2026年3月27日金曜日

特別の回覧袋

                                
 年度末の3月は、役所から「健康のしおり」が届く。隣組の回覧網を通じて各戸に配る。これが1年を通して最大の難物だ。

 わが行政区は隣組が約30ある。世帯数は最大15、ならせば10世帯前後で、ふだんの行政資料、たとえば「広報いわき」などは世帯配布だが、回覧袋として普通の大型封筒を再利用できる。「健康のしおり」は、それでは間に合わない。なにしろ1冊65ページもある。

「健康のしおり」が届くと、まずは回覧袋の準備から始める。前に印刷所勤務の班長さんから、折りたたみ式の大型封筒を寄贈してもらった。廃棄処分をするというので引き取った。これを使う。

「マチ付き封筒」というものらしい。開くと側面が3センチ以上に広がる。「マチ」とは側面部、遊び・奥行きなどのことのようで、折り畳み式だから15世帯分の「健康のしおり」もなんとか入る。

2024年から使っているので、残存数は少なくなってきたが、返却分も含めてまだ余裕はある。

普通の大型封筒しかなかったときには2袋が必要な隣組もあった。これをテープで縛り、中層住宅の場合は、1階の郵便受けではなく、班長さんの部屋の前まで届けた。

戸建て住宅だけならそう問題はない。が、中層住宅が全体の半分を占める。しかも中層住宅に3人はいた区の役員が、高齢と体調不良を理由に欠員になってからは、周りの戸建て住宅の役員がこれを代行している。

去年8月1日付の文書は、世帯配布が市からの3種類と地元の1種類の計4種類で、紙袋の厚さは最大3センチ超に膨らんだ。

これでは中層住宅の1階に設けられている郵便受けのすき間(投入口)には入らない。

班長さんの自室の前まで持っていかないと――となるのだが、2階はともかく、3、4階は、心臓のクスリを飲んでいる人間にはこたえる。で、中層住宅の3、4階はカミサンが配達を代行してくれた。

この例があるので、今回(3月13日付)も頼むしかないかと覚悟を決めた。ところが、である。カミサンが「健康のしおり」をパラパラやると、「紙が薄くなったみたい」という。

確かにそうだ。ページ数は変わらない。が、なんとなく薄くなった感じがする。地元の資料として5種類(世帯配布1、回覧4)が加わったが、どの班(隣組)の資料もマチ付き封筒に入った=写真。

中層住宅に住む班長さんの郵便受けには、幸いカギがかかっていない。ふたを開けて少々無理をして突っ込むと入った。

これまで2回、郵便受けのすき間に入らない厚さのときがあった。2回ともふたを開けて入れた。その経験から、今回もカミサンを動員せずにすんだ。年度末はいつもこれがすんで「ヤレヤレ」となる。

2026年3月26日木曜日

新釈・養生訓

                                                
 大活字本の『養老訓』(養老孟司著)を読んでいて、貝原益軒(1630~1714年)の『養生訓』に興味を持った話を前に書いた。

 益軒は江戸時代前期の本草学者・儒学者で、70歳で福岡藩の役を退いてから著述に専念し、『養生訓』などを著した。

当時は平均寿命が40歳未満だったとかで、その倍以上、84歳まで生きた健康長寿の見本のような人である。

まずは蓮村誠著『新釈養生訓――日本人が伝えてきた予防健康法』=写真=を図書館から借りて読んだ。

ざっと目を通しながら、子どものころ、よく祖母から言われた言葉を思い出す。「メシを食ってすぐ寝ると牛になっつぉ」。阿武隈の山里の昭和30年代、私が小学生になったころの記憶である。

祖母が『養生訓』を読んでいたとは思えない。が、地域全体に『養生訓』をベースにした戒めのようなものが浸透していたのではないか。

『養生訓』は江戸時代のベストセラーだったから、その教えが全国に浸透し、世代を超えて受け継がれ、だれもが知る俗訓になった。『養生訓』の現代語訳と解釈を読み進めるほどに、そんな思いが強まる。

