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2021年5月31日月曜日

河川敷の土砂除去続く

        
 わが生活圏を流れる夏井川では、河川敷の土砂除去工事が続いている=写真上1。岸辺のヤナギや竹林も次々に伐採された。

 国道6号の夏井川橋(バイパス終点部)下流でも工事が始まった。左岸にいわき市北部浄化センターがある。右岸は河畔林が続く広い河川敷だ。日がたつにつれて作業が進み、風景が変わっていく。右岸はあらかた伐採がすんで、河川敷の全体が見渡せるようになった。

 おととし(2019年)秋の台風19号で、いわき市内の夏井川流域が大きな被害に遭った。浄化センターのすぐ下流、河川敷を通るサイクリングロードも大変なことになった。

堤防と岸辺の竹林の間に流木が次々とたまり、50メートルほどにわたってごみの山ができた。この「災害ごみ」が片付けられたのは、翌年の7月初旬だった。

北部浄化センターの排水口付近は、大水があるたびに流木その他のごみで河川敷のサイクリングロードが通れなくなる。おととし秋はとてつもない量の流木が残留した。流木をためる「壁」になっていた竹林の伐採も始まった。ここも間もなく見晴らしがよくなることだろう。

 夏井川橋の下流に六十枚橋がある。そちらでもヤナギなどの伐採工事が始まった。橋の直下のサイクリングロード付近は地元で手入れをしているのか、いつ堤防を通ってもきれいになっている。気持ちがいい。サイクリングロードから岸辺の側の木が伐採されて横たわっていた。

川は平野部に入ると大蛇のようにうねる。右岸と左岸に、交互に河川敷が広がる。上流の小川から河口まで、河川敷に根を生やした木々がいったん姿を消す=写真上2。とにかく大水を早く海へ流そうというのが、台風19号の教訓なのだろう。

 わが生活圏ではざっと10年前にも、対岸の木々の伐採と土砂除去が行われた。だから、10年後がどうなるかは想像がつく。ヤナギがあっという間に岸辺を覆う。草も繁茂する。特に、上流からの土砂の供給がすさまじい。台風19号のときには、1メートルも土砂が堆積したところがある。

 河川敷にいろんな木が生えていた。また生えてくる。夏井川橋直下の右岸にはニワウルシの群落があった。ニワウルシは河原に侵入すると短期間のうちに大きな樹林に生長して、洪水時には水の流れを阻害するという。

 最も多いヤナギのほかには、オニグルミ、ニセアカシア、イタチハギ、アカメガシワなど。大水で上流から種が流れついて活着したのだろう。

 草野心平の詩に「故郷の入口」がある。磐越東線のガソリンカーが平駅(現いわき駅)を出発し、赤井駅を過ぎて小川郷駅へと向かう。赤井と小川の境の切り通しが近づく。「切り割だ。/いつもと同じだ。/長い竹藪。/いつもと同じだ。」。この「長い竹藪」も消えるのか。

暮らしの中を流れている川を、その変化を絶えず目に焼きつけておくこと。大水の怖さも含めて――自称「夏井川ウオッチャー」は自分にそう言い聞かせて、街へ行ったときには必ず堤防を通って帰る。

2018年1月29日月曜日

野焼きの中へ

 きのう(1月28日)昼前、カミサンを街まで車で送ったあと、夏井川の堤防を利用して帰ってきた。平・鎌田地内で堤防に出ると、前方に幾筋も白い煙が立ち昇っている。土手のあちこちが焼け焦げて黒い。野焼きが行われていた=写真。
 夏井川に限らないが、河川敷の野焼きは、河川管理者(夏井川は福島県)と地元の行政区などが契約して行っている。定期的な草刈りもそうだ。夏井川下流域の野焼きは毎年、立春前後の日曜日に行われている。

 前日のような強風だったら、むろん、野焼きは延期される。いい具合に風がやんだ。野焼きには最高の日曜日になった。枯れ草に放たれた火が静かに燃え広がる。堤防のあちこちに白煙が昇り、たちこめる。そのなかを通り過ぎた。

 と、かなり前方、海の近くにも茶色っぽい煙がもくもくと立ち昇りはじめていた。この煙の色は建物火災のときに多い。煙の方角に友人の家がある。火元を確かめねば――。

 わが生活圏を通り過ぎ、六十枚橋に出ると、茶黒い煙が視界を覆うように広がっていた。右岸堤防に折れると、河川敷に炎が見えた。いわきでも有数のヨシ原が広がっている。そこに地元の人たちが火を入れたのだ。枯れヨシが勢いよく燃えていた。

 わが行政区に一番近いところはまだだった。たぶん今度の日曜日に野焼きをするのではないか。

 煙の中をウオーキングする人がいた。ランニングをする人も。さすがに、ハクチョウたちは煙が上がると異変を察知して、川から飛び去った。けさは戻ってきたろうか。最も寒い時期に次の季節のための準備をする。野焼きは、その意味では春を迎えるシグナルのようなものだ。

2017年11月26日日曜日

ハクチョウ定着

 いわき市の夏井川では、上流から小川町・三島、平・中平窪、同・塩~中神谷の3カ所にハクチョウが飛来する。数の上では平窪がメーンだが、私は主に新川との合流地点(塩)で観察する。
 今年(2017年)、ハクチョウの第一陣がやって来たのは10月12日だった。定着するまでには時間がかかる。すぐ姿を消した。二度目は3週間あとだった。最近は夕方、だいたいハクチョウがいる。ざっと50羽といったところか。きのう(11月25日)もいた。

 小川では、1週間前の11月19日、初めてハクチョウの群れを見た=写真。夏井川を横断するように小川江筋の取水堰がある。その上流が越冬地だ。いよいよ定着しつつあるらしい。
 
