2026年2月17日火曜日

春の陽気

 一夜明けたら、寒が戻っていた。とはいえ前日、2月15日の日曜日は今年(2026年)一番のポカポカ陽気だった。

 朝は早めに夏井川渓谷の隠居へ出かけた。前の週は衆院選の投票立会人を務め、小学校の体育館にカン詰めになった。2週間ぶりの渓谷行である。

 畑の凍土も、小流れのしぶき氷も消えたことだろう。フキノトウがあちこちに頭を出しているに違いない。車のハンドルを握りながら、気分が高揚した。服装はしかし厳冬の「重装備」のままだ。

 隠居に着いてちょっと動くと、すぐ上半身に熱がこもった。汗のにじみ具合をみながら、1枚、1枚、皮をはぐように着ているものを脱ぐ。まずマフラーをはずす。厚手のジャンパーを脱ぐ。手袋を取る。

 意外と効果的なのが、厚手のシャツの一番上のボタンだ。秋の終わりごろから上のボタンもはめて、首から寒気が入らないようにしている。逆をいえば、胸元から熱を逃がさないために、一番上のボタンをしめておく。

 晴れてかすんではいるが、風はない。この冬初めて、体から熱を逃がすために一番上のボタンをはずした。

 畑の土はスコップがすんなり刺さっていく。生ごみを埋めると、下の庭でフキノトウを探した。が、数は半月前と変わらない。まだ小さい。摘むのはよした。

そのあとは隠居のこたつに足を突っ込んで休むだけ。というのが今までのパターンだが、やはりポカポカ陽気である。隣の展望台から川と森をながめたり、道路をぶらついたりした。

左岸の森がところどころ「茶髪」になっている。籠場の滝のすぐ上流、道路沿いの赤松も何本か枯れ、1本が途中から折れた=写真。それに気づいたのは確か今年に入ってからだ。

 ハマの黒松、ヤマの赤松。どちらも松枯れ被害が拡大している。ナラ枯れが起きるのも時間の問題か。

昼食は久しぶりにインド料理の「チャイコタ」(元「マユール」)でとることにした。マチへ下りたあとは夏井川の堤防を進む。

 定点観測をしているネギ畑に老夫婦がいた。太く長いネギを収穫して束ねている。2人の姿を見てこちらも元気になる。

 マチを歩いている人はそでをまくり、あるいは半そでになっていた。ジャンパーを着ている人はほとんどいなかった。若い人は暖気には敏感だ。

夕方、コンビニへ買い物に行くと、空はまだ明るいのに空気が冷たい。西の山並みに日が沈むと急速に冷え込んだようだ。この変化にはやはりついていけない。

家の中はそれでも昼の名残で温かかった。ヒーターも、ストーブもつけずに過ごした。これからそんな時間が増えると経済的には助かる、なんて思ったのも束の間……。

    翌日は北風である。寒暖を繰り返しながら春に向かっていくとはいえ、年寄りは、簡単には「重装備」を解けない。 

2026年2月16日月曜日

そこにある危険

                                
 夏井川渓谷の隠居へ通い続けて30年余になる。阪神・淡路大震災(1月)、地下鉄サリン事件(3月)のあとの5月末、地元区長の案内で家々を回ってあいさつした。

 週末(今は日曜日だけ)は街のデスクワークから山里のフィールドワークに切り替える。

街は人と人との関係が主だが、山里の谷間では人と自然との関係が中心になる。自然の移り行きに身をゆだねながら土いじりをし、森を巡ってキノコを採る。それを記録し続ける、ということをしてきた。

原発震災後は、庭の全面除染が行われ、森へ入ることが激減した。キノコは「採る」から「撮る」に変わった。

森はまだ原発事故から回復できずにいる。それに加えてV字谷である。道路は険しい崖と谷の間をくねくねと進む。近年の温暖化も手伝って、山が乾いて荒廃しつつあるのではないか――そう感じることがよくある。

