2025年10月23日木曜日

大活字本を借りる

                                              
   いわき市の総合図書館は、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の4・5階に入居している。

4階は北側が「子ども」、南側が「生活・文学」フロア。5階は北側が「いわき資料」、南側が「歴史・科学」フロアで、南側の階段近くに「大活字本」コーナーが設けられている。

階段の前にはテーマに合わせた本を並べる書架がある。10月は4階が「秋を楽しむ」、5階が「大活字本」で、5階から4階へ下りようとしたとき、足が止まった。

「寝床用の本を借りよう」。瞬時にそう思った。書架をながめると、群ようこ『ネコの住所録』があった=写真。

大活字本は前に一度読んだことがある。自分のブログをチェックすると、10年前(2015年)の10月20日に「大活字本」と題して書いていた。まずはその部分を再掲する。

 ――遠近両用のメガネをかけているが、新聞や本はずっと裸眼で読んできた。ところが最近、いちだんと「花眼」度が進み、日によってはメガネなしでは新聞活字がぼやけるようになった。(こうしてお年寄りは新聞から離れるのかもしれない)

いわき総合図書館に大活字本コーナーがある。図書館のホームページを開いて間宮林蔵関係の図書を検索したら、吉村昭の『間宮林蔵』(上・中・下)があった。この際、大活字本を読んでみるか。すぐ図書館へ出向いて借りてきた。

 大活字本の『間宮林蔵』は講談社文庫を底本に、2012年、埼玉福祉会が上・中・下の3冊本として発行した。文字の大きさが5ミリ強、つまり16ポイント。1行31字、1ページ11行だ。なにかに似ている。そうだ、小学校低学年の教科書だ――。

 それから10年。「花眼」度がいちだんと進み、日中は新聞・本だけでなく、テレビも眼鏡が欠かせない。

 寝床ではさすがに眼鏡をはずす。睡眠薬代わりだとしても、本は読みたい。裸眼で読みだすとすぐ視線が止まる。

なんという字だろう。たとえば、ハン・ガン/斎藤真理子訳『回復する人間』の第1行。「よりによってなぜ今日、あの鳥のことを――」の「あの鳥」が、頭の中では「あの島」に誤変換されている。

 そのあとに続く文章でも、「十二月」を「十一月」ないし「十三月」、「白く」を「曰く」、「出勤」を「出動」、「雪におおわれた山」を「霊におわれた山」と誤読する。「仁川」には「ニンチョン」とルビが振ってあるが、これはもう判読不能だ。

 埼玉福祉会発行の大活字本はまったくその心配がない。眼鏡なしでも、この字はなんという字か、などと考えなくていい。

 『ネコの住所録』の最初のエッセー「「二重猫格」を、久しぶりに寝床で読み切った。といっても10ページ弱だから、文庫本では4ページにすぎない。それで十分。寝床では大活字本――これが癖になりそうだ。

2025年10月22日水曜日

土曜日は「寅さん」

        
   9月にテレビを新しくした。最初に届いたのはすぐおかしくなった。テレビ本体に不具合があったらしく、何日かたって別の新しいテレビが届いた。今度は大丈夫、安心して見ている。

