2022年9月30日金曜日

アカモミタケはこれから

                             
 春はアミガサタケ、梅雨どきはマメダンゴ(ツチグリ幼菌)、秋はアカモミタケ。いずれも夏井川渓谷の隠居の庭(除染済み)に発生する食菌だ。立ち枯れの庭木には、たまにアラゲキクラゲとヒラタケが生える。

 わが隠居の庭に限っていえば、今年(2022年)はどうも不作らしい。アミガサタケは何個か採っただけで終わった。マメダンゴはゼロだった。

 それもあって、秋のキノコのシーズンに入った今は、隠居へ行くたびに庭のモミの木の根元をチェックする。

 過去の拙ブログに当たると、アカモミタケは、時期的にはまだ早い。去年はこんな具合だった。

 【9月下旬】道路に面したモミの木の根元にアカモミタケが一つ、別のモミの根元にも同じくアカモミタケが一つ生えていた。やっと出たか、という思いになったが、これはむしろ走りのアカモミタケだろう。つまりは、初物。

過去の記録の通りなら、10月に群生するはずだ。アカモミタケは、震災前の記憶では庭に発生することはなかった。今思えば、発生に気づかなかっただけかもしれないが。

 【10月上旬】日曜日は街で用事があった。土曜日に隠居へ行った。着くとすぐアカモミタケを探した。図星だった。先週の日曜日の2個に続いて、この日は3個採った。

 【11月下旬】暦が11月に替わってすぐの晩、けんちん汁が出た。隠居の畑で栽培している三春ネギと、庭のモミの樹下から採ったアカモミタケ、好間の直売所で買ったニンジン、里芋、ほかにこんにゃくや豆腐、ゴボウが入っている。

これをおかずに晩酌を始める。キノコからいい出汁が出ていた。ニンジンと里芋がやわらかい。三春ネギからはほのかな香りが立つ。この時期だけの組み合わせだ。

いつもそうだが、けんちん汁があれば、ほかにおかずは要らない。しかも、晩酌はだらだらと続く。必ず「おかわり」になる――。

というわけで、アカモミタケはたぶんこれからだ。先の日曜日(9月25日)はアカモミタケの代わりに、積もった落ち葉の間からハナオチバタケの褐色型が出ていた=写真上1。梅雨の花のホタルブクロも狂い咲きしていた=写真上2。

ハナオチバタケの傘の直径は1センチほど、柄は細くて黒い。よく「針金のような」と形容されるが、頭から森が消えた人間には「黒髪のような」というたとえの方がぴったりくる。

9月17~19日、同23~25日は短い間隔で3連休になった。天気はあまりよくなかった。それが逆に菌糸にはいい刺激になったはずだ。とにかく早くアカモミタケを採って食べたい。まずはけんちん汁、それから吸い物にして。

2022年9月29日木曜日

「ひこばえ」から巨樹に

        
 もう1カ月ほど前になる。晩酌をやりながらBSプレミアムを見ていたら、兵庫県の大カツラが出てきた。

 細い幹が林立する、あの独特の形態は「ひこばえ」だという。そうだったのか! やっと(というより全くの無知だったのだが)、カツラの巨樹の成り立ちがわかった。

 個人的には国の天然記念物に指定されてもおかしくないと思っている大カツラが、夏井川渓谷の上流、JR磐越東線川前駅近くにある。

 初めてその存在を知ったのは平成20(2008)年4月。いわき地域情報総合サイト「いわきあいあい」でいわき市川前支所が「川前のカツラの花が満開」であることをPRしていた。

それによると、カツラは同支所から約100メートル上流の夏井川右岸にあり、十数本が密生しているように見えるが、根元は一つ。雌雄異株で、雄株。花が終わると新緑が美しいという。

渓谷の隠居へ行ったついでに、川前へ足を運んだ。川前駅へ通じる橋の上から上流を見やると、それらしい巨樹があった。が、雨が降っている。その日は橋から眺めるだけで終わった。

2週間後、「夏井の千本桜」を見に行った帰りに、今度は左岸・県道側からじっくり観察した。カツラは確かに幹が十数本並び立っていて、鮮やかな新緑に包まれていた=写真。

いわき市内には、田人町旅人字和再松木平に市保存樹木のカツラがある。高さは11.7メートル、幹回りが3.5メートルだが、写真で見る限り、ひこばえは数本しかない。

「川前のカツラ」はたぶん、これより大きい。が、市の天然記念物にも、保存樹木にも指定されていない。いわば無印、知られざる巨樹だ。

福島県内ではどうか。郡山市湖南町に国指定天然記念物の「赤津のカツラ」がある。こちらは高さが25メートル、幹回りが9メートル超だという。「川前のカツラ」は「田人のカツラ」をしのいで、「赤津のカツラ」といい勝負ではないか――データからそう感じた。

 令和元(2019)年6月、偶然、「赤津のカツラ」を見ることができた。猪苗代湖周辺の観光を兼ねたミニ同級会が同月9~10日に開かれた。

初日は郡山市湖南町の「郡山布引風の高原」を訪ねた。標高は1000メートルほど。大根と風力発電で知られる山上の平原だ。高原に近づくにつれて道はつづら折りになる。と、標高900メートルほどの沢沿いに「赤津のカツラ」の標識が立っていた。

帰りに、じっくり巨樹を見た。案内板が標識のそばに立っている。「幹は地上1.2メートルの辺りから大小数十本に枝分かれしています」。川前の方は「十数本」だが、見た感じではそう負けていない。「赤津のカツラ」が横綱なら「川前のカツラ」は大関といってもいい――そんな印象を受けた。

さて、カツラの特徴は林立するひこばえである。この木は寿命が長いそうだ。大きく育った主幹が折れると、根元から曽孫(ひこ)のような若芽がたくさん生えてくる。幹が輪になって踊っているように見えるのはそのためだった。

2022年9月28日水曜日

青パパイアを食べる

                      
 まずは去年(2021年)秋の拙ブログから。――月遅れ盆から数日後、平の滑津川下流域で暮らす後輩が、軽トラでやって来た。

スイカ、トウガン、メロンと、ウリ科の大物を次々に、上がりかまちに置く。これだけ大きく、重い「お福分け」は初めてだ。全部、彼が栽培した。

その1カ月後、夫婦で彼の家を訪ねた。家の庭先にビニールハウスがある。ハウスの中で初めて、トマトやメロン、パパイアなどを栽培したという。

トマトもメロンも終わり、奥にパパイアだけがあって、黄色みがかった白い花と青い実を付けていた。

青パパイアをふたつもらった。「皮をむく、切る、水にさらす。それからサラダにして食べる」。ユーチューブで学んだ食べ方だという。

その晩、ネットでレシピをおさらいし、カミサンに伝える。実の内部は白い。それを細かく刻んで水にさらしたあと、晩酌のつまみ(ドレッシングサラダ)になって出てきた。

パパイアの初食感は「硬い」だった。どうしたら硬さがほぐれるか。ネットであれこれ探ると、炒め物、煮物、せん切りのてんぷらやきんぴらもいい、とあった。

つまりは、もっと薄く切る。細くする、ということだろう。ドレッシングにはかすかに塩分が含まれているのか、液につかっているうちにしんなりしてきた。

ならば、塩分の浸透圧を効かせて浅漬けにするのはどうだろう。翌朝、起きてすぐ水につかっていたパパイアを塩でもみ、そのまま小さな容器に入れて軽く重しをのせた。昼に味をみたら、まだ半漬かりだった。

