通るたびにチラッと見上げる建物がある。何軒か並んで「レトロモダン」な雰囲気を醸し出している。
そこはいわき市の中心市街地、いわき駅前のラトブ西側・銀座通り。建物はそのままでも、昔からの商店は減り、飲食店が増えた。
北側の「仲田町通り」と南側の「新田町通り」の間にその建物がある。それが「看板建築」なのかどうかはわからない。が、建物のファサード(正面)を見る限り、3階建ての造りになっている。
窓の配置や周りのデザインがおもしろくて、通るたびに眺める。だれがデザインし、だれが建築を請け負ったのだろう。
水戸市の常陽藝文センターから毎月、「常陽藝文」が届く。唯一の定期購読誌だ。2025年9月号は、茨城県石岡市の「看板建築」を特集している=写真。それからの連想で銀座通りのレトロモダンな建物のファサードを思い出した。
特集記事からの抜粋――。石岡には戦前に建てられたレトロな看板建築が多く残る。そのなかで6件が登録文化財に指定された。
2017(平成29)年には全国で初めて、同市で「全国看板建築サミット」が開かれたという。
1929(昭和4)年3月14日の夜、通りで火災が発生し、折からの強風にあおられて市街の4分の1が焼失した。その後、通りは看板建築群が並ぶ街並みに一新した。
建築史家・堀勇良氏が提案し、建築家・建築史家の藤森照信氏が日本建築学会で発表した看板建築の「定義」が紹介されている。三つある。
一つは、大正から昭和初期に造られた木造の商店・民家、あるいは双方を併せ持つ店舗用住宅。
二つ目は、街路に面したファサードを銅板、モルタル、タイルなどの不燃材料で被覆している。ただし、建物の四囲を被覆したものは含まない。
三つ目がファサードのデザインで、擬洋風商店建築の流れをくむ西洋建築風のもの。あるいは江戸小紋などの伝統的な文様を取り入れたもの。
1945(昭和20)年の終戦直前、旧平市街は西部地区、一小校舎、駅前地区と3回、空襲に見舞われた。
その意味では、銀座通りの建物群は戦前のものではない、古くても戦後に造られたことになる。
しかし、レトロモダンの趣が色濃いファサードの建物は、どこか石岡の看板建築群と通じるものがある。
3軒に分割されているファサードの建物は、鳥の目(グーグルアース)では、どうも屋根が一つのようにしか見えない。
看板建築とはいえないかもしれないが、その流れを受け継ぐものとみなすことはできるだろう。
いずれにしても大工・左官・石工といった職人技、これがなければ看板建築はありえなかった。それは確かなようだ。
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