2026年2月13日金曜日

鳥居に秘められた物語

                                
   平・山崎の専称寺が「梅の寺」として知られるようになったのは、箱崎昇吾翁(平中神谷)が昭和8(1933)年から足かけ27年をかけて梅の木を植え続けたからだった。

いわき市立図書館がデジタル化した地域新聞を、若い仲間が組み立てた「いわき文献案内」を利用して、キーワード(「専称寺 梅林」)検索をしたらすぐわかった。

 昭和36(1961)年2月20日付の常磐毎日新聞が「春を呼ぶ一千本の梅林/箱崎氏の悲願実る/市も観光誘致に本腰」と伝え、同48(1973)年1月26日付のいわき民報に、小川町の中條実さんが「専称寺の梅林と箱崎昇吾翁」と題して寄稿している。

 それをブログ(2月4日付「専称寺の梅林」)に書いた。そのときは触れるのを控えたが、箱崎翁は梅林以外にも寺社への寄進を行っている。

 中條さんによると、箱崎翁は昭和8年まで国鉄に勤め、田地10アール当たり2百円前後の時代に2千円余の退職金を得た。

 これを資金に、翁は①専称寺入り口の愛谷江筋にコンクリートの橋を架ける②同寺境内に梅を植樹する③大円寺に石門を建立する④立鉾鹿島、出羽両神社に石の鳥居を建立する――ことを決めた。

 大円寺は専称寺末で箱崎翁の菩提寺でもある。夏井川の堤防まで歩いて行くと、集落のなかに墓と石門があり、奥に本堂が見える。

立鉾鹿島神社と出羽神社は小学校の近くにある。わが家のある旧道から神社に向かって立鉾の参道が延びる。神社の前を常磐線が横切っている。その線路の手前に石の鳥居が建つ。

まずは寺の石門を見に行く。向かって右側の裏に箱崎翁と奥さんの名前が彫られていたが、風化しているために判読が難しい。

立鉾の石の鳥居=写真=は、やはり向かって右の柱の裏側に箱崎翁夫妻の名があった。鳥居は形式が「明神鳥居」で、6カ所に補強具が取り付けてあった。

 その足で近くの出羽神社へ向かう。神社のある丘のふもと、小川江筋の手前に石の鳥居らしいものがあった。

 「らしい」としたのは、石柱が途中までしかないからだ。柱が斜めにスパッと切られ、表面に「平成二十三年三月十一日/東日本大震災誌之」とあった。震災遺構というべきか。

上部も残っているなら、石柱の裏側に同じように夫妻の名前などが彫られていたはずだが、これでは確かめようがない。

 なにか印は?とみると、向かって左側の柱の裏、基礎部分にプレートがあった。夫妻の名前のほかに「奉納 村内安全 昭和八年十二月」と記されている。

 翁の願いは「村内安全」。そして、昭和8年12月を期して、石門と鳥居を寄進した。

日ごろ見慣れている風景の一つだが、それには地元の人間の願いがこもっていた。「きっつぁし」(挿し木=よそから来て住み着いた人間)にも、石の門柱と鳥居のいわれがわかった。

