2026年5月20日水曜日

「アイディアのレッスン」

                                           
 大活字本の外山滋比古著『アイディアのレッスン』=写真=を図書館から借りて読んだ。

 アイディアはどんなときに生まれるのか。巷間、言われていることを著者も紹介する。たとえば、入浴中。

 「入浴中がよいのは、アルキメデスの例でも明らかである。血のめぐりが普段と変わり頭に快い刺激があって、活発なはたらきをする。その勢いで思いもかけない考えがとび出してくる」

 アルキメデスの例? すぐネットで検索する。 湯船であふれるお湯を見て、アルキメデスは「浮力の法則」を発見した。そのことを指しているようだ。

 私も、アイディアとまではいかないが、入浴中によくブログの文章の直しを思いつく。ここはこうした書き方に、あそこは別の言葉に――。

 確かにアイディア、あるいはそれに近い思いつき、新しい考えなどが生まれる場所を振り返ると、風呂やトイレ、寝床であることが多い。

 やはり「一つの考えにこりかたまってはいけない。別のことをしているときにアイディアは訪れやすい」。

次から次に古今東西のアイディア例が紹介される。博覧強記である。旧知のものも、未知のものもある。

これは旧知のひとつ。昼にときどき、コンビニからサンドイッチを買って来る。サンドイッチの起源は若いころ、本で知った。

イギリスにサンドイッチという名の伯爵がいた。伯爵はゲーム好き(確かトランプ)で、食事中もゲームを続けたい、という思いが昂じて、片手で食事ができる食べ物を考案した。それが今、私たちが普通に食べているサンドイッチである。

思考の枠を拡大したり、視点を変えたりすることも大切になる。パロディやユーモアも元気のもとになる。

「ローマは一日にしてならず」。この成句をもじって、評論家の樋口恵子さんは「老婆は一日にしてならず」と言った。

 後期高齢者になった今、老婆も老爺も一日ではならないことを実感している。その通りだと納得しながら、つい笑みがこぼれる。

ノーベル文学賞を受賞したイギリスの詩人TS・エリオットの代表作「荒地」の冒頭部分もそうだった。

 戦後、鮎川信夫・田村隆一・黒田三郎らが同人誌「荒地」を出して、日本の現代詩をリードする。それにちなんで鮎川らは「荒地派」と呼ばれる。

 同人誌の名前はエリオットの「荒地」に由来する。荒地派の影響を受けて現代詩を読み始めた少年には、「四月は残酷極まる月だ」で始まるエリオットの詩句(西脇順三郎訳)はもはや「現代詩の古典」といってよい。

これがなんと、チョーサーの「カンタベリ物語」序歌の冒頭にある詩句(「四月がやわらかい驟雨をもたらし」で始まる)をふまえたものだったとは、驚きである。

「穏やかな四月」と「二十世紀の荒地」を結合させて「残酷な四月」という新しい言葉を発見した、と著者は言う。

この化合法はもじりとかパロディでもあるが、私には「本歌取り」にも映る。表現は無限。言葉は汲んでも枯れない井戸の水である。

2026年5月19日火曜日

シン糠床

                     
 4月が過ぎ、5月も間もなく下旬。待ったなし、である。3~6日とカレンダーに赤い数字が並び、いつもの黒い数字に戻った7日朝、「よし」と気合を入れて糠床を作った。

 小糠は先日、カミサンの実家(元米屋)へ行って手に入れた。2キロちょっとある。

この量に見合った食塩(地中海産の天日塩)とかつお節や唐辛子、捨て漬け用の野菜を用意する。芽吹いて間もないサンショウの若葉を庭から摘む。これは風味用。

 まずは小糠の乾煎(からい)りである。虫の卵が混入していれば加熱して始末し、水分を飛ばしてから、深さ25センチほどの甕に入れる。

ほかの材料も加え、水を2リットルほどまぶしてよくかき混ぜる。これでわが家4代目の糠床が出来上がった。といっても、まだ「半糠床」である。

水分を含んだ小糠は粘りついていて固い。毎朝、糠床をかき混ぜるのに合わせてカブやキュウリを入れ、一昼夜あとに取り出す(もちろん食べる)。これを繰り返しているうちに、糠床に手がすんなり入るようになる。

