2025年7月5日土曜日

車と花とネコ

                                
 隣家は空き家になって、売りに出された。関西に住む娘さんが年に何回か帰って来る。そのつどカミサンにあいさつをし、情報交換をする。

 ある日、造園業を営む近所の人が来て、隣家の庭木の剪定をすることになったという。娘さんから頼まれたのだろう。

 わが家の庭と違って、隣家の庭は岩石と松の木やツツジなどを組み合わせた日本庭園風の造りだ。

 その庭の木が放置されて乱雑に枝を伸ばし、地面を雑草が覆っている。プロがそれを2日がかりで「整髪」した。

 勝手に生えてきたフヨウは根元から切り取られた。そばに排水マスがある。これを壊す心配があるのだろう。

 南隣の家とはブロック塀で遮られている。塀のそちら側は物置で、その前に軽自動車が止まっている。

車のそばにキョウチクトウが植わってあり、早くも白い花を咲かせた。ところが、車にその花が落ちてこびりつく。ご主人は隣家の庭がきれいになったあと、キョウチクトウの枝を剪定した。

花が車の屋根にこびりつくのは、わが家も同じだ。前はプラムとイボタノキ。そして、今は花の終わったあとの青柿だ=写真上1。これがしょっちゅう車の屋根に落ちる。

まだ3センチほどだが、秋に向かって実が肥大するにつれて、車に当たる音が大きくなる。

で、青柿が目立つようになると、車を止める位置を変える。理由は青柿のほかに、もうひとつ。

庭に車のタイヤの轍(わだち)ができている。雨が降ると、そこに水がたまる。車の前輪と車体に泥が付く。それがいやで、震災まで物置があったところに止める。

こちらは南向きで、もろに日が当たる。夏にはハンドルが直射日光でやけどするくらいに熱くなる。それを避けるためにハンドルにタオルを掛けておく。早くも6月中旬に「アチッ」となった。

しかし、そこにも轍ができて、雨が降ると水がたまるようになった。梅雨空には両方の中間、ツワブキの群生に突っ込むようにして、斜めに車を止める。

ここも直射日光を浴びる。車を運転するときには、すぐ窓を開ける。するとたちまちヤブカが現れる。

梅雨に入ったとたんの猛暑で、タイヤの轍が乾いたのはいいのだが……。上には青柿、そして直射日光もあって、車を止める場所がなかなか決まらない。

ある日、日が西に傾いたのでいつもの場所に止めると、ネコのシロが現れて車の屋根の上で横になった=写真上2。

このネコはなにをするにも「わがもの顔」のところがある。「君臨」するのが好きらしい。

つい「コラッ」と言いたくなるのだが、「ネコだぞ」ともう一人の自分がたしなめる。結局、放っておく。ネコも暑いのだ。

2025年7月4日金曜日

「アリオスペーパー」

                               
 下半期最初の日、7月1日は早朝、区内会の役員さんと担当する隣組の班長さん宅に回覧資料を届けた。

 夏場は日が昇り始めるとすぐ暑くなる。特にカラ梅雨の今年(2025年)はそうだ。まだ汗がにじむ程度の朝6時過ぎ、新聞配達よろしく車で区内を巡った。

 資料は世帯数分をまとめて、前日までに袋に詰めておく。ざっと30袋だ。それを、戸建て住宅の役員さん宅の場合は担当分をレジ袋にまとめて玄関の軒下に置き、集合住宅の班長さんの場合はそのまま1階の郵便受けに差し込む。

 前年度までは、広報資料の配布は月に3回あった。この4月からはそれが1、15日の2回に減った。

 行政嘱託員の労力が減るのはいいのだが、年間を通じた件数と量(全戸配布ないし隣組回覧)はたぶん変わらない。

となれば、配布日によっては数量が膨らむ。6月は、1日の「広報いわき」などの配布のほかは、15日の配布が休みになった(ただし、地元の回覧資料があったので、それを15日前後に配った)。