「予防健康法」と副題にある。予防健康とは病気にならないように努めることだろう。庶民は庶民なりに実践し、「牛になる」ことがないように戒めてきた、少なくとも守ろうとしてきた。

「外邪」と「内欲」が出てくる。「外邪」は「風・寒・暑・湿」、つまりは体を取り巻く環境のことで、後期高齢者はこの外部要因には敏感にならざるを得ない。

今はまだ「寒」がこたえる。「風」にも注意が要る。厚手のジャンパーにマフラー、パッチ、長そで。シャツのボタンは一番上まできちっと。

「光の春」になればシャツの一番上のボタンをはずす、ストーブを消す。日によって、あるいは朝・昼・晩と調整する。「寒さの冬」はこの逆で、「乾」にも注意が必要だ。足のかかとには保湿用の軟膏を塗る。

「内欲」は「飲食・色欲など」のことで、たとえばアルコールについていうと、若いときは浴びるように飲んだが、中年には少し控えめになり、60代以降はドクターの忠告もあって、グッと抑えてはいる。

というわけで、『養生訓』を読む前からそれを実践せざるを得ない年齢になってはいた。だから、やはり「ごもっとも」となることが多い。

「からだは毎日少しずつ動かしなさい。長時間、楽な姿勢で座っていてはいけません」

 日中はこたつに足を入れて「在宅ワーク」と称してパソコンと向き合っている。体を動かすのはトイレと食事のときぐらい。これでは養生にならない。

 「食後は、数百歩歩くようにします」。食後はともかく、軽い散歩(1日1500歩程度)なら今のままでいい、ということになる。

 軽い運動と散歩。これが今、一番心がけないといけないことのようだ。と同時に、益軒はなぜ『養生訓』を書いたのか、成功体験がそうさせたのか、という思いも深まる。ま、古典には違いないが。

2026年3月25日水曜日

簡単キムチ

                                
   自家製の白菜漬けはすぐ甕(かめ)の中で産膜酵母に覆われ、酸っぱい古漬けになってしまう。こうなると味が落ちる。

 古漬けでもなんとかうまく食べたい。それで思いついたのが、市販の「キムチの素」をまぶして酸味を包むことだった。

効果はテキメン。これでエンジンがかかり、次につくった白菜漬けはそのままのものと、キムチの素をまぶしたものと、最初から両方を食卓に出した。

といっても老夫婦2人だけだから、毎回食べる量は限られる。どちらもなかなか減らない。

 家の中では最もひんやりしている北側の階段の下に甕を置いている。が、白菜にまぶす食塩を控えめにしていることもあって、水が上がったと思ったらすぐ表面が濁ってくる。産膜酵母である。これが現れたら水の表面はたちまち白い膜に覆われる。

 1回に2玉を漬ける。1玉を8つ割りにして井桁に組み、食べるときには1切れずつ取り出す。全部食べるのに3週間前後はかかる。これをひと冬に4~5回は繰り返す。

昨冬までは、キムチの素は頭になかった。最後は強い酸味に辟易しながら食べた。

たまにスーパーから小さな容器に入った白菜キムチを買う。余ったタレに古漬けを刻んで混ぜ込むと、酸味が消えた。キムチの素を売っていることもわかった。

で、その後は古くなるとキムチの素をまぶすようにしている。甘辛でいったら、スーパーの白菜キムチは甘くて、キムチの素は辛みが強い。が、まぶす量を加減すれば辛みも緩和できる。

中之作で買った白菜と大根をそのままにしておいたら、白菜の外皮が腐ってとろけ始めた。大根も株元が黒ずんできた。

それらを取り除き、細かく刻んで浅漬けにした。翌朝にはもう食べられるまでになった。

産膜酵母を避けるには? この切り漬けをすべて容器に移し、冷蔵庫にしまって小出しにして食べることだろう。

そうやって、そのままのものと、キムチの素をまぶしたものと二つを用意した=写真。どちらもまあまあの味だった。

もう4月も近い。白菜は大玉を買って来るのではなく、4分の1、あるいは半分でもいいから、細かく刻んですぐ食べられるように切り漬けにする。

それをつなぎにして、4月には糠漬けを再開する。といっても古い糠床は虫が湧いたので捨てた。新しくつくる。

準備を兼ねて、沢村貞子の『わたしの献立日記』(新潮社、1988年)をパラパラやっていたら、沢村家では糠床をかき回すときに、夏場はビオフェルミンの錠剤を10粒、春秋は5粒ほどをまぜるとあった。

