2026年3月25日水曜日

簡単キムチ

                                
   自家製の白菜漬けはすぐ甕(かめ)の中で産膜酵母に覆われ、酸っぱい古漬けになってしまう。こうなると味が落ちる。

 古漬けでもなんとかうまく食べたい。それで思いついたのが、市販の「キムチの素」をまぶして酸味を包むことだった。

効果はテキメン。これでエンジンがかかり、次につくった白菜漬けはそのままのものと、キムチの素をまぶしたものと、最初から両方を食卓に出した。

といっても老夫婦2人だけだから、毎回食べる量は限られる。どちらもなかなか減らない。

 家の中では最もひんやりしている北側の階段の下に甕を置いている。が、白菜にまぶす食塩を控えめにしていることもあって、水が上がったと思ったらすぐ表面が濁ってくる。産膜酵母である。これが現れたら水の表面はたちまち白い膜に覆われる。

 1回に2玉を漬ける。1玉を8つ割りにして井桁に組み、食べるときには1切れずつ取り出す。全部食べるのに3週間前後はかかる。これをひと冬に4~5回は繰り返す。

昨冬までは、キムチの素は頭になかった。最後は強い酸味に辟易しながら食べた。

たまにスーパーから小さな容器に入った白菜キムチを買う。余ったタレに古漬けを刻んで混ぜ込むと、酸味が消えた。キムチの素を売っていることもわかった。

で、その後は古くなるとキムチの素をまぶすようにしている。甘辛でいったら、スーパーの白菜キムチは甘くて、キムチの素は辛みが強い。が、まぶす量を加減すれば辛みも緩和できる。

中之作で買った白菜と大根をそのままにしておいたら、白菜の外皮が腐ってとろけ始めた。大根も株元が黒ずんできた。

それらを取り除き、細かく刻んで浅漬けにした。翌朝にはもう食べられるまでになった。

産膜酵母を避けるには? この切り漬けをすべて容器に移し、冷蔵庫にしまって小出しにして食べることだろう。

そうやって、そのままのものと、キムチの素をまぶしたものと二つを用意した=写真。どちらもまあまあの味だった。

もう4月も近い。白菜は大玉を買って来るのではなく、4分の1、あるいは半分でもいいから、細かく刻んですぐ食べられるように切り漬けにする。

それをつなぎにして、4月には糠漬けを再開する。といっても古い糠床は虫が湧いたので捨てた。新しくつくる。

準備を兼ねて、沢村貞子の『わたしの献立日記』(新潮社、1988年)をパラパラやっていたら、沢村家では糠床をかき回すときに、夏場はビオフェルミンの錠剤を10粒、春秋は5粒ほどをまぜるとあった。

びっくりである。薬局で売っているものを糠味噌に利用する、という発想はなかった。どんなものか、そのへんをちょっと勉強してみようと思う。

先日、チェーン展開の薬局のチラシが新聞に折り込まれていた。中に「新ビオフェルミンS錠」が載っていた。

なるほど、薬局のチラシも糠漬けの材料調達の参考になるのか。買う、買わないは、じっくり考えてからにする。

2026年3月24日火曜日

泣いたり起きたり

                                
   朝ドラ「ばけばけ」の主題歌は「笑ったり転んだり」。で、その逆をブログのタイトルに付けてみた。「泣いたり起きたり」

歌詞に「泣き疲れ眠るだけ」とある。ま、「泣いたり笑ったり」「転んだり起きたり」の慣用句をもじっただけだが。

NHKは祝日になると、平日とは異なる番組を流す。3月20日の春分の日。早朝6時過ぎにテレビをつけたら、ニュースではなくトーク番組をやっていた。

 朝ドラ「ばけばけ」の主題歌を歌うハンバートハンバートに、「ばけばけ」の出演者が加わって、主題歌の誕生秘話などを紹介していた。「ハンバートハンバート『笑ったり転んだり』を語ったり」で、再放送だった。

