2014年1月16日木曜日

スペリアーモ

 元テレビ朝日カメラマンで映像作家の戸部健一さん(平)が、夕刊いわき民報に定期的に随筆を寄稿している。いわき地域学會の仲間であり、現役のころ連載(現在は「続・ファインダーがくもるとき」)をお願いした身でもあるので、毎回欠かさず読んでいる。ベトナム戦争のこと、川内村に墓のある詩人・画家辻まことのことなどが記憶に残る。

 きのう(1月15日)は3・11前に訪ねた大熊町の海岸と、事故をおこした福島第一原子力発電所について書いた=写真。60歳を過ぎて運転免許を取り、念願の4輪駆動車を購入した。ならし運転を兼ねて国道6号を北上し、海に突き出た断崖に駆け上がった。「アイルランドの『モハーの断崖』をおもわせる絶景」に心を奪われた。その断崖から見える北側の断崖の先端、一段と低くなっているところに原発が見えた――。

 その原発があの日、大津波に襲われ、過酷事故を起こした。戸部さん同様、安全神話に思考を停止していた人間たちも、今は事故の遠因が自然の改変にあり、その代償がとてつもなく大きいことを知るようになった。戸部さんは書く。「断崖を削ってしまったことで地下水脈まで掘り当ててしまったのではないか」。その結果、毎日400トンもの地下水が、海に流出することになってしまったのではないだろうか、と。

 この夕刊と前後して郵便が届いた。カミサンの高校の同級生で、イタリアに住む知人からの手紙があった。人に会うと、「福島の人間の今」を聞かれるという。原発事故の問題は福島、日本に限らない、世界の恐怖になっている――というくだりには胸が痛んだ。
 
 私たちが事故をおこした原発を案じているように、イタリアの人々もまた福島の原発事故の行く末を案じている。最後はいつも「スペリアーモ」となるのだそうだ。「最悪のことが起きないように祈りましょう」という意味が込められているという。

遠く離れたイタリアでさえそうなのだから、すぐそばに位置するいわきでは、もっと強く祈るような気持ちで市民が日々を送っている。戸部さんではないが、地下水の汚染問題と燃料棒取り出しのことが頭から離れない。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

年末、娘が住む東京へ出かけました。2泊だけでしたがその間、原発や放射能のことは忘れていました。テレビもその話題は触れていません。大晦日に茨城県で震度5弱の地震が起きて発電所は大丈夫かと頭をよぎりましたが、その後のニュースで津波の心配はないと安心していました。

地元を離れるとニュースがないから関心は底をつくようです。 ここで生きる限りはこの先もこの難題から目を耳を背けることはできない代わりに淡々と粛々と受け止めざるを得ないものだと覚悟しています。

しかし、子供たちが成人式や元服式などの場面で「この故郷で生きていく!」などと発言を聞くたびに切なくなります。

原因を作ってしまった責任者の子供たちは、ここで生きるなどとは考えないだろう、親もそれはさせないだろう。