2026年4月24日金曜日

室温18度

                                 
 家の中にいて「寒い」と感じる温度は決まっている。温度計を見ると18度以下、15度とか14度になっている。

 1日の気温は未明に最も低くなり、その後、上昇に転じて正午~午後2時ごろにピークを迎え、日没とともにまた下がる。

 真夜中にいったん起きてブログをアップする。室温18~17度だと寒さは感じない。

それからまた寝て、早朝の4~5時ごろにふとんを抜け出す。この時期(4月下旬)、室温は15度を割っていることがある。これだとストーブなしではちょっと寒い。

夕方や夜も同じで、18度を割り込むと首筋がスース―する。ストーブをつけないと体が冷える。室温18度が目安といっていい。

それと、この温度を意識するようになったワケがもうひとつある。米屋をやっていたとき、茶の間にいても来客がわかるように、店の入り口にセンサーを設置した。

店の一角に地域図書館とフェアトレード商品のコーナーがある。カミサンの友達などが訪れるので、毎朝、店の戸を開けるときにセンサーのスイッチを入れる。

 すると、冬場は客もいないのに、しばらく「ピンポーン、ピンポーン」と鳴り続ける。それが春になって、日によってはスイッチを入れても音なしのときがある。「おや、今朝はあったかいのかな」。温度計を見ると18度前後だ。

 センサー自体が18度以下だと、スイッチが入って熱を持つまで「ピンポーン、ピンポーン」を繰り返すらしい。

詳しい構造はわからない。が、ピンポーンの鳴る・鳴らないから、そんなことを考えた

 WHO(世界保健機構)が2018年、住まいと健康に関するガイドラインを出した。寒い時期の室温は18度以上を基準に、という。理想は21度以上だとか。

 この推奨温度は体感温度からも納得できる。後期高齢者が寒さを感じない室温は18度だし、ストーブ使用の目安にするのもこの室温以下のときだからだ。

 17度はともかく、16度あるいは15度以下だと石油ストーブをつける。つけないと寒くていられない。

WHOの冬の推奨温度を知ったのは、実は最近だ。灯油は節約したいが、寒いのも困る。ホルムズ海峡が封鎖されて以来、早く初夏がこないものかと案じていたところに、室温18度がわが家のスト―ブ使用のラインとして体感的にわかった。そのなかでWHOの勧告にたどりついたという次第。

きのう(4月23日)は朝5時過ぎに起きた。室温は16.8度=写真。空は曇っていた。放射冷却がなかった分、冷え込みが弱かったのだろう。

7時過ぎには17度を超えた。ストーブはつけなかった。毛糸の帽子と上っ張り、ハンドウォーマーで十分だった。8時になると18度に達した。もう大丈夫。ストーブなしで過ごした。

灯油缶はあと1缶(18リットル)。これを節約しながら使い切ったころ、初夏になるといいのだが……。

2026年4月23日木曜日

渓谷まで35分

                              
 平のわが家から夏井川渓谷の隠居までは車で30~40分だ。ルートは田んぼ道と、交通量の少ない県道小野四倉線(途中までは国道399号とかぶる)なので、自然と「ゆっくり運転」になる。

 急げば30分くらいだろうか。渓谷に入るとカーブが連続する。ゆっくり運転でも、カーブの向こうからひょいと車が現れることがある。いつでもブレーキを踏めるように、抑え気味にして進む。

