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2021年4月23日金曜日

ふくしまSHOW・小野町編

                           
 テレビユー福島の「ふくしまSHOW」は欠かさず見る。水曜日夜7時からの福島ローカルで、県内の各自治体を訪ねて「注目ランキング」10を紹介している。おととい(4月21日)は田村郡の小野町だった。

「小野小町(おののこまち)」「小泉さんと丘さん」「仙台屋食堂」「リカちゃんキャッスル」「夏井千本桜」は、見たり、聞いたり、行ったりしているので一発でわかった。

 小野町には小野小町伝説がある。夏井千本桜は、先の日曜日(4月18日)、マイクロツーリズム(山里巡り)の帰りに橋の上から眺めた。

「小泉さん」は醸造・発酵学者の小泉武夫さん、「丘さん」は作詞家の故丘灯至夫さん。ともに同町出身だ。

丘さんは、「高校三年生」や「東京のバスガール」のほかに、古関裕而作曲の「高原列車は行く」などを作詞した。町内の生家(西田屋本店)の前に「丘灯至夫生誕の地」の碑が立ち、小野町ふるさと文化の館には「丘灯至夫記念館」が開設されている。

「キャンプ場」は2カ所が紹介されたが、全く知らなかった。「磐越東線ギャラリー」は新聞で知り、「アイスバーガー」はほかのテレビ局でも取り上げていたので、なんとなく頭には入っていた。

 同ギャラリー(東方文化堂)のオーナーは渡辺伸二さん。鉄道マニアで、同町にUターンし、自宅兼店舗にギャラリーを開設した。渡辺さんは平成19(2007)年、『磐越東線ものがたり 全通90年史』を出版している。この本には世話になった。

草野心平の詩に「故郷の入口」がある。昭和17(1942)年10月、心平は中国・南京から一時帰省する。詩の冒頭4行。「たうとう磐城平に着いた。/いままで見なかったガソリンカーが待ってゐる。/四年前まではなかったガソリンカーだ。/小川郷行ガソリンカーだ。」

 磐越東線をガソリンカーが走ったのはいつか。作品とは別に、史実を確かめたくて渡辺さんの本に当たった。

「このガソリン動車、磐越東線では昭和11年(1936)4月15日から平・小川郷間を走っていた」。太平洋戦争末期の「昭和20年(1945)6月のダイヤ改正時には姿を消している」。心平のいう同17年の4年前ではなく、6年前には運行が開始されていた。

確認が必要なのは次のような事情による。既成の心平年譜は「基本的に心平の自筆と口述に基づき、若干の資料に当って作成されたものである。間違い、勘違いの類は壮大多数、実証的研究には役立たない部分が多い」草野心平研究2003・11 5」)。ならば、詩にも間違い・勘違いが入っている。注釈が必要になる。

「こだわりのレストラン」のひとつはイタリア料理店の「チルコロ・イル・ピッコロ・カンポ」。ピッコロ・カンポは小さな野原、つまり小野の意。何年か前、昼に入店して、おすすめのマルゲリータ(ピザ)を、カミさんはパスタを食べた。

「渡久製菓」にはカミサン好みの商品がある。平田村から小野町を巡った日曜日、道の駅ひらたで同製菓の「ぬれ花まめ」を買った=写真。人気商品らしい。前にも小野町でこの商品を買ったことがある。

 夏井川渓谷の隠居から上流の小野町、山の陰の三和町は、車で30分圏内だ。ときどき、どちらにもある直売所を訪ねたり、昼ご飯を食べに行ったりする。

今度は東方文化堂だ。JR磐越東線小野新町駅近く、踏切を渡る前に道が直角に曲がる。その急カーブにある。日曜日、カミサンが助手席から看板を見て記憶していた。

2018年7月28日土曜日

心平が乗ったガソリンカー

 ある晩、客人が来るまで時間があったので、いわきの詩人・三野混沌の詩集『阿武隈の雲』の復刻版(詩季の会、1994年)をパラパラやって過ごした=写真下1。原本は昭和29(1954)年7月に発行された。盟友の草野心平が自分の詩「故郷の入口」を引用しながら長い序文を書いている。
昭和17(1942)年10月、心平は中国・南京から一時帰国し、その足で帰省する。詩の冒頭4行。「たうとう磐城平に着いた。/いままで見なかったガソリンカーが待ってゐる。/四年前まではなかったガソリンカーだ。/小川郷行ガソリンカーだ。」。

