2021年5月31日月曜日

河川敷の土砂除去続く

        
 わが生活圏を流れる夏井川では、河川敷の土砂除去工事が続いている=写真上1。岸辺のヤナギや竹林も次々に伐採された。

 国道6号の夏井川橋(バイパス終点部)下流でも工事が始まった。左岸にいわき市北部浄化センターがある。右岸は河畔林が続く広い河川敷だ。日がたつにつれて作業が進み、風景が変わっていく。右岸はあらかた伐採がすんで、河川敷の全体が見渡せるようになった。

 おととし(2019年)秋の台風19号で、いわき市内の夏井川流域が大きな被害に遭った。浄化センターのすぐ下流、河川敷を通るサイクリングロードも大変なことになった。

堤防と岸辺の竹林の間に流木が次々とたまり、50メートルほどにわたってごみの山ができた。この「災害ごみ」が片付けられたのは、翌年の7月初旬だった。

北部浄化センターの排水口付近は、大水があるたびに流木その他のごみで河川敷のサイクリングロードが通れなくなる。おととし秋はとてつもない量の流木が残留した。流木をためる「壁」になっていた竹林の伐採も始まった。ここも間もなく見晴らしがよくなることだろう。

 夏井川橋の下流に六十枚橋がある。そちらでもヤナギなどの伐採工事が始まった。橋の直下のサイクリングロード付近は地元で手入れをしているのか、いつ堤防を通ってもきれいになっている。気持ちがいい。サイクリングロードから岸辺の側の木が伐採されて横たわっていた。

川は平野部に入ると大蛇のようにうねる。右岸と左岸に、交互に河川敷が広がる。上流の小川から河口まで、河川敷に根を生やした木々がいったん姿を消す=写真上2。とにかく大水を早く海へ流そうというのが、台風19号の教訓なのだろう。

 わが生活圏ではざっと10年前にも、対岸の木々の伐採と土砂除去が行われた。だから、10年後がどうなるかは想像がつく。ヤナギがあっという間に岸辺を覆う。草も繁茂する。特に、上流からの土砂の供給がすさまじい。台風19号のときには、1メートルも土砂が堆積したところがある。

 河川敷にいろんな木が生えていた。また生えてくる。夏井川橋直下の右岸にはニワウルシの群落があった。ニワウルシは河原に侵入すると短期間のうちに大きな樹林に生長して、洪水時には水の流れを阻害するという。

 最も多いヤナギのほかには、オニグルミ、ニセアカシア、イタチハギ、アカメガシワなど。大水で上流から種が流れついて活着したのだろう。

 草野心平の詩に「故郷の入口」がある。磐越東線のガソリンカーが平駅(現いわき駅)を出発し、赤井駅を過ぎて小川郷駅へと向かう。赤井と小川の境の切り通しが近づく。「切り割だ。/いつもと同じだ。/長い竹藪。/いつもと同じだ。」。この「長い竹藪」も消えるのか。

暮らしの中を流れている川を、その変化を絶えず目に焼きつけておくこと。大水の怖さも含めて――自称「夏井川ウオッチャー」は自分にそう言い聞かせて、街へ行ったときには必ず堤防を通って帰る。

2021年5月30日日曜日

ワクチン接種

        
 いわき市は新型コロナウイルス感染拡大防止一斉行動の延長を決めた。ただし、文化センターや公民館、図書館、美術館、文学館などの臨時休館は5月31日で終わる。

6月1~20日は新たに「リバウンド防止期間」として、①感染拡大地域への不要不急の往来自粛②感染対策がとられていない飲食店の利用や大人数・長時間の飲食の自粛――などを市民に呼びかけるという。おととい(5月28日)、市長が臨時記者会見で発表した。

市は4月24日~5月16日を感染拡大防止一斉行動期間とし、4月29日から5月16日まで公民館や図書館などの公共施設を臨時休館にした。さらに、5月31日まで臨時休館が延期された。

いわき地域学會の市民講座は文化センターが会場だ。年10回の計画で5月にスタートする。最初の講座が臨時休館と重なって6月に延期され、6月も無理か――と覚悟していたが、再延期は避けられた。

ほぼ1カ月の休館中には読みたい本も増えた。図書館から借りる本をリストにして手帳に挟んである。再開初日には休館前に借りた本を返し、リストを見ながら本を探す。毎日がステイホームの身には、図書館の休館が一番こたえた。

おとといの臨時記者会見では、70~74歳のワクチン接種についても発表されたようだ。75歳以上にはすでに接種券の入った封書が郵送されている=写真。第2弾として、その次の年齢層にまで接種が拡大される。予約のためのサポートセンターも設置するという。ただし、対象者は「ワクチン接種を希望しているのにもかかわらず、ネット予約ができずに困っている」人だ。

いちおうネット予約を試みて、できなかったら接種券・運転免許証・スマホを持って、サポートセンター(平地区の場合は中央公民館)へ出かけるつもりでいる。

カミサンは、ようやくかかりつけ医による接種を決めた。それまでは予約受付開始日の朝9時、コールセンターに電話したが、「話し中」でつながらなかった。つながったと思ったら「予約は終了しました」といわれた。次の予約受付日でも同じ理由で予約ができなかった。