いずれ昆布も入れ、サンショウの実も摘んでまぜる。そうして少しずつ旨みと風味が溶け込んだ糠床になっていく。

 3代目の糠床は平成26(2014)年から使っていた。去年(2025年)の夏、コバエらしいものが糠床に卵を産み付けたらしい。わいた虫をそのつど取り除いたが、その数が半端ではない。わずか11年で泣く泣く廃棄した。

 その前、2代目の糠床は東日本大震災と原発事故をくぐり抜けた。これは虫ではなく、手入れ不足でダメにした。シンナー臭が消えなかった。

 糠漬け歴はざっと30年。その間に3回、糠床をダメにしたことになる。甕は台所に置いてある。夏場は室温が高くなる。それも影響しているのだろう。

冬は白菜漬けに切り替える。糠床はその間、冬眠させる。ところが震災前年の冬、白菜漬けだけでなく、糠漬けも続けてみることにした。

すると春がきて「原発震災」が起きた。9日ほど避難して帰宅すると、糠床にはアオカビが発生していた。何日も人の手が加わらなかったために酸欠状態になったのだ。

糠味噌ごと表面のアオカビをかき取り、布を濡らして甕の内側をきれいにしたあと、よくかきまぜた。このときはぎりぎりで糠床が生き延びた。

糠床がダメになる原因は、手入れがちゃんとしていないのが大きい。それができなくなるのが、自然災害や原発事故、そして戦争だ。

 そもそもは夏井川渓谷の隠居で家庭菜園を始めたのがきっかけだ。キュウリを栽培すると、生(な)るときにはどっと生る。生で食べる、お福分けをする。それでも余る。で、糠漬けにすることを思い立ち、糠床を作ったのだった。

糠漬けは夏場、キュウリなら朝、糠床に入れて、夕方には取り出す。典型的な浅漬けである。

シン糠床を作って10日目。カブを4つに割って一昼夜漬けておくとしんなりした。それなりの味だった。初夏を迎えて朝の習慣が復活した。

2026年5月18日月曜日

最後の会報

                      
   大型連休が終わるとすぐいわきキノコ同好会の「最後の会報」が届いた=写真。前に書いたブログを下敷きにして経緯を振り返る。

  一昨年(2024年)の師走にいわきキノコ同好会の定期総会が開かれた。会の今後が議論された。

結論からいうと、令和7(2025)年度は従来通り活動し、12月の定期総会を最後に解散する。会報第30号は総会時に発行し、最終号とすることが決まった。

それから季節がひとつ巡ったばかりの4月15日に冨田武子会長が亡くなった。享年86。総会で顔を合わせたのが最後になった。

同好会が発足してざっと30年。会員の高齢化と、それに伴う退会が続いた。令和7年は日本菌学会東北支部の観察会・総会がいわき市の石森山周辺で開かれる。受け入れ団体が地元にないのは寂しい、ということも1年間の会存続につながった。

冨田さんはいわき市内の中学校美術教諭を定年で退職したあと、画家として制作活動に励み、ボタニカルアートも手がけた。

それとは別に、菌類にも造詣が深く、いわきキノコ同好会創設時から会長を務めた。私も最初からの会員で、冨田さんから多くのことを学んだ。

年1回発行の会報にはキノコを取り上げた拙ブログを選んで寄稿した。今回も同じ流れで、冨田さんの思い出を中心に文章を組み立てた。

最後の会報が冨田さんの追悼号になるとは、だれも想像できなかったろう。

第30号の発行は冨田さんの遺志でもある。孫の冨田剛さんが祖母の追悼の意味も込めて、原稿の依頼・編集その他を代行した。

コウタケをツルリンドウが囲む冨田さんの絵が表紙を飾る。目次の裏や本文にも計11点の作品が「さし絵」として載る。表紙画と同様、キノコに季節の花を組み合わせたボタニカルアートである。

図鑑のように精緻で、しかも絵画作品としても観賞できる。あらためて冨田さんの画力、そしてキノコに対する愛と知識の深さに感銘を受けた。

会員のほかに、生前、冨田さんと交流のあった福島きのこの会の会長、日本菌学会東北支部の元支部会長、南相馬市博物館のスタッフも追悼文を寄せた。調査・研究を介したネットワークの広さはさすがである。

