カミサンの友達が持って来た本だという。乙川優三郎『クニオ・バンプルーセン』(新潮社、2023年)=写真。臙脂(えんじ)一色の表紙カバーに、黒人系の男性の横顔写真とタイトルを配している。
表紙カバーとしては単純だが、その色が妖(あや)しさと不安をかもし出す。わかりにくいタイトルと相まって、「なんだろう」という思いになる。
そのタイトルだが、読み始めてすぐ人名だと知る。主人公はクニオ。クニオの父親はジョン・バンプルーセン、母親は真知子。
ジョンは米兵だった。クニオは、ベトナム戦争が終わるころ、両親と横田基地の家族住宅で暮らし、基地内の学校へ通っていた。
父親は「ニッケル」と呼ばれた複座式戦闘機のパイロットだった。相棒は参戦国のフィリピン人。
ニッケルは5セント硬貨からきている。転じて「つまらないもの」「安い命」を意味するという。
「任務はアメリカ軍を自在にするために北側(てき)の地対空ミサイルの囮(おとり)になることで、ひとつ間違えば撃墜される運命にあった」
戦争が終わったあと、一家はグァムの基地に移る。それからだいぶたって、父親は悪夢にうなされるようになる。
クニオは小さいころから読書が好きだった。英語だけでなく、日本語の読み書きもできた。次第に、日本文学の繊細さに引かれていった。
「いずれ小説家になるか、それが無理なら評論家になりたい」。日本の大学への編入学を決めたことを父親に話したあと、一家は街へ繰り出し、すし屋で食事をする。その夜遅く、父親は拳銃で自殺をする。
クニオは大学を出ると、小出版社の編集者になった。小説なのに、文学の編集者が主人公という、意想外な視点で物語が進行する。
ベテラン作家に会って教えられる。無名の新人を発掘し、一緒に作品をつくり上げる。ほかにも、出版業界の裏話や編集者の生態がつづられる。
日本文学の名作を英訳作品と比較する場面があった。「ジ・イズ・ダンサー」は最初、なんのことかわからなかった。
原題は「伊豆の踊子」。盆踊りがハワイに移入されて「ボン・ダンス」と呼ばれるのと同じだが、「ジ・イズ・ダンサー」では、クニオ同様、ぴんとこなかった。
さて、編集者としてのキャリアを積み上げながらも、クニオは父親の人生が頭から離れない。
やがてクニオに末期がんの診断が下る。そのころには、同じ混血のアニー(翻訳家)と一緒に暮らしていた。
クニオは人生の最後に、アニーと共に、ジョンを主人公にした小説を書くことを決意する。
執筆に選んだ場所は、千葉の鴨川。敬愛する老作家が住んでいた家で、そこで最後の日々を過ごす。
命の灯(ひ)が消えようとする、その瞬間の描写とともに物語は終わる。最後の最後まで編集者でいるのか、という驚きが残った。
※おことわり=年度末の行事が続くため、ブログをしばらく休みます。
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