いわきの農産物に詳しい篤農家、平北白土の塩脩一さんの家を知人と訪ねた。大震災後は初めてだ。塩さんの義弟でもある知人から電話がかかってきた。「土蔵からみそをつくるときに使った大きな釜がでてきた。夏井川渓谷の家(無量庵)の庭にどうだろう、と言っている」という。
釜は土蔵の前にあった。大きい。五右衛門風呂級だ。みそのもとになる大豆を煮た。それはそれでおもしろい。が、興味をそそられたのは白壁の土蔵=写真=だ。大震災でかなり傷んだ。今はきれいによみがえった。「直すのに900万弱かかった」と事もなげにいう。
塩家は土蔵も、母屋も、納屋もどっしりとしている。母屋は明治6年に建てられた。今度の大震災では梁の上の壁にすき間ができた。それらをコーティングしたあとがくっきりと残っている。土蔵は、大正10年に改築された記録がある。こちらも造られたのは明治初期ということになろうか。まさに旧家の風情が漂う。
塩家の土蔵は田畑よりはだいぶ高い。母屋よりも少し高くなっている。家の裏を夏井川がカーブしながら流れている。昔は大水にも見舞われた。そのため、土蔵に川船を常置していたという。
夏井川の上流、小川町にカミサンの親戚の家がある。塩さんの家と同じような、白壁の土蔵があった。扉の両側には米俵やネズミ、高窓には巾着のこて絵が描かれていた。土蔵全体が大震災でゆるんだ。直せばやはり結構なカネがかかる。それで、こて絵は残したものの、修繕をあきらめて解体した。
塩さんは80代後半。農人としての意地と誇りが土蔵を再生させたのだろう。
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