2023年11月30日木曜日

モダンガール

           
  いわきは現代詩に通じる口語自由詩の発祥地の一つ――と思い定めているのは、日本聖公会の伝道師として磐城平にやって来た詩人山村暮鳥(1884~1924年)が、この地で詩集『聖三稜玻璃』をまとめたからだ。

暮鳥は大正元(1912)年9月から同7年1月までの5年3カ月間、平で過ごした。この間、詩誌を出し、地元の文学青年に発表と交流の場を提供した。

暮鳥のまいた詩の種はやがて芽生え、開花する。そこから三野混沌(吉野義也)、猪狩満直、草野心平、そして作家の吉野(旧姓・若松)せいらが育った。

私は、暮鳥を軸にした文学の勃興を「大正ロマン」の一環としてとらえている。それを根っこに、昭和に入ると「詩人がうようよと出てきて、平はまるでフランスのどっかの町ででもあるかのやう」(三野混沌)な状況になる。これなどは一種の「昭和モダン」の姿ではなかったろうか。

というわけで、およそ100年前のいわきを振り返るときには、「大正ロマン・昭和モダン」という視点を欠かせない。

ただし、これはあくまでも歴史的な評価に頼っているだけで、平の町にどんなモダンボーイが、モダンガールがいたのかとなると、実はよくわからない。

火曜日(11月28日)の朝ドラ「ブギウギ」で、淡谷のり子をモデルにした茨田りつ子が、大日本国防婦人会の面々に派手な服装をなじられる。

すると、「これが私の戦闘服、丸腰では戦えない」と応じて、その場を悠然と立ち去る。戦時色が濃くなる前なら、それこそ「モガ」として注目を集めたいでたちにはちがいない。

最近知った昭和前期の詩人左川ちか(1911~35年)も、私生活ではモダンガールの一人だったという。

川崎賢子編『左川ちか詩集』(岩波文庫、2023年)を読んでから、図書館にある島田龍編『左川ちか全集』(書肆侃侃房、2022)を読み、さらに川村湊・島田龍編『左川ちか モダニズム詩の明星』(河出書房新社、2023年)=写真=を読んだ。

左川ちかの詩作品そのものに驚いたのがきっかけで、当時の文学(いわきの詩風土に関係する人間とのつながりの有無も含めて)を広く知りたくなった。

今のところ、これといった手がかりは得られていないが、いわゆるモダンガールとしての左川ちかが、歴史の彼方からこちら側へ向かって歩いてくる――そんなイメージが膨らみつつある。

『左川ちか モダニズム詩の明星』は、「海の町余市に生まれ、十勝の内陸地本別に育ち、ハイカラな小樽で少女期を過ごし、銀座のモダンガールに変成した」(島田龍)と記す。

「銀座のモガ」の具体的なイメージを探ると――。自分でデザインした黒いビロードのスカート、広いリボンのついたかかとの高い靴、黄金色の指輪、水晶の眼鏡、黒いベレー帽といういでたちだった。茨田りつ子同様、それが左川ちかの「戦闘服」だったのだろう。

2023年11月29日水曜日

21世紀の森公園

                     
 月曜日(11月27日)の朝、高校生の孫を21世紀の森公園へ送り届けた。いわき市内の3施設を会場に、福島県の高校サッカー新人戦が行われている。自チームは負けたので、大会の裏方として試合を支える側に回ったという。

 会場は21世紀の森公園内にあるハワイアンズスタジアムいわき、アロハフィールドと、海岸部の新舞子フットボール場で、11月25日に開幕し、26日の2回戦を経て、27日はアロハと新舞子の2会場で準々決勝4試合が行われた。

 21世紀の森公園にあるのはいわきグリーンフィールド、多目的広場だが、ネーミングライツ事業としてパートナーを募った結果、10月1日から「ハワイアンズ――」「アロハ――」の愛称で呼ばれるようになった。

 21世紀の森公園へは行った記憶があるが、公道からの入り口も施設配置もよくわからない。グーグルアースで場所と道順を頭にたたきこんで出かけた。

 同じようにして、先日、常磐・湯本温泉側から同公園へ向かうルートを確かめた。

 いわき地区高校PTA連合会の調査広報委員会に呼ばれて、いわきゆったり館(常磐)で「伝わる文章」をテーマに話をした。

 以前、ゆったり館へ行ったルートが見当たらない。代わりに、石炭・化石館の近くにある立体橋から丘陵側(21世紀の森公園側)に新しい道路が延びていた。

この道路の湯本トンネル=写真=を抜けて交差点を右折すると、すぐゆったり館へ着く。これもグーグルのストリートビューでおさらいした。

 湯本トンネルはいつできたのか。ネットの情報によれば、平成28(2016)年7月に開通している。

立体橋は前からあったが、今、市民が利用しているのは、トンネルと同時に新しく建設されたものだった。

 震災前は老舗の温泉旅館でちょくちょく飲み会が開かれた。電車で出かけた。飲み会が途絶えてからは足が遠のいた。

 それで、てっきり立体橋は昔のままだと思っていたが、違った。湯本のまちの変化に追いつけないでいた。

 新しい立体橋とトンネルは、常磐線湯本駅・湯本温泉街と21世紀の森公園を直結する。

たとえば、同公園にあるいわきグリーンフィールド(ハワイアンズスタジアムいわき)で、J2に所属するいわきFCのサッカー試合が行われると、常磐線で来市した相手チームのサポーターは、湯本駅・温泉街~立体橋・トンネル経由で21世紀の森公園へ向かう。これが最短距離だという。

プロのサッカーチームが誕生して以来、ファンには21世紀の森公園を起点にした地図ができた――そのことをやっと、孫のアッシー君を務めて実感した。

 湯本温泉街もまた、温泉とサッカーを掛け合わせた回遊性に磨きをかけるときがきたのかもしれない。

外国暮らしが長い友人の話を受けていうのだが。湯本のマチは脱クルマ、「車がなくても楽しめるマチ」になり得る可能性がある――そう思う。

2023年11月28日火曜日

寒暖の差がこたえる

                    
   庭に出るとヒイラギの花が咲いていた=写真。まだ若木だ。葉のへりはトゲっぽい。2008年11月7日のブログでこの花を取り上げていた。それを再掲する。

――上着を1枚多くはおり、手袋をする。マスクをした女性もいる。10月下旬になると急に目立ち始めた、早朝散歩の人のいでたち。私も重ね着をし、手袋をはめて出かける。
 小春日の夜は放射冷却が進んで、明け方、グッと冷え込む。西高東低の気圧配置になると、閼伽井岳おろしがもろに夏井川の堤防を駆け抜ける。「重装備」をしないと散歩がきつくなった。これからもっときつくなる。
 11月に入ってすぐ、ジョウビタキの雄に遭遇した。白く大きなコハクチョウは「冬の使者」として分かりやすく、写真にも撮りやすい。