先日、近所の病院に薬をもらいに行った。窓口で火・水曜日の午前中はワクチン接種対応のため一般の受診はできない旨、説明を受けた。いよいよワクチン接種が身近な話になってきた。

 ただ、わかりづらいのは自治体によってやり方が違うことだ。たとえば、相馬市。地区ごとの集団接種を実施している。希望者を対象に、住んでいる地区ごとに接種日時を指定し、各地区から会場まで送迎バスも運行している。これだとインターネットができないお年寄りも安心して接種できる。なぜこういう仕組みがとれないのだろう。人口規模の差か、それとも……

ま、とにかく6月10日前後には接種券が届く。そのあとのネット予約がうまくいくかどうか。予約サポートセンターまで出向く必要がなければいいのだが。

2021年5月29日土曜日

継続される生物季節観測

        
 5月17日に新しい朝ドラ「おかえりモネ」が始まった。気象予報士をめざす若い女性の物語だという。東京からテレビでおなじみの気象予報士が山里にやって来る。当座の天気の変化を言い当てて、主人公の女の子や周りの人々を驚かせる。

 いきものは、気象や地形・地質が培った風土のなかで命をつないでいる――そう思っている人間には、気象予報士の、この「観天望気」が神ワザに感じられた。同じ朝ドラでも、今回は「科学」の視点が入っている。これまでとは違った楽しみがある。天気の勉強にもなるにちがいない。

 新しい朝ドラの始まりと前後して、先に気象庁が発表した生物季節観測の大幅リストラが撤回され、環境省などと継続することになった、という記事が新聞に載った。

去年(2020年)11月、気象庁は半世紀以上にわたって続けてきた鳥や虫23種目、植物34種目のうち28種目の生物季節観測を2020年でやめると発表した。継続するのは桜(ソメイヨシノ=開花と満開)、カエデ(紅葉と落葉)、イチョウ(黄葉と落葉)、梅とアジサイ、ススキの開花の6種だという。

すると、専門家の団体や学界から、「歴史のある観測データが途絶えてしまう」「温暖化の影響を知るのに役立つ」などと、観測の継続を求める声が相次いだ。そこでリストラを撤回し、気象庁と環境省が約70年にわたる観測データを生かしながら、対象外となった動植物についても試行的に調べていくことにしたそうだ(朝日)。

雨降って地固まる。気象庁が3月末に出した報道発表資料をプリントアウトして読んだ=写真。

それによると、気象庁と環境省、国立環境研究所が連携して試行調査を始める。その骨子は①これまでの観測データとの継続性を保った「調査員調査」②生物を通じて四季を感じる文化的な視点から広く一般市民に参加してもらう「市民参加型調査」――の二つ。まずは市民参加型調査につながる試行調査を始め、次に調査員調査につながる試行調査を立ち上げるという。

観測継続を訴えていた日本自然保護協会も歓迎の声明文を発表した。「四季とともに動植物が変化する日本の自然は、人々の心の豊かさをも育みます。また、近年、深刻化する気象変動対策や生物多様性保全の課題においても、長期モニタリングデータはその重要性を増しています」

いわき市内では長い間、小名浜測候所で生物季節観測が行われていた。その観測データが平成20(2008)年10月1日、行政機構改革による無人化で途切れた。サクラに関しては地元のまちづくり団体が元測候所職員の協力を得て開花宣言を行っている。これなどは「調査員調査」の先行例といえるだろう。

私は現役のころ、小名浜のデータを利用して季節のコラムを書いた。いわきの自然と人間の関係を考えるうえで、ひとつの目安になる。それだけではない。蓄積されたデータからいわきの自然環境の変化が読み取れる。とても大事なデータだった。

その延長で勝手に「市民参加型調査」をしている。前にも書いたが、「初めて蚊に刺された日」を記録している。平均すると5月20日が目安だが、今年(2021年)は5月14日だった。

観測データを積み重ねることで自分の生活圏の環境変化がわかる。「おかえりモネ」でも生物季節観測の話が出てくるかもしれない。

2021年5月28日金曜日

林道で車とすれ違う

                    
   車で石森山へ行き、遊歩道を散歩するようになってから、間もなく2カ月。とにかく歩かないと足腰が衰える。老化のスピードを抑えないと――。15分から始まって、20分、たまに25分くらい歩くこともある。

 前は夏井川の堤防をフィールドに、朝晩、散歩をした。そのときの時間の感覚(40分ほど)を参考にする。とりあえず半分の3000歩が目標だ。

 そんなレベルだから、アップダウンの激しいコースはだんだん避け、傾斜はあってもほとんど気にならない、すり鉢の底のようなところを選んで歩くようになった。

 火曜日(5月25日)は、午後遅く出かけた。普通車1台がやっとという狭い林道を利用して、石森山のふところに入る。ところどころ道幅がふくらんでいる。対向車があれば、そこですれ違う。

4月は、対向車はゼロだった。大型連休をはさんで5月に入ると、毎回、車とすれ違うようになった。「紅葉マーク」がほとんどだが、なかに若い人も交じる。フィールドスコープを持った女性が林道を歩いていたこともある。狙いはたぶん、南から渡ってきた夏鳥のサンコウチョウやオオルリ、キビタキたち。

