第48回吉野せい賞表彰式が11月1日、いわき市立草野心平記念文学館で開かれた=写真。
 今年(2025年)の正賞(せい賞)は該当作品がなく、準賞に良川十鵜(よしかわとおう)さんの「凪(な)ぐ」、奨励賞に伊関鉄也さんの「ファミリー(The Family)」、中山孔壹(こういち)さんの「未完の器」、高校2年渡部綾音(あやの)さんの「くぐる」が選ばれた。
 中学生以下の青少年特別賞は中学2年小林礼依(れい)さんの「ステップ」が受賞した。
4人の選考委員を代表して、毎年、選評と総評を述べる。何年も作品を読んでいると、その年の特徴のようなものが見えてくる。今年は「奇妙な物語」が多かった。
ずっと先の未来の話や、過去と現代の間を自在に行き来するタイムトラベルの物語、あるいは心霊、輪廻転生を取り入れた作品などが目立ったことによる。文学を取り巻く環境がなにか新しいステージに入ったような印象を受けた。
そうした時代の反映なのか、選考過程で直接議論したわけではないが、一般論として「AI小説」があらわれたらどうすべきか、選考委員の間で話題になった。そんなことを総評のなかで述べた。
コロナ禍前は受賞者と会食する機会があったが、今はどちらも壇上からの話を聞くだけだ。それでもあとで2人の受賞者と話すことができた。
驚いたことがある。準賞受賞者と奨励賞受賞者の一人が知り合いだった。片方がペンネームだったために、会場で顔を合わせるまで知らなかったという。こんな偶然はせい賞の表彰式では初めてだろう。
表彰式のあとは、仙台在住の芥川賞受賞作家佐藤厚志さんが「地方で小説を書く」と題して記念講演をした。以前は「書店員作家」だったが、今は作家業に専念しているという。
佐藤さんが心のよりどころとしてきた言葉がある。ネットで確かめたら、詩人高村光太郎が、宮沢賢治が死んだとき、岩手日報に寄せた追悼文だった。
「内にコスモスを持つ者は世界の何処の辺縁に居ても常に一地方の存在から脱する。内にコスモスを持たない者は、どんな文化の中心に居ても常に一地方的な存在に終る」
地域に根差して普遍に至る。それが賢治文学である。いや、吉野せいもそうだ。今も賢治が、せいが読まれるのは、作者が「内にコスモス」を持っていて、作品が独自の光を発しているからだろう。
若いとき、賢治をむさぼり読んだ。今はもう「卒業」したつもりになっていたが、そうでもなかった。
賢治作品に立ち返ることがある。せいの作品についても、あれこれ調べを続けている。コスモスを内包した文学にはやはり引かれる。