 磐越東線をガソリンカーが走っていたのはいつ?――。昔、この詩を読んで以来、頭に刻まれた問いだ。

 心平に関して注意しなければならないことがある。既成の心平年譜は「基本的に心平の自筆と口述に基づき、若干の資料に当って作成されたものである。間違い、勘違いの類は壮大多数、実証的研究には役立たない部分が多い」草野心平研究 2003・11 5」)。

「心平の自筆と口述」がそもそも、裏付けなしの“直感表現”らしい。ということは、詩作品はともかく、いや、それも含めて心平が書いていることは、一度こちらで裏を取る必要がある、ということになる。

『阿武隈の雲』の序文で自作の「故郷の入口」を「故郷への入口」と書いているのがわかりやすい「勘違い」の例だろう。となれば、詩の中に出てくる「四年前」も怪しい。

 きのう(7月27日)、渡辺伸二著『磐越東線ものがたり 全通90年史』(2007年)をふと思い出して、図書館から借りて来て読んだら、疑問が氷解した。「このガソリン動車、磐越東線では昭和11年(1936)4月15日から平・小川郷間を走っていた」、太平洋戦争末期の「昭和20年(1945)6月のダイヤ改正時には姿を消している」。

 心平のいう同17年の「四年前まではなかった」どころか、6年前には運行が開始されていた。

ここからは“古新聞シリーズ”6――に切り替える。さっそく図書館のホームページを開いて、デジタル化された昔の地域紙・常磐毎日新聞で裏を取る。昭和11年4月16日付(15日の夕方配達)にガソリンカー営業運転の記事が載っていた=写真下2。
4月はこの日をはさんで9回もガソリンカーのことを取り上げている。見出しを紹介する。

7日付「ガソリン車の試運転を延期」(乗務員がまだ運転不慣れのため期間を延長)、8日付「ガソ車の運転陳情」(仙台鉄道局に久之浜町長)、11日付「予定通りにガソ車走る 花の15日から 当分中間に停留しない」(常磐線は湯本駅~平駅~久之浜駅、磐越東線は平駅~小川郷駅)、14日付「ガソリンカーの運転時刻決定 来る15日より開通」。

そして、当日=16日付「平地方の交通網 画期的の一進展 けふから一本立ちのガソリンカー颯爽と疾駆」。

17日付「ガソ車の出現で発着時刻が変更」、18日付「未だお客がつかず ガソ車淋し お天気を待ち 平駅至極楽観」、21日付「乗客俄かに増す 有卦に入るガソリン車 これも花のお蔭」。24日付では「最近出現の事物を画材に 平第二校が図画の指導」と、ガソリンカーやアドバルーンなどが新しい題材になっていることを伝えている。

心平の“反面教材”のおかげで、やっとガソリンカーの運行時期・区間・当時の様子がわかった。

2017年10月9日月曜日

磐東線全通100周年号

 きのう(10月8日)、臨時の「磐越東線全線開通100周年号」が郡山―いわき間を往復した。郡山発10時22分のいわき行きは正午過ぎ、夏井川渓谷の牛小川踏切付近を通過した=写真。直後に磐東線と並行する県道を川前から小川方面へと駆け下ってくる車が相次いだ。県外ナンバーがほとんどだった。
 磐東線は大正3(1904)年、最初に郡山―三春駅間が開業する。以後、郡山といわき側から少しずつ営業区間を伸ばす。いわき側は小川郷駅、郡山側は小野新町駅の間、夏井川渓谷の難工事を経て全線が開通するのは同6年10月10日。あしたで満100年だ。この区間に川前駅と夏井駅が新設された。今は小川郷と川前の間に江田駅がある。元は信号所だった。
 
 100周年号はディーゼル機関車2両、旧型客車4両の6両編成だ。チョコレート色の客車には“乗り鉄”、沿線には“撮り鉄”――。
 
 わが家を車で出て小川町に入ったとき、中学生らしい男の子が三脚を持って道を歩いていた。何を撮るんだろう、野鳥かな? 渓谷の手前、磐東線の高崎桟道橋(空中鉄橋)が見えるあたりに、脚立を立ててカメラの位置を確かめている人がいた。カミサンが「お昼ごろ、磐東線100周年の記念列車が通るみたい」というので、了解した。少年も“撮り鉄”だった。
 