箱崎翁はわが家の近くで暮らしていた。身近なところに、高い志を持って行動した人がいた。あらためてそのことを胸に刻む。

2026年2月12日木曜日

一日遅れの「日曜日」

                                  
   2月8日の日曜日は衆院選の投票日だった。投票立会人を務めたので、早朝7時前から夜7時過ぎまで、最寄りの投票所(小学校体育館)に缶詰めになった。

 日曜日の夜は刺し身で一杯――はおあずけだ。カミサンは「一日早く、土曜日に刺し身にしようか」といったが、それはよした。

 刺し身を理由に晩酌の量が過ぎると、翌日の「仕事」に差し支える。「仕事」が終わってから食べることにした。

ブログのタイトルは? 「月曜日の刺し身」より「一日遅れの『日曜日』」の方がしっくりくる。夕方の刺し身買いから逆算して「日曜日」の行動を決めた。

朝は10時ごろ、ラトブの図書館へ着くように家を出る。2月10日は施設点検のために、図書館も1~3階のショッピングフロアも休みになる。

9日しかない。開館時間に合わせて本を返し、フロアを巡って新しく本を借りた。帰宅するとブログを書き、ルーチンの調べものをした。

横になって休んだらもう夕方だ。カミサンを車に乗せてマルトへ刺し身を買いに行く。冷たい風が吹いている。四倉まで行くのはよして、手前の草野ですませた。

いつもの魚屋さんへ通っていたころは、2月に入ると店主から声がかかった。 「カツオがあります」「おっ、いいね」。毎年そうやって、その年最初の生カツオを食べた。

ブログを確かめたら、その日は早い順から1月17日(2021年)、1月23日(2022年)、2月3日(2018年)、2月7日(2016年)、2月19日(2023年)だった。

それもあって、2月になると「初ガツオ」の記憶がよみがえる。体が覚えているのだ。今年(2026年)はしかし、店主とのやりとりはない。自分で確かめるしかない。

カートを押しながら鮮魚コーナーに行くと、赤身の柵があった。シールには「千葉県産生カツオ」とある。今年(2026年)初めての生カツオだ。さっそくカートに入れる。

それだけでは足りない。マグロを中心にした盛り合わせはもう飽きた。代わりのものはないかと見れば、貝の盛り合わせがある。それもカートに入れた。

柵は私が切った。行きつけの魚屋さんではマイ皿に盛りつけてくれた。それを思い浮かべて、まず貝の盛り合わせをそのままマイ皿に移し、手前の空きスペースにカツオの刺し身を並べた=写真。いつもよりは華やかな盛り付けになった。

久しぶりに「にんにくわさび醤油」で生のカツ刺しを食べる。生はやっぱりいい。細胞が生きている――そんな感じがした。これからは生のカツオの有無をチェックしよう。

貝も食感を楽しんだ。ホタテのやわらかさ、ホッキのしなやかさ、アカガイともう1種類(名前がわからない)のコリコリ感。カツ刺しといい組み合わせになった。一日遅れたからこその、「日曜日」の「口福」である。

2026年2月11日水曜日

突然の選挙・下

                               
   2月8日の衆院選では地元の投票所の立会人になった。投票まで毎日、天気が気になった。

ポカポカ陽気なら大歓迎だが、直近の予報では寒の戻りがあって雪も降るという。市選管から届いた書類にも防寒対策を、とあった=写真。

この日は真夜中に一度目が覚めた。6時半には投票所の小学校体育館に詰めていないといけない。二度寝して寝過ごしたら迷惑がかかる。

結局、3時半には起きた。新聞を取り込むために玄関を開け、庭に出ると霧で頭が濡れた。夜が明けたら車がうっすら白くなっていた。霧と思ったのは雪だった。

ほうきでフロントガラスの雪を払うと、サラサラしている。パウダースノウだ。道路はところどころ白くなっているだけで、アスファルトがはっきり見える。

7時の投票開始時が降雪のピークだったようだ。体育館から雪の校庭を見ると、アダモの「雪が降る」のメロディーが胸中に響いた。

「雪が降る~ あなたは来ない」。「あなた」、つまりは「有権者」。そんなざれ歌を口ずさみたくなるような始まりだった。

予報では昼前にはやむ。その通りになって校庭の雪もやがて消えた。有権者も途切れることなくやって来た。

令和5(2023)年11月12日の福島県議選では投票管理者を務めた。そのときの防寒対策を参考にした。

下はパッチとコールテンのズボン、上は長そでと厚手のシャツ、セーター、ブレザー、ジャンパー。それに毛糸の帽子、マフラー、マスク、使い捨てカイロ、あったかソックス、手袋。ひざ掛けといすのクッションを用意した。

カイロは足裏と腰、腹に張った。上履きはスリッパではなく、冬用の靴にした。足の寒さを感じずにすんだから、これはよかった。

体育館は出入り口が開いている。雪の心配は消えたが、寒風が吹き込む恐れがある。

事前に投票所の責任者から連絡があったとき、管理者・立会人3人の席のわきに「ついたて」を要望した。出口からストレートに寒風が当たる。風よけだ。

夕方、突風が吹いた。投票事務の机にある紙が吹き飛ぶ。有権者用の張り紙が波打つ。「ついたて」のおかげで直接寒風にさらされずにすんだ。

2年前の県議選では、足から冷えてガタガタ震えるほどだった。そばにヒーターがあってもそうだった。今回も時々、後ろにあるヒーターを囲んで暖をとった。

ひざ掛けは材質にもよるが、ないよりはあった方がいい、という程度だった。ストーブで下半身を温め、熱が逃げないようにすぐひざ掛けを当てる。しかし、床から寒気が忍び込む。温める・ひざ掛けを当てる――これを繰り返した。

