このところ連日のように熊のニュースが流れる。山で熊に襲われた。熊が住宅地に現れ、生ごみをあさった。家の中にまで入って来た。
北海道のヒグマにとどまらない。本州のツキノワグマもまた人間の領域に、ひんぱんに出没する。
いわきでも8月29日、田人町の休耕畑で熊とみられる足跡が発見され、警察が注意を呼びかけた。
9月5日には平田村に隣接する上三坂(三和町)で目撃情報が寄せられたと、防災メールが告げていた。
図書館の新着図書コーナーに、ナスターシャ・マルタン/高野優訳『熊になったわたし――人類学者、シベリアで世界の狭間に生きる』(紀伊國屋書店、2025年)があった=写真。
本の見返しに張られた帯には「熊に顔をかじられ九死に一生を得た人類学者の変容と再生の軌跡を追ったノンフィクション」と書かれてある。
「変容」とは傷を受けた顔の「変貌」のことではあるまい。精神的な「変化」のことだろう。「再生」はそれを踏まえたうえでの「現場復帰」のことにちがいない。
熊と遭遇した場所は、人類学者としてフィールドワーク(民族誌学の調査研究)を行っていた、ロシアのカムチャツカ半島だ。
今年(2025年)の7月30日朝、カムチャツカ半島沖で巨大地震が発生し、津波警報が発表された。その半島での出来事だ。
地震がおきた場所からは北方の火山と氷河の山中、西の海岸部へ流れ出るイチャ川の流域がその現場らしい。
「解説」の力を借りて熊に出合うまでの経緯を頭に入れる。著者はフランス人で、カムチャツカ半島に住む先住民族のエヴェン人の集落に入ってフィールドワークを続けていた。
次第に打ち解け、冗談を言い合うような仲になる。そこで先住民族が驚愕するような事件が起きる。
エヴェンの人たちは狩猟を生業にしており、シベリアのほかの民族同様、動物の中では熊(ヒグマだろう)を特別な存在とみなしている。
なかでも、熊に襲われて生還した人間は「ミエトゥカ」と呼ばれる。エヴェン語で「熊に印をつけられた者」という意味だそうだ。半分人間で半分熊。これがこの本の核心部分だろう。
病院を見舞ったエヴェンの友人が言う。「熊は君を殺したかったわけじゃない。印(しるし)をつけたかったんだよ。今、君はミエトゥカ――二つの世界の狭間で生きる者になったんだ」
やがてフランスに帰って再手術をし、癒えるとまたカムチャツカ半島の土を踏む。その間の心の揺れや家族とのやりとり、現地での様子などが、人類学者としての客観ではなく、「熊になったわたし」の主観でつづられる。
現代文明のただ中で暮らし、イノシシしか視野に入ってこない人間からすると、熊は非日常の存在だが、その熊と人間が濃厚にかかわる世界では、内面にまで熊が入り込むような感覚になるらしい。変容と再生。なかなか理解しがたい心のありようではある。
0 件のコメント:
コメントを投稿