2026年7月25日土曜日

いわきの民俗芸能展

                                                  
   民俗写真家芳賀日出男さん(1921~2022年)のネガフィルム46本がいわき市暮らしの伝承郷に寄贈された。いわき民報で知った。

いわきゆかりの写真家である。いわきの民俗・芸能に関する写真もいっぱい撮っている。会ったことはないが、ときどき耳にはしていた。その意味では懐かしい名前だ。

いわきの歴史と民俗に詳しい故佐藤孝徳さんの家は江名の網元だった。確か佐藤家の正月飾りを取材して写真に収めている。その話を孝徳さんから聞いたのは、私が40代のころだ。

 いわき民報の記事によると、芳賀さんの父親は今のいわき市常磐藤原町の出身である。本人は中国・大連で生まれた。

民俗写真家として国内外で活躍し、1970年の大阪万博では世界の祭りのプロデューサーを務めた。

 ネットで情報を探ると、遺族(長男の日向さん)は奄美大島博物館や福島県立博物館にも、今回と同様、亡父の撮影したネガフィルムを寄贈している。

 折から暮らしの伝承郷では企画展「いわきの民俗芸能」が開かれている=写真(解説資料)。寄贈された写真の一部が展示されているという。

 カミサンが事業懇談会の委員をしているので、伝承郷へはアッシー君としてちょくちょく出かける。

 懇談会が終わると、展覧会場で担当学芸員が企画展の内容を解説する。委員に混じってそれを聞くのが習いになった。

 いわきの民俗芸能といえば、じゃんがら念仏踊りである。笠踊りやヤッチキ踊りもある。

それらのほかに、獅子舞、御宝殿の稚児田楽・風流、大和舞(山外舞)、奴振り・長持などを紹介している。

じゃんがら念仏踊りのコーナーには「じゃんがら人形」が展示されていた。1961年、現在の上皇・上皇后両陛下が小名浜で行われた放魚祭に臨席した際、郷土工芸品の「じゃんがら人形」(13人組)が桐のケースに収められて献上された。

じゃんがら人形は戦前、図案家の鈴木百世(ももよ)が考案した。戦後の1952年、百世の妻恭代さんが人形の制作を再開した。

旧平市が、皇太子と美智子さまの来市の折、「じゃんがら人形」の献上を決め、恭代さんに特注した。伝承郷に寄贈されたのはそのスペアだろう。

いわき総合図書館では去年(2025年)秋から、常設展「デザイナー鈴木百世 知る人ぞ知るいわき人」が開かれている。

当初は今年5月24日までだったが、好評のために8月30日まで延期された。常設展としては異例のことである。

じゃんがら念仏踊りのコーナーは、この人形ケースと解説文があるためにいちだんと中身が濃いものになった。

そして、これは余談。別の学芸員と芳賀日出男さんの話になった。冒頭で紹介した佐藤家の取材例を伝えた。

具体的な話はそれしか知らない。が、市内各地に似たような話が埋もれているはずである。

裏付け調査をするとしたら、長く困難な道が待っている。それだけにやりがいのある大仕事にはちがいない。

2026年7月24日金曜日

これからはふるさとで

                                 
 家の向かいに故義伯父の家がある。そこに画家阿部幸洋の小品だけでなく、個展の案内はがきをまとめた額がある=写真。それはそれで「作品」になっている。カミサンが額装した。

 その画家が自転車でわが家へやって来た。自宅(実家)はいわき市平の夏井川河口右岸域にある。歩けば40分というところだろうか。

 結婚と同時にスペインへ渡って半世紀近く。定期的に帰国してはいわき、東京、その他の都市で個展を開いてきた。

 今回もそうだと思っていたら、違った。スペインを引き揚げてきたという。これからはふるさとで絵描きとしての人生の仕上げをするわけだ。

 スペインはラ・マンチャ地方のトメジョソに住んでいた。妻のすみえちゃんは2009年9月末、向こうで急逝した。

生前、臓器提供の意思を明確にしていたため、心臓と肝臓がそれぞれスペインの市民に提供された。その意味では、彼女の魂はずっとスペインの大地で生きている。

すみえちゃんは妻であると同時に、阿部のマネジャー・通訳・運転手でもあった。毎年、個展を開くために帰国すると、夫婦でわが家へやって来た。

キャンバスが相手の夫に代わって現地の人たちと交流した。それで、すみえちゃんを母のように慕ってきた子どももいる。ラサロという。

すみえちゃんの死後、阿部が青年のラサロを伴ってわが家へやって来た。ラサロの弟も後年、パートナーとともにわが家を訪れた。今年(2026年)も来る。先日、連絡が入った。