朝ドラの演出スタッフがハンバートハンバートに主題歌を依頼する。注文は一切つけない。

小泉八雲の妻セツが書いた『思ひ出の記』を読み、ゆかりの土地(松江など)を巡って触発されたものを作品にしてほしい――それだけだった。

 依頼したスタッフの胸中には、詩人山之口貘(沖縄出身、1903~63年)の詩「賑やかな生活である」があった。そんな詩の世界をイメージしていたが、そのことは口には出さなかった。

 スタッフが出来上がった作品を試聴すると、思い描いていたイメージとぴったり重なった。聞いているうちに涙が流れたという。

 ああ、心に響いたのだな、と思った。最終回前の最後のバンセン(番組宣伝)だとしても、そこからドラマづくりが始まったのだ、そういう信頼関係がドラマづくりの根底にあったのだ、という感慨がわいた。

 山之口貘の「賑やかな生活である」の冒頭部分が紹介される。「誰も居なかったので/ひもじい と一聲出してみたのである/その聲のリズムが呼吸のやうにひゞいておもしろいので/私はねころんで/思ひ出し笑ひをしたのである/(以下略)」

 貧乏でも貪(どん)しない。「ひもじい」と口にした自分を、その言葉の響きを、もう1人の自分が面白がる。

 ハンバートハンバートの「笑ったり転んだり」にも、日常を客観化しながら、それに押しつぶされまいとする意思が感じられる。

出だしからしてそうだ。「毎日難儀なことばかり/泣き疲れ眠るだけ/そんなじゃダメだと怒ったり/これでもいいかと思ったり/(以下略)」

前にその2番目の出だし、「日に日に世界が悪くなる」を紹介した。「野垂れ死ぬかもしれないね」「帰る場所などとうに忘れた」といったフレーズは、長年放浪生活を続けた山之口貘の人生とも重なる。

スタッフが流した涙は、主題歌と貘の貧乏暮らしの詩が共振したからだろう。ついでながら草野心平と山之口貘は詩友であり、酒友でもあった。

NHKはこの日の夕方6時過ぎから、また「ばけばけ」のスペシャルトークショーを放送した=写真。

おかげで山之口貘の詩と、「ばけばけ」の歌詞に、同じ日の朝と晩、じっくり向き合った。

2026年3月23日月曜日

ハクモクレン開花

                                 
 3月22日の日曜日は、光は春だが空気はまだ冬だった。髪の毛を切ったので、マフラーをしていないと首筋がスース―する。それでも夏井川渓谷の隠居へ車を走らせながら、沿道の春をチェックした。

 まずは三島(小川)のハクチョウ。「1羽もいないといいが」。念じながら三島橋と、小川江筋の多段式取水堰を横目に過ぎると、対岸の水辺に白いかたまりが一つ。上流の中央にも同じく白いかたまりが一つ。こちらはすぐダイサギとわかった。

 手前の白いかたまりはハクチョウだった。長い首を水中に突っ込んでモグモグやっている。水草を食べていたのだろう。

 首を出したところをカミサンがパチリとやった。あとでデータをパソコンに取り込み、拡大すると後ろにカルガモが3羽いた=写真上1。

 残留コハクチョウの「エリー」だろうか。だとしたら、今年(2026年)もシベリアへは帰れなかったことになる。

 小川の里を抜けて片石田の直線道路に入る。夏井川に合流する加路川の橋の手前、右手の広場にあるハクモクレンが一気に開花していた=写真上2。

 ここには車のスピードを落として「チラ見」するものがもう一つある。橋の上流すぐ下、なぜだかわからないが(人が植えたにちがいない)、バナナの葉っぱより大きな葉を付ける草本がある。たぶんバショウ。

