2025年3月29日土曜日

ペットボトルのキャップ

               
   お茶、ジュース、スポーツ飲料……。たまに自販機からペットボトルを買って飲む。会議にペットボトルが用意されていることもある。

自分で選ぶお茶は決まっている。が、テーブルに置いてあるお茶もなかなか捨てがたい――。年度末の集まりが多いこの時期、いろんな味のお茶を楽しんでは、そんなことを思う。

今やメジャーリーグを代表する大谷翔平選手も、日本のメーカーのお茶を宣伝している。日本茶の商戦は国内外でにぎやかになってきた、ということか。

お茶に限らない。ペットボトルは自分の指でキャップをひねって開ける。このキャップを手ごわいと感じるときがある。

ペットボトルのキャップはボトル本体のリングとブリッジでつながっている。キャップのへりを握ってひねると、つなぎ目のブリッジが切れてキャップがはずれる。

このキャップはずしが高齢者には難しい。加齢や病気で筋肉量が低下する。と、足の筋肉量が低下して歩行速度が落ちたり、疲れやすくなったりする。で、さらに全体の活動量が減少する。「フレイルの悪循環」である。

ざっと1年前、この悪循環に絡めてペットボトルのキャップのことをブログに書いた。

――ペットボトルのキャップもフレイルの目安になるらしい。まだ開けられる。とはいえ、きつくて開栓に手間取るものが出てきた。

この開栓と老衰の関係をネットで検索すると、伊藤園と鹿児島大学医学部による共同研究の結果が載っていた。

キャップの開け方には4つある。「側腹つまみ」「筒握り」「3指つまみ」、そして「逆筒握り」だ。

 逆筒握りは、ボトルを片手で持ち、片手(利き手)でこぶしを下にするようにして、キャップを回すやり方だ。 

研究結果では、前記3つはフレイルについて有意な関係は見られなかった。が、逆筒握りは筋力低下と関係があることがわかった。

東日本大震災ではペットボトルの水の差し入れがありがたかった。今はその開栓ができるかどうかが問題だ――。 

ペットボトルのキャップはなんとか開けられる。しかし、手ごわくなったという意識は変わらない。

そうしたなかで、役所で会議があり、テーブルに用意されていたペットボトル(水)を開栓すると、意外や意外、わりと簡単に開いた=写真。白く細いブリッジを数えたら、12あった。

あとで、別の会議で出てきたペットボトル(水)のつなぎ目を数えたら倍あった。開けるのに手間取ったわけだ。

高齢者に対応したペットボトル? まさか。いや、そうかもしれない、なんて思ったが、楽に開けられるのであればそれにこしたことはない。

 家ではもちろん水道水ですませているが、車で遠出するときにはこれもいいか、そんな気になった。

2025年3月28日金曜日

ミクロの森

                             
   たとえば、いわきの中心市街地からほど近い石森山。そこに張り巡らされた遊歩道のへりに、フラフープ(プラスチック製の輪)を置いたつもりになって読んだ。

D・G・ハスケル/三木直子訳『ミクロの森――1㎡の原生林が語る生命・進化・地球』(築地書館、2013年)=写真。

ハスケルはアメリカの生物学者で、テネシー州にある原生林の地面に直径1メートル余の「定点」を設け、ひんぱんに通って円内の様子を観察した。本書は1年間に及ぶその詳細な記録だ。

帯に本の中身が凝縮されている。「草花、樹木、菌類、カタツムリ、鳥、コヨーテ、風、雪、嵐、地震……。さまざまな生き物たちが織りなす小さな自然から見えてくる遺伝、進化、生態系、地球、そして森の真実」

 森の生態系がもつ物語は、チベットの曼荼羅と同じくらいの面積の中にすべて存在している、と著者はいう。この視点を踏まえながら、紡がれた物語(要旨)をピックアップすると――。

【2月2日】地球の大気に酸素が含まれるようになったのは、約25億年前に光合成が発明されてから。酸素は危険な、化学反応性の高い物質で、酸素に毒された地球からは多くの生物が姿を消し、あるいは身を隠さざるを得なかった。

