2026年3月16日月曜日

再び「硫黄島の日章旗」

                              
   いわき市暮らしの伝承郷の常設展示室で、硫黄島で戦没したいわき関係者の日章旗=写真=と、皇室に献上されたのと同じ「じゃんがら人形」を見た。

「じゃんがら人形」については土曜日(3月14日)、経緯を含めてブログに書いた。日章旗にも「物語」がある。

日章旗については9年前(2017年3月18日付)、初めて見てブログに書いている。そのときの文章から抜粋・引用する。

――太平洋戦争末期の昭和20(1945)年2月19日、米軍が硫黄島に上陸を開始する。それからおよそ1カ月後の3月17日、大本営は同島守備隊の玉砕を発表する。

伝承郷のロビーに展示された日章旗の解説文によれば、戦いが終わったあとに米兵が日章旗を持ち帰り、平成18(2006)3月、硫黄島で行われた日米合同の戦没将兵追悼式でアメリカから返還された。

旗には「縣社飯野八幡神社」「縣社子鍬倉神社」「閼伽井嶽」といった文字が墨書されている。

戦前、平・祢宜町(七丁目)にあった田辺製作所(軍需関連の鉄工所)の従業員らの名前が記されている。

戦地へ赴く人間に職場の同僚または友人が名前や短歌を寄せ書きし、贈ったものと推測されている。

引き取り手のない遺品は靖国神社に奉納される。で、平遺族会が「所持者ゆかりの地のいわきに」とはたらきかけて、アメリカ大使館から日章旗の引き渡しを受けた。

父親が硫黄島で戦死した年長の友人らが尽力したのだろう、遺族会がいわき市教委に寄贈し、伝承郷で保管されている。

3月の硫黄島の戦いを思い起こし、死者を追悼する意味合いを込めた展示でもある。

わが両親のきょうだい(オジ・オバ)は合わせて7人。うち1人は母親の実家の鴨居に飾られた軍帽・軍服姿の遺影で知っているだけだ。母の兄である。

鴨居のオジは硫黄島で戦死した。母は「兄が夢枕に立って言った」ので病死、と信じ込んでいた。

同島の戦いでは、日米双方に2万人を超える戦死傷者が出た。福島県人も854人が亡くなっている。硫黄島の戦没者は、大多数が玉砕を報じられた3月17日が命日である――。

 やっと常設展示されたか、という思いがまずわいた。次は日章旗の持ち主を特定して返還すること。そのための常設展示だろう。

 若い仲間が、いわき市立図書館が収蔵し、デジタル化した地域新聞などをキーワードで検索できる特化型エンジン「いわき文献案内」をつくった。

学芸員がそれを利用すると、日章旗に記された人物の1人がヒットしたという。私もやってみたら計3人の住所がわかった。いずれも平の町内だった。

田辺製作所に関しては「平市七丁目 田辺機械製作所」、そして「平駅前」(白銀)と「平市五色町」がヒットした。

同一だとすれば、工場は移転を重ねたことになる。これはこれで調べてみる価値がありそうだ。なにはともあれ、明3月17日は硫黄島の玉砕発表の日。

2026年3月14日土曜日

「じゃんがら人形」余話

                                 
   図案家鈴木百世(1901~42年)が創案した「じゃんがら人形」を、ブログで何度か取り上げた。これは、その余話――。

先日、いわき市暮らしの伝承郷で皇室に献上されたのと同じ「じゃんがら人形」を見た=写真。カミサンのアッシー君をしたら、常設展示室に案内され、学芸員の説明を受けた。

上皇・上皇后陛下が皇太子・妃時代の昭和36(1961)年、小名浜(当時磐城市)で開かれた放魚祭に臨席した。

そのとき、旧平市から皇室に郷土民芸品の「じゃんがら人形」(13人組み)が桐のケースに収められて献上された。

「じゃんがら人形」は粘土を素焼きにして着色したもので、戦後の昭和27(1952)年、百世の妻恭代が1年をかけて再生した。

平(現いわき)駅前の「いづみや」が郷土の民芸品として売り出した。この人形制作は恭代が老齢を理由にやめるまで続いた。

2年前、遺族が百世の遺品を市立図書館と暮らしの伝承郷に寄贈した。いわき民報でこれを知り、「『図案家鈴木百世の仕事と思想』を紹介する企画展を、ぜひ早く」とブログに書いた。