びっくりである。薬局で売っているものを糠味噌に利用する、という発想はなかった。どんなものか、そのへんをちょっと勉強してみようと思う。

先日、チェーン展開の薬局のチラシが新聞に折り込まれていた。中に「新ビオフェルミンS錠」が載っていた。

なるほど、薬局のチラシも糠漬けの材料調達の参考になるのか。買う、買わないは、じっくり考えてからにする。

2026年3月24日火曜日

泣いたり起きたり

                                
   朝ドラ「ばけばけ」の主題歌は「笑ったり転んだり」。で、その逆をブログのタイトルに付けてみた。「泣いたり起きたり」

歌詞に「泣き疲れ眠るだけ」とある。ま、「泣いたり笑ったり」「転んだり起きたり」の慣用句をもじっただけだが。

NHKは祝日になると、平日とは異なる番組を流す。3月20日の春分の日。早朝6時過ぎにテレビをつけたら、ニュースではなくトーク番組をやっていた。

 朝ドラ「ばけばけ」の主題歌を歌うハンバートハンバートに、「ばけばけ」の出演者が加わって、主題歌の誕生秘話などを紹介していた。「ハンバートハンバート『笑ったり転んだり』を語ったり」で、再放送だった。

朝ドラの演出スタッフがハンバートハンバートに主題歌を依頼する。注文は一切つけない。

小泉八雲の妻セツが書いた『思ひ出の記』を読み、ゆかりの土地(松江など)を巡って触発されたものを作品にしてほしい――それだけだった。

 依頼したスタッフの胸中には、詩人山之口貘(沖縄出身、1903~63年)の詩「賑やかな生活である」があった。そんな詩の世界をイメージしていたが、そのことは口には出さなかった。

 スタッフが出来上がった作品を試聴すると、思い描いていたイメージとぴったり重なった。聞いているうちに涙が流れたという。

 ああ、心に響いたのだな、と思った。最終回前の最後のバンセン(番組宣伝)だとしても、そこからドラマづくりが始まったのだ、そういう信頼関係がドラマづくりの根底にあったのだ、という感慨がわいた。

 山之口貘の「賑やかな生活である」の冒頭部分が紹介される。「誰も居なかったので/ひもじい と一聲出してみたのである/その聲のリズムが呼吸のやうにひゞいておもしろいので/私はねころんで/思ひ出し笑ひをしたのである/(以下略)」

 貧乏でも貪(どん)しない。「ひもじい」と口にした自分を、その言葉の響きを、もう1人の自分が面白がる。

 ハンバートハンバートの「笑ったり転んだり」にも、日常を客観化しながら、それに押しつぶされまいとする意思が感じられる。

出だしからしてそうだ。「毎日難儀なことばかり/泣き疲れ眠るだけ/そんなじゃダメだと怒ったり/これでもいいかと思ったり/(以下略)」

前にその2番目の出だし、「日に日に世界が悪くなる」を紹介した。「野垂れ死ぬかもしれないね」「帰る場所などとうに忘れた」といったフレーズは、長年放浪生活を続けた山之口貘の人生とも重なる。

スタッフが流した涙は、主題歌と貘の貧乏暮らしの詩が共振したからだろう。ついでながら草野心平と山之口貘は詩友であり、酒友でもあった。

NHKはこの日の夕方6時過ぎから、また「ばけばけ」のスペシャルトークショーを放送した=写真。

おかげで山之口貘の詩と、「ばけばけ」の歌詞に、同じ日の朝と晩、じっくり向き合った。

2026年3月23日月曜日

ハクモクレン開花

                                 
 3月22日の日曜日は、光は春だが空気はまだ冬だった。髪の毛を切ったので、マフラーをしていないと首筋がスース―する。それでも夏井川渓谷の隠居へ車を走らせながら、沿道の春をチェックした。

