2025年12月6日土曜日

置き干し柿をもむ

                                
   干し柿をつくっている、というのは正確ではない。干し柿ができるのを待っている、というべきか。

庭に落ちていた渋柿の皮をむき、軒下につるすのではなく、屋内で浅いざる(直径47センチ)に置く。手抜きでも干し柿はできるのではないか、とひらめいた。

これは、そうして「置き干し柿」を始めてから1カ月近い「中間報告」でもある。

ざるは2階の窓際に置いた。それが11月11日。以来毎朝、様子を見に行く。最初の1週間はこんな具合だった(11月18日のブログから)。

――ちょっとした振動、たとえば地震、あるいは家の前の道路を大型車が通ると、すぐコロリとなる。で、毎日、置き場所を探りながら並べ直す。

揺れを感じなかった日でも、なにかが影響するのか、1個か2個はコロリとなっている。

小さな泡を吹いている傷口もあった。果肉がとろけそうになっている。これがざるにくっつくと厄介だ。

ざるも時々、半回転させる。曇りガラス越しとはいえ、光がまんべんなく当たるようにする――。

柿がコロリとなるのは、振動もあるのだろうが、柿自身の変化が原因かもしれない。

というのは、水分が抜けるにつれて、柿はやわらかくなる。すると重力の影響か、ひしゃげるように変形したものが出てくる。それでバランスを崩すのではないか。

簡単にいうと、しっかりした円錐形がつぶれた台形、あるいは先端がひしゃげたとんがり帽子のようになる。

それで絶えず11個の柿を、ざるの角度に合わせながら並べ替える。ざるもときどき回転させる。

干し始めて10日もたつと、かなりやわらかくなってきたので、もんで形を整えた。そうすることでバランスもよくなる。

月が替わり、師走を迎えたころには、倒れる柿はなくなった。色も朱赤色から茶黒っぽく変色してきた。ここまでくると、もう仕上げを待つばかりだ。

12月4日朝、家が揺れた。最初ドンとなってグラグラッときた。震源はいわき市の好間ないし閼伽井嶽あたり。震度は2だった。

すぐ干し柿を見に行く。大丈夫だった。ついでにざるごと台所に戻し、軟らかくなった干し柿は1個ずつラップに包んで冷凍室に入れる。

傷があって一部やわらかかったものは、硬くなるのも早い。果汁もしみ出して、ざるの下の台紙まで濡らしていた。これが2個あったので、カミサンと試食をした。ほんのり甘かった。

正月用には4~5個もあれば十分。残りは、だれというわけではないが、客人に食べてもらおう。

 干し柿は人間がつくったというよりは、冬の空気と時間が生み出したもので、人間はその手伝いをしただけ。

「置き干し柿」は文字通り、「置く」だけにした手抜き干し柿だ。それでも軒下につるした干し柿と味にそう違いはなかった。

2025年12月5日金曜日

フロントガラスに「ザラメ雪」

                               
   夜中に一度起きる。日が替わったのを確かめてブログをアップする。

起きると玄関の先が闇夜の中でうっすら明るかった。窓のカーテン越しに庭を見ると、月明かりの中で車が、庭木が浮かび上がっている。12月の満月は5日。明るいはずである。

それから4時間後。二度寝のあとに布団から抜け出して、玄関を開けて新聞を取り込みながら庭に出る。雲が出ているのか、星は見えない。霧雨が漂っていて、眼鏡に水滴が付いた。

夜が明けると次第に東の空が赤く燃えてきた。晴れるのだろう。雲はとっくに消えていた。

庭はふだんと変わらない。が、車の屋根とフロントガラスがうっすら雪をかぶっている=写真。義弟が住んでいた南隣の家の屋根も白い。

霧から雪になったのか。としたら、いわきの平地にも早い「初雪」が降ったのだ――。きのう(12月4日)のことである。

カミサンは足のマッサージのために、一日おきに接骨院へ行く。前は車で送迎したが、最近は送っていくだけだ。マッサージが終われば歩いて帰って来る。

早い朝食後、接骨院へ行くために車のエンジンをかける。ワイパーでフロントガラスの雪を払おうとしたら、「ガガガガ―」ときつい音がした。

なんだ、これは! フロントガラスに張り付いたのは、乾いた粉のような雪ではなく、凍った「ザラメ雪」だった。すぐやかんのお湯をタオルに注いで、フロントガラスの「ザラメ雪」を解かした。