総合図書館で去年(2025年)秋から、令和7年度のいわき資料常設展「デザイナー鈴木百世(ももよ) 知る人とぞ知るいわき人」が開かれている(5月24日まで)。

関係資料として、「じゃんがら人形」(13人組み)のモノクロ写真が展示された。それを見て驚いた。

1年半前に亡くなった義弟の遺品に「じゃんがら人形」(5人組み)があった。それとデザインが同じだった。

その後、昭和36(1961)年5月29日付のいわき民報で、皇室に献上されるまでの経緯を知った。

「じゃんがら人形」は昭和50年代の終わりごろまで制作されたというから、義弟が手に入れたのはそのころだろう。

そして、ここからは伝承郷での話。写真のコピーと新聞の写真で見ていた、献上品と同じ人形に心が揺さぶられた。何セットかつくられたのだろう。遺族からの寄贈品を模様替えの一環として展示したのだという。

若い学芸員から丁寧な説明を受けたのには、別の理由もあった。朝起きると私のブログを読むという。それで、「じゃんがら人形」の周辺情報には触れていたようだ。

そして、もう一つ。義弟の遺品よりはなんとなく小ぶりのように感じられた。いったん帰宅して、義弟の遺品を持ってまた訪ねた。

学芸員と一緒にチェックすると、5人組みは大人の親指大なのに対して、13人組みは小指大と一回り小さい。

やはり違っていた。献上品ということで、人数、大きさ、すべてに工夫を重ねたのだろう。これもまた眼福ではある。

この「じゃんがら人形」のいわれなどを盛り込んだ説明文があると、百世と「じゃんがら人形」、そして妻恭代の物語がより深く理解できる。老爺(や)心ながらそう思った。

2026年3月13日金曜日

15年の歳月

                                 
   日に日に世界が悪くなる――。朝ドラ「ばけばけ」の主題歌「笑ったり転んだり」が流れると、このフレーズが胸の中で立ち上がる。

アメリカとイスラエルがイランを空爆した。するとイランはホルムズ海峡を封鎖した。

原油のほとんどを中東から輸入する日本はこれからどうなる、と思う間もなく、ガソリンが高騰した。

先日(3月3日)、近所のガソリンスタンドで給油したときには、リッター153円だった。

3月12日にスタンドの前を通ったら、表示が「178円」になっていた。いきなりリッター当たり25円の値上げである。これはきつい。

3・11ではガソリン不足が問題になった。「原発震災」のためにタンクローリーが入って来なかった。

 車で避難するにもガソリンがない。身内の協力でなんとか少量を調達し、那須山系の村にある教育施設にたどり着いた。

 帰りは帰りでガソリンの残量とリッター当たりの走行距離を計算し、最短コースをひやひやしながら戻った。そのあともなかなかガソリンが調達できなかった。やっと入るという日に行くと、車の列ができていた=写真(2011年3月24日撮影)。

 それはまあ、直近(といっても15年前だが)の記憶だ。53年前の昭和48(1973)年10月に始まった第4次中東戦争を契機にオイルショックが起きた。

震災後、当時のいわき民報の師走1カ月間の見出しをチェックしたことがある。前に書いた文章を引用する。

大手企業は節電10%を実施、市の新年度予算は物価高に対応して経常経費を5%アップ、公共事業は抑制、常磐共同火力発電所は12%減産、飼料高騰に低利融資……

狂乱物価の波は翌年も続き、日本経済は戦後初めてマイナス成長を記録した。「高度経済成長」がこれで終焉した。今度は低成長下でまた狂乱物価が起きるのではないかと恐れる。