林道沿いの遊歩道入り口にも駐車できるくらいのスペースはある。いつもの場所に車を止めようとしたら、珍しく別の車が止まっていた。

近くのスペースに駐車して森の中に入る。週末に降った雨の影響で、遊歩道沿いのせせらぎが水量を増していた。森の底だから湿気がこもりやすい。雨が多くなると、菌類の動きが活発になる。

道端の伐採木からクロチャワンタケらしいものが出ている。地面からはベニタケの仲間らしいものが=写真。あとで写真と図鑑を照合すると、チギレハツタケに似ていた。「成熟とともに縁部から表皮が離れ、白色の肉があらわれる」とある。確かに一部で表皮がはがれて白くなっている。発生は夏から秋、場所はシイ・ナラ・カシなどの広葉樹林内の地上、というのも符合する。

キノコは、見た目だけではなかなか特定できない。顕微鏡で胞子を調べるようなレベルの研究者でもないので、結局「らしい」という表現になってしまう。

菌根菌(キノコなど)は「陸上植物の約八割の植物種と共生関係を結んでいる。菌と植物の共生である菌根が地球の緑を支えていると言えるだろう」。齋藤雅典編著『菌根の世界――菌と植物のきってもきれない関係』(築地書館、2020年)を読んで以来、森を見る目が少し変わった。

花は花、キノコはキノコとばらばらに、単独に存在しているのではなく、関係しあって生きている。樹木も野草も菌類もつながっている。そんな考えが頭の隅っこに宿り始めた。

それでも、実際には一つひとつのいのちと向き合うしかない。4月は花がよく目立った。5月も終わりに近づき、森が湿ってくると、こんどは菌類が目に入るようになった。キノコが咲き出したからだ。梅雨に入ると、秋に先駆けてキノコの祭りが始まる。

車に戻ってから、林道を上って山を下りた。ほかの遊歩道にも車が止まっていた。お目当てはウオーキング、あるいは鳥、花? 併せて森林浴を楽しむ人たちが常に一定数はいる、ということなのだろう。私もその一人だが。遊歩道では結局、だれともすれ違わなかった。

2021年5月27日木曜日

キュウリ苗を植える

                      
 日曜日(5月23日)の朝、夏井川渓谷の隠居に着くと、玄関前にレジ袋が置いてある。キュウリのポット苗が入っていた=写真。書き置きから近所のKさんが持ってきてくれたものだと知る。昔野菜(在来作物)の「小白井きゅうり」だ。

 ざっと25年前、隠居の庭に小さな菜園を“開墾”した。主に三春ネギを栽培している。ほかに「少量多品種」を頭においていろんなものをつくった。

原発事故のあとは元気が萎(な)え、三春ネギのほかはタカノツメ、キュウリ、ときどきナスを2本植える程度になった。週末だけの土いじり、そして40代から70代に年を重ねたことも大きい。

前の日曜日(5月16日)、キュウリの苗を植えるつもりで土を耕し、肥料を混ぜ込んで支柱を立てた。

後輩からもらったハバネロのポット苗があったので、それもほぐして植えた。「イノシシは、ネギにはまったく口をつけない」。後輩にその話をすると、「これもイノシシ除けに」と、持ってきてくれた。後輩はハバネロの国で暮らしたことがある。

以前、「道の駅ひらた」の店頭にハバネロの鉢植えが飾ってあった。さわると皮膚がかぶれる――そんな注意書きが添えられていた記憶がある。

たまたまハバネロを試作した農家がある。道の駅に卸したが、辛すぎて全く売れなかった。ではと、とことん辛い加工品の開発を進めたところ、クチコミで評判を呼び、今や「日本一辛い村」をセールスポイントにするまでになった、とか。ソフトクリームの「ハバネロソフト地獄級」や「生地獄カレー」があるらしい。

それほどの超激辛なら、イノシシはもちろん近寄らない。が、人間も収穫時には素手で摘んではいけない、必ず手袋着用で、となるのだろうか。

キュウリの話に戻る。わが家から車で5分ほどのところに昔ながらの種屋さんがある。キュウリ苗は最近、この店から買う。ホームセンターより値段はいい。それだけのことはある。実の生(な)りが違う。

土曜日にポット苗を三つ買った。Kさんからもらった小白井きゅうりは五つ。頭の中の設計図を、小白井きゅうり中心に書き換える。

小白井きゅうりは、収穫適期で長さが13センチ・太さ3センチほどだ。ずんぐり形で、長さ20センチ・太さ8センチになっても肉質はみずみずしい(『いわき昔野菜図譜』2011年)。

冷ました塩湯に重しをのせて10時間ほど漬けた「どぶ漬け」が図譜に載っている。昭和30年代までは小白井に限らず、阿武隈高地一帯で似たようなキュウリが栽培され、どぶ漬けがつくられたのではないか。子どものころ食べたキュウリはずんぐりしていて、やわらかかったから、「昔きゅうり」の一種だったのだろう。

三春ネギも昔野菜、小白井きゅうりも昔野菜。伝統的に三春ネギを栽培してきた渓谷の小集落では、ローカルな野菜こそがふさわしい。小白井きゅうりを4本、市販のキュウリを2本植えた。残り各1本はわが家へ持ち帰り、夏の日よけを兼ねて台所の南の軒下に植えた。

ただ、キュウリ苗8本がすべて無事に育ち、実をつけ始めたら……。今からレシピとお福分けのリストをつくっておかないといけないか。

2021年5月26日水曜日

孫からの「お上がり」本

                      
   息子の家から要らなくなった孫の運動靴や本が届いた。靴はリサイクルに回す。カミサンの「お上がり」になるものもある。本は2冊を除いて、「10歳までに読みたい世界名作」シリーズの7冊だ=写真。『西遊記』『ロビンソン・クルーソー』『海底二万マイル』のほかに、『怪盗アルセール・ルパン』と「シャーロック・ホームズ』があった。

 40代のとき、池波正太郎の『鬼平犯科帳』や『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』を読み耽った。矛盾に満ちた人間模様が描かれる。なかでも火付盗賊改役長谷川平蔵の名ぜりふには感じ入った。「人間(ひと)とは、妙な生きものよ。悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく」

同じころ、文庫本でコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズを読んだ。事件を解明するのに必要なものは推理力と分析力。ホームズはそれがずば抜けて高い。

新聞記者になるとすぐ「サツ回り」をさせられる。事件・事故を取材しないといけない。交通事故の場合、警察発表を「5W1H」(いつ・どこで・だれが……など)にはめこめば、それなりに記事は書ける。

ところが同じ事故でも、時間や場所や人が違う。原因が「前方不注意」でも、注意力をそいだものは人によって異なる。睡眠不足からきているかもしれない。職場内のトラブルが尾を引いていたかもしれない。記者には一歩踏み込んだ水面下での取材、推理力が必要になる。

そんな思いが新米記者のときにあったので、記者の原稿をチェックする立場になると、さらに自分の感覚を磨かないといけない、という気持ちがふくらんだ。

ひとつは必要から、もうひとつは楽しみから。鬼平やホームズに親しんでみると、そうでないときのコラムとはだいぶ違うものになった。「ねばならない」から「かもしれない」に変わった、といってもよい。鬼平やホームズは記者の必読書――現役時代にそんなことを思ったものだ。

   リサイクルに回す前に、「お上がり」本のホームズを読んだ。「犯罪の天才」モリアーティー教授と格闘し、2人ともスイスの山の滝から転落して姿を消す。これが「ホームズ最後の事件」。

ところが、「おどる人形の暗号」でホームズが3年ぶりに人の前に現れる。滝から転落したのは教授だけだった。2人は崖っぷちで取っ組み合う。教授がつかみかかろうとすると、ホームズはとっておきの技(「バリツ」という日本の格闘術)を使って身をかわす。教授はバランスを失って滝壺へ――ということが明かされる。

バリツ? ネットで検索すると、「架空の日本武術」とあった。ブジュツの英語表記の誤記、その他の説があるようだ。シャーロキアン(ホームズの熱狂的ファン)ならではの熱い探究心ではある。そもそもホームズが復活したのも、シャーロキアンの強い要望があったからだとか。

 まずは観察すること。それから推理し、分析しながら思考を積み重ねること。慎み深く、考え深くあるためにはどうしたらいいか――これを、ホームズは楽しませながら教えてくれる。

2021年5月25日火曜日

車で移動中にも“発見”が

                     
 車で移動中にも"発見"がある。といっても、1週間前にはなかった花が咲いている、田んぼに水が入って苗が植えられた――くらいのことだが。日曜日に夏井川渓谷の隠居へ行く。同じ道を通る。定点ならぬ定線観測だ。

 おととい(5月23日)は渓谷の入り口、JR磐越東線磐城高崎踏切の手前で、ヤマボウシの花に出合った=写真上1。初夏、渓谷が青葉一色になると、県道小野四倉線沿いには点々と白い花が咲く。ウツギが多い。そのなかでヤマボウシの白い花(実は総苞片=そうほうへん)はよく目立つ。

 ヤマボウシは高木だ。普通は見上げても花がよくわからない。ここでは谷から生えていて、こずえが道路と同じ高さになっている。運転している目線でこずえを覆う白い花が見える。花が咲けば必ず写真を撮る。

ほんとうの花は総苞片の中央にある淡黄色の小さなかたまりだ。総苞片は葉が変形したものだという。形も含めて好きな木の花のひとつだ。

 渓谷へ入る前、必ず確かめることがある。小川町・三島地内の夏井川に、けがをして残留したコハクチョウがいる。週末の雨で増水し、いつも休んでいる中洲が水没した。川と並走する道路に車を止めて探すと、上流の右岸そばに避難していた。とりあえず無事でよかった。

 同じ水鳥に留鳥のカルガモがいる。田植えが終わった田んぼによく現れる。ときに早苗の抜き取り、撹拌による活着障害が起きるため、農家からは嫌われる。

そのカルガモが平窪の青田にいた=写真上2。「おい、怒られるぞ」。田植えが終わったばかりの今、早苗の間をカルガモが動き回っていると、つい声をかけたくなる

そして、これは人間の話――。磐越東線江田駅前に「夏井川渓谷キャンプ場」がある。同キャンプ場は、紅葉シーズンが終わり、冬に入ってもマイカーでいっぱいだった。コロナ禍以来の現象だが、これが大型連休に入ると、パタッと消えた。