投票所閉鎖後はタクシーで開票所の総合体育館へ。いわき市内全域からタクシーが殺到する。早い時間に着いたようで、わりとスムーズに投票箱を届けることができた。

風邪は? 翌日になっても体調に変化はない。着膨れするほど着込んだためか、なんとか寒さはしのげたようだ。

2026年2月10日火曜日

突然の選挙・上

        
  予想もしなかった衆議院解散・総選挙だった。その余波が巡りめぐって、地域の片隅で暮らす後期高齢者にも及んだ。

 解散・総選挙を報道で知り、どこの区長が投票所の管理者と立会人になるか、すぐ気になった。

令和7(2025)年7月には参院選、その2カ月後にはいわき市長選が行われた。参院選では地元の投票所の管理者を務めた。

前は、管理者は市職員OB、立会人2人のうち1人は区長というのが、地元の投票所の慣例だった。それが近年、管理者も、立会人の1人も区長という流れに変わった。

最初に立会人を務めたのは、平成29(2017)年10月の衆院選、次は令和3(2021)年9月の市長選だった。間に福島県知事選など4回の選挙をはさんでいる。

3回目は令和5(2023)年11月の県議選で、このときは管理者だった。4回目は少し順番が早まって去年(2025年)7月の参院選だ。やはり管理者を務めた。間には2回選挙があっただけだ。

同じ小学校の学区に8人の区長がいる。投票所は小学校と中学校の2カ所。管理者・立会人も2カ所に分かれる。計算上、今回は役目が回ってこないはずだった。

投票日には予定が入っていた。恒例のいわき昔野菜フェスティバルが開かれる。主催者側の一人なので、なんらかの役割がある。

ところが某日朝8時半すぎ、市役所の始業時間と同時に電話がかかってきた。選挙管理委員会からだった。

 やむを得ない。立会人を引き受け、イベントの方は事務局に理由を伝えて欠席することにした。

役がないときは当日、投票所に出向き、だれが管理者と立会人になったのか、激励を兼ねて確かめるのだが、今回はその役目がこちらに回ってきた。

で、1週間前の日曜日(2月1日)、宣誓書=写真=を持っていわき駅前のラトブで期日前投票を済ませた。

立春のあととはいえ、まだ厳寒期だ。早朝6時半には投票所の小学校体育館に赴き、投票が終わる夜7時以降、借り上げのタクシーで最高裁の裁判官国民審査を含む投票箱を3つ、開票所の総合体育館へ運ばないといけない。そこまでが役目。とにかく長丁場だ。

令和5年の県議選は11月12日に投開票が行われた。そのときの寒さ対策がブログに残っている。一部修正しながら再掲する。

  ――下はパッチとコールテンのズボン、上は長そでと厚手のシャツ、ブレザー、ジャンパーで出かけた。

投票所は、出入り口が開放されている。ジェットヒーターが動いていても、暖気は投票事務従事者には届かない。

いくら冬着に替えても、ジェットヒーターが動いていても、寒気がじわじわと足を、首筋を冷やし続ける。午後には体が小刻みに震えることもあった。

冬は戸の開いた施設で寒風を遮る工夫ができないものか。投票事務に従事する職員がかわいそうでならなかった――。

 これを上回る防寒対策をすること。政治に振り回された挙句、風邪を引いた――では話にならない。絶対風邪を引かないことを自分に言い聞かせた。

2026年2月9日月曜日

ページめくり

                         
   寝床では大活字本を読んでいる。年が明けて間もなく、おかしなことが起こった。

次のページへ行くと、文章がつながらない。どうしたんだろう? 確かめると、裏のページではなく、そのまた裏のページをめくっていた。要は2枚めくり。これが今も続いている。

