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2021年7月11日日曜日

伝承郷の「小白井きゅうり」

        
 用があって、いわき市暮らしの伝承郷を訪ねた。合間に館長氏の案内で昔野菜の畑を見た。

「小白井きゅうり」が収穫期に入っていた。ずんぐりむっくりの実をもらったことはあるが、畑に生(な)っている姿=写真上=を見るのは初めてだ。20センチ弱になったら食べごろらしい。皮は薄いがやや硬い。しかし、中身は軟らかくてみずみずしい。

 伝承郷に補助職員として勤めている人が作業をしていた。たまたま今年(2021年)は、わが家と夏井川渓谷の隠居で小白井きゅうりを栽培している。見るもの・聞くものすべてが参考になる。

「葉のカットは?」「風通しを考えて」。なるほど。古くなった葉はもちろんだが、込み入ったところは日当たりや風通しを考えて整葉する。そうでないと「うどんこ病」になりやすい、ということなのだろう。

 頭ではわかっていても、実際、どの時点で整葉するかとなると、判断に迷う。畑を見て、話を聞いて、迷いが晴れた。

 渓谷の隠居の小白井きゅうりは、花が咲いて実が生り始めたばかり。赤ちゃんのときから貫禄十分というか、ずんぐりむっくりしている=写真下。

わが家の台所の軒下では、うどんこ病らしい白斑が葉に出ているものもある。今は思いつきで粘着テープをあててこれを除去しているが、やはり完全に取り除くのは難しい。そうしているうちに葉が役目を終えて傷んでくる。ほかの葉の展開を見ながら、古い葉を除去する。そのタイミングをはかるうえで、伝承郷での見聞が参考になった。

管理棟内の一角に、小白井きゅうりやナスなどが入った袋が置いてあった。「どうぞ持って帰ってください」。補助職員さんの言葉を思い出して1袋を手に取ると、今度は受付の職員さんから声がかかる。「きょうはもう来館者はいないので、全部持って行ってください」。勧められるままに3袋を持ち帰った。

お福分けの野菜である。近所への再お福分けと料理はカミサンにまかせる。まずは小白井きゅうりの酢の物が晩酌のおかずになって出てきた。きゅうりもみも出た。翌朝は味噌汁に入っていた。『いわき昔野菜図譜』(いわき市、2011年)には、ほかにきゅうり炒めも載る。

川前・小白井地区では、塩水による「どぶ漬け」が主流だが、軒下で小白井きゅうりが収穫できるようになったら糠漬けを試してみようと思う。

子どものころ食べたキュウリは、小白井きゅうりに似てずんぐりむっくりタイプだった。どこかの畑で皮が赤みがかって太くなっていたキュウリを見た記憶がある。種採り用に残しておいたものだったか。

種の採り方もいちおうは頭に入っている。とはいえ、三春ネギと辛み大根のほかに、小白井きゅうりもとなると、隠居の庭だけでは間に合わない。ひたひたと打ち寄せる老いの波につかりながら、そろそろ若い人に「種をつなぐ」ことを考えねば――そんなことが頭をよぎる。

2021年7月7日水曜日

キク科の花たち

        
 後輩がアーティチョークの花を6本持ってきた。畑でアーティチョークを栽培している。前にもらって硬い皮をむき、“花托”を刻んで素揚げにして食べた。収穫されずに畑に残ったものが開花したのだという。

カミサンが床の間に飾った=写真上1。アーティチョークそのものがソフトボール大だから、その頭が開いて咲き出した花も大きい。直径10センチ、いやそれ以上あるかもしれない。

花瓶にいけられたアーティチョークの花を見ているうちに、ゴッホの「ひまわり」を思い出した。「ひまわり」シリーズの1点を、何十億円かで日本の企業が手に入れたのはいつだったか。

ただし、私が興味を持ったのは花と花瓶の関係だ。作家の堀辰雄は「向日葵(ひまわり)は西洋人より背が高い」と言った。が、そこまで大きいと、花の径も20~30センチはあるだろう。ゴッホのひまわりは、どうやらそれとは品種が違うらしい。

アーティチョークの花にはどっしりした花瓶が合う。それと同じで、ゴッホのひまわりも、どっしりした花瓶にいけられている。その対比からゴッホが描いたヒマワリの大きさが推測できた。アーティチョークの花と同じくらいだろう。

アーティチョークも、ヒマワリもキク科の花だ。これもそうらしい、花の雰囲気が似ている=写真上2。いわき昔野菜保存会から会報「ROOT(ルート)」が届いた。表紙の写真は、一見アザミ風。アザミに似た花を咲かせる昔野菜といえば、ゴボーの一種の「おかごぼう」だ。

『いわき昔野菜図譜』(いわき市、2011年)に「おかごぼう」の産地や特徴などが載る。滝野川系のゴボーで、いわき市内では渡辺町田部地区で栽培されている。

「畑の中で芯が立ってきて育つものがあるので、それを12月上・中旬に植え替えて、翌年の8月頃に採種します」。ということは、これからが花の最盛期か。ゴボーはキク科、アザミもキク科。アザミに似ているのは当たり前だった。

「ROOT」第6号では、東日本大震災から10年の節目に合わせて、巻頭に特別企画「あの日の記憶が、消えてしまわぬように。」が載る。震災直後、昔野菜の発掘・調査を行っていた「伝統農産物アーカイブ事業」のメンバーは、被災農家を尋ね歩いた。電話で安否も確認した。

 なかでも原発事故はもろに、昔野菜の栽培に影響した。生まれ育った地域から避難を余儀なくされる。農産物の出荷制限で農業を続けることがままならなくなる。

アーカイブ事業のあるメンバーが、山里から街のアパートに引っ越して生産を断念した農家に、「もう一度畑をやってみませんか」と提案、それで農業を続けるというケースもあった。

 前から生産者の高齢化や後継者不足が問題になっていたが、震災後はそれが顕在化し、種が途切れる恐れさえ出てきた。そこで発足したのが昔野菜保存会だった。私自身、三春ネギの栽培を続けているのは、原発事故に負けて種を途絶えさせたくない、という意地からでもある。キク科の花から、つい「あの日」と種の話になってしまった。

