2014年10月31日金曜日

罰当たり

 常習累犯窃盗の判決公判が月曜日(10月27日)、地裁いわき支部で開かれた。原発事故に伴う避難区域の富岡、楢葉、広野各町で空き巣を繰り返した35歳の男に、懲役4年が言い渡された。

 男はわがふるさと・田村市の人間だ。初夏に双葉署に逮捕されたとき、その件数の多さに驚き、なぜ阿武隈の山の向こうから浜通りの双葉郡南部へ――と疑問に思ったものだ。

 空き巣に入った件数がハンパではない。判決理由で裁判官は「200軒とも300軒ともいう住居に忍び込んで窃盗を繰り返したのは、原発事故により長期間の避難生活を強いられている被害者らに追い打ちをかける行為」(福島民報)と断じた。仕事のついでに、なんてものではないだろう。空き巣を仕事にしていたようなものではないか。

 震災後、ボランティアとして浜通りに駆けつけたふるさとの人間がいる。一方で、空き巣を繰り返す罰当たりな人間がいた。浜通りに住む同郷の人間として、被害者にすまない思いを抱かずにはいられなかった。

 9月下旬、広野~楢葉~富岡~川内村経由で里帰りをした。双葉町と郡山市を東西に結ぶ国道288号は通行証がないと通れない。田村~川内~いわき市と阿武隈高地を南北に走る国道399号は、つづら折りとアップダウンが激しい。とすると、男がつかった道は真ん中の県道小野富岡線=写真=ということになる。

 私が子どものころは、阿武隈高地の分水嶺が生活圏=交通圏を分けていた。分水嶺の西、中通り(現田村市常葉、都路町)の人間は郡山市を向き、東の浜通り(川内村)の人間は同じ双葉郡の富岡町を向いていた。今もその構造は変わらない。

 が、原発が稼働し、車社会が進展した結果、田村市東部からも原発へ通う人間が現れた。分水嶺の西側の人間であっても、浜通りは「山の向こう」ではなくなった。道路もずいぶん改修された。震災前は、富岡の人間が郡山から東北新幹線を利用するということもあった。要は、時間距離が短くなったのだ。
 
 男の家から最も遠い広野町まででも、車で1時間ちょっとだろうか。先月の里帰りの際に、県道小野富岡線を通りながら、車が空き巣の常習化と広域化を可能にした、しかもこのルートはほとんど人に会うこともない、などと思った。その熱心さをなぜ社会的なものに振り向けられなかったのか、といってもしかたないことだが。

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