でも、ほんとうに秋の深まりを実感するのは、体の小さなジョウビタキやツグミの姿を見たときだ。

いよいよ冬を迎えるのか。健気にも中国やサハリンから渡って来た小さな冬鳥のジョウビタキに、毎年そんな感慨を抱く。
 街路樹も、庭木もまだ葉をまとっている。が、若いユリノキやカキ、ウメ、夏井川の対岸のニワウルシは、早くも裸になった。ソメイヨシノの幼樹も葉を落とした。ヒイラギは逆に今が開花時期。白い小さな花をつけている。(略)

カワウかウミウかは定かではないが、ウが何羽も国道6号バイパスの夏井川橋を越えて上流へやって来る。やな場のすぐ上を漁場にしていることが多い。

やな場を越えたサケが力を使い果たしてへとへとになっている。もっと上流、平市街地の東端・鎌田でも、人道橋からサケが浅瀬をさかのぼっていくのが見える。
 さすがのウも、サケを丸のみにはできまい。が、毎日漁をしてもしきれないほど魚がいるのだろう。

水深が浅いから潜水姿がよく見える。いつか写真に撮りたいと思っても、わがウデでは無理。眺めるだけにしておく。
 やな場には息絶えたサケが何匹も打ち上げられていた。寒気が強まると、ますますコハクチョウの数が増える。

ヨシ原の奥、やぶの中で「グゥッ、グゥッ」と鳴いているのはキジに違いない。地鳴きはまるで野太く濁った鶏の「コッコー」だ。モズの高鳴きだけではない、これも晩秋の野の音。深まりゆく秋のスケッチである――。

15年前の岸辺の光景だが、令和元年東日本台風のあと、河川敷の立木と土砂撤去が進み、このブログにあるような動植物の姿は激減した。

気象も15年前より温暖化が進んだように感じる。暑い夏と秋のあと、急に冬らしくなったと思ったら、きのう(11月27日)は最高気温が山田で17.5度になり、きょうは小名浜で20度の予報だ。

6畳二間の暖房は、石油ストーブ1台では足りない。日曜日(11月26日)にもう1台、石油ファンヒーターを出した。

とたんに気温が急上昇した。着るものを増やすか減らすか、家にいても悩ましい。風邪は万病のもと。それだけは避けねば。

2023年11月27日月曜日

後期高齢者

                                 
   またひとつ年をとった。今回はしかし、「75歳の壁」が待っていた。それでちょっと複雑な気持ちになった。

運転免許更新のため、夏に自動車学校で認知機能検査を受けた。3年前は座学と実車指導だけだった。

「高齢者講習等通知書」には、75歳以上の免許更新までの流れとして、自動車学校で認知機能検査と高齢者講習(座学と実車指導)を受ける、とあった。

検査の内容は二つ。複数の絵を見て、覚えて、答える検査当日の年月日と時間を答える――で、①は記憶力、②は時間の感覚をチェックする。

ネットで検索すると、警察庁のホームページに絵が公開されていた。16種類4パターンで、そのなかの1パターンが検査に使われた。

絵を見たあとはいったん別の課題をこなし、再び絵に戻って、覚えている限り16種類の名前を書き出す。さらに、座学開始時間を起点に年月日と時間を書く――ということで、少し緊張して臨んだ。結果はさいわい問題なしですんだ。

先日、自動車学校からもらった書類を持って、警察署で免許更新の手続きをすませた。

順番を待つ間、目の前の棚から高速道路での逆走防止を呼びかけるチラシを1枚もらって、持ち帰った。横に大きく「無くそう逆走」とあった=写真。韻を踏んでいるらしい。

チラシによると、逆走は2日に1回以上発生している。逆走事故の死に至る確率は、高速道路での事故全体に比べて約15倍にも及ぶそうだ。

逆走の約6割は高速道路の出入り口やSA(サービスエリア)・PA(パーキングエリア)で発生している。

行先を間違える・目的の出口を通過してUターンするなどで、標識・標示を確認していれば防ぐことができるという。

逆走データ(2018年)で驚いたのは、その動機だ。過失39%、認識なし21%はともかく、故意が25%もあった。4人に1人はわざと逆走しているのか。

しかも、その年齢は約半数が65歳未満、65~75歳未満と75歳以上はそれぞれ26%だった。

少なくとも、逆走=高齢者、なかでも後期高齢者とは限らないことが、このデータからわかる。

ま、「75歳の壁」を意識するからこそ、逆走防止チラシにも手が伸びたわけだが、保険証(国保の被保険者証)も誕生日がきたので、名刺大のものからその倍はある後期高齢者用のものに替わった。

保険証の裏面を初めてじっくり読んだ。名刺大の保険証にも印刷してあるが、字が小さくて読んだことはなかった。

「私は、脳死後及び心臓が停止した死後……」という書き出しで、臓器提供の有無に関する本人の意思を表示するものだった。

薬を飲んでいる身としては、臓器提供には自信がない。これまで同様、何も書かずに利用することにした。

2023年11月25日土曜日

ネギの収穫

                     
   夏井川渓谷にある隠居の菜園で、唯一、昔野菜の「三春ネギ」を栽培している。梅雨に定植したネギがやっと収穫期を迎えた。

いつもだと、11月初めにはうねを掘り起こし始めるのだが、定植の遅れが気持ちのうえで尾を引いているようだ。

というのも、今年(2023年)の6月は日曜日に行事があったり、雨が降ったり、カンカン照りになったりして、なかなか作業に取りかかれなかった。半分はしかし、加齢による体力低下が理由だが。

