2014年5月1日木曜日

マツバウンランとお座敷列車

 いわき地域学會の総会が「昭和の日」(4月29日)に開かれた。準備があるので、早めに若い仲間の車で出かけた。途中、いわき駅に寄り道をした。構内に3両編成のお座敷列車が止まっていた。若い仲間がそれを撮影した。

 構内に隣接する駐車場に“撮り鉄”がいた。わが家の後ろの家の若者だった。しかも、地域学會の若い仲間とは職場が同じだ。情報を共有していたらしい。
 
 “乗り鉄”でも、“撮り鉄”でもない人間には、お座敷列車の価値がわからない。ただただ派手な色に感心するばかりだ。ピンクというより赤に近い色の車両には「雪」の字、紫色の車両は「月」とくれば、残る緑色の車両は「華」だ。日本の四季の自然美を象徴する「雪月花」である。
 
 郡山駅発で、田村郡小野町の「夏井の千本桜」を車窓と夏井駅のホームからながめたあと、いわきのスパリゾートハワイアンズに遊ぶ――というのが、旅のプランだったようだ。

 若い仲間が写真を撮っている間、周囲をブラブラしていたら、駐車場の入り口にマツバウンランが咲いているのが目に留まった。お座敷列車をバックに写真を撮った=写真。“撮り鉄”ではないから、花を主役にした。同じカメラを手にしても、撮り方は十人十色だ。

 マツバウンランは散歩コースにしていた夏井川の堤防にもみられる。北アメリカ原産の帰化植物だ。それが街なかの駅のそばにもあった。常磐線の電車が南から種を運んできたのだろうか。

2014年4月30日水曜日

スギナも必要だ

 アメリカのニューディール(新規まきなおし)政策は、「テネシー河谷開発」が最大の事業だった。このダム堰堤(えんてい)の土砂流出を防ぐために、日本のクズが利用された。同じアメリカのジョージア州でも、1800年代末に土壌の流出防止と家畜の飼料のために日本からクズが輸入された。そのクズが今、アメリカで猛威を振るっている。

「ナショナルジオグラフィック」2005年3月号の特集<侵略しつづける外来植物>の米国編で知った。テネシー河谷開発は日本の国土総合開発の手本になった。「草の根民主主義」という言葉はこの事業から生まれた――そんなことも思い出した。

 それにはわけがある。あちらは大規模開発、こちらは小規模除染だが、いかに庭の土砂流出を防ぐか、という点では同じだ。
 
 夏井川渓谷にある隠居(無量庵)の庭の土がはぎとられ、山砂が敷き詰められた。草のない校庭のようになった。少し傾斜しているので、雨が降るたびに溝が深く、大きくなる。それで、庭の草は刈っても根は抜かないと決めた。
 
 スギナが地面を覆い始めた=写真。菜園のスギナはもちろん、引っこ抜く。地下茎が深い。根絶やしにするのはまず無理。それが、逆に庭の土をつなぎとめてくれる。クズも間もなく葉を広げ、つるを伸ばす。今年はクズにもがんばってもらおう。
 
 群馬県の山里で暮らす哲学者内山節さんの『自由論―自然と人間のゆらぎの中で』(岩波書店)にあるエピソード――。日照りの夏、畑をふと見たら少し大きめの石があった。取り除こうとして石を持ちあげると、石の下はわずかばかりの湿り気と冷たさを帯びていて、ミミズのような小動物が集まっていた。
 
 畑の土は小動物がつくっている。その小動物を小石が日照りから守っている。それと同じで、庭のスギナやクズも土砂の流出を防いでいる。根絶やしにはしない。

2014年4月29日火曜日

タラの芽ドロ

これはもうドロボウというほかない。今年は徹底的に荒らしてくれたものだ。タラボ、つまりタラの芽。摘まれ、折られ=写真、切られて全滅した。

夏井川渓谷の隠居(無量庵)の庭の隅に、地元の人からタラノキの苗木10本をもらって植えた。2009年のことだ。長さ30センチほどの“鉛筆”が、満5年たった今は高さ約4メートルに生長した。幹も“擂り粉木棒”くらいの太さになった。いくら背伸びをしても、先端のタラの芽には手が届かない。

