2025年4月28日月曜日

ある詩の1行

                                           
 生態学系の本を読み続けているせいか、ふと思い出した詩の1行がある。

 人間の開発圧力が及んで、動物たちが姿を消していく。そのとき、動物たちには人間にサヨナラをいう気はない――そんな感じの詩行だった。

 だれの詩だったか。確かアメリカの詩人だ。ロバート・フロスト? 違う。ゲーリー・スナイダー? それも違う。

 フロストでも、スナイダーでもない、だれか。ネットでアメリカの現代詩人を検索して、記憶がよみがえった。ヘイデン・カルース。

そう、カルースの詩集『雪と岩から、混沌から』(書肆山田、1996年)=写真=の中に出てくる1行だった。

 詩集としてはけっこうな厚さで、沢崎順之助とDW・ライトが作品の選択、試訳と分担しながら、共同で作業を進めた。

 夏井川渓谷の隠居へ通い始めたころ、新聞か雑誌で知り、山村暮らしをしている詩人に興味がわいて本屋に注文したのではなかったか。

 まだ50代前だった。隠居へ行くたびに詩集を開いていたが、そのうち本棚の隅に置きっぱなしになった。

 カルースは1921年、アメリカ・コネチカット州に生まれた。ニューハンプシャー州の山村に生活して詩作を続けている、と本の著者略歴にある。ジャズ音楽を中心にした評論も多いという。

 それ以外の情報は、残念ながらネットでも得られなかった。翻訳詩集が出たとき、詩人は75歳だった。本人とも連絡を取りながら、日本語訳の詩集がなった。生きていれば104歳になる。

 記憶にあった1行は、「随想」という詩の最終行だった。「動物の死を題材にした詩はじつに多い。」で始まる27行の詩で、「この歳月は動物を消滅させる歳月だった。」ともある。

「シカはけたたましいスノーモービルに追い立てられ/ぴょんぴょん跳ねて、最後に生存のそとへ/跳んで消える。タカは荒らされた巣のうえを/二度三度旋回してから星の世界へ飛んでいく。」

「生存のそと」も「星の世界」も動物の死を暗示する。そして、その結語。「動物たちには人間を責める能力があるかどうかは知らない。/しかし人間にサヨナラを言う気がないことは確かだ。」

「サヨナラだけが人生だ」は、作家井伏鱒二の、唐詩選からの「超訳」だが、こちらはある意味で自然と人間の対立を象徴する。

もともと動物たちは人間にサヨナラを言うような存在ではないにしても、カルースが文字にして示すと心が波立つ。

「人新世」がいわれる現代、「生存のそと」へと消えてしまうのは、次は……という思いになる。

40代後半で乱開発の警鐘に触れ、70代後半でさらに事態は深刻の度を増したという思いを深くする。

2025年4月26日土曜日

新ゴボウ

                                
    日曜日は夏井川渓谷の隠居で土いじりをする。その帰り道、食材を調達するために平窪のやさい館へ寄ることがある。私は「カゴ担当」だ。

4月20日はナメコ、ポン菓子、キュウリ、カブなどと一緒に、細くて短い新ゴボウを買った。

カブとキュウリは糠漬けの材料だ。今年(2025年)の漬け始めはカブ。そして、今はキュウリも加えて交互に、あるいは同時に漬けている。

新ゴボウは水曜日の午後、カミサンが細切りにして味を付けながらサッとゆでた。それが終わったところへ楢葉町の知人がやって来た。

知人はいつも手製の食べ物か食材を持参する。今回はゴボウのきんぴらだった。カミサンからその話を聞いて驚いた。なんという偶然!