前は2006年製造の中古テレビで、震災後、家を解体するというので、廃棄処分になったのを引き取った。

その前のテレビがダメになったとき、それを引っ張り出した。ちゃんと映るというので、そのまま見てきた。

製造年以後に開局したテレビ局の番組は見たくても、リモコンにその局の数字がない。今度は以前のテレビのようにBS11イレブンが見られる。

BS11イレブンはカミサンが見る。好きな番組は「名探偵ポワロ」。ニュース番組は5~6時台で終わり、7時になるとリモコンをカミサンに渡す。

最近は午後1時からの中国ドラマ「如懿伝(にょいでん)」も見る。私もつられて、たまにだがポワロと中国の王宮ドラマをのぞく。

土曜日は土曜日で、宵の6時半になるとカミサンはBSテレ東にチャンネルを合わせる。映画「男はつらいよ」を放送している。「寅さん」は私も見る。

それで、「これは前にやったよ」「これも前に放送したよ」と、わきから茶々を入れることもある。

10月11日の「男はつらいよ」は、これまでとはちょっと違っていた。いや、ちょっとではない。大いに違っていた。

映画「男はつらいよ」シリーズ50周年記念作品として、2019年「男はつらいよ お帰り寅さん」が公開された。そのテレビ放送である。

50年も続けて寅さん映画を製作してきたこと自体、驚きである。その記念映画の内容もまた驚きだった。

寅さんの甥っ子・満男はサラリーマンを経て新進作家になっていた=写真(ネットのテレ東情報)。

結婚して娘が生まれ、すでに大きくなっている。が、妻は死んでいない。7回忌の法要が営まれる。いつの間に、というか、こちらには想像もつかないような飛躍だ。

当然、「くるまや」の「おいちゃん・おばちゃん」は遺影だけの出演になった。隣の工場はアパートに代わり、「くるまや」はカフェになっている。寅さんの妹さくらと夫の博はくるまやの裏の住居に住んでいる。

さくらは老眼鏡をかけ、博は頭が白くなっている。老いを物語るシーンがあった。いつもの「くるまや」の茶の間で、家族が座卓を囲んでいる。囲んではいるのだが、博は椅子に座っている。

年をとると立ち上がるのがきつくなる。座卓を脚の長いテーブルに替え、いすで食事をと、私ら夫婦も話している。現にそうしているシルバー家庭がある。

寅さんとその家族を描き続けてきた結果、家族の代替わりまで話が発展したわけだ。

そういえば、ポアロ探偵も言っていたな。「人間は年をとると耳に毛が生える」。思い当たることがこうも増えるとは――。ときどき感心しながらテレビを見る。

2025年10月21日火曜日

ネギとけんちん汁

                                
 まずは四字熟語「画竜点睛」のおさらい――。意味を再確認するためにネットで調べたら、注意すべき点が二つあることを知った。

「画竜」は「がりょう」と読む。「睛」は天気の「晴」ではない。右側の下が「月」ではなく「円」である。なるほど、そこまでは注意が届かなかった。

 ということで本題。わが家では夏を除いてけんちん汁(豚汁)を食べる。晩秋から春先までは、特に回数が多くなる。

 豚肉にサトイモないしジャガイモ、そしてニンジン、ゴボウ、豆腐、こんにゃく、ネギ。ほかにナメコやマイタケ(いずれも栽培もの)が入る。東北地方では、醤油ではなく味噌仕立てが普通だ。

 10月16日の夜、久しぶりにけんちん汁が出てきた。「ネギを切らしたの」。隣に直売所がある。そこにも売っていなかったという。ネギの入らないけんちん汁は初めてだ。

 けんちん汁は晩酌のおかずでもある。朝の味噌汁のお椀よりは大きめのお椀に入って出てくる。それを2杯。チビリチビリやっていると、ほどなくお椀がカラになる。

 ネギなしのけんちん汁はしかし、どうも落ち着かない。いつもだと小口切りか斜め薄切りのネギが浮いている。これがない。味も何か一つ物足りない。ほのかな香りと甘みを欠いている。風味は七味だけだ。

 そう、ことわざでいえば「画竜点睛を欠く」である。「画竜点睛」の意味は、「物事を仕上げるために必要な最後の仕上げ」、あるいは「ほんのわずかな部分に手を加えることで全体が引き立つこと」だという。

