2025年10月4日土曜日

鈴木百世展

                                                 
 日曜日(9月28日)にいわき駅前の総合図書館へ行くと、入り口の透明な壁面に「鈴木百世(ももよ)展」のポスターが張ってあった=写真(図書館のホームページから)。

 おっ、やるんだ! 昭和前期の「図案家鈴木百世」の名を知ったのは去年(2024年)の5月。いわき民報に、遺族(孫)が祖父の遺品をいわき市に寄贈した、という記事が載った。

 鈴木百世の作品の一つである鳥瞰(ちょうかん)図を、『いわき市史』や総合図書館の常設展などを通して見ていたので、作品と作者が初めて結びついた。

新聞記事に触発されて興味がわき、その人となりを早く知りたい、といった内容のブログを去年の5月14日に書いた。それを要約・再掲する。

――いわき民報によると、昭和17(1942)年、42歳の若さで亡くなった図案家がいわきにいた。

 図案家は、今風にいえば、商業美術を手がけるグラフィックデザイナーだ。 「常磐炭田鳥観図」や平七夕祭りのポスター、地酒のパッケージなどをつくり、その原画がほぼ当時のままの状態で残っていた。

鈴木百世は平で生まれ、豊島師範学校(現東京学芸大)で美術を学び、東京の小学校で教鞭をとった。

 体調を崩して帰郷し、昭和10(1935)年、商業広告などを手がける「図案社」を設立した。同15年には再び教壇に立ち、2年後に倒れて、暮れには亡くなったという。

手がけた作品はかなりの数に上る。それを遺族(妻と長男)が大切に保管してきた。その長男の娘が、父と祖母の死後、実家の片付けをしているうちに、祖父の遺作を見つけた。

「常磐炭田鳥観図」は、たとえば『いわき市史別巻 常磐炭田史』(1989年)の口絵に、二つに分割・拡大されて掲載されている。

総合図書館で、平成29(2017)年12月から年度をまたいで常設展「鳥観図と地図に見る『平市』――平市誕生80周年・いわき市誕生前夜譚」が開かれた。その鳥観図「平市と附近景勝案内」(1937年)は、原作者が鈴木百世だった。

鈴木百世は、『いわき市史第6巻 文化』などでも触れられていない、という意味では「忘れられた図案家」だ。

素焼きの人形に着色した「じゃんがら人形」の売り出しにも力を入れたそうだが、これが成功していれば、今も郷土の工芸品としていわきのお土産の一つになっていたのではないだろうか――。

ブログの終わりに「『図案家鈴木百世の仕事と思想』を紹介する企画展を、ぜひ早く」と書いた。

その常設展が10月28日に総合図書館の地域資料展示コーナーで始まる(年度をまたいだ令和8年5月24日まで)。

ブログの記事を覚えていたのか、前に別の件で情報を寄せてくれた人から、開催を知らせるコメントが入った。ありがたいことだ。

常設展では鈴木百世の作品と、彼が生きた時代を紹介する。これほどワクワクしながら開催を待つ展示会は初めてかもしれない。

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