夜、食卓にゴボウの煮物ときんぴらが並んだ=写真。味比べをするつもりはない。が、どうしても比較してしまう。どちらもやわらかかった。それだけでホッとする。

ゴボウにゴボウだから、そう簡単には器がカラにならない。翌日もまた、晩酌のおかずになって出た。それでも余った。

こんなときに義弟がいたら、と思う。ゴボウに限らない。もっと早くおかずの器がカラになるのではないか。

隣家に住んでいた義弟が彼岸へ旅立って半年になる。それからわが家の食事の風景が変わった。

義弟の不在を、私は漬物の消費量から感じてきた。「食べるだけの人間」だが、漬物は私がつくる。

冬は白菜漬け、春~晩秋は糠漬け。糠漬けはカブから始まって、すぐキュウリに移り、その後はキャベツやニンジン、ハヤトウリ、大根などと季節に応じて変えていく。

 義弟は私より1歳年下だ。同じ団塊の世代で、食べ物の好みが似ている。ご飯には漬物を欠かさない。

 今は白菜漬けから糠漬けに切り替えて1カ月といったところだろうか。その糠漬けの減り方がこれまでと比べてずいぶんゆっくりになった。

   一つには、私ら夫婦の食べる量が減ったこと。二つ目は義弟が亡くなって、食卓を囲む人間が1人少なくなったこと。それでごはんとおかずの消費量が減ったのだ。

 ゴボウのきんぴらも煮物もこれだけやわらかいと、歯の悪かった義弟も普通にかむことができたのではないか。

 冬の白菜漬けも、春の糠漬けも空気に触れている時間が長くなると、酸味が増す。私はそれをあまり好まないので、ますます食べる量が減る。

 ま、それはさておき、今度新ゴボウが手に入ったら糠漬けにしてみようか。あれだけやわらかいのだから、漬かりも早いはずだ。食べる量は減っても、食欲そのものはそう変わらない。

2025年4月25日金曜日

わが家の庭にもアミガサタケ

                                 
   春になって少し暖かくなると、朝、庭に出て歯を磨く。地面からヤブガラシの芽が出ている。それを、歯を磨きながら摘む。マサキの生け垣も歯を磨きながら観察する。ミノウスバの幼虫がいれば、葉ごと除去する。

今年は4月20日の朝、この「ながら観察」を再開した。2日目も、庭に出て歯を磨きながら、地面をながめていると――。

ん? 春のキノコのアミガサタケがひっそりと1個、地面から頭を出しているではないか=写真。

 なんという偶然、いや僥倖(ぎょうこう)だろう。たまたま「ながら観察」を始めたばかりの人間の目に、今が採りごろの食用キノコが待っていた。

眼福を独り占めにするわけにはいかない。カミサンを呼んで、アミガサタケの立ち姿を、指をさして教える。

 前日に夏井川渓谷の隠居の庭で、アミガサタケの幼菌を収穫したばかりだ。今度は平地のわが家で、いながらにしてキノコ狩りを体験するとは。

 実は8年前(2017年)にもわが家の庭にアミガサタケが発生した。そのときのブログを一部省略して再掲する。

――4月14日朝、カミサンの用事で運転手を務め、帰って庭に車を止めた。「あらっ、キノコ!」。カミサンが助手席から降りるなり叫ぶ。急いで回り込む。庭の花壇のへりにアミガサタケが頭を出していた。まだ幼菌だった。

アミガサタケは優秀な食菌だ。春、空き地や人家の庭、路傍などに生える。夏井川渓谷では、友人の家やわが隠居の庭でも見られる。

市街のわが家の庭に現れたのは初めてだ。渓谷の隠居の庭からなにかをレジ袋に入れて持ち帰り、袋をひっくり返して葉っぱや土を捨てた中にアミガサタケの胞子が含まれていたか。

 アミガサタケは、柄も頭部も中空だ。丈はまだ5センチにも満たない。頭部の網目の間のくぼみ(ここに胞子が形成されるそうだ)は黒っぽい。その色が、頭がどう変化するのか。1週間は観察してみる。そのあとバター炒めにしてもいい。

渓谷を、街を、野原を、杉の花粉ばかりか、キノコの胞子が飛び交っている。空に浮かんでいる胞子は見えないが、胞子の存在を想像することはできる。

その空に、胞子に比べたらとてつもなく大きいツバメが飛んでいた。今年初めて見た。地面も空も春である――。

 庭で枝葉を広げている木は柿やカエデ、ヤツデその他だ。どの木と共生関係にあるのかはわからない。

が、地中には規模こそ小さいものの、アミガサタケの菌糸網がひっそりと生きているのだろう。

あるいはただ単に、「旅する胞子」が偶然、わが家の庭に根付いたか。いずれにしろ、アミガサタケ1個だけでも、小さな自然の大きな豊かさを思わないではいられない。

翌日も、歯を磨きながら地面に目を凝らすと、マサキとヤツデの根元に、隠れるようにして1個が見つかった。2日続けての僥倖ではあった。

2025年4月24日木曜日

「愉英雨」ってなに?

