5月17日の「笑点」には驚いた。大喜利にウルトラマンが登場した。座布団運びは、なんとカネゴンではないか。
なぜウルトラマンとカネゴンが? 笑点は放送開始から今年(2026年)で60年を迎えた。
ウルトラマンも誕生60年だという。同じ60年でコラボが実現したのをネットで知り、めでたい気分になった。
60年前といえば昭和41(1966)年。平高専の3年生だった。いわき地方の高校生はまだ坊主頭の時代で、高専生は3年になると長髪が認められた。それで、同年代の高校生よりも一足早く大人になった気分だった。
この年の10月1日、常磐地方14市町村が合併して「いわき市」が誕生する。それに合わせて校名が「平高専」から「福島高専」に替わった。
ウルトラマンだけではない。ビートルズが来日・公演したのもこの年だ。坊主頭の後輩は東京までビートルズを聞きに行き、寮に帰って仲間に熱く感動を語った。
ウルトラマンは須賀川市出身の特撮監督円谷英二が中心になってつくり上げたヒーローである。
学校の敷地内にある寮からマチの下宿に移ったり、また寮に戻ったりしていたころ、テレビにウルトラマンが現れ、子どもたちをとりこにした。
当時、テレビを見る時間はなかったが、ウルトラマンの人気が子どもたちの間で沸騰していることは知っていた。
同じ勧善懲悪モノでも時代劇と違って、宇宙とつながった未来ドラマであるところが、子どもたちには新鮮だったのだろう。
東京へ飛び出したあと、Jターンしていわき民報の記者になり、お城山のアパートに住んだ。
庭をはさんで大家さんの家があった。大家さんの孫(女の子で4~5歳だった)がよく庭でウルトラマンの歌を歌っていた。
「帰ってきたぞ、帰ってきたぞ、ウルトラマン」。ウルトラマンの新しいシリーズが始まって間もないころではなかったか。
日曜日の夕方には、アパートのふもとを走る常磐線の電車を見るために、よく散歩をした。ときどき女の子も付いてきた。
一緒に「帰ってきたぞ、帰ってきたぞ、ウルトラマン」と口ずさみながら、夕焼けの街をながめたこともある。
そのころ、高校の先生や後輩らと同人誌を出した。それに「わがウルトラマン」という詩を載せた=写真。
「この夕陽 目の高さで地平を焼くまで/純粋微笑のおまえをみちづれに/しばし 未風化の記憶を鞭打ちながら/ワイワイいって歩くとしよう」。出だしは実景そのものだ。
実は先日、カミサンが縁側にあるスチールボックスの中身を取り出し、ダンシャリを始めた。
そこに私が10代後半から20代前半にかけて関係した同人誌や手書きの原稿などが眠っていた。それは捨てられない――となって、今、手元にある。
ついでながら、「〇×60年」をネットで検索した。「おはなはん」もそうだった。主役は、やがていわきゆかりの俳優と結婚する樫村文江さん。この朝ドラはなぜかよく覚えている。