ところどころに「落石注意」の標識が立つ。渓谷に入るとすぐロックシェッドがあり、落石防止のワイヤネットが張られている。

これがあるから、ふだんの通行には支障がない。とはいえ、絶えずどこかで落石や倒木が起きる。

道端に新しい落石が転がっている。折れた木の幹や枝が寄せられている。これが近年は常態になってきた。範囲も拡大しているようだ。

平地を過ぎて渓谷に入るちょっと手前、河岸段丘の集落を過ぎたあたりで、倒木が片側の車線をふさいでいた。崖があるわけでもないのになぜ? 30年通い続けて初めてのことだった

渓谷ではさらに、崖の中腹で木が折れたままになっていたり、車の通行に支障のないように切られたりした所がある=写真上1。

渓谷は岩盤が露出気味で、緑は茂っていても根張りの浅い木が多いのだろう。近年は「ナラ枯れ」が進み、その影響で折れる木もあるようだ。

倒木が崖の中腹に残っているあたり、直下の道路にも注意を促すカラーコーンが並んでいる=写真上2。

ワイヤネットが道にせり出すように落石で膨らみ、その上には崩れ落ちた土砂がたまっていた。

よく見ると、のり面は滑り台のようにへこんでいる。それで土砂と石が道端まで崩れ落ち、上部では木が倒れたのだ。

「令和元年東日本台風」では、渓谷も至る所で落石や倒木に見舞われた。沢では小規模な土石流が発生した。岸辺の駐車場もえぐられて消えた(今は復旧した)。

というわけで、渓谷に入るとおのずと意識が切り替わる。「そこにある危険」に敏感になる。渓谷の自然から学んだ一番大切なことがこれだ。

2026年2月14日土曜日

ネギが集まる

                                
   ネギの旬はやはり冬。隣の行政区に住む知人から、大みそかに自産のネギをもらった。前年に続くお福分けで、去年(2025年)は春にも「終わり初物」のネギが届いた。カミサンの友達も自産のネギや、お福分けのネギを持って来てくれる。

夏井川渓谷の隠居で「三春ネギ」を栽培している。去年はネギ苗の養生に失敗した。定植したあとも育ちが悪く、あっという間に苗がとろけた。

秋に前年の残りの種をまいたら芽が出た。ネギの種は冷蔵庫に入れておけば2年は持つ(逆から言えば冷温保存でも2年しか持たない)。

というわけで、この冬は自産のネギをまったく食べていない。スーパーへ行けば、「ネギも」となるのだが、晩秋に夏井川渓谷の臨時直売所で小野町の曲がりネギを大量に買った(それが庭に土をかぶって残っている)。その後も、常にお福分けのネギが届く。

ハマの中之作へつるし雛飾りを見に行ったときも、地元の「菊屋」さんから、自分が栽培したという赤ネギと九条ネギを買った。白菜・大根とセットで600円だった。

小野町のネギ以外はすべて一本ネギである。中には硬いものもあるが、あらかたは加熱するとやわらかくなる。緑の部分にとろみのあるネギもあった。

家庭で栽培される一本ネギは、食べる人の好みを反映して多種多様であることがよくわかった。

わが生活圏は「いわきネギ」の産地として知られる。マチへ行った帰り、夏井川の堤防を通る。堤防の内側=人間の住宅のそばにある農地はネギ畑が多い。

そのネギ畑の1年の移り行きを目に焼きつけて、自分のネギ栽培の参考にする。平地と山間地のネギの違いを理解する意味でも、平地のネギの観察は欠かせない。

定点観測をしているのは、平・塩地内のネギ畑だ。老夫婦が作業をしている。ほかのネギ畑に比べると、収穫作業は遅い。

拙ブログによると、2024年~25年期は師走の終わりに収穫が始まり、年が明けた1月9日には3列のうねが残るだけになった。2月に収穫作業をしていたこともある。

一帯では、やはり最後になる。今シーズンも周りの畑が裸地になったのに、まだ青々としていた。

1月が過ぎ、2月に入っても収穫が始まる気配はない。いくらなんでも……。堤防を通るたびに収穫が遅れている理由を想像するが、こちらは何もできるわけではない。気にかけるだけだ。

