2026年5月1日金曜日

笑点とピタゴラスイッチ

                               
 日曜日の夕方は茶の間の座卓に皿(生カツオの刺し身)と茶わん(焼酎)、ポット(お湯)が並ぶ。

 刺し身をつついては焼酎、次いでお湯を口に含む。一瞬、焼酎の生(き)を楽しんでから、のどの奥でお湯割りにする。

 座卓の先にはテレビがある。5時半になると「笑点」を見る。大相撲のときは、「笑点」の後半の「大喜利(おおぎり)」の時間にNHKから4チャンに切り替える。

 「笑点」は昭和41(1966)年5月にスタートした。今年(2026年)で放送開始60年である。

 いわき市もまた同じ年の10月1日に14市町村が合併して誕生した。今年、市制施行60年である。

同じ60年ということで、なにかつながれば面白い――。これはしかし、単なる外野の思い付きにすぎないが。

ついでにいえば、いわき市立草野心平記念文学館で開かれている企画展「草野心平と川内村」は、心平ゆかりの天山文庫設立60周年を記念したものである。

大喜利の話に戻る。番組開始から60年というのは長寿も長寿、大長寿番組だ。人気のひけつは「大いなるマンネリズム」だそうだ。

司会者(落語家)が「お題」を出し、常連メンバーの6人(やはり落語家)がトンチを利かした答えを披露する。

やりとりはパターン化されているが、実にさまざまなお題があるから、毎回新鮮であきがこない。

 「よい答え」も「悪い答え」も、それなりに凝り固まった頭をほぐしてくれる。脳みそのマッサージ効果が大喜利の最大の魅力といってよい。

マッサージ効果という点では、Eテレのピタゴラスイッチ=写真=もなかなかのものだ。「ピタゴラ装置」にはいつもびっくりする。

文房具やトイレットペーパーの芯、ビー玉……。なんでもいい、家に普通にあるようなものを組み合わせて、球がころころ転がっていく流れをつくる。

こちらは平日の晩酌の時間によく見る。ニュース番組の合間にチャンネルを合わせ、夫婦でいつも感心する。よく考えつくものだ。

 6年前、94歳で亡くなった安野光雅さんも遊び心に満ちていた。自著のタイトル『語前語後』は、「午前午後」をもじったものだろう。

その中にピタゴラスイッチについて書いた文章がある。「ある日、テレビを見ていて、すごくおもしろい番組に出会った。忘れないために書き留めたが、『ピタゴラスイッチ』というもので、以前評判になった『セサミ・ストリート』よりうんといい、とわたしは思う」

森毅編著『キノコの不思議――「大地の贈り物」を100%楽しむ法』でも、安野さんは遊び心を発揮した。

毒キノコのワライタケにひっかけて、「ナキタケ」を創案した。ワライタケがあるならナキタケがあってもいい――そんな対語的発想、遊び心で存在しないキノコを生み出したのだろう。

車のハンドルに必要なのは「遊び」。笑点もピタゴラスイッチもこの「遊び心」を刺激する番組ではある。

2026年4月30日木曜日

牛乳瓶とドレッシング

                                 
   牛乳は昔ながらの瓶詰めを宅配で取っていた。金と月の週2回、各2本が届いた。

牛乳箱は勝手口にある=写真。そこにある日、配達する人間が入院したので宅配を休止するという「お知らせ」が入っていた。宅配はそのまま復活することなく終わった。

 牛乳瓶にこだわるわけではない。が、宅配牛乳は瓶詰めという子ども時代からの記憶がある。飲んだら空き瓶を箱に戻す。それで牛乳宅配は回っていくものだと思っていた。

 コンビニで買う「コーヒー牛乳」は紙パック入りだが、宅配はやはり瓶詰めが安心できる。その瓶詰め宅配がなくなったことはやはり寂しい。

 調味料の一種、タマネギをベースにしたドレッシングもそうだ。いわきに住む元シェフが製造し、月に1回、本人が持って来た。

 やはり入院するのでしばらく製造は休むという連絡があったが、いまだに宅配は再開されない。

 このドレッシングがあると、生野菜のサラダがおいしく食べられる。ドレッシングの甘みとほのかな酸味、風味がからんで舌が喜ぶ。そのことを前にブログに書いた。一部を引用する。