 早朝や日中、川の上空を行き来するグループもいる。どこかの田んぼでえさをついばみ、夕方、川へ戻る――そんな生活パターンのようだ。
 
 10年以上前、北海道などでオオハクチョウの死骸から鳥インフルエンザが検出された。以来、給餌(きゅうじ)自粛が叫ばれ、いわきでも年々、ハクチョウの数を減らしている(日本野鳥の会いわき支部『いわき鳥類目録2015』)。

 ハクチョウが定着すればいちだんと寒気が厳しくなる。いわきの平地でも初氷の便りが届いた。夏井川渓谷の隠居では、ちょっと油断すると温水器が凍結・破損する。この秋初めて、19日に温水器の水抜きをした。漬物も、糠漬けから白菜漬けに切り替えなくては。

2017年11月6日月曜日

ごみを拾いながら河川敷を歩く

 週末イベントが続く。気になるのは天気。土曜日(11月4日)は夕方、雨になった。曇っても雨は降らない、日曜日は晴れる――と思っていたのに、シトシト雨だ。
 予報の網の目は粗い。「二度あることは三度ある」で、3週連続雨の日曜日になったら目も当てられない。「秋のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動」に続いて、「神谷市民歩こう会」が中止になってしまう。

 日曜日は朝4時過ぎに起きた。雨はやんでいる。予定通り歩こう会を実施できる。ほっとする。

 コースは神谷公民館から夏井川河口までの往復9.5キロだ。河川敷と堤防を、ごみを拾いながら歩き、河口の沢帯(ざわみき)公園で昼食・自由時間のあと、公民館へ戻って景品が当たる抽選会を開いて解散となる。いわき市青少年育成市民会議神谷支部の地域部会が主催する。

 この何年か、歩こう会と吉野せい賞表彰式がダブっていて、朝、歩こう会であいさつをすると、草野心平記念文学館へ車を走らせる、ということを繰り返してきた。せいの命日は11月4日。その直近の11月の日曜日に表彰式が行われる。ところが、今年(2017年)はどういうわけか、表彰式が11月11日、しかも土曜日にずれ込んだ。

 久しぶりに歩こう会の全行程に参加した。といっても歩いて、ではない。車でコースを巡りながら、写真を撮る。歩こう会の一行=写真=だけではなく、野鳥を、川を。ふるさとの大滝根山から発する夏井川とも久しぶりに“対話”した。

 国道6号バイパスの夏井川橋あたりが、旧神谷村・草野村の境になっている。朝9時すぎに出発し、車で先回りすると、偶然、旧神谷村側でコハクチョウが6羽、夏井川の上空を旋回していた。着水態勢だった。

 夏井川橋よりひとつ海側にある六十枚橋の先では、旧草野村の住民が出て堤防の草刈りをしていた。環境保全という点では同じ目的の行事だ。歩こう会の何人かは草刈り組から飲み物をもらったそうだ。結果的に河川愛護のコラボレーションができた。
 
 わが生活圏だけでも、夏井川はいろんな役目を引き受けている。ハクチョウ・カモの越冬地、サケのヤナ場、ミサゴやウの狩り場。川砂供給地。なによりかにより、水道水は夏井川~小川江筋から引いて浄水したものだ。
 
 一番の課題は、河口が砂ですぐ閉塞することだろう。先日の台風21号では大水が砂を流して太平洋と直結した。バックホーを使って、二つ目の河口もつくられた。それが今はふさがり、太平洋と直結していた河口も、薄い膜のような水が流れているだけ。
 
 大正11(1922)年に刊行された『石城郡誌』に、夏井川河口の様子が記されている。「時に奇と称すべきは旱天(かんてん)の水害なり(略)、川水漸(ようや)く涸(か)れ其(そ)の勢ひ海沙(かいさ)を排寡(はいか)する能(あた)はず。河口塞(ふさ)がつて通せず」。100年前も住民は河口閉塞問題に悩んでいた。
 
 身近な夏井川のちょっと厄介な個性だが、それも含めて歩こう会参加者が少しでも川を意識するようになればいい――そんなことを感じさせるイベントだった。

2017年11月3日金曜日

まだ蚊がいる

 きのう(11月2日)の夕焼けはきれいだった。赤く染まった雲に飛行機雲が5本、夕日が沈んだ山から放射状に延びていた。よほど人を感動させたらしい。直後からツイッターやフェイスブックに続々と写真がアップされた。私も写真は撮ったが……。ブログに載せるのはやめた。
 11月も、はや3日。きょうは文化の日だ。3連休最後の日曜日には、地元のイベント「神谷市民歩こう会」がある。8人いる区長の充て職で主催する側になった。夏井川渓谷の隠居へは行けない。ということで、きょう、これから渓谷へ出かける。

 震災後、渓谷の行楽客が激減した。盛時には及ばないが、5年目あたりから紅葉目当ての客が戻りつつある、という実感は持てるようになった。
 
 JR磐越東線江田駅前には直売所ができる。そのひとつ、田村郡小野町の農業Nさんが長芋と曲がりネギを露地に並べて販売する。もしかしたら、きょう、今シーズン初めて店を出すかもしれない。店開きしていたら、ネギを一抱えほど買う。これも「三春ネギ」で、甘くてやわらかい。わが家の庭に土をかぶせて寝かせながら使う。
 
 渓谷へは火曜日(10月30日)にも行った。台風22号の影響はほとんどなかった。途中、小川・三島の夏井川にマガモが羽を休めていた=写真。雄が7羽(うち幼鳥2羽?)、メスが1羽。この秋の初ガモだった。
 
