カミサンの実家へ行くと、店舗(元米屋)部分の勝手口から入る。接続している母家の玄関を利用するのは正月とお盆くらいだ。
玄関の両側の壁には、木製の歯車(全体を4分割したもの)がはめ込まれている=写真。
年末に義弟から拓本の掛軸を預かった。前にもブログで紹介した「好間渠誌」で、好間渠(江筋)は今も実家のそばを流れる。
かつてはこの江筋から庭を経由して水を引き、水車の回転力を歯車に伝えて米を搗いた。その遺物である。
壁にはめ込まれた歯車は、歯が9個。やはり木製で、本体の四角い穴にはめ込まれている。
2つの歯車部分を合わせると直径がどのくらいか想像できる。本体は直径1.5メートル余、歯車の数は36個ぐらいだろうか。
遺物が家の歴史を物語る。とはいえ、カミサンも古いことは祖父母・父母からの伝承以外よくわからない。まずはカミサンの実家に関する情報が欲しい。
図書館にはデジタル化された「古新聞」がある。そこから拾えるなら集めたい。
「<昨日>の新聞はすこしも面白くないが/三十年前の新聞なら読物になる」。詩人の田村隆一が言っている
確かにその通りで、検索しながら紙面を読む。それがきっかけでさらに新しい興味・関心がわく。
このごろは、集中して「いわき文献案内」を利用している。図書館がデジタル化した地域新聞(いわき民報は昭和56=1981年まで)を、キーワードで検索できる。
楽しみながら、遊びながら。わかっても、わからなくても。まずはキーワードを入力して調べる。
すると、マチの動きと絡んだカミサンの実家の情報がいくつか出てきた。きょうはそのへんを。
昭和10(1935)年6月7日付「新いわき」に、平町内の行政区のうち5つの区長が決まったという短報が載る。カミサンの祖父が再選されたことがわかる。
昭和31(1956)年8月13日付いわき民報には、義父名による「近火見舞いお礼」の広告。近所で火事があったことをカミサンも覚えている。
さらに、昭和45(1970)年11月13日付の同紙掲載「磐城三十三観音巡礼記64」に、筆者の荒川禎三さんが義父ともう1人の3人で巡礼を共にしたことを書いている。
変わったところでは、「委託電報」というのがあった。昭和29(1954)年8月31日付三和新報に記事が載る。
平電話局は平電報局とタイアップして、9月1日から管内の委託公衆電話取扱所3軒で電報の発信を受け付けることになった、というもの。
3軒のうちの1軒がカミサンの実家だった。真夜中でも起こされて義父が電報を受け付けたという。
肝心の好間江筋のこと、水車のことなどは、今のところ収穫なしだが、いずれ手を変え、品を変えて検索を続けるつもりだ。