2017年7月21日金曜日

キュウリ尽くし

 庭の柿の木でおととい(7月19日)夜、耳鳴りかと思うほどか細い声でニイニイゼミが鳴いた。ずいぶん遅い初鳴きだ。きのうも午後になって鳴きだした。
 ニイニイゼミが鳴きだすころ、家庭菜園ではキュウリが収穫の最盛期を迎える。採ったり届いたりしたキュウリが台所に山になる。大根ならしばらく置いても糠漬けにできるが、キュウリはそれが効かない。水分が飛んで、中身が綿のようになったキュウリは、漬けてもまずいだけ。で、とりあえず採りたてを糠床に入れるか、キュウリもみにする。

 糠漬けは、基本的には浅漬けだ。夜に漬けたら朝には青みの残るキュウリが食べられる。気温が高い今は漬かりも早い。夫婦2人が一度に食べる量はせいぜい1本半だ。糠床で眠ったままのキュウリが出てくる。

 古漬けはあめ色になる。塩分と酸味が強い。食べるときには水に浸けて塩を抜き、ショウガをおろして醤油をかけて食べる。あめ色でもまだ漬けが浅いキュウリは、パックに入れて冷蔵する。程よい酸味と歯ごたえが、浅漬けとは違った食欲を誘う。

 肥大キュウリが2本も3本も採れたときには、違った調理と食べ方をする。ピーラーで皮をむき、透き通るくらいの小口切りにしてキュウリもみにしたのを、薄くパックに詰めて冷凍・保存する。

 キュウリは、そもそも“固形水”だ。成分の90%以上が水分でできている。それを薄切りにし、塩でもんで凍らせると、シャーベットになる。

 先日の朝、食卓にこの“シャーベットキュウリ”とあめ色の浅漬け、塩出しをした古漬けが出た=写真。シャーベットキュウリは熱いご飯にのせるとすぐ氷が融ける。もう少し塩を利かせたら、うまくご飯にからんだかもしれない。

 昔は、糠床とは別の甕でキュウリの古漬けをつくった。たっぷりの塩と激辛トウガラシを加え、落とし蓋に重しを載せる。しみ出た水分を時折煮沸して戻し、しおれたキュウリを雑菌から守る。1カ月もすれば、ぺちゃんこになったあめ色の保存漬けができた。

 夏井川渓谷の隠居には、今が最盛期のキュウリ1本のほか、夏キュウリの苗2本がある。これからが収穫の本番だ。3日に一回は摘みに行かないと、肥大キュウリだらけになってしまう。そのときにはキュウリもみにするが、梅肉もまぶすと変わったシャーベットキュウリになるかもしれない。今度、ためしてみよう。

2017年7月20日木曜日

霧の海水浴場

 いわき市平の薄磯海水浴場が7年ぶりに再開されたというので、きのう(7月19日)午後、平と鹿島の書店を訪ねた帰りに寄ってみた。 
 このところ、よく濃霧注意報が発表される。行ってみて納得した。塩屋埼灯台をはさんだ豊間と薄磯がうっすら霧に包まれていた。灯台も断崖も見えない。が、県道小名浜四倉線の通行にはまったく支障がなかった。
 
 県道に接続してできた市道南作青井線を利用して海岸部に下りる。昔からの“バス道”にぶつかり、左折して大改造された薄磯に入ると、防災緑地の“丘”が現れる。立て看に従って車を進める。と、その丘の陰にもう一つ道路があった。海側からいうと、砂浜・堤防・駐車場・道路・防災緑地・道路という配置だ。
 
 震災で地盤が沈下し、砂浜が狭くなった。そのうえ、原発事故が起きて、海水浴どころではなくなった。震災前、いわきには10の海水浴場があった。今は9海水浴場だという。照島のサンマリーナがはずれた形になっている。で、震災1年後に勿来、その翌年に四倉、それからさらに4年たって薄磯の海水浴場が再開した。
 
 もう梅雨が明けたのではないかと思わせるような酷暑が続いている。新しい薄磯の光景をこの目に焼きつけたい。海に入るほどの若さも元気もないが、潮風には当たりたい。鹿島ブックセンターからは目と鼻の先だ。急に思い立って、海岸道路へ出た。
 
 海水浴場は霧に視界を遮られていた=写真。平日のせいもあって、その時間(午後2時半ごろ)、海岸にいるのは10人ちょっとだった。海に入っている人はいない(霧のために自分で控えたか、遊泳禁止になったか)。晴れていれば波打ち際で足をぬらしたかったが、堤防から眺めただけで帰ってきた。

2017年7月19日水曜日

ケリがいた

 若いころは、子どもを連れて森や河原、海岸へバードウオッチングに出かけたものだが……。今は、庭にやって来る鳥や、堤防・田んぼのあぜ道・山道などを車で移動しているときに目に飛び込んでくる鳥を、瞬間的に見るだけだ。
 毎晩、野鳥図鑑をながめ、日曜日ごとに鳥を見に野外へ出かけた。その経験から、身近な鳥に関しては鳴き声・色彩・飛んでいる姿・止まっている形(シルエット)で、おおよそ見当がつくようになった。それでも、自信を持ってこれだといえる種類は少ない。まだ見聞きしていない鳥がいっぱいいる。そのひとつが、ケリという名の水辺の鳥。
 
