今の時期、毎朝、庭で歯磨きをする。もう何度も書いているが、理由は2つ。地面に目を凝らしてミョウガタケとヤブガラシの新芽を確かめる。
ミョウガタケは15センチほどに生長するのを待つ。ヤブガラシは生えたばかりの赤芽と、それより少し育って緑の葉を広げ始めた新芽を摘む。
ヤブガラシはつる性植物で、そばの生け垣(マサキ)に絡み付いて本体の光合成を妨げる。マサキを守るために毎朝、芽をむしる。
ミョウガタケは春を告げる食材のひとつだ。山野へ行かずとも自宅の庭で、いながらにして野の味を楽しめる。
先日(4月21日)、がまんできずに10センチを超えたミョウガタケを3本カットし、刻んで味噌汁に散らした。
うーん、である。ミョウガの香りはするのだが、まだ淡い。そして、やわらかい。歯ごたえもほとんどない。
カミサンは「もうちょっと大きくなってからでないと」という。やはり、採るのが早すぎたか。
そこから「旬」、あるいは「瞬間」という言葉が気になり始め、ネットでAIに聞いたり、漢和辞典で語源を探ったりした。
まずは辞典から。旬は「勹(ほう)」と「日」の合字で、「10日」をいう、とある。勹は「包」で「ひとまわり」のことだそうだ。
古代中国では一から十までをひとまわり、これに日を加えて10日の意味とした。読みは「じゅん」だが、日本では濁らずに「しゅん」という。
AIはこれを踏まえてさらにいう。10日間をひとつの単位として、上旬・中旬・下旬がある。1カ月30日の分け方で、こちらの読み方は「じゅん」である。
それから転じて旬は「もっともよい味の時期」を意味するものになった。つまり、その時期は10日ほどで、これにも「走り・盛り・名残」がある。
この意味からいうと、味噌汁に散らしたミョウガタケはまだ走りにもならなかったか。とすればその3~4日後、4月25日あたりが走りになる。盛りはそのあと。
というわけで、日曜日の朝(26日)にカット=写真=したのを、すぐ味噌汁に散らした。今度はそれなりに香りと歯ごたえがあった。ミョウガタケの「走り」だろう。
瞬間もまた「しゅん」で、同じ読みの旬と関係があるのかどうか。関係を裏付けるものはなかった。単に読み方が同じというだけらしい。意味としては、「瞬」は「またたき」。瞬間は「またたくひま」だ。
AI回答がおもしろい。「旬は食における瞬間の美学」だとか。食の現場では「旬の食材を最も輝く瞬間に食べる」という表現で、両者(旬と瞬間)の意味が融合して使われる――。無理やりくっつけて、ポエジーっぽく伝えていないでもないが、なるほど、である。
辛み大根のつぼみを摘んで食べた話を前に書いた。味がはっきりしなかった。あらかた開花後だったので、旬でも盛りを過ぎていたのかもしれない。
花の前につぼみを収穫すべきだったのだ。という意味では、食べごろの瞬間を見逃した。