それから2時間ほどたつと、隣の駐車場で人声がした。やはりワイパーを回して、「なんだ、これは!」となったのにちがいない。

フロントガラスの「ザラメ雪」を解かすのに手間取ったことだろう。そんな驚きと戸惑いの光景が、いわき市内各地で見られたのではないか。

カミサンが接骨院から戻って来て「報告」した。車や屋根の「雪」は、天から降ってきたのではなく、霧雨が未明に凍ってザラメ状になったものらしい。接骨院での話である。なるほど。

すると、これは霜と同じではないか(以下は、それからの憶測)。検索すると、霜とは冷たい地面や物体に接した空気中の水蒸気が直接氷の結晶となって付着したもの、とAIが回答する。

畑の大根の葉が冬の朝、霜をかぶって白くなるように、車も家の屋根も水分でぬれていた表面が凍り、そこに空気中の水分が霜となってかぶさったのだろう。車のドアの取っ手はその点、霧雨が凍結しただけのようだった。

アスファルト道路は車や家の屋根よりは保温性があるらしく、ザラメ状にはなっていなかった。運転には支障がなかった。

西の阿武隈の山並みも、最初は雪をかぶっているにちがいない、そう思ったが、いつもの初冬の姿だった。やはり庭では冷え込みによる凍結と霜が重なったのだ。

2025年12月4日木曜日

白菜を漬ける

                                
 11月下旬の連休最終日、前日に引き続き夏井川渓谷の隠居へ出かけた。モノを運ぶだけだったので、すぐ川前から差塩(さいそ)の山越えルートで三和に下り、三和ふれあい市場で買い物をした。

 例年、11月下旬にはふれあい市場で白菜を2玉買う。シーズン最初の白菜漬けは三和産で――。これをほぼ踏襲している。

 理由は簡単だ。この時期、山地の白菜は平地の白菜よりは甘い。霜が降りる時期になって、畑の野菜は凍るのを防ぐために糖分を蓄える。冬の到来は平地より山地が早い。

 ならば同じ山地の川前の白菜でもいいのではないかとなるのだが、これはもう好みというしかない。親せきが上三坂にいる、高専の仲間にも三坂出身者がいた、ということも作用している。

 山が冠雪すると差塩の山越えルートは使えない。国道49号を利用してふれあい市場へ直行するのも、道路の冠雪・凍結を考えると怖い。というわけで、山越えルートを使うのは今回だけかもしれない。