 けんちん汁の場合はネギがこれに当たる。コンニャクやジャガイモが切れても、「画竜点睛を欠く」という気分にはならない。しかし、ネギだけは別である。

カミサンもそのことは重々承知の上だったようで、翌日、アッシー君を務めてマチへ行った際、スーパーに寄ってネギを買った。

 けんちん汁は、ある限り毎食出る。翌日の夕方、今度はネギ入りのけんちん汁が出た=写真。ナメコのほかに、大熊産のアラゲキクラゲも入っていた。

 見た目からして、いつものけんちん汁である。前夜と違って違和感はまったくない。心穏やかでいられる。口に入れるとネギの軟らかさが加わって、舌が喜んだ。

 やはり、ネギは点睛である。最後にネギを加えないとけんちん汁は完成しない。逆からいえば、ネギを欠いたけんちん汁は未完成の半食品だ。

 冷ややっこの薬味や卵焼きの具にも利用される、という意味では、ネギは食卓では名脇役だろう。

しかし、ネギがないとけんちん汁が仕上がらないとなれば、ネギは「もう一つの主役」である。

今年(2025年)の春は苗づくりに失敗したが、渓谷の隠居でネギだけは栽培を続ける。そう決めている人間としてはちょっとひいき目に言ってみた

2025年10月20日月曜日

もうあの暑さを忘れた

                        
     晴れていれば朝は庭に出て、歯を磨きながら草木をながめる。しかし、カラ梅雨から夏、さらには秋と酷暑が続いた。朝から照りつける。で、庭に出るのを控える――そんな日の連続だったが……。

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよくいったもので、秋の彼岸を過ぎるとしのぎやすい天気に変わった。庭での歯磨きが復活した。

しのぎやすいどころか急に冷え込んで、こたつが恋しいときがある。茶の間の座卓(壊れたこたつ)の下には電気マットを敷いている。先日、このマットをオンにした。

足には手ぬぐいを縫い合わせた布をかけて冷えをしのぐ。座卓にカバーを掛ける日も近い。

季節の巡りはいつものことだ。とはいえ、人はいとも簡単に目先の状況に順応してしまう。

あんなに暑かった夏のことをすっかり忘れて、今はどう体を温めるか、そのことで頭がいっぱいだ。なんとも皮肉なことではある。それはしかし、生物としての生存本能なのかもしれない。

もともとヒトは(ほかの生物もそうだろうが)、天気の変化に即応しながら生きてきた。

そしてヒトだけ、暑いときは暑いように、寒いときは寒いように衣食住を調節することを覚えた。

今年(2025年)はクマが人里にまで押しかけているが、ヒトはふだん生活圏でこれらの動物を危険視することはない。

その意味では、ヒトにとって生存するうえでの一番大きな危機は地球の温暖化、それに伴う夏の酷暑と冬の厳寒ではないか。寒暖の変化を甘く見ると命取りになる。

「あんなに暑かったのに……」なんてぼやいている暇はない。酷暑時の服装と意識を引きずっていると、急な冷え込みに対処できずに風邪を引く。ということで、今夏の酷暑の記憶は秋の寒冷を前にスパッと頭から消えた。

 さて、庭に目を移すと――。ホトトギスが蕾をいっぱい付けている。10月18日には1輪が開花した。

この野草のすぐ上に、木々の枝を利用してジョロウグモが網を張っていた=写真。よく見ると、8本あるはずの脚が5本しかない。

 獲物を捕らえているうちに脚を3本失ったか。あるいは、天敵に襲われて生き延びたものの、ダメージを受けてそうなったか。理由はむろんわからない。

 ネットで調べたところ、クモは脚を2~3本失っても死ぬことはない。5本の脚でも十分生きていられる、ということだった。

 ホトトギスのわきにあるミョウガの群落は先日、カミサンが刈り払った。ミョウガの子が少々あった。今年は8月下旬からミョウガの子を食べてきた。その意味では、これが「終わり初物」である。

 夏、糠床に虫がわいたために、長年利用してきた糠味噌を廃棄した。朝のルーティンの一つ、糠床の攪拌がそれでなくなった。ミョウガの子の糠漬けもできなかった。

ジョロウグモは庭の頭上5メートルほどのところにも、電線を利用して網を張っている。こちらはポツンポツンと6匹いて、体が大きい。いよいよ秋が深まってきた。

2025年10月18日土曜日

庭の落柿

 わが家の庭のシンボルは柿の木。私ら一家が引っ越して来たときから庭にあった。それから逆算すると、樹齢は少なくとも60年以上か。

 渋柿である。一度だけ柿の実をもぎり、皮をむいて軒下につるしたことがある。ちゃんと干し柿になったかどうか記憶がない。あらかたはカビがはえたり、ヒヨドリにつつかれたりして消えたように思う。

