2026年4月28日火曜日

宮沢賢治は大食漢?

                                       
   先日紹介した「猫好き詩人・思想家」吉本隆明の続編。むしろこちらを先にアップすべきだったか。

書物の上での詩人・思想家ではなく、現実の「老人吉本隆明」はどんな晩年を送ったのか。

 「共同幻想論」や「言語にとって美とは何か」などの一連の仕事のあと、文学はもちろん、テレビ・漫画なども批評の対象にした。

 大衆文化にまで視野を広げて論じるのかと、その関心の広さに舌を巻いた記憶がある。

 トシを取るにつれて「戦後思想界の巨人」から離れ、いつの間にか忘れていたら、海水浴場での事故を知り、やがて老衰で亡くなったというニュースに触れた。しかし、「知の巨人」の老いを具体的に知ったのはつい最近だ。

長女で漫画家のハルノ宵子の『隆明だもの』を読んで衝撃を受けた。以来、晩年の吉本隆明の著書、インタビュー・対談本を集中して読んでいる。

まずは『生涯現役』『日々を味わう贅沢』『吉本隆明「食」を語る』『老いの流儀』『子供はぜーんぶわかってる』『なぜ、猫とつきあうのか』を図書館から借りて読んだ=写真。

先日はまた、『開店休業』『震災後のことば』『日本語のゆくえ』『「すべてを引き受ける」という思想』を借りた。

インタビューや対談の相手を務めたのは、「知の巨人」の影響を受けた若い編集者や作家、学者などだ。

ここではその中の1冊、作家宇田川悟(1947~2024年)が聞き手を務めた『吉本隆明「食」を語る』を取り上げる。

なかで宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」に出てくる「一日ニ玄米四合」を食べる話が印象に残った。

聞き手が言う。「賢治はベジタリアンというイメージが強い」が、「『雨ニモ負ケズ』の詩にある一日に玄米四合を食べていたというのは、考えてみれば大食漢ですね」。

これに対する答えは肯定的な推量だ。「大食漢」なのは「畑仕事に慣れていないのに」それをやった。「だからお腹が空く生活をしていたんでしょう」

さらに聞き手がたたみかける。賢治は「意外に西洋かぶれですね。白麻の背広を着てソフト帽をかぶったり、自作のネクタイをしめたり、ワインも自分で造っていたそうですから」。

いやあ、賢治像が一変する指摘だ。が、賢治はほんとうに大食感だったのか。「玄米4合」はご飯にしてどのくらいの量なのか。

鵜(う)呑みにはできないので、今、わが家で食べている「白米」から「玄米4合」を推量してみた。

わが家では1回に白米2合をたく。夫婦で朝に食べ、昼は麺かサンドイッチ、夜はカミサンだけご飯、次の日の朝も残りのご飯を食べる。1回1杯の軽い老人食として計算すると5杯、「白米4合」だと10杯にはなる。