2019年2月12日火曜日

小豆の行く道・来る道

 いわき昔野菜保存会主催のいわき昔野菜フェスティバルがおととい(2月10日)、中央台公民館で開かれた。
 メーンの座談会=写真上=にしぼって書く。いわきの在来小豆に「むすめきたか」がある。茨城県常陸太田市では同じ在来小豆の「むすめきた」(「「か」はない)が栽培されている。「きたか」と「きた」を介した地域文化の交流を目的に、フロアも交えて語り合った。

コーディネーターの江頭宏昌山形大教授によると、「きた」は「きたか」より少し大きいが、ともに白い縞がある。「きたか」は6月上旬に種をまき、10月末には収穫が始まる。「きた」はやや遅い6月下旬~7月あたまにまいて、11月あたまに収穫する。豆の形質や栽培特性は同じ範疇に入るという。

いわきでは、遠野町で「いわき遠野らぱん」が「きたか」を原料に水ようかんを開発、新商品として売り出す段取りになっている。社長の平子(たいらこ)佳廣さんが明かした。品物も提供し、参加者が試食した=写真下。さっぱりした味だった。
常陸太田には、いわき昔野菜保存会と同じような目的を持つ「種継人(たねつぎびと)の会」がある。地元の和菓子屋・パン屋・ケーキ屋・カフェなどと連携して契約栽培を広め、新しい商品開発などが進んでいる。

「種継人の会」代表布施大樹さんは常陸太田の北部、福島県矢祭町と接する山間地に住む。同地域には福島県から嫁に来た女性が多いという。いわきの三和や川前、田人といった山間地と地域環境が似ているようだ。

川を軸にした人・モノの往来だけでなく、山間地には山間地同士の横のつながりがある。フェスティバルのあとの懇親会では、布施さんに同行した常陸太田の北山弘長さんとそのことに関連して語り合った。布施さんらは久慈川の支流・里川流域で暮らしている。いわきに当てはめれば、夏井川の支流・好間川流域といったところだろうか。

いわきの三和町で栽培されている「むすめきたか」が、山里のつながりのなかで常陸太田まで伝わったのかもしれない――そんなことが想定できる。

 私のなかでは、「きたか」と「きた」は2年前、在来種の豆を調べている長谷川清美さん(神奈川)から連絡が入ったときにつながった。昔野菜保存会の仲間の案内で長谷川さんが三和町の生産者を取材するのに同行した。そして今回、「きた」の地元で「きた」の栽培を続けている生産者と話をして、推測の確度が上がった。

 江頭さんの話では、常陸太田には「むすめきた」のほかに、黒い小豆の「むすめきたか」がある。横からいきなりパンチを食らったような衝撃が走った。種は人をつなぎ、人は人とつながる――ある意味、スリリングでロマンあふれるフェスティバルになった。

2018年8月13日月曜日

十六ささげのよごし

 いわき地方では、月遅れ盆に青年会が新盆家庭を回って「じゃんがら念仏踊り」を披露する。太鼓を打ち、「チャンカチャンカ」と鉦(かね)を鳴らして、「盆でば米のめし……」と歌い踊る。いわき市民の魂にふれる伝統芸能だ。
 
 歌は、「米のめし」のあと、「おつけでば茄子(なす)汁 十六ささげのよごしはどうだい」と続く。

十六ささげは、いわきの昔野菜(在来作物)のひとつだ。さやの長さが30センチ前後になったところで収穫する。見た目はちょっと太い緑色のひも、といった感じ。さやの実が16個あるからその名が付いたという説もあるが、以前確かめたときには、実の数が22だったり、19だったりした。それだけ多いという意味での「十六」なのだろう。

このささげを、先日いただいた=写真(一番外側のひも状のもの)。カミサンが、じゃんがら念仏踊りの歌にあるように、ゆでてごまよごしにした。やわらかくてうまかった。

震災前、沼ノ内の土曜朝市で手に入れたとき、普通のインゲン同様、素揚げにしてみた。結果は「ん?」だった。生の段階ですでにやわらかいうえに、高温の油で加熱したから、ふにゃふにゃになった。やっぱり歌にあるように「よごし」にするのが一番らしい。ただし、ゴマよりも同じ昔野菜のエゴマ(ジュウネン)を用いた「じゅうねんよごし」がよりふさわしいかもしれない。

 十六ささげは、食べるだけではない。『いわき昔野菜図譜』(いわき市、2011年3月発行)によれば、お盆の供え物のひとつでもある。8月16日の盆明け朝には、盆ござで供えたものを包み、冥途のみやげとして、十六ささげで包む――とある。

 ついでに、もうひとつ。十六ささげは岐阜県の「飛騨・美濃伝統野菜」でもある。美濃地方といわき地方は「安藤の殿様」でつながる。江戸時代の宝暦6(1756)年、美濃加納から藩主安藤信成が磐城平に入封した。そのとき一緒に十六ささげの種も入って来た、という仮説はどうだろう。

 きょう(8月13日)は月遅れの盆の入り。新盆家庭のすべての盆棚に十六ささげが供えられることはないにしても、お盆中は「十六ささげのよごしはどうだい」の歌があちこちで聞かれることだろう。

2018年7月10日火曜日

昔野菜会報「ルート」第3号

 いわき昔野菜保存会の会報は、名前が「Root(ルート)」。命あるものすべての根源にある「根っこ」という意味と、複数形になることで「結びつき」や「ふるさと」を表す「ルーツ」という意味もこめた(会報第3号=写真下=の編集後記から)。
 原発震災前の平成22(2010)年、いわき市が伝統農産物アーカイブ事業を始める。いわきリエゾン企業組合が調査・フェスティバル開催・報告書作成などを受託した。6年で事業が打ち切りになったあとは、同組合を中心に、短期雇用でかかわった調査員や、昔野菜の生産者、興味を持つ市民などで構成するいわき昔野菜保存会が事業を継続している。会報発行もそのひとつだ。