 白菜は1玉を8つに割り、天日に干してから漬ける。計16割り。夫婦2人だけなので、これを食べきるには、1カ月はかかる。

春の終わりの大型連休のころ、糠漬けに切り替える。それまで4~5回は白菜を漬ける。

真冬には平地の白菜も甘みを増す。そうなればどこでもいい。どこかの直売所を訪ねたときに白菜も調達する。

さて、今季最初の白菜漬け込みである。夕方まで晴れる日を選んで、朝方、縁側に白菜を干した=写真上1。

夕方には漬け込む。そのために、甕(かめ)を洗い、ユズの皮をむいてみじんにし、乾燥した柿とミカンの皮、昆布、鷹の爪、食塩を用意する。これは待ったなしの作業だ。

白菜は重さが何キロだから食塩は何グラム、なんて計算はしない。もう指が覚えている。少なくともここ数年は「手分量」でやっている。

漬け込みには台所のいすとテーブルを利用する。いすに甕を置く。テーブルに白菜を置く。もう1つのいすに座って、白菜を手に持ち、葉を1枚ずつ開いて食塩を振る。  

甕の底が見えなくなったら90度回転し、同じ要領で白菜に食塩を振る。2段目もふさがったら、また90度回転して残りの白菜に食塩を振る。

その都度、風味用のユズと殺菌用の鷹の爪を散らし、昆布とミカン・柿の皮などを加える。

甕は、台所には置かない。そこだと明るすぎる。北向きの階段下に据える。甕を移してから、重しを2個のせる。これで漬け込み作業は完了だ。

金曜日(11月28日)に漬け込んだのが、翌日には早くも湿り、翌々日には水が上がったので、重しを1個減らした。

さらに押し蓋の上まで水が上がったことから、師走初日の朝、1切れを取り出して食卓に出した=写真上2。

食塩はまだなじんではいなかったが、白菜には甘みがあった。期待通りだった。これで漬物は当分買わずにすむ。

2025年12月3日水曜日

さわやかな日本晴れ・下

                               
   11月30日の日曜日も前日に引き続き、さわやかな日本晴れになった。夏井川渓谷の隠居へは少し早めに出かけ、生ごみを畑に埋めたあと、磐越東線に沿って上流の小野町へと車を走らせた。

 29、30日と同町で磐東線の「小野新町駅開業110周年記念イベント」が行われた。同駅では「小野新町駅今昔写真展」など、駅から少し離れた同町多目的研修集会施設では「東方文化堂ギャラリー」などが開かれた。

 東方文化堂(磐越東線ギャラリー)は同駅裏の県道沿いにある。古物商の渡辺伸二さんが運営している。

 渡辺さんは磐東線を利用して平工業高校に通学した。それがきっかけかどうかはわからないが、筋金入りの鉄道マニアである。同町にUターンすると、自宅兼店舗に東方文化堂を開設した。

平成19(2007)年には『磐越東線ものがたり 全通90年史』を出版している。この本には世話になった(3年前、改訂増補版が出た)。

令和3(2021)年4月下旬、東方文化堂を訪ね、渡辺さんから説明を受けた。そのあと、渡辺さんに場所を聞いて町なかの渡久製菓から「ぬれ花まめ」を買って来た。

最近では、郡山市で発行されている月刊タウン誌「街の灯(ひ)こおりやま」に「磐越東線 各駅停車散歩」を連載した。毎回、渡辺さんから掲載誌の恵贈にあずかった。

駅も、多目的研修集会施設も、人でごった返していた。駅そばの駐車場に入ると、カミサンがホームの待合室を撮影した=写真上1。

この駅のホームには思い出がある。10年前の「小野新町駅開業100周年」のときにも触れた。それを再掲する。

――4歳か5歳のころの、磐東線にまつわる最初の記憶。祖母に連れられて、汽車で平のおばの家を訪ねた。

磐東線は今も単線だ。小野新町駅で平からやって来る汽車を待っていたのだろう。あまり待ち時間が長いので、ふらっとホームに出たら地下通路の階段が見えた。そのままトントンと下りて、駅の改札口の方へ上りかけたとき、連れ戻された。

地下通路の不思議な感じと、だれかに呼び止められて振り返った光景が頭に残っている――。

イベント会場では磐東線に関するグッズや写真、その他の資料が展示されていた=写真上2。

渡辺さんの案内で展示物を見て回った。さすがは「磐東線博士」である。どんな質問にもよどみがない。

 前に会ったとき、カミサンは「ぬれ花豆」の店を聞いた。今回は豆腐である。どこに豆腐屋があるか尋ねると、町役場の近くに新菊とうふ店があるという。そこから豆腐5丁を買って戻った。