働き盛りの20~30代なら大盛りでもいけるから、「一日ニ玄米四合」というのは「普通ではないかな」とカミサン。

おかずの少ない時代、賢治だけでなく、みんなそのくらいは口にした? 「でも玄米だし」。味はちょっと、ということらしい。

2026年4月27日月曜日

旬と瞬間

                                        
 今の時期、毎朝、庭で歯磨きをする。もう何度も書いているが、理由は2つ。地面に目を凝らしてミョウガタケとヤブガラシの新芽を確かめる。

 ミョウガタケは15センチほどに生長するのを待つ。ヤブガラシは生えたばかりの赤芽と、それより少し育って緑の葉を広げ始めた新芽を摘む。

 ヤブガラシはつる性植物で、そばの生け垣(マサキ)に絡み付いて本体の光合成を妨げる。マサキを守るために毎朝、芽をむしる。

 ミョウガタケは春を告げる食材のひとつだ。山野へ行かずとも自宅の庭で、いながらにして野の味を楽しめる。

 先日(4月21日)、がまんできずに10センチを超えたミョウガタケを3本カットし、刻んで味噌汁に散らした。

 うーん、である。ミョウガの香りはするのだが、まだ淡い。そして、やわらかい。歯ごたえもほとんどない。

 カミサンは「もうちょっと大きくなってからでないと」という。やはり、採るのが早すぎたか。

 そこから「旬」、あるいは「瞬間」という言葉が気になり始め、ネットでAIに聞いたり、漢和辞典で語源を探ったりした。

 まずは辞典から。旬は「勹(ほう)」と「日」の合字で、「10日」をいう、とある。勹は「包」で「ひとまわり」のことだそうだ。

 古代中国では一から十までをひとまわり、これに日を加えて10日の意味とした。音は「じゅん」だが、日本では濁らずに「しゅん」と読む。

 AIはこれを踏まえてさらにいう。10日間をひとつの単位として、上旬・中旬・下旬がある。1カ月30日の分け方で、こちらの読み方は「じゅん」である。

 それから転じて旬は「もっともよい味の時期」を意味するものになった。その時期は字からして10日ほどと見るべきなのだろう。そして、これにも「走り・盛り・名残」がある。

 この意味からいうと、味噌汁に散らしたミョウガタケはまだ走りにもならなかっようだ。わが家の庭の走りば4月25日あたり、そして盛りはそのあとか。

 というわけで、日曜日の朝(26日)にカット=写真=したのを、すぐ味噌汁に散らした。今度はそれなりに香りと歯ごたえがあった。

瞬間もまた「しゅん」で、同じ読みの旬と関係があるのかどうか。関係を裏付けるものはなかった。単に読み方が同じというだけらしい。意味としては、「瞬」は「またたき」。瞬間は「またたくひま」だ。

AI回答がおもしろい。「旬は食における瞬間の美学」だとか。食の現場では「旬の食材を最も輝く瞬間に食べる」という表現で、両者(旬と瞬間)の意味が融合して使われる――。無理やりくっつけて、ポエジーっぽく伝えていないでもないが、なるほど、である。

辛み大根のつぼみを摘んで食べた話を前に書いた。味がはっきりしなかった。あらかた開花後だったので、旬でも盛りを過ぎていたのかもしれない。

花の前につぼみを収穫すべきだったのだ。という意味では、食べごろの瞬間を見逃した。

2026年4月25日土曜日

春の猫の夢

                                
   変な夢を見た。動物園ならぬ「猫園」があって、私とどこかの子どもがほぼ同時に入場する。そのわきを「ジェジェ」という名の猫が追い越していく。

 子どもが「ジェジェ」と叫ぶ。私はそれを「ジジ」と聞き間違えて、「なにを!」といった顔つきになって子どもをにらみつける。

 それから場面は園内のカフェに変わり、子どもが休んでいるのを見て、私がマスターに頼んで子どもにアイスクリームか何か、甘いものをふるまう。それで子どもも打ち解け、先ほどまで続いていたわだかまりが消える。

 なぜ猫の動物園か、なぜ猫の名前が「ジェジェ」で、私と子どもの2人だけなのか――むろん夢の中の話だからわからない。ただ最近、猫がらみの出来事が2つあった。

 1つは夏井川渓谷にある隠居からの帰り、あるところで停車したら、ちょうどそばの家の猫がガラス戸のカーテンのすき間から顔を出した。タイミングのよさに表情が緩んだ。

 もう1つは詩人・思想家吉本隆明が猫好きだったこと。猫に関する本も出している。難解な思想と普通のペット愛が同居していることに驚いた。

私が最近読んだ吉本隆明の猫の本は『フランシス子へ』と「なぜ、猫とつきあうのか」だ。

フランシス子は次女(吉本ばなな)がつけた猫の名前である。詩人は亡くなる直前、最愛の猫だったこのフランシス子を主題に、インタビューに応じた。

「猫さんと仲良しになるのにいちばんいい方法っていうのは自分も猫になればいいんです。『猫を飼っている』という感じじゃなくて、自分も猫化して、猫さんとおんなじになっちゃえばいい」

「僕の猫とのつきあいかた、かわいがりかたっていうのは、もとをたどれば、親父の直伝なんです」

それで、「子どものころから数えきれないほどの猫とつきあってきました」。が、始終一緒にいるのはフランシス子が初めてだった。

『なぜ、猫とつきあうのか』もインタビュー集である。猫は死ぬときは姿を隠す――と思い込んでいたが、猫も進化するのか、「ちゃんと箱のなかでおとなしく死ぬっていうの初めて体験した」というくだりには蒙が啓(ひら)かれた。