 夏場はあおあおと大きな葉を広げている。冬にはこれが枯れて黄土色になる。渓谷までの沿道の不思議の一つではある。

片石田のハクモクレンが開花したとなれば、いわき駅周辺のハクモクレン(街路樹)も開花しているはずだ。

 隠居からの帰り、平のマチに入ると、レンガ通りのハクモクレンが白い花を付けていた。するとソメイヨシノも間もなく、という連想がはたらく。

 以前は公園のソメイヨシノが咲いて、マチのハクモクレンが咲く――そんな順序だったような記憶があるが、この2~3年は同時、あるいはハクモクレンが先行する。

それよりなにより、マチのソメイヨシノと渓谷のアカヤシオはほぼ同時に咲く。その開花が間近い。

さらに、もう一つ。マチからの帰りに堤防を利用すると、いつものネギ畑からネギが消えていた。やっと「冬ネギ」の収穫が完了したのだ。何もない畑を見てなぜかホッとした。

2026年3月21日土曜日

平成元年の未来会議

                                 
 40代から50代にかけて、いわき市が開く審議会や懇談会のメンバーになったことがある。

 なかでも記憶に残っているのは「未来会議」と「総合型図書館整備懇談会」だ。正式な名称は忘れたが、たまに当時の議論とメンバーの顔を思い出す。

議論が楽しかったというのが一つ。もう一つは、自分たちの身の丈に合った提言内容だったことが懐かしい理由だろう。

市民が利用しやすい図書館を――。自分たちで提言した総合図書館を、私自身、オープンと同時に利用している。

図書館へ行って本を借り、調べものをして感じるのは、休館日や開館時間などの提言がよく生かされているということだ。

つまりは、自分の暮らしと密接につながる総合図書館ができたこと、そのための考え方などを「協働」でつくりあげたという実感がある。

ある日、ひょんなことからこの2つの組織を思い出した。いったい何歳のときにかかわったのか。ネットで情報を探ると見えてきた。

「未来会議」は平成元(1989)年から同3年まで続いた。私は満40歳だった。3つの提言を終えて解散するときには満42歳になっていた。

「総合型図書館」の方は平成13(2001)年から翌年にかけて開かれた。つまりざっと10年後、満52歳前後のことである。

 先日、久しぶりに総合型図書館への提言書=写真=を読んでみた。ここでは前に書いたブログの文章を引用する。

 ――「基本理念」のなかに〈「個」のある図書館、「輪」をつくる図書館〉というフレーズがあって、次のような文言が添えられている。
 「思い思いに過ごす『自分の椅子』のある図書館。ここは、人と人、人と情報とが出会う交差点。この新たな図書館が、いわきの文化をはぐくみ、人々の暮らしの質を高め、街のにぎわいをつくる」

総合図書館が平成19(2007)年10月25日、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」のオープンと同時に、中核施設として開館した。

奇しくも同じ日に私はフリーになった。すぐさま図書館通いが始まった。以来、仕事に、趣味に「自分の椅子」を利用している。

といって、何時間もいるわけではない。空想の「マイチェア」がいつもそこにある。そう思わせる規模、環境、空間ができた。

「ラトブ」は街のなかの「街」であり、「知の森」であり、仕事に必要な「もう一つの椅子」である。少なくとも私にはそんな存在だ。今日も「知の森」に分け入るつもりでいる――。

未来会議では①国際化②自然とヒトのシナリオ③まちづくりにおける市民と行政――の3つの提言をした。

最初の国際化は事務局から提案されたが、あとの2つはメンバーが提起して自由に議論した。

自然とヒトのシナリオでは、哲学者内山節さんの本をベースに、自然を利用しながら守っていくための認識を深めた。

「まちづくりの本をつくろう」となって、四国の四万十川を訪ねたこともあった。こちらも提言書を読んで思い出した。

2026年3月20日金曜日

「他人の空」

思い立って図書館から『新選飯島耕一詩集』(思潮社、1977年)=写真=を借りて読んだ。

目当ては「夜あけ一時間前の五つの詩他」。しかし、それは入っていなかった。若いころ読んでよくわからなかったが、表現としては「現代風」と感じた記憶がある。

作品がネットに紹介されていた。そのなかに「砂粒たちの夜あけ一時間前の/青い爆発」とある。

今も何のことかはわからない。ただし、意味以上に新しい言葉の関係を築こうとしていることは理解できる。

 「他人の空」と題した詩。このタイトルはなんとなくわかる。自分の住む世界の空とは思えないという違和感。シュールレアリスト詩人には、戦後の日本がそう映ったのだろう。

実は最近、夜明け前1時間の空に「なんだろう、これは」と思うことがあった。すっかり早寝早起きになって、未明の4時半には玄関の戸を開けて新聞を取り込む。ついでに庭へ出て天を仰ぐ。「観天望気」の「観天」である。きょうは曇天か。

星が見えない。でも、ネットでいわきの天気予報をチェックすると、その時間も「晴れ」のマークになっている。星が見えないのは、なぜ?