 カモ類はハクチョウと一緒に越冬することが多い。三島にもいずれハクチョウが渡ってくるだろう。

 下流の中神谷にハクチョウの第一陣が現れたのは10月12日。成鳥4羽、体が灰色っぽい幼鳥3羽の計7羽だったが、すぐ姿を消した。定着するまでには時間がかかる。11月に入っても、現れたり消えたりを繰り返すかもしれない。二度目はその1日夕方、新川との合流点で見た。そこが越冬地。

 温暖化の影響だろうか。11月に入っても蚊が飛び回っている。わが家で蚊に刺された最初と最後の日を記録している。これまでは平均して、最初が5月20日、最後が10月20日だった。去年(2016年)は10月27日に刺された。今年は10月28日にチクリとやられた。記録を更新中だ。
 
 まさか11月にやられることはないと思っていたのだが、蚊がいる以上は刺された最後の日が11月にずれ込む可能性も出てきた。あと4日たつと立冬だ。そんな時期に蚊の話をするようになるとは。

2017年10月27日金曜日

台風と杉の葉

 杉の枝葉は風に弱い。台風21号がいわき沖を通過した10月23日午後、夏井川渓谷の隠居へ出かけた。途中に2カ所、杉のミニ林がある。路面が杉の枝葉で覆われていた。大風が吹くと必ずそうなる。
 隠居で昔野菜の「三春ネギ」を100本ほど、「いわき一本太ネギ」を30本ほど栽培している。どちらも風に弱い。
 
 23日午前、閉塞されている夏井川河口を見に行った。大水が砂の壁をぶち抜き、太平洋に注いでいた。河口までの両岸にネギ畑がある。品種改良がされた、風折れしにくいネギだが、土寄せが甘かったところはうねの両側に倒れ、白根がのぞいていた。
 
 それを見て、隠居のネギの無残な姿が思い浮かんだ。駆け付けると、ほとんどが北に向かって倒れていた=写真。嘆いているひまはない。すぐネギを起こし、土を寄せる。折れた葉は回収し、味噌汁や卵焼きなどの具にした。
 
 芽生えたばかりのネギ苗は――。なんと、一部の地面が盛り上がって割れている。直下にモグラの通り道ができた。ネギ苗の根が地中で浮いたら枯れてしまう。こぶしで土を押し戻したが、またトンネルができそうだ。難敵が現れたものだ。
 
 風による倒伏、モグラによるネギ苗の枯死だけではない。雨が続いて湿気に弱いネギがとろけてしまった、なんて話も聞く。隠居では、根腐れ防止のために溝を浅くして土を高く寄せることにしたが、台風には無力だった。いや、それ以上に土寄せが甘かった。
 
 台風一過後の24日、福井県のJR北陸本線南今庄駅で列車がホームをオーバーランするトラブルが相次いだ。ホームだけの駅の南側に杉林がある。杉の枝葉が台風で線路敷地内まで吹き飛ばされた。で、線路にのっかった杉の葉で列車の車輪が滑り、ブレーキの利きが甘くなった、ということらしい。
 
 夏井川渓谷の磐越東線も、紅葉の時期になると落ち葉が線路敷地内に散乱する。11月にはたまに、雨による濡れ落ち葉が原因で車輪が空転し列車が遅れた、という記事が新聞に載る。昔、渓谷の古老から聞いた話だが、朝起きると線路に落ち葉が積もっていないかどうか見回ったものだという。あれば除去する。自発的な行為だ。山里ではときどき、街場では想像もできないような自然との葛藤がおきる。

2017年10月24日火曜日

台風21号通過

「超大型で非常に強い」台風というから心配だったが、いわきでは一部停電や通行止め程度ですんだようだ。
 小川町の山腹にある市立草野心平記念文学館付近ののり面が崩落した。けさの新聞に写真が載っている。周りの景色からして、小川のふもとから市道を駆け上がり、文学館が見えてくるあたりで土砂が市道を埋め尽くした。このへんののり面はときどき、イノシシにほじくり返されている。それが引き金になったか。(実際には前から緩んでいたらしい)

 台風21号がきのう(10月23日)朝、いわき沖を通過した。6時過ぎ、ごみネットを家の前の電柱にくくりつけた。生あったかい風が顔をなでる。雨はほぼやんでいる。隣のコインランドリー駐車場に大家さんがいた。店のひさしの看板が一部落下した。それを片づけているところだった。

 朝食後、近所に出かけたカミサンが帰って来て言う。「三夜(さんや)川が(地面と)すれすれまで増水している」。三夜川は三面舗装の農業排水路だが、生活排水も流れ込む。県支弁河川として工事が行われた結果、川名を「三夜川」とした(志賀伝吉著『夏井川』)。流路はおよそ5キロ。わが行政区と隣の行政区の境の川でもある。
 
 前日は総選挙があって、投票立会人を務めた。寝不足気味だったので、朝食後、こたつで横になった。そのあと、近所の三夜川を見に行った。カミサンが見たときから1時間以上たっている。水位は地面から50センチ以上も低くなっていた。
 
 三夜川は、最終的には夏井川と仁井田川をつなぐ横川に合流する。夏井川河口は、ふだんは波が押し上げた砂で閉塞している。
 
 台風のときくらいは大水で砂浜がブン抜けているはずだ。様子を見に行った。六十枚橋へは左岸の堤防を、橋からは右岸の堤防を利用した。河川敷は水没したが、橋脚はまだ見えている。河口は? 昔はほぼまっすぐ太平洋とつながっていたが、今は右岸寄りの砂を削って濁水を吐き出していた。
 
 それとは別の場所(昔の河口付近)で、バックホーが砂浜に水路をつくっていた=写真。薄紙のような水が太平洋へ流れていた。重機が出て吐き出し口をつくるのは、夏井川河口ではもうなじみの光景だ。
 
 川の両岸にあるネギ畑が風害に遭っていた。暴風に翻弄されてうねの両側にネギが倒れている。品種改良が進んで、見た目がよく、風にも強いネギが栽培されるようになった。そのネギが倒伏しているとは!
 