東北南部は今年、6月11日に梅雨入りをした。もう先延ばしはできない、カンカン照りになってもネギ苗を植える――そう決めて、6月25日の日曜日、ネギ苗を植えた。午前中はさいわい雲が多かった。

苗の育ちはいつもと変わらない。5月後半に入るとネギの溝をつくり、さらに定植する前の週、シダレザクラの樹下でネギ苗を選別し、まとめて仮植えをしておいた。

定植といっても、5センチ間隔で1本ずつ手植えをする。それは変わらない。今年は段ボールを尻に敷いてうねに座り、溝に苗を並べた。

苗を植えること1時間半、数は150本ほどにすぎなかった。以前の半分、作業時間も半分で終わった。

ネギの溝切りと苗の選別を一気にやれば、ほぼ一日がかりだが、そんな体力はない。少しずつ分けて、時間をかけて作業をした。

一方で、人間の都合で先延ばしにできないものがある。種の確保だ。ネギの採種は、ネギ坊主の様子を見て決める。殻が割れて黒い種がのぞき始めたら、採りごろだ。

今年は、6月11日の日曜日は雨だった。そのうえ、ネギ坊主はまだ殻が割れていなかった。

ところが、1週間後の6月18日には一斉に殻が開き、黒い種がのぞいていた。すでに首を垂れ、種がこぼれ落ちたネギ坊主もあった。急いでネギ坊主を摘んだ。

これをわが家に持ち帰り、乾燥させて種とごみを選り分け、乾燥剤とともに小瓶に入れて冷蔵庫にしまったのが6月27日。

三春ネギは、いわきの平地のネギと違って秋まきだ。目安は10月10日。今年は3連休のまんなか、10月8日に土をならして苗床をつくり、たっぷり散水して種をまいた。

種はわりと順調に発芽した。隠居の冷蔵庫に去年の種の残りがあったので、それもまいたら芽を出した。

合わせるとけっこうな数になる。発芽から1カ月余り、苗床はすっかり緑で覆われた=写真。

やがて氷点下の真冬がやってくる。その前に防寒用のもみ殻を敷く。麦踏みならぬネギ踏みもする。それで春を迎えると、苗がぐんぐん伸びる。途切れることなくいつものサイクルでネギが育つ。

あとは今あるネギの収穫だ。古い苗床にも少しネギが残っている。まずはそれを収穫し、やがてうねの掘り起こしを始める。来年の採種用に数本を残して。

2023年11月24日金曜日

白菜を買いに三和町へ

                    
 日曜日(11月19日)は、三和町の直売所・ふれあい市場経由で夏井川渓谷の隠居へ出かけた。

 ふれあい市場は朝9時に開店する。これまでの経験からすると、開店直後は市街地からの常連客でごった返す。

 それも頭に入れて、開店と同時に着くよう家を出た。平・神谷から国道6号(常磐バイパス)~国道49号(平バイパス)にのれば、そのまま三和町に入る。

 ふれあい市場には9時10分ごろに着いた。駐車場はすでに満パイだった。かろうじて空きスペースにすべりこむ。

 私の目当ては白菜。冬場は糠床を眠らせ、別の甕(かめ)で白菜を漬ける。最初の白菜は三和産で、と決めている。

 白菜2玉を買った=写真。それを買えば、あとはかごを持ってカミサンの買い物につきあうだけ。

 カミサンは小さなパックに入ったふきの油炒め、うり(ハヤトウリ)のしょうゆ漬け、にんにくみそ、みそ漬け、弁当を買った。

 白菜で大事なのは甘み。白菜は寒くなると凍らないように糖分を蓄える。それで最初の白菜は、平地より山地、南より北のものを選ぶようにしている。

なぜ三和の白菜なのか。震災前のことだが、年末に三和の知人が自産の白菜を持って来た。

この時期、スーパーで売っているのは茨城以南の白菜が多い。知人の白菜は南の白菜より甘かった。

知人の話では、師走に入ると一面、銀世界になるときがある。同じいわきでも、平地では庭のスイセンが花茎を伸ばし、山地の三和では雪野原が広がる。

冬の寒さが白菜の糖度を増す、というわけで、雪が降るまでは三和へ白菜を買いに行く。そのあとは、平地の白菜もそれなりに甘みが増すので、産地を選ばずに買う。

三和町の先、田村郡小野町にも直売所はあるが、そちらよりも三坂(三和町)の方が標高は高い。

先日、近所からミカンをいただいた。むいた皮は白菜漬けの風味用に干した。ミカンの皮だけでなく、ユズは皮をむいて、生のままみじんにして白菜にちらす。こちらもお福分けを利用する。

白菜のほかの漬物はどうだったか。辛くてしょっぱい味噌漬け以外は、晩酌のつまみにぴったりだった。

にんにくみそをなめるとほのかに甘い。焼酎が進む。うりのしょうゆ漬けも歯ざわりがいい。ハヤトウリ自体、くせがないので、味がしみている。ふきの油炒めは、子どものころからなじんでいる味なので箸が止まらない。

漬物はやはり街場から遠く離れた山間地のものがうまい。あらかたは減塩化が進んでいる。

もしかしたら生産者もまた減塩指導を受けているのではないか――。減塩をいわれている人間は、ついそんなことを想像してしまう。

2023年11月22日水曜日

レッドリストとブルーリスト

        
  いわき地域学會の阿武隈山地研究発表会兼第379回市民講座が土曜日(11月18日)、いわき市文化センターで開かれた。

副代表幹事の鳥海陽太郎さんが「レッドリスト、ブルーリスト、天然記念物を知る――いわきに棲(す)む動植物の現況から」と題して話した=写真。

レッドリストとは「野生生物について、生物学的観点から個々の絶滅の危険度を評価し、絶滅の恐れのある種を選定し、リストにまとめたもの」をいう。

国内では環境省のほか、地方公共団体が作成している。福島県内では、県が作成した「ふくしまレッドリスト」がある。

 鳥海さんは、そのなかから自ら撮影した動植物を紹介した。絶滅危惧種はクマガイソウ・ハマナス・ミナミメダカ・キンラン・ハヤブサなど。準絶滅危惧種はイブキ・ハマボウフウ・ゲンゴロウ・ヒバリ・カジカガエル・ヤマカガシなど。阿武隈高地のモリアオガエルは絶滅のおそれのある地域個体群だそうだ。