――元シェフとカミサンが話しているのを耳にしたことがある。「新玉ネギを使っているのでサラッとしています。お客さんのなかには『とろみ』が少ないという人もいます」

手づくりのオリジナルドレッシングだから、同じ原材料でも季節によって微妙に味が変わるのだろう。

 東京から来た人が、このドレッシングサラダを食べてうなったことがある。東京までドレッシングを送る量はないが、客人が東京から来たときにおみやげ代わりに持たせてやるくらいのことはできる。これも、いわきの味にはちがいない。

ドレッシングの商品名は「分離液状ドレッシング」、原材料は「食用植物性油脂、穀物酢、玉ネギ、ニンジン、砂糖、食塩、ニンニク、胡椒(こしょう)」と、ボトルのラベルにある。

使うときにはボトルを逆さにして、シャカシャカやる。それで油分と水分がほどよく混じり合う――。

わが家では、カミサンが知り合いの分もまとめて引き受けていた。知り合いがドレッシングを引き取りに来ながら、お茶を飲む。

宅配の卵もそうだ。ドレッシングは中断したままだが、卵があるので「女子会」(お茶飲み)は今も続く。

 瓶詰め牛乳とドレッシング。この2つの代用品は紙パック入りの牛乳と、市販の各種ドレッシングだが、スーパーではどれを買うか、いつも迷う。

牛乳はともかく、ドレッシングはタマネギをベースにしたものを選ぶようにしている。しかし、これぞというものがまだない。

 個人営業だと、融通が利く。1人ひとりの注文にこたえられる。そういった柔軟性、ふところの深さがある。そんな小さな事業所がひとつ、またひとつといった感じで消えていく。これも高齢社会の一断面なのだろう。

2026年4月29日水曜日

トレインド・ナース

                                              
 新しい朝ドラ「風、薫る」は、明治の世になって「看護婦」として生きる2人の女性が主人公だ。

 早くも「トレインド・ナース」という言葉が出てきて、視聴者は「何、それ?」となったのではないか。私がそうだった。

 主役のひとり、一ノ瀬(奥田)りんは嫁ぎ先を飛び出し、幼い娘を連れて上京する。そこで大山捨松に再会し、「トレインド・ナースにならないか」と勧められる。

りんが母親にその話をする。母親は元家老の妻だ。それなりに教養がある。「トレインくらいは私だって知っている、汽車でしょ」には思わず笑った。

小泉八雲夫妻を描いた前の朝ドラ「ばけばけ」でも似たようなシーンがあった。英語という新しい文化の波が地方にも及び、英語を知らない人間は発音が近い日本語を思い浮かべて首をひねる。このトンチンカンはドラマの潤滑油でもある。

「風、薫る」が第4週に入ったころ、図書館の新着図書コーナーに、山下麻衣『「看護婦」の近代社会史――誇りが啓いた自立への道』(朝日新聞出版、2026年)があった=写真。

第1章に「トレインド・ナース」の話が出てくる。りんの母親と同様、「トレインド」を「トレイン」、「ナース」を「茄子」か「那須」と勘違いしてしまうようなレベルだから、ここはちゃんと読んでみるか――という思いがわいた。

まずは「トレインド・ナース」の意味から。専門教育を受け、病院での体系的な実習を経て資格を与えられた看護婦をいうそうだ。

現在は一般に「看護師」を使うが、著者は歴史的用語としての「看護婦」を用い、本のタイトルにも使った。私も著者の考えに従う。

英語の綴りでは「Trained Nurse」。この綴りを知って、「トレインド」と「トレーニング」の親和性に気づく。

日本でトレインド・ナースの先駆けとなったのは、朝ドラのモデルでもある大関和(ちか)と鈴木雅(まさ)たちだ。

それぞれの経歴を読んでわかったのだが、ドラマの主役2人は、大関和、鈴木雅とはっきり分けられるものではなく、彼女たちの個性を再構成して、新しい人物像を描いている。ドラマづくりとしては当然だろう。

史実としては、桜井ちかという人が明治9(1876)年、桜井女学校を創設する。その学校に同19年11月、付属の看護婦養成所が誕生する。

修業年限は2年で、2年次には帝国大学付属第一病院で臨床実習が行われた。同21年10月、大関和、鈴木雅ら6人が病院から修業証書を授与された。

ドラマは第5週に入って、主人公たちが看護婦養成所に入学するシーンにかわった。「梅岡女学校付属看護婦養成所」と看板にあった。

史実では「桜井」、ドラマでは「梅岡」。そのことは本を読んでいたのでわかった。

ついでながら、ネット検索でトレインドとトレーニングは原義が同じであり、トレインもまたその派生語であることを知った。

最初はりんの母親の勘違いを笑ったが、今はあながち間違いともいえないと思っている。

2026年4月28日火曜日

宮沢賢治は大食漢?