 土寄せがしっかりしている畑は、しかし、目立った被害はない。昔野菜のいわき一本太ネギも三春ネギも風には弱い。急に気になって、昼食後、夏井川渓谷の隠居へ車を走らせた。ほぼ全部、ネギが倒伏していた。そのてんまつはまたあとで。

2017年10月18日水曜日

三春ネギが芽を出した

 いわきの在来ネギの種まき日は決まっている。春まきの「いわき一本太ネギ」は4月10日。秋まきの「三春ネギ」は10月10日。生産者から教えられたことだ。 
「いわき一本太ネギ」は夏井川下流の砂地、「三春ネギ」は夏井川渓谷から山を越えた田村地方の隆起準平原(阿武隈高地)で栽培されている。おおよそ20年前から、渓谷の隠居で自家採種をしながら「三春ネギ」をつくっている。
 
 今年(2017年)は、車で5分ほどのところに地元の種苗店が移転してきたので、そこで売っている「いわきねぎ」(いわき一本太ネギ)の種を買って、プラスチックのポット苗床にまいた。覆土と水やりが不十分だったため、半分も発芽しなかった。
 
 それを頭において、10日前の日曜日(10月8日)、「三春ネギ」の種をまいた。去年(2016年)は筋まきながら、点まき気味に間隔を置いて覆土した。それがよかったらしい。太い苗ができた。
 
 週末からきのう(10月17日)午前まで、街から離れられなかった。で、きのう午後、様子を見に行った。ちゃんと発芽していた。
 
 ネギは発芽のかたちがおもしろい。黒い種の殻を破った根はいったんヘアピンのようなかたちで地上部に姿をあらわす=写真。記号の「∩」に近い。「∩」は主に数学の確率に用いられる記号で、「キャップ」というらしい。
 
 その後、根の部分は下へ下へと向かい、もう一方の茎の部分は上へ上へと伸びる。地上から離れた芽は最初、黒い殻をかぶったままで「?」のようなかたちになる。やがて殻を落とし、シャキッと一本立ちする。

 種をまいて安心し、芽が出てホッとする。師走には寒冷紗をかけてやる。そうして越冬すれば、春には太いネギ苗ができるだろう――そんなことを想像しながら、初夏に定植した「三春ネギ」を数本引っこ抜いて帰ってきた。

2017年10月13日金曜日

ハクチョウがやって来た

 待つこと8日。いわきにもハクチョウがやって来た。きのう(10月12日)正午近く、成鳥4羽、体が灰色っぽい幼鳥3羽の計7羽が、平中神谷地内の夏井川で羽を休めていた=写真。自分の記録を見ると、夏井川への初飛来は10月10日~同29日で、今年(2017年)は早い方だろう。
 10月4日、猪苗代湖にハクチョウの第一陣が飛来したと、その日夕方のテレビが伝えた。猪苗代湖、あるいは福島市の阿武隈川に飛来すると、1週間~10日後には福島県南端のいわきにやって来る。

 で、翌5日からは街へ行くと必ず、夏井川の堤防を経由して帰ってくるようにした。何日か前、夏井川に新川が合流する平・塩地内の越冬地に白く大きな鳥がいた。遠目にはハクチョウだ。来たか! 次の瞬間、くちばしで水面を激しくつついた。ダイサギだった。

 北極圏のツンドラ地帯で子育てを終えたコハクチョウは、9月になるとサハリン(樺太)~北海道~本州へと南下して、越冬する。
 
 去年、サハリンへ旅した仲間がいる。今年はおととい、羽田から台湾へ飛んだ。3回目の台湾旅行だ。今回は東海岸を巡る。台北からその日のうちに高雄へ移動し、きのうは東海岸の花蓮に泊まった。きょうは基隆ほかを観光して、台北に泊まる。あした夜、羽田へ戻る。
 
 東海岸の旅の言い出しっぺは私だった。その後、断れない用事が入って、台湾旅行を断念した。ハクチョウ・サハリン・空の旅から、台湾を旅している仲間に連想が及んだ。
 
 きのうの空は、恐竜の骨のような巻積雲が広がっていた。天気は下り坂だ。案の定、夜、雨になった。幼鳥にとっては日本で初めての雨だったか。
 
 きょうも北から渡ってくるコハクチョウがいる。あしたは南から人間の仲間が空を飛んで帰ってくる。空にも見えない道がある。

2017年9月12日火曜日

ツルボとヒガンバナとアレチウリ

 夏井川の堤防を通るのは何日ぶりだろう。このところせわしく過ごしているので、街へ出かけても国道6号をまっすぐ帰る。きのう(9月11日)、図書館へ行った帰りに“寄り道”をした。遡上するサケを捕獲するヤナが川に架かっていた。堤防にはツルボ(スルボ)とヒガンバナの花=写真。もうそんな時期になったのだ。
 同じ川の堤防なのに、草がきれいに刈り払われたところと、茂ったところがある。河川管理者と契約している行政区は、堤防の野焼き(早春)、定期的な草刈りを実施する。草が茂ったままのところは遅れているだけか。

 この時期、堤防が“虎刈り”になると、草の茂ったところが一面アレチウリで覆われる。それに気づいたのは2008年秋だった。

 アレチウリは北米原産のつる性植物で、日本では1952年に静岡で発見されたのが最初だそうだ。特に河川敷で分布が広がっている。外来生物法で規制されている侵略的な植物だ。

 在来のつる性植物はクズやヤブガラシ。アレチウリはそれさえも覆ってしまう。覆われた植物は日光を遮断され、やがて枯死する。アレチウリの怖さがここにある。

 根っこを抜くのが一番とはいえ、侵略された面積がハンパではない。次善の策として、結実前に刈り払う。せめてこれを繰り返していれば、アレチウリが増えることはないだろう。堤防の草刈りを引き受けている行政区には頑張ってもらうしかない。