私は50年以上も前、阿部と草野美術ホールで出会った。23歳だった。いわき民報社に入って2年目の駆け出し記者で、阿部は20歳ながら同ホールの広い壁面を使って個展を開いた。すぐ意気投合した。

 スペイン生活46年。今度は自分の絵かき人生の原点でもある実家で、ふるさとの風景の中でキャンバスに向かうことになる。

スペイン生活の集大成ともいうべき「帰国展」を考えているという。問題は、いわきのギャラリーではスペースが限られることだ。

トメジョソにアントニオ・ロペス・トーレス美術館がある。同美術館で2014年秋、阿部の個展が開かれた。

いわき市立美術館の佐々木吉晴館長(当時)がプライベートで個展を見に行った。彼によると、アントニオ・ロペス・ガルシア(1936~)というスペインの現代美術を代表する画家・彫刻家がいる。トーレスはその叔父さんだ。

スペイン現代美術の世界で阿部が画家として評価されたからこその、現地での個展だった。

それに匹敵するくらいの規模を考えているのではないだろうか。規模的には文化センターがいいのだが、借りるにはいろいろ制約がある。となれば、複数の会場で同時開催をする。そんなことを考えているという。

いずれにしても人生の区切りとなる回顧展には違いない。若いときから彼の作品を見続けてきた身としては、ふるさとに戻ってからの作風の変化もまた楽しみではある。

2026年7月23日木曜日

中洲の土砂除去へ

                               
   新年度に入って間もない4月下旬のこと。マチからの帰り、いつものように夏井川の堤防を通っていると、対岸・山崎の広い河川敷で作業員が2人、背の高い枯れ草に埋もれるようにして草刈り機を動かしていた。

 新しい予算がついて、また河川敷の土砂を撤去するのだろう――まずはそんなことを思った。

 場所は新川が夏井川に合流する、すぐ下流の山崎地内。合流部では冬、シベリアからハクチョウが渡って来る。せり出した山の中腹には専称寺がある。

 鎌田から塩に入るあたり、蛇行による流量・流速の違いからか、工事のあとに川中島(中洲)ができた。そこだけ緑に覆われている。

 夏井川は流路が短く、水量が少ない。そのためか、改修を重ねるたびに川中島と浅瀬ができる。この何十年か、夏井川ウォッチングを続けてわかった自然のメカニズムである。

新川との合流部も事情は同じ。ここではたびたび重機が入って川の土砂をかき集め、ダンプカーが運んでいく。川砂採取地でもある。

 そのくらい堆砂が多い。そこから下流にも中洲ができた。草が繁茂すると、やがてヤナギが生える。その緑が氾濫の要因になるかもしれない。

 なんとかならないものかと案じていたら、川を管理している福島県いわき建設事務所が地元の要望を受けて動いた。

 6月になると対岸の県道甲塚古墳線に沿って重機が入り、上流の新川合流部まで立木の伐採が行われた=写真。

 後日、県道を通ったときに道路沿いの立て看板を確かめた。「洪水被害を防ぐため/土砂を撤去しています」。この大文字の下に「いのちとくらしをまもる防災減災/国土強靭化対策工事」とあった。

