2025年12月20日土曜日

「うつろ舟」が時代劇に

                                         
   大河ドラマ「べらぼう」最終回の余韻がどっかへ吹き飛んだ。

NHKBSで早めに「べらぼう」を見たあと、そのままテレビをつけていたら、時代劇「大富豪同心スペシャル・前編」が始まった。

冒頭、常陸の国に漂着した円盤形の小型船の絵が登場する。「うつろ舟」だ! 「うつろ舟」を題材にドラマが展開されるのか!

ドラマを見終わって、急いで情報を集める。それで時代劇(再放送)の輪郭が少し見えてきた。

原作は作家幡(ばん)大介の人気シリーズ『大富豪同心』で、原作者も作品も寡聞にして知らなかった。

時代小説である。図書館に『大富豪同心 漂着 うつろ舟』があったので、さっそく借りて読んだ=写真上1。

「常陽藝文」(2023年2月号)の特集に刺激されて、ブログで「うつろ舟」を取り上げたことがある。それを要約・再掲する。

 ――「常陽藝文」が、UFOのような円盤状の舟について特集した=写真上2。題して、藝文風土記「常陸国うつろ舟奇談」の謎。

 江戸時代後期の享和3(1803)年、常陸国の海岸に円盤に似た舟が漂着する(正確には、沖に漂っているのを浜の人間が見つけ、船を出して引き揚げた)。

船内には奇妙な文字が書かれ、箱を持った異国人のような美しい女性がひとり乗っていた。そんな前文から特集が始まる。

 江戸時代のミステリー「常陸国うつろ舟奇談」は、舟の漂着から20年ほどたった文政8(1825)年、滝沢馬琴が編纂(へんさん)した奇談集『兎園(とえん)小説』に収められたことで広く知られるようになった――。

 そのときにも驚いた。図書館で「うつろ舟」関連の本を探すと、風野真知雄『耳袋秘帖 妖談うつろ舟』(文春文庫、2014年)があった。澁澤龍彦も小説に仕立てていた。これも借りて読んだ。

 「うつろ舟」は作家の想像力と創造力をいたく刺激するらしい。舟に乗って漂着した青い目の若い女性の名は、風野真知雄の本では「まりあ」(ただし、異国風だが日本女性)、幡大介の本では「アレイサ」となっている。

 ドラマでは、同心仲間が名前を聞いて「アラエッサッサー」などとおどける。いや、英語とは無縁の日本語圏で生きている人間には、そうとしかとれかったのだろう。

しかし、原作も、ドラマも話はそこまで。その後の展開が見えないと思っていたら、続きがあった。

原作の方は、『大富豪同心 大統領の密書』でその後を描いている。図書館の本はしかし、「貸出中」になっていた。私と同じでBSの時代劇を見て、原作を読みたくなった人がいたのかもしれない。

なら、しかたない。まずは12月21日の「大富豪同心スペシャル・後編」を見る。それから、図書館の本が「貸出可」になるのを待つ。

2025年12月19日金曜日

もちと馬の置物

                                
 12月15日は今年(2025年)最後の回覧資料配布の日。実際は年内にもう1回、元日付の回覧資料(「広報いわき」など)が残っている。

元日に仕事をするのは野暮というもの。役所も年末年始休に入るから、年内最終週の29日か30日に元日付の回覧資料を配って、ゆっくりした気分で新年を迎える。

15日の早朝、カミサンを接骨院へ送った足で回覧資料を配った。帰って店を開け、ごみネットとごみ袋を出してから、ブログの原稿を入力した。

朝食はカミサンが戻ってから取り、一休みすると、今度はもちを切った。もちは前日の日曜日、カミサンの実家でついたものだ。

何年か前までは私ら夫婦も、もちつきを手伝った。私は蒸籠(せいろ)の火の番。「釜(かま)じい」だ。今は夕方、できたてのもちをもらいに行くだけ。

もちは電気もちつき器でつくる。1キロごとにポリ袋に入れ、ほぼ20センチ四方のかまぼこ形にする。

もらってくる数は事前に連絡してある。歳暮としてすぐ届ける家もある。わが家で食べるもの、あとでひとり世帯に届けるものは、私が食べやすい大きさに切る。

切り方は簡単だ。真ん中から2つに割り、さらに2センチ幅で包丁を入れる。もちは一夜寝かせると、少し硬くなる。日をおくともっと固くなって、包丁で切るのに難儀する。切ったもちはすぐ、カミサンが新聞紙にくるむ。