2月5日にマチへ行った帰り、堤防を通った。いつものように、ネギ畑を見ると、うねが何列か裸になっていた=写真。

収穫が始まったのだ! なぜかホッとした。やはり今シーズンも最後になった。13日現在、うねは5日と変わっていない。ゆっくりゆっくり収穫するようだ。

2026年2月13日金曜日

鳥居に秘められた物語

                                
   平・山崎の専称寺が「梅の寺」として知られるようになったのは、箱崎昇吾翁(平中神谷)が昭和8(1933)年から足かけ27年をかけて梅の木を植え続けたからだった。

いわき市立図書館がデジタル化した地域新聞を、若い仲間が組み立てた「いわき文献案内」を利用して、キーワード(「専称寺 梅林」)検索をしたらすぐわかった。

 昭和36(1961)年2月20日付の常磐毎日新聞が「春を呼ぶ一千本の梅林/箱崎氏の悲願実る/市も観光誘致に本腰」と伝え、同48(1973)年1月26日付のいわき民報に、小川町の中條実さんが「専称寺の梅林と箱崎昇吾翁」と題して寄稿している。

 それをブログ(2月4日付「専称寺の梅林」)に書いた。そのときは触れるのを控えたが、箱崎翁は梅林以外にも寺社への寄進を行っている。

 中條さんによると、箱崎翁は昭和8年まで国鉄に勤め、田地10アール当たり2百円前後の時代に2千円余の退職金を得た。

 これを資金に、翁は①専称寺入り口の愛谷江筋にコンクリートの橋を架ける②同寺境内に梅を植樹する③大円寺に石門を建立する④立鉾鹿島、出羽両神社に石の鳥居を建立する――ことを決めた。

 大円寺は専称寺末で箱崎翁の菩提寺でもある。夏井川の堤防まで歩いて行くと、集落のなかに墓と石門があり、奥に本堂が見える。

立鉾鹿島神社と出羽神社は小学校の近くにある。わが家のある旧道から神社に向かって立鉾の参道(鳥居から本殿までの道)に通じる道が延びる。神社の前を常磐線が横切っている。その線路の手前に石の鳥居が建つ=写真。。

まずは寺の石門を見に行く。向かって右側の裏に箱崎翁と奥さんの名前が彫られていたが、風化しているために判読が難しい。

立鉾の石の鳥居は、向かって左の柱の裏側に箱崎翁夫妻の名があった。鳥居は形式が「明神鳥居」で、6カ所に補強具が取り付けてあった。

 その足で近くの出羽神社へ向かう。神社のある丘のふもと、小川江筋の手前に石の鳥居らしいものがあった。

 「らしい」としたのは、石柱が途中までしかないからだ。柱が斜めにスパッと切られ、表面に「平成二十三年三月十一日/東日本大震災誌之」とあった。震災遺構というべきか。

上部も残っているなら、石柱の裏側に同じように夫妻の名前などが彫られていたはずだが、これでは確かめようがない。

 なにか印は?とみると、やはり向かって左側の柱の裏、基礎部分にプレートがあった。夫妻の名前のほかに「奉納 村内安全 昭和八年十二月」と記されている。

 翁の願いは「村内安全」。そして、昭和8年12月を期して、石の門柱と鳥居を寄進した。

日ごろ見慣れている風景の一つだが、それには地元の人間の願いがこもっていた。「きっつぁし」(挿し木=よそから来て住み着いた人間)にも、石の門柱と鳥居のいわれがわかった。