後半10年間を会員としてかかわった阿部武さん(石川町)が、会報を基にいわきキノコ同好会の30年を振り返っている。

本会の特徴として、①いわき市内で採集された菌類の記録が充実している②会発足に尽力した故斎藤孝さんによる石森山の菌類調査と解説が充実している③全国的なきのこ中毒者数や原因などが会報で報告されている――などを挙げた。

原発事故後は、野生食用キノコの放射線量測定結果も継続して会報に掲載された。これは非常に貴重な記録と、阿部さんは評価する。手元にずっと置いておきたい。そんな気持ちになる最後の会報である。

2026年5月16日土曜日

はんてんの角文字

                                  
 祭りのはんてんに角張ったデザインが施されていた。ラーメン屋のどんぶりのふちに、似たようなデザイが並ぶ。四角い渦巻き模様で「雷文」というそうだ。それを連想した。

 ゴーデンウイーク中の5月4日(みどりの日)、近くにある立鉾鹿島神社の例大祭が開かれた。

 みこし渡御に先立ち、午前10時から拝殿で祭典が執り行われた。夜の大雨は、朝には霧雨に変わり、はっきりしない天気ながら傘は差さずにすんだ。

 祭典が進む中、そばの森からウグイスのさえずりが飛び込んでくる。神社の南には石の鳥居がある。神社との間、つまり境内を常磐線の線路が横切っている。そこを電車が通過する。

 祭典に集中しながらも、耳はウグイスや電車の音を拾い、目は前方、横向きに座っている神社総代のはんてんに注がれる。

はんてんの腰のあたりに雷文のような角張った線の模様が描かれている。そのデザインに引きつけられた。

よく見かけるのは2色(たとえば白と黒)の格子状の「市松模様」とか、菱形を連結したような「吉原つなぎ」だが、それらとは違って、直線を迷路のように組み立てた四角いデザインだ。

前に線路を渡ってみこしが出発するところをカメラに収めたことがある=写真(平成28年5月撮影)。

拡大した画像をあらためてチェックすると、はんてんの背中には赤い文字で「立鉾」と入っている。腰柄は一部、帯に隠れて見えないが、なにか漢字をデザインしたような印象だ。

祭典が終わって、知人でもある神社総代に尋ねると、「さあ」。知人がすぐ宮司さんに聞いた。もちろん意味がある、という答えだった。

すぐ記念撮影に入るというあわただしいときだったので、話はそれで終わった。ただのデザインではない。いよいよ興味がわいてきた。

家に帰って、ネットで画像を検索しているうちに、似たような腰柄に出合った。「角文字」あるいは「角字」というものらしい。

毎年、ゴールデンウイークには祭りが集中する。その画像がSNSにアップされる。今年(2026年)ははんてんのデザインに集中して、いわき市内の祭りの画像をチェックした。似たような角文字は見当たらなかった。