大根を切るようなわけにはいかない。それこそ滑りをよくするために、ときどき大根に包丁を当てて表面をぬらす。

前は革手袋をはめてやったが、今年はハーフフィンガーをはめている。そのまま左手で包丁の峰をグッと押し込む。

今年はできたてに近かったせいか、手のひらが痛くなることも、赤く峰の跡が残ることもなかった。

それが終わって茶の間でくつろいでいると、玄関の方から聞き覚えのある声がした。ハマの近くに住む知人が手製の「馬」の置物=写真=と日本酒を持ってきた。

このところ、毎年暮れになると、糸ノコを操作してつくった干支(えと)の置物が届く。令和4(2022)年の虎(寅)が最初だったろうか。以来、兎(卯)、龍の落とし子(辰)、蛇(巳)と続き、今回は馬(午)がやって来た。

 一目見ただけでも躍動感がある。力強く前進するように、という思いが込められているのだろう。さっそくテレビのわきの本棚の上に飾った。

早朝、回覧資料を配ると弾みがついたように、もちを切り終えた。そこへ来年の干支の馬がやって来た、一気に正月の準備を終えた気分になった(ただし、年賀はがきはまだだが)。

2025年12月18日木曜日

シルバー喫茶店

                                
 いわき市立美術館で企画展「コレクションの輝き」が開かれた=写真(チラシ)。閉幕1週間前の12月7日、展示作品を見た。

朝は夏井川渓谷の隠居へ出かけて土いじりをし、マチへ戻るとすぐ文化センターの地下にある喫茶ハニーで昼食をとった。私らと同じシルバー世代でびっしりだった。これについては後述する。

同美術館は、1945年以降の現代美術を収集の大きな柱にしている。その収蔵作品の中から、「風景」と「人間」をキーワードに選んだ作品を展示した。

なじみのある作品が多かった。「なじみ」があるとはこういうことだ。企画展とは別の常設展をはじめ、過去の企画展、地域紙での紹介など、いわきでは現代美術作品を見る機会が多い。

イブ・クライン、アンディ・ウォーホル、アンソニー・グリーン、ホルスト・アンテス……。いわきゆかりでは、物故作家の若松光一郎、山野辺日出男、松田松雄、熊坂太郎、田口安男など。

現役バリバリの吉田重信さんの「1994年4月30日 Bordeaux」という映像作品(特別出品=作者蔵)がおもしろかった。

フランスはボルドーへの移動の途中、車窓に映る風景を虹色の光としてとらえたもので、前にフェイスブックかなにかで見た記憶がある。

現代美術家は常に現れる。無名の作家の作品をいち早く評価して購入し、やがて作家が世界的に知られる存在になる。

昭和59(1984)年4月の開館から41年がたった今、まさにその方針が価値を帯びてきた。

作家の評価が定まることで美術館の「含み資産」(収蔵作品の経済的価値)はかなりのものになっている。今回も懐かしい思いでクラインの「人体測定」と対面した。

そして、これは現代美術とは関係がないが、しかし個人的には「美術つながり」としてもくくられる人と時間との結びつきを感じさせる体験だった。喫茶ハニーのことである。

この店は文化センターが開館したときからそこで営業している。経営者の父親とは、平・南町にあった草野美術ホールで出会った。

以来、同センターで展覧会があるとハニーで一休み、というケースが多かった。道路向かいに美術館が開館してからは行く機会もなくなったが、それでも喫茶ハニーは「古き良き時代の喫茶店」として脳裏に生きていた。

