2026年9月1日火曜日

手書きにこだわる

                                            
   もうだいぶ前になる。歴史研究家の小野一雄さん(小名浜)から、吉村昭記念文学館のお土産をちょうだいした=写真。

吉村昭と妻の作家津村節子が愛用した原稿用紙をノートにしたものである。文章を書き続けるように、という含意だろう。

折も折、文科省が全国の教育委員会や高校を対象に、2030年度以降に採択する教科書の形態を調査した。

8割前後が紙とデジタルを組み合わせたハイブリッドが望ましいと回答した。ハイブリッドでも特に低学年の国語の場合は、紙を重視する割合が顕著だった(朝日新聞)。

紙の教科書で学び、紙の新聞と本を読み、紙のノートに文字を記して育った。記者になってからはわら半紙の原稿用紙に記事を書いてきた。

 20世紀の終わりごろ、新聞の編集組版システムが一新された。ニュースの原稿は「書く」から「打つ」に変わった。

「新聞記者」が「新聞打者」になった結果、パソコンを介したデジタル技術に頼り切って、人間の脳は退化するのではないか、という恐れを抱くようになった。

 その危惧をつづったブログがある(2021年10月15日付「新聞打者の落とし穴」)。要約して再掲する。

――書くということは、自分の脳内に文字を浮かび上がらせ、腕から手、指へと伝え、鉛筆あるいはボールペンを使ってそれを紙に記す、きわめて肉体的な行為だ。その行為の繰り返し、経験が体に蓄積されて次に生かされる、と私は思っている。

「書く」ことをやめ、外部に映る漢字を「選ぶ」だけの新聞打者になった結果、漢字がどんどん自分の脳からこぼれ落ちていった。

外部の脳(パソコン)に文章の処理を任せるようになってから、本来の脳はすっかり書くことから遠ざかった。

人間の脳は、使わなければ退化する、パソコンやスマホが普通になった今、人間の脳はこれから小さくなっていくのではないか、といった危惧を抱かざるを得ない――。

 それを避けるために、意識して実践しているのが手書きのメモ。パソコンのわきにA4判のメモ用紙(コピー用紙の裏面など)を常備している。朝から夜寝るまで、見たこと・聞いたこと・感じたこと・考えたことをメモし続ける。

日常を記録することで、日常に埋もれているニュースを掘り起こすこともできる。一種の自己鍛錬として、これを20年近く続けている。

特に、就学前の子供の場合は「書く」ことが大事になる。電脳よりナマの脳、つまりは「紙とペンで書くという運動能力が、文字を読む能力とも深くかかわっている」(アンデシュ・ハンセン/久山葉子訳『スマホ脳』=新潮新書)という。

前述の記事によると、デジタル教科書では、動画や音声の再生、グラフ作成機能が子どもの理解促進に役立つと期待される一方、手で書く機会の減少や視力低下が懸念される。

手書きの効用は幼児にとどまらない。シルバー世代は脳活になる。いや、全世代を通じて「モノを考える」ためにも必要な行為だと私は思っている。