2026年1月16日金曜日

赤い川

前回(12月23日)の「いいのみんなの食堂」からおよそ3週間。前よりは20分ほど遅く出かけたこともあって、今回も平市街の日没に遭遇した。

「いいのみんなの食堂」は平南白土にある。神谷からは国道6号の夏井川橋を渡り、対岸の県道甲塚古墳線に下りる。そのあとは夏井川に沿って進み、支流の新川を2回渡って住宅街に入れば着く。場所は旧「レストラン シェ 栗崎」だ。

新川と夏井川の合流部手前で平地の丘と阿武隈の山並み、平の市街が、開けた空の下に一望できる。

天然の風景画である。前回とほぼ同じ位置から、助手席のカミサンが夕焼けをパチリとやった=写真。

前回は冬至の翌日だった。1年で最も南に寄った夕日は徐々に北へと位置を変え、3週間たった今では、市街の丘の北側、湯ノ岳のすそ野の方に近づいて沈んだ。

目安は「太陽は1日1分、月は1日1時間」だ 。冬至以後は日の出が1日に1分早くなり、日の入りが1日に1分遅くなる。

前回の撮影時間は午後4時18分、今回は4時36分だった。その差は18分。厳密に日没の瞬間を撮ったわけではないが、それからもおおよそ「1日1分」の違いは読み取れよう。

日中は雲がなかった。底が抜けたような青空だった。午後になって雲が出てきたために、日没時は赤い夕日を反映して、雲の下が赤く染まっていた。

蛇行したあと、まっすぐこちらへ向かって来る夏井川の水面も、大空でこちらへ向かうように伸びた雲を映して赤く染まっていた。

車だったので、チラ見で通過したが、「赤い川」は、最近では見たことがない。対向車も後続車もなければ、止まってカメラを向けるところだ。

その日、その時、その場所だからこその特別な風景、自然からの贈り物である。

写真技術は未熟だが(そのために撮りそこなった「決定的瞬間」はいっぱいあるが)、車を運転していては、ウデがよくても撮影はかなわない。

そのために、カミサンが助手席に座っているときは、撮影の代行を頼む。ハクチョウは、最近はほとんどカミサンが撮っている。夕日や面白い雲もカミサンが撮る。

「赤い川」は残念ながら、助手席からは見えなかったろう。見えてもすぐ視界から消えたことだろう。

みんなの食堂から帰る時間には、車はすべてライトをつけていた。川面はもう暗くて見えない。新川合流部のそばを通ると、薄闇の浅瀬にハクチョウが数十羽、白く浮き出て見えた。日没前後に順次、周囲の田んぼから帰って来たのだろう。

「赤い川」を見たころ、合流部にはもうハクチョウが帰っていたかもしれない。が、上流の川面に視線が集中して全く気づかなかった。

   自然はおもしろい。というより、自然に接することで、しこった感性がほぐれる。それだけではない。絶えず自然に触発されて、思考のバランスを図っている。少なくとも私はそうだ。そのことをまた日没直後の赤い雲と川、うす暗がりのハクチョウが教えてくれた。 

2026年1月15日木曜日

弁天様へ馬を見に

                                 
 平沼ノ内に「弁天様」で知られる「賢沼寺(けんしょうじ)」がある。落葉広葉樹と照葉樹に囲まれた「賢沼(かしこぬま)」が有名だ。賢沼は「ウナギの生息地」として国の天然記念物に指定されている。

 弁天様は阿武隈の山の向こう、田村郡の子どもたちにもなじみがあった。確か小6のとき、小名浜港への日帰り修学旅行で立ち寄った記憶がある(別の記憶とごっちゃになっているかもしれない)。

