2014年9月20日土曜日

「平七夕まつり考」余話

 ゆうべ(9月19日)のいわき民報には驚いた。中面の1ページを使い、上半分で平七夕の歴史に関するいわき地域学會・小宅幸一さんの論考を、下半分で同紙の年代別の七夕記事を紹介していた=写真。

 小宅さんは今春、地域学會の会報「潮流」第41報に「平七夕まつり考」を発表した。大正・昭和期の地域新聞をチェックし、平七夕まつりの起源を、大正年間ではなく昭和初期としぼりこんだ。その論考を基に7月19日、同学會の市民講座で話した。

 市民講座の内容を当ブログで紹介した。ついでに、平七夕まつりの起源を大正8年とするメディアの記事が、聞き書き、あるいは過去記事を踏襲したものに終わっている現状を踏まえ、<「~といわれる」「~とされている」ことを鵜のみにすることなく調べてみると、違った姿が見えてくる>と書いた。それが、8月5日。ポイントを再掲すると――。
 
 七夕といえば仙台。その仙台に本店のある七十七銀行が大正8(1919)年、平支店を開設する。そのころ、仙台の七夕は風前の灯だった。それが、昭和2(1027)年に復活する。その流れを受けて、同5年、七十七銀行平支店が店頭に七夕の飾り付けをする。
 
 これに刺激されて地元商店の動きが活発になる。昭和7年・平三町目の商店有志が中心となって七夕飾りを実施。同9年・本町通り舗装により盆行事の「松焚き」が中止になる。同10年・平商店街全体で七夕まつりを実施――となって、「松焚き」に代わる集客イベント「七夕まつり」がスタートした。

 8月22日にも当ブログで平七夕のことを取り上げた。以下はその骨子。いわき市立図書館のホームページをのぞいて、電子化された地域新聞から次のような記事を見つけた。昭和10(1935)年8月6日付磐城時報=「平町新興名物『七夕飾り』は今年第二回のことゝて各商店とも秘策を練って……」。

 ホームページをのぞいたのは、お盆の一日、『いわき市と七十七銀行――平支店開設70周年に当たって』(七十七銀行調査部、平成元年発行)を再読したことが大きい。
 
 70年記念誌に掲載された写真のうち2枚が平七夕関連で、1枚には「七十七銀行平支店の七夕飾り(昭和5年)」、もう1枚には「昭和12年の平七夕、仙台市から昭和5年に移入した」というキャプションが付されていた。平七夕を調べるうえでは、七十七銀行の“資料”が優先されるのは言うまでもない。
 
 つまり、平七夕まつりは昭和5年以降に起源を求めるのが妥当だということだ。七十七銀行平支店の開業年=大正8年と平七夕まつりの起源がいつの間にかごっちゃになって、メディアも何の疑いも持たずに「大正8年」説を流してきた。
 
 電子化された地域新聞を2~3時間調べれば、記事の間違いに気づくだろう――少し苦言めいたことを書いたら、若い記者が反応した。電話がかかってきたので、小宅さんから話を聴くように勧めた。その結果がきのうの記事になった、というわけだ。
 
 地域学會の初代代表幹事・故里見庫男さんの言葉に「事業はまじめに、記録は正確に」がある。地域学會の図書も次のような思いをこめて刊行している。「われわれは、われわれが現に生活している『いわき』という郷土を愛する。しかし偏愛のあまり眼を曇らせてはいけないとも考える。それは科学的態度を放棄した地域ナショナリズムにほかならないからである」
 
 その精神が根づいているからこその「平七夕まつり考」であり、逃げも隠れもできない地元紙の記者だからこその反応だった。

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