2013年9月15日日曜日

梱包された灯台

毎年、お盆明けから1カ月ほどは家にこもって文字読みに明け暮れる。マラソンでいえば、今は35キロを過ぎたあたり。もうちょっとでゴールだ。とはいえ、目の疲れもたまりにたまっている。眼球がはれて重い。焦点の調整がうまくいかない。目薬を差し、目の周りをもみほぐす回数が増えてきた。

きのう(9月14日)、気分転換を兼ねて本屋へ行き、帰りに海岸道路をドライブした。塩屋埼灯台が梱包されていた=写真。3・11から2年半。ここでも目に見えるかたちで災害復旧工事が進められている。

灯台の復旧工事は、モーターパラグライダーを操る酒井英治さんの空撮で知ってはいた。が、実際に見るとまた違った感慨がわく。「梱包された灯台」、つまりクリストの「風景芸術」だ。めったに出合えない、格好の被写体だと思いつつも、浜辺からの撮影には限度がある。鳥の目がほしくなった。

岬の光り
岬のしたにむらがる魚ら
岬にみち尽き
そら澄み
岬に立てる一本の指

山村暮鳥が詠んだ詩になぞらえるなら、「一本の指」は傷ついて絆創膏でぐるぐる巻きにされている。灯台への道はふもとで閉ざされている。一日でも早い“完治”が待たれる。

そうそう、本屋からの帰りに蔵持(いわき市鹿島町)を通ったら、稲刈りが行われていた。「実りの秋」が駆け足でやってくる。早く文字読みを終えねば。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ジオラマみたいですね!

灯台は豊間や薄磯の哀しみをつぶさに見ていたんでしょうね!

そして自然に負けても復興していく人間の力も見守っているでしょうね!

苦しいときは灯台が心のつっかえ棒になっていることを知っています。

見上げる高さは髪にも似ています。