 おもしろいことに、今の時期は日曜日ごとに春の装いが濃くなる。自然の変化を図る目安がある。日曜日だけの渓谷行なので、年・月・週の3つが主な目安だ。

渓谷のアカヤシオ(岩ツツジ)の花は「1年前」との比較であれこれ思いが巡る。

平地の三島(小川)の夏井川に残留したコハクチョウも、「白鳥おばさん」がいう「エリー」に違いない。

これも1年前の様子を思い浮かべながら、孤独なハクチョウになったつもりで気持ちを推し測る。

「1カ月前」では、まだ畑の土が凍っていたとか、ウグイスが初めてさえずったとかの話が思い浮かぶ。

目に見えて変化がわかるのは「1週間前」だ。要は日曜日ごとに渓谷の表情が変わる。

アカヤシオの花が満開になった1週間後、渓谷の県道はうっすら緑のトンネルに変わっていた=写真上1。

アカヤシオの花の感動のあとに、夏緑樹の芽吹きの色が広がる。この春の芽吹きを見ると心が安らぐ。

渓谷のふもと、小川の平地のどん詰まりに加路川がある。「裏二ツ箭」の方から流れて来て、そこで本流の夏井川に合流する。

合流部のそばの県道に橋が架かる。橋のすぐ上流にはJRの磐越東線の鉄橋がある。その間ざっと30メートルだろうか。

県道の橋の上流側に、なぜかはわからないがバナナより大きな葉を広げる巨大な草本が生えている。バショウらしい。

ワジュロは、ヒヨドリなどの野鳥が媒介者になって種を散布する。そんな野鳥由来と思われるワジュロが、あちこちの民家の庭に生えている。

しかし、バショウは野鳥由来とは思えない。だれかが植えたのだろうか。とにかくでかい。

その葉が晩秋には枯れ、冬の間、ボロボロの枯れ草色になっていた。これが、春を迎えて枯れ葉の間に新しい緑の葉をのぞかせ始めた=写真上2。

こちらは冬から春の1季節前、そして3月との比較でいえば1カ月前、あるいは急に緑が現れたという点では1週間前との比較で違いがわかった。

自然は絶えず生成・変移を続けている。その変化があるからこそ、35分のドライブもあきることがない。次は渓谷のシロヤシオだ。

2026年4月22日水曜日

辛み大根のつぼみ

                              
 4月も後半。下旬を残すばかりとなった19日、日曜日。夏井川渓谷の隠居に着くと、すぐ庭を巡った。

 対岸の山からアカヤシオ(岩ツツジ)の花が消え、庭のシダレザクラも花は残っているがピークを過ぎた。

 まずはシダレザクラの樹下、次いで周囲の地面に目を凝らす。垂れた枝から1メートル以上離れたところに、柄を含めて8センチ強に生長したアミガサタケが1個生えていた。

 アミガサタケは、5年前には20個も採れたが、最近はほんの数個、それも樹下ではなく、垂れた枝から先の地面に出るだけだ。

 今年(2026年)は2回の日曜日と1回の水曜日の3回で計5個を見つけただけだった。

 昼食をとって一休みしたあとは、首からカメラを提げてまた庭を巡った。虫でも、花でもいい。ヤマの庭には、マチでは見かけない小さな動植物がいる。それらを記録しておく。

 小菜園の一角に辛み大根がある。一斉に花茎を伸ばしたと思ったら、もう花盛りだ=写真。

 花を見ているうちに思い出した。花を食べた。いや、正確にはつぼみを食べた。開花後にできるさやも食べた。要は「見る」だけでなく、「食べる」記憶もよみがえってきたのだ。