晩酌まで漬けておくと、少しはしんなりしたが、大根のようにはならない。ずいぶん稠密(ちゅうみつ)だ――。

それから1年。露地栽培にも挑戦したという。去年の倍もある大きな青パパイアが2個届いた=写真上1。さっそくネットでレシピをおさらいし、自分のブログで味と課題を確かめる。

縦に八つ割りにして種と綿を取り、皮をむく――。調理はそのあと。まずはせん切りだ。ドレッシングサラダにしたが、やはり硬さが気になる。

乱切り、あるいは薄切りにしたものは、カミサンがいったんゆでこぼしてから炒めた=写真上2。当然、薄いものは軟らかくなる。

余った炒め物は翌日、「チン」をして食べた。チンをするたびに軟らかくなるだけでなく、甘みも増すように感じた。

サラダと炒め物以外に何ができるか。2かけらを糠床に入れてみた。今の時期、キュウリだと24時間で十分だが、稠密なパパイアはそれでは中まで漬からない。2日置いたが、やはりどこか硬さが残る。

糠漬けの余りを粗みじんにして水につけ、塩出ししてから味噌汁の具の一部にした。ま、加熱されて軟らかくなったのはいいが、味はまったくわからない。

せん切りの残りを炒めたら、これは硬さが気にならなかった。すんなり口に入っていく。青パパイアは、まずはせん切りにして炒める、これが一番らしい。

2022年9月27日火曜日

「生存確認」の再会

          
 9月25日の日曜日は午前中、夏井川渓谷の隠居で過ごした。土いじりをしたあと、庭を巡ってキノコや花をチェックした。季節外れのホタルブクロが咲いていた。

 この日は午後、仙台市から同級生が奥さんとやって来る。早めに昼食をすませ、街へ出て買い物をしたあと、家に戻った。

 同級生の目的は内郷の国宝白水阿弥陀堂見学だ。何日か前、突然、電話がかかってきた。「ハクスイに行く」「ハクスイ? シラミズっていうんだぞ」

昔から冗談と誤読の境がつかないところがある。ハクスイは冗談にしても、あえてシラミズと読むことを伝えないわけにはいかなかった。

東日本大震災の前は(いや、その後もだが)、渓谷の隠居で一泊しながらミニ同級会を開いてきた。震災前までは毎回、仙台から渓谷にやって来た。

平成21(2009)年のゴールデンウイークには、酔った勢いでスウェーデンの同級生に電話をした。病気療養中だった。「見舞いに行こう」というと、みんなが賛成した。これも酔った勢いだ。

隠居に集まった人間を中心に、9月のシルバーウイークを利用して、仙台の同級生夫妻を含め7人で出かけた。60歳。“シルバー海外修学旅行”の始まりだった。

それから8年後の平成29(2017)年、彼の訃報が届いた。師走にわが家の近くの故義伯父の家で偲ぶ会を開いた。スウェーデンへ病気見舞いに行った7人のうち5人が集まった。当時の写真などを飾り、献杯した。

北欧のあとには台湾へ行き、ベトナム・カンボジアを訪ね、また台湾を巡った。仙台の同級生は北欧だけの参加で終わった。ミニ同級会にも来なくなった。が、「便りのないのはいい便り」で、心配はしていなかった。

とはいえ、電話がかかってきたときには、つい「生きてたか――」「お前も生きてたか――」というやりとりから、話が始まった。ともかくもそれぞれの日常を生きている。それを確認できただけでもよかった。

大企業に就職し、途中で鍼灸師として自立した。今も仕事を続けている。ミニ同級会に来ると、梅安先生よろしくみんなの体をもみほぐしてくれた。

仕事のかたわら、高齢者施設などでボランティア活動をしている。今は「川劇(せんげき)」の「変面」を披露しているという=写真(チラシ)。

京劇に似た中国の伝統演劇のひとつで、体を動かしながら、瞬時に「隈取り」を変える。この“秘技”にお年寄りはびっくりする。それが楽しくて続けているのだとか。

川劇の本場は四川省で、そこへ習いに行ったとは言ってなかったから、自己流なのだろう。にしても、難しいワザをよく覚える気になったものだ。

最後はやはり、うつぶせになったところをぐりぐりしてもらった。腰が張っているのか、そのへんを中心に悲鳴をあげそうになった。自分の体の状態がよくわかった。

2022年9月26日月曜日

フィンガーライム

        
 9月前半の日曜日、湯本温泉街に用があったので、夏井川渓谷の隠居を早めに出た。平地に下りて国道49号を山に向かい、途中、左折して有機無農薬栽培の直売所「生木葉」=好間=に寄った。

 野菜がほとんど売り切れたなかで、「フィンガーライム」と書かれた小さな果実があった。黒っぽい緑色をしていて、形状はまさしく小指、フィンガーだ=写真。その晩、さっそく切って水割りのグラスに加えた。いかにも柑橘系らしい香りがした。

 しかし、それだけではほんとうにフィンガーライムを味わったことにはならないらしい。中に詰まっている小さな粒々をかむと、果汁がはじけてやわらかい酸味と香りが広がる。フィンガーライムはこれを楽しむものだった。

 フィンガーライムとはどういうものか、ネットで検索すると――。原産はオーストラリアで、先住民のアボリジニが古くからジャムなどにして食べていた果実だという。

オーストラリア東部のクイーンズランド州南東部からニューサウスウェールズ州北部にかけての、乾燥した熱帯雨林地域が産地だとか。

 クイーンズランド州のタウンズビル市は、いわき市と国際姉妹都市を締結している。タウンズビルを訪問した市民はフィンガーライムを口にしたかもしれない。

 そのオーストラリア原産の果実がなぜ生木葉に? 「レストランから頼まれた」のだという。生木葉は市民だけでなく、プロのシェフからも人気がある。シェフの要望にこたえて栽培を始めた、ということなのだろう。

 低木だが、枝はつる状に伸びてブッシュ状態になる。そのうえ、細い枝にはトゲがいっぱい付いている。収穫が大変なようだ。

 グラスにポンと入れたときには、「森のキャビア」といわれている意味がよくわかっていなかった。

 フィンガーライムの解説に「サジョウが魚卵のように粒々になっている」というのがあった。これも水割りに使った時点では、意味がわからなかった。

 このブログを書くために再度調べて、フィンガーライムの食材としての扱い方を間違っていたことを知った。

 サジョウって何?から始めるしかない。ミカンでいえば、果肉を構成している粒々のことだそうだ。この粒々がフィンガーライムでは「魚卵」のようになっている。この粒々をかむと、先に書いたように酸味と香りが口中に広がる。「森のキャビア」といわれるゆえんだ。

