2014年7月4日金曜日

ナヤンデルタール人

 雨上がりの草木を見るのが好きだ。葉がつやつやしている。小さな葉先に小さな水滴ができている=写真。3・11前なら水滴を「甘露」にたとえただろう。が、今はそんな比喩は使えない。

 本物の「甘露」を飲みに、久しぶりに田町(いわき市平の飲み屋街)へ繰り出した。同じ場所で、同じ時間帯に別々の集まりがあり、酒友が示しあわせて2次会に合流した。
 
 60代が2人、50代が2人。スナックのカウンターの端と端に陣取り、世代ごとに相対するようなかたちで言葉を交わした。オヤジギャグがときどき出た。
 
 そのひとつが「ナヤンデルタール人」だった。「ネアンデルタール人」にひっかけたオヤジギャグだが、1人はわかってくれたようだ。少し黙考したあと、「クローマニョン人」と返ってきた。「いい、いい。すごくいい」。忘れないようにすぐメモした。
 
「ネアンデルタール人とクロマニョン人」に、「悩んでいる人間と苦労している人間」が重なる。人は、表向きは「アハハ、オホホ」とやっていても、内面にはそれぞれ屈託を抱えている。その“真実”の一端をつく対のオヤジギャグが完成した。
 
 池波正太郎の『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』を読めばわかることだが、人間は矛盾を生きている。きょうの矛盾をしのいだとしても、あしたはまたあしたの矛盾が押し寄せる。「ナヤンデルタール人」と「クローマニョン人」に変わりはないのだ。われながらいいギャグができたと思うのだが、どうでしょう。

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