 川前駅前ではこの日、「秋の川前まつり」が開かれた。新聞とフェイスブックで知り、川前の商店主からも聞いていたのを思い出す。イベントへ出かける時間的な余裕はなかった。代わりに、100周年号の“にわか撮り鉄”になる。
 
 いわき発郡山行きは午後3時ごろ、牛小川を通過する。近くの線路そばに立っている“撮り鉄”が言っていたので、今度は山側から狙うことにした。踏切を渡ると、山際の家の前に見知った住民と家族がひとかたまりになっている。知人の母の一周忌を終えて帰宅したばかりのようだった。

 磐東線全通100周年号をみんなで歓迎しようということになって、日の丸やミニ鯉のぼりまで用意したのだという。踏切の警報機が鳴って点滅し、列車が現れると、旗を、のぼりを、手を振って応えた=写真。近くの田んぼで稲刈りをしていた知人たちも、しばし手を休めて100周年号を見送った。
 
 渓谷の住民にとって磐東線はなによりも通学の足だった。踏切事故で亡くなった人もいる。昭和10(1935)年10月27日の宵には、集落の近くで12人が死亡し、50人が負傷する脱線・転落事故が起きた。アカヤシオの花が咲く春と、紅葉の秋には列車に乗って行楽客がやって来た。そんなもろもろの思い出や歴史がからまって、日の丸を振ろうとなったのだろう。
 
 写真は下手でも、磐東線全通100周年にふさわしい瞬間に立ち会うことができた――満足して隠居へ戻りかけると、今度は小川から川前方面へと県外ナンバーの車が駆け上がってきた。八王子・水戸・山形・新潟……。これに、県内の福島・郡山、もちろんいわきナンバーも。谷あいの里はこの日二度ばかり、人と車でにぎわった。

2017年5月31日水曜日

30分圏内

 夏井川渓谷は、上流のいわき市川前町から下流の同小川町までおよそ15キロ。その真ん中付近にわが隠居がある。いわき市の中心市街地・平からは距離にしてざっと20キロ、車で30分圏内だ。
 隠居ではプロパンガスを使っている。ボンベの交換は川前の店に頼んでいる。隠居へやって来た店主と茶飲み話になった。
 
 谷間を磐越東線と県道小野四倉線が走る。それからさらに山の奥、鬼ケ城山(887メートル)の中腹に「いわきの里鬼ケ城」がある。鬼ケ城の広大な敷地内にはキャンプ場、コテージ、レストハウス、グラウンド、山里生活体験館などが配置されている。高原の澄んだ空気と景色を堪能できる。そこへなんとか人を呼び込みたいのだが……。
 
 市民の一般的な“心理”はこうではないか、という話をする。同じ川前でもV字谷から鬼ケ城までは山を駆け上がって30分かかる。中心市街地からだと1時間だ。30分圏内ではあれこれ考える前に着くので苦にならないが、1時間となれば出かけるのに“覚悟”がいる。行くとしてもせいぜい半年、あるいは1年にいっぺんくらい――私の経験も踏まえて正直に感想を述べた。

 かつて、川前側の渓谷に直売所「山の食。川前屋」があった。店主はそれにも関係していた。
 
 川前産の野菜や山菜・キノコ、加工食品などを売っていた。春から秋まで週末に開店し、それなりににぎわっていた。隠居からは10分ほどで、よく利用した。季節の野菜のほか、梅干しやみそ漬け、キノコなど「川前の味」を買い求める楽しみがあった。
 
 先日、カミサンが自宅の階段の本を整理していたら、11年前(平成18年)に小学生がつくった「川前屋」の“ガイドブック”が出てきた=写真。表紙を含めて8ページ。川前屋の場所や開店日、スタッフ、扱っている品物、川前の四季などが紹介されている。「川前屋に来てね!」。子どもなりに川前屋を応援する手づくりの冊子だった。

 その川前屋も震災後は客足が遠のき、閉鎖された。今は建物も解体され、晩秋に紅葉のライトアップが行われたことも忘れられつつある。
 
 川前が隣の川内村のように独立した自治体であれば、とよく考える。そこが「中心」だから、あれこれ本気になって生き残り策を考える。ところが、合併して「いわき市」に飲み込まれた結果、「中心」に対する「周縁」、全体のなかの一部、という位置づけに変わった。

 茶飲み話をした日から3日後、小川町と川前町の商工会が合併するというニュースが新聞に載った。川前から申し入れたという。その件に関してはひとことも話していなかったので、驚いた。