そのころは文字通り、天然のウナギの姿も見られた。観光客は沼に張り出した「魚見堂」から、境内のみやげ品店で買ったえさをまく。

すると、激しい勢いで大きな緋鯉や真鯉が食いつき、それらに混じってウナギが姿を現したものだった。

 いわきに根を生やしたあとも、子どもを連れて訪れた記憶がある。そして、これは偶然だが、先々代の住職の家族とも知り合った。

 寺と沼は薄磯と沼ノ内の漁村をつなぐ旧道沿いにある。今は薄磯のカフェ「サーフィン」へ行った帰り、たまに寺の前を通るだけになった。

 年明けの新聞に、1月4日まで寺で「騎馬詣(もうで)」を実施している、という記事が載った。

それを読んだカミサンが声を発した。「見に行こう」。正月3日には絶対行く、という口ぶりだった。

 箱根駅伝を見終わってから出かけた。騎馬詣は境内で行われていた。それとは別に、広い駐車場の一角を囲った柵のなかに馬が1頭いた。脇の囲いにはポニーとヤギとヒツジ。

 馬を飼っているのは「旅人牧舎。」で、前は湯ノ岳で営業していたが、現住職の計らいで寺の敷地に移ってきたそうだ。

 寺の敷地を新天地にしたこともあって、「騎馬詣」が企画された。そちらはともかく、馬を見るだけでもおもしろい。

 入場料は1人500円だった。カミサンはえさのニンジンを買い、馬に与えて鼻先をなでる=写真。私はそばで見るだけだ。

 馬に触れたあと、何十年ぶりかで賢沼を見た。カルガモがたくさん泳いでいた。水中では緋鯉=写真上2=や真鯉が悠然と回遊している。

観光客は、ウナギの姿はもうだいぶ前から見ていない。それでも、賢沼は弁天川で太平洋とつながっている。その河口には震災後、防潮水門が設けられた。

ウナギの稚魚が上って来るのは、この弁天川河口からすぐのところに注いでいる側溝のような水路を伝ってだろう。

沼の前にある弁財天のお堂に参詣したあと、カミサンがそばの売店に立ち寄って質問した。

そばで聞くともなく聞いていると……。「ナマズはもういないんですか」。えっ、なんてことをいう!

「ナマズじゃないよ、ウナギ、ウナギ!」。いっぺんに正月気分が吹き飛んだ。それに対する店側の答え。「ウナギの稚魚は上って来ます」。ナマズと思い込んでいる観光客が多いのかもしれない。

2026年1月14日水曜日

「チャッピーに聞こう」

                             
   1月ももう半分が過ぎる。備忘録として松の内を振り返ると――。

元日には年賀状を書き、2日はカミサンの実家へ年始のあいさつに行った。3日は沼ノ内の「弁天様」へ馬を見に出かける。夕方には長男一家が顔を出した。

4日には親しくしている後輩が「赤福」を持って来てくれた。5日は朝、ごみネットとごみ袋を出す。今年2026年の「日常」の始まりである。

6日にはカミサンのいとこが自家栽培の白菜を2玉持って来て、親族が暮らす土地の話で盛り上がった。7日は今年最初のアッシー君を務めた。

令和8年最初の7日間は、天気も含めておおむね穏やかに過ぎた。いつもの正月だった。そのなかでびっくりしたことが一つある。

それが今も尾を引いている。1月12日の全国紙にも特集記事が載った。「チャッピー」のことである。

その前に、後輩が持参した「赤福」について。後輩は、自宅が関西にある。何年か前、いわきの実家へ「単身帰農」をした。年末年始は関西の自宅で過ごす。

令和4(2022)年からは、伊勢経由で買って来た「赤福」がお土産として届くようになった。

「赤福」は、長男が大学生のころに知った。同じサークルの仲間に三重県出身者がいた。

学生たちは夏休みになると、いわきへ海水浴にやって来た。寝泊まりするのは、夏井川渓谷にある隠居だ。そのときのお土産が「赤福」だった。

3日に長男一家がやって来たとき、後輩が栽培しているパパイアの話になり、正月には「赤福」が届く話をした(実際、翌日に届いたので、半分をお福分けした)。

床の間に掛けてある漢文の拓本「好間渠誌」が目を引いたらしい。高校生の孫も話に加わった。

「漢文はまったく読めない」。そういうと、下の孫が「チャッピーに聞こう」と応じた。「えっ、チャッピーはこんなことも知ってるのか」

チャッピーはウチに来たことがある。街でもときどきバッタリ会う。実在する人間の愛称だ。その顔を思い出して感心し、しかも彼を高校生の孫が知っていることに驚いた。

孫はそれから床の間の拓本にスマホをかざし、「チャッピー」に送ったらしい。父親も同じようにして、AIに解答させた例文を見せる。

それでようやく合点がいった。「チャッピー」は「チャッピー」でも、AIの「チャットGPT」のことだった。

私はチャットGPTをほとんど使わない。漢文の頭の部分=写真=をカメラに収めると、画像からその字を紙に書き写し、漢和辞典を引っ張り出してきて確かめる。まだまだアナログだ。

