2020年9月30日水曜日

江川卓の母親と「養父」のこと

 おととい(9月28日)のNHK「ファミリーヒストリー」は見ごたえがあった。元・巨人のエース江川卓のルーツを追った。江川家は、江川の父が10歳のとき、新潟県から福島県いわき市の炭鉱へやって来た。そこに福井県から出てきた母の家族(川端家)がいた。

江川はいわき市好間町で生まれた。番組では前半、祖父母の出身地や父母、家族、父母の出会い、古河好間炭鉱の様子などを紹介した。炭鉱や地域史に詳しい知人2人も出演した。そこまでは「想定内」だった。

そのあとに「衝撃」が待っていた。江川の母・ミヨ子さんは生まれて間もなく、「浅川藤一・ノブ」夫婦の養女になる=写真。浅川藤一の名に記憶があった。吉野せいの短編集『洟をたらした神』の注釈づくりをしている過程で、何度も頭をよぎった坑内の指導夫だ。殉職坑内作業員を主人公にした、せいの「ダムのかげ」のモデルは江川の母・ミヨ子さんの「養父」だったのか!

ミヨ子さんが浅川家の養女になったのは、藤一が川端家と仲が良く、浅川家に子どもがいなかったからだ。しかし、藤一の「娘」になってすぐ、藤一が坑内で殉職したため、ミヨ子さんは赤ん坊のうちに川端家に復籍する。そのことを番組に教えられた。

「殉職之碑」には浅川藤一の名前が刻まれているという。これは好間のどこにあるのか。碑の前にぜひ一度、立ちたいものだ。

「ダムのかげ」は浅川藤一がモデル――と“断定”したワケを、拙ブログ(2019年11月17日付「吉野せい作品のフィクション性」)で書いている。抜粋して次に再掲する。

――吉野せいの作品集『洟をたらした神』は、昭和50(1975)年春、田村俊子賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。前者は「女流作家の優れた作品」、後者は「各年の優れたノンフィクション作品」に贈られる(田村俊子賞は同52年で終了した)。

 この何年か、『洟をたらした神』の注釈づくりをしている。注釈が増えていくにつれ、ノンフィクション/フィクションのゆらぎが大きくなる。ノンフィクション作品には違いないが、フィクション的な要素もかなり入っているというのが、現段階での私の結論だ。

 2019年7月、せいの新しい評伝が刊行された。茨城県北茨城市出身の作家小沢美智恵さんが書いた『評伝 吉野せい メロスの群れ』(シングルカット社)だ。一読、ノンフィクション/フィクションのゆらぎという点で、問題意識を共有できると感じた。

 作品「ダムのかげ」に、私と同じ疑問を抱いてフィクション性を探っている。「作品末には『昭和6年夏』のことと記されているが、当時の新聞等を調べても、せいの住む近隣で、その年には炭鉱事故は起きていない」「昭和4年(1929)8月には、近くの古河好間炭鉱で出水事故が起き1名殉職者が出ているが、作品のように彼が最後まで職責をつらぬき非常ベルを鳴らしつづけたという事実は確認できない」

 それはそうだが、同4年8月の出水事故では「勇敢にも坑内に居残り、他入坑者の救助に努めた為め逃げ場を失ひ、遂ひに溺死した」(磐城新聞)人間がいる。新聞記事には、非常ベルうんぬんの話は出てこないが、他者のためにわが身を投げ出した、という点では作品と通底する。

 新聞記事にある殉職者の名前と、「ダムのかげ」の主人公の名前を比較・検討すると、間違いなく彼が「ダムのかげ」のモデルだった、という確信が生まれる。

「浅川藤一(あさかわ・とういち)」。これが殉職者の名前だ。「ダムのかげ」では「尾作新八(おさく・しんぱち)」。アサカワを早口で繰り返していると、アサカー→オサカー→オサカ→オサクに変化する。トウイチに対するシンパチ、これも「一か八か」から容易に連想できる。(以下略) 

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