 前は、そんなことはなかった。ちょっとした感覚の差だが、めくったときに紙が厚く感じることがある。2枚かな? 間違いない。紙をはがすように分けると2枚ある。これがしょっちゅうだ。

前は右肩を下にして右手で本を支え、左手の指で1枚1枚めくりながら本を読んだ。今はその逆をやっている。

別の本を積み上げた上にクッションを置き、それに左腕を載せる。本を左に持って、左の手の親指でこするようにページをめくる。

右手はまったく使わない。いや、正確には使えない。掛け布団の下の毛布を首までかける。右手で端をつかんで左手を覆うからだ。手の指の防寒を意識したらそうなった。

2枚めくりになる原因をあれこれ推測する。まずは空気の乾燥。冬は空気が乾燥し、指先もその影響で乾く。

隣組、あるいは隣組の世帯数ごとに回覧資料を分けたり、数えたりするとき、冬場は舌で指をなめながらやる。そうしないと数え間違って最後に紙が足りなくなり、一からやり直すことがある。この乾燥が原因の一つだろう。

老化もある。高齢者は指紋が薄くなってツルツルしている。皮膚の乾燥も進む。それで紙の引っ掛かりが弱くなり、ページがめくりにくくなるのではないか。ネットで探ると、AIがそんなことを言っていた。

大活字本の紙質はどうか。いや、それはない。日中、普通の新書本を読んでいてもそうなる=写真。

日中は左手に本を持ち、右手の親指でページをめくっている。それでも2ページをめくるときがある。カミサンに聞くと「私もそうだ」という。本も冬は乾燥するのだ。

本と違って新聞はめくりやすい。なかなかめくれないときは、紙をこするようにしながらずらす。すると、はがれる。これができるのは紙がペラペラしていてコシがないからだろう。

それにスパッと裁断された左右の端と違って、新聞は天地がギザギザしている。高速輪転印刷と高速裁断を同時に行うために、ギザギザの刃による裁断が行われる。このギザギザもページをめくりにくいときに役に立つ。指に引っ掛かりができるからだ。

本の2ページめくりを防ぐには――。部屋の加湿だけでなく、指先を保湿する。そのためにクリームを塗る。指先を冷やさないようにすることもいいらしい。クリームは毎日塗っている。

科学的に推測すると、冬の乾燥が主因、老化が副因というところだろうか。老化にとらわれ過ぎるのもよくないが、年を取ったからこそわかる「発見」でもあった。

若い人はこんな経験はできないだろう。年を取ると「初体験」が増える。「経験知」でいえば、やはり年寄りにはかなわない(ま、2ページめくりはしない方がいいけど)。

2026年2月7日土曜日

刺し身とひな人形

                                
 厳寒期の日曜日は、夏井川渓谷の隠居へ行ってもやることがない。滞在時間はグッと短くなる。

 2月1日は午前10過ぎにいわき駅前のラトブで期日前投票をしてから出かけた。隠居に着くと、私は下の庭でフキノトウを採り、カミサンは上の庭でスイセンを摘んだ。

 それからすぐマチへ下り、家に戻って昼食をとった。ヤマからハマの中之作へ直行するつもりでいたが、どうにも頭が重い。

 早寝早起きが習慣になって、早朝4時半には起きる。正午過ぎには動き出して8時間もたっている。年寄りには「脳休め」が必要だ。

しばらく横になっていると、頭もすっきりした。海岸道路へ出て、海を見ながら薄磯~豊間~江名を通り過ぎ、中之作漁港に車を止めた。

 港の真ん前の清航館を会場に、1月31日から2月5日まで「つるし雛飾り」の祭りが開かれた。混雑を避けて、外から飾りをながめたあと、近くを散策した。

小さな店(菊屋)の軒下につるし雛が飾ってあった。駐車スペースには野菜(ネギ・大根・白菜)が何袋か。紙に1袋600円と書いてある。

すぐガラス戸が開いて、店主が中に招き入れる。元は遠洋漁業相手の薬屋だったという。

中には商品の衣類のほか、つるし雛とひな壇があった。ひな壇の一番上には古い男雛(おびな)と女雛(めびな)が飾られていた=写真。

店主が説明してくれる。「うちのひな人形で、ドラム缶に入れて保管していた。東日本大震災では腰まで浸水した。雛人形はドラム缶に入っていたので、プカプカ浮いていて無事だった」