 夜明け前1時間の空を細かく表現するとこうなる。人間のいる庭はまだ夜で暗い。空は全体としては暗いが、天のドームだけは灰色に近い。

 晴れているのに星の見えない時間帯がある。考えれば当たり前だが、ネットで検索すると「天文薄明」という言葉がヒットした。

 日の出前・日の出後1時間ほどの空の薄暗さを指す。太陽はまだ地平線の下にあるか、地平線に沈んだばかりだ。大気中の微粒子がその角度からの日光を散乱し、空が薄暗く(薄明るく)見える現象をいうそうだ。

 春夏秋冬、日と月が変わり、季節が変わっても、未明の4時半前後に新聞を取り込む習慣は変わらない。

 夏至のころは玄関の先が明るくなり、冬至のころはまだ暗い。春分の日と秋分の日のころはその中間だ。

今年(2026年)は3月20日が春分の日だ。前日に見ると、夜明け前の玄関はガラス戸がほんのり灰色がかっていた。

 ついでながら、「天文薄明」にたどり着いたあとも検索を続けて、ふだん使っている言葉の違いに触れた。

 「かはたれ」と「たそかれ」。どちらも意味は同じだろう。「かはたれ」は「彼は誰」、「たそかれ」は「誰そ彼」。

「たそかれ」は夕方の薄明を指し、「かはたれ」は朝方の薄明を指すのだとか。私は「黄昏」も「かわたれ」も同じ夕暮れの言葉として使ってきた。

ま、それはどうでもいいことだが、「観天望気」は暮らしの基本で、週末だけの土いじりでも大事になる。

腕時計に縛られた生き方から解放されて18年。今は身体的な実感がより大切だという思いがある。

   19日の薄明は、地平線に近いところ、民家の黒い屋根の上もほんのり白んでいた。それがはっきりわかった。夜が明けると霧状の雨。しかし、これもすぐやんだ。今年(2026年)は、雨はまだまだ足りない。 

2026年3月19日木曜日

「草野心平と川内村」展

                                
 「おもしろい」というか、「懐かしい」というか。そして、「何か新しいものは?」という興味が交錯して、すぐ見に行った。

 いわき市立草野心平記念文学館で企画展「草野心平と川内村」=写真(チラシ)=が3月14日に始まった。

 翌15日の日曜日、夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、文学館へ出かけた。たまたま居合わせた学芸員が解説してくれた。

作品展示協力者のなかに旧知の人がいた。村の元教育長氏(村職員時代、『川内村史』の担当者だった)で、天山文庫設立60周年を記念した企画展である。

「川内村史」は発足して間もないいわき地域学會が編纂事業を引き受けた。昼間は自分の仕事があるアフターファイブの研究者の集団だ。休日になると、たびたび村へ出かけ、役場の担当者の案内で調査を繰り返した。

私もその一人として、江戸時代の俳人佐久間喜鳥を軸にした俳諧ネットワークと、川内村と草野心平のつながりを調べた。

通史では「幕末の川内の文芸」(近世第5章)と、「川内と草野心平」(現代第3章)を担当した。

 それもあって、拙ブログに心平と川内村のつながりを書いている。主な部分を要約・引用する。

――心平と川内村を結びつけたのは、一つにはモリアオガエル、二つにはモリアオガエルのことを昭和24年2月1日付の読売新聞福島県版に書いた心平のエッセーに反応して、村の禅寺(長福寺)の坊さんが心平に誘いの手紙を書いたからだ。

昭和28年、心平は初めて川内村を訪れる。以来、川内詣でを繰り返し、モリアオガエルの繁殖地「平伏沼(へぶすぬま)」で歌を詠んだり、村内の小学校の校歌をつくったりする。