 草が刈り払われた堤防の土手には、点々とヒガンバナの赤い色。アレチウリが覆う土手には、赤い色はない。

 夏の天候不順からか、今年(2017年)は、8月下旬にはもうヒガンバナの花が見られるようになった。フェイスブックで知った。夏井川の堤防が真っ赤に染まるのも時間の問題だろう。すると、キンモクセイの花も咲く。いや、香り出したというので、きのう、写真がフェイスブックにアップされていた。あと1カ月もすると、ハクチョウが夏井川に渡って来る。

2017年8月4日金曜日

「しんかわ流域誌」

 平成7(1995)年、つまり22年前のいわき民報連載「しんかわ流域誌」の切り抜き=写真=をパラパラやっていて、ハッとした。
 現状は草に覆われて、どこに水の流れがあるかわからないような小さな川が低湿地を形成し、やがてそこがいわきの中心市街地になる。大きくは夏井川流域に入るが、戦国時代からの主だった城と城下町は新川流域にあった。

 戦国大名岩城氏は好間・大館(新川左岸)に城を構える前、平・白土(新川右岸)に本拠があった。近世になると、今のいわき駅裏、物見ケ岡(新川左岸)に徳川譜代の磐城平城ができる。磐城平城には三階櫓(やぐら)がそびえていた。

 8月1日、いわき市が磐城平城本丸跡地の公園整備構想を発表した。国の「中心市街地活性化広場公園整備事業」に採択されたという。ただし、シンボルになる三階櫓などは企業・市民の寄付金頼り、らしい。

 同じ日、県の環境関係の機関から電話が入った。新川について話を聞きたいという。電話を切ったあと、なんで今?と思ったが、原発事故で環境問題の質が変わったのだと気づく。

 ざっと30年前、ゴルフ場やごみ処分場が川の上流に建設されるのはいかがなものか、というので、市民運動が起きた。それに先行するかたちで、市民にいわき市内の川を軸にした自然・歴史・民俗などを知ってもらう連載を、勤務するいわき民報で手がけた。

 いわき地域学會のメンバーが書き手になった。週1回、1年を通して夏井川を、鮫川を、藤原川を読み解き、のちに地域学會がそれぞれの『流域紀行』を本にした。
 
 好間川と大久川については、半年ずつのセットで「流域散歩」を連載した。そのあと、新川についても1年間、「しんかわ流域誌」というタイトルで連載した。これらは未刊のまま、新聞切り抜きとして手元に残っている。

 昭和40年代以降、公害から環境へと行政課題が変わり、それなりに対策が講じられた。そこへ、原発震災が起きた。放射性物質が環境にまき散らされた。県の環境関係の機関は災後に設けられた。新たに発生した公害問題を踏まえ、「水環境」に絞ってなにかイベントを計画しているらしい。新川の話を――は、そのための下調べの一環、ということなのだろう。
 
 震災時、本棚が倒れたり本が落下したりした。きちんと整理をしなかったので、どこになにがあるか、今も定かでないものがある。この新聞切り抜きだけはなぜかすぐ見つかった。きのうは一日、「しんかわ流域誌」を読んで過ごした。

2017年7月10日月曜日

逃げ水

 久しぶりに「逃げ水」を見た。逃げ水は「ないものがある」ように見える光学的現象だ。
 梅雨とは名ばかりらしい。豪雨が続く西日本と違って、東北南部のいわき地方ではカラ梅雨気味に推移している。夏至に梅雨入りが重なった6月21日以後、小名浜の降水量は累計でもおよそ70ミリ。そのうえ、この週末は茶の間の温度計が3日連続で30度を超えた。すでに盛夏のような暑さだ。

 土曜日(7月8日)の午後遅く、平の街へ出かけた。家を出るとすぐ、部活帰りの中学男子3人組に遭遇した。一人がこうもり傘をさしていた。あまりにも暑いので雨傘を日傘に代用したのだ。近年は夏に1~2回、日傘の男性を見かけるようになった。

 いわき駅前を通ると、温度計が「35℃」を表示している。「猛暑日」ではないか。もちろん、今年の最高気温だろう。ラトブの図書館へ入ったら、驚いた。大半が半そでのなかで、女性が一人、コートを着ていすに座っていた。冷房は暑さを忘れさせるほどではない。“ひとりガマン比べ”をしていたのか。

 きのう(7月9日)はいろいろ行きたいところがあったので、いつもより1時間早く朝食をとった。夏井川渓谷(隠居で土いじり1時間)~三和町(ふれあい市場で買い物)~好間町(「木もれび」で絵画展を見る)~平(三町目ジャンボリーをのぞく)と巡ったら、お昼過ぎになった。

 ふれあい市場でおにぎりときのこご飯を買った。温室のようなわが家より風が渡る公園の木陰で食べたい――ということで、夏井川河口左岸にある「ざわみき公園」へ車を走らせる。堤防のアスファルト路面に“逃げ水”ができていた=写真。「光る水」があったあたりに行くと、それは消えて、さらに遠くに「光る水」ができている。その繰り返しだ。それだけ暑かったということだろう。

 さて、逃げ水より「逃げ道」だ。政治的私物化があったのか、なかったのか。きょうは国会で閉会中審査が行われる。「あったものをなかったことにはできない」と発言した前文科省事務次官が参考人として質疑にこたえる。大多数の国民は、今は参考人の人となりについて理解している。テレビ中継を見逃せない。

