。

キャビアと聞くと連想するのが「畑のキャビア」である。54年前、宮沢賢治の世界(小岩井農場など)に触れたくて、新婚旅行先を盛岡市に選んだ。

披露宴に岩手出身の画家松田松雄が出席した。翌日、訪ねた盛岡の画廊に松田がいた。

松田の案内で飲み屋街に繰り出し、フグ刺しをごちそうになった。そのあと、居酒屋「茶の間」に連れていってもらった。「とんぶり」を食べた。「畑のキャビア」である。

「畑のキャビア」はプチッとした食感だけが記憶に残っている。ロシア産のキャビアは? 塩漬けだから多少はしょっぱい。プチプチ感はある。うーん、それだけのような気もする。だから、美味ではなく珍味? 

私には、トリュフよりマメダンゴ(ツチグリ幼菌)、フォアグラより焼き鳥レバー、キャビアより数の子が向いている――。

わが家のコキアも「とんぶり」が採れる? ところが、である。そう簡単にはいかないようだ。

「とんぶり」までの加工が難しいことから、秋田県大館市だけで栽培・生産されているという。それで、色の変化は楽しめたが、食欲は急にしぼんだ。

2026年10月24日土曜日

ミカンの皮

                                          
 先日、知人から九州産のミカンをちょうだいした。小粒ながら甘い。毎日1~2個に抑えて、何日か季節の味を楽しんだ。

 むいた皮は捨てない。一貫張りの小さなお盆に入れて陰干しをした=写真。干した皮は冬の白菜漬けの香りづけにする。

 細かくちぎりながらも、皮と皮が重ならないようにする。重なると湿り気が抜けずにかびることがある。乾けばわきに寄せて、新しい皮を干す。

 わが家では私が漬物担当だ。夏場は糠漬け、冬場は白菜漬け。1年をざっくり分けると、4~11月は糠漬けのカブやキュウリ、しめくくりがハヤトウリ。12~3月は白菜漬けを食卓に出す。

 香りづけにはミカンの皮だけでなく、柿(かき)の皮も利用する。去年(2025年)は色づいて落ちた庭の渋柿を回収して、干し柿をつくった。

 といっても、軒下に吊るすやり方ではない。皮をむいたあと、ざるに並べて2階の南側の窓辺に置いた。「置き干し柿」である。

傷ついたところがざるに接すると、くっついて実が崩れる。そうならないよう、毎朝、様子を見た。

倒れていれば立て、ざるを回転させながら、窓越しの光がまんべんなく当たるようにした。

 師走に入ると、水分が抜けて表面が焦げ茶色になる。ここまでくると出来上がりだ。正月のいい食べ物になる。

むいた皮にはヒヨドリも近寄らない。軒下の台の上に新聞紙を広げて、そこに並べた。こちらは水分が抜けるのも早いので、すぐ白菜漬けに使える。

わが家の道路向かいの奥、故義伯父の家に甘柿がある。これも色づいて落下するようになった。

熟した甘柿は中身がトロトロしている。こちらはタッパーの中で皮と種を取り除き、崩れた実をスプーンでならしてから冷凍する。甘柿シャーベットである。やはり正月の食べ物にする。

先人の知恵を大事にしながら、手を抜けるところは抜く。「置き干し柿」はそれで成功した、と思っている。白菜漬けから派生した思案の結果と言ってもいい。

庭の渋柿は手の届かない高所に少し残っているだけだ。こちらは採るのをあきらめ、きょう、故義伯父の家の甘柿を収穫する。

あとは鷹の爪(唐辛子)である。これは毎年、夏井川渓谷の隠居で栽培した。2株あれば十分だ。

花を咲かせ、実をつけ、赤く熟したのを摘む。それを持ち帰って陰干しをする。つやつやに輝いていた赤が、乾いてしわしわの地味な赤に変わる。

白菜漬けに入れる鷹の爪はそれで確保できる。余れば、刻んで擦りつぶし、「一味」にする。

今はしかし、手抜きをして栽培を休んでいる。「真っ赤なかわいい鷹の爪ちゃん」。栽培していれば軽口も出るが、ここ何年かはスーパーなどから買ってすませている。

そして、白菜漬けに欠かせないのが、香りづけのユズの実。これはいつもお福分けにあずかる。

それを期待するわけにはいかないので、直売所にあれば買う。準備の最後が、このユズである。最初の白菜を漬ければ、まずは師走を迎える安心感に満たされる。

2026年10月23日金曜日

ミョウガの子は終わり

 


