10月16日は親友の命日だった。その日は朝起きると黙祷して、家で静かに過ごした。
庭の花はと見れば、ホトトギスのつぼみが一輪、赤みを帯びていた=写真。翌日には開花した。数日後には二十数輪になり、翌日には四十数輪と花の数が倍増していた。
親友は、私が地域紙の記者になって初めてできた、取材先の知り合いの一人だった。アフターファイブでも家族ぐるみで付き合った。
5月のタケノコパーティー、7月のホタル狩り。その他もろもろの市民活動……。命日を前に友人との半世紀近い思い出がよみがえった。
親友は去年(2024年)亡くなった。「そろそろ命日だな」。故人を思い出していたころ、共通の友人から電話がかかってきた。「これから近況報告に行く」
生涯現役の見本のような人だ。近況報告とは? いわきでの仕事はこれからも続けるが、生活の拠点を娘一家がいる東京に移すという。
もともと東京出身だから「帰郷」するようなものだろう。要するに、「別れのあいさつ」である。
友人一家もタケノコパーティーやホタル狩りに参加した。時には夫だけで、田町(飲み屋街)で一杯やることもあった。「逝った人」と「行く人」と、寂しさがまた募る。
身内ではカミサンのすぐ下の弟が去年の11月初旬に亡くなった。その一周忌が10月25日、カミサンの実家の菩提寺で行われた。
義弟は、両親が用意したわが家の隣の家に引っ越して来た。カミサンが食事の世話をした。
法事のあとに墓参りをした。墓地は好間の市街と田畑が見渡せる高台にある。北側斜面の防災工事が再開されるとかで、樹林に続いて竹林が伐採されてなくなっていた。
見晴らしがよくなったのはいいが、防風林の跡から砂が強風で飛ばされ、本堂を直撃するようになった。西側と北側の白壁がそれで網点が付いたように汚れていた。
カミサンは、義弟も生前目にしていただろう庭のホトトギスの花を切って持参した。それを墓と実家の仏壇に供えた。
実家に戻れば会食(精進揚げ)である。それまで、テレビでドジャースとブルージェイズのワールドシリーズ第1戦を見た。
といっても2対2のあと、ブルージェイズが大量9点を入れた時点でチャンネルを替えた。その直後、大谷が2ランホームランを打ったことはあとで知った。
精進揚げには魚栄(平)のうな重が出た。これには思わずほおが緩んだ。「生きててよかったね」。そんなことを言いながら味わった。
カミサンの実家(元米屋)では年末、もちをつくって歳暮として配る。もち米をふかす「釜じい」を担当したことがある。そのときの昼食が魚栄のうな重だった。
私たちは人生の日暮れにいる。それは間違いない。しかし、日暮れには日暮れの、夜には夜の楽しみがある。うな重がうまい。星空が面白い。うな重を食べると元気が出て、友人に贈った言葉がよみがえる。「死ぬまで生きなくちゃ」
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