平成元(1989)年10月製作とあるから、古い住宅地図だ。ゼンリンが地元商店などから広告を取って、対象地域(草野駅前・中神谷地区)の全戸に無料で配布した。
大きさはA4判8枚分(縦約60センチ×横約83センチ)=写真=で、3回2つに折ってA4判の大きさにして保管していた。
戸建て住宅だけでなく、集合住宅にも個人名が入っている。ゼンリン地図の「売り」といえば「売り」だが、今では個人情報保護の観点から考えられないことだ。
拙ブログで何度か取り上げた篤志家の箱崎昇吾翁の家が知りたくて情報を集めている。
古い新聞記事には中神谷の宿畑、あるいは苅萱とある。わが家の近所なのは間違いない。
地元の寺社に石の門柱や鳥居を寄進しているので、宮司さんなどに聞けばすぐわかるのだろうが、そこはじっくり、ゆっくり、回り道を楽しみながら調べを進めたい、という思いがある。
まずは手元にある紙媒体や図書館のデジタル新聞などをながめて情報を集めている。その過程で37年前の住宅地図が出てきた。
広告掲載店と事業所は、地図にピンク色で場所が表示されている。わが家もそうだが、この37年間に廃業した店や事業所がかなりある。
草野駅前周辺はまったくわからない。隣接地区とはいっても、足を運ぶのはガソリンスタンドだけ。日曜日に通っていた魚屋は去年(2025年)の夏に閉店した。
やはり歩いて飲みに行ったり、買い物をしたりした中神谷の店と事業所の有無が気になる。
広告を出していた店と事業所では、大衆割烹、パン・ケーキ贈答品店、医院、米屋(わが家)が廃業した。
なかでも印象に残っているのは、大型スーパーが進出するとほどなく、路線商店街にあった個人営業のスーパーが消えたことだ。
地域にはまだ薬局や理髪店、魚屋、タクシー営業所、農協支店、信組支店などがあった。今はそれがない。
地域の暮らしを支える店が、事業所が、歩いて行ける範囲から消えた。震災後、「かかりつけ医」になった医院は健在だが、ほかの3軒の医院はなくなった。
わが家の隣は、今はコインランドリーだが、地図ではホットスパーになっている。なにかコンビニがあったな、という程度の記憶しかないのは、私自身、それほど利用しなかったからだろう。
そのなかで頑張っているスナックがある。若いころはよく飲みに行った。震災後というより、還暦後は出歩かなくなって足が遠のいた。
ママさんは、現役としてはいわき最高齢の部類に入るのではないか。しかし、3月になるとすぐ、「家事都合により当分の間休店致します」の紙がドアに張られた。
「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」。花は時期がくれば咲くが、人間はいつも同じではない。そのことを古い住宅地図からまた教えられた。
(これは後日談。立鉾の宮司さんから電話があった。用件がすんで、箱崎翁の件を尋ねると、すぐ家がわかった)