 

 朝、雨が降っていなければ、庭に出て歯を磨く。春から夏にかけては、地面に目を凝らしてヤブガラシの芽を摘む。これを繰り返す。秋になった今も続けている。

 ミョウガも春には新芽を出す。こちらは15~20センチになったのを、根元からナイフでカットする。ミョウガタケである。刻んでみそ汁に散らす。

 ミョウガタケは、茎を伸ばして葉を広げるころには硬くなる。そうなると、もう食べられない。ヤブガラシだけをチェックする。

 葉が生い茂った月遅れ盆のころ、ミョウガの根元にミョウガの子が現れてうす黄色い花を咲かせる。

 今年(2026年)はお盆にミョウガの子を摘んだ。出現は平年並みだ。そう思ったが、その後はさっぱりだった。9月は長雨も重なって、庭で歯を磨くことがほとんどなかった。

 空から雨雲が消えるのに合わせて庭に出ると、ミョウガの花が目に付くようになった。まだ蚊が飛び交っている。半そで・素足でミョウガのやぶに踏み込むのはためらわれた。

 花のありかを確かめておき、長そでシャツに靴下をはいた朝、ミョウガの子をねじるようにして摘んだ。

 ミョウガの子もミョウガタケ同様、刻んでみそ汁に散らす。毎日がそれではあきるので、糠漬けと甘梅酢漬けにする。糠漬けは私、甘梅酢漬けはカミサンが担当する。

 そのまま1個を漬けても芯は硬い。縦に2つに切る。大きいのはさらに刻んで、薄い布巾に包んで糠床に入れる。

刻んだのをじかに入れると、朝晩かき回しているうちに、どこにあるのか、わからなくなる。それでガーゼのような布巾で包むようにした。

甘梅酢漬けはまかせきりなので、調味料のあんばいはわからない。こちらはもっぱら「食べる人」である。晩酌のつまみには、糠漬けよりは甘梅酢漬けがよさそうだ。

ある日の晩酌には、ミョウガの入った料理が3つそろった=写真。1つは朝のみそ汁の残り、そして少量の糠漬けと甘梅酢漬け。

おかずの主役にはならないが、脇役としてはみそ汁の具(ナメコとミョウガなど)も、糠漬けも、甘梅酢漬けも、しっかり季節の味を伝えてくれる。

ミョウガは、わが家の隣の故義弟の家の庭、夏井川渓谷の隠居の庭にも群生している。

義弟の家の庭からは、歯を磨きながらでもミョウガの子を摘める。が、いろんな草が生えている隠居の庭は、そう簡単ではない。まずは手前の草むしり。これが済まないことにはチェックができない。

10月半ばの日曜日に隠居へ出かけたとき、私がミョウガの周囲の草むしりをし、カミサンが群生に分け入って黄ばんだミョウガをカットした。ミョウガの子はしかし、期待したほど採れなかった。今年は、ここは不作である。

翌日は朝、家の庭のミョウガの群生に分け入って、花をチェックした。しおれて倒れかかった茎もある。

この10月前半、ここだけでもけっこうな数のミョウガの子を採った。これもしかし、もう終わりである。

2026年10月22日木曜日

情報公開の目的

                       
    記者として市役所と市議会を担当していたころ、だれにいわれたわけでもないが、ときどき「負のトライアングル」という言葉が頭をよぎった。

 記者会見は週に1回。それを待っていたのでは仕事にならない。毎日、庁内を回り、課長や課長補佐、係長と世間話をしたり、こちらの疑問をぶつけたりしながら、ニュースの材料を拾った。

 そうしたなかで広い見識を持つ職員と知り合い、本音で語り合える関係を持つことができた。アフターファイブには田町で一杯、ということもあった。もちろん、自腹である。

 そんな日々の見聞と本音から浮かび上がってきたのが「負のトライアングル」だった。公務員~政治家~市民の三角関係のことである。

 極私的な見解にすぎない。それを踏まえていうと――。公務員(市職員)は政治家(市議)に弱い=議会で質問される。政治家は市民(有権者)に弱い=選挙で落ちる。市民は公務員に弱い=要望がなかなか実現しない。

