2014年3月26日水曜日

第4回いわき昔野菜フェスティバル

 5時間の長丁場だった。3月25日午前10時すぎ、中央台公民館に入る。出たのは午後3時すぎ。いわき昔野菜フェスティバルに今年も参加した。4回目だ。

 午前中は、山形県鶴岡市のシェフ奥田政行さんが「在来作物に出会ったシェフの物語」と題して講演した=写真。昼に「いわき昔野菜弁当」を食べたあと、午後1時から「種が伝えた食文化……つなげよういわき昔野菜」をテーマに、パネルディスカッションが開かれた。

 コーディネーターは山形大准教授の江頭宏昌さん。パネリストは地元いわきの生産者、シェフなど7人で、かつていわき地域学會が市の委託を受けていわきの伝統郷土食を調査した縁で、7人の一人に加わった。まずは、パネリストとして私が話したことを中心に書く。

 地域学會が「伝統郷土食」を調査し、報告書をまとめたのは平成7(1995)年3月。調査リーダーは故佐藤孝徳氏、私は編集・校正を担当した。同じ年、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が起きる。そして、その年の5月、私は夏井川渓谷にある義父の隠居の管理人になり、翌年、家庭菜園を始めた。

 渓谷で栽培されている昔野菜の「三春ネギ」に、ふるさと・阿武隈の味の記憶を呼び覚まされた。渓谷の農家から種と苗をもらって栽培を始め、三春ネギのルーツを調べた。自家採種~保存~播種(秋まき)~定植~収穫の2年サイクルを守ってきたが、昨年(2013年)秋、敷地の全面除染のために土を入れ替え、菜園がいったん更地になった。

 故佐藤氏によると、いわきの食文化の一大特徴は、浜の料理が多彩で豪華なこと。農山村はどうかといえば、よごし類・てんぷらなど全国共通のものが多い。その浜の料理も、わずか数キロ内陸に入っただけで無縁のものになる。山も事情は同じ。いわきの食文化をひとくくりにはできない。
 
 いわきはハマ・マチ・ヤマの3層に区分される。そして、北から夏井川(大久川流域を含む)・藤原川・鮫川(蛭田川流域を含む)の3流域圏の連合体とみることができる。それぞれの下流部に平・小名浜・勿来という人口集中地域が形成された。いわきは3極3層のまち。そう分けることで、食文化の違いと共通性もみえてくる。

 ハマの食文化は千葉・茨城県のそれと共通する。黒潮という海の道でつながっている。ヤマの食文化も地続きの他町村のそれと共通する。山の道だ。

「三春ネギ」の場合は、恐らく郡山市阿久津町の「阿久津曲がりネギ」と関係がある。越中富山の薬売りが明治30(1897)年ごろ、ある農家に「加賀ネギ群」の種を持ち込んだ。それが始まり。やがて、このネギの苗あるいは種が東の町村(田村地方)へ伝わり、さらに小野町経由で夏井川下流の川前町、夏井川渓谷の小川町・牛小川まで届いたと想定できる。
  
 一方、いわき一本太ネギは千住系。常磐線が開通した明治30年以後、「東京ネギ」が導入された。それが改良されて今に残るいわき一本太ネギ(千住一本ネギ)になった。
 
 種があればなんとかなる、種があれば頑張れる、種があればなんでもできる。ついでに語呂合わせながら、風土がfood(フード)をつくる、なんてことも話した。

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