ここまで徹底するのが「知の巨人」と言われるゆえんでもあるのだろうと、いささかあきれていたら、詩人の最後の食エッセー『開店休業』にも猫の話が出てくる。

「猫の缶詰」と「猫との日々」で、前者では猫の「フランちゃん」(フランシス子)の長寿の理由を語り、後者では「絶えず入れ替わりで家に入り込んでくる野良猫も、最近は猫用の缶詰などを食べ、私などよりも栄養価が上昇して、結構でっぷりとした体格になって愉しそうだ」とつづる。

ここで初めて、猫の話が身近になった。わが家の縁側を寝床にしている地域猫のゴンも、最近、ぶくぶく太ってきた=写真。

キャットフードの量を少し控えめにしないといけないのではないか。猫かわいがりは肥満症を招いて、かえって猫を苦しめる。そんなことに思いが至った。

2026年4月24日金曜日

室温18度

                                 
 家の中にいて「寒い」と感じる温度は決まっている。温度計を見ると18度以下、15度とか14度になっている。

 1日の気温は未明に最も低くなり、その後、上昇に転じて正午~午後2時ごろにピークを迎え、日没とともにまた下がる。

 真夜中にいったん起きてブログをアップする。室温18~17度だと寒さは感じない。

それからまた寝て、早朝の4~5時ごろにふとんを抜け出す。この時期(4月下旬)、室温は15度を割っていることがある。これだとストーブなしではちょっと寒い。

夕方や夜も同じで、18度を割り込むと首筋がスース―する。ストーブをつけないと体が冷える。室温18度が目安といっていい。

それと、この温度を意識するようになったワケがもうひとつある。米屋をやっていたとき、茶の間にいても来客がわかるように、店の入り口にセンサーを設置した。

店の一角に地域図書館とフェアトレード商品のコーナーがある。カミサンの友達などが訪れるので、毎朝、店の戸を開けるときにセンサーのスイッチを入れる。

 すると、冬場は客もいないのに、しばらく「ピンポーン、ピンポーン」と鳴り続ける。それが春になって、日によってはスイッチを入れても音なしのときがある。「おや、今朝はあったかいのかな」。温度計を見ると18度前後だ。

 センサー自体が18度以下だと、スイッチが入って熱を持つまで「ピンポーン、ピンポーン」を繰り返すらしい。

詳しい仕組みはわからない。が、ピンポーンの鳴る・鳴らないから、そんなことを考えた

 WHO(世界保健機構)が2018年、住まいと健康に関するガイドラインを出した。寒い時期の室温は18度以上を基準に、という。理想は21度以上だとか。

 この推奨温度は体感温度からも納得できる。後期高齢者が寒さを感じない室温は18度だし、ストーブ使用の目安にするのもこの室温以下のときだからだ。

 17度はともかく、16度あるいは15度以下だと石油ストーブをつける。つけないと寒くていられない。

WHOの冬の推奨温度を知ったのは、実は最近だ。灯油は節約したいが、寒いのも困る。ホルムズ海峡が封鎖されて以来、早く初夏がこないものかと案じていたところに、室温18度がわが家のスト―ブ使用のラインとして体感的にわかった。そのなかでWHOの勧告にたどりついたという次第。

きのう(4月23日)は朝5時過ぎに起きた。室温は16.8度=写真。空は曇っていた。放射冷却がなかった分、冷え込みが弱かったのだろう。

7時過ぎには17度を超えた。ストーブはつけなかった。毛糸の帽子と上っ張り、ハンドウォーマーで十分だった。8時になると18度に達した。もう大丈夫。ストーブなしで過ごした。

灯油缶はあと1缶(18リットル)。これを節約しながら使い切ったころ、初夏になるといいのだが……。

2026年4月23日木曜日

渓谷まで35分

                              
 平のわが家から夏井川渓谷の隠居までは車で30~40分だ。ルートは田んぼ道と、交通量の少ない県道小野四倉線(途中までは国道399号とかぶる)なので、自然と「ゆっくり運転」になる。