が、孫たちは素早い。検索ツールのチャットGPTを使って瞬時に答えを求める。それが日常化しているために、友達みたいな感覚で「チャッピー」と呼ぶのだろう。

後期高齢世代とZ世代である。時にはこんなカルチャーショックも起きる。いや、「これも勉強、勉強。この世の出来事がまた一つわかった」と自分に言い聞かせたのだった。

2026年1月13日火曜日

続・好間渠誌

                                             
   年末から床の間に掛軸(記念碑「好間渠誌」の拓本)を飾って、毎日眺めている。「好間渠」は好間江筋、農業用水路である。

碑はすべて漢文だが、最後の文章は、堰のそばに碑を建て、江筋の概略を記して後世に伝える――と読める。

斎藤伊知郎『近代いわき経済史考――碑文に見る伝承100年』(1976年)に当たり、『よしま――ふるさとの歴史散歩』(1998年)を読んで、上好間字大堰の好間川に堰と取水口があることがわかった。字名からして「堰」由来だろう。

グーグルアースとストリートビューで確かめたら、常磐道いわき中央インターそばの好間川に堰がある。対岸の道路沿いには碑が建ち、その後ろから水路が伸びている。

まずは年末最後の日曜日(12月28日)、夏井川渓谷の隠居へ行く前に寄り道をして、碑と対面した=写真。

碑は北向きに建っている。朝は逆光になる。それもあって碑の文字がよく読めない。しかしながら、拓本と違うことが4つあった。

本文に先立つ1行「正四位子爵安藤信守篆額」が、拓本の本文より少し離れて位置し、字も大きい。

本文のあとに独立して続く「室直與撰文 李堂高山康書隷」が「室直與撰文」だけになっている。

書体は、隷書というよりは楷書らしく、1字1字がこぶりな印象だ。字間・行間も拓本よりは空きが多い。

それに(これは拓本の技術に関することなのだろうが)、碑の輪郭の印象がまるで違う。

明治35年建立の碑は、外縁が自然な岩のギザギザを残しているように見えるのに、実際の碑はちゃんと直線的に加工されている。

一見しただけでも、明治35(1902)年に建立された碑と、今の碑が同じとは思えない。

本文は、「安藤信守篆額」「室直與撰文」とあるから、異同はないはずだ。「李堂高山康書隷」がないのは、たぶん書体が違うからだろう。

拓本は初代の碑、今建っているのは2代目の碑――。そうだとして、なぜ建て替えられたのかだが、なにか大きな災害(たとえば水害)があって損壊したのだろうか。

碑の本文解釈に入るのはまだ先のこと。まずは碑の外観から調べていく必要がある、という意味では、おもしろい「宿題」をもらったものだ。いわきの災害史、中でも好間の水害史がわかる資料にも当たってみよう。

元日の午後、太陽が順光になるのを待って再び碑を訪ねた。今度は本文の字がはっきり読み取れた。それについてはいずれまた報告したい。

そして、これはおまけ――。何年か前まで、福祉関係団体の活動資金にするため、わが家に納豆を届けてくれていた知人の自宅が碑の近くにあった。

車をUターンさせようと前に走らせていたら、カミサンが、ご主人が営んでいる建築業の看板を見つけた。

カミサンが訪ねると図星だった。帰りに家庭菜園のネギなどをちょうだいした。年末ながら、一足早い「お年玉」をもらった気分になった。

2026年1月10日土曜日

正月の食べ物

                                
 わが家の白菜漬けは、塩分控えめと温暖化の影響なのか、甕(かめ)に漬け込むとすぐ水が上がり、表面に白い膜が張る。産膜酵母という。

 まだ新しいのに、この膜が張ると酸味が増す。早々と古漬けのような味になる。カミサンはそれが好みのようだが、私は出来立てでさっぱりした白菜漬けがいい。産膜酵母が張ると、いつも「どうしたものか」と悩む。