それがよかったのだろう。「沈まない」(落ちない)人形として、受験期になると拝みに来る人がいるという。

店の前の野菜は? 「私がつくった。ネギは九条ネギに赤ネギ」。九条と赤とは珍しい。1袋を買う。

さて、そのあとどうするか。日曜日で、夕方も近い。「小名浜で刺し身を買って帰ろう」。カミサンもうなずいて、「道の駅いわきら・ら・ミュウ」へ向かう。

やはり海の見える道路を利用し、下神白に入ると三崎公園経由で港に出た。海が西日を反射してまぶしかった。

ら・ら・ミュウでは「海鮮市場通り」を巡った。が、ブロック(柵)は売っていても、刺し身は見当たらない。聞けば「刺し身はない」という。

そうか、小名浜の道の駅は遠来の観光客が相手だから、家で食べるころには鮮度が落ちる。干物かブロックなのは食中毒予防の意味もあるのだろう。これは私の勝手な解釈だが、妙に納得した

しかたない。小名浜のマチの魚屋さんはよくわからない。海岸道路を戻って四倉の魚屋さんを目指す。小名浜から四倉まで長い海岸ドライブだ。

目当ての店に着くと「改装休業中」だった。では、前の週と同じスーパーへ。今度も同じ刺し身の盛り合わせを買った。

午前は期日前投票をしたり、隠居へ行ったり。午後はひな人形の物語に感動したり、刺し身を求めて右往左往したり。日曜日なのに走り回ってくたくたになった。

2026年2月6日金曜日

今年も「エア豆まき」

                                 
   2月3日は節分、翌4日は立春。その前、2日は満月だった。

立春はもちろん、待ちに待った節気の一つである。いわき地方は1月末の極寒を経て、寒暖を繰り返しながら春に向かう。

その区切りの行事が3日の節分、豆まきだ。今年(2026年)も福升(ふくます)にピーナッツを入れ、戸を開けて、庭に向かって「福は~内、鬼は~外」とやった。ただし、ピーナッツはまくまねだけ、「エア豆まき」だ。そのために一度神棚に供えた。

子どもがいたころは青豆を炒(い)ってまいた。青豆がやがて落花生に替わり、2階を省略して茶の間だけになり、老人2人だけの今は、落花生がピーナッツに化け、庭に向かって声を出すだけになった。

落花生にしたのは、青豆だとあとで拾い集めるのが大変だからだ。庭にまいた青豆は拾うわけにもいかない。

で、内も外もエア豆まきになった。戸を開けると、「さくら猫」のゴンがこちらを見て「ニャー」と鳴いた。唯一の観客である。

そのあとは福升をそばに置いて晩酌を始める=写真上1。もともとピーナッツは酒のつまみ用に買っておいたから、切り替えは早い。

福升は神棚に置いて毎年使う。平の飯野八幡宮製で、25年ほど前にカミサンの実家から届いた。

升には「福」と「壽」の文字、巴太鼓の図柄、そして「平成十一年節分祭」と墨書してある。1年に1回はこの福升を使い、エア豆まきが終われば、すぐチビリチビリとやる。

この日は早朝にも心がときめいた。カミサンを接骨院へ送って行った帰り、西空に丸い月が輝いていた=写真上2。

前日が満月だった。真夜中にいったん起きてブログをアップする。茶の間へ行くと、玄関のガラス戸がほんのり明るい。

茶の間のカーテン越しに庭を見る。車がよく見える。影もできている。日影ならぬ月影だ。「月影」という言葉をすっかり忘れていた。

立春がきたらあれをやろう、これをやろう……。といっても、自治会の仕事が優先される。年度末の行事と年度初めの行事が連続する。その準備を今から進めないといけない。

自然の移り行きで言えば、冬至を迎えるとホッとする。一陽来復である。人間の世界では、立春を過ぎると年度末のあわただしさが待っている。

2日の満月は早朝7時9分にピークを迎えたという。それからほぼ24時間後の姿を見たことになる。朝日に照らされてほんのり赤みがかっていた。これも眼福である。