 まずは三島(小川)のハクチョウ。「1羽もいないといいが」。念じながら三島橋と、小川江筋の多段式取水堰を横目に過ぎると、対岸の水辺に白いかたまりが一つ。上流の中央にも同じく白いかたまりが一つ。こちらはすぐダイサギとわかった。

 手前の白いかたまりはハクチョウだった。長い首を水中に突っ込んでモグモグやっている。水草を食べていたのだろう。

 首を出したところをカミサンがパチリとやった。あとでデータをパソコンに取り込み、拡大すると後ろにカルガモが3羽いた=写真上1。

 残留コハクチョウの「エリー」だろうか。だとしたら、今年(2026年)もシベリアへは帰れなかったことになる。

 小川の里を抜けて片石田の直線道路に入る。夏井川に合流する加路川の橋の手前、右手の広場にあるハクモクレンが一気に開花していた=写真上2。

 ここには車のスピードを落として「チラ見」するものがもう一つある。橋の上流すぐ下、なぜだかわからないが(人が植えたにちがいない)、バナナの葉っぱより大きな葉を付ける草本がある。たぶんバショウ。

 夏場はあおあおと大きな葉を広げている。冬にはこれが枯れて黄土色になる。渓谷までの沿道の不思議の一つではある。

片石田のハクモクレンが開花したとなれば、いわき駅周辺のハクモクレン(街路樹)も開花しているはずだ。

 隠居からの帰り、平のマチに入ると、レンガ通りのハクモクレンが白い花を付けていた。するとソメイヨシノも間もなく、という連想がはたらく。

 以前は公園のソメイヨシノが咲いて、マチのハクモクレンが咲く――そんな順序だったような記憶があるが、この2~3年は同時、あるいはハクモクレンが先行する。

それよりなにより、マチのソメイヨシノと渓谷のアカヤシオはほぼ同時に咲く。その開花が間近い。

さらに、もう一つ。マチからの帰りに堤防を利用すると、いつものネギ畑からネギが消えていた。やっと「冬ネギ」の収穫が完了したのだ。何もない畑を見てなぜかホッとした。

2026年3月21日土曜日

平成元年の未来会議

                                 
 40代から50代にかけて、いわき市が開く審議会や懇談会のメンバーになったことがある。

 なかでも記憶に残っているのは「未来会議」と「総合型図書館整備懇談会」だ。正式な名称は忘れたが、たまに当時の議論とメンバーの顔を思い出す。

議論が楽しかったというのが一つ。もう一つは、自分たちの身の丈に合った提言内容だったことが懐かしい理由だろう。

市民が利用しやすい図書館を――。自分たちで提言した総合図書館を、私自身、オープンと同時に利用している。

図書館へ行って本を借り、調べものをして感じるのは、休館日や開館時間などの提言がよく生かされているということだ。

つまりは、自分の暮らしと密接につながる総合図書館ができたこと、そのための考え方などを「協働」でつくりあげたという実感がある。

ある日、ひょんなことからこの2つの組織を思い出した。いったい何歳のときにかかわったのか。ネットで情報を探ると見えてきた。

「未来会議」は平成元(1989)年から同3年まで続いた。私は満40歳だった。3つの提言を終えて解散するときには満42歳になっていた。

「総合型図書館」の方は平成13(2001)年から翌年にかけて開かれた。つまりざっと10年後、満52歳前後のことである。

 先日、久しぶりに総合型図書館への提言書=写真=を読んでみた。ここでは前に書いたブログの文章を引用する。

 ――「基本理念」のなかに〈「個」のある図書館、「輪」をつくる図書館〉というフレーズがあって、次のような文言が添えられている。
 「思い思いに過ごす『自分の椅子』のある図書館。ここは、人と人、人と情報とが出会う交差点。この新たな図書館が、いわきの文化をはぐくみ、人々の暮らしの質を高め、街のにぎわいをつくる」

総合図書館が平成19(2007)年10月25日、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」のオープンと同時に、中核施設として開館した。