「ハニーで昼食を」。カミサンがそう決めていたのは、友達から昼のにぎわいを聞いていたからだ。実際、行って驚いた。シルバー世代で席が埋まっていた。

注文を取り、水を運び、食べ物とコーヒーを運ぶ女性もシルバーだ。カウンターの中にいるのはマスターと、私が現役のころ、取材先でもあった社協に勤めていた弟さん。

シルバー世代がこうして集い、食事をして談笑する――。そんな空間があること自体、「奇跡」ではないか。元ブンヤとしてはつい「これはマチダネになる」なんて考えてしまうのだった。

2025年12月17日水曜日

救急車が隣に

                                  
   ヒイラギは漢字で「柊」と書く。文字通り「冬の木」だ。その花=写真=に気づいたのは、会津の山沿いに雪が降り、中通り北部の福島市でも初雪が観測された11月19日。

阿武隈高地の東側(浜通り)は冷たく乾いた空気に見舞われた。さすがに庭で歯を磨く気にはなれなかった。

それから10日もすると寒い師走がきた。西高東低の気圧配置になれば、いわき地方は冷たい西風に見舞われる。寒さに震える日がこれから増える。

先日も朝から晴れて寒風が吹き荒れた。こういう日には、散歩は休むに限る(休む理由を見つけるのは簡単だ)。

いわき駅前の総合図書館に返す本がある。屋外ではなく屋内を散歩しよう。午後、「ラトブ散歩」をすることにして、茶の間でノートパソコンを開き、調べものをしたり、本を読んだりしていた。

 すると、西の方から「ピーポー、ピーポー」の音が近づいてくる。いつものように家の前を通り過ぎるだろうと思っていたら、近くで音がやんだ。

 ん⁉ カミサンと目を合わせる。カミサンが通りに出る。と、隣のコインランドリーの駐車場に救急車が止まっていた。

しかも、救急車に担ぎ込まれたのは近所の知り合いのAさんだった。カミサンとはPTA仲間であり、私とは区内会の役員仲間でもあった。長くひとり暮らしをしている。

救急車が来たのはこんな状況からだったらしい。寒風が吹き荒れる中、Aさんは日課の散歩に出た。わが家の近所まで来たところで道路の縁石につまずき転倒した。

通りがかりのドライバーがこれを見てAさんを助け起こし、コインランドリーの利用者にあとを託した。

利用者が救急車を呼んだが、知った人ではない。カミサンが行ってAさんとわかった。すぐカミサンが戻って来て、「Aさんの住所は?」と聞く。

家にある資料をパラパラやって、該当する個所を救急隊員に示し、さらに本人が持っていたケータイから娘さんにつながり、救急車の行き先が決まった。

老化は足から――。これを防ぐためにAさんは毎日散歩を欠かさないのだろう。

「準散歩」を始めたばかりの私も、先日、路上でばったり顔を合わせた。そのときはいつものAさんよりは、少し歩き方が遅いようだった。それから半月ほどたってからの転倒事故である。強風が影響したのだろうか。

救急車の「ピーポー、ピーポー」は、私らを含めて地域に高齢の夫婦、あるいはひとり暮らし世帯が増えた今、身近な音になった。

わが家の隣家に住んでいた義弟も亡くなる直前、救急車の世話になった。近所の人たちも何人か世話になった。

後日、Aさんの娘さんがやって来た。幸いAさんは顔を打っただけですみ、その日のうちに退院したという。なにはともあれ、大事に至らなくてよかった。

2025年12月16日火曜日

電源プレート

                                            
 わが家に「ティファール電気ケトル」という、魔法瓶に似た「やかん」(湯沸かし器)がある=写真。容器に水を入れ、電源プレートに載せてスイッチを入れると、すぐお湯が沸く。