すぐ隠居からレジ袋と剪定ばさみを持ち出し、まだつぼみの残る花茎を切って袋に詰める。

 あとで自分のブログに当たると、初めてつぼみを収穫して食べたのは令和2(2020)年だった。

そのとき。湯通ししたあと、たまたまつくっておいたさんしょう味噌をからめて食べた。舌先がほのかにヒリヒリした。さわやかな辛みだった。

以来、4月になるとこのつぼみを回収して晩酌のつまみにする。今年(2026年)もさっそく湯通しをして、この日手に入れたばかりのゆず味噌をまぶして食べた。

辛いというよりは、ほのかな苦味があった。いわゆるデトックス。これはこれで春の土の味にはちがいない。

デトックスとは体内の老廃物、あるいは毒素を排出することで、苦みにはこの効果がある。さらに、フキノトウなどの香りにはストレスを解消する働きがある。

 開花後にできるさやは「さや大根」という。辛み大根ではイメージしにくいが、キヌサヤエンドウは花が咲いたあとの若いさやを食べる。食べ方はそれと同じである。

たまたま落下したさやをそのままにしておいたら、月遅れ盆のあとにちゃんと発芽した。それで、辛み大根は不耕起のままにして、ほとんど手をかけない。

 とにかく自然に増える。真冬、肥大した根を合計15本ほど収穫して、おろしにして食べた。さすがに辛かった。が、このために辛み大根をつくっているようなものだ。

そのうえで最近は、春はつぼみ、初夏はさや大根を楽しむ。摘んでも摘んでも秋には生えてくる。

「つくる」というのはおこがましい。辛み大根はもはや山菜といってもいいくらいに貴重な食材だ。

2026年4月21日火曜日

容器プラだらけ

                                            
   ホルムズ海峡の「封鎖」だ、「逆封鎖」だなどとだれかが言ってニュースになる。そのつど庶民の暮らしが翻弄される。

アメリカとイスラエルが仕掛けたイラン戦争で原油が高騰し、ガソリンや灯油のみならず、石油由来の製品の高騰・不足を招いている。少なくとも、そうなるのではないかという不安が広がっている。

その一つが「容プラ」(容器包装プラスチック)だ。わが家では台所にごみ袋を2つ用意し、家から出る燃やすごみと容プラを分けている。

燃やすごみは週に2回、容プラは1回、収集車が来て回収する。容プラはさまざまなものに使われている。それもあってごみ袋はすぐいっぱいになる=写真。市の細かい定めを読むだけでも、家庭にはいかに容プラがあふれているかがわかる。

各種トレイ、コンビニ弁当の容器、ゼリーやプリンのカップ、薬のシート、外装フィルム、レジ袋、ペットボトルのラベル、菓子袋、シャンプーやチューブ、食用油・調味料などの容器のほか、発泡スチロール梱包材、ネット、緩衝材も該当する。

さらに近年は「製プラ」(製品プラスチック)のボールとバケツも併せて回収するようになった。

 現在のごみ出しルールの原形ができたのはざっと45年前。「ごみ戦争」宣言に始まり、有識者らによる協議会の提言、モデル地区の選定、事前の住民説明会を経て、新ルールに切り替わった。

容プラの回収は平成14(2002)年に始まった。当初は2週間に1回だったが、あまりの量の多さに、5年後には週1回に切り替わった。想定を超える容プラが家庭に浸透していたのである。

 3月18日付の拙ブログにこんなことを書いた。アメリカとイスラエルのイラン空爆がホルムズ海峡封鎖を招き、原油が急騰した。するとたちまち、ガソリンと灯油が高騰した。

いやでも思い出すのは昭和48(1973)年の「オイルショック」である。オイルショックを機に、いわきがどうなったか。市民の生活、企業の活動に大きな影響が出た。今回もまた混乱が続くのではないか。

 庶民としては、海を漂流するマイクロプラスチックを少しでも減らすために、容プラ・製プラを野外に放置しない、空き袋などを見つけたら回収する、といったことを心がけてはいるが、今回はさらにもう一つ、これらの高騰・不足が懸念される事態になった。

 消費生活の現場だけではない。建材をはじめ、さまざまな業種に海峡封鎖の影響が及ぶ。

 刺し身でいえば、行きつけの店があったときにはマイ皿を持って行った。容プラのトレイがそれで1つは減る。閉店した今はマイ皿を持って行く魚屋が決まらない。

刺し身のトレイはほんの一例だが、戦争は当事国だけでなく、地球上すべての庶民の暮らしを直撃する。

戦争の悪影響をどこかの指導者はわかっているのだろうか。そこに思いが至らないとすれば、そのこと自体が心配になる。

2026年4月20日月曜日

月曜日のカツ刺し

                               
   日曜日の晩は刺し身で一杯と決めている。4月12日はこれを控えた。翌日の朝、病院で定期検査があったからだ。

晩酌も生カツオの刺し身もない。となれば、ご飯と少量のおかずをつついて終わり、である。簡単なものだ。記者時代の早飯食いが癖になっていて、なんとも味気ない。

検査の結果は現状維持ということで、夕方、北の方へカツオの刺し身を買いに行った。

いわきにも鹿児島産の生カツオが入り、ちょっと前から魚屋を巡って、トレイの刺し身、あるいは柵を買って食べるようになった。

月曜日にカツ刺しを買うのは、最近では初めてだ。目指す魚屋は休みだった。日曜日には店を開けているから、翌月曜日が定休日なのだろう。しかたない、別のところから生カツオの刺し身を買って来た。

