漫画家やなせたかしと妻の暢(のぶ)をモデルにした朝ドラ「あんぱん」は、梯久美子の評伝『やなせたかしの生涯』(文春文庫、2025年)を読んだこともあって、つい実人生を重ねながら見てしまう。
最近また、この本を読み返している。茶の間の座いすのわきに資料を積み重ねて置いている。その上に読みかけの本が10冊余り。その中の1冊で、朝ドラと連動するようにピンポイントで本を開く。
7月第4週は、「若松のぶ」が「柳井嵩(たかし)」より先に上京するところから始まった。
2人とも「高知新報」の記者である。「のぶ」の方が少し早く入社した。共に「月刊くじら」の編集部に所属している。
7月第4週初回、21日。職場で2人きりになった「のぶ」と「嵩」が向かい合う。すると、評伝にある言葉が思い浮かんだ=写真。
「先に行って待ってるわ」。それを言うのはこのシーンしかない。絶対ここで言う。そう思って待ち構えていたら、案の定だった。
正確には高知弁だったような気がするが、この決め台詞にはしびれた。2人は上京して一緒に暮らすようになる。それを暗示する言葉でもある。
「のぶ」の上京からしばらくたって「嵩」も上京するのだが、そのためには「高知新報社」を辞めなくてはならない。大地震でふんぎりがついた。
史実では、1946(昭和21)年12月21日午前4時19分ごろに発生した「昭和南海地震」である。
震源は和歌山県南方沖で、M8.0の巨大地震だった。高知県と徳島県、和歌山県を中心に、死者・行方不明者は1443人、損壊家屋はおよそ4万戸に及んだ。
これは評伝の記述。「まだ夜の明けない四時過ぎに、嵩は激しい揺れで目をさました。だが、野戦重砲兵だった嵩は、ドカン! ドカン! と大地を揺らす砲撃の響きに慣れていた。行軍の経験から、どんな環境でも眠れる体質になっていたこともあり、揺れがおさまったらまた寝てしまった」
同僚記者たちはすぐに出社して取材を始め、「嵩」が職場に到着したころには、もう原稿が出来上がっていた。
自分はジャーナリストとして不適格――。そう悟って嵩は退職することを決め、暢を追って上京する。
ドラマでは、「のぶ」が上京したと思ったら(21日)、すぐの大地震である(23日)。やがて「嵩」も上京し、再会した「のぶ」に赤いハンドバッグを贈り、同時に愛を告白する。
それを聞いて「のぶ」が「嵩」に飛びつき、愛を受け入れるところで7月第4週が終わった(25日)。
ついでにその後の史実を言うと、2人はやがて中目黒の焼け残りのアパートに住むようになる。
いわきにJターンして新聞記者になるまで、私も中目黒の古い木造住宅の2階で間借り生活をしていた。中目黒らしいマチが登場するのかどうか、いよいよ目が離せない。
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