大活字本の外山滋比古著『アイディアのレッスン』=写真=を図書館から借りて読んだ。
アイディアはどんなときに生まれるのか。巷間、言われていることを著者も紹介する。たとえば、入浴中。
「入浴中がよいのは、アルキメデスの例でも明らかである。血のめぐりが普段と変わり頭に快い刺激があって、活発なはたらきをする。その勢いで思いもかけない考えがとび出してくる」
アルキメデスの例? すぐネットで検索する。 湯船であふれるお湯を見て、アルキメデスは「浮力の法則」を発見した。そのことを指しているようだ。
私も、アイディアとまではいかないが、入浴中によくブログの文章の直しを思いつく。ここはこうした書き方に、あそこは別の言葉に――。
確かにアイディア、あるいはそれに近い思いつき、新しい考えなどが生まれる場所を振り返ると、風呂やトイレ、寝床であることが多い。
やはり「一つの考えにこりかたまってはいけない。別のことをしているときにアイディアは訪れやすい」。
次から次に古今東西のアイディア例が紹介される。博覧強記である。旧知のものも、未知のものもある。
これは旧知のひとつ。昼にときどき、コンビニからサンドイッチを買って来る。サンドイッチの起源は若いころ、本で知った。
イギリスにサンドイッチという名の伯爵がいた。伯爵はゲーム好き(確かトランプ)で、食事中もゲームを続けたい、という思いが昂じて、片手で食事ができる食べ物を考案した。それが今、私たちが普通に食べているサンドイッチである。
思考の枠を拡大したり、視点を変えたりすることも大切になる。パロディやユーモアも元気のもとになる。
「ローマは一日にしてならず」。この成句をもじって、評論家の樋口恵子さんは「老婆は一日にしてならず」と言った。
後期高齢者になった今、老婆も老爺も一日ではならないことを実感している。その通りだと納得しながら、つい笑みがこぼれる。
ノーベル文学賞を受賞したイギリスの詩人T・S・エリオットの代表作「荒地」の冒頭部分もそうだった。
戦後、鮎川信夫・田村隆一・黒田三郎らが同人誌「荒地」を出して、日本の現代詩をリードする。それにちなんで鮎川らは「荒地派」と呼ばれる。
同人誌の名前はエリオットの「荒地」に由来する。荒地派の影響を受けて現代詩を読み始めた少年には、「四月は残酷極まる月だ」で始まるエリオットの詩句(西脇順三郎訳)はもはや「現代詩の古典」といってよい。
これがなんと、チョーサーの「カンタベリ物語」序歌の冒頭にある詩句(「四月がやわらかい驟雨をもたらし」で始まる)をふまえたものだったとは、驚きである。
「穏やかな四月」と「二十世紀の荒地」を結合させて「残酷な四月」という新しい言葉を発見した、と著者は言う。
この化合法はもじりとかパロディでもあるが、私には「本歌取り」にも映る。表現は無限。言葉は汲んでも枯れない井戸の水である。