                               
   NHKの朝のニュースで気象予報士が「愉英雨」という言葉を取り上げていた。「ゆえいう」。なに、それ? 「花を楽しませる春の雨」のことだという。

4月23日は朝から雨の予報だった。「愉英雨」の言葉に刺激されて庭を見ると、ちょうど雨が降り出したところだった。

再開して間もない朝の習慣に従って、傘をさしながら庭で歯磨きをした。ヤブガラシの芽を2本摘んだあと、つぼみを膨らませていたエビネが一輪開花したことに気づく。

エビネにとってはまさに「愉英雨」だ。むろん、ほかの草木にも恵みの雨にはちがいない。せっかくだから、きょうは「愉英雨」の勉強をするか――。

まずは写真だ。歯ブラシを置いてカメラを首からぶら下げ、傘をさしながらエビネをパチリとやる=写真。

「愉英雨」は初めて聞く言葉だった。音読み言葉だから漢語? それとも和語? ネットで検索すると、お笑いタレントで漫画家の矢部太郎さんの文章が最初にあらわれた。

「愉英雨の英は花を意味して、春に咲く花々を愉(たの)しませ、喜ばせる雨のことです」。

なんと矢部太郎さんは気象予報士でもあったのだ。その知識を生かして、家庭画報に「雨のことば」を連載していた。

それはさておき、ネットからは「愉英雨」の原典も、出典も判然としなかった。こうなったら、わが家にある辞書に当たるしかない。

漢和辞典で「英」は「花」であることを確認する。さらに、高橋順子・文/佐藤秀明・写真『雨の名前』(小学館、2002年第6刷)に当たると、「愉英雨」があった。

 花を楽しませる春の雨というほかに、「俳句の季語『山笑う』は、樹々の固い芽がやわらかくほどけるさまを言いえて妙」というコメントが添えられていた。少しイメージが広がったが、それ以上はやはりわからない。

 この「愉英雨」と同じページに「養花雨(ようかう)」がある。花曇りのころに、春の花に養分を与えるように降る雨のことをいうのだとか。「育花雨(いくかう)」とは同意語、ともあった。

『雨の名前』から、漢字が3文字で音読みの春の雨の名前を拾うと――。「杏花雨(きょうかう)」。二十四節気のひとつ「清明」に当たる4月5日ごろ、つまりアンズの花が咲くころに降る雨のことだという。

「迎梅雨(げいばいう)」。陰暦3月の雨で、古く中国の江南で言われていた言葉だそうだ。

 意味は省略するが、「洗街雨(せんがいう)」「洗厨雨(せんちゅうう)」には古代中国の大帝についての記述がある。「杏花雨」にも、古代中国ではアンズの花が愛でられた、とある。

 それからの類推。「ゆえいう」という音の連なりは、日本語としてはなじまない。古語としてもそうだろう。

ということは、これもまた古代中国の文献かなにかに記録されている文字ではなかったか。しかし、手元にある漢和辞典には、「愉英雨」はなかった。

2025年4月23日水曜日

北イタリアのシュロ

                                           