 会報は、保存会の若いメンバーが取材・編集・デザインを担当している。「読ませる」だけでなく、「見せる」ことを意識したグラフィックなつくりが新鮮だ。年1回の発行で、先ごろ出た3号は、巻頭に「いわき昔野菜が、本になりました。」という記事を載せた。新聞の見出しなら「、」も「。」もない。広告デザインの世界で仕事をしてきたメンバーが担当しているからこそのタイトルだろう。

 元地方新聞記者の寺尾朱織(かおり)さんが4月下旬、会津若松市の歴史春秋社から単行本『今、なぜ種が問題なのか 食卓の野菜が!?』を出した(1500円+税)=写真左。

 本を紹介する会報の記事前文に、「F1品種と呼ばれる現在主流の野菜(種)と在来作物の違いを切り口に、いわき昔野菜に関わってきた『人』に焦点を当てた1冊」「『いわき昔野菜フェスティバル』をはじめ、何度もいわきを訪問、調査スタッフ、料理人、生産者に取材することで、『昔野菜のこれまでの軌跡』をあますところなく伝えて』いる、とある。そのライター寺尾さんへの特別インタビューだ。

 本は4章構成で、1章では『タネが危ない』(日本経済新聞出版社、2011年)で知られる野口勲さんに、F1品種と在来作物の違いや問題点などを聞いた。以下、2章・種を守る運動、3章・いわきの種の守り方、4章・種を受け継ぐ人たちと、いわきの在来作物に焦点を当てた内容になっている。いわき昔野菜の本、といわれるゆえんだ。
 
 わが家に毎月、書店の外商さんがお勧めの本とともに、岩波書店のPR誌「図書」を持ってくる。5月は『今、なぜ種が問題なのか 食卓の野菜が!?』だった。すぐ買って読んだ。

 会報のインタビューでは、ひんぱんにいわきへ足を運んだ理由が語られる。アーカイブ事業に携わった人間が種の魅力に引き込まれる、その心の動きに引かれたという。出会った生産者が魅力的だったともいう。なるほど、「種」がつなぐ「人」の物語をめざしたのか。
 
 いわきの元地域紙記者としては、いわきに関してアカを入れたくなる個所がいくつかある。が、テーマとしては今の時代にふさわしいものだろう。会報自体も、「種」と「人」を結ぶ、今までいわきになかったメディアといっていい。

2017年10月3日火曜日

「いわき昔野菜」がテレビに

「いわき昔野菜」が9月29日夜7時前、福島放送(KFB)の「食メキふくしま」で取り上げられた。5分の番組だったが、コンパクトにまとまっていた。
 昔野菜の伝承・生産と消費の拡大に力を入れている「いわき昔野菜保存会」副会長の農業川内一浩さん(錦)が出演した=写真。川内さんは広い畑でいろいろな昔野菜を栽培している。保存会の「種の管理人」のような存在でもある。

 私も保存会に所属している。ほかに、いわき地域学會、いわきキノコ同好会に入っている。地域学會はいわきの総合調査・研究が目的の市民団体だ。キノコ同好会や昔野菜保存会に加わったのは、まずは食欲。そして、いわきの自然と人間の関係を菌類、あるいは伝統野菜を介して知りたかったから。

 番組では、オカゴボウやジュウネン(エゴマ)、タカノツメなどが紹介された。ネギの畝も映った。千住ネギ系の「いわき一本太ネギ」だろうか。
 
 オカゴボウは渡辺町で栽培されている。もともとは好間町の先祖の家で栽培~採種されていたものだ。根元から30センチほどは、3~4センチの太さになる。比較的やわらかめの肉質で、甘みが強いのが特徴だという。大きくなったものは空洞化するが、それを生かして詰め物料理にする。もちろん、きんぴらや煮物もうまい。

 字幕になった川内さんの言葉。「伝統野菜は(形が)揃っていないのが多い」「色々な昔野菜の良さを知ってもらいたい」「“おふくろの味”や”ふるさとの味”まさしくそういうこと」。しめくくりは、保存会の仲間の共通認識でもある「昔野菜はいわき市の財産であり宝」だった。
 
 以下は昔野菜保存会メンバーとしてのPR――。川内さんの圃場は錦小と御宝殿熊野神社の近く、錦町鳥居西地内にある。10月15日(日)午前9時から、ジュウネンの収穫作業・収穫祭が開かれる。会員向けの畑ボランティア案内メールには、作業しやすい準備、軍手、鍬や鎌などの農具、水分補給用の水などを各自用意のこと、とあった。会員でなくても、見学を兼ねて出かけてみてはいかが。なにかの種をもらえるかも。

2017年7月1日土曜日

1年の半分が終わった

 きょうから7月。あっという間に1年の半分が終わった。3月は年度末、4月は年度初めで忙しいのは毎年のことだが、今年(2017年)は5月の大型連休を過ぎ、6月に入ってもなかなかのんびりできない。日によっては午前・午後・夜と用事が続く。きょう(7月1日)も午前と夜、用事が待っている。
 しかし、忙中にも閑はある。特に、日曜日の土いじり。人に会って話を聞くだけの仕事(取材)をしていたときには、地に足がつかない「存在の耐えられない軽さ」を感じたものだが、家庭菜園を始めてからは二本の足で大地に立っているという実感がある。なかでも、昔野菜の三春ネギには学ぶことが多い。

 ネギは自分の子孫を残すために、春先、花茎を伸ばす。やがて、その先端にネギ坊主ができる。ネギ坊主は小さな花の集合体だ。花が咲けば実が生(な)り、種が形成される。ネギ坊主から黒い種がのぞくようになったら、ネギ坊主を摘み取り、乾かして殻やごみを取り除き、種だけを小瓶に入れて冷蔵庫で保管する。
 
 ネギ坊主をちょん切られたネギはそれで終わり、ではない。掘り起こして外皮をむくと、新しいネギが1本、根から分げつしている=写真(左の2本は花茎、先端にネギ坊主をいただいていた。右は分げつした新しいネギたち)。花茎は硬いので食べられない。土に返す。分げつ苗は溝に植えなおすと、普通に育って食べられる。市販のF1品種だと、そうはいかないのではないか。

 植物の不思議な生の営み――「忙中閑あり」どころか、「忙中“歓“あり」だ。とはいえ、これからネギには根切り虫が現れる。ナスには芯くい虫が寄って来る。虫との闘いが始まる。

2017年6月26日月曜日

大失敗!

