この秋から冬にかけて、何度か日本晴れになった。雲一つない青空。つい吸い込まれるような気持ちがわいてカメラを向けた=写真。
日本晴れの空を仰ぐと、残響する言葉がある。雲のない青空は虚無に等しい。雲があるから青空が輝く――。
エミリー・ブロンテの『嵐が丘』で、登場人物の誰かがそんな意味のことを口にした。若いときに読んでうなった。それが影響しているのだろう。
湿潤な日本の風土では、日本晴れは束の間でも解放感の象徴になる。が、『嵐が丘』は違っていた。
気候的に厳しい環境がそんな考えを生んだのだろう。と、これは後年になってからの解釈。
以来、雲一つない青空を見ても、複雑な思いを抱く人間がいることを思い浮かべるようになった。
日本晴れの空はしかし、この年(後期高齢者)になると、どうも違って見える。最後は底が抜けるのか。いや、底が抜けてもいい、と。
去年(2024年)の秋、1歳年上の親友が逝き、1歳年下の義弟が亡くなった。2人が彼岸に渡ったあと、私ら夫婦もカウントダウンが始まっていることを悟った。そのことも影響しているに違いない。
今年(2025年)の春あたりから、メディアが伝える訃報、新聞折り込みの「お悔み情報」を見て、影響を受けた著名人や付き合いのあった身近な人たちを、「カウントダウン」というフォルダの中にメモしてきた。
年末になると、新聞はその年に亡くなった著名人を振り返る。暮れの「回顧ジャーナリズム」でもある。今年は「墓碑銘2025」だ。
その回顧ジャーナリズムが私の中にも残っていた。著名なところでは、いしだあゆみ、長嶋茂雄、和泉雅子、コニー・フランシス、上條恒彦、ハルク・ホーガン、橋幸夫、ロバート・レッドフォード、仲代達矢、内館牧子、そしてブリジッド・バルドー。いずれも人生の節目、節目で記憶に残った人たちだ。
親しく付き合っていた仲間では、いわき地域学會のあの人この人。いわきキノコ同好会の冨田武子会長。それからカミサンの友人のご主人など。佐藤栄佐久元福島県知事とも会って話したことがある。
記者になる前から受け入れてくれた親友の叔父の奥さん、草野美術ホールで知り合った元中学校美術教諭(最初の赴任校がふるさとの中学校で、兄たちが教わった)も彼岸へ渡った。
そして、区内会のつながりで知ったよその行政区の役員、同じく文学館の集まりで出会った人、フェイスブックで友達になった福井県の人も……。
他クラスだったが、同学年で寮が一緒だった仲間も2人、彼岸へ渡ったと聞いたのは8月。
親の世代はとっくに終わり、年上の兄弟の世代、あるいは年下の人間も加わって、カウントダウンが続いている。
いつ終わるかは神のみぞ知る。それまでは、晴れたり曇ったり、雨が降ったりする空の下で生きる。雲一つない青空を迎えるのはそのあとでいい。
※おことわり=12月31日~1月4日までブログを休みます。