奇しくも同じ日に私はフリーになった。すぐさま図書館通いが始まった。以来、仕事に、趣味に「自分の椅子」を利用している。

といって、何時間もいるわけではない。空想の「マイチェア」がいつもそこにある。そう思わせる規模、環境、空間ができた。

「ラトブ」は街のなかの「街」であり、「知の森」であり、仕事に必要な「もう一つの椅子」である。少なくとも私にはそんな存在だ。今日も「知の森」に分け入るつもりでいる――。

未来会議では①国際化②自然とヒトのシナリオ③まちづくりにおける市民と行政――の3つの提言をした。

最初の国際化は事務局から提案されたが、あとの2つはメンバーが提起して自由に議論した。

自然とヒトのシナリオでは、哲学者内山節さんの本をベースに、自然を利用しながら守っていくための認識を深めた。

「まちづくりの本をつくろう」となって、四国の四万十川を訪ねたこともあった。こちらも提言書を読んで思い出した。

2026年3月20日金曜日

「他人の空」

思い立って図書館から『新選飯島耕一詩集』(思潮社、1977年)=写真=を借りて読んだ。

目当ては「夜あけ一時間前の五つの詩他」。しかし、それは入っていなかった。若いころ読んでよくわからなかったが、表現としては「現代風」と感じた記憶がある。

作品がネットに紹介されていた。そのなかに「砂粒たちの夜あけ一時間前の/青い爆発」とある。

今も何のことかはわからない。ただし、意味以上に新しい言葉の関係を築こうとしていることは理解できる。

 「他人の空」と題した詩。このタイトルはなんとなくわかる。自分の住む世界の空とは思えないという違和感。シュールレアリスト詩人には、戦後の日本がそう映ったのだろう。

実は最近、夜明け前1時間の空に「なんだろう、これは」と思うことがあった。すっかり早寝早起きになって、未明の4時半には玄関の戸を開けて新聞を取り込む。ついでに庭へ出て天を仰ぐ。「観天望気」の「観天」である。きょうは曇天か。

星が見えない。でも、ネットでいわきの天気予報をチェックすると、その時間も「晴れ」のマークになっている。星が見えないのは、なぜ?

 夜明け前1時間の空を細かく表現するとこうなる。人間のいる庭はまだ夜で暗い。空は全体としては暗いが、天のドームだけは灰色に近い。

 晴れているのに星の見えない時間帯がある。考えれば当たり前だが、ネットで検索すると「天文薄明」という言葉がヒットした。

 日の出前・日の出後1時間ほどの空の薄暗さを指す。太陽はまだ地平線の下にあるか、地平線に沈んだばかりだ。大気中の微粒子がその角度からの日光を散乱し、空が薄暗く(薄明るく)見える現象をいうそうだ。

 春夏秋冬、日と月が変わり、季節が変わっても、未明の4時半前後に新聞を取り込む習慣は変わらない。

 夏至のころは玄関の先が明るくなり、冬至のころはまだ暗い。春分の日と秋分の日のころはその中間だ。

今年(2026年)は3月20日が春分の日だ。前日に見ると、夜明け前の玄関はガラス戸がほんのり灰色がかっていた。

 ついでながら、「天文薄明」にたどり着いたあとも検索を続けて、ふだん使っている言葉の違いに触れた。

 「かはたれ」と「たそかれ」。どちらも意味は同じだろう。「かはたれ」は「彼は誰」、「たそかれ」は「誰そ彼」。

「たそかれ」は夕方の薄明を指し、「かはたれ」は朝方の薄明を指すのだとか。私は「黄昏」も「かわたれ」も同じ夕暮れの言葉として使ってきた。

ま、それはどうでもいいことだが、「観天望気」は暮らしの基本で、週末だけの土いじりでも大事になる。

腕時計に縛られた生き方から解放されて18年。今は身体的な実感がより大切だという思いがある。

   19日の薄明は、地平線に近いところ、民家の黒い屋根の上もほんのり白んでいた。それがはっきりわかった。夜が明けると霧状の雨。しかし、これもすぐやんだ。今年(2026年)は、雨はまだまだ足りない。