いわき市が管理する。炊事場、トイレが完備し、テントなら30張ていどは設営できる。駐車場もそれに見合ったスペースがある。

キャンプ場の入り口まで行って、理由がわかった。市は4月24日~5月16日を感染拡大防止一斉行動期間に決め、4月29日から公民館や図書館、美術館、文学館などの公共施設を臨時休館にした。さらに、5月31日までの延長を決めた。それに合わせて同キャンプ場も利用休止にしたのだった=写真上3。

「今年のゴールデンウィークは、旅行や帰省を控え、市内に留まって、自宅でゆっくり楽しみましょう」。新聞に折り込んだチラシで、不要不急の外出・往来自粛を訴えていた。大型連休以来、キャンプ場にも閑古鳥が鳴いているわけだ。

 わが家から渓谷の隠居までは田んぼ道~国道399号兼県道小野四倉線を利用する。田んぼ道は後続車も対向車も少ない。ゆっくり流しながら、大きく視野を取って進む。田んぼにサギやカルガモが、冬にはハクチョウがいる。いい被写体になる。渓谷に入れば、ピンポイントで気になるものをチェックする。キャンプ場の異変はそれでわかった。ヤマボウシも誘うようにして目に飛び込んできた。

2021年5月24日月曜日

令和2年のキノコの線量

        
「キノコに降りかかった原発災害」には終わりが見えない。いわきキノコ同好会は東日本大震災と原発事故が起きた平成23(2011)年の翌年から、会報に公的機関などで測定されたキノコの放射線量を掲載している。

 同24(2012)年に発行された第17号が最初で、キノコに関する行政の対応などが載る。

次の第18号では、冨田武子会長が「キノコに降りかかった原発災害Ⅱ」と題して、栽培・天然両方のキノコについて、いわき市とNPO法人が測定した放射線量結果(平成23年4月1日から12月31日までの680件)を一覧表にした。

それらを考察した結果として。①同一地域内の産物でも放射能値に差がある。同様に、同種であっても値が極端に異なるものがある②食材であるキノコをゆでて水洗いしてから測定すると放射能は激減する。ただし、風味は失われる③傾向として原発に近い方の場所や山間部のキノコは放射能値が高い傾向がみられる――ことがわかった。

今年(2021年)3月末に最新の第26号が発行された。「キノコに降りかかった原発災害()」に令和2(2020年)に測定されたデータ301件が載る。

「匂いマツタケ、味シメジ」のシメジを代表するものといえば、ウラベニホテイシメジ。去年のデータ(キログラム当たり)でも、225ベクレル(三和)、304ベクレル(遠野)、2887ベクレル(三和)と高いものがある=写真上1。

 ウラベニホテイシメジに似て誤食されやすい毒キノコのクサウラベニタケはけた違いに高い。6万1407ベクレル(川内村)、5089ベクレル(三和)。「キノコに降りかかった原発災害Ⅱ」以来、このクサウラベニタケが決まって測定に持ち込まれる。そして、線量がずっと高い。

なぜ毒キノコを? 毎回、疑問に思っていたのだが、ここにきてはたと気がついた。土壌表層の線量をチェックするには最適のキノコではないか。ウラベニとクサウラは姿だけでなく、同じ場所に、同じ時期に発生する。クサウラは土壌表層の枯れ葉から出るから、そこにまだセシウムが滞留していることがわかる。

それは次のようなことで説明がつく。一昨年(2019年)の同好会の勉強会で学んだことだ。事故から7年たった2018年時点でも、キノコの線量に大きな変化はなかった。理由は、森に降ったセシウムをキノコの菌糸が集めてくるからだという。

キノコを植物にたとえると、地中に根(菌糸)を張り巡らして栄養を集め、子孫を残すために花(子実体)を咲かせて種子(胞子)を拡散する。その過程でカリウムに似たセシウムを取り込む。セシウムの吸収―放出―吸収という循環が森の中で行われているために、キノコは何年たっても線量が高いまま、ということになる。

セシウム134の半減期はおよそ2年、同137は30年。134の半減期が過ぎたことから、線量自体は低減傾向にあるとはいえ、まだ野生キノコは食べられない。

 一方では、ナラタケモドキ(三和)、ハタケシメジ(同)、茹でたウラベニホテイシメジ(田人)などは不検出、といった例もみられる=写真上2。これはしかし、たまたまそこの場所の線量が低かったということなのだろう。

2021年5月23日日曜日

阿武隈高地にもクマが

        
 田村市船引町永谷の山林で5月19日、ツキノワグマが捕獲されたというニュースには仰天した。同じ市の、船引の隣町で生まれ育った。グーグルアースで調べたら、永谷地区はJR磐越東線磐城常葉駅の西方ではないか。

 ある年の春、実家からの帰り、船引町から国道349号に入って「小沢の桜」を見た。その先に永谷地区がある。

 永谷地区の西端を磐越道がかすめる。それよりちょっと西側を県道郡山大越線が延びる。いわき市から国道49号を利用して郡山市立美術館へ行くと、だいたいはこの県道~国道349号を経由して帰る。

永谷地区は「田村富士」と呼ばれる片曽根山(718メートル)の南麓に広がる。水田地帯を小丘群が取り囲んでいる。阿武隈高地の分水嶺から西側に特有の、穏やかな「準平原」だ。