 「畑のキャビア」というのもある。これは通称「とんぶり」、ホウキグサの実で、新婚旅行で盛岡市へ行ったとき、披露宴にも出席した画家の故松田松雄と盛岡の画廊でばったり会い、その晩、居酒屋「茶の間」へ案内されて食べた。

 今度、生木葉へ行ったときに「森のキャビア」があったら、ちゃんと中の粒々をかんで酸味と香りを楽しもうと思う。

2022年9月25日日曜日

新しいパソコンに移行

        
 いよいよ秋の到来である。先の3連休ど真ん中の日曜日、いつものように夏井川の堤防を帰ると、右岸・平山崎地内でサケのヤナ場づくりが行われていた=写真。

 後日通ると、川にはヤナはまだ架けられていなかった。日曜日は岸辺に鉄製の生け簀(す)をつくるだけで終わったようだ。

 夏井川の秋の風物詩でもある。写真を撮って、今までと違ったやり方で、新しいパソコンに画像を取り込んだ。

ちょっと前まで、ブログと検索は新しいパソコンで、メールと画像の取り込みは古いパソコンでと、使い分けてきた。しかし、古いパソコンが音と熱を発し、画面も乱れるようになった。

そのうえ、新しいパソコンに連動している画像の「アルバムアーカイブ」が、9月に入るとパタッと止まった。

画像の取り込みはできるのだが、アルバムアーカイブには反映されない。ブログに新しい写真を使えなくなった。

マウスもおかしくなってきた。矢印が動かない。いっぺんに不具合が重なったので、若い仲間にSOSを発したら週末に来てくれた。

まずは作業をしやすくするため、若い仲間の車で家電量販店へ行き、マウスとLANケーブルを買ってきた。ルーターが古くなった。この際、有線に切り替えて、マウスも新しくして、不具合の元を二つ解消した。

 肝心のメールの送受信は、最後の詰めがなかなかできない。何かがネックになっている。この日はいったんそれで終わり、若い仲間があとで原因を探ることになった。

 画像は、アルバムアーカイブに反映できる新しい手順をメモし、何回か繰り返しているうちに体が覚えた。

 それから1週間後の日曜日、夏井川渓谷の隠居にいると、若い仲間からメッセージが入った。「戻ったら電話をください」

 やや早めに帰宅し、連絡をしたら、ほどなくやって来た。私はそばでパソコンの画面を見ているだけだ。

どこをどう動かしているのか、さっぱりわからない。が、すぐ作業を終え、自分のスマホを取り出して送受信のテストをした。無事やりとりができることを確認すると、若い仲間はささっと家に帰った。

 9月の下旬になってようやく作業のほとんどを新しいパソコンでこなせるようになった。古いパソコンでは何通も届いた迷惑メールが激減した。逆に、迷惑メール扱いだった仕事関係のメールがちゃんと一覧に載るようになった。

 古いパソコンと手順が違うところはある。「バージョンアップ」(性能・機能の改良・向上)というやつだろう。機能面で古いパソコンとかみあわなかったところもあったか。

 それよりなにより、セキュリティーの面でより安心感が増したのが大きい。とにかく今は新しい仕組みに慣れるしかない。

2022年9月24日土曜日

ルリタテハの幼虫と卵

        
 庭にホトトギスを植えたら、年々数を増やした。秋の彼岸のころ、茎の先端につぼみを付ける。間もなく花を咲かせることだろう。

 まだつぼみもできていなかった9月上旬。庭から戻ったカミサンが「ホトトギスの葉が食べられた、毛虫もいる」という。すぐカメラを持って庭に出た。

上から何枚か、葉がなくなっている茎がある。別の茎の葉をめくると、終齢幼虫が2匹いた=写真上。さらにほかの茎を見たら、1ミリ弱の卵が同じ葉に点々と3個付いている=写真下。

 「食草ホトトギス 毛虫」で検索すると、一発でルリタテハが現れた。ルリタテハの幼虫と卵だった。卵は緑色で、白い筋が9本前後入っている。画像を拡大するとスグリそっくりだ。孵(かえ)った卵殻は透明で白い。

 ルリタテハの成虫は、夏井川渓谷の隠居で見たことがある。が、平地のわが家ではまだだ。ウィキペディアなどで生態的な特徴を確かめる。

 平地の森林内や周辺部に生息し、都市部の公園や緑地にも現れる。暖地では年に2~3回、寒冷地では年に1回、成虫が発生する。成虫のままで越冬し、早春にはいちはやく飛び始める。翅を開くと、黒と瑠璃色がよく目立つ、とあった。

 幼虫はどうか。地色は紫黒色で、無毒の黄白色の棘状突起をいっぱい持ち、サルトリイバラやユリ科のホトトギス、ユリ類などを食草にする。

 終齢幼虫は何日もたたずに姿を消し、代わって卵から孵ったばかりの小さな幼虫(5ミリほど)が葉裏にいた。成虫は波状的に卵を産んだらしい。

 わが家の「昆虫記」、あるいは「植物記」とでもいったらいいのか、拙ブログにはちょくちょく虫や花の話が載る。

 家の庭で、渓谷の隠居で、里山で出合った虫や花たちを記録しておけば、おのずと庭の、里山の環境が浮かび上がってくる。人間と自然の関係も見えてくる。

 たとえば、台所の南側の軒下にパセリを植えたら、葉を、花を食べる幼虫が現れた。キアゲハだった。

撮影のジャマになる花茎をよけてカメラを近づけると、突然、幼虫の頭部からニュルッとオレンジ色のツノが現れた。

アゲハチョウ科の幼虫には、「臭角(しゅうかく)」という、通常は内部にしまわれている防衛器官がある。それを突き出してきたのだった。これには驚いた。

何年か前の5月、同じ台所の軒下近く、雨戸の溝で蛹になったチョウがいた。幼虫は全体に黒っぽい。背中には黒い筋と並行して、両側に黄色い筋がある。吸盤様の腹脚(ふくきゃく)は赤い。

同じ紋様の幼虫が2匹、庭のツワブキの葉の上にもいた。葉から地面にポトリと落ちると、必死になって家の方へ移動してきた。よく見ると、軒下の空き箱や台所のガラス戸のレールにも同じ幼虫が張りついていた。

ヒオドシチョウらしかった。集団で食草から離れ、蛹になる場所を探して地面を移動してきたらしい。やがて幼虫は蛹化した。しかし、羽化したところは見ていない。食草になる草も木も庭には見当たらない。いや、知られていない食草が庭にあったのだろうか――。花が咲いて虫が現れると、いつもそんな妄想にとりつかれる。

2022年9月23日金曜日

疫病退散

           
 「疫病に負けるな!」展の告知チラシを見て以来、疫病退散の護符の絵や文字が気になって、それを解説する本を図書館から借りて読んでいる。

 同展は福島県歴史資料館で12月11日まで開かれている。「ふくしまの近世・近代疫病史」というのがサブタイトルだ。

 チラシの表面に3枚の護符が印刷されている。「神蛇魚(じんじゃうお)之圖」「元三大師(がんざんだいし)札」「疫病はらふ符」で、これらについては先日、拙ブログで紹介した。

