これはもうドロボウというほかない。今年は徹底的に荒らしてくれたものだ。タラボ、つまりタラの芽。摘まれ、折られ=写真、切られて全滅した。
夏井川渓谷の隠居(無量庵)の庭の隅に、地元の人からタラノキの苗木10本をもらって植えた。2009年のことだ。長さ30センチほどの“鉛筆”が、満5年たった今は高さ約4メートルに生長した。幹も“擂り粉木棒”くらいの太さになった。いくら背伸びをしても、先端のタラの芽には手が届かない。
わきの地面から若木がいくつか生えてきた。それにもタラの芽がついている。毎年この時期、5~6個は摘む。つつましい? いや、採られてそれくらいしか残っていないのだ。
きのう(4月28日)は、溪谷へ花を見に来たふるさとの人間とのうれしい出会いにふれたが、きょうはその逆、無量庵の庭の植物たちを荒らす人間のことを書く。
タラノキの苗木を植えて3年目、原発震災から1カ月余の4月下旬、タラの芽がきれいにカットされてなくなっていた。放射線量はかなり高かったことだろう。それがタラの芽受難の始まりだった。ほかに、玄関わきの樹下に葉ワサビを植えたら、1年後には掘られてなくなった。風呂場の前の花壇に植えたジンチョウゲの苗木も消えた。
犯人は? 若い世代ではない。タラボがそこにあるというだけで、他人の庭であることを忘れてしまう神経の持ち主のうえに、鎌で幹をばっさり斜めに切り倒し、幹を折れば折ったでそのまま放置する容赦のなさからして、“山菜プシコーゼ(病)”の中年男にちがいない。
四本足で歩行する生きものに荒らされたとしたら、生きものの領域に人間が間借りしているのだからと、あきらめがつく。が、二足歩行の生きものが犯人となると、そうはいかない。善悪のブレーキが壊れて欲望に走る度し難さ。ヒトはある意味でイノシシより始末におえない。
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