 これに対して、ブルーリストとは「外来生物(本来自然分布をしていなかったが、人為的影響で侵入した生物)を侵入の程度に分けたリストのこと」をいう。

 前に拙ブログで福島県のブルーリストに触れているので、それを要約・紹介する。

 ――「レッドリスト」ではなく、「ブルーリスト」だという。ネットで検索すると、北海道の「ブルーリスト」が真っ先に出てくる。

それにはこうあった。「希少野生生物のリストが『レッドリスト』とされていることを踏まえて、ブルー(青色)とレッド(赤色)を対照的に捉え、外来種のリストを『ブルーリスト』と命名した」。その福島県版だから「ふくしまブルーリスト」。

福島県が今年(2023年)3月27日、県内に生息している外来種をまとめたリストを公表した。

リストに掲載される動植物は641種にのぼる。そのうち、自然環境への影響が大きい「侵略的外来種」は101種だという。

この101種は影響度の高い順から、緊急対策外来種18種重点対策外来種49種その他の総合対策外来種21種産業管理外来種13種、に分けられる――。

鳥海さんはこちらについても、自ら撮った画像をもとに動植物を紹介した。

アカミミガメ・ブルーギル・オオクチバス・アメリカザリガニ・オオカワヂシャ・オオキンケイギクなどは緊急対策外来種。ガビチョウ・ウシガエル・アカボシゴマダラ・オオカナダモ・キショウブなどは重点対策外来種だ。

キハナショウブも紹介した。キショウブとハナショウブの一代雑種とかで、存在を初めて知った。キショウブより花の色は薄いという。

 いずれにしても、外来種の分布の拡大には人間が関係している。自分の首を自分でしめている、といってもいい。

シンテッポウユリやフランスギクは、わが家に現れたら引っこ抜く。きれいでもそうしている。侵略を抑えるために。

2023年11月21日火曜日

3週間ぶりの渓谷

        
 日曜日は夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたり、周囲をぶらついたりして過ごす。

 平日はなにやかにや用事がある。なかでも時間をとられるのが、ブログの原稿入力だ。アナログ風に言えば、コラムの原稿書き。

 平日どころか、日曜日も書いていたが、さすがに「休みなし」はこたえる。日曜日のほかに、祝日も休むことにした。

 日・祝日のブログを休むと、ずいぶん気持ちがラクになった。休みの日はただ何も考えずに体を動かしていればいい。

 しかし、11月は日曜日に用事が続いた。5日は地元の歩こう会、12日は県議選の投・開票日で、投票所(小学校の体育館)に詰めきりになった。

 11月19日の日曜日、3週間ぶりで渓谷の隠居へ出かけた。カエデの紅葉が見ごろになっていることは、フェイスブックで知っていた。

 撮影してアップするカエデの木はあらかた決まっている。というより、人が吸い寄せられるような、色鮮やかなカエデがある。

 順光・逆光、背景に映る渓流の様子から、隠居から200メートルほど下流の、県道沿いのカエデ群だとわかる。

 渓谷の紅葉は二度楽しめる。最初は尾根から谷へとツツジ類やヤマザクラ類、その他の落葉広葉樹が赤や橙、黄色に染まり、アカマツとモミの緑と混じり合って、「錦繡(きんしゅう)」をまとう。

 そのピークが10月後半。山全体の錦繡がばらけると、今度は谷沿いのカエデの紅葉が始まる。燃えあがる赤が目立つのは11月も半ばに入ってからだ。

 隠居の隣は、今は「夏井川渓谷錦展望台」として知られる。土地の持ち主が空き家を解体・更地にし、谷側の杉林を伐採して、四季折々のビューポイントにした。

マイカー客にとっては、車を止めて景色を堪能できる新スポットでもある。この展望台の開設で谷間の県道の路駐はかなり減った。

 11月19日の日曜日は、お昼ごろにはマイカーやオートバイの行楽客でごった返していた=写真。

 今までなかったことだが、道端に「大売出し」ののぼりが立った。展望台の一角に、小野町のNさんの妹さんが臨時に直売所を開き、曲がりネギやゴボウ、とろろ芋を売っていた。

 展望台を管理している地元の知り合いに勧められて、江田駅前だけでなく、紅葉スポットにも“分店”を出した。

 妹さんとは10月末に、江田駅前で顔を合わせている。Nさんの奥さんと一緒に、プレオープンをした。いつもそうするように、曲がりネギを買った。

そのあとは渓谷へ行けなかったので、こちらも3週間ぶりの対面だ。「Nさんは?」「江田にいます」

11月12日もにぎわったにちがいない。しかし、19日はたぶんそれ以上に人が繰り出したのではないか。

午後2時には隠居を離れたが、渓谷へ上がってくる車の列が絶えなかった。この秋初めて、そろりとすれ違った。

2023年11月20日月曜日

11年前の新聞切り抜き

           
 用があって、共同通信社発行の『記者ハンドブック――新聞用字用語集』(2011年、第12版)をパラパラやっていたら……。裏表紙のウラに古い新聞切り抜き=写真=がはさまっていた。

 平成24(2012)年8月2日付のいわき民報で、見出しに「ツキノワグマの足跡確認 川前町上桶売」とあった。

 「川前町上桶売字大平地内の畑周辺にクマの足跡があると、7月31日、市川前支所に通報があった。県、市、鳥獣保護員などが確認した結果、足跡がツキノワグマのものと確認された」

 そんな書き出しで、記事は出没頭数が1頭、体長が1メートル程度と推測されること、「近隣町村でも目撃情報があることから、同地区を生息域とする個体ではなく、周回中の個体」らしいことを伝えている。

さらに、いわき市内の過去の「クマ」関連情報として、平成18(2006)年・三和町上市萱、同22年・田人町旅人、同23年・三和町下市萱で、「足跡のようなもの」や「クマのものと思われる痕跡」が見つかっているが、断定には至っていない、としている。

このとき、「夏井川渓谷の隠居からは、車で20分ほど山に分け入ったあたりだ。隠居に回覧チラシ『クマにご注意』が差し込まれていて、クマの出没場所が近いことを実感した」と、ブログに書いている。