こんなこともした。若葉を干して柿茶をつくった。てんぷらにもした。30代のころ、日曜日は時間がたっぷりあった。いずれもその場限りで、習慣にはならなかった。

今は生(な)るがまま、落ちるがまま。業者と後輩に頼んで、二度ほど枝をバッサリやったほかは放置したままだ。

 未熟な青柿が肥大すると落下が始まる。ちょうど樹下に車を止めている。青柿が車のボンネットや屋根を直撃するので、夏の始まりから秋の終わりまでは柿の木から離しておく。

酷暑の夏だけでなく、暑い秋も過ぎて、熟した落柿が地面を赤く点描するようになった。時間がたつと皮が破け、中身もとろけてつぶれる。

たまたま樹下に立ったとき、甘く饐(す)えた匂いに包まれた。一つだけ色も形もきれいな落柿があった。

ここまで赤いと中身も甘いはず――。食欲がわいて回収し、洗って豆皿に載せた=写真。

「初物」なので、いったん床の間に飾ったあと、二つに割って晩酌のおかずにした。渋みは消えて、さっぱりした甘さが口内に広がった。

 カミサンはカミサンで、近所の故義伯父の家から、やはり地面に落ちた甘柿を持ち帰った。

甘柿は、皮がやや黄色みがかった程度で熟しきってはいない。それでも甘柿である。さっぱりした甘さは熟した渋柿と同じだが、甘みの質が違うように感じた。

若いころ、四倉の知人から、正月には冷凍しておいた干し柿を食べる、という話を聞いた。

その延長で、熟してとろとろになった甘柿をタッパーに入れて凍らせたことがある。無添加の「かき氷」ならぬ「柿氷」、つまりは「柿シャーベット」。これはこれで正月のいい食べ物になった。

11月に入ると、そろそろ白菜漬けを、となる。風味用にミカンや柿の皮を干して加える。それでカミサンの実家から干し柿にした残りの皮が届いたこともある。

秋田県に伝わる「大根の柿漬け」を食べたときには驚いた。大根を半月切りにし、塩でまぶして水気を切り、そこに熟した柿の実を混ぜて少し寝かせた即席漬けだが、大根が甘く仕上がって絶品だった。

秋田出身のおふくろさんの味を、今は彼岸に渡った区内会の先輩が伝承した。「風土」は「フード」。そのことをあらためて実感した。

   さて、とこれは蛇足。正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は10月26日に詠まれた。それで、全国果樹研究連合会カキ部会が10月26日を「柿の日」に制定した。早くもその日が迫っている。 

2025年10月17日金曜日

自然はデザインの宝庫

                               
   「カニノツメ」と題した10月16日のブログで、「珍菌」が多いキノコの腹菌類に触れた。そのブログの終わりの部分。

――画廊や美術館で作者が心血を注いだ絵画や彫刻を見るのも好きだが、それと同じくらいに山野で人知れず展開される美の競演も捨てがたい――。

この「美の競演」はキノコに限らない。蛾や蝶たちも小さな背中にきれいな文様をまとい、これでもかとばかりに人を引き付ける。

 実際は人間の評価なんかどうでもよくて、天敵を欺き、異性を引き付ける――それが目的なのだろうが、見事な色彩と模様というほかない。

 山野ではなく家の中に迷い込み、写真を撮ったもののうち、種名がわかった虫たちを、そのデザインの面白さから四つほど紹介する。

まずは蛾のナカグロクチバ(中黒朽葉)=写真上1。暑くて茶の間のガラス戸を開けていたころ、カーテン代わりの蚊帳に止まっていた。初めて見る種で、最初は蝶・蛾の区別がつかなかった。

こんなときにはスケッチをして、それを基にネットで調べるのだが、「らしい」種にたどり着くまでには時間がかかる。

ところがおもしろいもので、ほかの種を調べているうちに、似たような画像に出合って「これだ」となるケーズが多い。ナカグロクチバはそうやって偶然わかった。

沖縄や九州に多い南方系の蛾だという。近年、本州でも見られるようになり、2005年発行の図鑑では、分布域は「関東以南」になった。

それから20年がたった今年(2025年)、東北最南端のいわきまで北上していることが確認できた。

エビガラスズメ(蝦殻天蛾)=写真上2=も蛾である。これも背中の文様をスケッチし、それを見ながら検索を続けているうちに、「らしい」画像を見つけた。これはどこにでもいる蛾のようだ。

