おととい(5月28日)、震災から復旧した忠魂碑の話を書いた。同じ憂き目にあった「いしぶみ」は、たぶんあちこちにある。その一つ、山里の歌碑の復旧修繕事業にもふれておきたい。
いわき市川前町下桶売字荻地内の峠に安藤信正公の歌碑が立つ=写真。東日本大震災で地盤がゆるみ、土台ごと傾いたため、地元の住民で組織する「歌碑を守る会」が市のまち・未来創造支援事業(災害復興補助)を活用して修復することになった。
信正は幕末、幕府の老中を務めた磐城平藩主だ。NHKの大河ドラマ「八重の桜」の会津藩と同様、磐城平藩は奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍と戦い、敗れた。
信正は山間部の下永井~下桶売~川内を経由して仙台へと逃れる。敗走の途次、豪雨に遭って、荻の峠のブナの木の下で雨宿りを余儀なくされた。そのとき口ずさんだのが次の歌だったとされる。
志(し)ばしとて雨宿りせむかひぞなき
こころもぬるる山毛欅(ぶな)の下かげ
ブナの大木はのちに「安藤山毛欅」と呼ばれるようになる。が、昭和30年代には寿命と道路拡幅工事が重なって伐採される。
昭和49年、地元有志の手で信正の歌碑が建立された。私がいわき市から田村市の実家へ帰るときのルートの一つ、川前から川内村へ抜ける県道上川内川前線沿いにあるので、ときどき車を止めて一休みする。先日も帰郷の折に歌碑をながめた。後ろの方に傾いているのがわかった。
歌碑はいったん解体され、地盤を強化したうえで再建される。今度か次に通るときには、「道ばたの文化財」としてよみがえっているに違いない。
ついでながら、いわき市立美術館では6月2日まで、ロビーを利用して「日独交流150年記念 安藤信正展」が開かれている。茶・香道具類に目を奪われた。
1 件のコメント:
歌碑の存在は、夏井芳徳さんが書いた石碑の本なんとなくですが知ってました。
険しい山道を越え雨の中命からがら追手から逃がれる途中、無念さを詠んだと記憶してました。
松が丘公園を見下ろす殿様がどんな思いでその場に存在していたのかいつかは現場に立ってみたいと思っていました。
機会があれば、歌碑を見にクルマを走らせます。
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