                                       
   先日紹介した「猫好き詩人・思想家」吉本隆明の続編。むしろこちらを先にアップすべきだったか。

書物の上での詩人・思想家ではなく、現実の「老人吉本隆明」はどんな晩年を送ったのか。

 「共同幻想論」や「言語にとって美とは何か」などの一連の仕事のあと、文学はもちろん、テレビ・漫画なども批評の対象にした。

 大衆文化にまで視野を広げて論じるのかと、その関心の広さに舌を巻いた記憶がある。

 トシを取るにつれて「戦後思想界の巨人」から離れ、いつの間にか忘れていたら、海水浴場での事故を知り、やがて老衰で亡くなったというニュースに触れた。しかし、「知の巨人」の老いを具体的に知ったのはつい最近だ。

長女で漫画家のハルノ宵子の『隆明だもの』を読んで衝撃を受けた。以来、晩年の吉本隆明の著書、インタビュー・対談本を集中して読んでいる。

まずは『生涯現役』『日々を味わう贅沢』『吉本隆明「食」を語る』『老いの流儀』『子供はぜーんぶわかってる』『なぜ、猫とつきあうのか』を図書館から借りて読んだ=写真。

先日はまた、『開店休業』『震災後のことば』『日本語のゆくえ』『「すべてを引き受ける」という思想』を借りた。

インタビューや対談の相手を務めたのは、「知の巨人」の影響を受けた若い編集者や作家、学者などだ。

ここではその中の1冊、作家宇田川悟(1947~2024年)が聞き手を務めた『吉本隆明「食」を語る』を取り上げる。

なかで宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」に出てくる「一日ニ玄米四合」を食べる話が印象に残った。

聞き手が言う。「賢治はベジタリアンというイメージが強い」が、「『雨ニモ負ケズ』の詩にある一日に玄米四合を食べていたというのは、考えてみれば大食漢ですね」。

これに対する答えは肯定的な推量だ。「大食漢」なのは「畑仕事に慣れていないのに」それをやった。「だからお腹が空く生活をしていたんでしょう」

さらに聞き手がたたみかける。賢治は「意外に西洋かぶれですね。白麻の背広を着てソフト帽をかぶったり、自作のネクタイをしめたり、ワインも自分で造っていたそうですから」。

いやあ、賢治像が一変する指摘だ。が、賢治はほんとうに大食感だったのか。「玄米4合」はご飯にしてどのくらいの量なのか。

鵜(う)呑みにはできないので、今、わが家で食べている「白米」から「玄米4合」を推測してみた。

わが家では1回に白米2合をたく。夫婦で朝に食べ、昼は麺かサンドイッチ、夜はカミサンだけご飯、次の日の朝も残りのご飯を食べる。1回1杯の軽い老人食として計算すると5杯、「白米4合」だと10杯にはなる。