7月1日は? 全戸配布が3件。広報いわき、県広報誌「廃炉を知る」と、「アリオスペーパー」=写真=だ。

これに回覧だけの1枚資料が4件(地元の小学校だより、花火大会交通規制、県警だよりと地元交番のチラシ)。

7月は奇数月なので、偶数月発行の県広報誌「ゆめだより」はない。代わってというわけではないが、新たに「アリオスペーパー」が加わった。

問題は、集合住宅の郵便受けに袋を差し込めるかどうかだ。ここは役員不在のために、周囲に住む役員さんが配布などを代行している。

郵便受けに入らない場合は、班長さんの自室へ届けるために階段を上り下りしないといけない。老体にはこれがこたえる。

 年度末の3月に全戸配布をする「健康のしおり」は1冊65ページ。世帯数分だけで袋が二つ必要なところもある。

当然、郵便受けには入らない。集合住宅の3、4階についてはカミサンに配布を頼んだ。

 今回も1階で用がすまない場合は持ち帰り、カミサンを連れて再度、集合住宅へ向かう――そういう段取りでいたが、幸いどの隣組も郵便受けで用がすんだ。

にしても、と思う。「アリオスペーパー」は前号まで新聞(県紙)折り込みでやってきたのではなかったか。

旧知の業者から宅配便で届いた「アリオスペーパー」の添え書きには、今回(7月1日付)から年4回、広報紙「アリオスペーパー」を発行する、行政嘱託員には手数をかけるが配布・周知をお願いする、とだけあった。

確かにサイズもA3からA4にリニューアルしたが、新聞折り込みのフリーペーパーというイメージはぬぐえない。

新聞折り込みは当然有料だろう(まさか、ただ?)。それをやめて今度は行政の広報紙として、隣組の回覧網にのせようというのか。

偶数月の10月と4月は県の「ゆめだより」が加わる。この時の全体のボリュームも気になる。

行政の末端、いや地域の先端で住民と接している人間は、新たな全戸配布資料の追加に、しばし戸惑い、ひとり梅雨空気分になるのだった

2025年7月3日木曜日

ダブルヘッダー

                                              
   夏井川渓谷のホタルブクロはそろそろ終わり。そう思いながら隠居に着くと、庭木の根元に何輪か咲いていた=写真。

木々の緑にさえぎられて日射量が少ないのか、花は小さい。遅ればせながら咲き出した、という感じだった。

年金生活者とはいえ、マチではなにやかにやとあわただしく過ごしている。日曜日になると、気持ちを山里モードに切り替える。ホタルブクロはそんな人間をやさしく迎えてくれる。

 あわただしさにも波がある。新年度に入ってからだけでも3カ月(新年からだと半年)が過ぎた。

    関係する団体の総会や会議が今も続く。これに定期的な回覧配布や通院、銀行通いなどが加わる。

 6月だけに絞ると、3日会議・7日総会・8日きれいにする総ぐるみ運動・14日清掃奉仕・14~15日所属する団体の郵送作業・21日交流会・23日通院・24日総会・26日会議と総会・28日総会と続いた。

 引き続き7月も5日会議・7日総会・8日通院・12日会議・14日会議ときて、20日の参院選では朝から一日、投票所に詰める。

 単発、しかも役割なし――の場合はある意味、出席すること自体が目標になる。その点では気が楽だ。

 ところが、午前も午後も会議、しかも役割がある――となると、夕方にはくたくたになる。やはり「年寄り半日仕事」である。

 役割はあらかじめ、とはいえ突然、降ってくる。6月26日のダブルヘッダーの場合、午前は議長を務め、午後は開・閉会のあいさつをした。

 特に午後の集まりは事前に役割が決まっていたが、急きょ欠席の連絡が入って、こちらにお鉢がまわってきた。たぶん「古株」だから。

 会議そのものは短くて30分、長くて1時間半くらい。なので、単なる出席者でいる分には疲労感はない。しかし、役割があるとそれなりに神経を使う。

 午前の会議が終わると急いで帰宅し、昼食のあと一休みしてすぐまた出かけた。そのままマチにいて、午後の集まりに備えるという手もあるが、年寄りにはこれができない。とにかく合間の一休みが必要になる。

