2026年8月8日土曜日

緑の塔

                                           
 「日本の夏」から何を連想するか――。若いときはヤマユリと青空にわく入道雲だった。

 40代で夏井川渓谷にある隠居の庭を「開墾」し、家庭菜園を始めてからは「暴力的な緑の繁殖」が真っ先に思い浮かぶ。

 わが生活圏のはずれ、住宅密集地から離れた一角にケータイの無線塔が立つ。塔の下半分はクズの葉で覆われている=写真。

 夏井川渓谷にある隠居までの道筋でも、クズがからまり、葉をまとった電柱や標識柱が何本もある。

 自分の暮らしと直接かかわりがないから、「すごいなー」で通り過ぎるだけだが、わが家の庭や隠居の庭、そして菜園となると、そんなゆとりはない。

 日曜日のたびに隠居の菜園で草むしりをする。草をむしって土が見えるようになったと思っても、すぐ緑に覆われる。

 小さな面積だが、「三春ネギ」のうねが畳3枚分くらいある。そこはがんばって草をむしり、ネギの根元に日光が当たるようにしている。

夏場は朝の1時間が限度だ。曇ってはいても気温は高い。すぐ汗みどろになる。2時間も、3時間も外にいると、熱中症になりかねない。

 そんなあんばいだから、草たちはまた競うように生えてくる。刈り残した風呂場の前のギボウシと、ミソハギが花をつけ始めた。酷暑のなかの一服の涼である。

 そうしたなかでも「収穫」はある。「ふっつぇ」のジャガイモの葉が、ほかの草にまぎれて枯れかかっている。草にまぎれて茎をむしると、小イモが転がり出る。7月には2回、それぞれ5~7個を「収穫」した。

 「こんなちっちゃなイモ、どうすんの?」。カミサンになじられながらも、私には決まった食べ方がある。

 「みそかんぷら」は同じ小イモでも、もうちょっと大きいものを使う。そこまではいかない、まさに豆イモだ。

 三春ネギの苗と豆イモの味噌汁。「ネギジャガの味噌汁」は秋以降が本番だが、夏も間引いた三春ネギと、この豆イモで「ネギジャガの味噌汁」にしてもらう。

三春ネギは、冬場には糖分をためて甘くなる。今は夏。甘くはないが、ネギジャガの味噌汁にすると、やわらかくて香りが立った。三春ネギの個性は夏でも健在だ。

東北地方は8月4日、ようやく梅雨が明けた。近年では2013年と2017年、東北南部の梅雨明けが8月にずれ込んだ。

2013年は8月3日、これがあとで8月7日に修正された。2017年もあとで修正が入った。8月2日に梅雨が明けたが、あとで「特定できなかった」に変わった

7日は立秋。暦の上では「残暑」に入る。新聞の「暑中見舞い」広告は「残暑見舞い」に変わった。

秋になったといっても暴力的な緑の繁殖は変わらない。日曜日の草むしりはしばらく続く。

2026年8月7日金曜日

七夕と機織り伝説

                                
   カミサンのアッシー君をして、いわき市暮らしの伝承郷を訪ねた。開催中の企画展「いわきの民俗芸能」は前に見ている。カミサンの用がすむまで館内で待つことにした。

ロビーに七夕飾りがあった。そばの壁面には何枚かに分けて七夕の起源やいわきの七夕祭り、七夕がらみの人と水の関係、なかでも機織り伝説などを解説する文章が張られていた=写真。

それに関連して、いわきの伝説を3つ紹介している。鮫川の「御前淵(ごぜんぶち)」(勿来地区)、夏井川渓谷の「籠場の滝」、そして沼ノ内の「弁天沼」である。

「籠場の滝」の伝説と七夕の風習がどうつながるのか? ここはじっくり読んでみなければ、という気になった。

「籠場の滝」は渓谷の隠居の手前にある。毎日曜日、そばの県道を通る。車から必ず滝の水量と勢いを確かめる。

地元の古老によると、「籠場の滝」の「籠」は、「磐城平藩の殿様の籠」ではなく、「魚止めの滝の籠漁」からきている。その話を聞いたとき、頭の霧がサッと晴れたような気がした。