「定来人口」の増加をめざしていろんな手を打ってはいるが、なかなか実効が挙がらない。少子・高齢化の時代の波に原発震災が追い打ちをかけた――それが「周縁」の現状なのだろう。

2017年4月8日土曜日

クロッカスと保線車両

 三和から山を越えて川前に出た。谷底にポツンポツンと集落があり、夏井川に沿って道路とJR磐越東線が走っている。川前駅が改築されたのに伴い、いわき市が駅のそばに公衆トイレを設置した。用を足しに寄った。2月末に訪れたときにはまだ建築中だった。 
 ホームの待機線に作業車両が止まっていた。震災前に平地の小川・片石田地内で見たことがある。仙建工業のマルチプルタイタンパー(通称マルタイ=保線作業車)だ。バラスト(バラス)が敷き詰められた線路のゆがみをミリ単位で測り、修正するのだという。いやあ、すごい車両だ。
 
 ホームに出て作業車両の写真を撮り、駅舎へ戻りかけると、紫色の花が目に入った。クロッカスだ=写真。花は小さいのに、マルタイに負けないくらいの存在感がある。駅を愛するだれかが球根を植えたのだろう。
 
 クロッカスの全体の花言葉は「青春の喜び」「切望」、紫色は「愛の後悔」、黄色は「私を信じて」だそうだ。
 
 青春の「喜び」はあっという間に「絶望」や「失意」に替わる。それを見事に表現しているのが、4月5日に亡くなった大岡信さんの「青春」という短い散文詩。作品は「あてどない夢の過剰が、愛から夢をうばった。」で始まり、「あてどない夢の過剰に、ぼくは愛から夢をなくした。」で終わる。
 
 クロッカスの鮮やかな紫色に染まっているうちに、詩人の死のニュースに接した。真っ先に「青春」が思い浮かんだ。「夢の過剰」が青春なのだと、それゆえに愛から夢をなくすのだと、若いころ、教えられた。

2017年3月15日水曜日

開業100年の新駅舎

 JR磐越東線の川前駅は今年(2017年)秋に開業100年の節目を迎える。たまたまか、節目のためかはわからないが、駅舎が建て替えられたというので、夏井川渓谷の隠居へ出かけたついでに足を延ばした。
 鉄道は西洋から入ってきた。それもあって、木造駅舎には和洋折衷型が多い。レトロな外観には鉄道ファンならずとも引かれる。いわき市内の磐東線でいえば、赤井、小川郷駅。川前駅も去年まではそうだった。信号所から駅に昇格した江田駅は、ホームに待合室があるだけだが、これはこれで寂寥感が忘れがたい。

 磐東線は大正3(1904)年以降、郡山といわき側から少しずつ営業区間を伸ばしていった。いわき側は小川郷駅、郡山側は小野新町駅の間、夏井川渓谷の難工事を経て全線が開通するのは同6年10月10日。つまり、いわきの川前駅も小野町の夏井駅も、この日が開業日だ。

 物心づいたころ、祖母に連れられて平の叔母宅、小名浜の叔父宅へ行くのに船引駅から磐東線を利用した。高専に入ってからは、夏休みなどに仲間と客車の一角を占めて帰省した。まだSLだった。渓谷ではトンネルと鉄橋が連続する。トンネルに入るとあわてて窓を閉めた。

 山峡を夏井川が流れる。それに沿って鉄路が伸びる。県道沿いの集落から折れて橋を渡ると、川前駅が見えてくる。新駅舎は和風でモダン、マッチ箱のように“かわい”かった=写真。窓を広くとった待合室には光があふれていた。

 この駅にまつわる記憶はただ一つ、「列車待ち」。磐東線は単線のために、上下の列車をどこかの駅で交換しないといけない。川前駅でそれが行われた。現在も9時10分と16時14分に行われている。ホームで待ち合わせ、上り下り同時に発車する。

 駅前は結構広い。新駅舎の写真を撮りに行った2月26日には、駅のそばで市の「川前駅前公衆トイレ」建設工事が行われていた。その隣には川前駐在所。この空間を使ってなにかイベントができるのではないか、そんな感慨にひたった。巨木のカツラも橋のすぐ上流、夏井川の右岸にそびえている。ゴールデンウイークごろの新緑が美しい。