 ――糠床には嫌気性の酪酸菌がすむ。糠床をかき回さないとこれが増殖して悪臭のもとになる。地球に酸素が生まれたとき、それを嫌って身を隠した生物の一つがこの酪酸菌だったか。

 【5月25日】子育て中のメス鳥はカタツムリが背中にしょっている炭酸カルシウムが欲しくてたまらず、カタツムリを探して森を飛び回る。

 ――カタツムリの本を読んだばかりだったので、理由が気になった。鳥は卵を産む。卵の原材料を調達しないといけない。そのひとつがカタツムリの殻だったのか。

 【12月3日】初めの陸生植物は、根も、茎も、本当の意味での葉ももたない、無秩序に拡がった糸状のものだった。だがその細胞には菌根菌が入りこんでいて、植物が新しい世界にゆっくりと慣れるのを手助けした。

 ――拙ブログでたびたび紹介している植物と菌類の「菌根共生」の始まりがこれだろう。

「もちつもたれつの関係」は地球を覆う緑の8~9割に及ぶ。つまり、菌根が地球の緑を支えている、という認識はもはや一般的らしい。

 【12月26日】この1年、著者は科学的手法を脇に置いて、森に耳を傾けようと試みた。機械や道具を持たずに自然と対峙しようとした。著者は科学がどれほど豊かで、同時にその対象範囲も考え方もいかに狭いものであるかを垣間見た。

 ――私は30~40代前半、休日と平日の昼休みを利用して、多いときには年に100回近く、石森山の遊歩道を巡り歩いた。しかし、ハスケルのような「定点観測」を意識したことはなかった。いわば、定線観測。

あらためて定点、そして定線の両方を組み合わせることでより深く自然の本質に迫れるのではないか、と思った次第。

2025年3月27日木曜日

プラムが一気に開花

                     
   師走も大みそかに近づいたころ、おおよそ次のような文章をブログに載せた。

 ――若いときと違って、老体には寒さがこたえる。子どものころからの冷え性で、外に出るとすぐ指先がかじかむ。ふとんにもぐりこんでもつま先は冷えたままだ。

この冬初めて、家にある湯たんぽを引っ張り出した。それだけではない。ズボン下のほかに、上は毛糸のチョッキ、おちょんこ、薄いジャンパーも部屋着にしている。

暖房は石油ストーブに、時折、ヒーターを加える。ストーブだけだと室温が20度を割ることがあり、ヒーターを付けると逆にすぐ30度近くになる。

早朝は寒さがこたえる。布団を離れると、パジャマの上に外出用の厚手のジャンパーをはおり、ストーブに火をつける。こたつの下の電気マットをオンにする。

毛糸の帽子をかぶって、玄関の戸を開け、新聞と牛乳を取り込む。帽子がないと、たちまち頭部を寒気が襲う。

 うがいも、のどを潤すのも、水ではなく、温水器を通したぬるめのお湯を使う。水だと冷たすぎて歯茎が反応する。食器を洗うのも、秋の終わりのころからお湯に切り替えた――。

 秋が過ぎて冬を迎えたころの私の「防寒対策」だ。ひと冬が過ぎた今は、春に向かって逆のことをしている。

まずはおちょんこを脱ぎ、別の日はズボン下と別れる。それからほどなく湯たんぽをはずす。

ここ数日は日中、石油ストーブを消している時間が長くなった。ヒーターはむろん使わない。

食器を洗うのは、まだ水よりはお湯が多い。うがいは逆だ。だんだん水道水が多くなった。

 これら一連の切り替えは、頭ではなく体が求めてのことだ。彼岸の中日あたりからそんな感じになってきた。

 靴下も冬靴ではむれることがある。通気性のいい夏靴を思い浮かべることも増えた。

 とはいえ、後期高齢者になってからは寒暖の変化がこたえる。体に熱がこもって毛糸のチョッキを脱いだら、翌日は急に寒くなって背中がスース―する、といったことがある。

 衣服の選択は難しい。いや、慎重になったというべきか。若い人と違って一気に衣替えをすると、あとで風邪を引いたりする。

 季節の移り行きを感じるのは天気ばかりではない。3月25日は、晩酌をしていると、ハエがどこからともなく現れて、食べ物にとりつこうとした。

 さすがにそれは困るので、手で払うと当たって食卓に落ちた。まだ動きが機敏ではない。

 この日、役所で集まりがあった。昼近くに終わって帰宅する途中、ツバメを思い出して夏井川の堤防に出た。案の定だった。今季初ツバメが車の前を横切った。

 26日は朝、茶の間のカーテンを開けて庭を見ると、プラムが白い花をつけていた=写真。

 春分の日のあと、山田町では22、23、25日と最高気温が20度を超えた。それで一気に開花したのだろう。

部屋のストーブは朝9時を過ぎると消された。が、夕方5時過ぎには首筋がひんやりしたので、火をつけた。朝晩はまだ寒い。

2025年3月26日水曜日

古い絵はがき

                      
 隠居のある夏井川渓谷の小集落で年度末の寄り合いがあった。私も「半住民」なので、毎年参加する。

 地元の情報に触れるいい機会だ。といって、いつも何かを期待しているわけではない。

 今回は、住民の一人が、私に――と古い絵はがき(カラー写真)を持ってきた。片付けものをしていたら出てきたのだという。

 絵はがきは8枚セットで、旧「いわき市小川・川前地区観光協会」が発行した=写真。「福島県立自然公園 夏井川渓谷」というタイトルが付いている。

 小川分は、渓谷を代表する籠場の滝をはじめ、大滝、水力発電所、背戸峨廊(せどがろ)、二ツ箭山の5枚。

 川前分は、鹿ノ又川渓谷、沢尻の大ヒノキ(実はサワラ=国指定天然記念物)、和田山牧場の3枚だ。

 いつ発行されたのか。絵はがきに付されたコメント(字が小さすぎる)を参考に、あれこれ考える。

 まずは交通手段がヒントになる。下車する鉄道の駅のほかに、「バスの便あり」と記されている。その鉄道も、磐越東線の江田駅は「江田信号所」(正確には「江田信号場」)になっている。

マイカーがまだ一般的ではなかったころ、しかも江田信号場が駅に昇格する前の時代に発行された絵はがき、ということになる。

私が渓谷の隠居へ通うようになって、今年(2025年)で30年になる。30年前にはまだ路線バスが隠居の前の県道を行き来していた。

いわき市が合併するのは昭和41(1966)年10月1日、江田信号場が駅に昇格するのは同62(1987)年3月31日だから、絵はがきができたのはざっと40~50年前か。

渓谷に春を告げるアカヤシオは俗名「岩つつじ」のままだ。和名「アカヤシオ」が認知されるのは、高校の先生がいわき民報にエッセーを書いたあとだから、やはり30年以上前になる。

なかに1枚、致命的な誤記があった。誤記というよりは写真の誤用というべきか。アカヤシオが群生する森に水力の「夏井川第二発電所」がある。その発電所の写真が違っていた。

絵はがきを持ってきた住民に言われて一同、間違いに気づいた。同じ渓谷でもおよそ5キロ下流にある「夏井川第一発電所」の写真だった。

レトロモダンな雰囲気は、第一発電所も第二発電所も同じだが、壁面の窓の有無などで違いがわかる。

この建物は昔も今も変わらない。が、滝はどうか。撮影時の水量にもよるのだろうが、岩のかたちが現在とは違って見える。

水は絶えず流動している。それでいつの間にか岩はうがたれ、形を変える? 古い絵はがきから人間の営みの歴史を、自然の時間の変遷を感じるのだった。

2025年3月25日火曜日

メヒカリ市

                 
   日曜日の晩はいつもの魚屋へマイ皿を持って刺し身を買いに行く。このところ、カミサンの希望で盛り合わせが続いている。

今年(2025年)の「初ガツオ」は2月の前半に食べた。それから1カ月余り。マイ皿をカツオで埋めてもいいのだが、今はまだ冬の延長だ。カミサン同様、ほかの魚を楽しみたい思いもある。

3月23日も盛り合わせにした。カツオは半分、それ以外の魚種は店主にまかせる。皿に盛ったあと、いつものように魚種を教えてくれる。「ブリ、タイ、メヒカリです」。「メヒカリ! 刺し身は初めてだよ」

晩酌を再開したので、刺し身と日本酒を交互にやる。まずはメヒカリから。見た目はイワシの刺し身に似る。脂はのっている。味はわりと淡白だ。

魚屋でメヒカリと聞いたとき、実は全く別の「メヒカリ」が思い浮かんだ。たちまち二つのメヒカリが胸中を行き来し、刺し身を口にしたあとは別のメヒカリのことでいっぱいになった。

別のメヒカリとは、メキシコのマチの名前のことである。環境問題をテーマにした本を読んでいて、アメリカのカリフォルニア州と国境をはさんだメキシコ側に「メヒカリ市」があることを知った。それで、ネットで少しメヒカリ市について調べたことがある=写真。

カル・フリン/木高恵子訳『人間がいなくなった後の自然』(草思社、2023年)に、カリフォルニア州のソルトン湖を取り上げた章がある。その中の一節。

「ソルトン湖は、数千年の間にコロラド川から沈泥でふさがり、海へ向かうルートから一時的に分流することで、洪水と蒸発を繰り返してきた。その昔、この湖はメキシコ国境を越える現在のメヒカリ市を含むほど巨大だった」

ネットで知ったことも踏まえていうと、ソルトン湖の標高はマイナス68メートルと海面より低い。

コロラド川が氾濫すると洪水が流入して湖となるが、やがてまた蒸発して砂漠に戻る。つまり、今あるのは巨大な「水たまり」だ。

現在の湖は洪水と人為的なミスが重なって1905年にできた。「砂漠にできた湖」は、一時、観光名所となるものの、次第に塩分が増加し、周囲から汚染物質が流入して「死の湖」と化した。

メヒカリ市はソルトン湖の南方、アメリカとメキシコの国境沿いにある。人口はおよそ100万人。メキシコのバハ・カリフォルニア州の州都だというから驚く。

メヒカリの名前も、メキシコとカリフォルニアの一部を合成したものだそうだ。「メヒ」はメヒコ、「カリ」はカリフォルニアからきている。

メヒカリ市のすぐ北、アメリカ側のカレクシコも、カリフォルニアとメキシコの合成地名だとか。

トランプ氏が再びアメリカの大統領に就いて以来、メキシコやカナダその他の国との貿易問題がよくニュースになる。

メヒカリ市にも日本企業の工場がある。またメヒカリの刺し身を食べたい――などとのんきに考えるだけではすまなくなった。

2025年3月24日月曜日

春めく陽気

                     
   3月9日の日曜日はカミサンのアッシー君、次の日曜日は雨。で、夏井川渓谷の隠居へ行くのを断念した。23日は春めく陽気になった。3週間ぶりに渓谷の庭で土いじりをした。

実は前日の22日にも隠居へ出かけている。この日午前中、同じ小川町にある草野心平記念文学館で事業懇談会が開かれ、午後はそのまま隠居へ移動して、集落の総会に参加した。

2日続けて渓谷へ通ったことになる。が、前日は目的が寄り合いだった。「時間に遅れないように」。それだけを念じて車を運転した。同じルートなのに、いつものように景色の変化を楽しむゆとりはなかった。

前日に隠居へ着いたとき、入り口にあるアセビの花が満開なのに気づいた=写真上1。3週間前、つぼみはほんの小さな粒々でしかなかった。

春は植物が目覚め、生長する時期。3週間もたつと、形状ががらりと変わっている。下の庭に群生するフキノトウもそうだった。つぼみが頭を出して、びっしり花をつけていた=写真上2。

土いじりだけが目的の日曜日は、やはり時間の感覚が違う。「何時までに」、あるいは「何時何分までに」といった制約がない。

自分の裁量で時間をコントロールできる。隠居へ早く着こうと、遅く着こうと、あまり関係がない。そのゆとりがあればこそ、風景の変化も目に入る。

どこにどんな木が生えていて、いつ花を咲かせるかは、30年も通っていればわかる。

たとえば、夏井川にそそぐ加路川のそばの道沿いにハクモクレンの木がある。ゆっくり通過しながら、咲いたばかりの花を確かめる。

道端の畑に黄色い点々があれば、やはり減速して菜の花であることを確かめる。後続車両がないからこそできるウオッチングだ。

22日には気づかなかったが、平地も渓谷もいちだんと春めいてきた。「花前線」がそれを物語る。

白梅は渓谷でも満開を過ぎた。夏井川流域では渓谷あたりまで分布するヤブツバキが花をつけた。

籠場の滝の上流、山側から県道にかぶさるようにして咲くマンサクは? 車を減速して見上げると、花が満開だった。

ハクチョウはどうか。3月も下旬となれば、いわきからは北へ旅立って姿を消す。夏井川に新川が合流するわが生活圏の塩(平)地内では、3月に入るとあらかた姿を消した。

その上流、三島(小川町)のハクチョウは、22日には10羽前後が休んでいるだけだった。23日も10羽を切っていた。いよいよここからも最終便が飛び立つ。

 次はアカヤシオだ。平地のソメイヨシノと同時に、渓谷ではアカヤシオの花が咲き出す。これこそがわが春の花の本命といっていい。

2025年3月22日土曜日

厚さ・重さが一番

                      
 暑さ・寒さも彼岸まで――。このことわざにならえば、厚さ・重さは春の彼岸の回覧が一番。3月20日に「保健のしおり」その他を配った。

 毎年度末に市から新年度用の「保健のしおり」が届く。1冊60ページ余。これを単純に積み重ねると、「広報いわき」の3倍前後の高さになる。

 わが行政区は、隣組がざっと30班、1班平均10世帯としておよそ300世帯で構成されている。

 回覧資料は班ごとに、郵便物として届いた大型封筒を再利用して振り分け、担当役員さんを通じて各班に届ける。

 この「保健のしおり」のときだけは、厚さがハンパではない。薄い紙袋(大型封筒)では2枚必要になる。それだけで作業量が倍になる。

3年前、ある班長さんから声がかかった。印刷所で働いていて、在庫処分が必要になった大型封筒がある。

「いくらでも欲しい」というと、けっこうな数の未使用封筒が届いた。中に、開くと側面が3センチほどに広がる折り畳み式・閉じひも付きの封筒があった。

ネットで調べたら、「マチ付き封筒」というらしい。マチとは側面部、遊び・奥行きなどのことで、これだと最大16世帯の班でも「保健のしおり」が入る。「保健のしおり」のためだけに、去年(2024年)からこの封筒を使っている。

まずは振り分け方法を頭の中で練り上げる。「保健のしおり」はマチ付き封筒に入れる。ほかの回覧資料(全戸配布3種類、各班回覧3種類)はいつもの封筒に入れる。配るときに2袋をテープでくくる。

「保健のしおり」が届いたときから、あれこれ考えて出した結論がそれだった。作業が長引くと疲れるので、2日に分けて袋に入れた=写真。

配布の朝、各班2袋をテープでくくろうとしたら、マチ付き封筒にはまだ余裕がある。資料をマチ付き封筒一つに集約できるのではないか。試すとほとんどの班がそうなった。テープが必要なのは2班だけですんだ。

次は、届け先だ。300世帯のおよそ半分は中層住宅の団地に住む。ふだんは1階の郵便受けに差し込むだけにしているが、「保健のしおり」はその空きスペースには入らない。班長さんの部屋の戸口まで持って行かないといけない。

団地は担当役員が欠員状態のため、周りの戸建て住宅を担当している役員さんが役員を代行している。私も自分の持ち分のほかに、中層住宅の9班分を引き受けている。

2階はともかく、3階、4階に住んでいる班長さんとなると、階段の上り下りが続く。ドクターから息が切れるようなことはしないでと言われている身には、これがこたえる。今回は3、4階への配布はカミサンにお願いした。

 というわけで、少し時間はかかったが、無事、配布作業が終了した。1年で一番厚くて重い回覧資料を片付けたという解放感、これは「保健のしおり」でしか味わえない。