そのことに触れているかどうか。まずは解説文をチェックする。「殿様が籠から降りて滝に見とれた」という説のほかに、「滝つぼに大きな籠をしかけて魚をとっていたことに由来する説」もあることを付け加えていた。

調べがアップデート(知識の最新化)されているのに安心した。以下は、解説文を下敷きにしている。

日本では、機織りは女性の重要な仕事だった。機織りの技術は信仰とも結びつき、日本に中国由来の七夕文化が定着するきっかけにもなった。

昔は、年中行事は旧暦で行われていた。新暦では季節感などとずれることから、七夕は旧暦に近い8月の6~8日、お盆は13~15日に行われている。

水の中から機織りの音が聞こえる、水底(みなそこ)に機織りをする女性がいる――この「機織り伝説」は、養蚕との関連が指摘されている。

福島県から宮城県を中心とした阿武隈川沿いの地域と、長野県を中心とした地域に機織り伝説が集中している。これらの地域には養蚕が盛んなところが含まれている。

養蚕にはきれいな水が必要だった。養蚕が盛んな地域では沼や淵が神聖な場所として重要視され、七夕伝説と結びついた可能性があるという。そうしたことを踏まえて、水に絡んだいわきの伝説が紹介される。

 「御前淵」では、青年が淵に鉈(なた)を落とす。「籠場の滝」では、長者・江田の伴四郎が脇差を滝つぼに落とす。「弁天沼」では、木こりが沼にマサカリを落とす。

 それを取りに潜った青年(御前淵)、若者(籠場の滝)、木こり(弁天沼)が見たものは――。

 淵の底で機織りをするお姫様(御前淵)であり、水中の御殿(籠場の滝)であり、御殿で三味線や琴を引く弁天様(弁天沼)だった。

七夕にまつわる昔話をひも解くことは、人と水との関係を追求する手がかりとなりうる、という。(折から「いわき七夕まつり」が開かれている。なにかの参考になれば)

2026年8月6日木曜日

夏ネギも軟らかい

                                             
   7月前半のこと。家庭菜園でキュウリの収穫がピークを迎えたらしく、あちこちからお福分けが届いた。

生(な)るときには一斉に生る。作る方も、もらって食べる方も、核家族だから食べきれない。

5本、7本とまとまって届く。まずは晩酌時に生で味噌をつけて食べる。採りたてなのでみずみずしい。

残りは1日2本をめどに糠床に入れる。といっても、キュウリは日を追うごとに水分が飛んで、中身が白っぽくなる。こうなると、漬けてもうまくないので、3~4本まとめて漬けることもある。

漬けている時間は糠床の塩分によって異なる。温度でも変わる。なにかでいちいち測って決めるわけではない。キュウリや大根の漬かり具合、味、そして色を見て判断する。

暑くて乳酸菌の活動が活発なら、12時間にとどめる。これだと、朝入れて夕方には取り出すことになる。今はだいたい24時間漬けておく。

私が手本にしているのは、先日、101歳で亡くなったネギの師匠、塩脩一さん(平北白土)宅でいただいたキュウリの糠漬けだ。

採りたての緑色、シャキシャキとした食感、絶妙な塩味――。キュウリの糠漬けとしては絶品だった。

塩さんにはネギのことをいろいろ教えてもらった。それで、夏井川水系だけでも、下流域の平地は千住系、渓谷あたりから上流では加賀系が栽培されていることを知った。

私が夏井川渓谷の隠居で栽培している「三春ネギ」は加賀系らしい。田村郡からいわきの川前を経由して、小川の渓谷の小集落へと種が伝わった。

現在、スーパーなどで売られている太くて白いネギは、塩さんのいう「いわき一本太ネギ」かどうか、私にはわからない。見た目はきれいで、白くて太い。が、どうにも硬くて味噌汁には不向きだ。