 店の一角に喫茶室を兼ねた地域文庫がある。ケトルはカミサンが来客に出すコーヒー、紅茶、緑茶用だ。

 そのケトルの電源プレートに関して、ビックカメラグループ(ビックカメラ、コジマ、ソフマップの3社連名)から、リコール(無償交換)を知らせるはがきが届いた。

 2021年10月~2024年7月に製造されたティファール電気ケトルのうち、特定の製造ロットで、電源コードの「不適切な使用方法」(カギかっこは私)によって電源プラグが破損し、場合によってはコンセント付近で発煙・発火の可能性があるという。

 販売元はビックカメラグループだが、対応窓口はグループセブジャパンというところだ。フランスに本社を置くグループセブの日本法人で、ここが輸入元なのだろう。

 実は先日、地元の公民館から隣組に配る臨時の回覧資料が届いた。内容ははがきと同じで、リコールを伝えるものだった。抽選会で電気ケトルが当たった人は公民館まで連絡を、対応資料を渡します――。

 8月31日に地区の市民体育祭が行われ、終わって「大抽選会」が開かれた。抽選会の景品の一つにティファール電気ケトルがあった。

 公民館から回覧資料が届くとすぐ、カミサンがはがきを見せた。それで前から家にある現物を確かめ、はがきの指示に従って、ケトル底面に表記されている「製品品番」と「4ケタ番号」をチェックした。

ついでに生産国を確かめる。フランス製かと思ったが、「メイド・イン・チャイナ」だった。

 対象製品が多いためか、該当製品の一覧はホームページでどうぞという。手元のケトルの製品品番と4ケタ番号をリコール製品の一覧と照合する。どれにも該当しない。

つまり、対象外。電源プレートを交換することなく、今まで通り使用できるということだ。

わが家の場合はそれで一件落着だが、抽選会のケトル当選者は同じように製品品番と4ケタ番号をチェックして、該当製品かどうかを確かめる必要がある。

 もちろん公民館に連絡するのが一番だが、いながらにして確認するには「電気ケトル リコール」で検索しても、ティファール公式サイトにたどり着く。私もそれで確かめた。

 にしても、と思う。電源コードの「不適切な使用方法」って、何を指しているのだろう。使う側(消費者)の扱い方次第のような表現がどうにも引っかかる。

2025年12月15日月曜日

はなのころ作品展

                                 
 心身に障がいを抱えながら表現活動に励んでいる「はなのころ」のメンバーと、それを支援する作家のチャリティー作品展が12月6日から14日まで開かれた。

 会場はいわきニュータウンの一角、住宅を転用した「アートサロンいわき」で、主催者のNPO法人はなのころの西山将弘理事長から、作者(メンバー)と作品の説明を受けた。

 はなのころは今年(2025年)4月、平・三倉に交流ギャラリースペース「はなのころBASE(ベース)」を開設した。

 10月下旬だったか、カミサンのアッシー君を務めながら、通称「はなベー」へ出かけた。

西山理事長とは縁があって前から知っている。いろいろ説明を聞く中で、興味を引くものがあった。

 絵はがきとブローチで、「混乱」というタイトルが付いていた=写真上1。作者は「碧(あおい)」さん。

解説資料に「エネルギッシュなモチーフや和の作品、落ち着いた風景画など、何でも自由に描いて、自分のスタイルを追求している」とあった。

 技法的にはデジタルイラストと呼ぶらしい。太い線を駆使した画面から、アメリカの現代美術家、キース・ヘリングに通じるものを感じた。

 へリングの作品を見たときには驚いた。これも美術なんだ! 軽やかなタッチと解放感。現代美術の表現の多様さを知った。

 碧さんの「混乱」にも同じような自由さを感じた。こりかたまったこちらの感性が解き放たれる。コミュニケーション(わかる・わからない)ではなく、共振・共感のバイブレーションが起きる。絵はがきとブローチを買った。