 その延長で、「疫病はらふ符」のような、文字とも記号ともつかない護符がなぜ生まれたのか、頭から離れなくなった。

 まずは大東流柔術師範の大宮司朗著『実践講座1 呪術・霊符の秘儀秘伝』(ビイング・ネット・プレス)に目を通す。

 文字のような、記号のような謎の護符についてはこうあった。「多くの霊符には、文字とも思えぬ文字や妙な記号が一体となったデザインがほどこされています」

 われわれのような「普通の人にはなにを意味するのかさっぱり分かりませんが、たとえば道教では、霊符の起源を神仙(道教で崇められる神や仙人)が天地自然の真象を写しとったものとしています」。

 宗教学者の島田裕巳著『疫病退散――日本の護符ベスト10』(サイゾー)=写真=は、コロナ禍が始まった令和2(2020年)秋に出版された。

 道教や陰陽道といった分野の知識はまったくない。が、「急急如律令(きゅうきゅうのりつりょう)」は漢字なので読める。護符理解の入り口になるかもしれない。

 島田本によれば、「蘇民将来子孫家之門」と記された護符の裏に「急急如律令」と記される。歌舞伎の「勧進帳」にも出てくる。もともとは陰陽師が悪鬼を退散させるために唱えた呪文だという。「蘇民将来」は古代説話に登場する人物だが、よくわかっていない。

 それに合わせて「九字(くじ)の真言」を唱えることもあるそうだ。九字とは、島田本に紹介されている資料では「臨・兵(びょう)・闘・者(しゃ)・皆(かい)・陳(ぢん)・裂・在・前(ぜん)」であり、大宮本では「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・前・行(こう)」である。

 「陳」は「陣」、「裂」は「烈」に変わり、最後の2文字も「在・前」、あるいは「前・行」と同じではない。いろんなパターンがあるのだろう。

 九字の真言を唱えながら指で縦横交互に空を切る。「刀印(とういん)」というそうだ。やってみて、遠い昔に熱中した猿飛佐助や霧隠才蔵を思い出した。

まず、右手の人さし指と中指を伸ばし、親指で曲げた薬指と小指を押さえる。左手も同じようにする。それから左手の指の輪に右手の2本の指を差し込む。右手が刀、左手が鞘というイメージだ。九字を切ったあとは、また刀を鞘に収めるようにして印を解く。

なるほど。60年以上も前の小学生の遊びといえば、忍者ごっこだった。その原点がこれだったか。

2022年9月22日木曜日

女王の国葬中継

3連休が終わると、秋の彼岸に入った。夏井川渓谷の隠居では秋の花、ハギが咲いている=写真。きのう(9月21日)は長袖を引っ張り出した。急に寒さが降りてきた。

「敬老の日」の月曜日(9月19日)、イギリスではウエストミンスター寺院でエリザベス女王の国葬が行われた。

同日午後6時からNHKのBS1が、イギリスのBBCの国葬生中継を放送した。2時間の長丁場だった。こういうときはカミサンがチャンネル権を持つ。こちらは黙ってライブを見続けるしかない。

 テレビを介してとはいえ、同寺院の内部を見るのは初めてだ。さまざまな角度から「現場」を切り取って見せる編集の力が作用したのか、交差する建物の構造に興味がわいた。

天井、いや「天上」からの画像に切り替わるたび、同寺院の平面図が頭に描かれる。十字形。縦に長い空間と、横に短い空間が交差している。「これって、十字架じゃないの?」。カミサンに聞くともなく聞くと、「なんかそう見える」。

 なぜかそのとき、いわきの現代美術家吉田重信さんが、東日本大震災のあとに手がけた「光の鳥」プロジェクトを思い出した。

 一例が、吉田さんが制作した「光の鳥」の絵はがきに、自分へ、あるいは肉親へ、友人へあてて自由にメッセージや絵を書き込む取り組みだ。

それらを展覧会で展示したあと、実行委が切手を張って「飛ばす」(投函する)、という仕組みになっていた。

震災の年の9月から11月にかけて、5000枚を目標に、最低でも3000枚の「光の鳥」を飛ばす計画だと、本人から聞いたことがある。

これを受けて、カミサンが旧知の校長さんがいる小学校へお願いに行ったら、快諾してくれた。そのうえ、別の小学校も紹介してくれた。

この「光の鳥」プロジェクトとウエストミンスター寺院の内部のつくりが重なった。「祈り」のかたちがそうさせたのだろうか。

同寺院の内部はなぜ「十字形」なのか、ネットで検索すると、縦に長い空間は「身廊(しんろう)」、横に短い空間は「翼廊(よくろう)」ということが分かった。

身廊はキリスト教聖堂内部の、中央の細長い広間の部分(デジタル大辞泉)、翼廊は「バシリカ」という建物様式の聖堂における十字形平面の両腕部のこと(ブリタニカ国際大百科事典)――だそうだ。

身廊と翼廊が組み合わさって荘厳な空間が演出される。天上から見ると、それが十字形になっている。

「光の鳥」の頭と翼を角張ったものにすると、クルス(十字架)になる。逆に、クルスの両腕と頭を曲線にすると光の鳥になる。

 イギリスの国葬から聖堂のつくりへ、光の鳥へ――。思考が飛んだあとには、寒々しい現実が待っていた。 

2022年9月21日水曜日

泉藩士・松井秀簡

                      
  いわき地域学會の第369回市民講座が土曜日(9月17日)の午後、いわき市文化センター大講義室で開かれた=写真。

 会員の中山雅弘さん(前いわき市勿来関文学歴史館長)が「松井秀簡(しゅうかん)~非戦を貫いた泉藩士~」と題して話した。

 このテーマの講座は、実は昨年度(2021年度)の前半に予定されていた。コロナ禍で延期され、その後また同じ理由で会場が使えず、いったんは中止になった。

 今年度の市民講座の人選を進めるなかで、中山さんに連絡をとった。彼は違うテーマを考えていたが、私は松井秀簡の話をリクエストした。

市民講座は会員の研究成果を発表する場でもある。が、泉藩、あるいは同藩士がテーマになることはまずない。

常連のほかに、平在住の知人(泉藩内の錦出身で、先祖は泉藩士)や、秀簡の直系の子孫など、泉在住者が何人か受講した。

 松井秀簡(1826~68年)を簡単に説明するのは難しい。中山さんが受講者に配った資料と講話から浮かび上がってきたのは、少年のころから頭脳明晰だったということだ。そして幕末の動乱期、藩論が二分する中で、秀簡は非戦を唱えて自刃する。その生と死を、もっと深く彼の内面とからめて知りたいと思った。

 中山さんによれば、秀簡は藩から派遣されて磐城平藩の学者、神林復所(1795~1880年)のもとで学んだ。

 さらに、三春藩に召し抱えられた最上(さいじょう)流和算家、佐久間庸軒(1819~96年)のもとで、町見術(測量して田畑の面積を出す)や水盛術(水準を出す)などを修得した。