 大失敗だった。キュウリの整枝をしているうちに、側枝(子づる)と勘違いして主枝(親づる)を切ってしまった。そのときには気がつかなかった。
 きのう(6月25日)は朝から、夏井川渓谷の隠居で土いじりをした。雨の予報だったのが、薄日さえさしている。
 
 菜園の野菜、といっても苗はキュウリ、ナス、トウガラシ各2本のほかは、三春ネギと、採種時期を迎えた辛み大根があるだけ。トウガラシからナスへ、さらにキュウリへと整枝の作業を続けた。そのあと、それぞれに追肥をし、1カ月前に定植した三春ネギの溝の草むしりをした。
 
 そこでひと段落つき、立ち上がって振り返ったら、片方のキュウリの葉がしおれていた=写真。なんだ、なんだ! 見ると、親づるが根元から切断されている。
 
 きょうはやるぞ――整枝・追肥・草むしりの手順をいったん頭の中でシュミレーションしてから、苗と向き合った。その前に、ちょうど食べごろのキュウリ3本を収穫した。いよいよやる気になった。
 
 いつものように、「しようがない、やるか」だったら、わりと冷静に相手を見られるから間違いはなかったかもしれない。張り切りすぎた。以前に脇芽を摘み、ついでに切った側枝をきれいに取り除こうとしたのが裏目に出た。初物を収穫したばかりなのに……。

しおれてはいられない。夕方、魚屋へカツオの刺し身を買いに行く途中、種苗店に立ち寄った。夏キュウリのポット苗があった。一つでなく二つにしたら、とカミサンが言う。糠漬け(浅漬け)のほかに、塩漬け(古漬け)にするのもいいか。
 
 来週、切断キュウリの跡とわきに定植する。今年(2017年)は、少しは長くキュウリを収穫することができる、と頭を切り替えることにした。

2017年5月28日日曜日

芽ネギを食べる

 きょう(5月28日)は夏井川渓谷の隠居で「三春ネギ」の苗を定植する。
 3週間前、菜園に溝を切り、石灰を施した。でも――。そばに大きくなったシダレザクラがある。菜園の真ん中に高田梅がある。西の敷地の境界にはカエデがある。
 
 先週の日曜日(5月14日)午後、高田梅が溝に影をつくっていた、午前はシダレザクラの影が差す。頭の中の“設計図”を練り直さないといけない。
 
 溝は東西に切った。シダレザクラと高田梅に近すぎた。午後の太陽の軌道を考えれば、南北方向に溝があってもいい。どこにその溝を切るか、太陽の位置と木を見ながら考える(太陽は、きょうの午前中は雲に隠れたままのようだが……)。

 三春ネギは、いわきの平地のネギと違って秋まきだ。昨秋、苗床をつくって「すじまき」にした。余った種はそのわきに「ばらまき」にした。越冬した直後は、「ばらまき」の苗の勢いがよかった。が、春が終わるころには、「すじまき」組がぐんぐん大きくなった。鉛筆くらいに太くなり、丈も40センチ前後に生長して、定植時期を迎えた。

 できるだけ間隔をあけるようにして「すじまき」をした。それで間引きの必要がなかった。「ばらまき」の方は密生状態で、育ちが悪い。このごろは隠居へ行くたびにごっそり間引きをする=写真。昔、近所の住人から「芽ネギを食べるために育てているのかい」と冷やかされた。「そうです、握りにのせて食べます」なんてウソはつかなかったが。

 溶き卵にまぜて焼く。味噌汁や即席ラーメンに加える。ほとんど食感はないが、緑色が鮮やかだ。舌よりも目が喜ぶ。

 きょう、苗床を崩して定植すれば、芽ネギも終わりになる。畑に打ち捨てておくよりは、ちゃんと胃袋に入れてやらないと――。かなりの量が出るはずだから、今夜はカツオの刺し身のほかに、芽ネギをマヨネーズで生食してみようか。シャキシャキ感がたまらなかったりして。

 追記=午前9時前には太陽が顔を出した。「燦(さん)として焼くがごとし」。熱中するな、と言い聞かせる。

2017年5月15日月曜日

いわき昔野菜保存会会報「ルート」

 表紙の写真は大豆。いわき昔野菜保存会の会報「ROOT(ルート)」第2号が発行された=写真。「いわき昔野菜を知ろう!」コーナーでは、いわきの大豆が紹介されている。常磐藤原町で栽培されている「なっとう豆」を初めて知った。小粒の大豆で、その名の通り、自家消費用に藁苞(わらづと)納豆をつくっていたという。
 会報名の「ROOT」には二つの意味が込められた。一つは「根っこ」。きれいな花を咲かせ、おいしい実をつけるには、強い根が必要だ。「私たち保存会も、強い根をはり地域に根差し、派手ではなくても着実に活動の輪を広げていくことを目指します」と編集後記にある。

 もう一つは、「結びつき」や「ふるさと」を表す「ルーツ」。「「いわきの人々にとってルーツと言える作物を通し、人々を結びつけていきたい、そう願っています」。A3二つ折り12ページ、フルカラーと、見るだけでも楽しいつくりになっている。
 
 平下高久地内に保存会の「昔野菜専用畑」がある。今年度(2017年度)は約50種類を栽培する予定だという。どこにどんな昔野菜を栽培するか、“設計図”が会報に載っている。小豆の「むすめきたか」がある。サツマイモの「太白」がある。いわき市南部の山間地・田人町で栽培されている、地這いの「根室きゅうり」がある。ソバもある。
 
 きのう(5月14日)夕方、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の産業創造館で同保存会の通常総会が開かれた。今年度は新たにそば打ちと納豆づくりをする。体験型イベントで、会員の手でソバと「なっとう豆」の種をまき、収穫・加工・調理をして食べる。
 
 総会後の懇親会では、ある人から「太白」を使った干し芋づくりのプランが披露された。干し芋の本場は茨城県だが、いわき市でも作っている人がいる。甘さ控えめの「いわき干し芋」ができる。昔野菜ならではの少量・季節限定食品になる。
 