実はあれから15年の節目ということで、メディアの影響もあって、3月11日をはさんでこの何日か、あのときの惨状に思いをめぐらしていたのだった。

内陸なので津波被害は免れたが、原発事故には震えた。それで長男一家と一緒にいわきを離れた。

あの時のガソリン不足は原発事故のためだった。今度は戦争だ。戦争でガソリンが急騰し、原油そのものも輸入量が激減しかねない。

やはり、日に日に世界は悪くなるばかり、なのか。哲学者内山節さんの『文明の災禍』(新潮新書)を思い出す。

カバーの惹句にこうある。「産業革命以来、『発展』のため進歩させてきた末の技術が、いま暴走している。(略)私たちが暮らしたかったのは、システムをコントロールできない恐ろしい社会ではない。『新しい時代』は、二百年余り続いた歴史の敗北を認めることから始めることができるのである」

これは原発に対する評価でもある。が、戦争もまた「文明の災禍」、そして「歴史の敗北」そのもののような気がする。

※追記=3月15日、いつものガソリンスタンの前を通ると、レギュラーが「193円」になっていた。

2026年3月12日木曜日

猫は「寝子」?

                               
   シロ(白猫)が死んでいなくなったら、ゴン(キジトラ)が元の寝床に戻った。寝床はわらでできた「えじこ」(人間の乳幼児を座らせておく保育用具)である。シロに横取りされるまでは、ゴンの寝床だった。

シロはゴンより体が大きかった。年も上のようだった。人間にはとりすまし、猫仲間には容赦がなかった。

カミサンが「えじこ」より低いところにシロ用の寝床をつくったが、自分より高いところにいるのが気に食わなかったのだろう。いつの間にかシロが「えじこ」に入り、ゴンが下の寝床で丸まっているようになった。

シロがいなくなったことは、ゴンもすぐにわかったらしい。日々のストレスから解放されたのか、日中は「えじこ」で丸まっている。

ところが――。日が暮れて茶の間のカーテンを閉めるころには、「えじこ」がからっぽになっている。朝6時半ごろにはいたり、いなかったり。

飼い猫と違って、地域猫は野良も含めて夜行性らしい。昼は寝ている。つまり、ゴンはシロがいなくなったからせいせいして昼寝をしているのではなく、習性として昼寝をしているのだ。カミサンは「猫は『寝子(ねこ)だから』という。

猫の語源は「寝子」? 初耳なので、ネットで探ると、それらしいものが現れた。日中寝ている猫を見て、いつからか「寝子」と呼ぶようになった、それが猫といわれる始まりという説もある。ただし、断定はしていない。

1日の大半を寝て過ごすといっても、外敵に備えるために眠りは浅い。「「えじこ」に戻ったゴンを、窓越しに茶の間から撮影しようとしたら、気配を察したのか、頭をもたげてまっすぐこちらを見た=写真。なるほど、「寝子」だが眠りは浅い。

ついでに夜行性うんぬんの話もチェックした。すると、猫は夜行性のように思われがちだが、実際は「薄明薄暮性」だという。これまた初めて見る言葉だ。

明け方と夕暮れ時に活発に動き回って狩りをする。そういう時間帯にモノがよく見える目をしているのだそうだ。ネズミも夕暮れ時に動き出す。狩りをするにはうってつけの小動物というわけか。

猫は猫でも、生きる環境によって暮らしの質がだいぶ違うようだ。人間に依存しても本能を忘れてしまったわけではない。半野良の地域猫は、日中は寝て体力を温存し、夕暮れからの徘徊(はいかい)に備える。

人間からえさをもらうことに慣れたゴンは、人間が起き出した未明にはもう玄関の前にやってきて、鳴いてえさをさいそくする。

まだ暗いうちからえさをやるようなことはしない。そして、カーテンを開ける朝と、閉める晩、「えじこ」を見下ろすのが日課になった。今日も元気だ、「えじこ」がからっぽだ、である。

2026年3月11日水曜日

最後のホウレンソウ

                              
   このところ、朝10時前に夏井川河口から右岸堤防を車で通ることが多くなった。河川敷の公園にはいつも人がいて、ターゲットバードゴルフを楽しんでいる。

堤防からは阿武隈のスカイラインがパノラマとなって見える=写真。左に常磐の湯ノ岳~三大明神山、中央に閼伽井嶽~水石山、右に二ツ箭山~三森山。

いわきの夏井川流域だけでも平地は圧倒的な広がりを持つ。通るたびにそのことを実感する。

 それぞれのスカイラインが沈みこむところに川がある。閼伽井嶽の西側は好間川、二ツ箭山の西側は夏井川。川が山地を切り分け、平地に出て合流する。好間川は夏井川の支流だ。

