2014年1月15日水曜日

日陰の多い街

 東京の街を歩いたのは1年2カ月ぶりだ。
 
 2012年10月下旬、日本のNGOの草分け、「シャプラニール=市民による海外協力の会」の創立40周年記念フェスティバルが、芝・増上寺で開かれた。シャプラは3・11後、初めて国内支援に入り、今もいわきで交流スペース「ぶらっと」を運営している。
 
 フェスティバルへ出かけたときもそうだったが、首都は相変わらず人であふれていた。高層ビルが立ち並んでいた。
 
 つい立ち止まってビルを見上げる。晴れているのに太陽が見えない。通りに日陰ができている。そのうえ、空は細くて狭い。高村光太郎の妻智恵子ではないが、ここには「ほんとうの空」はないと、東京のビル街を歩くたびに思う。新年会が終わって外へ出ると、ビルの窓に夕日が映っていた=写真

 19歳のとき、京王井の頭線沿いの久我山で新聞配達をした。住宅街だった。朝日に向かって自転車のペダルをこぎ、夕日を浴びて自転車のハンドルを握った。太陽に出合うと心が落ち着いた。しかし、そのときも人込みには慣れなかった。
 
 人はせわしなく動いている。駅の階段では駆け下りる人がいる。エスカレーターを利用しながら歩いている人がいる。なんでそんなに急ぐのだろう。
 
「スーパーひたち」で帰ってきた。夜8時半、いわき駅前は閑散としていた。人もゆっくり歩いている。これがいわきのリズムなのだと、ホッとした。
 
 震災直後の2011年4月下旬、渋谷・代々木公園で「アースデイ東京2011」が開かれた。シャプラニールも参加し、いわきの被災状況を報告して、物産を展示・販売した。そのとき、駅のエスカレーターは節電のために止まっていた。2年10カ月たった今、止まっているエスカレーターはなかった。

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