 会報にはほかに、「レンコン復活プロジェクト」が載る。渡辺町でほそぼそと栽培されてきたレンコンがある。一度は絶滅したと思われていたのが、種が残っていた。しかし今、それも消滅の危機にある。保存会の手でなんとか絶滅を食い止めたい――暮らしの伝承郷の池を使って復活作戦が進められている。いわきの食のルーツに結びついた活動の輪が、こうしてまた一つ広がった。

2017年5月10日水曜日

家の庭のいのち

 このところ毎朝夕、ときには日中も、庭に出て緑をながめる。パソコン画面と向き合って疲れた目には、若葉がいい目薬になる。漫然と見ているわけではない。歩きながら、あるいはかがみこんで、目を凝らす。変化がわかる。虫を取り、草を摘む。
 晩秋、生け垣のマサキの枝にガの一種のミノウスバが卵を産み付ける。毎年、ゴールデンウイークごろにふ化する。それが、今年は4月上旬に始まった。マサキの新芽の発生と同時だ。

新芽はやわらかい。幼虫はかたまりになって新芽を食べて育ち、やがて生け垣全体に散開して古い葉も食べ尽くす。そうならないように、ふ化したばかりのところを枝ごと除去する。波状的に発生する。今年はこれまでに、3日おきくらいに生け垣を見て回った。もう大きく食害されることはないだろう。

 台所の南側の軒下に、昔野菜の「いわきねぎ」の苗床を置いた。水やりがいいかげんだったため、発芽が遅れた。ネギの代わりに雑草ばかり芽生えた。ネギの新芽が日陰にならないよう、毎朝夕、雑草の新芽を摘む。

 ネギの発芽のかたちがおもしろい。黒い種の殻を破った根はいったんヘアピンのようなかたち=記号の「∩」に近い=で地上部に姿をあらわす(「∩」は主に数学の確率に用いられる記号で、「キャップ」というらしい。「キャップ」あるいは「あんど」と入力すると、この記号が現れる)。
 
 やがて、根の部分は下へ下へと向かい、もう一方の茎の部分は上へ上へと伸びる。地上から離れた芽は最初、黒い殻をかぶったままで「?」のようなかたちになる。それから少し過ぎてシャキッとなりつつあるところがこれ=写真。殻は間もなく脱落する。

 ミョウガタケ(ミョウガの新芽)も出てきた。例年より少し遅い。もう少しで食べられる、と楽しみにしていたら……。カミサンが生け垣の剪定をしているうちに踏んづけた。カミサンは花、私は野菜。関心が違っている。金子みすゞの「見えぬけれどもあるんだよ。/見えぬものでもあるんだよ。」ではないが、ミョウガタケの存在が頭になければ、そこにあっても見えない。
 
 それよりなにより、庭木の下のあちこちにモグラ塚ができている。人間はそれを踏んづけながら歩くしかない。モグラはなにかに追いつめられて、わが家の庭まで来たのだろうか。
 
 そうだった。庭の花壇のへりに食菌のアミガサタケが頭を出していた。それに気づいたのは、ほぼ1カ月前の4月中旬。以後、ときどき観察を続けていたら、ある朝、ナメクジが頭をかじっていた。それからしばらくして、イカリソウの葉に覆われた。葉をかき分けて見ると小さくなっていた。
 
 ミョウガタケは今の時期にしか口にできない土の味だ。包丁で根元から切り取り、刻んで味噌汁の具にしよう――けさ見たら、剪定枝が積んであった。ミョウガタケの姿は目をこらさないとよくわからない。

2017年5月4日木曜日

種屋の苗と種

 ゴールデンウイーク2日目の4月30日、夏井川渓谷の隠居の庭にナスとキュウリ、トウガラシのポット苗、各2株を植えた。夫婦2人で食べるにはこれで十分だ。 
 わが家から車ですぐのところに、専業農家も通う種苗店が引っ越して来た。種も苗もホームセンターよりは高い。それだけ質はいいということだろう。その店で初めて購入した。
 
 種まき・苗植え時期の今、店の前を通ると、じいさん・ばあさんがいつも何人か店頭で野菜苗を選んでいる。知る人ぞ知る地元の老舗だ。
 
 苗は、曇りの日なら植える時間を選ばない。晴れの日なら夕方に植える。太陽が頭上にあるときに植えると、根付くより早く水分が蒸散して葉がしおれる。すぐ水を補給しないといけない。よけいな手間がかかる。晴れの日は夕方に――というのは、土・日を隠居で過ごしていた現役時代の経験則だ。今は、飲み会以外に隠居に泊まることがなくなった。
 
 4月最後の日曜日は、朝から夕方まで雲ひとつない日本晴れ。風もかすかに木々の葉を揺らすだけだった。野菜苗には過酷な天気だ。かといって、夕方になる前には帰らないといけない。まだ日が高い午後3時ごろ、苗を植えて、段ボールの切れはしを土に差して日よけにした=写真。
 
 同じ種屋から昔野菜の「いわきねぎ」(いわき一本太ねぎ)の種を買った。2週間前の4月10日、プラスチック製の苗床に種をまき、わが家の軒下においた。ネギの生育過程を毎日観察することができる。ところが、発芽するまでずいぶん時間がかかった。

きのう(5月3日)、知り合いのおばあさんが顔を出した。6年前に双葉郡から原発避難をして来た。「種に水をやったの? 水をやんなきゃ芽は出ないよー」と教えられる。

露地まきと違って、軒下のポット苗床だ、水をやらなければ発芽するわけがない。カミサンにも同じことをいわれたので、4月下旬からはときどきではなく、毎日水やりをしたら、ようやく8割近くまで発芽した。
 
 きょうは午前中、近所の神社の祭礼に出席する。朝6時に合図の花火が2発打ち上げられた。午後は、車で30分ほどの隠居へ出かけて、野菜苗の活着状況を確かめる。

2017年4月13日木曜日

春まきネギ

 平北白土の篤農家・塩脩一さんは自家採種で地ネギを栽培している。千住系の「いわき一本太ネギ」だ。
 20年ほど前、私が夏井川渓谷の集落でやはり地ネギの「三春ネギ」を栽培し始めたころ、いわきのネギの歴史や栽培方法を聴きに行った。塩さんの畑のわきに捨てられていたネギ坊主をもらい、種を採って栽培したこともある。