2025年12月2日火曜日

さわやかな日本晴れ・上

                                
 さわやかな日本晴れだった=写真上1。午前中こそ風があったものの、午後になるとほとんど凪(な)いで、出歩きたい気分になった。

 11月29日、土曜日の午後。いわき市文化センターへ出かけた。泉彩華会絵画展と、同サークルの指導者だった故冨田武子さんの遺作展が30日まで開かれた。

たぶん最後の遺作展である。冨田さんの作品をこの目に焼き付けておこう、そんな思いもあった。

 冨田さんが指導してきたもう1つの絵画サークル、「ボタニカルアート泉」の作品展でも遺作展が開かれた。

冨田さんのボタニカルアート作品はいわき民報紙上でなじんできた。画家であると同時に、いわきキノコ同好会の会長でもあった。

泉彩華会展でも、キノコと植物を組み合わせた作品や、子どものころから親しんできた馬の絵が展示された。

冨田さんにはキノコ同好会で指導を受けた。やはり、キノコの作品に目がいく。「9月の森は忙しい」と題された大作は、中央にタマゴタケが配されていた。

ほかに、ムラサキシメジらしいもの、オチバタケの仲間らしいものが描かれた作品もあった。

なかで、強くこちらに迫ってくる作品があった。枯れ木に張り付いたカエルの卵塊のようなキノコで、実見したことはない。

年末の同好会の総会・勉強会で、会員がこのキノコを紹介した。拙ブログから、勉強会(2018年)の中身を抜粋・再掲する。

 ――勉強会は、橋本和昭さん(須賀川市)が担当した。主に観察会でのキノコを写真とともに紹介した。

阿武隈の山々では除染名目で森林の改変が行われた。それで、ある村では福島県で絶滅危惧Ⅰ類のセンボンキツネノサカズキ=写真上2=が消滅の危機にある。

橋本さんたちは緊急避難的にセンボンキツネノサカズキが発生した倒木を別のところへ移した。

その倒木の養分を食べつくしたら、センボンキツネノサカズキはどうなるのか。除染か保存かの二者択一ではなく、除染も保存も、の折り合いのつけ方はできなかったものか――。

このセンボンキツネノサカズキを描いたと思われる作品が2点あった。ミズナラなどの倒木に発生する美しい珍菌で、主に北海道で見つかっていることから、北方系のキノコなのかもしれない。

人知れず生まれて消えていくものがある。そうした菌類をいとおしむ冨田さんの思いが作品から伝わってきた。

ついでながら、ウィキペディアでは阿武隈の発生地を「川内村」と具体的に表記している。

2025年12月1日月曜日

指が生えかわる?

                                           
   図書館で、寝床で読む大活字本を探していたら、田部井淳子さんのエッセー集『山の頂の向こうに』が目に止まった=写真。

田部井さんは女性として初めてエベレスト登頂に成功した。田村郡三春町がふるさとだ。私は同じ田村郡の常葉町(現田村市常葉町)で生まれ育った。「田村郡」のくくりでいえば、同郷の大先輩である。

大活字本は、小説だとページを繰る回数が多くなる。エッセーはその点短いので、1つひとつ読み切るのにそう時間はかからない。いいところで睡魔がやってくる。で、この本を借りた。

なぜ田部井さんの本か。田部井さんをモデルに、吉永小百合さんが主演した映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」が公開された。それで、ネットを含むメディアの情報が脳内にインプットされていたようだ。

田部井さんが女性だけでエベレストに遠征し、登頂に成功したのは1975年。今年(2025年)はそれからちょうど50年に当たる。

とりあえず寝床で読み始めると、これがおもしろい。本を持つ手の力がスーッと抜けるときもあれば、読み続けて1時間が過ぎ、2時間がたつこともある。

 映画の原案は田部井さんの別の本、『人生、山あり“時々”谷あり』である。ネット情報だけでいうのもなんだが、『山の頂の向こうに』の続編とでも呼べるエッセー集のようだ。

 『山の頂の向こうに』でも触れているが、「“時々”谷あり」は、たとえば子どもの成長に伴う行動の振幅の大きさなどを指しているのだろう。

『山の頂の向こうに』で最も強烈な印象として残った出来事を紹介する。田部井さんは1981年、チベットのシシャパンマ(8012メートル)を登頂したあと、左足の指が凍傷にかかる。その顛末がすさまじい。