そのための草刈りだったのだろう(いや、そうではなかったかもしれないが、場所といい、作業の流れといい、ここでは事業の一連の準備だったとみておく)。

 重機が入ると見るみるうちに対岸の景色が変わった。立木だけでなく、枯れ草が刈り払われて堆砂が見えるようになった。

中洲の土砂を撤去するためには、重機とダンプカーが行き来する作業路を確保しないといけない。それが県道に沿って設けられるようだ。

草刈りが行われた山崎の広大な河川敷では、「令和元年東日本台風」のあと、堆積土砂の撤去が行われた。

その前には、専称寺のふもとから同じ浄土宗の古刹・如来寺までの間で、田んぼの中に県道甲塚古墳線を付け替える工事が行われた。

その結果、古い道路は河川敷に組み入れられた。広い河川敷がより広くなった、というわけだ。

そこにまた重機が投入された。某政党のチラシによると、中洲の掘削工事は今年(2026年)5月に着工し、来年3月に竣工する予定という。

ほかの中洲もいずれヤナギが生え、大水のときには流れを阻害する要因になる。このことは頭に入れておかないといけない。

2026年7月22日水曜日

夏こそ朝活

                                 
 夏至から1カ月。冬至の「一陽来復」をもじっていえば、「一陰来福」。「一陰」に「来福」はそぐわないが、冬至に向かって日は短くなる一方だ。そのなかで、暑さはすでにピークを迎えている。

 朝の涼しいうちに――というのは、夏の過ごし方の定番でもある。サラリーマンにも出勤時間の前に「朝活」をする人が増えている。中身は人それぞれだろう。瞑想、ヨガ、読書会、ランニング、散歩、ラジオ体操、写生……。

 年寄りは一日の暮らしのサイクルからいって朝活型だ。夜は早めに寝る。すると、まだ暗いうちに目が覚める。

59歳から77歳へ。出・退勤時間の決まったサラリーマンをやめて18年。早寝早起きがすっかり定着した。

ほかの後期高齢者も同じらしい。半世紀もつきあっている人間が遊びに来て、寝起きする時間が早くなった、と言っていた。

彼は9時に寝て3時に起きる。私は8時に寝るが、日が替わったのを確かめてブログをアップするため、夜中に一度起きる。二度寝を含めると睡眠時間は6時間。その点では友達と同じだ。

毎日が日曜日で月曜日の人間には、朝活が一日の質を決める要素になる。たとえば、ブログの作成。これを毎日の「仕事」としているので、早朝に仕上げれば、以後の時間は行事が入っていなければフリーになる。

ルーティンの家事もある。起きるとすぐ風呂をわかす。朝風呂である。現役のころから、帰宅するとすぐ晩酌を始めた。風呂は寝て起きて、酔いがさめてから――が習慣になった。これは今も変わらない。

それから糠床をかき回す。キュウリなどが漬かっていれば取り出して刻み、器に盛る。

先日はキュウリだけでなく、ニンジンと大根があったので、イタリア国旗をもじって、「糠漬けトリコローレ」)と名付けて食卓に出した=写真。

毎日のルーティンに遊びを取り入れると少し楽しくなる。今度はナスを入れてフランスの三色旗、「糠漬けトリコロール」を出してみようか、なんて考えている。

朝活の順序からいうと、風呂・糠床のあとにブログを作成し、合間に接骨院へ行って腰をもんでもらう、戻ってすぐ朝食をとる、という流れだ。

夜明け前はシーンとしている。鳥も鳴かない。キーボードをたたく音しか聞こえない。頭もすっきりしている。

このごろの楽しみは接骨院での同世代との会話だ。「同病相憐れむ」気持ちがあるのか、配偶者のこと、プロスポーツの結果、時事ネタと話は尽きない。新しいコミュニティができた感じだ。

朝ドラが終わるころには、ザワザワした空気に包まれる。通りを車が、人が行き交う。庭に鳥がやって来る。目の前では蚊が羽音をたてながら飛び回る。そのころにはあらかたブログの作成を終え、自由な時間に入る。

自由過ぎるとタガが緩んで予定の「仕事」まで忘れてしまうことがある。自由にも緊張が必要だと、たまには自分に言い聞かせる。

2026年7月21日火曜日

よかった、いた!