切り抜きを読んでからわずか2日後の11月18日朝、X(旧ツイッター)をのぞくと、いわきで「クマのふんのようなもの」発見の文字が目に留まった。

 TUF(テレビユー福島)がニュースとして報じた。それによると、11月5日、遠野町深山田地内で市民がクマの「ふんのようなもの」を発見し、写真を県に送った。県の自然保護課が「クマのものの可能性がある」と確認したという。

 18日付のいわき民報で詳細がわかった。5日だけでなく、14日にもふんらしいものが見つかった。どちらのときも発見者は県に通報したが、写真を送ったのは14日のようだ。

 遠野の深山田は鮫川流域、そこから夏井川渓谷までの間には好間川流域がある。山を二つ越える必要があるとはいえ、地続きの、しかも近場の阿武隈山系には変わりがない。

 拙ブログによれば、直近では令和2(2020年)6月11日夕方、川前町下桶売字荻地内の吉間田集会所付近で住民がクマを目撃し、翌日、直径6~7センチの足跡が確認されている。

「阿武隈の山にはクマはいない」。昔からそういわれてきたが、近年はあちこちで姿や足跡が目撃されるようになった。

深山田のクマのふんにはどんぐりの皮らしいものが混入していた、しかも2回とも(たぶん同じ)民家の庭でふんをしている。

いわきにも、クマ! いわきはやはり、マチの視点からだけでなく、ヤマの、ハマの視点からも自然とのかかわりを考える必要がある。

2023年11月18日土曜日

ニット帽

        
  日曜日以外はあらかた家にこもっている。それで頭の寒さはほとんど気にならない。が、師走から春先までは家にいてもニット帽が離せない。

去年(2022年)、しばらく愛用していたニット帽に穴が開いた。代わりのニット帽をかぶるときもあったが、どうもしっくりこない。

先日、カミサンが新しいニット帽を三つ持ってきて、どれかを選べという。どこかの家のダンシャリで出たものがわが家に届く。その中にニット帽があったのだろう。

正面にニューヨークヤンキースのロゴマークがあるもの=写真=をかぶると、すっぽり入った。

ほかのニット帽は小さくてきつい。というわけで、一日、ヤンキースのロゴ入りニット帽を“試着”し、外出もしてみた。

人が行き交うなかで休んでいると、どういうわけか、このニット帽をかぶった若者の映像が脳内を巡り始めた。

音楽とかダンスといった路上のパフォーマンスに励んでいる若者が、これをかぶっていたような……。

外出から戻ると、カミサンが、やっぱり穴をかがることにした、という。古いニット帽の穴をふさげば、また使える。それに越したことはない。

ヤンキースのニット帽は、夏井川渓谷の隠居で土いじりをするときに使おう。そのために、隠居に置いておけばいい。

冬場、ニット帽が欠かせなくなったのは、もちろん頭髪が寂しくなったからだ。

いわき市三和町に住んでいた作家の草野比佐男さん(1927~2005年)は59歳のとき、ワープロを駆使して限定5部の詩集『老年詩片』をつくった。そのなかにこんな作品があった。

「老眼を<花眼>というそうな/視力が衰えた老年の眼には/ものみな黄昏の薄明に咲く花のように/おぼろに見えるという意味だろうか」

草野さんはさらに<花眼>の意味を考える。「あるいは円(まど)かな老境に在る/あけくれの自足がおのずから/見るもののすべてを万朶(ばんだ)の花のように/美しくその眼に映すという意味だろうか」

そのあとの展開がいかにも草野さんらしい。「しかしだれがどう言いつくろおうと/老眼は老眼 なにをするにも/不便であることに変わりはない」「爪一つ切るにも眼鏡の助けを借り/今朝は新聞の<幸い>という字を/いみじくも<辛い>と読みちがえた」

それと前後して、というより、もっと若かったかもしれない。草野さんがなにかに自分の頭髪が薄くなったことを書いていた。冬は頭が寒くて、夏は暑い――と。

 私はまだ30代だったが、少し頭頂部が気になりだしていた。それで草野さんの文章が忘れられなかったのだろう。

頭髪がそろっていれば、常緑の森と同じで、頭皮も直射日光や寒気から守られる。その密林が疎林になってしまった今は、夏はハンチング帽、冬はニット帽が欠かせない。

たまにはファッションも、などと思ったものだから、つい「N」と「Y」を組み合わせたニット帽に手が伸びた。

2023年11月17日金曜日

あのスコットランド民謡が

                     
   水曜日(11月15日)の午後、茶の間で調べものをしていたら、カミサンがテレビをつけて映画を見始めた。

テレビは座卓の先にある。私は、パソコンのキーボードをたたいたり、ものを書いたりしているときには、テレビがついていても気にならない。

どこか外国の学校の物語のようだった。時間がだいぶたったころ、先生らしい人物が「オールド・ラング・サイン」(日本では「蛍の光」でおなじみのメロディー)を歌い出した。

おやっ? 手を休めて映像を追う。やがて教え子たちが同じ年ごろの、どこかのチームとサッカーの試合を始める。背の低い子がゴールを決める。

初めはサッカーに否定的だった親たちも、子どもたちと一緒になって試合を楽しむ。そんなシーンを経て映画は終わる。

監督などの名前が表示されるエンドロールで、また「オールド・ラング・サイン」が流れた。

スコットランド民謡で、詞はロバート・バーンズ(175996年)がつくった。バーンズはスコットランドの国民的詩人でもある。

いわきゆかりの童謡詩人野口雨情(1882~1945年)は若いころ、バーンズに親しんだ。

「己の家」という連作詩の<一 その頃>に「己は日暮方になると/裏の田圃の中に立つて/バーンズの詩の純朴に微笑んでゐた」とある。

 それだけではない。吉野せいの夫の三野混沌(吉野義也=1894~1970年)も、混沌の盟友の猪狩満直(1898~1938年)もバーンズに引かれた。

歌をきっかけに、ネットで映画の解説を読んだり、予告編を見たりして、どんな作品だったかを確かめる=写真。

映画は2011年、ドイツで製作された「コッホ先生と僕らの革命」で、第1次世界大戦前のドイツ帝国が舞台だ。

イギリス留学から帰国したコンラート・コッホが、有名校である母校に初の英語教師として赴任する。

反英感情が高まっていたドイツで、子どもたちはイギリスや英語に対する偏見を植えつけられていた。

コッホ先生はそれをほぐすために、サッカー用語を介して英語を教え、実際にサッカーも指導する。

それに反発した親たちがコッホ先生の解職に動く。が、生徒たちはサッカーを続け、イギリスからやって来た同世代のチームと対戦する。

コッホ先生は「ドイツサッカー界の父」といわれており、実話をもとに映画がつくられた。サッカー大国・ドイツも、およそ150年前まではサッカーと無縁だったと知って驚いた。

