「生老病死(しょうろうびょうし)」は仏教でいうところの「四苦」。「愛別離苦」を合わせると「八苦」。四苦八苦の中身がこれである。
後期高齢者になった今は、「生老病」まではきた、あとは「死」が待つだけ、という思いがある。
でも、「苦」ではない。「生老病」だって、振り返れば「苦」とは思わない。「死」は体験したことがないからわからない。体験してもだれかに伝えるわけにもいかない。でも、「死」とはどういうものか、できれば体験して伝えたい、という思いはある。
「病」で思い出す言葉がある。学校を飛び出して4年後、Jターンして新聞記者になり、結婚して、平屋の古い市営住宅に入ったら、目の前に恩師の家(教員住宅)があった。その恩師の造語である。
恩師は退職後、瑞宝小綬章を受章した。同級生に電話をかけて都合のつく人間だけが集まり、いわきで祝う会を開いた。
恩師は謝辞のなかで、自分の近況を造語で紹介した。1つは「無病息災」にひっかけた「三病准息災」、もう1つは「晴耕雨読」にちなんだ「晴耕工雨読」だ。いずれも四字熟語ならぬ五字熟語である。
三病は脳こうそく・肺がん・心臓病。食事療法を主に闘病を続けてきた結果、毎晩ではないが好きな清酒を楽しめるまでに回復した。息災とは言い切れないものの、それに近い状態ということだった。
もうひとつの方は、家庭菜園だけでなく、日曜大工も好きだからだという。そして「読」は、戦争体験者なので主として昭和史関係の本を読んでいるということだった。
祝う会から17年。そのころの恩師を超える年齢になったこともあって、最近はよく「三病准息災」を思い出す。
それに、と思う。「死」が親しくなりつつある。すぐ上の先輩、同学年の仲間、すぐ下の後輩と、同年代の訃報が続く。
1月には、大手出版社の編集者だったカミサンの同級生が急逝した。先日、遺族からのはがきでそれを知った。
秋には土地のサツマイモが届き、こちらからは米かサンマを送る。11月に電話をしたり、かかってきたりしたのが最後になった。
「死」が待つだけとはいえ、草野心平も言っている。「死んだら死んだで生きていくのだ」。生きているうちは老いを楽しむのだ。
その先人に、まど・みちおがいる。『まど・みちお
人生処方詩集』(2012年)=写真=に、ちょっと違った「死」が書かれている。1連5行で3連の詩である。毎日、「今日」が生まれて死ぬ。「一日」の生と死を見送り続けている。
それを受けていう。「ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に/あわてふためかないようにとあの/やさしい天がそのれんしゅうをつづけて/くださっているのだと気づかぬバカは/まあこのよにはいないだろうということか」
現実を直視しながらも、簡単にはくじけない。日常を書き続ける、その先にある「死」も――。重いものを軽く。その感覚で「生老病死」と向き合う。