 秀簡は三男坊だったが、殿様に同じ松井の「別家」として取り立てられ、小頭、徒士、徒士小頭を経て、29歳で代官(新百姓取立掛)になった。

つまり、新田開発の担当者というわけだが、これには和算の知識(年貢取り立て、田畑の面積の計算など)を買われてのことだったようだ。新田開発に伴い、越後・蒲原郡から家族ごと農民をスカウトする事業にも取り組んだ。

そして、慶応4(1868)年、41歳で郡奉行になる。奥羽越列藩同盟と新政府軍の戦いが始まるなかで、非戦論者の秀簡は6月22日、自刃する。

背景にはなにがあったのか。中山さんは「秀簡は、国学は学んでいない。水戸の会沢正志斎に兵学を学んだ。会沢は開国論者だった」と前置きして、世界情勢にも通じていた開明的な人物で、領民の苦労もわかっていた、幕府側の遊撃隊・純義隊が領民から軍資金を調達しようとしたことへの抗議でもあったのではないか、とした。

私は特に、数え16歳で詠んだ漢詩「貧士」(七言律詩)に引かれた。現代でいえば、中学3年生の作品だ。その中の読み下し2行。貧しい男の心意気をうたっている。「心の玉は値(あたい)千金/財布の中に一文も無し」。言い切るところがすがすがしい。

2022年9月20日火曜日

かつてない危険な台風

        
  衝撃的な言葉だった。「過去に類似する台風がないくらい危険な台風」(気象庁)だという。

この最大級の台風14号がおととい(9月18日)、九州に上陸し、きのう、中国地方に再上陸したあと、日本海を北東に進み、東北・北海道をうかがうところまできた。

きょうは朝4時に起きた。風がガラス戸を鳴らすが、雨はやんでいる。もう太平洋へ抜けたのだろうか。

テレビをつけると、まだ日本海上にいた。佐渡と新潟市の間にあって、山形~宮城~岩手へと進み、太平洋に抜けて温帯低気圧に変わるだろうという。強風域は広い。しかし、暴風域はなくなった。それだけでもよしとするしかない。

この3連休は、台風14号がずっと頭にあった。東北南部の人間にも、風雨の有無と強弱を含めて台風情報が欠かせなかった。

 なにしろ中心気圧が低い。日曜日朝のテレビは、910ヘクトパスカルと報じていた。昭和34(1959)年に大きな被害をもたらした「伊勢湾台風」は、上陸時、929ヘクトパスカルだった。それと比較しうる猛烈な台風だ。

翌月曜日朝6時のニュースでは、960ヘクトパスカルとなって九州北部にあった。その後は日本海沿いに北東へ進んだ。

 台風が来る前の金、土曜日は暑さが戻った。いわき市内陸の山田町では最高気温が29.6度、30.3度となり、曇雨天の日曜日も28.7度まで上がった。

 そうした中での日曜日朝6時、花火が2発揚がった。わが地域にはよく知られた神社が二つある。立鉾鹿島神社は5月に、出羽神社は9月に祭礼が行われる。出羽神社の祭りの合図だった。

 コロナ禍の今は、両社とも近隣の区長の招待はない。いつもであれば背広にネクタイでお参りするのだが、夏井川渓谷の隠居へ行く途中、参道=写真上1=から祭りの無事挙行を祈った。

 車を小川町へ進めると、霧雨から本格的な雨に変わった。これでは隠居へ行っても土いじりができない。生ごみは持ち帰るか。そんなことを考えながら渓谷へ入ると、また霧雨に変わった。

 ぐずついた天気のまま、雨が強まったり弱まったりする。生ごみを埋め、苗床に残った最後のネギを収穫し、新しいネギ苗床に肥料を施すと、また雨が強くなった。フード付きのコートを着て作業をしたので、蒸し暑くてかなわない。

台風14号からはずいぶん離れているとはいえ、中心に向かって流れ込む風の大きな渦が、湿った空気を運んできたのだろうか。

「18日は湿った空気の影響を受ける。県内は雲が多くなる。午後は浜通りと会津を中心に、雨が降る所がある」(県紙)という予報が、半日早まったのかもしれない。

 雨がやむと、山の尾根は霧に包まれたり晴れたりした=写真上2。それはそれで山水画のような美しさだった。

翌月曜日も天気は安定しなかった。午後、晴れ間を見て20日付配布の回覧資料を配った。その直後に横なぐりの雨がきた。強風域が過ぎるまでは心配が尽きない。

2022年9月19日月曜日

ミョウガの糠漬けがまだだった

        
 わが家では朝、庭へ出ると、駐車スペースから柿の木の下に広がるミョウガの“やぶ”をのぞく。地面にミョウガの子がある。花が咲いているのでわかる。

 “やぶ”の花までの距離はわずか2メートル。“やぶ”に入り込めば簡単にミョウガの子を摘むことができるのだが……。

 半そで・半ズボンでは、たちまちヤブカに襲われる。長ズボンにはき替え、蚊取り線香を持って“やぶ”に分け入る、というのも面倒だ。

 8月に初物を摘んで食べて以来、庭からの収穫はカミサンにまかせている。カミサンはミョウガの子を摘むたびに、「キンカン、キンカン」と駆け込む。いよいよ私はミョウガの根元をのぞくだけになる。

 さいわい、お福分けがいっぱい届いた。汁の実や薬味にした。それでも余る。タマネギの甘酢漬けを食べていて思いついた。ミョウガの子を縦に切ってタマネギと一緒に漬けたらどうだろう。

カミサンに頼むと、結果はオーライだった。甘酢がしみてやわらかい。香味も失われていない。初秋の晩酌のおかずにふさわしい一品になった。たまたまタマネギが切れたので、そうした。

 古い画像を整理していてわかった。去年(2021年)の今ごろ、ミョウガの子を縦に割ってガーゼに包み、糠漬けにしている=写真。

最初は自分で簡単にできるものをと、そのまま糠漬けにしたが、浸透圧がよくはたらかない。硬くて味もしみこまなかった。

皮をむかないで入れたウドと同じだ。皮をむいたとたん、ウドはしんなりと漬かった。ミョウガも縦に切って漬けたら、しんなりしていい味になった。

独特の香りもそのままだ。ただし、ミョウガの子はそれ自体小さい。割って糠漬けにすると取り出すまで時間がかかる。どこにあるかわからなくなるので、ガーゼにくるんで糠床に入れることを思いついた。正解だった。

ところで、と思う。ミョウガを食べると物忘れをするという話は、確か小学生のころ、昔話の一つとして学校で習った覚えがある。欲の深い宿屋が泊まり客にミョウガをいっぱい食べさせ、財布を忘れさせようとするのだが、かえって自分たちが宿代を取るのを忘れてしまう。

以来、ミョウガには距離感が生まれた。とはいえ、大人になると昔話の解釈が変わった。うまいので食べすぎるな、そんな戒めなのだろう、と。

要は、酒を飲むようになって、ミョウガのうまさを知って、昔話の呪縛から解放されたのだった。

甘酢漬けは、あるとき、知人からどっさり新タマネギをもらったのがきっかけで、カミサンがつくるようになった。

タマネギの白に、梅干しの赤い果肉をまぶすと彩りがよくなる。梅のクエン酸も食欲を刺激する。今はそのために昔ながらの梅干しを買いに行く。その応用編として、毎晩、ミョウガの「甘梅酢漬け」を食べている。

2022年9月18日日曜日

キツネノタイマツ?