 昔の「いわきネギ」と今の「いわきネギ」は別物――これが最初に教えられたことだ。病気と風折れ対策に重点がおかれた結果、今のいわきのネギは、見た目はテカテカして太く、白いものになった。食べては硬く、甘みが少ない。塩さんはそうしたネギを消費者=市場が求めるようになって、在来のネギの出荷をやめた。

 種を採ったあとの“選(よ)り分け”法は「目からうろこ」だった。実用書には、種殻やごみはフーフーやって取り除く、とある。これが、なかなかうまくいかない。種まで飛ばしてしまう。種を水につけることを、塩さんに教えられた。
 
 ステンレス製のザルに種もごみもまとめて入れ、水を張ったボウルにつける。すると、種殻や中身のない種は浮く。ザルのすきまからは細かい砂やごみがこぼれ落ちる。ザルの底に残った種だけを新聞紙の上に広げて一晩干せば種は乾いている。それを乾燥剤とともに小瓶に入れて冷蔵庫で保管する。

「三春ネギ」は10月10日に種をまく。「いわき一本太ネギ」は4月10日にまく。塩さんの畑からネギ坊主をもらってきたのは、まだ「ネギは秋まき」と思いこんでいたころだ。それも秋にまいたら、春にネギ坊主ができた。塩さんから「秋にまいたらネギ坊主ができる、春まきだよ」とアドバイスされたのはそのあとだった。

 車ですぐのところに、塩さんがよく言っていた白土の種苗店が引っ越して来た。「いわき一本太ネギ」の種を売っていたので、勢いで買った。日曜日(4月9日)に苗床をつくり、種をまいた=写真。こちらはネギの生態観察を兼ねて自宅で栽培する。

 そろそろ種まきの準備をと考えていたころ、塩さんの孫でもあるいわき地域学會の若い仲間がやって来た。塩さんは元気に畑仕事をしているという。今年も10日にネギの種をまいたことだろう。

2017年3月26日日曜日

「むすめきたか」取材同行

 在来種の豆を調べている女性から、フェイスブック経由で連絡が入った。いわきで栽培されている小豆の一種、「むすめきたか」などの在来豆について話を聞きたい――。在来豆については知らないので、いわき昔野菜保存会の仲間を紹介し、生産者への取材に同行した。
 長谷川清美さん。『豆のハンドブック』(文一総合出版、2016年)『べにや長谷川商店の豆料理』(PARCO出版、2009年)の著書がある。『――豆料理』は2015年で9刷というから、ロングセラー本のようだ。

 いわき市が発行した『いわき昔野菜図譜』(2011年)によると――。「むすめきたか」は、主に三和町で栽培されている。代々家で種を継承し、天候不順による不作時には隣近所で種を譲り合って栽培を続けてきた。小粒で早く煮える。で、嫁に行った娘が里帰りしたときに、すぐに煮て食べさせることができるので、いつか「むすめきたか」と呼ばれるようになった。
 
 3月初旬、長谷川さんと仲間の車に同乗して、三和町渡戸の好間川沿いにあるSさん宅を訪ねた。「むすめきたか」の現物=写真=と、こしあん、煮豆、柏餅(かしわもち)を用意して待っていた。現役のころは、ご主人はバスの運転手、奥さんも企業勤めの兼業農家だった。今は70歳を超えて自適の暮らしをしている。
 
 奥さんは好間川の左岸域、山の陰の集落・永井から嫁いできた。実家でも「むすめきたか」を栽培していた。今栽培している「むすめきたか」は、実家よりさらに奥の集落・差塩(さいそ)から通っていた職場の仲間から種を譲り受けた。
 
 長谷川さんもフェイスブックで報告しているが、あんはあっさりしていて上品な味だ。三温糖と白砂糖を半々に使うのがポイントだそうだ。柏餅の葉は夏に摘んで冷凍保存をしておく。大きい葉だった。生産者自身が保存・調理にもたけている。農山漁村には、こういう多彩な「おふくろの味」を生み出す人がいっぱいいる。
 
 ただ、話を聞きながら思ったのは、生産者はルーチンとして自家栽培を続けているということだ。「意義があるから」「大切だから」とかいう前に、「家でつくっていたから」「もらったから」種を採り、栽培を続けている。そこに親からの愛と子への愛が加わる。
 
 天候によっては収穫が激減する。去年(2016年)の「むすめきたか」がそうだった。危うさと背中合わせの「自産自消」。次にバトンを受け取る人間がいなければ、種はあっという間に消える。

2017年3月14日火曜日

主役は「いわきねぎ」

 日曜日(3月12日)にアリオスわきの平中央公園で、いわきのブランド「いわきねぎ」をPRするイベントが開かれた=写真。題して「いわきねぎを食べ尽くせ!~ねぎが主役になる日~」。いわき市農業生産振興協議会が主催し、共催にJA福島さくらいわき地区本部、ふくしまFMなどが名を連ねた。FMいわきではなく、ふくしまFM内に事務局がおかれたのにはわけがあるのだろう。
 ネギは加熱すると甘くやわらかくなる。土がついたままのネギを網焼きにし、外の皮をはがしてアツアツの白根を根っこの方からがぶりとやる。チラシに「いわきカルソッツ」なんていう言葉があったから、なんだと思って検索したら、“焼きネギ”で有名なスペインの“ネギ”(カルソッツ)にたどりついた。食べ方にあやかったわけだ。

 焼きネギコーナーのほかに、市内料理店による「ねぎづくし屋台村」が設けられた。知っているところでは平の中華料理店が出店し、若いシェフが「ねぎまん」を売っていた。小川町の生産者もいた。