 暮れにカミサンの知人から袋入りの「大根キムチ」が届いた。陶器の入れ物に移し、大根を食べているうちにひらめいた。

 キムチのたれがいっぱい残っている。捨てることはない。これに白菜漬けを加えたら、「白菜キムチ」になるのではないか。

さっそく実行する=写真上1。まずまずだった。酸味が抑えられて、晩酌のつまみにも、ごはんのおかずにもなった。

その延長で、ある食品メーカーの「キムチの素」を買って来る。激辛ではない。それでも白菜漬けにまぶすとけっこう辛い。

若いときは、このくらいの辛さは平気だったが……。後期高齢者になると、舌がマイルドなものを求めるようだ。まぶす量を減らす、ほかのたれとブレンドする。次はその両方を試してみよう。

そもそも食べ物はローカルが基本。「大根キムチ」はいわきの地元製品だ。いわきに合った「白菜キムチ」を作るには、「大根キムチ」を買って来て、そのたれを再利用すればいい。道の駅へ行った際、「大根キムチ」を2袋買った。

ほかに「正月だから」と、食卓に並んだものがある。秋に「置き干し柿」をつくった。正月に食べるために、数個を冷凍しておいた。

干し柿を切ってアイスを載せたものが出てきた=写真上2。さっぱりした甘みに、カミサンも「珍味だね」と喜んだ。

ネギ=写真上3=も大みそかにちょうだいした。1年前の師走、用があって知人の家を訪ねると、すぐわきの畑からネギを掘り取って来た。それに続くお福分けだ。

まずは焼きネギにする。ネギとジャガイモの味噌汁にもする。太ネギは硬いというイメージがあったが、知人のつくるネギは思った以上に軟らかい。

白菜キムチ、アイス干し柿、焼きネギ。正月三が日は、自己流のおかずが並んだ分、「ここだけ、うちだけ」の気分で晩酌を楽しんだ。

2026年1月9日金曜日

「無思想」ということ

                                                
 大活字本の養老孟司『無思想の発見」を読んだ=写真。本の主題とは直接関係ないが、「そうか」「なるほど」という場面が何度かあった。

 「ひとりでにそうなった」。これが日本の思想なのだという。それを最初に述べたのは政治学者の丸山真男東大教授だった。

 「古事記」や「日本書紀」で一番ひんぱんに使われる言葉が「なる」だと知って、理由を考える。

「たぶん日本はものすごい勢いで草木が繁茂するから」。丸山は、これを自説の論拠にした。

その延長で著者は言う。日本のことを「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と表現することがある。「古事記」や「日本書紀」に出てくる。この表現は大陸人でないとできない、と。