2017年6月20日火曜日

堤防が坊主刈りに

 この何年か、近隣の行政区長さんと話す機会が増えた。今までわからなかった各区の行事を小耳にはさむことがある。たとえば、夏井川の堤防と河川敷の早春の野焼き、梅雨期の草刈り。
 きのう(6月19日)、用があって市役所へ行った帰り、堤防を利用した。草がきれいに刈り払われていた=写真。隣の区長さんが前に、6月18日(日曜日)に草刈りをする、と言っていた。何日か前、キャタピラー型の自走式草刈り機が止まっていたから、あらかたはそれでやり、手に負えないところは人海戦術で対応したのだろう。その隣の区の堤防もきれいに刈り払われていた。

 両側からおじぎをするほど草の生えているところがあった。やはり、堤防はあおあおとした坊主刈りの状態がいい。

 堤防を利用する前、いわき駅前のラトブへ寄って1階で買い物をした。1階駐車場に誘導された。ふだんは地下駐車場へ下りる。たまたま空きスペースができたのだ。東西に通り抜けられる“いわき横丁” は、いつもは人がたむろしているのに閑散としていた。4、5階に入居している総合図書館は6月12日から23日まで特別整理期間のために休館中だ。その影響だろうか。1階が急に広くなったように感じられた。

 いつもの風景が違っていたのは、それだけではない。夜、夕刊のいわき民報を開いて、「黒ワク」(死亡広告)のスタイルが変わっていたことに気づく。

 顔写真入りで故人の人生が簡潔に記されている。「○×大法学部を卒業し、定年まで○×県庁に勤め、近年は2人の子供や5人の孫、友人の方々との交流を楽しみに、○×市内の自宅でゆったりと過ごしておりました」。この世にこういう人間が存在していた、そういう“あかし”でもある。単なる告知ではない温かみが感じられた。
 
 遺族の名前に驚いた。母のほかに故人の2人の姉の名が連記されていた。2人とも知っている。1人は元職場の仲間だ。あらためて弟さんの顔写真に見入った。

2017年5月21日日曜日

俳諧選句集『桜川』

 いわき地域学會の今年度(2017年度)の市民講座がきのう(5月20日)、スタートした。夏井芳徳副代表幹事が「内藤義概(よしむね=風虎)が編ませた俳諧選句集『桜川』のうち、『いわき』にゆかりの句」と題して話した=写真。
 義概は磐城平藩内藤家三代目当主。和歌や俳諧をよくした。『桜川』は、その風虎が大阪の俳人松山玖也を磐城に招いて編ませた、全国レベルの選句集。近世初期の延宝2(1674)年に成った。全7000余句、うち磐城(いわき)ゆかりの句は2割ちょっと、という。

 磐城ゆかりかどうかは、主に句の前書きでわかる。「久之浜と云所にて――久の浜の真砂(まさご)の数や御代の春」(風鈴軒)、あるいは「奥州岩城鎌田川にて――若あゆや是もかりとるかまた川」(岡村不卜)。前者は波立海岸を、後者は夏井川を詠んでいる。

 当時の磐城地方の習俗や自然、磐城人の心情などがうかがい知れて面白い。たとえば、「水掛祝」(沼ノ内に伝わる「水祝儀」とイコール)。「うらむともかけてこそみめ水いはひ」(川路繁常)などの一連の句について、夏井副代表幹事は民俗学的な知識と作家的な想像力を駆使して、生きいきと解釈してみせた。

 以下は、資料を読んでの感想――。ウグイスの聞きなしで“発見”したことがある。「うれしなきのこゑや鶯のきちよ吉兆」(釈任口)。ウグイスのさえずりは「ホー、ホケキョ」、これにときどき「ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ……」の<谷渡り>が入る。江戸時代の人間は谷渡りの「ケキョ、ケキョ」を「吉兆(きっちょう)、吉兆」と聞きなしていた。

 もうひとつの“発見”は「みちのく天狗のかさね石と云所にて――鼻赤し天狗のかさね石の竹」(座頭拙志)。夏井川渓谷の一部、中川渓谷に奇岩「天狗の重ね石」がある。明治の碩学、大須賀イン(竹かんむりに均)軒は「磐城郡村誌十」(下小川・上小川村・附本新田誌)に「天狗ノ重石ト唱フルアリ、石ノ高四丈(以下略)」と記している。この奇岩のことだとしたら、すでに江戸時代も初期のうちから知られていたことになる。
 
 石竹(せきちく)は夏の季語で、中国原産の「唐撫子(からなでしこ)」のことだそうだ。天狗の「赤い鼻」に石竹の「赤い花」を、「かさね石」に「石の竹」を掛けている。親父ギャグの世界といってもいい。
 
 石竹の仲間に「大和撫子(やまとなでしこ)」、つまりカワラナデシコがある。こちらは秋の季語で、単に「撫子」とあればこの花のことを指すようだ。「天狗の重ね石」に石竹が咲いていた(いる)かどうかはわからないが、その奇岩の近くの草原でカワラナデシコを見たことはある。

2017年5月19日金曜日

V字谷を舞うタカ

 わが生活圏を流れる夏井川で観察した猛禽類(ワシ・タカ、フクロウなど)は、そんなに多いわけではない。
 堤防のそばまで家が立ち並ぶ下流域――。河川敷を散歩していたころは、野ネズミを狙うチョウゲンボウが上空で旋回したり、ホバリングしたりしているのをたびたび見かけた。急に舞い降りた大型の鳥がいるなと見れば、着水して魚をわしづかみにする。海岸から内陸へとやって来たミサゴだ。トビはいつも見られる。
 
 上流の夏井川渓谷――。隠居で土いじりをしていると、ときどき上空から「ピッ、クイー(キッ、ウイー)」、あるいは「ピイー、ピイー(キイ―、キイ―)」という鳴き声が降って来る。「ピッ、クイー」はサシバ、「ピイー、ピイー」はオオタカ。たいてい上昇気流にのって旋回している。