わきの地面から若木がいくつか生えてきた。それにもタラの芽がついている。毎年この時期、5~6個は摘む。つつましい? いや、採られてそれくらいしか残っていないのだ。

きのう(4月28日)は、溪谷へ花を見に来たふるさとの人間とのうれしい出会いにふれたが、きょうはその逆、無量庵の庭の植物たちを荒らす人間のことを書く。

タラノキの苗木を植えて3年目、原発震災から1カ月余の4月下旬、タラの芽がきれいにカットされてなくなっていた。放射線量はかなり高かったことだろう。それがタラの芽受難の始まりだった。ほかに、玄関わきの樹下に葉ワサビを植えたら、1年後には掘られてなくなった。風呂場の前の花壇に植えたジンチョウゲの苗木も消えた。

犯人は? 若い世代ではない。タラボがそこにあるというだけで、他人の庭であることを忘れてしまう神経の持ち主のうえに、鎌で幹をばっさり斜めに切り倒し、幹を折れば折ったでそのまま放置する容赦のなさからして、“山菜プシコーゼ(病)”の中年男にちがいない。

四本足で歩行する生きものに荒らされたとしたら、生きものの領域に人間が間借りしているのだからと、あきらめがつく。が、二足歩行の生きものが犯人となると、そうはいかない。善悪のブレーキが壊れて欲望に走る度し難さ。ヒトはある意味でイノシシより始末におえない。

2014年4月28日月曜日

ふるさとから来た男性

 今月(4月)は6、13、20、27日と毎日曜日、夏井川渓谷の隠居(無量庵)へ出かけた。山峡に春を告げるアカヤシオ(イワツツジ)が咲きだす、満開になる、色が落ちる、姿を消す――1週間ごとの変化が鮮やかだった。
 
 アカヤシオから少し遅れて木の芽が吹き、ヤマザクラが咲き始めると、冬枯れた斜面は若緑や臙脂(えんじ)色に染まる。きのう27日は、パステルカラーの斜面にシロヤシオ(ゴヨウツツジ)の花が咲いていた=写真。逆光のなか、そこだけ朝日に輝いていた。今年は少し開花が早い。

 菜園の土おこしを少しして、隠居の前の道路に立って辺りをながめていると、見も知らぬ男性が隣の「錦展望台」の方からやって来てあいさつした。「ここに常葉出身の人間がいると聞いたんだけど……」「私ですが……」。なぜ知っているのだろう。それに、話が唐突ですぐには理由が飲みこめない。要は次のようなことだったらしい。

 彼は私のふるさと、田村市常葉町の人間だ。船引町に近い西向(にしむき)の板橋というところに住んでいる。1週間前にも渓谷へやって来た。そのとき、私の中学校の同級生でいわきに住む板橋出身の女性にばったり会った。彼女から私と隠居のことを聞いたという。

 一度、いわきに住む同級生が集まって、無量庵でアカヤシオの花見をしたことがある。彼女も参加した。今年はたぶん家族でアカヤシオの花を見に来たのだろう。隠居へ顔を出せばよかったのに……。

 男性は私の実家の兄を知っていた。聞けば、兄より1歳上、私よりは4歳上だ。小学校は別でも、中学校では先輩に当たる。髪の毛が黒々としている。思わず「若い」と叫んでしまった。

 2週続けて渓谷を訪れたのにはわけがある。「ミツバツツジを見に来たんだが、咲いてるかなぁ」「ああ、トウゴクミツバツツジですね。この道(県道小野四倉線)ののり面に咲いてましたよ」

 アカヤシオでも、シロヤシオでもない。トウゴクミツバツツジが狙いとは。写真撮影が趣味かどうかはともかく、こうしてふるさとの人間にばったり会い、親しく話したのは初めてだ。あきずに夏井川渓谷へ通っているからこその、うれしい偶然ではあった。

2014年4月27日日曜日

山里の売り家

 カミサンの同級生の家がいわきの山里(三和町)=写真=にある。本人は首都圏に住む。うしろの山と畑付きで売りに出した。引き合いはある。足を運ぶ人もいる。建物や自然環境は申し分ない。が、職場のあるふもとのまちまで遠い、不便だ――という理由で、まだ成約には至っていない。

 平のまちから好間川沿いに山を駆け上がり、脇道に入って峠を越えると小盆地に出る。田んぼを囲むようにして家が散在している。前にも訪ねたことがあるので、迷わずに着いた。

 庭のカーポートの屋根がおじぎをしていた。2月の大雪で2本の支柱が根元で折れたのだという。あのときは、平地でも除雪車が出た。
 
 敷地内におばさんの家がある。ここも空き家だ。中のものを始末していい、ということになって、カミサンに声がかかった。カミサンは衣類のリサイクルに慣れている。仕分けが始まれば「運転手」の出番はない。家の周りをぶらついて時間をつぶすことにした。