             
   日曜日は夏井川渓谷の隠居で土いじりをする。そこまでは車で40分ほど。ドライブ中に必ずチェックする生きものがいる。

小川の平地・三島の夏井川にいる残留コハクチョウの「エリー」だ=写真(7月5日、カミサンが撮影)。

エリーは、早朝はやや上流の中洲かそば(右岸)の砂地で休んでいる。7月19日は少し増水して、中洲が水没していた。姿がなかった。流されたか? そう早とちりする「伏線」が実はあった。

家を出るとすぐ市庁舎の駐車場へ行った。駐車場の西端にリサイクルボックスがある。家に届いた古着をそこへ運んだあと、国道399号(途中で県道小野四倉線と重複)を北上した。

平市街を抜け、平窪へと接続する磐城橋を渡りながら、上流をチラ見すると右岸の浅瀬に白く大きな鳥がいた。

シラサギなら体は縦に長い。脚も、首もそう。ところが、その鳥は横に長く、増水した浅瀬に浮かんでいるような感じだった。首も長い。つまりはハクチョウ体形。まさかエリーではないだろうな?

半信半疑で小川に入り、川と並走する三島でエリーを探したら、いない。それで、10分ほど前に見た平窪の白い鳥がエリーに重なった。

5年前、やはり三島に残留したコハクチョウがいた。白鳥おばさんは「エレン」と名付けてエサをやり続けた。このエレンが大水で下流に流されたことがある。それを思い出した。

エリーの名前も白鳥おばさんが付けた。私ら夫婦も白鳥おばさんにならってエリーと呼んでいる。エレンを思い出して、これから大変だぞ――夫婦でエリーを案じたのだった。

1時間ほど隠居の菜園で草むしりをし、汗でぐしゃぐしゃになったシャツを着替え、一休みしてから隠居を離れた。

 帰りは三島に車を止めて川をチェックし、エリーがいなければ平窪でも探すことにした。

 磐越東線の跨線橋を過ぎると、川の流れに沿って道は大きく右にカーブする。そのカーブが終わって道路と夏井川とが並走するあたり、眼下の右岸に白く大きな鳥がいるのが目に入った。

道路の山側にある100円野菜の無人販売所に車を止めて、ガードレール越しに川を見る。

エリーだ。よかった、いた! 流されたわけではなかった。朝は草にまぎれて姿が見えなかったのだ。

すると、平窪のあの大きな白い鳥はシラサギか? 水中の魚を狙うとき、サギは胴体を水平に保ち、首を曲げて水面に近づける。そんな狩猟中の一瞬を見誤ったのかもしれない。

 なんであれ、エリーは三島にとどまっていた。これからも大水と暑さの試練は続くだろうが、なんとか頑張ってくれよ。

勝手にエリーを案じていたジイサンは、昼前、いつもの浅瀬で一休みするエリーに、勝手に安心してヤレヤレとなった。

2026年7月18日土曜日

減る庭の土

                                
   これは今年(2026年)、急にそうなったということではない。庭の表土が少しずつ、少しずつ流れ、地中の玉砂利が現れてきた――そんな感じだ=写真。

ちょうど頭上から青柿が落ちてくる時期。車の屋根にボコボコ当たるので、そばの離れの跡に車を止めている。で、むき出しの地面に落ちた青柿も集めて写真を撮った。

梅雨に入って、たびたび雨が降る。すると、車の轍(わだち)を中心に水たまりができる。

家の東側には表の車道へと続く砂利の小道、西側には雨水を流すコンクリートの排水路。家の前の歩道には側溝があって、コンクリートの蓋で覆われている。庭の雨水は、雨樋とは別に、地面を伝って蓋のすき間に流れ込む。

土砂降りになった7月17日の朝、傘をさして様子を見る。庭は湖、庭の草地は中島、砂利道は二筋の川になっていた。

浸食・運搬・堆積の「川の3作用」は庭でも起きる。浸食されるのはもちろん「水源」である庭の土だ。

車のタイヤは土をえぐるだけでなく、草が生えるのを抑える。しかし、一方の草には土をとどめておく役割がある。

草が生えているところは少し土が盛り上がっているように見える。草は天然の土留めシートだ。

ある日、板状の土を持ち上げるようにしてヤブガラシが芽を出した。ほかのところでは芽だけが針のように突き出ている。同じ庭でも場所によって土の質が違う?