「オールド・ラング・サイン」」は、欧米では大みそかのカウントダウンのあとに歌われる「新年ソング」としても知られているそうだ。

 旧友と再会し、懐かしい日々を思い起こして、グイッとやろう――。そんな歌詞に、仲間とサッカーに励んだ日々が、サッカーを通じて培った友情が重なる。それはきっと人生の宝となったにちがいない。

2023年11月16日木曜日

冬支度

                            
 日曜日(11月12日)は早朝から夜の7時まで、福島県議選の事務従事者として投票所に詰めていた。

市職員のほかは、私ら投票管理者と立会人に選ばれた市民が3人。寒くなるというので、下はパッチとコールテンのズボン、上は長そでと厚手のシャツ、ブレザー、ジャンパーで出かけた。

投票所は、出入り口が開放されている。ジェットヒーターが動いていても、暖気は従事者には届かない。

私は出口に一番近いところにいた。隣の席の立会人(区長仲間)は、私がいると風よけになっていい、席をはずすと寒気がもろにやってくる――などと、本音を口にした。

いくら冬着に替えても、ジェットヒーターが動いていても、寒気がじわじわと足を、首筋を冷やし続ける。午後には体が小刻みに震えることもあった。

翌日はどうも背中がザワザワする。作家の池波正太郎は随筆集『男の作法』のなかで、人は背中から風邪を引くようなことを言っていた。前にブログで紹介したことがある。それを引用する。

「冬なんかに、ちょっときょうは寒い、風邪を引きそうだなあと思ったときは、入浴をしても背中は洗わないほうがいいよ。(略)そこから風邪が侵入してくるわけ」

背中がザワザワすると、すぐこの文章が思い浮かぶ。それで、夜には風邪薬を飲んで早めに寝ようと思ったのだが……。

薬ではなく、シャツの上に袖なしの綿入れはんてんを着て様子を見てはどうか、とカミサンがいう。

その通りにしたら、翌朝、発熱することもなかった。背中のザワザワ感も収まった。どうやら風邪を引くところまではいかなかったようだ。

日曜日の寒波到来に合わせて石油ストーブを出した。火曜日は朝一番で灯油を買いに行った。

こたつは、夏はカバーを取って座卓にしている。6年前、こたつの差し込みが壊れてからは、こたつの下に電気カーペットを敷いて暖をとる。

カーペットは10月末にはスイッチを入れ、足に毛布を掛けたが、それだけではやはり寒い。真冬になると、さらに石油ヒーターを出す。

そのころにはこたつもカバーがかかっている。ヒーターの暖気をダクトでこたつに呼び込む。そうしないとカーペットだけでは保温ができない。

いずれにしても、一気に冬がきた。ひとまず灯油は買った。同じ日に後輩が関西みやげの「赤福」を持って来た=写真。

「赤福」は三重県伊勢市の和生菓子だ。上の子が大学生のころ、夏休みに夏井川渓谷の隠居で何日か「合宿」をした。三重県出身の仲間がみやげに、「赤福」を持参した。

以来、「赤福」が届けば、ありがたくちょうだいする。その話を覚えていたようで、後輩は去年(2022年)も関西帰りに伊勢経由で「赤福」を買ってきた。

晩酌のときに、「赤福」を2個食べた。ほかに、食用菊の「もってのほか」と、ハヤトウリの酢の物が出た。おかずも冬の食べ物に替わりつつある。

「そろそろ白菜漬けだね」。朝食のときに、そんな話をした。そういえば、糠床もひんやりしてきた。

2023年11月15日水曜日

少女小説

                               
 11月8日付の東京新聞「本音のコラム」に、文芸評論家の斎藤美奈子さんが「いわきの文学賞」と題して書いている。

 今年(2023年)の吉野せい賞表彰式が11月4日、いわき市立草野心平記念文学館で開かれた。

式後、斎藤さんが「近代文学に見る出世と恋愛」と題して記念講演をした。

斎藤さんは冒頭、「ちょっと早く着いたから」と、会場の片隅で表彰式を見学したことを明かした。

これを踏まえて、11字×51行、ざっと560字のなかで、吉野せいの略歴と吉野せい賞を紹介している。

同賞は「今年でじつに46回目。地方都市には珍しい公募の新人文学賞が途切れることなく続いているのも奇跡といえば奇跡である」。

そして、表彰式の内容に触れる。「正賞は該当作なしだったが、準賞と奨励賞の受賞者4人中3人までが60代。まさに吉野せいの精神。文学は何歳からでも始められるのだ」

で、斎藤さんらしいオチに、「そこを突いてきたか」と、しばらく口が開(あ)きっぱなしになった。

「地方文化の健在ぶりを知るのは嬉(うれ)しい。スパリゾートハワイアンズ、アクアマリンふくしまだけがいわきじゃないよという話」

知り合いのルートで新聞コピーのファクスが届くと、カミサンが「こんなのがあるよ」と、斎藤さんの本を手渡した。河出新書の『挑発する少女小説』(2021年)だった=写真。

日本でも大ヒットした『小公女』『若草物語』『ハイジ』『赤毛のアン』など9作品を「少女小説」の観点から論じている。

『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子をモデルに、NHKが朝ドラ「花子とアン」を放送したことがある。

それをきっかけに、『赤毛のアン』のテレビドラマを見たり、小説の舞台になったカナダのプリンス・エドワード島に関する本を読んだりした記憶はあるのだが……。ほかの作品も含めて、小説そのものは読んだことがなかった。

斎藤さんによると、少女小説とは①現実に即したリアリズム文学②良妻賢母教育のツール③読者が選んだロングセラー④人気があるのは翻訳物――。

ほかに、⑤少女小説を特徴づける四つのお約束ごと、がある。すなわち、主人公はみな「おてんば」・主人公の多くは「みなしご」・友情(同性愛)が恋愛(異性愛)を凌駕(りょうが)する世界・少女期からの「卒業」が仕込まれている。