それはともかく、千住も、加賀も秋冬ネギである。夏に買って来て食べるのは根深でも細く小さいものが多い。

先日、高久に住む知人から電話があった。「夏ネギを持って行く」という。翌朝、夏ネギとキュウリ、インゲンが届いた=写真。

キュウリはイボイボが目立つ。すぐ3本を糠床に入れた。夏ネギはその晩、焼いて食べた。軟らかい。葉の部分には蜜があった。地ネギだろうか。

味があっさりしているのは、夏で、寒くて凍らないように糖分をためる必要がないからだろう。

いずれにしても、私はネギとジャガイモの味噌汁を、ネギの味を測る目安にしている。

翌朝、カミサンがこの味噌汁を出してくれた。焼いたときと同じ食感だった。夏ネギもジャガイモとの味噌汁にいいことがわかった。またひとつ、ネギ栽培の根深さを知った。

2026年8月5日水曜日

2人がかりの特殊詐欺電話

               
 予兆は前の晩にあった。カミサンが電話を受けると、「息子」が「同窓会のハガキが届いていないか」という。

 「息子」にしてはガラガラ声である。「風邪で38度の熱を出した」という。その日はそれで終わった。

 翌朝また「息子」から電話がかかってきた。同窓会のハガキの話になったので、「まだ届いてない」。すると、「ところでさぁ、お願いがあるんだけど」と切り出して別の話を始めたという。

 「内緒で株をやっていた。株の配当金が野村証券から振り込まれるから、何時に振り込まれるか、聞いてくれ」

「息子」の症状を心配し、話をすっかり信じたカミサンが、直後にかかってきた「野村証券の担当者」から200万円を振り込むという話を聞いて、「むむむ」となった。

怪しい。こちらの住所、名前を聞いている。すると、次は口座番号か! パソコンですぐ検索すると、似たような手口の特殊詐欺例がヒットした。埼玉県警のホームページにあった=写真。

