3・11後に身についた“習慣”がある。車の燃料計の針が真ん中をさすと、ガソリンスタンドへ駆けつける。山中で送電線に出合うと、どこから来てどこへ行くのかが気にかかる。
いわき市川前町の“スーパー林道”(広域基幹林道上高部線)から、阿武隈高地の主峰・大滝根山(1193メートル)が見える=写真右奥。手前の山には風車群が、さらに手前には送電鉄塔がたつ。太平洋岸の福島第一、第二原発からのびる送電線は、いったん西の阿武隈高地へ向かい、いわきの山伝いに関東平野へと南下する。
“スーパー林道”で大滝根山と向かい合った5月初旬、後輩から定年退職あいさつの封書が届いた。第一原発が立地する大熊町の幹部職員として東電と向き合い、全町避難後はなんとかまちの将来に道筋をつけようと奮闘してきた。
3・11前であれば、あいさつ状は公務員人生を全うした安堵の文面になったことだろう。が、人類史に例を見ない原発震災に見舞われたまちの、責任者のひとりとしての苦渋がにじみでていた。
「県内はもとより日本全国に影響を与え、大変なご迷惑をお掛けしたこと、今も継続中であることに重ねてお詫びいたします」。今後は母親が避難している首都圏に仮住まいをし、不定期ながら、復興に向けた道筋をつけるためにまちの手伝いをしていく、という。
海外では、と識者は言う。原発事故を起こした日本は、日本人は加害者としてみられている。父の、いや後輩の詫び状を読み、識者の指摘を受けて、また少し認識が甘かったことを知る。少なくとも「文明の災禍」を招いた人間のひとりとして、加害意識を胸に刻みながら孫たちの世代にはわびないといけない。
こうして、阿武隈の山稜を切り刻んで東京へとのびる送電線を見る目が、思いが、だんだん複雑になってくる。
1 件のコメント:
何かに折り合いを自分にけじめをつけバランスを冷静さを計るしかないのか?
やりきれない!
これから同じ県民でありながら住民でありながら偏見が差別を産んでくることに哀しむ。
コメントを投稿