 なぜ大陸人か。「大陸は乾燥していて、しばし地面が裸で出ている。日本にそんな場所はない」。あるとしたら足尾銅山跡のようなところだ。

大陸との比較ができて初めて、「豊葦原瑞穂国」という表現が生まれる、というのが著者の見解のようだ。

「人為を尽くしてせっかく更地にしたのに、春から梅雨どきに放置しておいたら、地面は草木だらけに『なってしまった』」

確かにその通りだ。これは古代も、現代も変わらない。それほど日本では緑の繁殖がすさまじい。暴力的でさえある。

 毎週日曜日、夏井川渓谷の隠居へ行く。庭も家庭菜園も、草を刈ったと思ったら、すぐ緑で覆われる。年に3回は後輩が軽トラに草刈り機を積んでやって来る。

「日本の思想」の原点かどうかはともかく、下の庭にはアシが生え、上の庭もすぐ緑で覆われる。トヨアシハラノミズホノタニ(豊葦原瑞穂谷)だ。

そもそも、『無思想の発見』を読む気になったのは、新聞記者になりたてのころ、「無思想」でいくと決めて取材に当たってきたからだ。

そのころ、「有思想」とは記者の先入観、あるいは偏見という理解だった。思想があるから世の中が歪んで見える。思想に基づく批判記事を書くようになる。

思想がなければ、現場で見聞きしたことだけを材料にして書く。思想は要らない。無思想でいい。それで初めて、記者はニュートラルで取材に当たれる。そう思うようになった。

評論家大宅壮一のいう「無思想の思想」に触れたことも大きかった。「――主義」は取材には邪魔。そんなところが若さゆえの理解のレベルだったろうか。

その「無思想」が巡りめぐって、日本の湿潤な気候・風土と結びつき、「日本の思想」の本質として浮かび上がってくるとは……。

同書にはこんな言葉もあった。「見方が変われば、世界が変わる。人が変わっていくのは救いであって、自分が変わらない世界なんて、私はごめんこうむりたい」

後期高齢者と呼ばれる年齢になったせいか、この言葉がすんなり入ってくる。これが、「無思想」の持つ生命力なのかもしれない。

2026年1月8日木曜日

直売所のホウレンソウ

                                 
   若いころ、尊敬するドクターの家に仲間が集まって、よく飲み会をやった。秋から冬には「ホウレンソウ鍋」を囲んだ。

いわき市は昭和61(1986)年、「非核平和都市宣言」をする。市民有志が中心になって短期間に何万人もの署名を集め、市と市議会を動かした。

政治運動とも市民運動とも無縁だったドクターが事務局長を引き受けた。そのときに出会い、ドクター宅に呼ばれて飲むようになり、初めてホウレンソウ鍋をつついた。

ホウレンソウ鍋は映画監督でグルメだった山本嘉次郎が考案した。ドクターは、山本監督がテレビで紹介していたのを試して病みつきになったという。

レシピは簡単だ。水を張った鍋を卓上コンロにかけ、スライスしたニンニクとショウガを入れて、塩で味を調え、しょうゆを加えてほんのり色をつける。

そこへしゃぶしゃぶ用の豚肉と、葉を一枚一枚ちぎったホウレンソウを入れて、熱が通ったら食べる。それだけ。

 ブログでレシピを紹介すると、反応があった。内郷の知人からは「常夜(じょうや)鍋」と教えられた、とてもおいしかった記憶がある、というコメントがフェイスブック経由で入った。

カミサンの平の同級生も、はがきでコメントを寄せた。「私は友人から『常夜鍋(とこよなべ)』とおそわって食べてました」

50~60代のころ、冬に人が集まると、よくホウレンソウ鍋をした。初めての人間も、1回ですぐ料理法が頭に入る。

シンプルで飽きがこない。枝分かれするように料理が継承・伝播されて、あちこちでその家の冬の定番料理になっている。わが家もそのひとつだ。

 というわけで、年末のある晩、「孫」の親と4人で「ホウレンソウ鍋」を囲んだ。老夫婦だけでは食べる量も限られる。4人だからこそできる鍋だ。考えてみたら、もう6年もやっていなかった。

たまたま、カミサンの友人が「いいホウレンソウがある」という。ハマに近いところにある直売所で売っている。早く行かないとなくなる、というので、友人が当日午前中に買って来てくれた。

確かに「いいホウレンソウ」だ。採りたてなので、水分をたっぷりと含み、青々としている。しかも、きれいに泥が洗い流されていて、あらためて水洗いをする必要がない。

根元からちぎって、どさっと葉を入れ、湯がいたらすぐ取り皿に入れて食べる。歯ごたえがある。新鮮だからシャキッとしている。

後日、ホウレンソウが大好評だった旨を、カミサンが友人に話すと、また直売所からホウレンソウを買ってきた=写真。

見た目からしてみずみずしい。葉が立っている。お浸しにした。やはり「張り」がある。採りたての証拠だ。根っこの赤みもほんのり甘い。

地元で栽培され、すぐ直売に回されて消費者の口に入る。都市部と農村部がほどよい距離で共存しているいわきならではの良さだ、と私は思う。いわきは、魚だけではないのだ。