現代のフェミニズムの観点から見て、少女小説が「保守的」なのは当たり前だという。

しかし、そこで終わらないのが斎藤流だ。読者には「誤読する権利」があるから、作者の意図と関係なく、自分に都合よく物語を読みかえることができる。

「大人になって読む少女小説は、子どもの頃には気づかなかった発見に満ちています」。というわけで、『挑発する少女小説』を読み始める。

2023年11月14日火曜日

「閑中忙」

                     
  「忙中閑」ならぬ「閑中忙」である。ふだんは「毎日が日曜日」の気ままな暮らしだが、たまに区内会その他の用事が入る。10月にはそれが集中した。11月も尾を引いている。

いわき市の文学賞「吉野せい賞」の選考委員をしているので、それに関する集まりや記者会見、表彰式が9~11月と、飛び飛びにあった。

区内会関係の行事もときどき入ってくる。シルバーリハビリ体操体験会、秋のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動、あるいは青少年育成市民会議の講演会聴講や歩こう会の開催、公民館清掃など。

所属しているいわき地域学會の市民講座を聴きに行き、いわき昔野菜保存会から役員会の連絡がくる。こちらも出席するつもりでいたが、急に背中がザワッとしてきたので欠席した。

行事の合間にわが家の風呂と夏井川渓谷にある隠居(台所)のガス給湯器を取り換える、銀行へカネを下ろしに行く、入院した義弟の面会に通う――というわけで、前の晩には必ず翌日の予定をメモしておく。

カミサンが出かけるときはアッシー君をして、店と家の留守番をする。先日は、ランチを兼ねた女子会があり、フランス帰りの同級生からお土産をもらったという。

南仏・カマルグ産の天日塩=写真=で、容器には「フルール・ド・セル(塩の花)」と書かれていた。日本の食塩よりはやや粒が大きいような印象がある。なめると甘みもある。

先日、ブログで「常磐もの ひらめの陣」を紹介した際、家でもできるものとして、ヒラメのカルパッチョに触れた。

ヒラメの刺し身を買ってきたら、それを何切れか利用する。そのとき、オリーブ油やスパイスだけでなく、この「塩の花」もパラッとやる、というのもありだろう。

さてさて、11月12日投・開票の福島県議選では地元の投票所の管理者を仰せつかった。投票日当日は朝6時半集合で、午前7時の投票開始から午後7時終了まで、会場に缶詰めになった。

2021年9月のいわき市長選では、2人いる投票立会人の1人として、同じ投票所に張り付いた。

投票が終わると、管理者と立会人の2人で総合体育館へタクシーで投票箱を搬送し、同じタクシーで投票所近くの駐車場まで戻って自分の車で帰った。今回も全く同じ流れで投票箱を届けた。

投票所管理者も立会人も「選挙で知り得た情報」については「守秘義務」がある。しかし、会場設営についてはそのつど課題がみえてくる。

出口までの距離を短縮するためか、今回は入り口と同じ西側に出口を設定した。出入り口は当然、どちらも開放されている。

よりによって気温が急低下し、冬のような一日になった。ジェットヒーターが2台作動していたが、目いっぱいの防寒対策をしても出入り口から入り込む寒気はこたえた。

段差の問題は介添えをしてカバーするしかない。冬は戸の開いた施設で寒風を遮る工夫ができないものか。投票事務に従事する職員がかわいそうでならなかった。

2023年11月13日月曜日

ネズミと石けん

                              
 浴室の洗面器にオリーブ石けんが置いてある。ある日、石けんが下の簀の子(すのこ)に落ちていた。前にもおかしなことがあった。犯人はたぶんネズミ。

 洗面器のそばの壁にはメッシュパネルが架かっている。そこに大小さまざまな物入れが掛けてあって、コップや歯磨き粉、ピンクの石けん、ブラシなど雑多なものが置いてある。

 その物入れの一つに洗面器の石けんを皿ごと移すと、また消えた。ピンクの石けんもなくなっていた。

洗面器とパネルの間には少し距離がある。ネズミは壁をはいのぼりはしないだろうと、タカをくくっていたのがいけなかった。

 石けんはどちらも家庭用の並型マッチ箱ほどの大きさだ。くわえて運ぶにはでかすぎる。かじっているうちに動いて落下したのだろう。

簀の子と壁の間にはすき間がある。簀の子をはずすと、コンクリート張りの床に二つの石けんがあった。やっぱり。

現実のネズミは、いわむらかずおの絵本のように、物をかついで二足歩行をするようなことはしない。

そういえば……。先日は、家の縁側に居ついた「さくら猫」がネズミをくわえて玄関に現れた。別の日にも庭でネズミをくわえたり、放したりしていた。

それだけではない。夏井川渓谷の隠居の畑から摘み取ったシソの実を持ち帰り、笊(ざる)に入れて台所のかごの上に置いたら……。朝、笊が90度反(そ)ってシソの実が床に散乱していた。

 どこから侵入してくるのだろう。自分のブログを検索したら、3年前の10月にこんなことを書いていた。

――朝、庭に出て歯を磨いていたら、柿の木の下の草陰で動くものがいる。モグラ? いや、違う。落下して色づいた柿の実を見つけると、かじり始めた。ときどき立ち上がっては、隣家の方を警戒する。それを繰り返したあと、草陰に消えた。耳が丸い。小さなネズミだった。

カミサンがその何日か前、台所の外にある縁の下の通気口にネズミが入り込むのを目撃した。

入り込めるくらい小さいネズミだとしたら、ハツカネズミ?(ヒメネズミでは?というコメントも入ったが、なんとも判断がつかない)。

 それで思い出したことがある。前年(2019年)の台風19号を境に、わが家の番兵よろしく縁側で休んでいた老齢の野良猫が姿を消した。

すると、ネズミが茶の間と台所をうろちょろするようになった。日中、それもわが家の内外でネズミがわがもの顔で動き回っているのを見るのは初めてだった――。

さてさて。石けんはタッパーに入れて、フタをしておくことにした=写真。あとは駆除対策を考えないといけないが、ここはひとつ「さくら猫」にも頑張ってもらうことしよう。

 それでこちらがすり寄っていくと、パッと跳ねるように逃げていたのが、動じなくなった。そのうちズボンに体をすりつけて「ごろにゃん」を始めるかもしれない。

それでもかまわない、ネズミを退治してくれるなら、と都合よく解釈することにした。

2023年11月11日土曜日

ヒラメの粗汁

                     
 日曜日(11月5日)にいつもの魚屋さんへ行く。「そろそろ終わりかな……」。なかったらなかったで、別のものにすればいい。マイ皿を出すと黙って受け取った。カツオがある証拠だ。