で、村議会は心平を名誉村民に推戴することを決めた。褒章は年100俵の木炭。心平は木炭のお返しに蔵書3000冊の寄贈を決め、うち2000冊を、木炭を運搬して来たトラックに載せて村へ届けた。

困ったのは坊さんだ。一時、寄贈本を寺で預かっていたが、いつまでもそうしているわけにはいかない。

村役場にかけあった結果、仮称「心平文庫」の設立が議会で決まった。今の「天山文庫」はそうしてできたのである――。

 企画展はこの通史を反映していた。展示物は軸装・額装された心平の書と絵、詩碑拓本、はがき類(長福寺所蔵)を中心に、村教委所蔵の書(校歌)と写真などで、村史調査の折、実見したものが多かった。

 心平の没後1年を記念して、川内村では平成元年、天山文庫の下の阿武隈民芸館(現在は天山文庫を含めて「草野心平記念館」)で、「草野心平とかわうち」展が開かれた。

 その図録をながめてから出かけた。書と絵が重なるのは仕方がない。それがかえって懐かしさを呼んだ。

 たまたま同文学館ボランティアの会事業として、常設の「居酒屋」の前で心平随筆の朗読会が行われた。それも聴いた。

お土産の「するめそーめん」は晩酌のつまみにした。珍味である。心平流にいえば「口福」。これを2日続けて楽しんだ。

2026年3月18日水曜日

灯油も急騰

                               
 アメリカとイスラエルのイラン空爆がホルムズ海峡封鎖を招き、原油が急騰した。するとたちまち、ガソリンと灯油が高騰した。

 15年前の「原発震災」ではガソリン不足に見舞われた。それもあって、車の燃料計の表示が半分になると給油する。車のガソリンはまだ半分以上残っている。問題は灯油だ。

灯油は冬場の暖房に欠かせない。茶の間にヒーターとストーブ、台所にストーブ、店のわきの文庫にストーブがある。そのため、玄関には常時ポリ缶を置いている=写真。

 毎回18リットル入りのポリ缶4つを車のトランクに積んで買いに行く。今はセルフでタッチパネルを操作し、1万円札を入れて、ピストルのようなノズルを握る。

 前回は3月2日に入れた。領収書を見ると、4缶72リットルで8424円だった。リッター当たり117円だ。

その半月後(3月16日)。ネットで18リットル当たりの値段を確かめ、1万円札では足りないとわかったので、プラス千円札を投入した。

給油をすませて領収書を見ると、費用は10656円だった。リッター当たりでは148円である。いきなり31円の値上がりだ。合計では前回より2132円も多くかかった。

灯油のしずくを垂らさないよう、ポリ缶にノズルを差し込み、給油を終えたあと、レシートを見てはらわたの煮えくり返る思いになった。

いくらなんでも、である。ここまでの急騰は暴力的ではないか。この原因は何なんだ。関係のない庶民を巻き込んで、何をしたいんだ。

これから世の中、どうなるのか。前にも書いたが、朝ドラの歌に出てくる「日に日に世界が悪くなる」である。この歌が現実の状況とシンクロする。

いやでも思い出すのは昭和48(1973)年の「オイルショック」だ。これも前に書いた。オイルショックを機に、いわきがどうなったか。市民の生活、企業の活動に大きな影響が出た。今回もまた混乱が続くのではないか。

「三寒四温」を繰り返しながら春に向かう時期、日によってはヒーターを止める、ストーブを止める、といった時間が増えてきた。いや、これからは意識してその時間を増やさないといけない。

灯油を買ってきた16日がそうだった。昼過ぎから4時間ほどはストーブを止めた。節約、節約。これを呪文のように唱える。車で出かけるのも抑え気味にしないと。

しかし、我慢にも限度がある。17日は朝、節約ムードでいたものの、石油ストーブだけではやはり寒い。背に腹は代えられない。朝ドラの主題歌が流れるころにはヒーターにも点火した。

ロシアのウクライナ侵攻以来、世界は身勝手な理屈に振り回されているのではないか。どの国の、だれが、なにがこんな危機と困難を生んだのか。その本質を知りたくて、最近はフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドの本を読んでいる。