そこから、たまたま読んでいた本を思い出した。藤井一至著『土と生命の46億年史――土と進化の謎に迫る』(ブルーバック)。

「土とは岩石が崩壊して生成した砂や粘土と生物遺体に由来する腐植の混合物」と土の研究の第一人者はいう。

この定義に従えば、板状に結びついていた庭の土は、ほかの土よりは粘土分が多かったのだろう。

藤井さんは原発事故で汚染された農地の再生のために、大熊町の農地で土壌分析の協力をしている。それを新聞記事で知って、先日、以上のことを含めて、ブログに書いた。

ごく普通の家の庭でも、足元に目を凝らすと地球史にも通じる自然の不思議が見えてくる――。

ブログの文章はそこで終わっている。それからわずか2カ月。また庭の土について考えさせられた。

夏井川渓谷にある隠居の庭(とりわけ下の庭)も何十年という間に、表面の土が雨で流出したためか、埋め立てに使った砕石が露出するようになった。

 土の定義を当てはめれば、生物遺体の腐植量が少ないうえに、粘土や砂の流出が続いたために、埋まっていた砕石が露わになってきた、ということなのだろう。

マチ場のわが家の庭も原理は同じ。表土が減って、地固めに使った砕石が露出するようになった。そういうことらしい。

かといって、庭をコンクリートで覆うようなことはしない。土を買ってくるか、どこからかもらってくるか。いずれにしても「土不足」を補う必要がありそうだ。

2026年7月17日金曜日

路面の矢羽根

                         
 このところ急に目に付くようになった路面標示がある。青い色をしている。先端はとがっていて、やや太い。

 先日は、この標識を路面に塗装する現場を目撃した。後日、そこを通ると青い色の「矢印」があった=写真。

 そこは東日本国際大学がある鎌田山(平)のふもと、夏井川沿いの集落だ。南アジア系の留学生をたびたび見かける。

 留学生の足は徒歩か自転車だ。自転車に関する標示ではないか――。そう直感した。

マチへの行き帰り、車を運転していると、たびたびヒヤリとする。そのほとんどが自転車だ。

大学の近辺だけではない。わが行政区内でも南アジア系の若者たちが徒歩で、自転車で通りを行き交う。

マイルールの自転車もある。一度どころか、二度、三度と衝突事故を起こしそうになった。

それとは別に、国・県・市がサイクリングロードの整備に力を入れている。民間でもJRの駅を起点に、自転車で「まち走り」をする「時空散走」の動きが広がりつつある。

自転車の普及と同時に、自転車の安全通行やマナーの向上などが課題になっているのだろう。

折も折、私が常時利用している夏井川の堤防で、自転車通行のための整備工事が行われることになった。工事の内容は路面標示や一部防草シート設置などだという。

標示のひとつに「矢羽根」があった。もしかしたらこれか、あの太く青い矢印は! ネットで調べると、そうだった。新しい標識が路面に施されたワケがやっとわかった。

青い「矢羽根」は自転車が走る「走路」を意味する。先のとんがっている方が走る方向で、逆走はダメ、の意味でもある。

夏井川は県が管理するが、堤防上の自転車通行整備工事は市が担当するらしい。7月15日付の回覧で各隣組に市のチラシを配った。

それによると、工事範囲は国際大下から河口までで、うち2カ所が車両通行止めになる。

具体的には、①中神谷~下神谷=7月21~30日②塩~中神谷=7月27日~8月10日――で、私は、7月21日から8月10日までは堤防経由でマチから帰ることはできなくなる。

それはともかく、自転車の青い表示はまだ一般には知られていないのではないか。車道には白い自転車のマークと矢印を組み合わせた標示もある。これも周知のマークとは言い難い。

いわきには東日本大震災のあと、復興サイクリングロード「いわき七浜海道」が整備された。

防潮堤と既存の道路を組み合わせたもので、防潮堤には自転車通行空間であることを示す「ブルーライン」(青い線)が引かれている。

今回やっと白い自転車と矢印、青い矢羽根、青い線の意味がわかった。自転車通行位置の明示、ドライバーへの注意喚起が主な目的だが、自転車利用者もまた左側通行を守る必要がある。

青い矢羽根は車道と混在のエリアに引かれる。幅は75センチ以上、長さは150センチ以上だとか。わが生活圏ではなんといっても、留学生によく理解してもらう必要がある。