2014年3月15日土曜日

いやな感じ

 高見順の小説のタイトルではないが、なんとなく「いやな感じ」になることが増えてきた。ヘイトスピーチ、原発避難者へのいやがらせ、『アンネの日記』の引き裂き、そして浦和レッズの「ジャパニーズ・オンリー」。

 なぜそんなことを? 表層的なメディアの報道ではそこがよくわからない。で、事件の背景・中身について論じたコラムニストや識者のブログ、ツイッター、フェイスブックを介して考えをめぐらせることが多くなった。ネットの利点はいながらにして情報を取ったり、情報が届いたりすることだろう。
 
 空気は78%が窒素、21%が酸素で、残りが二酸化炭素や水素など多数の微量成分で構成されている。まるでこのなかに「排除」という成分も含まれていて、それが「いやな感じ」を呼び起こしているかのようだ。
 
 自分の「安全・安心」をおびやかすものを「排除」する。排除すれば悩んだり、考えたりしないですむ。この個人の感情が集団のそれになり、集団の感情が個人のそれに影響する、ということはないのか。ホームとアウエーの関係ではないが、最近経験した生活の場でのあるやりとりから、「排除の空気」というものを考えてしまった。

 私が所属するいわき地域学會はざっと30年前に発足した。「変貌するいわきの姿を総合的に調査、研究し、可能な限り正確なデータを次代に伝える」のが目的だ。当時30~40代の若手研究者が磁石に吸いよせられるように集まった。専門という“たこつぼ”からの脱出、排他から学際へ、でもあろうか。「いわき地域学會図書」=写真=の刊行を柱のひとつにしている。その「宣言」にこうある。

「われわれがなすべきことの一つは、地域文化の仕組みを解き明かし、現在の地域社会の理解と未来考察に有効な情報を供することだと信じる。……われわれは、われわれが現に生活している『いわき』という郷土を愛する。しかし偏愛のあまり眼を曇らせてはいけないとも考える。それは科学を放棄した地域ナショナリズムにほかならないからである」。

 最近の一連の「いやな感じ」はこの偏愛と同じ根からきているのではないか、と私には思える。人間に対しては考え深く、自然に対しては慎み深く――昨年来、ときどきそう自分に言い聞かせるようになった。

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