 クマはイノシシ用の罠(写真を見る限り箱罠だろう)にかかっていた。皮肉といえば皮肉だが、それで阿武隈高地にもクマが生息していることがわかった。「阿武隈の山にはクマはいない」。昔からそういわれ、私もそう思ってきたが、最近はあちこちで姿や足跡が目撃されるようになった。

 いわき市でも去年(2020年)6月11日、川前町下桶売字荻地内の吉間田集会所付近で目撃された。夕刊で知った。翌日には「直径6~7センチの足跡」が確認された。拙ブログでも取り上げ、夕刊にも転載された。ほかに2件、やはり拙ブログから時系列で「阿武隈のクマ」の情報を抜粋してみる。

・2012年7月31日=田村郡に接する川前町上桶売字大平地区でツキノワグマの足跡が確認された。夏井川渓谷の隠居からは、車で20分ほど山に分け入ったあたりだ。隠居に回覧チラシ「クマにご注意」=写真=が差し込まれていて、クマの出没場所が近いことを実感した。

 相双地区を中心にずいぶん前から目撃情報が相次ぐようになった。田村市の北方、飯舘村には「クマ出没注意」の看板もあるという――。

・2015年9月4日=フェイスブックに田村市復興応援隊が「注意!クマ出没!」の記事を投稿していた(原文では漢字の熊)。「9月4日に都路町内でクマの目撃情報がありました。発見された場所は岩井沢字楢梨子(ならなし)地区です。足跡も確認されており存在は間違いないようです」

 岩井沢小・中学校のホームページから、次のようなことが見えてきた。同日午前6時10分ごろ、国道288号の新田バス停付近に体長1メートルほどの子グマが現れた。足跡もあった。近くに親グマがいるかもしれない。

 いわき市のわが家と田村市常葉町の実家を往復するときに、行きか帰りのどちらかに同国道を利用する。途中、同市都路町岩井沢地内で葛尾村方面へ国道399号が分岐する。その交差点から東の太平洋側へ1.5キロほど寄ったところに新田バス停がある――。

 9年前の回覧チラシにはこんなことが書いてあった。「クマは夜間や朝夕など活発に行動するため、特に注意が必要。朝早くの農作業等は、必ず音のするものを身につける」

そもそも田村市でイノシシが増えたのは原発事故以後、耕作放棄地が増え、周辺市町村の避難などが行われたことが大きい。そこへクマが現れた。いわき地方でもニホンカモシカの目撃例が増えている。今の阿武隈は昔の阿武隈ではなくなった、ということか。

2021年5月22日土曜日

大先輩が相次いで彼岸へ

                     
 夕刊(いわき民報)に葬祭場の葬儀情報が載る。先日(5月17日)、晩酌を始めると、「国府田さんが亡くなった」。カミサンの声に驚いて、夕刊をまた手に取った。国府田英二さん(小川)の告別式の場所と日時が載っていた。享年97。

 国府田さんの“宣言”で年賀状のやりとりをやめてから何年になるだろう。時折、夕刊の「昔のいわき 今のいわき」のコーナーに、小川町の写真と文章を寄せていた。年を重ねても、紙面を通じて健在・健筆を確認することができた。

 国府田さんとは、現役のときは市職員と記者として、退職後は同じ「地域学」に関心のある先輩・後輩としてお付き合いいただいた。拙ブログでも何回か国府田さんの文章を引用・紹介している。

 国府田さんが夕刊に連載したものが本になったこともある。『国府田敬三郎とアメリカの米づくり』(昭和63=1988年)だ。国府田敬三郎(1882~1964年)は国府田さんの叔父で、明治41(1908)年アメリカへ渡り、のちに「ライスキング」と称された。カリフォルニア州に大規模農場を開拓した。同農場では日本型品種の系統を引き継ぐ中粒種「國寶ローズ」を栽培している。

国府田さんは6年前の平成27(2015)年、戦後70年の節目を記念して、8月15日付で冊子『昭和の子ども』(非売)を出した。自分の誕生から始まって、幼少時・小学校・旧制中学校・助教・海軍・敗戦・復員・結婚までをつづっている。よく調べてあり、資料的価値も高い。先の本もそうだが、91歳で書かれたこの冊子も国府田さんから恵贈にあずかった。

もう一人、歴史研究家の呑川泰司さんが亡くなった。享年95。直接会って話す機会はなかったが、同じコミュニティの大先輩なので、歩いている姿を見かけると、「元気そうでなにより」と安心したものだ。

呑川さんは、作家山代巴(1912~2004年)の夫で労働運動家の山代吉宗(1901~45年)の研究者だった。いわき地域学會図書14として、平成5(1993)年、『光と風の流れ 山代吉宗の道』を出版した。いわきの炭鉱の歴史をベースに、そこで生きた労働者の実態を、山代吉宗の生涯を通じて解明している。

訃報に接して、手元にある国府田、吞川さんの本=写真=を読み返した。いろいろ刺激を受けた。

特に呑川さんの本からは、山代吉宗が好間川の「大滝発電所問題」やセメント工場の煙害問題で意見を述べたり、告発したりしていることを知った。巴との結婚には、山代の後輩で盟友でもある大井川基司がからんでいたようだ。