ダブルヘッダーを経験して思ったのは、そろそろ体の老いを計算に入れないといけない、ということだった。「定年」制があればともかく、それがないので、自分で定年の判断をすることになる。

特に区内会の場合、そろそろバトンタッチをと思いながらも、次の人を確保していなかったツケが重くのしかかる。

そんなときにはやはり、渓谷の隠居へ行って、生まれ育った阿武隈高地と同じ空気に触れ、エネルギーを充てんする。これで少し元気が戻る。日曜日の隠居は、その意味ではとても大事な気分転換の場だ。

2025年7月2日水曜日

初クロメ

                                             
 カミサンが鳥取県倉吉市のメーカー(宝徳一有限会社)から「健康酢」を取り寄せたら、「おまけ」(試供品)として入っていた。

袋には「惣菜」とあった。ほかに、「滋味満点/海藻クロメ」「宝徳一×鳥取大学×ロート製薬共同開発」、さらにローマ字で「鳥取ブランド」とも=写真。

 クロメ? ワカメは知っているが、クロメは知らない。「ご飯のおとも」や料理の薬味にいいそうだ。

 さっそく晩酌のおかずになって出てきた。醤油と砂糖で煮詰めたのか、切り昆布の佃煮のような味だった。

惣菜には佃煮も入る。クロメの佃煮だろうか。カミサンは「佃煮とはちょっと違うような気がする」という。まあ、似たような味ということにしておこう。

 「海藻クロメ」で検索し、ロート製薬のホームページなどで商品化のプロセスを探った。

 クロメは海藻の一種で、西日本の太平洋側や瀬戸内海、日本海側に生息する。類似種にアラメやカジメがある。

 いつも参考にする「市場魚貝類図鑑」にはアラメと料理法は同じで、アラメと区別せずに出回っているとあった。

そのクロメを鳥取で商品化したワケは――。未利用種で付加価値のある海藻を探し出し、海藻の魅力を再発見して地域社会に貢献したい、という思いからだったそうだ。

鳥取大学とロート製薬の研究に宝徳一が加わり、鳥取県の公共団体や漁業関係者その他が協力して、総菜が完成した。

クロメを食べるところに大分市佐賀関がある。大分市の東端で、ちょっと先の対岸には愛媛県の佐多岬がある。

佐賀関漁港は「関サバ」や「関アジ」など、高品質の水産物を水揚げする漁港として知られる。そこではクロメを細かく刻んで酢の物にしたり、味噌汁の具にしたりするという。

ま、いずれにせよ、クロメをおいしく食べるために、西日本の各地ではさまざまな創意工夫がなされているわけだ。

食は、そこにあるものを活用するという意味ではローカルなものだ。それが他地域に、ましてや遠く離れたところまで普及するとなれば、技術も味も万人向けにより近いものになる。私は東北の人間だが、味に違和感はなかった。

総菜としてのクロメがこれから、どう受け入れられていくのか、ちょっと興味がある。

これは検索中に浮かんだ言葉遊び、いわば「おまけ」だ。クロメは漢字で「黒布」と書く。ワカメは「若布」、カジメは「搗布」,アラメは「荒布」。いずれも「布」の字が付くのは、海中でひらひらと布のように揺れているからか。

AI回答には、「布」は古来、海藻全般を指す言葉だった、特にワカメは葉が平たく広がる様子が布に似ていることから、その字が当てられたようだ、とある。にしても、「黒布」とはなぁ。

2025年7月1日火曜日

カラ梅雨

                                 
   6月29日の日曜日にはまとめて用事を入れた。夏井川渓谷の隠居で土いじりをするだけなら、いつものようにゆっくり出かければよい。

下の孫が入学した高校の文化祭を見る。特別整理期間がすんで再開したばかりの総合図書館に本を返す。区内会の隣組から要望のあったごみネットを買う。

連日のカラ梅雨だ。夏至を過ぎたばかりだから、夕方になっても空は高く青い=写真。すでに西日本は梅雨が明け、東海・北陸・関東甲信・東北も7月上旬には明けそうだという。

