取材エリアが生活エリアと重なる地域新聞の記者にとっては、取材対象は人間だけではない。地域の自然、歴史もまた重要な対象になる。いや、その地域の歴史を知り、自然を知らないと、その地域の出来事は正確にはとらえられない――そう思って、考古・歴史・地理・民俗・動植物その他の研究者とつながりながら、仕事をしてきた。
いわきの自然を知るとっかかりとして、冬に子どもを連れてバードウオッチングを始めたのは30歳前後のことだった。野鳥から始めて野草へ、さらに菌類へと興味が広がっていった。今もこの三つのウオッチングを欠かさない。なかでも秋に飛来し、翌春に北へ帰るハクチョウ=写真=は身近な存在だ。
ある日、2人いる孫のうち下の方が父親に連れられてやって来た。母親と上の子は急性胃腸炎にかかってダウンした。カミサンはたまたま、イトーヨーカドー平店2階にある被災者のための交流スペース「ぶらっと」へ出かけて留守だった。
3世代の男3人(65歳、40歳、4歳)だけではやることもない。三輪車に乗って一人遊びをしていた孫に父親が言った。「(車で)サンポに行くか」。「バアバはヨーカ堂にいるよ、夏井川にはハクチョウがいるよ」と私。すると、孫は「ハクチョウ」と父親に答えた。バードウオッチャー3代目が誕生したようだ。
きのう(12月15日)、近所のスナックで飲み会があった。バードウオッチングと並行して通い始めた店だ。アルコールがまわったころ、ママさんが耳打ちした。「この前、息子さんが来たよ。幼稚園のPTA仲間と」。同じスナックに通う2代目が誕生した。
親から子へ、子から孫へ。地域ではこうして静かに代替わりが進むのだろう。飲み屋通いはともかく、孫がハクチョウに興味を持ったことをうれしく思った。(にしても、自然に対する記者たちの感度は落ちていないか。ハクチョウ飛来の写真付き記事はいまだにない)
1 件のコメント:
産まれた地域で一生を過ごすのは幸せなことです。
平凡で退屈で変化がなくつまらなく映りますが、いつまでもいつまでもそれが続くことが平穏といえるのではないでしょうか?
毎日変化があっては不幸です。
私たちは、四季の自然に時間を教えられ年齢を感じるのでしょう。だから桜を見て生きる喜びが感じられるだろうしここまで生きながらえた喜びに感謝するのかもしれません。
八重の桜が終わりましたが、西田敏行が「生き抜くこと」と毎年「咲いて笑うこと」の2つを八重さんに話していたように思います。
愚直に生き抜くことそれは半年間点滴だけで話もできないまま脳梗塞で寝たきりになった父に教わりました。
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