 それから2カ月近く。新聞でチャリティー作品展の開催を知った。今度もアッシー君を務めた。碧さんの作品は? ちょっと見当たらなかったが、代わりに面白い発見をした。

新聞の折り込みに「お悔み情報」(主にA4判・片面コピー)がある。私はこれを取っておき、真っ白の裏面をメモ用紙として使っている。

震災前からの習慣で、「規格」が同じだから「カード式」の日記になる。現にそうして、15年以上書き続けてきたので、けっこうな分量になっている。

一日の主な出来事や植物・動物・菌類のこと、本を読んだ感想、その他もろもろ、なんでも書き付けておく。それをヒントにキーワードを探し、ブログの構成を考える。

はなのころの小野広美さんは、このお悔やみ情報の真っ白な裏面を画用紙に見立てて作品をつくる=写真上2。

はなのころの会報誌によると、小野さんは「記憶している文字を即興で書く」のが得意だとか。それに季節の果物や生き物、花火などのイラストを添える。文字は漢字が多い。

ここでもバイブレーションが働いた。私と同じ素材を使っている。私はカード式の日記用紙として、小野さんは画用紙として。方法こそ異なるものの、表現に利用しようという思いは同じ。それを知ってうれしくなった。

2025年12月13日土曜日

「菌類世」?

毎日2千歩前後は歩くと決めてからは、いわき駅前再開発ビル「ラトブ」の総合図書館へ行く、スーパーのマルトへ行くというとき、「ラトブ散歩」「マルト散歩」を意識するようになった。

 それまでは目当ての本や品物には一直線に向かい、手にしたらすぐ貸出機やレジに直行する。ほかは見向きもしなかった。

しかし、一直線だけが時間の使い方ではない。図書館にはおびただしい本がある。マルトにもたくさんの商品がある。

世代や男女、仕事や趣味、その他もろもろの需要にこたえるための本が、商品が用意されている。

頭ではわかっていても余計な時間はかけたくない、いつもそんな意識がはたらいていた。

散歩しているのだと思えばいい。最近はそんなふうに意識を切り替えて書架をながめ、商品棚をチェックする。

一直線のときにはこんなこともあった。マルトでは私がカートを動かす。レジの列に並ぶと、なぜかカミサンがいなくなる。

どこへ行ったのかな――。いぶかっているうちに、レジの順番がくる。こちらは財布を持っていない。どうするんだ。内心焦っているところへカミサンが戻って来る。突然買うものを思い出すのだそうだ。

一直線から散歩感覚に切り替えたのには、これもあった。入館・入店したときから健康を意識してフロアをあちこち移動する。

ラトブでは図書館だけでなく、階下の書店やショップもぶらつくことが増えた。買うかどうかはともかく、なにがあるのかを「ラトブ散歩」で確かめる。

ほかの大型店へ行ったときにも散歩感覚で店内を巡る。それで100円ショップでは「数独」の練習帳を売っているのを「発見」した。

図書館の話に戻る。ラトブの総合図書館は、4階が子どもと生活・文学フロア、5階がいわき資料と歴史・科学フロアだ。

これまでは一直線のほかはカウンター前の新着図書コーナーをのぞくだけだった。最近は5階も4階も巡り歩く。

そうした「ラトブ散歩」で自然科学系の書架から見つけたのが、キース・サイファート/熊谷玲美訳『菌類の隠れた王国――森・家・人体に広がるミクロのネットワーク』(白揚社、2024年)だ=写真。

現代の地質年代を「人新世」と呼ぶ言い方がある。しかし、「私たちの住む世界は菌類の世界である。(略)人類の影響がどれだけ大きくても、菌類の影響にはとてもかなわない」(序文=ロブ・ダン)。

で、現在は「『菌類世』とも呼ぶべき大きな時代の、風変わりな一時期」なのだとか。「菌類世」? ロブ・ダンはそういう視点で本書を読むことを勧めている。

 本書は、菌糸体の特質を応用した新素材・新製品、菌類の代謝産物から生まれる新薬・石油化学製品の代替製品、プラスチック分解……。マイコテクノロジー(菌工学)の可能性にも言及する。

    散歩は夏井川の堤防であれ、図書館であれ、予期せぬ出会いを秘めている。そこがおもしろい。