 このスカイラインにも風車や送電鉄塔などの人工物が立つ。水石山には「空の灯台」がある。

ま、それはさておいて、朝、河口から堤防を戻るのにはワケがある。藤間中学校の近くに野菜の直売所がある。そこへ通うようになったのだ。

目当てはホウレンソウ。師走に「孫」の親と「ホウレンソウ鍋」を囲んだ。カミサンの友達がこの直売所で買ったホウレンソウを持ってきた。抜群のうまさだった。張りがあって甘かった。

以来、ほぼ1週間に1回のペースで直売所を訪れ、帰りは海岸道路に出て河口から堤防に出る。

海岸道路はクロマツの防風林の中にある。防風林は15年前のきょう(3月11日)、津波をかぶり、塩害を受けた。至る所で茶髪になり、伐採されて、跡地に松の苗木が植えられた。

それが育ちつつあると思ったら、今度はマツクイムシによる茶髪がひどくなった。その茶髪を見ながら通る。

「朝早く行かないと売り切れてしまう」。通い続けてわかったのだが、直売所は朝9時前後に開く。カミサンの友達の言葉に従って、朝食をとるとすぐ出かけるようにしている。

直売所(ビニールハウス)にはおばさんがいる。2月下旬になると、「ホウレンソウは終わり」といわれたが、たまたま2袋を分けてもらった。これが今季最後のホウレンソウになった。

1週間後に行くと、青物はコマツナだけだった。「ホウレンソウは冬だけ」。収穫もついに終わったということだろう。

イチゴの産地でもある。カミサンはイチゴも買う。シイタケや春彼岸の花も売っている。ホウレンソウを目当てに来るのはマチ場の人が多いようだ。

北風が吹き荒れる日も、中は石油ストーブがあって暖かい。海側のビニールは破けている。それで酸欠の心配はなさそうだ。

地元のおじさんが、暖を取りながらおしゃべりしている。そう、ちょっとしたコミュニティスペースでもあるのだ。

ホウレンソウが終わりなら、通い続けるのも……とアッシー君は思うのだが、「トマトもうまい」とカミサンの友達は言う。となれば、カミサンの直売所通いは続く。アッシー君はそれに従うだけだ。

車で往復ざっと30分。マチ場と農村部がほどよい距離で共存しているいわきならではの小ドライブではある。

2026年3月10日火曜日

古い住宅地図

                                 
   平成元(1989)年10月製作とあるから、古い住宅地図だ。ゼンリンが地元商店などから広告を取って、対象地域(草野駅前・中神谷地区)の全戸に無料で配布した。

 大きさはA4判8枚分(縦約60センチ×横約83センチ)=写真=で、3回2つに折ってA4判の大きさにして保管していた。

 戸建て住宅だけでなく、集合住宅にも個人名が入っている。ゼンリン地図の「売り」といえば「売り」だが、今では個人情報保護の観点から考えられないことだ。

 拙ブログで何度か取り上げた篤志家の箱崎昇吾翁の家が知りたくて情報を集めている。

 古い新聞記事には中神谷の宿畑、あるいは苅萱とある。わが家の近所なのは間違いない。

地元の寺社に石の門柱や鳥居を寄進しているので、宮司さんなどに聞けばすぐわかるのだろうが、そこはじっくり、ゆっくり、回り道を楽しみながら調べを進めたい、という思いがある。