キャンプに戻って足をお湯につける。「凍った指がだんだん解凍していく時の痛さは、とても言葉には表現出来ない」。これだけでも驚きだが、さらに事態は深刻化する。

 北京の病院は切断するかどうかという判断だった。「切るのは嫌だ」とそのまま帰国して、日赤病院で1本1万5千円の注射を2回打ってもらう。もしかしたら、これが効いたか。

 自宅で走り回る長男をつかまえ、おむつを取り換えようとして、田部井さんは転ぶ。そのとき、凍傷の足を包んでいた包帯がポロリととれる。

「キャーッ黒い指がない。なんと黒い部分だけ包帯にくっついているではないか。なかから生まれたばかりの赤ちゃんの指のような、赤い細い指が現われている。爪はない」。ドクターに電話すると、「よかったですね。切らずにすみましたね」。

 指が再生した? それから足の指を鍛えるためにジョギングを始める。それを知った知人の世話で翌年、青梅マラソンに出場し、30キロを完走する。青梅マラソン出場の裏にはこんな奇跡と努力があったのだ。

2025年11月29日土曜日

豹変いや猫変

                                 
 大活字本の動物エッセー、群ようこ『ネコの住所録』は、2匹の近所の猫について書いた「二重猫格」から始まる。

人間の「二重人格」になぞらえて、通行人と飼い主とでは態度をガラリと変える猫のことを「二重猫格」と表現した。

首輪をした黄色いオス猫の「ゴン」は道路に突っ伏して死んだふりをする。通行人はびっくりするが、飼い主が声をかけると「ニャーン」としっぽを振って家の中に入る。

大きな家の立派な門の中にミカン箱のベッドを置いてもらい、ドテッと横になっている「ブタ夫」(キジトラのオス=「チャーリー」という名前が付いている)は、通行人が声をかけても「ブニャー」と押しつぶした憎たらしい声で鳴くだけだが、飼い主が声をかけると「ニャー」と言って起き上がる。

このエッセーを読みながら、わが家の「さくらネコ」の「ゴン」(キジトラ)と「シロ」(全身が真っ白)のふるまいを思い出した。

飼い猫ではない。地域猫で、カミサンがキャットフードをやると、まずゴンが縁側にすみつくようになった。

最初は段ボール箱、ついで「えじこ」(人間の乳幼児を座らせておくわら製の保育用具)をベッドとして用意した。

あとから来たシロは最初、どこかのお嬢さんみたいにとりすましていたが、ゴンよりは年かさらしく、なにかというとゴンを威嚇する。

カミサンはそれでゴンを応援することが増えたのだが、猫同士の力関係を変えるまでにはいかない。

シロは、人間に対しても横柄なところがある。ゴンは玄関のたたきにある踏み台にお座りをして、時折、物欲しそうに「お手」をしてこちらを見る=写真。

シロはそんなことはしない。ちょっと目を離したすきに茶の間に上がり込む。「コラッ」。一喝すると、脱兎のごとく庭に走り去る。

それだけではない。シロはゴンのベッドを奪った。カミサンは新たにゴンのベッドをつくってやった。

カミサンが足の神経痛に見舞われた時、私が代わってえさを与えた。今も時々、代行する。

すると、私を避けて突っ走り、少し先からこちらを振り返って見ていたシロが、だんだん距離を縮めて、今では「ニャー」と鳴くまでになった。11月に入ると足元にすり寄って一周までした。

君子は豹変する。その「豹変」と「二重猫格」から思い浮かんだ言葉が、シロの「猫変」ぶりである。

えさをやるのは朝と夕方の2回だ。夕方は特に「えさ、ちょうだい」の鳴き声が玄関先で繰り返される。

それだけではない。先日も縁側の方からうなり声が聞こえた。やはりシロである。ゴンを縮み上がらせている。なんだか白雪姫をいたぶる王妃みたいだ。