大井川は磐崎村藤原(現いわき市常磐藤原町)に生まれた。磐城中学校から京都の第三高等学校に進み、「二月事件」で検挙・放校された。大井川についても知りたくなった。

それ以上に興味を持ったのが、当時の炭鉱の様子を伝える文献だ。吞川さんが第2章の「学士飯場」冒頭で紹介している。三上徳三郎『炭坑夫の生活』(大正9=1920年)で、100年前のいわき地方の炭鉱労働者の仕事と暮らしをルポしている。

国立国会図書館デジタルコレクションで読めるが、現物をなんとか手に入れたいものだ(もちろん値段と相談して)。吉野せいの『洟をたらした神』に収められている「ダムのかげ」の注釈づくりにきっと役立つ――そんな直感がはたらいたので。

2021年5月21日金曜日

在来種おびやかすチョウ

        
 去年(2020年)9月末のことだ。朝、庭に出て歯を磨いていたら、シソの葉に隠れるようにして止まっているチョウがいた=写真上1。後ろの翅(はね)に赤い斑紋が付いている。こんな鮮やかな紋様のチョウは見たことがない。ネットで調べると、タテハチョウ科のアカボシゴマダラだった。国立環境研究所の「侵入生物データベース」に情報がアップされている。在来種をおびやかす厄介者らしい。

去年10月4日の拙ブログでアカボシゴマダラについて書いている。それを抜粋する。

――アカボシゴマダラの自然分布はベトナム北部~中国南部・東部~朝鮮半島などで、別亜種が奄美諸島と台湾に分布する。日本列島では1995年、突然、埼玉県で確認された。その後、関東南部で多発・定着するようになった。2010年以降では関東地方北部や山梨県、静岡県、福島県でも見られるようになった。

自然の分布域から飛び離れていること、突然、出現していることから、マニアによる「ゲリラ放虫」の可能性が大きいという。幼虫はエノキの葉を食べる。日本の国蝶オオムラサキやゴマダラチョウ、テングチョウなどと競合する。ゴマダラチョウとの雑種も生まれている。拡散させてはならない防除対象種だ。

地球温暖化による北上は自然現象だからしかたがない。しかし、人為的な放蝶による生態撹乱(かくらん)は、あってはならないことだ。温暖化そのものが人間の活動の結果には違いないが、ゲリラ放虫は生態系に対する犯罪といってもいいのではないか――

先日(5月16日)、県紙に「外来のチョウ生息拡大/本県でも確認、在来種に悪影響も」という見出しで、アカボシゴマダラの記事が載った。それで去年秋、わが家の庭に現れたことを思い出したのだった。

 記事によると、いわき市小名浜の海岸近くに生える高さ約1メートルのエノキで5月12日、3センチほどのさなぎが羽化する様子が確認された。アカボシゴマダラの幼虫はエノキの葉を食べる。数が増えすぎると、在来種とエノキの葉の取り合いになる恐れがある、ともあった。

 このところ、よく平の石森山へ行く。同山は平市街地に最も近い、標高225メートルの里山だ。フラワーセンターがある。雑木林内には遊歩道が張り巡らされている。その遊歩道を散歩する。

 林道から遊歩道に入ってすぐのところに「どんぐり平」がある=写真上2。昔はクヌギの幹に「樹液酒場」ができていた。ほとんどが人為的なものだった。そこへ昼はオオムラサキやスズメバチが、夜はカブトムシやクワガタが現れた。樹液をなめてみたことがある。わりと冷たくて甘酸っぱかった。なるほど、これが虫たちの滋養源か――。

オオムラサキがいるということは、幼虫が葉を食べるエノキも同山には生えているということだ。もしかしたら、そこで繁殖・羽化したアカボシゴマダラがふもとの神谷の里へ降りてきた、ということは考えられないか。そうだとしたら、エノキの葉の奪い合いが起きている? 今度、石森山へ行ったら、アカボシゴマダラにも注意して歩こう。

2021年5月20日木曜日

突然の中止

        
 コロナ禍の影響がこんなところにもあらわれる。いわき市の「コロナ感染症防止一斉行動」の実施に伴い、市立美術館や図書館などは4月29日から5月16日まで臨時休館に入った。それがさらに、5月31日まで延長された。6月上旬、いわき市全域で予定されていた一斉清掃も中止になった。

いわきでは毎年春と秋の2回、まちをきれいにする市民総ぐるみ運動が実施される。金・土・日の3日間で、初日は「清潔な環境づくりの日」(学校・社会福祉施設・事業所・商店・飲食店街周辺の清掃)、2日目は「自然を美しくする日/みんなの利用する施設をきれいにする日」(海岸・河川の清掃、樹木の手入れ、公園・観光地・道路・公共施設の清掃)、最終日は「清掃デー」(家庭周辺の清掃)だ。

 わが行政区は「清掃デー」に参加する。毎回早朝6時半、住民200人ほどが出て清掃を始める。1時間もあれば作業は終了する。そのあと、指定した集積所を回って、燃えないごみ袋・燃やすごみ袋・土のう袋を数え、市に実績報告書(はがき)を出す。