日曜日に刺し身をつつくようになって、もう何十年にもなる。この日の晩は、カミサンが台所仕事から解放される。それも含めて、いわきらしいといえば、いわきらしい晩酌の楽しみ方ではある。

毎晩、焼酎をなめながらブログの原稿の下書きをつくる。特に日曜日は刺し身があるので、ゆったりした気分になってあれこれ考える。

このごろはどういうわけか、朝にアップする原稿を2~3本は用意できるようになった。

チビリチビリやっているうちに下書きが2本できることがある。これを、朝食をはさんで10時前には原稿に仕上げる。

日中、急に用事が入って原稿をつくれないことがある。ストックがあるから慌てることはない。

早寝早起きになって、未明の4時にはもう目が覚める。それからが長いので、起きたらすぐブログの原稿づくりに精を出す、ということが増えた。それも関係している。

日中の会議や集まりなどを除いて、自分の予定はこの「朝活」であらかたすませることが習いになった。

おっと脱線した。カツ刺しの話である。行きつけの店があったころは、4月でもマイ皿に25切れくらいは盛ってもらった。

それが、売っているのは細長いトレイに10切ればかり、というのがほとんどだ。月曜日に買いに行ったところには、たまたま柵もなかった。

10切れのトレイを買った。まさか月曜日だから、というわけではないだろうが、味がイマイチだった。半分が生臭かった。

その半月前、最近ではめったにないことだが、家で酒盛りをした。若い仲間が地元小名浜の魚屋から刺し身の盛り合わせを買って来た=写真。こちらは「金曜日の刺し身」である。

生のカツオも少し入っていた。小名浜の魚屋のカツオを、ほんとうに久しぶりに食べた。小名浜というだけで舌が喜んだ。

刺し身は魚の鮮度がいのち。味が落ちると、晩酌の量も減る。金曜日は逆に少し飲み過ぎた。金曜日と月曜日では刺し身の鮮度が違うのだろうか。

2026年4月18日土曜日

春の朝のルーティン

                              
   4月に入ると、日によっては朝、ストーブなしでも寒さを感じなくなった。気温が上がれば春の朝のルーティンが始まる。

朝食後、庭で歯を磨きながら、地面に目を凝らす。ヤブガラシがあちこちから赤い芽を出す。

このつる性植物を放置すると、そばの生け垣に絡みつき、葉を茂らせて本体の光合成を阻害する。

今年(2026年)はこのルーティンを5日に始めた。赤芽は毎日10本以上引っこ抜く。それでも次々に現れる。

面白いことに、車を止めるスペースには出てこない。つるを巻きつけるには木が必要だ。駐車スペースにはそれがない。

ヤブガラシは地下茎で増える。それで絶えず樹木の有無を探りながら、地下茎をのばしているのだろうか。

根本的な解決策は地下茎の除去しかないという。しかし、そこまでやるには体力が要る

とりあえずは芽生えを摘み取り、生け垣に絡みついたものはそのつど除去する。見落としていて、花まで咲かせたものはもうあきらめるしかない。

ヤブガラシと同じように、地下茎で増えるものがある。ミョウガだ。ミョウガは、春に現れるのをミョウガタケ、初秋にできる花穂をミョウガの子という。どちらも汁の実や薬味にする。

このミョウガタケを、4月11日に今年(2026年)初めて確認した=写真。ヤブガラシのようにあちこちに現れるというわけではない。

毎年決まったエリアから茎をのばす。日ごとに数を増やし、5日後には7本を確認した。

丈はまだ2センチ、あるいは5センチくらい。最初に見つけたものは8センチほどになった。これが10センチ超になったら根元からカットして、刻んで汁の実にする。

もう一つ、生け垣のマサキの新芽を食害するミノウスバの幼虫もチェックする。そろそろ発生しているかも――。思い立って15日夕方、家の東側の生け垣を見ると、3カ所で葉が食害されていた。