働き盛りの20~30代なら大盛りでもいけるから、「一日ニ玄米四合」というのは「普通ではないかな」とカミサン。

おかずの少ない時代、賢治だけでなく、みんなそのくらいは口にした? 「でも玄米だし」。味はちょっと、ということらしい。

2026年4月27日月曜日

旬と瞬間

                                        
 今の時期、毎朝、庭で歯磨きをする。もう何度も書いているが、理由は2つ。地面に目を凝らしてミョウガタケとヤブガラシの新芽を確かめる。

 ミョウガタケは15センチほどに生長するのを待つ。ヤブガラシは生えたばかりの赤芽と、それより少し育って緑の葉を広げ始めた新芽を摘む。

 ヤブガラシはつる性植物で、そばの生け垣(マサキ)に絡み付いて本体の光合成を妨げる。マサキを守るために毎朝、芽をむしる。

 ミョウガタケは春を告げる食材のひとつだ。山野へ行かずとも自宅の庭で、いながらにして野の味を楽しめる。

 先日(4月21日)、がまんできずに10センチを超えたミョウガタケを3本カットし、刻んで味噌汁に散らした。

 うーん、である。ミョウガの香りはするのだが、まだ淡い。そして、やわらかい。歯ごたえもほとんどない。

 カミサンは「もうちょっと大きくなってからでないと」という。やはり、採るのが早すぎたか。

 そこから「旬」、あるいは「瞬間」という言葉が気になり始め、ネットでAIに聞いたり、漢和辞典で語源を探ったりした。

 まずは辞典から。旬は「勹(ほう)」と「日」の合字で、「10日」をいう、とある。勹は「包」で「ひとまわり」のことだそうだ。

 古代中国では一から十までをひとまわり、これに日を加えて10日の意味とした。音は「じゅん」だが、日本では濁らずに「しゅん」と読む。

 AIはこれを踏まえてさらにいう。10日間をひとつの単位として、上旬・中旬・下旬がある。1カ月30日の分け方で、こちらの読み方は「じゅん」である。

 それから転じて旬は「もっともよい味の時期」を意味するものになった。その時期は字からして10日ほどと見るべきなのだろう。そして、これにも「走り・盛り・名残」がある。

 この意味からいうと、味噌汁に散らしたミョウガタケはまだ走りにもならなかっようだ。わが家の庭の走りば4月25日あたり、そして盛りはそのあとか。

 というわけで、日曜日の朝(26日)にカット=写真=したのを、すぐ味噌汁に散らした。今度はそれなりに香りと歯ごたえがあった。

瞬間もまた「しゅん」で、同じ読みの旬と関係があるのかどうか。関係を裏付けるものはなかった。単に読み方が同じというだけらしい。意味としては、「瞬」は「またたき」。瞬間は「またたくひま」だ。

AI回答がおもしろい。「旬は食における瞬間の美学」だとか。食の現場では「旬の食材を最も輝く瞬間に食べる」という表現で、両者(旬と瞬間)の意味が融合して使われる――。無理やりくっつけて、ポエジーっぽく伝えていないでもないが、なるほど、である。

辛み大根のつぼみを摘んで食べた話を前に書いた。味がはっきりしなかった。あらかた開花後だったので、旬でも盛りを過ぎていたのかもしれない。

花の前につぼみを収穫すべきだったのだ。という意味では、食べごろの瞬間を見逃した。

2026年4月25日土曜日

春の猫の夢

                                
   変な夢を見た。動物園ならぬ「猫園」があって、私とどこかの子どもがほぼ同時に入場する。そのわきを「ジェジェ」という名の猫が追い越していく。

 子どもが「ジェジェ」と叫ぶ。私はそれを「ジジ」と聞き間違えて、「なにを!」といった顔つきになって子どもをにらみつける。

 それから場面は園内のカフェに変わり、子どもが休んでいるのを見て、私がマスターに頼んで子どもにアイスクリームか何か、甘いものをふるまう。それで子どもも打ち解け、先ほどまで続いていたわだかまりが消える。

 なぜ猫の動物園か、なぜ猫の名前が「ジェジェ」で、私と子どもの2人だけなのか――むろん夢の中の話だからわからない。ただ最近、猫がらみの出来事が2つあった。

 1つは夏井川渓谷にある隠居からの帰り、あるところで停車したら、ちょうどそばの家の猫がガラス戸のカーテンのすき間から顔を出した。タイミングのよさに表情が緩んだ。

 もう1つは詩人・思想家吉本隆明が猫好きだったこと。猫に関する本も出している。難解な思想と普通のペット愛が同居していることに驚いた。

私が最近読んだ吉本隆明の猫の本は『フランシス子へ』と「なぜ、猫とつきあうのか」だ。

フランシス子は次女(吉本ばなな)がつけた猫の名前である。詩人は亡くなる直前、最愛の猫だったこのフランシス子を主題に、インタビューに応じた。

「猫さんと仲良しになるのにいちばんいい方法っていうのは自分も猫になればいいんです。『猫を飼っている』という感じじゃなくて、自分も猫化して、猫さんとおんなじになっちゃえばいい」