何をするにも熱中症のことを頭に入れて、がんばらない、朝のうちに用事をすませる--そう自分に言い聞かせて、29日は朝6時過ぎに家を出た。

7時前には隠居に着いた。途中、渓谷の入り口、磐越東線の磐城高崎踏切で郡山からのいわき行き一番列車が通過した。いわきからの郡山行き一番列車はそのあと、7時過ぎに隠居の前を通過する。

郡山行きの一番列車より早く隠居に着いたのは、平日の夜明け、キュウリを栽培して摘みに行って以来だ。

太陽はすでにギラギラしている。じっとしていても汗がにじむ。そんななかで1時間余り土いじりをして、8時半には隠居を離れた。

ヤマに住む人間はこうして早朝、マチへ通勤しているのだな――。そんな気持ちがわいてくる。

郡山行き、いわき行き双方の二番列車が隠居の前を通過するのは9時過ぎだ。いつもはそのあと隠居で土いじりを、という時間にマチへ戻った。

マチでは高校に直行した。お城山の細い道を若者がぞろぞろ学校へ向かっていく。駐車場は? 警備員に聞くと「ない」。しかたないから、いわき駅前のラトブに止めてお城山まで歩くことにする。

しかし、この暑さだ。カミサンがタクシーで行くことを提案したが、ラトブから駅前のタクシープールへ行くだけで、早くも汗が噴き出した。これでは校内を巡るだけで目が回る。

というわけで、文化祭へはカミサンが独りで出かけ、私はラトブの地下駐車場で10時の図書館開館を待った。

駐車場はまだ空いていた。いつものように、地下2階から同1階へ通じる斜面の真ん前に車を止めた。

10時に図書館へ向かうころには、地下2階もあらかた車で埋まっていた。私らがそうだったように、ラトブに止めてお城山の高校へ、というパターンが多いのだろう。

ラトブの地下駐車場でも逆走問題が起きている。地上へ向かう上り専用の斜面を下りていく車がある。地下1階にはそれで「進入禁止」の立て看がもうけられた。

あるときは、若いドライバーの逆走を目撃した。そのことを思い出しながら、ざっと30分。ラトブオープンまでの間、見るともなく見ていると……。

逆走車が2台もあった。1台は中年の男性ではないか。「日曜早出」でわかったマチナカの危険運転だ。逆走は高齢者だけの「専売特許」ではない。

2025年6月30日月曜日

ゼラニウムの赤

                                
   わが家の玄関のわき、茶の間の軒下からせり出したポリカーボネートの屋根の下に、花鉢を収めたフラワースタンドがある。

園芸品種にはあまり興味がないので、花の名前はわからない。カミサンに聞くとゼラニウムで、いただきものだという。

ある日、玄関の戸を開けたら、地面が赤く点描されていた=写真。その美しさについ足が止まり、踏んではいけない――そんな気持ちになった。

フラワースタンドでは赤い花が次々に咲き、そして次々に散っている。その花びらだった。

あとでこの花がわが家に来るまでの経緯をつぶさに聞いた。私もアッシー君として関係していた。ありありとコトの次第がよみがえった。自分のブログを検索すると、その記録があった。

2017(平成29)年1月下旬のことである。カミサンが民生委員をやっていたころの、真冬の「珍事件」だった。

――午前2時ちょっと前。電話の呼び出し音で目が覚めた。眠りに就いて3時間余り。カミサンがあらたまった様子で話を聞いている(だれかが亡くなった知らせではないらしい)。

独り暮らしのおばあさんの家で、突然、明かりが消えた。それで、本人が緊急通信システムを使って受信センター(民間企業)に連絡した。

カミサンが安否確認などをする「協力員」になっている。で、センターから緊急電話が入った、というわけだ。

その家まで歩いて10分ほどだろうか。カミサンが「行ってくる」という。厳寒の真夜中だ、「気をつけて」とはさすがにいえない。車を出した。

持参の懐中電灯で室内を照らしながら、ブレーカーを探す。私は、背は高い方だ。手を伸ばしてやっとつまみに触れられるというところにブレーカーがあった。案の定、つまみが下がっていた。

