2014年1月22日水曜日

アイ・ワズ・ボーン氏の死

 <吉野弘さん死去/87歳 詩人、「祝婚歌」>。きのう(1月21日)、朝日が第2社会面(後ろのラジオ・テレビ欄から数えて3ページ目)で報じていた。読売も同じ面に、同じような見出し、同じような分量で詩人の死を報じていた。朝日と違うところは、代表作品の見出しに「夕焼け」が追加されていたことだ。

 見出しを目にした瞬間、思わず胸のなかでつぶやいた。「アイ・ワズ・ボーン氏が死んだ」。私のなかでは、吉野さんの代表作は「祝婚歌」ではなく、「I was born」という散文詩、次いで「夕焼け」だ。

 夕方、近所にある義伯父の家の本棚を見たら、初期の現代詩文庫12『吉野弘詩集』(1968年、思潮社刊)があった=写真。大地震のときに崩れ落ちてぐちゃぐちゃになった本を、ダンシャリした。詩集だけはカミサンがなんと言おうと残した。置き場のない本を義伯父の家に収容した。

 英語を習い始めたばかりの少年(僕)が父親と歩いている。向こうから妊婦がやって来る。少年は父親に気兼ねしながらも、妊婦の腹を凝視し、頭を下にした胎児がやがてこの世に生まれ出ることの不思議に打たれる――。そんな情景から「I was born」は始まる。

 妊婦が行き過ぎる瞬間、少年は<生まれる>ということが、まさしくアイ・ワズ・ボーン、<受身>であるわけを了解する。そして、父親に言う。<正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね>。そのあとに展開される、カゲロウの雌の短いいのちを例にした父親の話が泣かせる(少年の母親は少年を生むとすぐ死んでいる)。
 
 10代でこの詩に出合って以来、「宿命と選択」ということを考えるようになった。ボーンに対するリボーンといったらいいのか、生まれる場所は選べないが生きる場所は選べる――といった具合に。それで、私はこのブログの自己紹介にも「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」などと書いている。
 
 後年、「I was born」の展開形として引かれたのが、「ケツメイシ」のCD『ケツノポリス6』に入っている「伝承」だった。グループの誰かに子どもが生まれた。それで、母の慈愛を実感した。<あなたを選んで 生まれた/あの日私を 笑顔で迎えた>。「あなた」とは自分の母親、そして自分の子どもの母親、妻のことでもあろう。

 生まれることは選択できない宿命ではなくて、新しい命が母親として「あなた」を選んだのだと言っている。吉野さんの詩に漂う切なさが、ここでは生命感に満ちあふれている。そう解釈できるのも「I was born」があったからこそ、だ。
 
 <やさしいこころの持主は/いつでもどこでも/われにもあらず受難者となる。/何故って/やさしい心の持主は/他人のつらさを自分のつらさのように/感じるから。>(「夕焼け」)。作品から受ける印象は、やさしさ、温かさ、つつましさといったものだろうか。1月16日の誕生日前日、87歳を満了して亡くなったことにも、なにか律儀なものを感じてしまう。

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