 その後、市に情報公開条例ができた。ホームページ=写真=を開いて条例を読むと、第1条に目的が記されている。

行政情報の開示請求は市民の権利であることを、まず述べる。さらに、市政運営の公開性の向上を図り、市民に対する説明責任を全うすることで、市民の適正な理解と批判の下に、公正で民主的な市政推進に資する、と続く。

 条例の狙いは、市民の知る権利にこたえるものだが、しかしそれにとどまらない。「もう一つの目的」があることを、あとで知った。

政治家の働きかけを行政文書として記録に残しておけば、それもまた情報公開の対象になり得る。

公正で民主的な市政の推進には、透明性が欠かせない。つまり、ちゃんと市民に説明できるかどうか、だ。

もう一つの目的を聞いたときに、すぐ「負のトライアングル」を思い出した。予算に対する政治家の「口利き」や「ごり押し」などを封じ込める意味がある、ということと受け取った。

今は辞任した某大臣の「圧力」を報じる新聞を連日読んで、情報公開の話を思い出した。

某大臣は2月の衆院選で落選し、比例で復活した。選挙区内の2市町の首長が対立候補を応援した。

それを根に持ったのか、5月の党支部の会合で、2市町の2026年の道路予算を大幅にカットした、と発言した。

政治家が選挙の恨みからこんな仕返しをするとは、と問題になった。同時に、実際はどうだったのか。口利きがあった結果、予算をカットしたのか。矛先が国交省に向けられた。

すると、「問い合わせ」はあったが、「働きかけ」はなかった。記録は残っていない、という回答だった。

地方自治体の現場をウォッチングしてきた人間からみても、政治家の言動にはより敏感なはずの中央官庁が「面談記録を作らなかった」というのは解せない。

そんなことはもうないと思っていた「負のトライアングル」がまだ生きていた? まさか、とは思うのだが……。

2026年10月21日水曜日

M9・9では地球が壊れる?

                                
 平日は正午になると、カミサンがBS日テレの中国時代劇「瓔珞(えいらく)」を見る。地デジのニュースはその前、民放で見ている。NHKのニュースはそれで、「見なくてもいいか」となる。

 宮廷の愛憎劇らしい。私はあんまり興味がないので、本を読みながら、ときどき響く甲高い声になにかあったなと感じるくらいだ。

 10月16日も同じように本を読んでいたら、0時40分ごろに突然、テレビから緊急地震速報のチャイムが鳴った。

 すぐ画面を見ると、日本列島のうち、北海道から中部地方あたりまでの東日本が赤く染まっている。これはただ事ではない!

 強烈な揺れが来る! 身構えていたが、ウンともスンともいわない。テーブルに置いていたドコモのスマホも静かなままだ。おかしい。

 フェイスブックで情報を探ると、「最大震度7」「M(マグニチュード)9・9」「(エネルギーは)東日本大震災の22倍の大きさ、津波は100m、地球規模の破壊が起こる」。信頼できる知人がいち早く情報を伝えていた。

 3・11はマグニチュードが9・0だった。1960年のチリ地震が過去一番の巨大地震で、マグニチュードは9・5。それをしのぐ超巨大地震ではないか。たしかに地球規模の破壊が起きても不思議ではない。

 ところが、速報から8分後。M9・9は誤報だとわかる。実際には0時38分、カムチャツカ半島で地震が起きた。マグニチュードは6・9で、函館では震度1だった。

 事態は一変し、誤報を引き起こした気象庁の緊急地震速報システムがおかしいんじゃないの、となった。翌日の新聞が原因を伝える=写真。

NTTドコモの「沈黙」も、気象庁からのデータを異常と誤判定したシステム不具合が原因だったという。これはこれでまた問題になった。

ほかの電話会社のケータイは鳴った。しかも、取り消しの通知も緊急地震速報と同じ音で鳴ったという。

「せめて取り消しは違う音で」と思うのは、当然だろう。あんないやな音はできれば聞きたくないからだ。

自治体も一瞬、緊張したのではないか。3・11を超える大惨事を覚悟した職員もいたにちがいない。

なにしろM9・0の記憶がまだ生々しく残っている。私は、大津波は経験しなかったが、沿岸部の惨状は見ている。

M9・9ともなれば、それこそ地球の破滅を思わせるような大変動ではないか。人類の終わりが始まるのではないか。そんな思いにもなるというものだ。

温暖化が進行するにつれて、地球の不安定要因が増えている。地球は大地も空も大動乱時代に突入した。そんな不安を突きつけるような大誤報だった。