「ばっぱの家」は、今は杉林に変わっている。樹齢は40年くらいになるだろうか。大型連休の合間を縫って、3・11以来初めて訪れた。近所の家で除染作業が進められていた。杉林のそばに土砂や砕石を詰めた黒いフレコンバッグが仮置きされている=写真。
事故を起こした福島第一原発からは西に二十数キロ。杉林のそばで空間線量を測ると、毎時0.75マイクロシーベルトだった。
そこは阿武隈高地の中央部、鎌倉岳南東の山裾。幼少年期の記憶は黄金にたとえられるが、母方の祖母の家と周りの山野はまさにそういう場所であり、わが少年の心が帰っていく原郷でもあった。
かやぶきの一軒家である。夜はいろりのそばにランプがつるされた。寝床にはあんどんがともり、外風呂にはちょうちんをかざして入った。家のわきには池があって、三角の樋から沢水がとぎれることなく注いでいた。昼は山野を駆け巡り、夜は異空間と化した家で寝る――昭和20年代後半から30年代前半にかけての、春・夏・冬休みの記憶だ。
山道を下りたところに郡山市と双葉町を結ぶ国道288号が走る。2年前はふもとのバス停付近で毎時0.85マイクロシーベルトだった。「ばっぱの家」の杉林はそのころ、1マイクロシーベルトを超えていたのではないか。フレコンバッグには1.12µ㏜とか0,92µ㏜、0.72µ㏜などと数値が書き込まれている。
5年おき、あるいは10年おきに訪れては幼少年期を思い出して少し甘酸っぱくなったものだが、今回はそんな感傷はない。放射能は記憶さえも汚染してしまう――胸の中に広がる怒りを鎮めるのに時間がかかった。
1 件のコメント:
腹が立つことばかり。そんなに我慢ができなくなったのかと我に帰るのだが、我慢の限界値を越えることばかりが原発では起こる。
もういい加減も限界値だ。
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