2017年2月25日土曜日

乗ったら新式電車だった

 きのう(2月24日)の続き――。22日の夕方、電車でいわき駅から二駅先の湯本へ出かけた。帰りも電車を利用した。いわきは広い。ハンドルを握って帰って来る覚悟があれば車で行く。が、ノンアルではどうも、という人間なので、前からの習慣で電車にした。
 常磐線の広野発水戸行きだった。電車が到着する。高校生たちにまぎれて乗り込む。あとからやって来た高校生が、乗ってはドアのそばのボタンを押す。ドアが閉まる。別の高校生が外のボタンを押してドアを開ける。閉める。乗り込んでもボタンを押さずに開け放したままの大人がいた。私もそうだった。暖房の効率を上げるために停車中は開けっ放しにしない、ということなのだろう。

 震災後、何度か「スーパーひたち」を利用した。品川まで延伸されたり、座席指定の有無がランプに表示されたりと、常磐線の特急は“進化”していた。普通列車にも新式が導入されていた。
 
 それだけではない。湯本駅も内郷駅もおおよそ2年前にリニューアルされた。内郷駅は去年(2016年)の暮れに、やはり飲み会のために降り立ってリニューアルを実感した。湯本駅も、リニューアル後、初めて利用した。
 
 湯本からの帰り、電車が来るまで時間があったので、駅舎のなかをじっくり見た。「大人の休日倶楽部」のリーフレットが置いてあった=写真。下りホームの足湯は、新しくできた駅舎2階の「湯本美食ホテル」からインターフォンで飲み物を注文できるという。
 
 きのうのいわき民報に、常磐線水戸~いわき駅間開業120年の企画広告が載っていた。同区間は明治30(1897)年のきょう、2月25日に開通した。
 
 磐越東線は100年前の大正6(1917)年10月10日、小野新町―小川郷駅間に夏井、川前駅が新設されて全通した。川前駅も駅舎がリニューアルされたそうだ。あしたは夏井川渓谷の隠居へ行くので、川前まで足を延ばして駅の写真を撮るか。

2016年11月7日月曜日

曲がりネギ

 夏は、いいネギに出合ったことがない。ネギは冬に限る。加熱すると甘くてやわらかい。しかし、冬ネギがすべて甘くてやわらかいかというと、そうでもない。
 私は白根も葉もやわらかいのを好む。見た目はテカってきれいだが、かたくて甘みも弱い、そんな品種は避ける。で、ネギだけは産地を選び、自分でも栽培するようになった。

 きのう(11月6日)、福島県田村地方の「曲がりネギ」を久しぶりに手に入れた。夏井川渓谷のJR磐越東線江田駅近く、県道小野四倉線沿いに小野町のNさんが紅葉のシーズン、露地の直売所を設ける。曲がりネギと長芋を売る。今シーズン初めて店を開いた。

 朝9時、わが家のある平・神谷で「市民歩こう会」の出発式が開かれた。午後1時、小川の草野心平記念文学館で吉野せい賞表彰式が行われた。合間の10時ごろ、渓谷の隠居へカミサンを送り届けた。

 きょうは直売所を開くはず――期待して渓谷に入ったら、Nさんのお母さんと奥さんがパイプ小屋にブルーシートをかけていた。

いつだったか、Nさん夫妻がパイプで四角い小屋の骨組みをつくっていた。で、開店は時間の問題とみていたが、10月後半になってもパイプのままだった。準備だけは早めにして、店はカエデが色づき始める11月になってから、ということだったのだろう。

 開店前だったが、無理を言ってネギを4キロ(40本ほど)、長芋を4本買った。ネギは前日に掘り起こしたばかりだという。「一度干した方がいい」というので、隠居の庭に並べた=写真。水分を飛ばすことで甘みが凝縮されるのか。自宅の庭に穴を掘って土をかぶせておき、必要な分だけ取って使う。かなり持つ。

 Nさんのネギも郡山市のブランド野菜「阿久津曲がりネギ」と変わらない。何年か前、「阿久津からネギ苗を買ってくる」といっていた、まずはジャガイモと曲がりネギの味噌汁だ。この「ジャガネギ」でネギのうまさ・香りの濃淡がわかる。「阿久津曲がりネギ」は師走に入ってから、郡山市に本社のあるスーパーに並ぶ。これもとろけるくらいに甘い。