まずは手元にある紙媒体や図書館のデジタル新聞などをながめて情報を集めている。その過程で37年前の住宅地図が出てきた。

広告掲載店と事業所は、地図にピンク色で場所が表示されている。わが家もそうだが、この37年間に廃業した店や事業所がかなりある。

草野駅前周辺はまったくわからない。隣接地区とはいっても、足を運ぶのはガソリンスタンドだけ。日曜日に通っていた魚屋は去年(2025年)の夏に閉店した。

やはり歩いて飲みに行ったり、買い物をしたりした中神谷の店と事業所の有無が気になる。

広告を出していた店と事業所では、大衆割烹、パン・ケーキ贈答品店、医院、米屋(わが家)が廃業した。

なかでも印象に残っているのは、大型スーパーが進出するとほどなく、路線商店街にあった個人営業のスーパーが消えたことだ。

地域にはまだ薬局や理髪店、魚屋、タクシー営業所、農協支店、信組支店などがあった。今はそれがない。

地域の暮らしを支える店が、事業所が、歩いて行ける範囲から消えた。震災後、「かかりつけ医」になった医院は健在だが、ほかの3軒の医院はなくなった。

わが家の隣は、今はコインランドリーだが、地図ではホットスパーになっている。なにかコンビニがあったな、という程度の記憶しかないのは、私自身、それほど利用しなかったからだろう。

そのなかで頑張っているスナックがある。若いころはよく飲みに行った。震災後というより、還暦後は出歩かなくなって足が遠のいた。

ママさんは、現役としてはいわき最高齢の部類に入るのではないか。しかし、3月になるとすぐ、「家事都合により当分の間休店致します」の紙がドアに張られた。

「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」。花は時期がくれば咲くが、人間はいつも同じではない。そのことを古い住宅地図からまた教えられた。

(これは後日談。立鉾の宮司さんから電話があった。用件がすんで、箱崎翁の件を尋ねると、すぐ家がわかった)

2026年3月9日月曜日

注意喚起の手紙

                                             
   「警察からこんな手紙が来た」。カミサンが友達から警察署名入りの茶封筒を見せられた。

茶封筒を見て、私はニセの手紙ではないかと疑った。詐欺グループが警察官になりすまして、メールや電話をかけてくる。警察をかたった新手の詐欺ではないかと。

新米記者のころ、警察を担当した。いわゆる「サツ回り」だ。その経験から、警察はそこまでやらないだろう――そう早とちりしたことが大きい。

ときどき、わが家に地域を管轄する交番のおまわりさんが回覧資料を持って来る。カミサンが相手をする。

おまわりさんからもらった名刺に印刷されている警察暑の所在地と一致する。が、そこまでかたる詐欺もある。

友達に代わってカミサンが警察署に電話をかけるとつながった。手紙はホンモノだった。ということで、本題――。

封筒にはA4判のカラーコピーが2枚入っていた=写真。1つは「県警からのお知らせ」、もう1つは「なりすまし詐欺に要注意」のチラシだ。

なぜカミサンの友達に手紙が送られてきたのか。理由が「お知らせ」に書いてあった。「あなたの個人情報が詐欺グループに流出しています」

その下にやや大きな文字でこうあった。『電話やメールなどでお金に関する話』が出た場合には、なりすまし詐欺を疑い、必ず家族や警察に相談してください――。この文章は子持ち罫(けい)で囲まれている。

全国の警察が犯人グループから押収した資料の中に、カミサンの友達の個人情報が載っていた。流出経路は不明だが、今後、なりすまし詐欺の電話がかかってくる可能性がある――。つまりは注意喚起の手紙だ。

そうとわかってから、あらためて封筒を見る。消印には「いわき局 料金後納郵便」とある。

最初にこれを見ていれば、地元の警察署からの手紙だとわかったはずだが、詐欺グループはこちらの思いつかないような手を使う。手紙が来たというだけで、つい思い込み=警戒心が走った。

今は制服で巡回するおまわりさん自身が、市民から「ホンモノ?」と疑われる時代だ。庶民にとっては「注意喚起」の前に、手紙が来たこと自体、緊張と不安の種になる。

だからこそ独りで悩まずに家族や警察に相談を、となるわけだが、独り暮らしの場合は友人・知人も相談相手として頭に入れておくといい。

そして、電話をかけるときには、だれかがそばにいるようにする。これも大切なことではないか。

警察からこういう手紙が届く場合がある、という広報に触れていれば、「ニセの手紙ではないか」などと思うこともなかったろう。いや、詐欺グループに対してはそれくらい疑ってかかっていい。さいわい友達はまだ被害には遭っていない。