いわき市民美術展(写真の部)で「君は歩き出した つたなくもその未来へ」
というタイトルの写真を見た。歩き始めたばかりのわが子の後ろ姿を望遠レンズでとらえた作品だ。幼子のそばに母親が立っている。母親は足が写っているだけだ。それほど幼子は小さい。
早春の光に包まれた戸外で、着膨れた男の子が、今まさによたよたと歩き始めた。「そら、がんばれ」。思わず声をかけたくなるような一瞬を切り取っている。
白状するが、幼子は私の孫である。
ちょうど10カ月を過ぎたところだ。
9カ月目で歩き始めたという。
毎週わが家へ孫がやって来る。
私の顔を見ると、泣く。いつも泣くわけではない。が、たいがい火のついたように泣く。
「怖い顔が分かるんだわ」とカミサンは言う。
そのたびに、私は戸惑い、うろたえる。
先日もそうだった。
私が魚屋へ行っている間に、孫が父親に抱かれてやって来た。新米祖母は孫を抱っこしてご機嫌である。
そこへ私が帰って来た。
玄関の戸を開けると、まともに孫と目が合った。見る見るうちに孫の顔がゆがみ、シクシクし始めたと思うと、大泣きが始まった。
万事休す、である。
でも、泣き疲れると緊張感がほぐれるのか、あるいは私を家具の一部とみなすのか、5分も過ぎれば私の顔を見ても泣かなくなる。笛を吹いてやるとにっこりする。
きずなが強いからこそ泣くのだ。大きくなったら、同志のような関係になれるだろう――と、少し負け惜しみ気味に思うこのごろだ。(つづく)
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