ホタルガ(蛍蛾)=写真上3=は昼間、玄関の戸に張り付いていた。この蛾はなんとなくわかっていた。

頭が赤い。黒い翅に、斜めに白い帯が入っている。名前からしてそうだが、ちょっと見だけでもホタルを連想する。低山地に普通に見られる種らしいが、最近は住宅地でもよく見かけるとか。

最後に、蝶のサトキマダラヒカゲ(里黄斑日陰蝶)を=写真上4。これも偶然「らしい」画像に出合って種名がわかった。自然はデザインの宝庫――今回も、それを再認識した。

2025年10月16日木曜日

カニノツメ

                               
 10月最初の日曜日は昼前、夏井川渓谷の隠居で過ごした。カミサンは薄磯海岸にあるカフェ「サーフィン」の駐車場で開かれたフリーマーケットに出店したため、朝のうちに送り届けてハマから直行した。

 畑に生ごみを埋め、ネギの苗床に肥料をすき込むと、予定の作業は終わる。あとは自由時間だ。ゆっくり、じっくり、なめるように庭を観察することにした。

9~10月には道路との境界にあるモミの木の根元にアカモミタケが出てくるのだが、ここ2~3年はさっぱりだ。

 境界の木が生長して電線に触れるため、電力会社に頼んで幹と枝を切ってもらった。「モミは枯れるかもしれない」。それが2021年12月のことで、懸念された通り2本のモミが立ち枯れた。

 アカモミタケは菌根菌で、モミと共生している。モミが枯れたらアカモミタケも……。やはり、というべきか。一昨年(2023年)からアカモミタケを見なくなった。今年も期待はできない。

 ほかのキノコは? ヒラタケやアラゲキクラゲが発生する立ち枯れの木がある。腐生菌のヒラタケは晩秋のキノコである。梅雨に採れたマメダンゴ(ツチグリ幼菌)も、近年は現れない。

記憶にあるキノコを思い浮かべながら巡っていると、木々に囲まれた庭の東端に、上部が赤く染まった黄色い「爪」が点々と生えているのに気づいた。

高さは2センチほど。形状からして「カニノツメ」に違いない。既にしおれかかった菌のそばには、幼菌を内包する径1センチほどの白球が7個=写真上。

まだ元気な爪を見ると、白球を破って皺しわの筒が2本伸び、先端でくっつきながら濃褐色のグレバ(ここに胞子がある)を抱えている=写真下。

グレバはハエの好きな悪臭を放つ。ハエがそれをなめに来ると、胞子もハエとともに運搬・拡散される。

シメジやマツタケをキノコの正統派とすれば、こちらは異端派だ。ある図鑑では、菌類を①ハラタケ類②ヒダナシタケ類③腹菌類④キクラゲ類⑤子のう菌類――と、大きく5つに分類して945種を収録している。

腹菌類は56種で、そのなかのツチグリ、ノウタケ、ホコリタケ、サンコタケ、スッポンタケ、キツネノタイマツは、隠居の庭でも見られる。平や小川の山で見たオニフスベ、アカイカタケ、カゴタケも腹菌類に入る。

いずれもおかしな形状と色彩の「珍菌」が多い。人間の世界で展開される美術とはまた違った自然の造形美。

画廊や美術館で作者が心血を注いだ絵画や彫刻を見るのも好きだが、それと同じくらいに山野で人知れず展開される美の競演も捨てがたい。

食毒を超えてキノコに引かれるのは、この腹菌類の多様さゆえかもしれない。隠居の庭だけでも「キノコの世界」の奥深さが実感できる。

1週間後の10月12日にはその数70以上。高さが5センチほどに生長したものもあった。一角がカニノツメだらけ、というのも壮観だ。