「特殊詐欺予兆電話情報(7月21日分)オレオレ詐欺に注意!」というタイトルで、「息子や証券会社を名乗るものからの電話」を紹介していた。2日がかりの犯行である。

最初の電話はカミサンが受けた第一報とまったく同じだ。「もしもし俺だけど、実家に同窓会のハガキが来てないか」

翌日、また「息子」から電話が入って、ハガキの話をする。そのあと詐欺の本題に入る。

「お金を預かってほしいんだ。野村証券から300万円が振り込まれるから、口座番号を教えてほしい。野村証券の担当者から家に電話があるから、その人の指示に従ってね」

で、直後に「証券会社の担当者」から電話が入って、うんぬん――という流れになる。

だましのシナリオは何パターンかあるらしく、金額が300万円ではなく、200万円だった。「俺」の状態も風邪だ、なんだと変わるのだろう。

子どものこととなると理性より母性が前に出てしまうのか、ふだんは何かにつけてクールなカミサンも、すっかり思い込んでしまったようだ。

私がネットで検索し、すぐ息子に電話すると、ガラガラ声ではない、風邪もひいていない。電話中のカミサンにすぐメモを渡して詐欺であることを伝える。

それでようやく「警察には連絡したから」とカミサンが相手に言って電話を切った。危なかった。

 ホンモノの息子の忠告に従って、カミサンがいわき中央署に電話を入れて顛末を伝えた。

すると、管内ですでに数十件の電話例があるという。いい対応だった、みんなに声をかけてほしい――そう言われたとか。

埼玉県警が広報したのは7月21日の出来事だった。このところ一斉に電話をかけまくっているらしい。それを信じて口座番号を教え、被害に遭った例もあるにちがいない。

わが家は未遂に終わったが、住所とカミサンの名前はアンダー世界に広がった。今後は、そう覚悟して対処するしかない。

8月4日は特殊詐欺電話にひっかかりそうになった日。このことをしっかり胸に刻むことにしよう。

2026年8月4日火曜日

災害とライフライン

                                 
 最大震度7の「令和8年熊本地震」以来、報道と連動して15年前の東日本大震災・原発事故、そして令和元年東日本台風の被災状況を思い出している。

 被災―避難―再建という流れはたぶん熊本でも同じだろう。統計的な数値は災害の全体像を知る上で大切だが、被害の度合いは1軒1軒、1人1人違う。

鳥の目(全体)から虫の目(個別・具体)へ、虫の目から鳥の目へと視点を絶えず切り替えながら、現在の熊本の状況を想像する。

15年前の大地震では、グラッときた直後は自分の命を守るのに精いっぱいだった。茶の間の本棚とテレビが倒れ、台所の食器棚から皿などが落下した。

庭に飛び出すと大地が波打ち、車の屋根につかまっていないと立っていられなかった。

揺れが収まってから、家の内外を見て回る。2階は惨憺たる状態だった。ブログに掲載した当時の記録を抜粋すると――。

【3月12日】電気は大丈夫だが、水は出ない。11日の夕方、水が細くなったなと思ったら、宵には止まった。

カミサンがコンビニに駆けつけ、氷を買ってきた。融かせば水になる。トイレも水洗ではないので問題はない。

夜10時24分ごろ、震度5弱の横揺れがきた。最初で最大の一撃に比べたら、時間も短く、揺れ方も弱かった。とはいえ、絶えず余震が続いている。

ケータイがかからない。固定電話は「込み合っています」。外からはかかってくる。息子とはそれで連絡が取れた。カミサンの実家からも電話がかかってきた。

【3月13日】知人から「井戸水ならあります」という連絡が入ったので、あるかぎりの容器を持って夫婦で出かけた。

飲むためには一度煮沸しなくてはならない。息子の家の水洗トイレには十分。二度往復して、ひとまず洗い水、飲み水にはめどをつけた――。

12日にはブログの最後にこう記した。「ただただ原発が怖い」。その通りになった。電源喪失をして、建屋が水素爆発を起こし、私らも含めて十数万人が原発避難を余儀なくされた。

沿岸部は大津波に襲われ、多数の死者が出た。いわき市災害対策本部のまとめ(同年7月1日付)では、県の定めた統一基準に合わせて死者が424人になった。

内訳は①直接死293人②関連死94人③死亡認定を受けた行方不明者37人――だった。

 それから8年後、いわき地方は夏井川水系を中心に、「令和元年東日本台風」による水害に見舞われる。

 平窪にある平浄水場が冠水したために、約4万5400戸が断水した。これはこたえた。

 他自治体からすぐ応援の給水車が来た=写真(2019年10月20日撮影)。マチですれ違ったのは草加市の車だった。ありがたかった。

 災害時に最も困るのは水、そしてトイレ。これが、被災者としての実感だ。地震や台風で避難所が開設されたというニュースに触れると、反射的に2つのことが思い浮かぶ。ネットにはいまだ改善されていないという声が多い。政治は何をしているのだろう。

2026年8月3日月曜日

ムカデに咬まれる

                                 
 夏井川渓谷の隠居に着くと、すぐ菜園に生ごみを埋める。そのためにハンドカバーと手袋をはめ、長靴をはく。首にはタオルを巻く。

 暑くても体の露出部をできるだけ少なくする。理由はすり傷・切り傷の予防。もう一つは、ブユと蚊から手足を守るためだ。

 手袋とハンドカバーは玄関の上がりかまちに置いてある。長靴は必ずひっくり返して、中にカメムシが入っていないことを確かめる。

 ある日曜日、いつものようにハンドカバーをはめようとしたら、右手のひらに激痛が走った。なんだ、これは!

 すぐハンドカバーを外すと、上がりかまちにムカデが落ちた。これが中に潜んでいて、急に現れた肉のかたまりにびっくりして、身を守るためにチクッとやったのだろう。

 何年か前、同じ隠居の茶の間で昼寝をしていたとき、手の甲に痛みを感じて目を覚ました。やはりムカデだった。

 そのときの比ではない。痛みが引かないどころか増すようだ。痛みの原因はムカデの毒、とネットにあった。

 台所で水を流しながら、咬まれた周りを指で押し続けた。それで毒成分がしみ出て流れ落ちたかどうかはわからない。キンカンを塗って湿布を張ったあと、急いで生ごみを埋めた。

 痛みはしかし、時間がたっても収まらない。ちょっと不安になって、早々に隠居を離れ、マチで虫刺され用のクリームを買って塗ることにした。

 渓谷からだと平窪が近い。いや、小川町にもドラッグストアがある。渓谷を下っているうちに、カミサンが「小川のコンビニでも薬を売っているよ」という。

 この日朝、そこで飲み物を買った。コンビニの薬のコーナーをのぞくと、虫刺され用のクリームがあった。

毛虫やムカデにも効く、とある=写真。すぐ買って、車の中で患部に塗り込んだら、気持ちが落ち着いた。

そういえば……。隠居で出合った、害虫を含む生き物たちが思い浮かぶ。筆頭はキイロスズメバチだ。

カミサンが草むしりをしていて刺され、時間を追うごとに痛みが増したので、磐城共立病院(現いわき市医療センター)の救急外来へ駆け込んだ。「今度刺されたら、ためらわずに救急車を呼ぶように」と言われた。