  気候変動は、私たちが住んでいる地域の環境に直結した問題でもある。

 猛威を増した低気圧や台風、洪水、酷暑、豪雪、竜巻、……。異常気象による自然災害が多発し、人間の生命と財産を脅かす。

いや、「人新世」が招いた気候変動に人類自身が翻弄されるようになった、というべきか。

 地球は、地域はこれからどうなるのか――。その手がかりを知りたくて生態学者などが書いた本を読み続けている。これは、4月19日の拙ブログ「タネをまく生物」の続き。

 ソーア・ハンソン/黒沢令子訳『温暖化に負けない生き物たち――気候変動を生き抜くしたたかな戦略』(白揚社、2024年)=写真=に、こんな例が紹介されている。

 海水温の上昇で南の海にすむヒマワリヒトデが苦しんでいる。ヒマワリヒトデはそれで北方の海に生きる道を開いているようだという。

 「かつては凍てつくほど冷たかったベーリング海の水温は、今では温暖化の影響で、生息を阻む大きな障壁ではなくなり、ヒマワリヒトデはアリューシャン列島全域とその向こうの沿岸に新たに棲みつけるようになった」

 開発の手が入らなかったために、鳥類の昔のデータと比較検討ができるペルーの山地では、「絶滅のエスカレーター」がフルスピードで上昇しているという。

 1985年には普通に見られた、高い標高に特化した種のうち半分近くが姿を消した。残っていた種も個体数が激減し、生息地も頂上の直下に限られていた。

 「そもそも山はピラミッドのように上に行けば行くほど狭くなるので、どんな動植物が移動してこようとも占有できる面積は狭くなり、最終的にはなくなってしまうかもしれない」

 クリス・D・トマス/上原ゆう子訳『なぜわれわれは外来生物を受け入れる必要があるのか』(原書房、2018年)にも、同様のことが書かれている。

 「動植物はおよそ17キロのスピードで、北極または南極へ向かって移動している。(略)それが、人間が引き起こした温暖化が1970年代の半ばに明確になって以来、毎年、毎日続いている」

 アルプス山脈の南麓、スイスとイタリアにまたがる「マッジョーレ湖」周辺の話。「野生のシュロが実をつけるほど大きくなったところはどこも、下層は次の世代の葉でまったくのジャングルになっている」

 わが家にも鳥がタネを運んできたのか、実生のシュロがある。マッジョーレ湖畔のシュロも、最初は中国か日本から運ばれた園芸種だったにちがいない。

 やがて「湖の土手を縁取る森でおおわれた暖かい斜面はほとんど全部青々としたシュロの林になるだろう」というところまで占有しつつある。

「マッジョーレ湖は人新世からの絵葉書だ」。こんな文章に出合うとつい地球の未来について考え込んでしまう。

2025年4月22日火曜日

2年ぶりのアミガサタケ

                                
   4月20日の日曜日、夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、庭を一巡りする。

満開のシダレザクラの下では、背をかがめて地面に目を凝らした。春のキノコのアミガサタケが出ているかもしれない。

シダレザクラは隠居と地続きの庭、畑のそばの空きスペースにある。南側は石垣になっている。地下に張り巡らされた菌糸網は、それで北側のスペースに、半円状に広がっているはずだ。

 去年(2024年)はアミガサタケの姿がなかった。枝葉が枝垂れる内側では、もう子実体(キノコ)は発生しないのかもしれない。

 畑の脇には植えたハーブと雑草が茂り、草を刈るだけのスペースが広がる。菌糸網は、しょっちゅう掘り起こされる畑を避けて、そちらへ伸びているのではないか。

そう判断して、枝葉の外縁部に沿って進むと、あった。アミガサタケが点々と、9個も。

 毎年4月は隠居へ行くたびに、アミガサタケを探す。今年は6日、13日と空振りだった。去年に続いて不作か――半ばあきらめかけていただけに、小躍りしたくなった。

「あった!」。思わず声に出すと、そばでヨモギを摘んでいたカミサンがびっくりして顔を上げた。「なにが?」「アミガサタケ!」

まずは地べたに這いつくばるようにしてカメラを向ける。そのあと収穫し、ヨモギにアミガサタケを添える=写真。それだけで満たされた気分になる。

東日本大震災に伴う原発事故の影響で、隠居の庭が全面除染の対象になった。事故から2年後の冬、庭の土を入れ替えた。

アミガサタケはもう出ないだろうと思っていたら、平成28(2016)年の春、シダレザクラの樹下に子実体が現れた。

両者はどうやら共生関係にあるらしい。除去された表土より深く菌糸が残っていたようだ。

発生を確認した4月の日曜日の記録が残っている。早い順からいうと、11日、19日、21日、22日、23日、24日で、だいたい下旬に集中している。今年は20日だから、例年並みの出現か。