   
                                   

キノコは雨と気温の影響を受けやすい。東北南部は今年(2022年)、あっという間に梅雨が明けた――と思ったら、戻り梅雨のような天気になった。梅雨キノコは遅れて出てきたのではないか。

仙台管区気象台は当初、東北南部は6月15日に梅雨入りし、同29日に明けたと、「速報値」を発表した。わずか14日間、しかも6月中に明けるのは観測史上初めてだった。

 その後、気象庁が「確定値」を発表し、東北南部は梅雨入りが6月6日、梅雨明けは特定できない、と修正した。

 新聞によると、東北南部は6月下旬に高気圧に覆われた。7月に入ると、今度は寒気や低気圧の影響で雨が多くなり、さらに8月上~中旬も前線や低気圧、湿った空気の影響を受けた。

 確定値を読むかぎり、前半(6月)はカラ梅雨、後半(7月)は8月も含めてジメジメした天気だったことがわかる。

 夏井川渓谷は天然キノコの宝庫だ。そこに隠居がある。東日本大震災に伴う原発事故が起きるまでは、森を巡ってキノコの写真を撮り、食菌を採った。

 今はほとんど森を巡ることをしない。全面除染された隠居の庭に目を凝らすだけだ。ヒラタケやアラゲキクラゲの生える立ち枯れの木がある。日曜日、隠居に着くと必ずチェックする。9月も後半に入ると、道路との境にあるモミの木の根元にアカモミタケが発生する。

 9月に入ったことだし……。庭でキノコのチェックを始めたら、思わぬ菌に出合った。先日、キジバトらしい鳥が猛禽の餌食(えじき)になった話を書いた。

 その羽根がかたまって落ちていたすぐそばに、筆のようなキノコが群生していた=写真。普通のキノコとはまるで形状が違っている。これまで見てきた異様なキノコでいえば、長い爪を3本伸ばしたようなサンコタケ、赤いヒトデのような腕を何本も突き出したアカイカタケに近い。

 帰宅して画像と図鑑を照合すると、スッポンタケ科のキツネノロウソクかキツネノタイマツに似ている。

 キツネノロウソクは柄の上部が濃紅色で、下部が白いという記述はない。キツネノタイマツは柄の上部が淡紅色~淡橙黄色で、下部は白色とある。

 似たキノコにキツネノエフデがある。これは柄と傘がつながっている。消去法でここは仮にキツネノタイマツということにする。

 傘は胞子を含む腐敗臭の強い暗緑色のグレバ(消えかかっている)に覆われている。SNS(会員制交流サイト)で同じ仲間のキヌガサタケが虫に食われてきれいになくなる動画を見たが、やはりキツネノタイマツもそうして虫を呼び、食われて胞子を拡散するのだろう。1週間後には跡形もなくなっていた。

2022年9月17日土曜日

ネギとカタツムリ

                     
 夏井川渓谷の隠居へ行くと、向き合う相手が人間から虫に変わる。家の、小集落の周りは、夏場は緑一色だ。

 1年を通してタヌキやテン、ハクビシンといった動物が現れる。イノシシも来る。鳥はもちろんすんでいる。それ以上に、絶えず人間のそばに虫がいる。

 アブや蚊には蚊取り線香がある。遠ざければいい。庭の木の青葉や草を食害する虫たちは、これは成り行きにまかせるしかない。

 しかし、野菜となると話は別だ。けっこう「利害」がぶつかる。もちろん、虫だけではない。イノシシが庭をラッセルする。ハクビシン、ないしタヌキが埋めた生ごみをほじくり返す。とはいえ、イノシシたちがネギを食い散らかしたりしたことはない。

 隠居の庭のはじっこで昔野菜の「三春ネギ」を栽培している。今は、栽培している野菜はそれだけ。今年(2022年)はおよそ250本がうねに並ぶ=写真。

 この写真は8月の月遅れ盆の前、後輩が上下の庭の草をきれいに刈り払ってくれた後に撮った。

それから1カ月余り。庭は草が伸びて、虫が隠れすむにはいい環境になってきた。いや、その前から虫たちにとっては「王国」だ。

三春ネギは秋まき。9月中にネギの苗床をつくり、10月10日前後に種をまく。芽を出したネギ苗はかじかみながらも冬の寒さに耐え、春を迎える。

さあ、これからぐんぐん大きくなるぞ、と思った4月半ば。地際部分からネギ苗が切れて散乱し、苗床がスカスカになっていたことがある。

それだけではない。ネギ苗には毎年、3~5ミリほどの黒い虫が巻きつく。この虫は次から次に現れる。そのつど取り除く。気づいてからほぼ1カ月半、プチッとやった数が100匹や200匹ではきかない、そんなときもあった。

ネギ苗を定植したあとも受難は続く。ネギ苗が根元から切られて倒れていることがある。根元の土を指でほぐすと、体長2~3センチの「根切り虫」が丸まって出てくる。この被害もばかにならない。3分の1以上をやられた年もある。

根切り虫の正体は、カブラヤガの幼虫らしい。初齢虫は夜昼なく活動して葉を食害する。大きくなると昼間は土中にひそんで、夜、ネギの根元を食いちぎる――と図鑑にあった。

今年(2022年)は根切り虫の被害が少なかった。歩留まり率はよさそうだと、喜んだのだが……。なぜか小さなカタツムリが葉に取り付いている。

ネットで検索すると、ウスカワマイマイ、ないしは外来種のオナジマイマイらしいことがわかった。これもネギにとっては加害者になる。プチッとやるしかない。

さて、栽培サイクルでいえば、そろそろ三春ネギの種まきの準備をしないといけない。先の日曜日に、畳1枚分くらいのスペースを苗床に決めてスコップを入れた。草を取り払い、土をほぐして石灰をまいた。あとは肥料をすき込み、10月9日の日曜日に種をまけばいい。

渓谷では、雨にも、風にも負けず――だけでは足りない。イノシシにも、カタツムリにも、根切り虫にも負けず――でないと、暮らしてはいけない。

2022年9月16日金曜日

飲むサラダ

                      
 もうかなり前になる。BS日テレで毎日午後、「オスマン帝国外伝――愛と欲望のハレム」を見た。カミサンがそばで見ているうちに、だんだん権力と人間の愛憎劇に引き込まれていった。

ドラマでは、16世紀、オスマン帝国の黄金時代を築いた皇帝スレイマンと、元キリスト教徒の奴隷身分から皇帝の寵愛(ちょうあい)を受け、やがて正式な后(きさき)となったヒュッレムを軸に、骨肉の後継争いが展開された。