 急げば30分くらいだろうか。渓谷に入るとカーブが連続する。ゆっくり運転でも、カーブの向こうからひょいと車が現れることがある。いつでもブレーキを踏めるように、抑え気味にして進む。

 おもしろいことに、今の時期は日曜日ごとに春の装いが濃くなる。自然の変化を図る目安がある。日曜日だけの渓谷行なので、年・月・週の3つが主な目安だ。

渓谷のアカヤシオ(岩ツツジ)の花は「1年前」との比較であれこれ思いが巡る。

平地の三島(小川)の夏井川に残留したコハクチョウも、「白鳥おばさん」がいう「エリー」に違いない。

これも1年前の様子を思い浮かべながら、孤独なハクチョウになったつもりで気持ちを推し測る。

「1カ月前」では、まだ畑の土が凍っていたとか、ウグイスが初めてさえずったとかの話が思い浮かぶ。

目に見えて変化がわかるのは「1週間前」だ。要は日曜日ごとに渓谷の表情が変わる。

アカヤシオの花が満開になった1週間後、渓谷の県道はうっすら緑のトンネルに変わっていた=写真上1。

アカヤシオの花の感動のあとに、夏緑樹の芽吹きの色が広がる。この春の芽吹きを見ると心が安らぐ。

渓谷のふもと、小川の平地のどん詰まりに加路川がある。「裏二ツ箭」の方から流れて来て、そこで本流の夏井川に合流する。

合流部のそばの県道に橋が架かる。橋のすぐ上流にはJRの磐越東線の鉄橋がある。その間ざっと30メートルだろうか。

県道の橋の上流側に、なぜかはわからないがバナナより大きな葉を広げる巨大な草本が生えている。バショウらしい。

ワジュロは、ヒヨドリなどの野鳥が媒介者になって種を散布する。そんな野鳥由来と思われるワジュロが、あちこちの民家の庭に生えている。

しかし、バショウは野鳥由来とは思えない。だれかが植えたのだろうか。とにかくでかい。

その葉が晩秋には枯れ、冬の間、ボロボロの枯れ草色になっていた。これが、春を迎えて枯れ葉の間に新しい緑の葉をのぞかせ始めた=写真上2。

こちらは冬から春の1季節前、そして3月との比較でいえば1カ月前、あるいは急に緑が現れたという点では1週間前との比較で違いがわかった。

自然は絶えず生成・変移を続けている。その変化があるからこそ、35分のドライブもあきることがない。次は渓谷のシロヤシオだ。

2026年4月22日水曜日

辛み大根のつぼみ

                              
 4月も後半。下旬を残すばかりとなった19日、日曜日。夏井川渓谷の隠居に着くと、すぐ庭を巡った。

 対岸の山からアカヤシオ(岩ツツジ)の花が消え、庭のシダレザクラも花は残っているがピークを過ぎた。

 まずはシダレザクラの樹下、次いで周囲の地面に目を凝らす。垂れた枝から1メートル以上離れたところに、柄を含めて8センチ強に生長したアミガサタケが1個生えていた。

 アミガサタケは、5年前には20個も採れたが、最近はほんの数個、それも樹下ではなく、垂れた枝から先の地面に出るだけだ。

 今年(2026年)は2回の日曜日と1回の水曜日の3回で計5個を見つけただけだった。

 昼食をとって一休みしたあとは、首からカメラを提げてまた庭を巡った。虫でも、花でもいい。ヤマの庭には、マチでは見かけない小さな動植物がいる。それらを記録しておく。

 小菜園の一角に辛み大根がある。一斉に花茎を伸ばしたと思ったら、もう花盛りだ=写真。

 花を見ているうちに思い出した。花を食べた。いや、正確にはつぼみを食べた。開花後にできるさやも食べた。要は「見る」だけでなく、「食べる」記憶もよみがえってきたのだ。