東日本大震災・原発事故後は、放射性物質を含んだ土砂の受け入れ先が確保できないことから、側溝の泥上げが中止された。

長年放置していたので、土砂はたまる一方だった。大雨時に歩道が冠水しやすくなる、害虫の温床になる、といった心配も出てきた。このため、市が国に要望した結果、平成30(2018)年度に国の予算で市内全域の側溝堆積物が除去された。翌年度からは側溝の泥上げも再開された。

 去年(2020年)はコロナ禍で春も秋も総ぐるみ運動が中止になった。今年はどうか。春先に意向調査があり、それを踏まえて実施が決まった。ところが――。5月10日に総ぐるみ運動の回覧資料を配ったあと、「中止」の情報が入った。

いつもだと、5月20日の回覧資料配布日に合わせて、隣組にごみ袋を届ける。そのために役所に計画書を出し、ごみ袋と土のう袋をもらって来たばかりだ。総ぐるみ運動のための集積所マップを添えた回覧チラシ=写真=もつくって、20日に配る予定でいた。

おととい(5月18日)、担当課に電話を入れて「中止」の回覧資料は役所から届くのかどうかを確かめる。「14日に決まったばかりで20日(の回覧)には間に合わない」。文書で行政嘱託員(区長)には連絡するが、それで終わりということだった。ならば、こちらで中止の回覧をつくらないといけない。急いで<「清掃デー」中止のお知らせ>をつくり、必要な枚数をコピーした。

その日の夕方、役所から「中止」の知らせが届いた。「独自の判断で実施する場合、あるいは実施計画を出している団体で実施する場合も、推進本部事務局へ連絡を」と追記されていたが、コロナ問題下、そこまで頑張る勇気はない。区の役員さんに諮る時間もない。

とにかく、きょう(5月20日)はこれから、役員さんと担当する隣組の班長さん宅に、「清掃デー」中止の知らせを添えて回覧資料を配る。これ以上ドタバタがないように願いながら。

2021年5月19日水曜日

コミュニティペーパーだからこそ

                        
 身近な活字メディアだからこそ、というべきか。会えば「読んでるよ」といわれるケースが増えてきた。

 コロナ禍の影響で催しや会議などが延期・中止になった。それらを取材し、伝えるのがコミュニティペーパー(地域紙)の役目なのだが、取材対象が激減した。しかし、情報を盛り込む「器」は変わらない。紙面をどう組み立てるか。コロナ問題下の新聞づくりに、急きょ、ブログで協力することになった。

 ちょうど1年前、拙ブログを転載するかたちで、古巣のいわき民報で「夕刊発磐城蘭土紀行」が始まった。するとすぐ、知人から電話やはがきが届いた。そのあとも、ダンシャリをしたのでと、知人が「夕刊発――」を読んで連絡をくれた。それですぐ、本を引き取りに行ったこともある。

 シャプラニール=市民による海外協力の会が「ステナイ生活」を展開している。いわきの「ザ・ピープル」が古着のリサイクルを手がけている。カミサンはどちらにも関係している。ときどき運転手としてリサイクル活動に駆り出される。

 引き取るのは本だけではない。古着や切手・書き損じはがき、食器、園芸用具など多岐にわたる。それらはシャプラニールに送られたり、必要な人が引き取ったり、わが家のどこかに収まったりしている。

 日曜日(5月16日)は、高専の寮で一緒だった同級生から連絡が入った。「夕刊発――」を読んでいる。「未使用の古いはがきが出てきた、シャプラニールに寄付する」という。「では、あとで」。夏井川渓谷の隠居で土いじりをしていたので、それを終えてから街へ戻った。

 彼がいるのはいわき駅前のカバン店だ。私のいとこの娘も勤めている。同級生からはがきを受け取り、いとこの娘からはあれこれいとこたちの話を聞いた。

 いとこはいわき市三和町上三坂に住む。妹、弟が4人いる。先日、埼玉の妹を除いて、平にいる弟、平田村にいる妹、小野町にいる妹が集まったという。

 小野町のいとこはダンナさんが町議会議員をやり、議長を務め、今年(2021年)3月の町長選で、現職を破って町長に初当選した。それを伝える県紙=写真=を見ながら、いとこが母親(私の叔母)に似てきたことに驚いた。きょうだいが集まったのは、その慰労と激励の意味もあったのだろう。ダンナさんも一緒に来たそうだ。

 いとこの娘は別の「夕刊発――の話もしてくれた。「三和町上三坂にいとこが住む。母親は私の父の妹だ。父親は常磐交通の運転手で、まだいわき市になる前の平市から三和村へ転勤して、バス停そばの車庫兼社宅に住んだ。一家は上三坂に根を張り、義叔父も叔母もそこに骨をうずめた」。こんな文章をまくらに、上三坂経由で平田村の小平(おだいら)へドライブしたときのことをブログに書いた。

それが、4月24日付の「夕刊発――」になった。そのコピーを母親(いとこ)に見せると、「『ウチに寄ればいいのに』といっていた」という。

ブログが活字のコラムになることでネットを利用しない人が読み、活字を読んだ人が今度はフェイスブックを介してネットのブログを読む。そんなことがおきるのも、いわきという地域をベースにしたネットと活字のメディアミックスだからだろう。

おかげで、いとこたちの様子がよくわかった。「町長夫人」になってしまったいとこの、陰の苦労も、また。