つまみを上げると明かりが復活した。テレビもついた。オーブンは開いたままだった。ほかにもなにか電気器具を使っていたのかもしれない。

詳しい話は避けるが、老人は、「自助力」だけでは日々の営みが難しくなっていく。とすれば、介護の力や近隣の「互助力」が必要になる。

今回初めて、そういう力を必要とする“現場”を垣間見た思いがする。その印象が強かったのか、帰宅して床に就いても羊は現れなかった――。

そのおばあさんが、後日、お礼に花をもってきた。それが玄関先の地面を赤く染めるゼラニウムだった。

若いころは東京でバーを経営していたとかで、きちんとした服装でやって来たそうだ。

そんなキャリアを納得させるようなゼラニウムの赤である。あのときの記憶に、なぜかピタッと赤色が重なった。

2025年6月28日土曜日

毎週見ていたなぁ

   TOKIOのメンバーが出演する「ザ!鉄腕!DASH‼」は、日曜夜7時に放送されるようになってから、毎週欠かさず見た。

ネット情報によれば、番組がスタートしたのは1995(平成7)年11月。ゴールデンタイムに移ったのは1998年4月で、ちょうどそのころ、私も夏井川渓谷の隠居の庭で「開墾生活」を始めた。それもあって、「DASH村」とTOKIOには強い親近感を抱いた。

村がどこにあるかはわからなかったが、登場する地元の人間の話し方や名字から、阿武隈高地の匂いを感じとってはいた。それが浪江町津島地区とわかるのは、東日本大震災と原発事故が起きたときだ。

浪江町を含む双葉郡と相馬郡の一部が原発避難を余儀なくされた。津島(DASH村)でのロケも当然中止され、新聞がこれを報じた。

 私は津島と同じ阿武隈高地の常葉町(現田村市常葉町)で生まれ育った。山頂が岩場になっている鎌倉岳(967メートル)が町の東にある。その北側は双葉郡葛尾村だ。

村と接するように津島・赤宇木(浪江町)、長泥(飯舘村)と続く。いずれも放射能で高濃度に汚染された地域である。

 震災後のTOKIOと福島県の関係は県民の多くが知るところだが、番組ではいわき市の大久川を舞台に恐竜発掘プロジェクトを展開したこともある。

化石研究ではよく知られた地元の人間も登場したので、このプロジェクトも楽しく視聴した。

 2002(平成14)年7月には、リーダーである城島茂さんとメンバーの国分太一さんが発掘した海竜(クビナガリュウ)の骨の化石などをいわき市に寄贈している。

 そのTOKIOが解散を発表した。国分さんがコンプライアンス違反を理由に、無期限の活動休止に入った。それを受けての決断だった。

 いったい何があったのか。釈然としないのはもちろんだが、福島県に寄り添ってきた3人(当初は5人)の活動を思うと、やはり残念でならない。

 6月27日付のいわき民報は、2021(令和3)年の株式会社TOKIOの設立時、いわき市田人町の磐城高箸のサポートを受けて第一歩を踏み出したことを伝えている=写真。

 同年3月、3人が磐城高箸を訪れ、自ら木製の分厚い名刺作りに挑んだこと、県企画課内に設置された「TOKIO課」の看板も同社が手がけたことを紹介している。

最近の「ザ!鉄腕!DASH‼」は、出演メンバーが若返ったこともあって、縁遠くなった。若かった3人もすっかりベテランになった。

よくわからないのは、やはりコンプライアンス違反だ。企業や個人が法令・社内規定・社会規範・倫理観などに反する行為をすることだという。

   職場の上司と部下の関係でいえば、パワハラとえこひいきは同根、これにセクハラが絡めば組織は持たない。いろんな要素が絡まったうえでのコンプライアンス違反とみるべきなのだろう。