ゴールデンウイーク最終日の5月7日、鳴き声を耳にして、あわてて小さなカメラで撮ったのがこれ=写真。オオタカだろうか。もう1羽いて、つがいで舞い踊っているようだった。
 
 オオタカは、いわきでは留鳥だ。サシバは夏鳥。鳥には鳥のカレンダーがある。飛来時期はほぼ変わらない。が、哺乳類はそうはいかない。いわき市南部に住む後輩がフェイスブックにコメントを寄せた。ゴールデンウイークの終わりごろからサルが出没し、南台・勿来・山田町と巡ってきたようだ、という。
 
 そのサルだろう。いわき市のホームページに「サルに注意」の記事がアップされていた。5月16日=中岡町、植田町根小屋、東田町、佐糠町/同17日=佐糠町、東田町/同18日(きのう)=泉町滝尻、玉露――。サルが目撃された地域だ。南部から中部へと移動している。きょうは常磐、あるいは小名浜?

 昨夜は蚊が現れた。私はわが家をフィールドに、蚊に刺された最初の日と最後の日を記録している。最初にチクッとやられるのは5月20日前後、終わりが10月20日ごろ。ヒトに近いサルと違って、虫も時期がくると間違いなくやって来る。蚊取り線香を用意しないと……。

2017年5月5日金曜日

初夏の祭り

 このゴールデンウイークは天気もゴールド級だ。きのう(5月4日)も曇りから南風が吹き込む晴天になった。近所にある立鉾鹿島神社の例大祭が行われた。拝殿での神事に出席した。
 そのあといったん外出し、夕方戻ると、氏子青年による神輿(みこし)が家の前を通り過ぎた。

 神輿は午前11時半に神社を出発して、すぐ常磐線の線路を渡る。JR関係者が見張りに立つ。もともと参道だったところに鉄路が通った。例大祭の日だけ参道が復活する。私も神事の前後に線路を横切る。「どうぞ、どうぞ」とJR関係者。

 夕方、地域をぐるりと巡行してきた神輿は、わが家から1軒隣の歯医者さんの駐車場に鎮座した=写真。神輿の前にご夫婦が立ち、宮司の祝詞を受ける。サカムカエ(酒迎え)だ。何カ所かでサカムカエが行われるために、神輿が神社へ戻るのは午後6時だという。

 担ぎ手の何人かは白いズボンが濡れていた。若い衆が「川に入りました」といっていた。

 わが地域にはもうひとつ、出羽神社がある。こちらは秋に例大祭が行われる。神輿が夏井川にも渡御し、若者が川に入る。立鉾の方は、案内資料に載った写真を見るかぎりでは、ズボンのまま入る。水が治まっているからこそ地域の平穏無事が保たれる。

 きょうは立夏、そして「こどもの日」。きのう午後からのどがいがらっぽい。風邪薬を飲んで寝た。けさはせきが出る。痛い。なんとなく頭も重い。「好事、魔多し」。きょうも晴天なのに……。よどんだ一日になりそうだ。

2017年4月28日金曜日

キジの母衣打ち

 マチからの帰りに夏井川の堤防を利用する。ハクチョウが北へ帰った今は、ウグイスがさえずり、南から渡って来たツバメが飛び交っている。セイヨウカラシナ?の菜の花が満開だ。 
 堤防の“定線観測”で生物季節現象、たとえばウグイス初鳴、ツバメの初認、ハクチョウ初飛来などがわかる。キジの雄も春には「ケンケーン」と鳴き始める。
 
 堤防の「内側」は人間が住んでいるところ、「外側」は川と河川敷。家が堤防そばまで密集している「内側」の平・塩~中神谷に、ところどころネギ畑が広がる。右岸堤防「外側」の河川敷にも、誰かが“開拓”した畑がある。
 
 おととい(4月26日)、塩地内の休耕地に雄のキジがいた=写真。ときどきそこに現れる。翼をうちわのようにパタパタやる母衣(ほろ)打ちをしたと思ったら、「ケンケーン」と鳴いた。今年初めて聞く雄たけびだ。あとは、周りの様子を見ながらえさをついばんでいた。この雄キジは川を挟んで両岸を行き来している。草木が繁茂する右岸にすみかがあるようだ。

 9年前のブログの引用――。夏井川の堤防を散歩していたころ、右岸の3カ所からキジの鳴き声が聞こえた。1羽は畑の真ん中に、ほかの2羽はそれぞれ離れて河川敷の砂地に近い草むらにいた。

 3羽の距離を歩いて測ったら、AキジとBキジの間は240歩(一歩90センチとして216メートル)、BキジとCキジの間は100歩(同90メートル)だった。真ん中のBキジの縄張りを中間で線引きすると108メートル+45メート=153メートルになった。少し余裕をもたせて200メートルごとに縄張りがあるとすると、雄のキジは1キロメートルに5羽はいることになる。
 
 現実にそのくらいの割合で生息しているかどうかはわからない。今も300メートルの間に3羽の雄がいるかどうかは不明だ。が、河口から上流までカウントしたら結構な数になるのではないか。

 留鳥のウグイス、キジのほかに、ツバメと同じ夏鳥のオオヨシキリが間もなく南から到着する。いや、間もなく、は正確ではない。今年は遅れるのではないか。岸辺のヨシ原はやっと緑のじゅうたんができたばかり。巣をかけるまで茎が育つには少々時間がかかりそうだ。

