2009年8月9日日曜日

いわきおどり余話


ようやくセミの鳴き声がかまびすしくなってきた。とはいえ、いまひとつ迫力に欠ける。アブラゼミが飛んだなと見るや、ふわふわ力なく白い塀の陰に消えた。時折、雨がぱらつく梅雨空では元気が出ないのか、止まろうとした柱から単に滑り落ちたのか、セミは垂直ではなく水平に止まっていた=写真。珍しい姿だ。

きのう(8月8日)は平七夕まつりの最終日。いわき市内各地で展開されてきた「いわきおどり」の最後を飾る「いわきおどり大会」もいわき駅前大通りで開かれた。今年は七夕も、いわきおどり大会もチラリと見ただけに終わった。

夜8時過ぎ、カミサンの友人の家に出かけた。「いわきおどり大会」(3部)に出場した病院のチームが広い芝生の庭で打ち上げパーティーをやっていた。その数ざっと8、90人。若者が多い。踊って汗をかいた一体感、高揚感に加え、アルコールと食べ物で口を喜ばせた満足感、開放感が“テント村“を支配していた。

すきっ腹だったので、テーブルにある物を遠慮なく食べた。カミサンはワインを何度もお代わりした。帰りには缶ビール・お茶・つまみを袋にいっぱい詰めて自宅へのお土産にした。

さて、本題。ある本を読み終わって著者略歴を見たら、「いわきおどり」など作詞、とあった。記憶にない。いわき総合図書館へ出かけて「広報いわき」のつづりをめくる。「いわきおどり」はいわき市制15周年を記念して、昭和56(1981)年に制定された。その年の「広報いわき」6月1日号にこうあった。

「市制15周年を記念して、34万市民だれでも歌って踊れる『いわきおどり』をと、2月1日から3月末日まで全国から109編の応募があり、4月5日の最終審査の結果、入選作品がなく、民踊民舞創作委員会が作詞した上の歌が決定されました。これに曲と踊りをつけ、10月に発表会を開く予定です」

歌は1番「いわき七浜 太平洋を/抱いて 広さは日本一』で始まり、2番「北は仙台 南は東京/関の勿来に舞う 桜」、5番「赤井嶽から夏井の渓谷(たに)へ/呼べば 若さがこだまする」、ラストは12番「揃う手振りに笑顔を添えて/いわき人の輪 踊りの輪」だ。

広報記事はさらに、佳作入選者として5人の氏名と住所を記すが、先の本の著者の名はなかった。応募したことが作詞したことになるのか、それとも創作委員会の一員として作詞を担当したのか。つまり、ゴーストライター。どう評価したらいいか分からない「著者略歴」だった。

「平七夕まつり」「いわきおどり大会」が終われば、すぐ月遅れ盆だ。「じゃんがらの夏」である。カミサンの友人の家を訪ねたのも、一つには発売されたばかりの「じゃんがら念仏踊り」のCDを届けるためだった。

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