2014年4月4日金曜日

山砂の庭のスイセン

 夏井川渓谷にある、わが隠居(無量庵)の敷地が全面除染の対象になり、昨2013年12月、庭の表土が5センチほどはぎとられ、山砂が投入された。それで、猫の額ほどの菜園がいったん“更地”になった。菜園と天然芝の庭の境目に並べた角材と、それに沿って植えられたスイセンの鱗茎も消えた。むろん、天然芝も。

「目を喜ばせる草」(園芸)はカミサン、「舌を喜ばせる草」(畑作)は私――いつの間にか、そんな役割分担ができた。どちらにしても、新規蒔き直しだ、ゼロからの再出発だ、と思っていたら……。ゼロではなかった。

 おととい(4月2日)、様子を見に行くとL字型にざっと50株、“更地”からスイセンの葉が伸びていた=写真。除染の際にあらかたかきとられたが、5センチより深く眠っていた鱗茎があったのだ。うち一つはつぼみがふくらみ、黄色い花が開きそうになっていた。

 たまたま前日(4月1日)に、いわき民報の「美術批評2014」で読んだ佐々木吉晴いわき市立美術館長の文章を思い出した。彼の自宅の庭も同じように除染が行われ、長年手入れをしてきた草花が取り除かれた。

 やむをえない、今年の春は新たに苗を買って植えつけよう――。館長氏の頭の中に新しい花壇の設計図ができあがったころ、なじみの草花の新芽が山砂の表層を突き破り、緑も鮮やかにでてきた、という。けなげな植物の生命力だ。

「佐々木さんの庭と同じだね」。カミサンが校庭のような庭から芽生えた緑を見て言う。それはそうだ。原発事故のせいで放射能が細部に降りそそいだ。かわいそうに、庭の野草も、微生物もすみかを奪われた。怒りと喪失感を、山砂を突き破って出てきたスイセンの葉が、いっとき癒してくれた。

 館長氏は新芽の感動を哲学的な自己反省にまで深める。「復興再生には、まずそこにあったものや生きてきたものを最優先で尊重する態度こそが必要だった」と。

 館長氏にならって、深層的な想像力をはたらかせてみる。すると、やがてヤマノイモが芽を出し、どこからか種が飛んできて、ニワゼキショウが芽生えるかもしれない。菌類のツチグリも、ホコリタケも庭のどこかに眠っているかもしれない。厄介者のクズも、チンアナゴのように山砂からつるを出している。しかし、クズもまた新しい庭づくりの協力者だ。

 山砂の庭のスイセンはもう、最初の花が開いたことだろう。

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