味蕾が、生まれ育った中通りのネギの味を記憶している。それで、冬はこういう買い方になる。

2016年11月6日日曜日

列車徐行

 夏井川渓谷の紅葉が見ごろを迎えたことだろう。カエデは「色づき始め」だが、それ以外は黄~赤のバリエーションを楽しめるはずだ。渓谷を縫って走るJR磐越東線の列車=写真=も、きょう(11月6日)まで江田―川前間で徐行運転をしている。きょうは日曜日。天気もいいし(風が出てきた)、すぐにも飛んでいきたいところだが……。
 8時過ぎには神谷(かべや)公民館へ出かける。「神谷市民歩こう会」の受付が始まる。青少年育成市民会議神谷支部の主催だ。9時の出発に合わせてあいさつをしないといけない。終わると、いわき市立草野心平記念文学館へ。午後1時から吉野せい賞表彰式が行われる。5人の選考委員を代表して結果を報告する。正午には受賞者との会食がある。表彰式の前後にはカミサンを渓谷の隠居へ送り迎えする。

 年度の後半に入った10月は、週末に行事が続いた。いわき地域学會の行事もあるが、神社の例大祭出席、公民館まつりの手伝い、シンポジウム参加と、ほぼ休みなしだった。きょうの行事を終えれば、ひとまず自分の時間が多くなる。雑誌「うえいぶ」の編集が始まるものの、在宅ワークだから自分で時間を調整できる。
 
 と思っていたら、いわきの南部・勿来から「震災記録誌をつくるので校正を」という連絡が入った。震災直後、いわき市内で真っ先に市民レベルの災害ボランティアセンターが開設された。少しだけかかわった。多少の土地勘もある。断ったら悔いが残るので引き受けた。
 
 現役のころは「忙しい人に原稿を頼め」でやってきた。忙しい人は時間の調整がうまい。締め切り前には原稿が届く。今はそのお返しをしているようなものだ。きょうも夜には地域学會の市民講座案内の印刷がある。飛び跳ねているうちが花、かもしれない。

2015年3月19日木曜日

駅開業100周年

 土曜日の3月21日は春分の日。カミサンの実家の墓参りは翌22日の日曜日にするとして、日帰りで阿武隈高地の実家へ行って来ようかと思っている。兄が床屋を継いでいるので、まずは散髪に。
 2月末、常磐道が全通したのに伴い、常磐富岡インターチェンジと田村市を結ぶ県道いわき浪江線(通称・山麓線)~国道288号のルートが復活した。3・11前は実家の行き帰りによく利用した。常磐道経由で沿線の様子を確かめたくなったのがひとつ。

 もうひとつ。同じ日、いわきの山の向こうのJR船引駅、小野新町駅などで「磐越東線開通100周年記念入場券」が発売される。郡山から小野新町まで10駅の入場券がそろって、1セット1400円だという。船引か小野新町か、どちらかの駅で記念入場券を買う気になっている。

 乗り鉄でも、撮り鉄でもない。が、磐東線だけは自分の体とつながっている感覚がある。マイカーで行き来する前は、この磐東線の汽車が唯一の足だった。

 4歳か5歳のころの、磐東線にまつわる最初の記憶――。祖母に連れられて、汽車で平のおばの家を訪ねた。磐東線は今も単線だ。小野新町駅で平からやって来る汽車を待っていたのだろう。あまり待ち時間が長いので、ふらっとホームに出たら地下通路の階段が見えた。そのままトントンと下りて、駅の改札口の方へ上りかけたとき、連れ戻された。

 地下通路の不思議な感じと、だれかに呼び止められて振り返った光景が頭に刷り込まれている。

 ローカル線がよくテレビや雑誌に登場する。ところが、磐東線はだいたい無視される。今は週末、街に用事がなければ夏井川渓谷の隠居で過ごす。そばを県道と並行して磐東線が走っている。通過するディーゼルカー=写真=で時間を知る。ますます自分の体の一部になっている。いとおしい。

 そういえば、いわき側の小川郷駅と赤井駅も7月に開業100周年を迎える。小川でもそれを記念して、列車を利用するイベントを計画しているようだ。
 
 小野新町駅~小川郷駅間29.8キロは、2年遅れの大正6年10月に開通した。この区間はトンネルと鉄橋で渓谷を縫うように走る。勾配もある。難工事の末にやっと磐東線が全通した。
 
 いわきから田村市の実家へと、車で反時計回りに一周するように巡る。国道288号を中心に、再開通区間では写真も撮って――あ、いや、国道6号同様、放射線量の関係で駐停車はできないのかな。