 咬まれたら危ないマムシも、隠居の庭に何度か現れた。マムシはその後、姿を見なくなったが、スズメバチは今も時折、庭を飛び回っている。

 なによりうっとうしいのはカメムシだ。秋も更けると外の寒さを避けて屋内に入り込み、雨戸の溝、衣服、靴、手袋、押し入れのふとんと、場所もモノも選ばずにもぐりこむ。

 それを知らずに手を入れると、強烈な臭いを噴射される。で、カメムシとスズメバチには注意がいくが、ムカデは想定外だった。

 同じ日、隠居の玄関前にアオダイショウの抜け殻があった。カミサンはそれだけで5メートルも離れて、「始末して!」と叫ぶ。

小さな生き物だが、現れればいつもこちらの神経をとがらせる。人間は自然の中で間借りをしているにすぎない。虫の一撃を受けるたびにそんな思いがわく。

2026年8月1日土曜日

大事な罹災証明書

                                    
 「罹災証明書」の申請受付が始まったというニュースに触れて、思い出した。15年前、わが家も申請したんだっけ――。

令和8年熊本地震の続報から目が離せない。どうしても東日本大震災と原発事故の記憶がよみがえる。その経験から被災地の今とこれからに思いがめぐる。

罹災証明書は被災者の生活再建支援に欠かせない。これがあると支援金をはじめ、家の応急修理、税金・公共料金の減免など、各種の公的支援が受けられる。

罹災証明は、申請を受けると行政が現場を見て発行する。しかし、その判定に納得できないときがある。その場合は再申請ができる。わが家もそうした。その記録が2011年の秋のブログに残っている。参考のために要約・再掲する。

――屋根の瓦が1枚割れ、コンクリートの基礎に亀裂が入っている話を書いたら、匿名さんから「被災申請を出して判定を受けてください」というコメントが入った。

それにしたがって「罹災証明」の申請をしたら、いわき市から人が調査に来た。家は「一部損壊」の判定だった。

その後、知り合いの建築士に話すと、「再申請をしたら」という。不服申し立てである。

それをしたら、東京から応援に来ている公務員氏と判定員の建築士2人の計3人が再調査にやって来た。

水平・垂直を測る道具を使い、家の内外をこまかく見たあと、目の前でマニュアル化されたチェック項目に点数を書きこんだ。「半壊」の判定だった。

判定した建築士さんの話では、基礎のコンクリートが割れて家の北西側が少し沈んだ。

それで2階北側の床が2センチ近く下がったために、壁と梁との間にすきまができた。

道路に面した北側1階の床にボールを置くと、コロコロ転がっていく。推測していたとおりの結果になった。

台所の外壁、戸のすきまなど、専門家に指摘されるまで知らなかった亀裂、ひずみもある。

「半壊」の証明書が出るのはざっと3週間後。応援の公務員氏は支援・減免など利用できる制度の説明をする一方で、「一部損壊」の証明書を持ち帰った。

ここはありがたく制度を利用することにした。夜、知り合いの建築士に電話で点数を告げたら、「大規模半壊に近い半壊ですよ」といわれた。思っていた以上に家は傷んでいた――。

最初は見た目だけの判断だったといってもいい。屋根の瓦は、秋に施工業者が見回りに来て、残しておいた未使用の瓦と取り換えてくれた。

しかし、どうもトイレの雨漏りが止まらない。支援金制度を利用して、すぐ2階のテラスを改修したら、雨漏りが止まった。

縁側のコンクリートのたたきも手つかずのままだ。15年たった今は、その亀裂が少し広がったような気がする=写真。

この15年の間にも何度か大きな地震を経験している。それで亀裂が少しずつ広がったのかもしれない。

メディアの震災報道がなくなれば終わりではない。むしろ、そのあたりから個別・具体の問題がのしかかってくる。しかも、それがずっと尾を引く。