柄の長い鎌で葉をこすると幼虫がバラバラ糸を引いて垂れさがった。まだ4月中旬だというのに、すでに散開している。

私は春の朝のルーティンと、ときどきのミノウスバ除去を合わせて、大江健三郎の小説名を借りて「「芽むしり仔撃ち」と称している。

作品の中身とは関係なく、春がくると「芽」をむしり、「仔」を撃つ(虫を退治する)。これをやらないと落ち着かない。

 毎年春に同じことをやって感じるのは、これらの出現が早まっている、ということだ。なかでもミノウスバの幼虫は、前は4月末から5月初めの大型連休が発生のピークだった。

 ついでながら、春の到来を告げるほかの生物はというと、ツバメの初認は6日だった。平の街のなかで見た。私が遅れただけで、いわきへの飛来はもっと早かったはずだ。

食卓に今年初めてハエが現れたのは4月9日。「うるさい」は漢字で「五月蠅い」と書く。もうこれは「四月蠅い」に替えるしかないか。カも現れた。これも早い。

2026年4月17日金曜日

忘れ物

                                                  
 黒い布バッグがある=写真。図書館に返す本を入れる。銀行へ行くのに通帳とハンコを入れる。書類を入れて会議に出席する。撮影不可のところではカメラをしまっておく。

要するに、モノを持って出かけるときには、決まってこの黒い布バッグを利用する。

このバッグを、同じ場所で、同じ理由で2回忘れた。いわき駅前の再開発ビル「ラトブ」の総合図書館に本を返し、新たに借りて、1階のスーパーで買い物をしたときのことである。

 いつものように私がカートを押し、カミサンが買い物かごに品物を入れる。カートにはフックが付いている。本が入った布バッグを提げながらのカート押しはきついので、これをフックに掛ける。

 会計をすませてカミサン携帯の布バッグに品物を入れたあと、カートを所定の場所に戻すのだが、このとき2回続けて黒い布バッグをフックにかけたままにしてしまった。

スーパーのマルトへは買い物かごと変わらない大きさのマイバッグを持って行く。車に常備している。

ラトブではそこまでの量にはならない。で、いつもカミサンがバッグに入れておく小さな布バッグを広げて品物を移す。

 このバッグに入りきらないときは、私の黒い布バッグも利用する。その場合は黒い布バッグを忘れるようなことはない。

 カミサンの小さなバッグに入り切ったとき、錯覚が起きる。そのバッグを持つと、マイバッグを持ったような気になる。黒い布バッグの存在が頭からスポッと抜ける。

 カートを所定の場所に置く。地下の駐車場に戻って車の運転席に座る。「あれつ!」となる。ここでやっとバッグをカートのフックに置き忘れてきたことに気づく。

 1回目はカートのフックに掛かったままだった。2回目は、カートのフックにはない。レジ係に聞くと、エスカレーターの向かいにサービスカウンターがある、そちらに聞いてくれという。

 マルトにサービスカウンターがあるのは承知している。ラトブの1階にもサービスカウンターがあったのだ。

 急いでカウンターに行くと、奥の方に見慣れた黒い布バッグがあった。だれかがレジに届け、そこからサービスカウンターに移されたのだろう。「本が入っている」「カートに置き忘れた」と告げると、係の女性がにっこりしながら返してくれた。

 忘れるパターンがまったく同じでは、もうフックに掛けるわけにはいかない。何事三度で、フックに掛けて買い物をすればまた忘れてしまう可能性がある。

 このへんのことに注意がゆるくなるのは、やはり老化が関係しているのだろう。そのことを頭に入れておく。といっても、いざその段になると忘れるのが老化というものだ。

しかたがない、今はバッグのひもを握って、カートにバッグを載せるようにして売り場を巡っている。