ヒュッレムは黒海の北、今のウクライナ西部の町で生まれた。クリミア・ハン国の襲撃に遭い、奴隷として黒海の南、オスマン帝国の首都イスタンブールに連れてこられた。

「魔性の女」、あるいは「西太后やマリー・アントワネットとならぶ悪女」と評されるが、ウクライナでは人気が高い。

 このテレビドラマの影響だろう、トルコを軸にして近隣のロシアや東欧、中東を見る癖がついた。そこへロシアによるウクライナ侵攻が始まった。ときどき、トルコからウクライナを見るような感覚になった。

 それだけではない。これもテレビドラマの影響には違いない。カミサンがトルコ料理の本を買い込んだ。

 夏に「インゲンのオリーブ油煮」というのが出てきた。カミサンが移動図書館から、荻野恭子著『世界三大料理の魅惑のレシピ 改訂版家庭で作れるトルコ料理』(河出書房新社、2020年)を借りた。そこにあったという。

夏野菜のお福分けが相次いだころだ。キュウリのトルコ料理はと見れば、「羊飼いのサラダ」があった。トマトとキュウリ、ピーマン、玉ネギを「さいの目」に切り、ドレッシング(レモン汁、塩、こしょう、オリーブ油)を加えてよく和(あ)える、というものだった。これもオリーブ油が決め手らしい。

やがてカミサンがこの本を買って、ときどき、トルコ風の料理をつくるようになった。なにしろ、トルコ料理はフランス料理と中国料理とともに、世界三大料理の一つだという。

 で、最近出てきたのが、「ジャジュック――ヨーグルトときゅうりの飲むサラダ」=写真。前述の料理本によると、キュウリは粗みじんにし、ニンニク1片をすりおろしてヨーグルトに入れる。そこにハーブとオリーブ油を加える――簡単にいうと、そんな感じの冷製スープだ。

 と、早朝、ここまで入力していたところに、BSプレミアムで9時から「味覚の迷宮トルコ」が始まった。2時間、手を休めて視聴した。いやあ、世界三大料理の一つだけに奥が深い。カミサンの本をあらためてじっくり読んでみようという思いになった。

 それはそれとして、ジャジュック(テレビの番組では「ジャジュク)は周辺の国にもある。キプロスは同じく「ジャジュック」だが、ギリシャは「ザジキ」、ブルガリアは「タラトル」、インドは「ライタ」、イラン(ペルシャ)は「マストヒャール」。

 キュウリ、ニンニクおろし、ヨーグルト(ウクライナはクリームサワー?)――これらを基本にした「飲むサラダ」がユーラシアには広く浸透しているらしい。

2022年9月15日木曜日

マウスを替える

                      
 古いパソコンに“モアレ”が現れるようになり、いつ“突然死”するかわからないというので、2年前に息子の勧めで新しいパソコンを買った。

 ネットに接続したものの、メールがつながらない。どこかでパスワードを変更したのかもしれないと、パソコンに詳しい若い仲間がいう。

 とりあえず、新しいパソコンで文字を入力し、ブログをアップできるところまではセットしてもらった。SNS(会員制交流サイト)のツイッターやフェイスブックも閲覧できるようにした。

それから1年ほどは古いパソコンを使い続けた。モアレが進み、パソコンそのものもうなり声を発し、熱を持つようになった。

 「なんで新しいパソコンを使わないの」。何度も息子に言われて、ようやく新しいパソコンでブログの投稿と検索を始めたのが、去年(2021年)の師走。

 画像(写真)の取り込み、メールの送受信は古いパソコンで続けている。で、突然死を頭に置きながらも、新・旧パソコンを使い分けてきたが……。

 新しいパソコンにも連動している画像の「アルバムアーカイブ」が、9月に入るとパタッと止まった。画像の取り込みはできるのだが、アルバムアーカイブには反映されない。そうなると、ブログの写真が選択できない。アーカイブにある古い写真を再利用するしかない。

 前にもときどき、同じ症状が出て、若い仲間に見てもらった。今回はさらに、マウスがおかしくなってきた。「USBデバイスが機能しない」という表示がたびたび出る。息子は、マウスが古くなったからではないか、という。

 いよいよメールも、画像の取り込みも新しいパソコンで直接やるしかないか――。いつものように若い仲間に連絡すると、土曜日の朝10時に来てくれた。

 マウスと連動する画面の「矢印」がすぐ動かなくなる。交通信号機の矢印=写真=ならともかく、こちらの矢印は意のままにならないと困る。指だけでは時間がかかる。

 業を煮やした若い仲間が「マウスを買いに行きましょう、ついでにLANケーブルも」という。すぐ彼の車で家電量販店に出かけた。

 彼からもらったルーターで、無線でネットが見られるようになっている。そのルーターも古くなった。この際、有線に切り替えて、マウスも新しくして、トラブルの元を二つ解消しよう、というわけだ。

 肝心の画像の取り込みとメールの送受信だが……。メールは最後の詰めがなかなかできない。何かがネックになっている。

 画像も一から教わり、手順をメモしておかないと、アルバムアーカイブまで届かない。次回、若い仲間が来てセッティングが完了する時点でしっかり聞いておかないと、またすぐSOSを出すようになる。

 新しいパソコンですべて作業ができるなら、こんな楽なことはない。そうなるまでの若い仲間の技術力が、アナログ人間には「魔法」のように思える。

2022年9月14日水曜日

菜園での立ち話

   車で遠出すると、集落の裏山が点々と茶髪になっているのが見える。ここでも、あそこでも……。ナラ枯れのひどさに気持ちがどんよりする。

街へ戻って帰宅するために夏井川の堤防を通る。対岸の丘にも赤くメッシュが入っている。前方の土手にはヒガンバナ=写真。ツルボも群れて咲いている。どんよりした気持ちが花を見てやっと晴れる。

渓谷から平地に下り、小さな山を二つ越えてドライブした日曜日(9月11日)の気持ちを天気に例えると、「曇りのち晴れ」だった。

昼前は夏井川渓谷の隠居で土いじりをした。近所のKさんがやって来て、土曜日のいわき民報の話になった。いわき民報は夕刊だが、渓谷では翌朝、朝刊と一緒に配達される。

1面でいわき市内のナラ枯れ現象を取り上げていた。体長5ミリほどのカシノナガキクイムシ(カシナガ)が媒介する菌によって、コナラやミズナラなどの大木が枯死する。さらに、木の中で育った新しいカシナガが周りの木々にアタックし、枯死させる――という繰り返しのなかで被害が拡大する。

市内で初めて確認されたのは平成30(2018)年ごろ。それから何年もたたないのに、去年(2021年)は市内の民有林だけで2234本もの被害が確認された。

枯死木は5年ほどたつと幹が折れ、寝返りを起こす危険がある。しかし、伐採には多額の費用がかかる――そんな現状を伝えていた。

渓谷の住民は周囲の山のナラ枯れを憂慮している。仕事に、買い物に、毎日のように渓谷の幹線道路(県道小野四倉線)を利用する。いやでもナラ枯れが目に入る。

それだけではない。道路沿いでもナラ枯れが増えてきた。前に拙ブログでも取り上げたが、ロックシェッドや工事中断中のカラーコーンが置かれているあたり、字名でいうと竹ノ渡戸地区では、崖と谷の両側に点々と茶髪が見られる。これは間違いなく車の通行をおびやかす。

