2014年7月6日日曜日

無事であること

 一日一日が無事であることのありがたさ、大切さ――。それを、とりわけ3・11後は実感している。「地域の御用聞き」(行政区長)をおおせつかったことも大きい。

 ほとんどはささやかなことだ。側溝のふたが壊れた。道路にへこみができた。木の枝が歩道を覆っていて歩きづらい、見通しが悪い。草刈り程度のことは自分たちでもやれるが、側溝のふたの更新などは行政につなぐ。あとは緊急度による順番待ち、ということになる。
 
 6月に春のいわきのまちをきれいにする市民総ぐるみ運動が行われた。そのとき、住民から複数の要望を受け、うち1件については市役所に改善方を申し入れた。
 
 住宅に囲まれた狭い道路と庭木の土留めブロックの間に、かすかなすき間ができた。すき間が広がって陥没しないとも限らない。市に連絡すると、道路パトカーがやってきた。その時点ではまだ緊急性が薄いと判断したのか、様子を見ることにしたらしい。
 
 ところが、日を追ってすき間が拡大し、道路もへこんできた。再度連絡を受けて見に行くと、大人の足がすっぽり入るくらいに陥没している。昼はともかく、夜は歩行者が足をとられてけがをしかねない。市に電話したら、すぐ道路パトカーを回してくれた。アスファルトを盛って凹みを修繕した=写真。
 
 別の日には、またちがった情報が飛び込んできた。公園と集会所の間に張られたネットがずり落ちている――。
 
 子どもたちが公園でキャッチボールをしているうちに、ボールがそれて集会所のガラス戸を割るときがある。それを防ぐためにごみネットを張った。ごみネットは区が用意し、子どもを守る会が管理をする、ということにした。
 
 連絡のあった翌日、ネットの様子を見たうえで守る会の役員さんに事情を説明した。夕方にはネットが元通りになった。
 
 地域の問題の芽を小さいうちに摘むには、こうした住民間の連絡・相談が欠かせない。その積み重ねのなかで地域の無事が維持されている。ささやかだが、大事なことだ――と、これは悩ましい問題も抱えているからこその自戒。

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