すぐ隠居からレジ袋と剪定ばさみを持ち出し、まだつぼみの残る花茎を切って袋に詰める。

 あとで自分のブログに当たると、初めてつぼみを収穫して食べたのは令和2(2020)年だった。

そのとき。湯通ししたあと、たまたまつくっておいたさんしょう味噌をからめて食べた。舌先がほのかにヒリヒリした。さわやかな辛みだった。

以来、4月になるとこのつぼみを回収して晩酌のつまみにする。今年(2026年)もさっそく湯通しをして、この日手に入れたばかりのゆず味噌をまぶして食べた。

辛いというよりは、ほのかな苦味があった。いわゆるデトックス。これはこれで春の土の味にはちがいない。

デトックスとは体内の老廃物、あるいは毒素を排出することで、苦みにはこの効果がある。さらに、フキノトウなどの香りにはストレスを解消する働きがある。

 開花後にできるさやは「さや大根」という。辛み大根ではイメージしにくいが、キヌサヤエンドウは花が咲いたあとの若いさやを食べる。食べ方はそれと同じである。

たまたま落下したさやをそのままにしておいたら、月遅れ盆のあとにちゃんと発芽した。それで、辛み大根は不耕起のままにして、ほとんど手をかけない。

 とにかく自然に増える。真冬、肥大した根を合計15本ほど収穫して、おろしにして食べた。さすがに辛かった。が、このために辛み大根をつくっているようなものだ。

そのうえで最近は、春はつぼみ、初夏はさや大根を楽しむ。摘んでも摘んでも秋には生えてくる。

「つくる」というのはおこがましい。辛み大根はもはや山菜といってもいいくらいに貴重な食材だ。

2026年4月21日火曜日

容器プラだらけ

                                            
   ホルムズ海峡の「封鎖」だ、「逆封鎖」だなどとだれかが言ってニュースになる。そのつど庶民の暮らしが翻弄される。

アメリカとイスラエルが仕掛けたイラン戦争で原油が高騰し、ガソリンや灯油のみならず、石油由来の製品の高騰・不足を招いている。少なくとも、そうなるのではないかという不安が広がっている。

その一つが「容プラ」(容器包装プラスチック)だ。わが家では台所にごみ袋を2つ用意し、家から出る燃やすごみと容プラを分けている。

燃やすごみは週に2回、容プラは1回、収集車が来て回収する。容プラはさまざまなものに使われている。それもあってごみ袋はすぐいっぱいになる=写真。市の細かい定めを読むだけでも、家庭にはいかに容プラがあふれているかがわかる。

各種トレイ、コンビニ弁当の容器、ゼリーやプリンのカップ、薬のシート、外装フィルム、レジ袋、ペットボトルのラベル、菓子袋、シャンプーやチューブ、食用油・調味料などの容器のほか、発泡スチロール梱包材、ネット、緩衝材も該当する。

さらに近年は「製プラ」(製品プラスチック)のボールとバケツも併せて回収するようになった。

 現在のごみ出しルールの原形ができたのはざっと45年前。「ごみ戦争」宣言に始まり、有識者らによる協議会の提言、モデル地区の選定、事前の住民説明会を経て、新ルールに切り替わった。

容プラの回収は平成14(2002)年に始まった。当初は2週間に1回だったが、あまりの量の多さに、5年後には週1回に切り替わった。想定を超える容プラが家庭に浸透していたのである。

 3月18日付の拙ブログにこんなことを書いた。アメリカとイスラエルのイラン空爆がホルムズ海峡封鎖を招き、原油が急騰した。するとたちまち、ガソリンと灯油が高騰した。

いやでも思い出すのは昭和48(1973)年の「オイルショック」である。オイルショックを機に、いわきがどうなったか。市民の生活、企業の活動に大きな影響が出た。今回もまた混乱が続くのではないか。

 庶民としては、海を漂流するマイクロプラスチックを少しでも減らすために、容プラ・製プラを野外に放置しない、空き袋などを見つけたら回収する、といったことを心がけてはいるが、今回はさらにもう一つ、これらの高騰・不足が懸念される事態になった。

 消費生活の現場だけではない。建材をはじめ、さまざまな業種に海峡封鎖の影響が及ぶ。

 刺し身でいえば、行きつけの店があったときにはマイ皿を持って行った。容プラのトレイがそれで1つは減る。閉店した今はマイ皿を持って行く魚屋が決まらない。

刺し身のトレイはほんの一例だが、戦争は当事国だけでなく、地球上すべての庶民の暮らしを直撃する。

戦争の悪影響をどこかの指導者はわかっているのだろうか。そこに思いが至らないとすれば、そのこと自体が心配になる。