渓谷の小集落では、隣組がそのまま行政区になっているところがある。隠居のある牛小川がそうだ。

たまに倒木が道路をふさぐ。Kさんは、もう一人のKさんとすぐ倒木を切断して、車を通れるようにする。そうした自衛力を備えていても、行政区外のロックシェッド付近のナラ枯れは手に負えない。役所にはすでに連絡してあるという。

民有、公有の違いはもちろんある。が、自転車や自動車の通行に不安と支障をきたすようなナラ枯れ木は、緊急避難的な対策が求められるのではないか。

庭の菜園での立ち話はせいぜい10分ほどだったが、あらためてナラ枯れに対する住民の不安が深く心に刺さった。

   土いじりは午前中で終え、昼食は小川の平地に下ってコンビニの駐車場で済ませた。そのあと、好間~内郷~常磐・湯本と巡った。どこでも里山に茶髪が見られた。で、冒頭に記したような気分になったのだった。 

2022年9月13日火曜日

猛禽類の食堂

                      
   ある意味では生と死の凄惨な現場には違いない。夏井川渓谷にある隠居の庭に、鳥の羽根がまとまって落ちていることがある。ふだんは人けがない。猛禽が安心して食堂に利用しているのだろう。

記憶に新しいところでは、去年(2021年)2月13日の日曜日がそうだった。母屋と風呂場をつなぐ坪庭に茶色がかった羽が散乱していた。そのときの拙ブログを抜粋・要約する。

――風呂場からホースを伸ばして、坪庭を「洗い場」にしている。そこに鳥の羽根がまとまって落ちていた。猛禽が鳥を捕まえ、坪庭まで運んで羽根をむしり取り、そこで食事をしたのだ。

オオタカか? そう思った瞬間、石森山での生々しい体験がよみがえった。ある早春の午後遅く、絹谷富士に登ると、たまたま頂上の岩場で伝書鳩を捕食中のオオタカと目が合った。

頂上の岩場に人間がヌーッと顔を出したから、そこを調理場兼食堂にしていたオオタカは驚いた。食事を中断して反時計回りに一回半、人間を左に見ながら絹谷富士を旋回して絹谷方面へ遠ざかって行った。

坪庭の鳥の羽根は長くて11センチ。色はオレンジ色に先端が淡い黒褐色、中央にも黒みがかった帯が入ったもの、あるいは黒褐色にオレンジ色の部分があるものと、バリエーションは豊かだが単純だ。

冬鳥のツグミだろうか。細く長い羽根を拾い集め、図書館から笹川昭雄『日本の野鳥 羽根図鑑』(世界文化社)を借りて照合すると、そうだった。

ツグミはムクドリ大だ。わが家の庭にもやってくる。渓谷の生き物の頂点に立つのは猛禽だが、鷹の種類までは特定できない――。

それから1年半たった9月4日の日曜日。庭の西側の菜園に生ごみを埋めようとしたとき、県道側の土手に植えてあるアジサイの根元に黒っぽい羽根が散乱しているのに気づいた=写真。

羽根から鳥の種類を特定するのは、シロウトには難しい。羽根の色と模様がそのまま、バードウオッチャーに見えているわけではないからだ。

1年半前のときには、羽根に赤みがかった色が付いていた。類推がはたらいた。冬場だったこともあって、ツグミと想像できた。

赤い羽根や緑の羽根でもわかるように、羽根は中央に「羽軸」がある。その両側に密生する羽根は「羽弁」。ペン先のような根元は「羽柄」。

羽根の長さは最長15センチ。黒っぽい羽根の先端が灰色っぽかったり、羽軸の片側が灰色っぽかったりするものがある。

今回はまだ種を絞り切れていない。ヒヨドリのようでもあるが、羽根の先端のグレーを見ると、キジバトの線も捨てきれない。たぶん、キジバト。そんなところまではこぎつけた。

 それはそれとして、隠居の庭を食堂にしている猛禽は、石森山で目撃したのと同じオオタカだろうか。食べられる鳥もそうだが、食べる側の鳥も気になる。ゆっくり、じっくり調べを重ねていくしかない。

2022年9月12日月曜日

「フレイルの悪循環」

                     
 ある本を読んでいたら、「フレイルの悪循環」という言葉に出合った。加齢や病気で筋肉量が低下し、それが運動量や食欲にも影響して、結果的には要介護状態になってしまう――。思い当たるフシがあった。

夕食は、私はアルコールとおかずだけで、ごはんは食べない。ズボンのボタンがはまらなくなってから、そうしている。

最近は、しかしごはんだけではなくなった。たとえば、焼き肉に添えられた野菜を残す。あるいは、日曜日の晩に食べるカツオの刺し身が、若いときと同じ量なのに、だいぶ残るようになった。

 残ったカツ刺しは、翌日、にんにく醤油の揚げになる。これもうまい。結果的に捨てるところはない。その意味では、食欲はある。が、一度に口にする量は若いときよりかなり減った。

 私は漬物がないとごはんが食べられない。それで、夏は糠漬け、冬は白菜漬けをつくる。ナス漬け=写真=は、秋になると買って食べる。これもうまい。量が少ないので、パクパク食べるとすぐなくなる。

 そんな食のあれこれと、食べる量の違いを思い浮かべて、しみじみ「年を取ったなぁ」という思いを強くする。

 と同時に、この2年余はコロナ禍が社会の動きにブレーキをかけてきた。今もそれが続いている。

 地域社会では、地区対抗の球技大会や体育祭、各種団体の会合・行事などが中止になり、区内会単位でも行事の延期・中止が相次いだ。

加えて、「三密」防止の自衛策として、年寄りは「巣ごもり」の時間が長くなった。すると、老化で弱くなった足腰がさらに弱くなる。

足の筋肉をみれば、それがわかる。すねも太もももずいぶん細くなった。そんな自覚があるところへ、「フレイルの悪循環」が届いた。

ここは「巣ごもり」=「自宅入院」のような実態を変えないといけない、茶の間からときどき「一時退院」しないといけない、そんな気持ちがわいてきた。

フレイルとは「か弱さ」とか「こわれやすさ」を意味する言葉だという。日本老年医学会が平成26(2014)年に提唱した概念、とネットにあった。それを踏まえて、私が読んだ本の「解説」を紹介する(原文は「ですます」調)。

「加齢や病気で筋肉量が低下する。足の筋肉量低下により歩行速度が落ちたり、疲れやすくなるため全体の活動量が減少する。全体の活動量が減少すると、エネルギー消費量が減り、動かないとお腹が空かないので食欲もなくなる。慢性的に栄養不足の状態になると、筋肉量がさらに低下し、全体の活動量が減るという悪循環へ陥る。この悪循環を断ち切らないと、要介護状態になる可能性が高くなる」

筋肉量をこれ以上落とさないためになにをするか。少なくとも、自分の人生の「空き容量」をフレイルの悪循環で使い切る必要はない。歩く時間を増やして、足の筋肉量増加の「見える化」に力を入れてみるか。