2025年11月1日土曜日

地中の林檎

                                           
 フランスではジャガイモ(馬鈴薯)のことを「ポム・ドゥ・テール(地中の林檎)」というそうだ。

 それぞれの月をテーマに文学作品(小説・童話・詩・エッセーなど)を集めた「12カ月の本」シリーズの1冊、『10月の本』(国書刊行会、2025年)=写真=に出てくる。

 具体的には石川三四郎(1876~1956年)のエッセー「馬鈴薯からトマト迄(まで)」で、末尾のカッコ書きから、「我等」という雑誌の1923年5月号に発表されたものらしい。

 石川三四郎は、名前は聞いたことがあるが、作品は読んだことがない。私にとっては昔の人、歴史上の人物である。

『10月の本』の著者略歴によれば、三四郎は思想家・翻訳家で、幸徳秋水や大杉栄と並ぶ日本のアナキズム運動の先駆者だそうだ。

 大逆事件後に渡欧し、帰国後はアナキズム思想の啓蒙に努め、世田谷で半農生活を営んだ。

 半農生活の原点はヨーロッパでの「百姓体験」だった。知り合った人物の家の留守番をしながら、空いている畑で野菜を栽培した。

 現地の人に教わりながら、種をまき、育て、収穫した。そのときに初めて栽培したジャガイモについての「発見」がエッセーのテーマになっている。

 三四郎は最初、ジャガイモもナスやキュウリのように地上に生(な)るものだと思っていた。

 ところが、秋になって花も落ち、葉も枯れ、茎も腐ってしまった。これは失敗した。そう思っていたが、家主の夫人がパリからやって来て畑を見回り、三四郎に告げる。

「石川様(モシュ・イシカワ)、馬鈴薯(ポム・ド・テエル)を取入れなくては、イケませんよ」

三四郎は腹を立てながら答える。「オオ、ポム・ド・テエル! 皆無です! 皆無です!」

すると、夫人がさとすように言う。「掘ってみたのですか」。連れのお手伝いがうねの土を掻くと、立派な馬鈴薯が現れた。

三四郎はびっくりする。馬鈴薯が土の中でできることを知らなかったと告白すると、夫人もお手伝いも大笑いした。そして夫人が言う。

「地の中に出来るからこそ、ポム・ド・テエル(地中の林檎)と言うのじゃありませんか」

もうひとつ、別の土地での経験。馬鈴薯の花にトマトのような実がなった。寄宿していた屋敷のマダムに告げると、こう言われる。

「馬鈴薯もトマトも本来同じファミリイに属する植物で、根元に出来る実が、茎上の花の跡に成るとそれはトマトと同形同色の実になる」。それはもしかしたら近所のトマトの花粉を受胎したからではないか、とも。

さて、石川三四郎はヨーロッパでの百姓体験を基に、「デモクラシー」を「土民生活」と訳すようになった。社会主義思想家エドワード・カーペンタ―の本も訳している。

カーペンターと言えば、作家吉野せいの夫、吉野義也が心酔した人物である。そのへんの時代の思潮を、つながりをいずれ探ってみたい。