 県道からの進入路のそば、山に続く土手の上にクリ林がある。元は畑だった。イノシシのラッセル跡があった。空からかすかにタカの声が降ってきた。2羽が空を舞っている。すぐ写真を撮り、あとでパソコンで拡大したらノスリだった。敷地に沿う小さな水路の土手には、摘みごろのクサソテツ(方言名コゴミ)が茎を伸ばしていた。

 その夜、BSプレミアムで「まるごと知りたい!AtoZ さあ行こう!里山ワンダーランド」を見た。舞台を三和へ移していうと、カミサンの同級生の実家は里山の資源に満ちた山里にある。

 仕事に疲れたら散歩に出る。クサソテツを摘んで、ゆでて食べるのもいい。ノスリを仰ぎ見ながら、食物連鎖や自然の生態系に思いをめぐらせるのもいい。インターネットを利用して「在宅ワーク」ができる若者こそ、山里暮らしをしてほしい。そう思った。

 山里の西方の稜線には、東電広野火力発電所の送電鉄塔が立つ。それもまた、人間を鍛えるリアルな風景の一部だ。

2014年4月26日土曜日

俳誌「浜通り」の特集

 浜通り俳句協会(結城良一代表)が結成されたのは昭和44(1969)年2月、会員の作品発表の場である俳誌「浜通り」が創刊されたのは同年5月25日だったという。

 年4回発行の季刊誌で、おととい(4月24日)届いた152号に、「45周年記念号」とあった=写真。そのための特集が組まれているわけではない。東日本大震災直後に始まった特集は今号で12回目。ほかに去年(2013年)暮れに亡くなった俳人仲間の武川一夫さんの特集記事が載る。

 私は、たまたま旧知の代表に頼まれて、「いわきの大正ロマン・昭和モダン――書物の森をめぐる旅」というタイトルで読書感想文を載せている。今号で17回、ということは連載5年目に入ったわけだ。

 実生活上のコミュニティがある。それとは別に、ある共通の目的で結ばれたコミュニティがある。私の場合だと、いわきキノコ同好会、いわき地域学會がそれだ。デッサン、押し花、レッドワーク、カラオケ、健康運動サークル、その他なんでもいい。人はさまざまなコミュニティに所属して生きている。

 とりわけ俳人は、俳号を介して風流の世界に遊び、年齢や地域、性別を超えて、対等に、強いきずなで結ばれていく。それを裏づけるように、武川さんの人となりや作品、エピソードが17ページにわたって載る。なんとうるわしい友情だろう。ここまで俳人として生きたあかしをつづってもらえれば、死者も彼岸で満足しているにちがいない。
 
 実生活では、こうはいかない。「浜通り」が届いた日の前後に、2人の訃報に接した。用があって電話をかけたばかりの女性が2日後に急死し、知人と話した何時間かあとに、知人のお父さんが交通事故死をした。新聞折り込みの「お悔み」チラシや記事で知った。此岸から彼岸への、突然の旅立ち。ずしりと重い死が胸のなかで残響している。

2014年4月25日金曜日

子ども見守り隊

 子ども見守り隊の総会が先日、小学校で開かれた。休眠状態だったのが、子どもに声をかける不審者が現れ、問題となったことから、再結成がはかられた。

 学区内には8つの行政区がある。住宅の密集する区があれば、田園・山野の広がる区もある。総会では、イノシシが出没している、サルも現れた、という声が出た。子どもの視点で地域を点検すれば、注意を要するモノ・コトが少なからずある。

 山際を巡る江筋(農業用水路)も、田植え時期を迎えて大量に水が流れるようになった。切れた外灯、これも要注意。

 総会のあと、体育館で見守り隊員と全児童の顔合わせ会が行われた。児童たちはこのあと、警察官の指導で交通安全教室に臨んだ=写真。1年生は黄色い帽子をかぶっているので、すぐわかる。

 わが家の前の歩道が通学路になっている。朝は7時15分ごろに子どもたちが通っていく。午後は2時50分ごろ、ワイワイ言いながら帰ってくる。それで、毎日「2:46」になったことを知る。
 
 きのう(4月24日)、用事があって隣の学区にある店へ出かけた。子どもたちが下校してくるところだった。黄色い帽子はいなかった。小1のわが孫の通学路だという。もっと時間が早ければピカピカのランドセル姿を見られたかもしれない。孫も、よその子も、同じ地域の子ども、地域の未来、地域の宝――見守り隊員の原点がここにある。