「いわきねぎ」と「ねぎまん」を買った。その晩、焼きネギを酒のつまみにした。翌朝は、ジャガイモとネギの味噌汁にして味を確かめる。

 私は、中通りの田村郡で生まれ、「三春ねぎ」を食べて育った。ネギとジャガイモの味噌汁を、ネギの好みを測る目安にしている。「三春ねぎ」は「しっかりした甘み」、同じ中通りの「阿久津曲がりねぎ」は「濃厚な甘み」だ。それらに慣れた舌には、「いわきねぎ」の「ほんのりとした甘み」は物足りない。「ねぎまん」は逆に、さっぱりしていて口に合った。

 以前、昔野菜の「いわき一本太ねぎ」を栽培している塩脩一さん(平)に、いわき地方のネギの歴史を聞いたことがある。ブランドの「いわきねぎ」と、地ネギの「いわき一本太ねぎ」は別物だと知って納得がいった。

『いわき昔野菜図譜』(いわき市発行、2011年3月)によると、「いわき一本太ねぎ」は風が吹くと倒れやすく病気に弱いなど、栽培に手間がかかることから、品種改良が進み、栽培しやすいものが主流になった。その結果、「いわき一本太ねぎ」は市場から姿を消した。「いわきねぎ」を考えるときに忘れてはならないポイントだ。今の「いわきねぎ」はすき焼きに向いている。

2017年3月6日月曜日

種屋さんが移ってきた

 県道小名浜四倉線は昔からの海岸道路だ。小名浜から永崎、豊間、沼ノ内、藤間を過ぎ、夏井川河口から2番目の橋(六十枚橋)を渡ると、平・下神谷(かべや)地内に入る。国道6号まですぐ、というところにインド料理店マユールがある。その手前に、今年(2017年)になって種苗店がオープンした。なにか聞き覚えのあるような店名だ。先日、マユールからの帰りに寄ってみた。
「前はどこにあったんですか」とカミサン。店主が平の「松尾病院のそば」と答える。ピンときた。「いわき一本太ネギ」の生産者・塩脩一さん(平北白土)がよく言っていた種屋さんだ。「塩さん、来たばかりですよ。親戚かなにか?」「いや、ネギのことをいろいろ教えてもらったんです」「種、ありますよ」「ええっ!?」。勢いで、「いわき葱」(いわき一本太ネギ)の種を買った=写真。

 塩さんは篤農家だ。昔からの「いわき葱」のほかに、キュウリやトマトを栽培している。

 キュウリは、白い粉をふくブルームにこだわっている。白い粉をふくのは、キュウリ自身が水分の蒸散を防ぐためだ。表皮は薄い。糠漬けにするとすぐ漬かる。シャキシャキしてうまい。毎年、百何十本という苗を、種屋さんを通じてメーカーに特注すると言っていたのを思い出す。その種屋さんが近くに引っ越してきた。

 もう15年ほど前になる。塩さんの畑から、廃棄された葱坊主をもらい、種を採って栽培したことがある。私が夏井川渓谷の隠居で栽培している「三春ネギ」と同様、秋に種をまいたら、春に葱坊主ができた。「『いわき葱』は春まき。秋にまいたら春に葱坊主ができる」とは、あとで塩さんから教えられたことだ。種をまく目安は、「三春ネギ」は10月10日、「いわき葱」は4月10日。

 念のために言っておくが、「いわきねぎ」のブランド名で売られているネギと、塩さんが栽培している地ネギの「いわき葱」は別物だ。
 
 種屋さんの話に戻る。ホームセンターなどと違って、見たこともない種をたくさん売っている。見るだけでも楽しい。
 
 ただ、「いわき葱」の種を買ってはみたものの、どこで栽培したらいいか迷っている。渓谷の隠居の庭では、「三春ネギ」と交雑してしまう。わが家の庭か、近所の故義伯父の家の庭か。種まきまで1カ月。土を「掘る」ではなく、「盛る」やり方もいいかもしれない。

2017年3月5日日曜日

ハヤトウリのみそ漬け

 最近、気に入った食べ物がある。ハヤトウリのみそ漬け=写真。いわき市三和町の直売所「ふれあい市場」で売っていた。
 ハヤトウリの糠漬けは、もらって食べたことがある。つくったこともある。が、みそ漬けは初めてだ。細かく刻まれたハヤトウリをごはんにのせて口にしたときの、みその香ばしさ、ハヤトウリの味と歯ごたえ。舌が躍った。

 ハヤトウリが生(な)るのは秋だから、糠漬けもみそ漬けも秋以降の食べ物ということになる。私は、ハヤトウリを栽培したことはない。インゲンやキュウリと同じく、ハヤトウリも旬がくると一気に生る。あちこちから「食べて」と届く。今までは糠漬けにすることしか頭になかった。
 
 夫婦2人が食べるだけの家庭菜園の場合、キュウリの苗を4本も定植すると実が余ってしまう。そんなときには古漬けにする。塩漬けでも糠漬けでもいい。漬物床に寝かしておく。あとで古漬けを水につけて塩を抜き、刻んで食べるか、みそ床に漬けこむ。ハヤトウリのみそ漬けもそうしてつくるのだろうか。

 ネットで検索すると、最初に出てくるのは簡単なやり方だ。塩水に10分ほどつけて水分を拭き取ったら、みそ床に入れる。これだけ。サラダ感覚のみそ漬けのような気がしないでもない。三和のみそ漬けは、キュウリと同じやり方でつくっているのではないか。
 
 きょう(3月5日)は午後、いわき昔野菜のひとつ、小豆の「むすめきたか」を調査したいという首都圏の女性に会い、同野菜保存会の仲間と一緒に三和へ行く。「ふれあい市場」にも寄る。パック入りのハヤトウリのみそ漬けがあれば、まとめ買いをしよう。つくり方も聞いておこう。

2017年2月15日水曜日

「昔野菜」のレジェンド

 いわき市でフランス料理店を営むオーナーシェフ萩春朋さんが「私の料理の先生」と呼ぶ女性がいる。いわきの山里・田人の「チイばあちゃん」だ。「自然な味で勉強になる」「遊びに行くと料理を作って待っていてくれる」「地元の食材を使うことの大切さを学んだ場所」――フェイスブックでそう紹介している。
『いわき昔野菜のレシピ3』(いわき市発行、いわきリエゾンオフィス企業組合編集=2016年刊)に、春・夏・秋・冬の4回に分けて、<蛭田チイさんの思い出は食と共に>というタイトルで、昔野菜を調査したスタッフがコラムを書いている(ネットで、「いわき昔野菜のレシピ3」で検索すると、すぐ読める)。調査スタッフが驚き、プロが尊敬する野菜栽培と料理の“鉄人”だ。