「僕の猫とのつきあいかた、かわいがりかたっていうのは、もとをたどれば、親父の直伝なんです」

それで、「子どものころから数えきれないほどの猫とつきあってきました」。が、始終一緒にいるのはフランシス子が初めてだった。

『なぜ、猫とつきあうのか』もインタビュー集である。猫は死ぬときは姿を隠す――と思い込んでいたが、猫も進化するのか、「ちゃんと箱のなかでおとなしく死ぬっていうの初めて体験した」というくだりには蒙が啓(ひら)かれた。

ここまで徹底するのが「知の巨人」と言われるゆえんでもあるのだろうと、いささかあきれていたら、詩人の最後の食エッセー『開店休業』にも猫の話が出てくる。

「猫の缶詰」と「猫との日々」で、前者では猫の「フランちゃん」(フランシス子)の長寿の理由を語り、後者では「絶えず入れ替わりで家に入り込んでくる野良猫も、最近は猫用の缶詰などを食べ、私などよりも栄養価が上昇して、結構でっぷりとした体格になって愉しそうだ」とつづる。

ここで初めて、猫の話が身近になった。わが家の縁側を寝床にしている地域猫のゴンも、最近、ぶくぶく太ってきた=写真。

キャットフードの量を少し控えめにしないといけないのではないか。猫かわいがりは肥満症を招いて、かえって猫を苦しめる。そんなことに思いが至った。

2026年4月24日金曜日

室温18度

                                 
 家の中にいて「寒い」と感じる温度は決まっている。温度計を見ると18度以下、15度とか14度になっている。

 1日の気温は未明に最も低くなり、その後、上昇に転じて正午~午後2時ごろにピークを迎え、日没とともにまた下がる。

 真夜中にいったん起きてブログをアップする。室温18~17度だと寒さは感じない。

それからまた寝て、早朝の4~5時ごろにふとんを抜け出す。この時期(4月下旬)、室温は15度を割っていることがある。これだとストーブなしではちょっと寒い。

夕方や夜も同じで、18度を割り込むと首筋がスース―する。ストーブをつけないと体が冷える。室温18度が目安といっていい。

それと、この温度を意識するようになったワケがもうひとつある。米屋をやっていたとき、茶の間にいても来客がわかるように、店の入り口にセンサーを設置した。

店の一角に地域図書館とフェアトレード商品のコーナーがある。カミサンの友達などが訪れるので、毎朝、店の戸を開けるときにセンサーのスイッチを入れる。

 すると、冬場は客もいないのに、しばらく「ピンポーン、ピンポーン」と鳴り続ける。それが春になって、日によってはスイッチを入れても音なしのときがある。「おや、今朝はあったかいのかな」。温度計を見ると18度前後だ。

 センサー自体が18度以下だと、スイッチが入って熱を持つまで「ピンポーン、ピンポーン」を繰り返すらしい。

詳しい仕組みはわからない。が、ピンポーンの鳴る・鳴らないから、そんなことを考えた

 WHO(世界保健機構)が2018年、住まいと健康に関するガイドラインを出した。寒い時期の室温は18度以上を基準に、という。理想は21度以上だとか。

 この推奨温度は体感温度からも納得できる。後期高齢者が寒さを感じない室温は18度だし、ストーブ使用の目安にするのもこの室温以下のときだからだ。

 17度はともかく、16度あるいは15度以下だと石油ストーブをつける。つけないと寒くていられない。

WHOの冬の推奨温度を知ったのは、実は最近だ。灯油は節約したいが、寒いのも困る。ホルムズ海峡が封鎖されて以来、早く初夏がこないものかと案じていたところに、室温18度がわが家のスト―ブ使用のラインとして体感的にわかった。そのなかでWHOの勧告にたどりついたという次第。

きのう(4月23日)は朝5時過ぎに起きた。室温は16.8度=写真。空は曇っていた。放射冷却がなかった分、冷え込みが弱かったのだろう。

7時過ぎには17度を超えた。ストーブはつけなかった。毛糸の帽子と上っ張り、ハンドウォーマーで十分だった。8時になると18度に達した。もう大丈夫。ストーブなしで過ごした。

灯油缶はあと1缶(18リットル)。これを節約しながら使い切ったころ、初夏になるといいのだが……。