2017年4月21日金曜日

小川の「竹火山」

 これは私見でしかないが――。東日本大震災後、夏井川渓谷のアカヤシオの花見客が激減した。一番の理由は原発事故。今はお年寄りを中心に回復しつつあるとはいえ、往時のような“路駐”は見られない。原発事故のほかに考えられる理由はひとつ。同じ小川町にある諏訪神社のシダレザクラに花見客が集中し、上流の渓谷まで足をのばす人が少なくなったのだ。
 先の日曜日(4月16日)、渓谷の隠居で満開のアカヤシオと向き合ったあと、草野心平記念文学館で春の企画展「草野心平の詩 料理編」を見た。その帰り、ふもとの諏訪神社に寄った。人であふれていた。
 
 境内の一角に青竹のアートがあった=写真。一本の竹を根元近くまで十六に割り、それを半円状に曲げて地面に差し込んである。見た目は「竹噴水」。ネットで似たようなものを見た。そちらは「竹火山」。水が噴く、あるいは火が噴く。どちらであれ、スケールの大きい竹のアートだと感心した。
 
 夜の闇が降りると、このアートに灯がともる。桜のライトアップに合わせて、中心と周りの十六の根元に明かりがおかれ、円く点々とほのかな光がきらめく。いわき市総合観光案内所のスタッフブログでわかった。にくい演出だ。

 小川がふるさとの草野心平の詩に「故郷の入口」がある。平駅(現いわき駅)から磐越東線のガソリンカーで小川へ向かう。赤井と小川の境の切り通しを過ぎると、夏井川に連なる竹やぶが見えてくる。「切り割だ。/いつもと同じだ。/長い竹藪。/いつもと同じだ。」。今も変わらない小川の入り口の風景……。

 以前、拙ブログでこんなことを書いた。川岸の竹林内はうっそうとして暗い。間伐した竹を利用してなにか細工する。例えば、竹炭。ただの竹ではない。心平の詩に出てくる「長い竹藪」の竹だ。いくらでも活用する方法があるのではないか――。

それが可能かどうかは別にして、「長い竹藪」は折れたり倒れたりした竹で少々見た目が悪い。それらを片づけるだけでもすっきりするのではないか。

と、ここまで書いてきて、ひょっとしたら、と思う。竹灯籠は心平の詩を意識したものだった? そうであれば、心平と「竹藪」をもっと前面に押し出してもいい。「竹と心平と小川の物語」になるのだから。

2017年4月14日金曜日

墓を彩る「削り花」

 阿武隈の山里では今も春の彼岸に「削り花」を供える。
 3月末、実家で関東に住んでいた姉の葬儀が行われた。町はずれの丘に共同墓地がある。近隣の墓にカラフルな削り花が供えられていた=写真。風で吹き飛ばされたものもあった。

 削り花はちょっと厚めのカンナくずといった印象だ。もちろんカンナくずではなくて、削り花用に最初から厚めに木を削っている。形状は、ぱっと見にはコスモスだが六弁花、あるいはキクやヒガンバナに似る。色も赤・黄・緑・紫などと多彩で強烈だ。

 私は、阿武隈高地で生まれ育った。15歳からはおおむねいわき市平の平地で暮らしている。平で墓参りをしている限りでは、墓前には生花しか見ない。それで、削り花の風習を忘れている。久しぶりに削り花に接して、死者とつながる心と風土の違いを思った。

 削り花の風習は阿武隈の山里だけではない、東北一帯でみられるらしい。春彼岸にはまだ雪がある、あるいは雪が消えても寒気が残っている――そういうところが多い。春の花が咲くには早い。代わりに、着色した木の花で死者を慰める、というわけだ。

 いわきの山里にも削り花があった。4月初め、三和から山越えをしてV字谷の川前に下りた。夏井川にかかる橋を渡るとすぐのT字路沿いに集落の戦没者墓地がある。そこに削り花がずらりと供えられていた。その墓地だけが点々と色鮮やかだった。そこから上流の山地が“削り花圏”なのかもしれない。

 このごろは、花のハウス栽培が増えて、流通ネットが拡大した。その結果、阿武隈の山里でも春彼岸に生花を供えることができるようになった。削り花の風習は残っているが、やがては生花に切り替わるのではないか。死者に対する思いは同じでも、すがた・かたちは暮らし方や財布を反映して変わっていくのだろう。

2017年4月8日土曜日

クロッカスと保線車両

 三和から山を越えて川前に出た。谷底にポツンポツンと集落があり、夏井川に沿って道路とJR磐越東線が走っている。川前駅が改築されたのに伴い、いわき市が駅のそばに公衆トイレを設置した。用を足しに寄った。2月末に訪れたときにはまだ建築中だった。 
 ホームの待機線に作業車両が止まっていた。震災前に平地の小川・片石田地内で見たことがある。仙建工業のマルチプルタイタンパー(通称マルタイ=保線作業車)だ。バラスト(バラス)が敷き詰められた線路のゆがみをミリ単位で測り、修正するのだという。いやあ、すごい車両だ。
 
 ホームに出て作業車両の写真を撮り、駅舎へ戻りかけると、紫色の花が目に入った。クロッカスだ=写真。花は小さいのに、マルタイに負けないくらいの存在感がある。駅を愛するだれかが球根を植えたのだろう。
 
 クロッカスの全体の花言葉は「青春の喜び」「切望」、紫色は「愛の後悔」、黄色は「私を信じて」だそうだ。
 
 青春の「喜び」はあっという間に「絶望」や「失意」に替わる。それを見事に表現しているのが、4月5日に亡くなった大岡信さんの「青春」という短い散文詩。作品は「あてどない夢の過剰が、愛から夢をうばった。」で始まり、「あてどない夢の過剰に、ぼくは愛から夢をなくした。」で終わる。
 
 クロッカスの鮮やかな紫色に染まっているうちに、詩人の死のニュースに接した。真っ先に「青春」が思い浮かんだ。「夢の過剰」が青春なのだと、それゆえに愛から夢をなくすのだと、若いころ、教えられた。