 ほかの神社の例から4文字、あるいは6文字で構成されているようだ。「立鉾鹿島」の4文字は入っていると思うのだが、自信はない。いつか宮司さんに確かめてみよう。

 これは蛇足。角文字は白抜き(白文字)なら「日向(ひなた)」、はんてんの地色と同じ色で、字の周りが白く縁取りされているのは「影」と呼ぶそうだ。

 ついでにもう一つ。線路の前に立つ石の鳥居は、昭和8(1933)年12月、地元の篤志家が寄贈した。その物語をブログに書き、いわき民報にも転載した。

宮司さんに請われて新聞コピーを進呈すると、さっそくコピーして出席者に配布した。私にとってはハプニングながら、望外のPRになった。

2026年5月15日金曜日

6次化商品

                                          
 楢葉町で農家レストランを営んでいる知人が、平へ来たついでにわが家へ寄っていく。カミサンと茶飲み話をして息抜きをするのだろう。

 ありがたいことに、いつも晩酌兼晩ごはんのおかずを持参する。新鮮な野菜にひと手間加えたやさしい味が年寄りにはぴったりだ。

 先日は食べ物ではなく、「楢葉の風」という箱入りの特別純米酒(4合瓶)をちょうだいした。楢葉の新しい地酒である。

今年(2026年)の販売が始まり、テレビや新聞が取り上げた。記事を含めて、あらためてネットで確かめた。

それによると、楢葉町で栽培された酒米「夢の香(かおり)」を使い、楢葉町の姉妹都市である会津美里町の酒蔵「白井酒造店」で醸造した。

東日本大震災と原発事故がおきたとき、楢葉町民の多くが会津美里町に避難した。その縁による。

酒造店の社長が、農業が受けた甚大な被害を知り、一刻も早い復興を願っていた。やがて楢葉の酒プロジェクト委員会が発足すると共感し、酒造りに協力することになったという。

 書は書家金澤翔子さんが担当した。いわき市遠野町に「金澤翔子美術館」がある。遠野に開設されたのは東日本の復興を願ってのことだ。やはり、その延長で揮毫(きごう)したのだろう。

ついでながら、5月10日のNHKローカルニュースで、いわきのハタチ酒プロジェクトの田植えが取り上げられた。酒米は福島県が開発した「夢の香」。「楢葉の風」と同じ酒米だった。

 3・11以後、福島県内の浜通りを中心に、日本酒だけではなくワインやクラフトビール、クラフトジンといった新しい醸造文化の動きがみられる。

 いわきでも川前にクラフトビール「カワマエール」が誕生した。「楢葉の風」も同じ文脈で商品化されたとみてよい。

 それと前後して、平・平窪の「やさい館」で新タマネギを使ったドレッシングを見つけた。

いわき市の隣郡・双葉地区のタマネギを使用したドレッシングで、JAのふたば地区本部が販売元になっている

最初は野菜サラダにかけすぎたが、適量だとさっぱりしていい味だった。前に宅配で取っていた元シェフ特製のドレッシングに近い地産ドレッシングでもある。

「楢葉の風」と「玉ねぎドレッシング」=写真=は、いわば同じ双葉郡内発の6次化商品だろう。

これはもう被災地支援とか、復興応援とかの話ではなく、一般の商品と同じように好みと値段の問題である。口に合って安いから買う、でなければ買わない。それだけの話だ。

そうそう、最近よく行く直売所から新タマネギを2個、おまけにもらった。スライスして生で食べるといい、と教わった。

一度絞ったものにかつお節を振りかけ、醤油をかけると、いいつまみになった。ほんのり辛みがあって焼酎が進む。四里四方というか、同じ生活文化圏内の食材はやはり気持ちをやさしくする。