 カツオの刺し身をマイ皿に盛ったあと、「ヒラメの粗があります」。「いいね」。久しぶりに粗汁の材料が手に入った。

 「ヒラメの粗にはタマネギと油揚げかな」。カミサンがつぶやくので、「曲がりネギでもいいのでは」。私がいうと、若ダンナが応じた。「私はネギです」。これで決まりだ。

 曲がりネギは、小野町のNさんが紅葉の時期だけJR磐越東線江田駅前に設ける直売所で手に入れた。

カツ刺しのほかに、曲がりネギの入ったヒラメの粗汁=写真=が晩酌の一品として出てきた。

前はカツオの粗汁しか知らなかった。若ダンナがいろいろ勧めるので、タイやヒラメ、ホウボウ、スズキと試して、粗汁観が変わった。

いつの間にか「脱カツオ」になり、それを知った若ダンナが、ヒラメやスズキ、マダイの粗があれば、声をかけるようになった。

カツオの粗汁は濃厚だ。スズキはさっぱりして上品な味がする。ヒラメはさらにその上をいく。

ホウボウの粗汁は東日本大震災の前に一度だけ食べた。もしかしたら、これが一番好きかもしれない。

 粗汁のあれこれが脳裏をよぎると同時に、思い出したことがある。そういえば、「ひらめの陣」というものがあったな――。新聞記事の記憶を手がかりに、いわき市のホームページで確かめる。

「常磐もの ひらめの陣」。11月の1カ月間開催しているという。参加飲食店でヒラメを食べ歩き、スタンプを集めると、湯本温泉宿泊補助券などが当たるイベントだ。

 ヒラメは刺し身と粗汁しか知らない。どんな食べ方があるのか。参加9店舗のメニューが写真入りで紹介されている。

 切り身塩焼き・あぶりヒラメのカルパッチョ・ごま茶漬け・てんぷら・ソテー キノコのバルサミコソース・天丼・味噌だれ炙り……。ヒラメは和・洋いずれにも合うということなのだろう。

 カルパッチョは、牛肉や魚肉を生のまま薄切りにして、オリーブ油・スパイスなどで和(あ)えたイタリア料理だ。

 真冬は、さすがにカツオの入荷はない。代わりにヒラメやタコ・イカの刺し身を口にする。

そのとき、ヒラメを何切れか皿にとって、オリーブ油とスパイスで和えればカルパッチョになる?

対面販売の個人営業の店だからこそ、魚種による調理法、食べ方など、こちらの知らないこと、足りないことを教えてくれる。

 そのうえで、こうした「ひらめの陣」のイベントをヒントに、家庭でも味わえるカルパッチョに挑戦してみようか、という気にもなる。

オリーブ油も、スパイスも手元にある。カツ刺しが終わってヒラメの刺し身が手に入ったら、試してみよう。

2023年11月10日金曜日

ハヤトウリの糠漬け

                     
   若いときに仕事で知り合ったご夫婦がいる。出会ったのは、ダンナさんより奥さんが早かった。

東京からJターンをして夕刊のいわき民報社に入り、駆け出し記者がそうするように警察回りを始めた。そこに奥さんが事務職員として勤めていた。

やがて市役所担当に替わると、庁内を巡るうちに顔なじみになる職員の数が増えた。その一人がダンナさんだった。

お二人が夫婦で、しかも同じ地域に住んでいると知ったのは、ざっと40年前、今の家に引っ越してからだったように思う。

で、会えばもちろんあいさつをする。が、行ったり来たりするほどの深い付き合いではない。家も国道をはさんで離れている。

その奥さんが先日、自分のところで栽培しているハヤトウリやナス=写真=を持ってわが家へやって来た。

コロナ禍で行事の中止・延期が続いたころ、紙面の埋め草として古巣の夕刊で拙ブログの転載が始まった。今も紙面の都合で休んだり、連続して載ったりする。

この秋には「ハヤトウリは糠漬けにする」「11月まで糠漬けをやっている」といった内容の文章が載った。それを読んで奥さんがハヤトウリを届けてくれたのだった。

さっそくピーラーでハヤトウリの皮をむき、縦に四つに割って未熟な種を取り除き、糠床に入れた。皮が薄いので、むかなくてもよさそうだったが、念のためにそうした。

ハヤトウリの皮をむくか、むかないかで悩む人は多いらしい。ネットには、むいた方がよりおいしく食べられる、とあった。皮なしはやわらかいから、高齢者向きでもある。

1回目は24時間、2回目は18時間で取り出した。ハヤトウリはなんといってもシャキシャキした歯ごたえが持ち味だ。まる一日では漬かりすぎの感じがしたので、2回目は時間を短縮した。

切り方にも工夫が要るらしい。最初、たくあんのように厚めに切ったら、文句が出た。私はその方が、歯ごたえがあっていいのだが、食べてもらうには切り方を変えるしかない。

2回目はせん切りにしてみた。これなら弱った歯にもそんなに負担がかからないだろう。とにかくいろいろ試してみることにした。

11月8日は立冬だった。暦の上では冬がきたが、まだ半そでで過ごす人もいる。さすがに西高東低の気圧配置になると、風は冷たい。

そんななかでもお福分けが届く。ハヤトウリと前後して、庭の木に生(な)ったからと、ユズやミカンをいただいた。楢葉町の知人もミニトマトその他を持参した。

ある晩のおかずは、材料がすべてお福分けだった。初冬には初冬の「口福」がある。

それだけではない。ミカンは皮を捨てないで干しておく。柿の皮も干す。どちらも白菜漬けの風味付けに利用する。

糠漬けのハヤトウリをパリパリやりながら、気持ちは次第に白菜漬けの準備に向かっていた。そういう時節になった。