この日、いわきキノコ同好会会長の冨田武子さんの告別式が執り行われた。前日、葬儀場に出向いて焼香し、遺影と対面した。

キノコ同好会に入ってざっと30年。一貫して冨田さんの「キノコ学」に触れてきた。アミガサタケを摘みながら、そのことを思い出した。

同好会の総会・勉強会は年末に行われる。勉強会はほとんど冨田さんが講師を務めた。日本特用林産振興会公認の「きのこアドバイザー」でもあった。

食毒を知って終わり、ではキノコのほんとうの魅力がわからない。色や形の面白さ、腐朽と共生という働き、地球の植物と菌類の切っても切れない関係などを学んで、自然観が変わったといってもいい。

さて、どうするか。アミガサタケを縦に二つに割ってバター炒めにする。コリコリして癖がない。夜、故人の冥福を祈りながら、ありがたくいただいた。

2025年4月21日月曜日

中通りは夏日

                                              
 4月の前半が終わったばかり。寒の戻りもある時期なのに、4月18日は「季節外れの暑さ」になった。

 福島県の中通りは、二本松の27・8度を最高に、郡山26・9度、福島26・7度、白河25・7度と夏日を記録した。

 浜通りのいわき地方は小名浜で21・7度、内陸の山田で23・4度と、中通りほどではなかったが、やはり気温が上がった。

 この日午前中は茶の間で仕事を続けた。着ているものは前日までと同じ「準冬服」だ。

 早朝はさすがにひんやりしている。こたつにスイッチを入れたが、石油ストーブは我慢した。「もう灯油は買わなくてもいいのではないか」。胸の中で別の自分がいう。

 時間がたつにつれて「寒さ」の感覚が薄れていく。そう、体内の気温センサーは「暑さ」よりも「寒さ」に敏感らしい。

 午後、庭に出ると、立っているだけで汗ばんできた。現役のサラリーマンなら背広を脱ぎ、ネクタイを緩める暑さだ。当然、若者は半そでシャツになっていることだろう。

 黄色いタイプのイカリソウの花=写真=をながめているうちに、「これはたまらない」そんな気分になった。

薄手のジャンパーを脱ぎ、ついでに毛糸のチョッキもとなったが、夕方の気温低下を見越して、それは思いとどまった。

 ついでにあたりをぶらつく。生け垣のマサキの根元にヤブガラシの赤い芽が出ていた。また「芽むしり」の季節が巡ってきた。

 そういえば、と次々に連想がはたらく。先日、生け垣を見ていたら、若葉が一部、消えていた。ミノウスバの幼虫がすでに孵化し、かたまりになって葉を食害している。

 これから次々に幼虫が見つかる。その都度、幼虫ごと葉を除去する。そうしないと、生け垣が丸裸にされる。生け垣の意味がなくなる。

 侵略的外来生種であるフランスギクも茎をのばしてきた。これも根元から引っこ抜いた。

 寒くて控えていたが、春から初夏は朝、歯を磨きながら庭の植物や虫たちを観察する。

この時期のいつもの習慣で、合わせて「芽むしり仔撃ち」をする。それを怠ると、あとで痛い目に遭う。

が、自然の息吹は人間の思惑より早まっているようだ。人間が茶の間にこもっているうちに、ミノウスバの幼虫は早々と孵化した。ヤブガラシもあちこちから芽を出した。

 年に一度は庭師が入って「整髪」していた民家の「庭園」がある。空き家になった今は、木々の枝葉が茂り、地面も草で覆われつつある。わが家の庭も同じで、放置すればすぐ荒れる。

 それはともかく、テレビは盛んに「熱中症に注意を」と呼びかける。まだ4月後半、と思うのは、老体が「寒さ」を引きずっているからで、マチはすでにハナミズキが開花して初夏の装いに変わった。