箱崎翁はわが家の近くで暮らしていた。身近なところに、高い志を持って行動した人がいた。あらためてそのことを胸に刻む。

2026年2月12日木曜日

一日遅れの「日曜日」

                                  
   2月8日の日曜日は衆院選の投票日だった。投票立会人を務めたので、早朝7時前から夜7時過ぎまで、最寄りの投票所(小学校体育館)に缶詰めになった。

 日曜日の夜は刺し身で一杯――はおあずけだ。カミサンは「一日早く、土曜日に刺し身にしようか」といったが、それはよした。

 刺し身を理由に晩酌の量が過ぎると、翌日の「仕事」に差し支える。「仕事」が終わってから食べることにした。

ブログのタイトルは? 「月曜日の刺し身」より「一日遅れの『日曜日』」の方がしっくりくる。夕方の刺し身買いから逆算して「日曜日」の行動を決めた。

朝は10時ごろ、ラトブの図書館へ着くように家を出る。2月10日は施設点検のために、図書館も1~3階のショッピングフロアも休みになる。

9日しかない。開館時間に合わせて本を返し、フロアを巡って新しく本を借りた。帰宅するとブログを書き、ルーチンの調べものをした。

横になって休んだらもう夕方だ。カミサンを車に乗せてマルトへ刺し身を買いに行く。冷たい風が吹いている。四倉まで行くのはよして、手前の草野ですませた。

いつもの魚屋さんへ通っていたころは、2月に入ると店主から声がかかった。 「カツオがあります」「おっ、いいね」。毎年そうやって、その年最初の生カツオを食べた。

ブログを確かめたら、その日は早い順から1月17日(2021年)、1月23日(2022年)、2月3日(2018年)、2月7日(2016年)、2月19日(2023年)だった。

それもあって、2月になると「初ガツオ」の記憶がよみがえる。体が覚えているのだ。今年(2026年)はしかし、店主とのやりとりはない。自分で確かめるしかない。

カートを押しながら鮮魚コーナーに行くと、赤身の柵があった。シールには「千葉県産生カツオ」とある。今年(2026年)初めての生カツオだ。さっそくカートに入れる。

それだけでは足りない。マグロを中心にした盛り合わせはもう飽きた。代わりのものはないかと見れば、貝の盛り合わせがある。それもカートに入れた。

柵は私が切った。行きつけの魚屋さんではマイ皿に盛りつけてくれた。それを思い浮かべて、まず貝の盛り合わせをそのままマイ皿に移し、手前の空きスペースにカツオの刺し身を並べた=写真。いつもよりは華やかな盛り付けになった。

久しぶりに「にんにくわさび醤油」で生のカツ刺しを食べる。生はやっぱりいい。細胞が生きている――そんな感じがした。これからは生のカツオの有無をチェックしよう。

貝も食感を楽しんだ。ホタテのやわらかさ、ホッキのしなやかさ、アカガイともう1種類(ツブガイか)のコリコリ感。カツ刺しといい組み合わせになった。一日遅れたからこその、「日曜日」の「口福」である。

2026年2月11日水曜日

突然の選挙・下

                               
   2月8日の衆院選では地元の投票所の立会人になった。投票まで毎日、天気が気になった。

ポカポカ陽気なら大歓迎だが、直近の予報では寒の戻りがあって雪も降るという。市選管から届いた書類にも防寒対策を、とあった=写真。

この日は真夜中に一度目が覚めた。6時半には投票所の小学校体育館に詰めていないといけない。二度寝して寝過ごしたら迷惑がかかる。

結局、3時半には起きた。新聞を取り込むために玄関を開け、庭に出ると霧で頭が濡れた。夜が明けたら車がうっすら白くなっていた。霧と思ったのは雪だった。

ほうきでフロントガラスの雪を払うと、サラサラしている。パウダースノウだ。道路はところどころ白くなっているだけで、アスファルトがはっきり見える。

7時の投票開始時が降雪のピークだったようだ。体育館から雪の校庭を見ると、アダモの「雪が降る」のメロディーが胸中に響いた。

「雪が降る~ あなたは来ない」。「あなた」、つまりは「有権者」。そんなざれ歌を口ずさみたくなるような始まりだった。

予報では昼前にはやむ。その通りになって校庭の雪もやがて消えた。有権者も途切れることなくやって来た。

令和5(2023)年11月12日の福島県議選では投票管理者を務めた。そのときの防寒対策を参考にした。

下はパッチとコールテンのズボン、上は長そでと厚手のシャツ、セーター、ブレザー、ジャンパー。それに毛糸の帽子、マフラー、マスク、使い捨てカイロ、あったかソックス、手袋。ひざ掛けといすのクッションを用意した。

