毎週日曜日の夕方、刺し身を買いに行った魚屋さんが7月25日で店を閉めた。持病の腰痛が悪化しての廃業である。
若いときはしょっちゅう職場から飲み屋へ直行し、何軒かはしごをした。30代に入って間もないある日、やはり街で飲み会があった。そこから若い仲間と家の近所のスナックに流れて二次会をやった。
そのとき出てきたカツ刺しがすこぶるうまかった。「こんな新鮮な刺し身をどこから手に入れるの?」
草野の魚屋さんからだという。ママさんは車に乗らない。電話で注文すると届けてくれる。
魚屋さんは車で5分ほどの国道沿いにある。知らなかった。で、それから日曜日の魚屋さん通いが始まる。
夏場はむろんカツ刺しオンリーだ。秋になるとこれにサンマが加わり、カツオが切れる冬場はタコ、イカ、イワシ、メジマグロなど、あるもので盛り合わせにしてもらう。
先代はいうまでもない。跡を継いだ息子さんからも、その都度、魚や海の話を聞いた。魚はもちろんだが、海のことはまったくわからない。毎回、蒙(もう)を啓(ひら)かれた。
2代目は、私よりは一回り若い。こちらがヨボヨボになっても、日曜日は刺し身が食べられる。
それを全く疑わなかった。が、7月最初の日曜日、6日。「7月25日で店を閉めます」。突然の廃業宣告だった。
日曜日は、あと2回、13日と20日しかない。20日は参院選の投票管理者になった。カツ刺しを食べるのは前日の19日土曜日か、翌日の月曜「海の日」だ。
迷っているところへ、若い仲間から連絡があった。7月25日に飲みに行く。それで決まった。
選挙の前の晩、一日早く刺し身を買いに行き、併せて最終日の7月25日にも刺し身を盛り付けてもらうことにした。
この40年間、東京方面から友人が泊まりに来たり、仲間が飲みに来たりすると、決まって「カツオパーティー」を開いた。
そもそもは子どもが小さかったころ、わが家に何家族も集まって「カツオパーティー」を開いたのが始まりだった。
大人はアルコールと談論を、子どもたちも食事をして、庭で線香花火をやったり、店の文庫(地域図書館)で絵本を読んだりして楽しんだ。
画家や陶芸家、新聞記者や市職員、カミサンのPTA仲間と子どもたち、総勢20~30人が居間と庭にあふれた。
それもこれも、新鮮なカツ刺しが手に入るからだった。その意味では、25日はそこからの刺し身の食べ納め、ラストパーティーだ。
前日にマイ皿2枚を持っていき、当日夕方4時半には刺し身を受け取り、40年余のお礼を述べる。
客人が「ゲストハウス」(近所の故義伯父の家)に到着するとすぐ、いわれを説明して冷蔵庫から刺し身を出した。
カツオをメーンに、スズキのあぶり、ヒラメとえんがわ、タコが盛り付けてあった=写真。
これを2皿。この魚屋さんの刺し身はもう終わり。いささかの感傷も加わり、しみじみと楽しい気分になる。昵懇にしていた魚屋さんの店じまいにふさわしい、いい飲み会だった。
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