2026年5月14日木曜日

傘・羽・毛布

                                            
 「うわー、虫がいっぱい落ちてきたー」。カミサンが大声で助けを求める。すぐピンときた。

 家の東側にある生け垣のマサキを剪定していたら、ミノウスバの幼虫が糸を引いて垂れさがったのだろう。

 見るとそうだった。ミノウスバの幼虫がいっぱい、マサキの葉から糸を引いて宙に浮かんでいた。

 糸を切って幼虫を1匹1匹地面に落としていたのでは間に合わない。また幹に取り付いて這いあがる。

 前にこうもり傘を開いて宙に浮かんだ幼虫をまとめてそこに落とし、あとで始末したことがある。その手を使うしかない。

 開いてひっくり返した傘の柄を左手に持ち、右手に庭ボウキを持ってマサキの枝葉をたたくと、幼虫が糸を引いてバラバラ落ちてきた。

 これを繰り返しているうちに、やっと落ちる幼虫がいなくなった。この間ざっと20分。傘の内側にはちぎれた枝葉とともに、ミノウスバの幼虫がうようよしていた=写真。

冷たいようだが、マサキの葉を守るためにはミノウスバの幼虫を退治するしかない。この「捕物」にはとにかく傘が有効だ。

捕虫網も殺虫剤もない。が、虫を退治しないとあとあと大変なことになる。とっさに思い浮かんだのがこうもり傘を「受け皿」にすることだった。

 ある年、初夏なのに葉が食害されて丸裸になった。それに懲りて傘の利用を思い立った。

 それと同じで、日常のほかの場面でもモノがなければ別のモノで代用する。たとえば、電気ひげそり。ときどき小さな専用ブラシで刃を掃除する。

 そのブラシがどこかに消えた。夏になってこたつのカバーを取り外したときにでも出てくるのだろう。

 それを待っているわけにはいかない。何で代用するか。目の前の筆入れにカラスの羽があった。

ふだんはパソコンの画面や眼鏡、キーボードの小さなほこりを払うのに使っている。これをブラシ代わりにしたらどうか。

正解だった。羽毛はしなやかなうえに強い。専用の小さなブラシよりかえっていいかもしれない。刃がきれいになった。

「なにがなんでもブラシが必要」ではなく、「なければないなりに」である。代用できるものがあればいい。身近なモノで用をすませる。

日常のほころびはそうして、いくらでも取り繕うことができる。夜、寝ていて足が冷えたときもそうだ。

たいていは毛布と掛け布団がずり上がって、足が夜気に触れているときにそう感じる。

冷えるのを防ぐために敷き布団の下に毛布を差し込んだら、夜気が遮られた。それで足の冷えもおさまった。

ひげそりだってそうだ。ひげが白くなって目立たたないのをいいことに、2日に1回から3~4日に1回のサイクルに変えた。

まずは電気ひげそりを当てたあと、入浴しながら安全カミソリで深剃りをする。これだと安全カミソリの刃が古くても痛くない。長持ちさせるための「合わせ技」でもある。

傘・羽・毛布プラス合わせ技。本来の用途のほかに応用を効かせる。それで暮らしがうまく転がっていけばいい。

2026年5月13日水曜日

文庫本2冊

                                
 カミサンの茶飲み友達が「読んだから」と文庫本を置いていった。沢野ひとし『ジジイの片づけ』(集英社文庫、2025年)。

 それを晩酌が始まったときに、カミサンが差し出して言う。「『あなたに』って言ってたわけではないけど」

 本のタイトルを見た瞬間、「ジジイを片づける?」。そう早とちりした。カミサンが私の表情を見て、急いで抑えにかかる。「ジジイを片づけるんじゃなくて、ジイサンがやれる片づけの本」

 『ジイジの片づけ』ならほんわかした気分にもなるが、「ジジイ」ではいくら著者の自虐語とはいえ、ムッとくる人もいるだろう。

沢野ひとしは「ヘタウマ」と評される線画が特徴のイラストレーター、という程度の印象しかない。

作家椎名誠とは高校時代からの友達で、椎名誠の本にもイラストを寄せている。それで椎名誠とセットで名前は知っていた。

 それからすぐの日曜日、夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、マチへ戻っていわき市立美術館の「堀内誠一展」を見た。

 名前の知られた絵本作家・アートディレクターである。さぞや来館者でいっぱいだろう。美術館の駐車場が満パイだったらどこに止めようか。そんなことを案じながら駐車場に入るとガラ空きだった。なんで?

堀内誠一は女性雑誌「anan」(1970年創刊)のロゴマークをデザインしたことで知られる。

 カミサンにとっては青春の象徴のような雑誌だが、「平凡パンチ」派の私は全く縁がなかった。

表紙のロゴマークは強く印象に残っている。むろん、その作者が堀内誠一だったとは当時、知るよしもない。

絵本作家としても活躍した。とはいえ、作品はほとんど見ていなかった。展示物で唯一、懐かしさを感じたのは宮沢賢治の童話「雪わたり」の表紙絵だ。この童話絵本を手に取った覚えがある。

名前だけは超有名だが、作品が思い浮かばないのはアートディレクターとかデザイナーとか、シロウトにはよくわからない業態の仕事をしていたからだろうか。

あまりにも消化不良なので、美術館1階のギャラリー広場で開かれている堀内誠一関連グッズ販売コーナーから、『父の時代私の時代――わがエディトリアル・デザイン史』(ちくま文庫、2023年)を買って読むことにした。たまたまアート系の文庫本が短い間に2冊そろった=写真。

『ジジイの片づけ』は、目次からするとジジイにとどまらず、一般の家庭の片づけにも通じるノウハウ本のような印象だ。すぐできるようなことがあれば、それを参考にしよう。

堀内誠一の自伝の方は、日本の商業デザイン史の一断面とみることができるかもしれない。

いずれにせよ、未知の分野の読み物ではある。これからじっくり読むことにする。