2014年5月20日火曜日

漫画「いちえふ」

「竜田一人」はもちろんペンネームだ。「たつたかずと」とルビがふってある。「たったひとり」とも読める。楢葉町のJR常磐線竜田駅がペンネームの由来だとか。2014年4月下旬に発売された漫画『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1)』(講談社)の作者のことだ。

 漫画は、いわきの宿舎から「いちえふ」の事故収束作業に通う作業員の日々をつづる。現実に「いちえふ」へ通っているいわきの人間に聞くと、「漫画は正確、周りの人間はみんな買って持っている」という。

 今、「いちえふ」ではどんな作業が行われているのか、作業に携わっている人間の心情は?――「手負いの原発」がいつまた暴走を始めるかわからない、と危惧しているいわきの人間には、とにかくそのへんが大きな関心事だ。暮らしの場ではいちいち原発の話をしなくなったが、それは風化ではなくて、問題が胸底に根を張るほど深化したからだ。

 収束作業の実態がマスメディアからは見えてこないだけに、ハッピー著『福島第一原発収束作業日記 3.11からの700日』(河出書房新社)が出れば読む。今度も、東京へ行ったついでに東京駅構内の本屋で、たまたま店頭に平積みされていた『いちえふ』を見て買った。
 
 本筋ではないかもしれないが、いわきの国道6号を北上し、波立海岸で作業員が朝日を迎え、感動するシーンに感動した。
 
 未明に出発する。「クソ狭い車におっさん5人では夜明けのドライブなんてロマンチックなものには程遠いが……」「それでも途中で見事な日の出を拝めたりもするので、いやーありがたい」「今日一日の安全を祈願する」=写真。
 
 朝4時半。波立海岸の弁天島を射抜くように、水平線から朝日が立ちのぼってきた。「おおー 今日も見事たいねー」と一人が言葉を発する。同海岸は初日の出の人気スポットだが、それと知らずとも神々しい瞬間に遭遇すれば、自然と手を合わせたくなるのだろう。
 
 作業員諸氏が過酷な作業現場へ向かう途中、海の日の出に癒されていることに救われると同時に、霜山徳爾(とくじ)訳のV・E・フランクル『夜と霧』(みすず書房、2000年新装判)に出てくる夕焼けのシーンを思い出した。絶望の中にも自然は人間に希望の光をもたらす。
 
 ナチスドイツによって強制収容所に入れられたユダヤ人が、労働に疲れてバラックの土間に横たわっていると、仲間の一人がみんなを外へ呼び出した。

「われわれはそれから外で、西方の暗く燃え上がる雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から真紅の色までのこの世ならぬ色彩とをもった様々な変化をする雲を見た。(中略)感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に『世界ってどうしてこんなに綺麗なんだろう』と尋ねる声が聞こえた」

「いちえふ」は今や、世界で最も過酷な労働現場のひとつにちがいない。われわれ市民の命運はその作業員たちのウデと士気にかかっている。漫画はその現実をありのままに伝える。いわきの方言も正確だ。

 過酷な現場の内実を伝える共同通信の連載「全電源喪失の記憶 証言福島第一原発」の<第3章制御不能>がきのう(5月19日)、福島民報で始まった(福島民友新聞も、だろう)。なにかの読み物に似ているなと思っていたが、共同版「プロメテウスの罠」だった。

 その「プロメテウスの罠」の朝日新聞はきょう、政府事故調の「吉田調書」を入手したと大々的に報じている。「原発撤退は所長命令違反/所員の9割 福島第二へ/震災4日目の福島第一」という見出しが躍る。マスメディアの底力を感じさせる仕事ではある。

 それらマスメディアの仕事、フリージャーナリストの仕事に合わせ、内部からの漫画「いちえふ」などを加えて、福島第一原発の「そのとき」と「今」をできるだけ頭の中に“3D”化しておきたい――また避難?などという事態が起きないことを祈りつつ、しかし最悪に備えて。

0 件のコメント: