晩酌は焼酎。まずはグイッと口に含み、すぐ冷たい水をチェイサーとして流し込む。最初から水割りにはしない。胃袋の中で水割りにする。
この夏は、冷えた水のほかに、「冷製味噌スープ」がチェイサーに加わった。水とスープを交互に流し込む。
冷製味噌スープの正体は、朝、カミサンがつくった味噌汁だ。いつもは鍋をそのままガス台に置き、宵にカミサンが温めて飲む。余れば捨てる。
ところがこの暑さだ。饐(す)えないよう、朝の残りを小さなどんぶりに移して冷蔵庫で冷やしておく。
それをたまたま晩酌のときに飲んだら冷たくておいしかった。特にナメコのキョロッとしたのど越しがたまらない。今は毎晩、冷製味噌スープを飲んでいる。
その延長で夜、残った焼き肉とかハンバーグも冷蔵庫で冷やしておく。翌晩、またこれらを晩酌のおかずにする。
熱いと汗をかきながらの食事になる。が、冷たいので、かえって食が進む。カミサンも晩の料理を作らないですむ。
そのまま残しておいたら廃棄されたかもしれない。その意味では、生ごみを減らす一石二鳥のアイデアでもある。
若いときと違って、後期高齢者になった今は食べる量が減った。典型が日曜日のカツオの刺し身だろう。
今は過去形で語るしかないのだが……。行きつけの魚屋さんが閉店するまでの約40年間、日曜日の晩はカツ刺しで晩酌をした。
30切れはあった。それをさかなにチビリチビリやる。たまに3分の1ほど残ることもあったが、たいていは胃袋に収まった。
近年は、いつも半分近くが残る。翌朝、海鮮丼にしても余る。残りはにんにく醤油に漬けて、晩に揚げてもらう=写真。
ハマには生カツオの切り身を焼き、醤油を煮て冷ましたところに漬けて食べる「焼きびたし」がある。わが家ではその逆の「ひたし揚げ」だ。どちらにしても、カツ刺しを食べきる生活の知恵といってよい。
そうやって食べ終わると、必ず脳内に浮かぶ言葉がある。胃袋はエネルギーの生産工場であり、残り物の分解・処理工場でもある――。
要は、食べ物は残さずに食べきる。残ったものも食べ方を工夫すれば舌が喜ぶ。それで生ごみとして廃棄する量が減る。食器洗いも楽になる。
「モノを粗末にするな」。たぶん小さいころに母親や祖母から口うるさくいわれたことが影響している。
その「原点」とでもいうべきものが、ポツンと一軒あった山中の「バッパの家」である。今は杉林に変わった。
家の東側には、上の沢から木の樋で水を引いた池があった。そこで鍋釜や食器を洗った。水も汲んだ。
食事はめいめい自分の箱膳を出し、終わるとごはん茶わんにお湯を注ぎ、たくあんのあるときはたくあんで茶わんの内側をこすってきれいにする。お湯とたくあんは胃袋へ――これが当時の「茶わん洗い」だった。
それに比べたら今は、水がふんだんに使える。流水で茶わんを洗っているときだけ、多少罪悪感がわく。やはり「スズメ百まで……」のようだ。
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