チケットの販売を頼まれたので、何人かにお願いし、私ら夫婦も買って聴きに行った。いわき九条の会・秋の講演会である。
講師は布施祐仁(ゆうじん)さん、49歳。演題は「戦後80年・日本を再び戦場にしないために~戦争の危機と平和憲法を活かす道~」で、歴史的経過とデータに基づいて米国従属の日本の軍拡を批判し、戦争回避の外交努力こそが必要と説いた。
布施さんの名は東日本大震災と原発事故を機に知った。事故1年半後の2012年秋、『ルポ イチエフ――福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)が出版される=写真上1。
いわきを中心に、命がけで事故収束のために奮闘した原発作業員を取材し、劣悪な労働環境と搾取の構造などを明らかにした。
同じころ、門田隆将『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所刊)も読んだ。それを紹介する拙ブログから一部を抜粋する。
――郡山市に陸上自衛隊が駐屯している。駐屯地には消防車が配備されている。3・11の夕刻、原発側からの要請で福島市の駐屯地にある消防車と合わせて2台に出動命令が下った。
翌3月12日朝にはもう、東電の消防車と連結して1号機への注水・冷却活動を始めている。建屋爆発にも遭遇した。
郡山に駐屯している特科連隊は「浜通りはもちろん、福島全体から隊員が集まった“郷土部隊”」だ。
「入れつづけた水が、最後の最後でついに原子炉の暴走を止めた――福島県とその周辺の人々に多大な被害をもたらしながら、現場の愚直なまでの活動が、最後にそれ以上の犠牲が払われることを回避させたのかもしれない」――。
警察や自衛隊だけではない。事故現場の最前線にいた労働者の存在も忘れるわけにはいかない。
布施さんは『ルポ イチエフ』の「あとがき」で、命がけで守ろうと思うほどの郷土愛をうらやましく思ったとつづる。
そして、「『郷土愛』とは、同じ時間を共有しながら育って来た幼なじみや同級生の存在があるからこそ、強く深いものとなる。これも、浜通りの地元出身の原発作業員たちから学んだことだ」。
だからこそというべきか。「故郷とそこにつながるすべてのものを根こそぎ壊された彼らの喪失感と悲しみの深さに、言葉を失った」のだった。
布施さんが外交・安全保障を専門にするジャーナリストだと知ったのはずっとあとだ。
彼の目には、日本はアメリカに従属し、言いなりになって「戦争ができる国づくり」を進めていると映る。核の危機でもある。
講演した内容は『従属の代償――日米軍事一体化の真実』(講談社現代新書)=写真上2=に詳しい。
この本は、チケットを買ってくれたが、講演には行けなかった知人が次に読む。知人は大熊町に自宅がある。しかし、帰還困難区域なので帰れない。原発も、戦争も核の危機をはらんでいるという点では同じなのかもしれない。
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