 前にも書いたが、いわき昔野菜保存会が2月5日、中央台公民館で「いわき昔野菜フェスティバル」を開いた。同保存会は、ブランド化した伝統野菜も、昔からの自産自消の野菜も等しく大切――そんな精神で、「在来作物」も「伝統野菜」も包含した新しい呼び名として「昔野菜」を使っている。

 フェスティバルでは、栽培講座、昔野菜を使った昼食弁当、講演のほかに、昔野菜種自慢の座談会が開かれた。映像も流され、チイさんは「作り手のレジェンド(伝説的人物)」として、座談会に出席した萩シェフは「料理する人代表」として紹介された。萩シェフがマイクを持ち、「新品種の栽培にも挑戦している。高級店よりもチイさんの料理が印象に残っている」と、「チイばあちゃん」のすごさを語った=写真。

 スタッフのコラムによれば、チイさんは年間100種類以上の野菜を栽培する。うち約20種は昔野菜。母親から受け継いだ種で栽培を続けている。萩シェフは「昔野菜に出合って人生が変わった」とも言った。昔野菜の生産者と料理人のネットワークが広がり、市民が「その時期だけ・そこでだけ」の<いわきの味>を享受する――こういうまちっていいな、と思う。

2017年2月8日水曜日

五目飯とのっぺい汁ほか

 日曜日(2月5日)、中央台公民館で開かれたいわき昔野菜フェスティバルの昼食弁当は、「五目飯」「のっぺい汁」「のりまめの豆もち」「ひやしまめ」「里芋のじゅうねんだれ」「おくいもとあおばた豆の焼きコロッケ」「むすめきたかの白玉ぜんざい」だった=写真。のりまめ、ひやしまめは大豆、おくいもはジャガイモ、むすめきたかは小豆の一種だ。
 22年前、いわき市がいわき地域学會に調査・編集を委託して『いわき市伝統郷土食調査報告書』を発行した。同書の校正、一部調査にかかわった。「五目飯」と「のっぺい汁」「豆もち」はこの報告書のレシピに従って作った。で、「在来野菜と伝統郷土食」についてミニ解説を――主催のいわき昔野菜保存会の仲間が言うので、報告書を読みなおして役目を果たした。

「五目飯」は祝い事や法事のときにつくる。酢を用いたちらしずしで、生のものは一切使わない。「ちらし」は「災いをちらす」にかけている。「のっぺい汁」も法事につくる。「はちはい」ともいう。東北地方では普通だが、九州・延岡でも食べられる。そのわけは――。江戸時代、磐城平藩を治めていた内藤氏が延岡藩に転封され、家臣の食文化も延岡にもちこまれた。その子孫が今も法事には「のっぺい汁」をつくる。そんなことを話した。

 イベントが終わったあとの懇親会で、江頭宏昌山形大教授と「ごんぼっぱ」(オヤマボクチ)の話になった。阿武隈高地の山里では、ちょうど今ごろ、ごんぼっぱをまぜこんだ「凍みもち」をつくる。夏場、小腹がすいたときの「コジュウハン(小昼飯)」、あるいは子供のおやつになる保存食だ。

 市販の本や伝統郷土食調査報告書には、凍みもちは水につけてやわらかくしてから食べるとあるが、子どもはそんなまどろっこしいことはしない。硬いまま火にあぶり、表面がキツネ色になったら口にする。せんべいのようにカリッと砕けて、「ごんぼっぱ」の香りが広がる。ああ、急に今、食べたくなった。今度、山里の直売所に行ったとき、売っていたら買おう。まだ歯は大丈夫。

2017年2月7日火曜日

市民による昔野菜フェスティバル

 おととい(2月5日)、中央台公民館でいわき昔野菜フェスティバルが開かれた=写真。家庭菜園を営んでいる市民を中心に70人ほどが参加した。スタッフを加えると100人は超えただろうか。
 今度で7回目といいたいところだが、6回までは市が主催した。今回は事業を受託してきた企業組合が事務局になり、市民団体の「いわき昔野菜保存会」が主催した。

 原発震災をはさむこの6年の間に、昔野菜(在来野菜)の栽培者(生産)~料理人(加工)~市民(消費)のネットワークが生まれた。種(たね)をもらっていわき昔野菜を栽培する消費者も増えた。

 いわきの食文化に新しい光がさしつつある、行政と市民の協働が着実に根づきつつある、という確信をいだきはじめたところへ、次は経済団体によるビジネス化だと、市は事業の“ステップアップ”を打ち出した。せっかくできた協働の芽を枯らすわけにはいかない。市民の手で種を次世代に伝える活動を継続することにした。
 
 生産~加工~消費のネットワークは震災を危機バネに、調査スタッフが現場で生産者と向き合い、信頼関係を築いてきたからこそできあがった。そのネットワークが生きた。

 フェスティバルの中身はこれまでと変わらない。午前10時から午後3時半まで、昔野菜を使った昼の弁当タイムをはさんで、みっちり「座学」が展開された。生産者による栽培講座、江頭宏昌山形大教授による講演、種自慢の座談会と続き、参加者と生産者の間で熱心な質疑応答が続いた。受講者は自分でも家庭菜園を営んでいる「プロシューマー」(消費者にして生産者)が多かったように感じた。

 私も弁当に出た「のっぺい汁」(はちはい)や、いわき一本太ネギなどの解説を兼ねて、「在来野菜と伝統郷土食」をテーマに15分ほど話した。
 
 行政がまいた種は確かに芽生えた。花が咲き、実がなって、採れた種は市民の間に広がった。種を切らしたら、その栽培技術も食文化も消える。この一点だけでも、昔野菜を保存・継承する意義がある。それを再確認したイベントでもあった。