カイロは足裏と腰、腹に張った。上履きはスリッパではなく、冬用の靴にした。足の寒さを感じずにすんだから、これはよかった。

体育館は出入り口が開いている。雪の心配は消えたが、寒風が吹き込む恐れがある。

事前に投票所の責任者から連絡があったとき、管理者・立会人3人の席のわきに「ついたて」を要望した。出口からストレートに寒風が当たる。風よけだ。

夕方、突風が吹いた。投票事務の机にある紙が吹き飛ぶ。有権者用の張り紙が波打つ。「ついたて」のおかげで直接寒風にさらされずにすんだ。

2年前の県議選では、足から冷えてガタガタ震えるほどだった。そばにヒーターがあってもそうだった。今回も時々、後ろにあるヒーターを囲んで暖をとった。

ひざ掛けは材質にもよるが、ないよりはあった方がいい、という程度だった。ストーブで下半身を温め、熱が逃げないようにすぐひざ掛けを当てる。しかし、床から寒気が忍び込む。温める・ひざ掛けを当てる――これを繰り返した。

投票所閉鎖後はタクシーで開票所の総合体育館へ。いわき市内全域からタクシーが殺到する。早い時間に着いたようで、わりとスムーズに投票箱を届けることができた。

風邪は? 翌日になっても体調に変化はない。着膨れするほど着込んだためか、なんとか寒さはしのげたようだ。

2026年2月10日火曜日

突然の選挙・上

        
  予想もしなかった衆議院解散・総選挙だった。その余波が巡りめぐって、地域の片隅で暮らす後期高齢者にも及んだ。

 解散・総選挙を報道で知り、どこの区長が投票所の管理者と立会人になるか、すぐ気になった。

令和7(2025)年7月には参院選、その2カ月後にはいわき市長選が行われた。参院選では地元の投票所の管理者を務めた。

前は、管理者は市職員OB、立会人2人のうち1人は区長というのが、地元の投票所の慣例だった。それが近年、管理者も、立会人の1人も区長という流れに変わった。

最初に立会人を務めたのは、平成29(2017)年10月の衆院選、次は令和3(2021)年9月の市長選だった。間に福島県知事選など4回の選挙をはさんでいる。

3回目は令和5(2023)年11月の県議選で、このときは管理者だった。4回目は少し順番が早まって去年(2025年)7月の参院選だ。やはり管理者を務めた。間には2回選挙があっただけだ。

同じ小学校の学区に8人の区長がいる。投票所は小学校と中学校の2カ所。管理者・立会人も2カ所に分かれる。計算上、今回は役目が回ってこないはずだった。

投票日には予定が入っていた。恒例のいわき昔野菜フェスティバルが開かれる。主催者側の一人なので、なんらかの役割がある。

ところが某日朝8時半すぎ、市役所の始業時間と同時に電話がかかってきた。選挙管理委員会からだった。

 やむを得ない。立会人を引き受け、イベントの方は事務局に理由を伝えて欠席することにした。

役がないときは当日、投票所に出向き、だれが管理者と立会人になったのか、激励を兼ねて確かめるのだが、今回はその役目がこちらに回ってきた。

で、1週間前の日曜日(2月1日)、宣誓書=写真=を持っていわき駅前のラトブで期日前投票を済ませた。

立春のあととはいえ、まだ厳寒期だ。早朝6時半には投票所の小学校体育館に赴き、投票が終わる夜7時以降、借り上げのタクシーで最高裁の裁判官国民審査を含む投票箱を3つ、開票所の総合体育館へ運ばないといけない。そこまでが役目。とにかく長丁場だ。

令和5年の県議選は11月12日に投開票が行われた。そのときの寒さ対策がブログに残っている。一部修正しながら再掲する。

  ――下はパッチとコールテンのズボン、上は長そでと厚手のシャツ、ブレザー、ジャンパーで出かけた。

投票所は、出入り口が開放されている。ジェットヒーターが動いていても、暖気は投票事務従事者には届かない。

いくら冬着に替えても、ジェットヒーターが動いていても、寒気がじわじわと足を、首筋を冷やし続ける。午後には体が小刻みに震えることもあった。

冬は戸の開いた施設で寒風を遮る工夫ができないものか。投票事務に従事する職員がかわいそうでならなかった――。

 これを上回る防寒対策をすること。政治に振り回された挙句、風邪を引いた――では話にならない。絶対風邪を引かないことを自分に言い聞かせた。