 日曜日(7月16日)昼前、夏井川渓谷の隠居で土いじりをしたあと、朝と同じく帰りに平下平窪の田んぼ道を利用した。青田のなかに一枚、湿って一部水が張られた休耕田がある。そこに脚の長いハトくらいの鳥が休んでいた=写真。通り過ぎようとしたとき、ちらっと視界に入ったので、5メートルほど車をバックして写真を撮った。

 家ですぐ図鑑に当たる。日本鳥類保護連盟の『鳥630図鑑』に似た鳥がいた。ケリの若鳥のようだった。ケリはチドリ目チドリ科、いわゆる「シギチ」(シギ科とチドリ科)の仲間で、留鳥だという。本州の東北~近畿地方の一部の水田や荒れ地で繁殖し、冬には広い水田や河原、干潟などで見られる、とあった。留鳥? 私は、自分の生活圏では見たことがない。

 念のために日本野鳥の会いわき支部の『いわき鳥類目録2015』に当たる。いわきでは留鳥ではなく漂鳥だ。「市内では春先と秋口に数回の確認記録があるだけです」。すると、どこかで巣立った若鳥が放浪中、平窪の休耕田で一休みしていた、ということになるか。
 
 そのどこかのひとつ、「棚倉町で繁殖中の個体に遭遇したことがありました。けたたましく『キリッ、キリッ、キリッ、キリッ』と鳴いて威嚇してきましたが、この鳴き声からケリと名付けられたとも言われています」。中通りから阿武隈の山を越えてやって来たのかもしれない。
 
「数回の確認記録があるだけ」なら、いわきでは希少種、写真的には特ダネではないか、なんて思ったのだが、データを拡大するとピンボケもはなはだしい。でも、今まで見たこともない鳥を見た、という喜びだけは大きかった。

2017年7月18日火曜日

いわきの花街

 平町(現いわき市平)にカフェーやバーが登場するのは、大正時代中期。好景気もあって、遊郭以外に新しい遊興を求める人間が周辺町村から平町に流入した、という。
 土曜日(7月15日)、いわき地域学會の第328回市民講座が市文化センターで開かれた。講師は小宅幸一幹事。「花街の盛衰(1)―明治・大正・昭和の夜を華やかに彩った女性たち」と題し、明治41(1908)年、平町に設置された「貸座敷」(遊郭)の歴史を中心に話した=写真。サブタイトルが珍しく「カストリ雑誌」風だ。

 カフェーやバーといった新商売の話に引かれた。昭和7(1932)年ごろ、欲望を抑えきれない農家の若者の話が新聞記事になった。あとで、小宅さんが紹介した同年8月30日付磐城時報に当たる。

 平町に隣接する平窪村(現いわき平・平窪)は農産物の生産・供給地。農家の青年がリヤカーに野菜を積んで町へ売りに出かけたのはいいが……。

 持ち帰る現金が、野菜の量に比べて少ない。青年は「不景気で売値がめっぽう安い」と言い訳をする。実際には「連夜カフェーで白粉(おしろい)臭いサービスにうつつをぬかし」ていた。「甚(はなはだ)しいのは飲み代(しろ)がはりに胡瓜(きゅうり)、茄子(なす)、南瓜(かぼちゃ)を、カフェーにあづけ、そのカフェーは翌日にその附近に販賣してゐるものさひ(え)あ」った。
 
 同時代のエピソードを思い出した。好間の菊竹山で妻とともに開拓小作農業を営んでいた詩人三野混沌(吉野義也)が、収穫した小麦を町に売りに行く。持ち帰ったカネはわずか40銭。6円40銭で売れたのだが、6円で本(カンディンスキーの芸術論)を買ってしまったのだ。妻のせいは、この一件で経済観念のない夫に愛想をつかす。
 
 小宅さんの話に戻る。新聞記事かどうかは不明だが、昭和8(1933)年、平警察署は風紀取り締まりのために特別警察隊「新撰組」を結成した。目に余る事態に業を煮やしたのだろうが、特別チームが「新撰組」とは――。
 
 ついでに、小名浜の話を。小名浜には公認の「貸座席」はなかった。カフェーは昭和3(1928)年5月、中島南裏通りにオープンした「カスケード」が第一号だったとか。場所はどこなのだろう、「○×ランド」があるあたりか。

2017年7月17日月曜日

ヤマユリ街道

 期待していた以上だった。平地から急坂を駆け上がり、夏井川渓谷に入ると、ガケの中腹にヤマユリの白い花が咲いていた。それからは点々と、谷側のガードレールのそば、山側のガケの中腹から、白く大きな花=写真=や蕾が目に飛び込んできた。
 きのう(7月16日)、日曜日朝のことだ。1週間前の日曜日には影も形もなかったのが、月曜日以降、次々と蕾を膨らませ、花を咲かせたのだろう。たまたま家を出るとき、カミサンにつぶやいた。「ヤマユリが咲いているかもしれない」。大当たりだった。「ヤマユリ街道だね」。車の助手席から感嘆の声がもれた。

 同じ阿武隈高地でも標高の高い田村市の山里では、ヤマユリの開花がちょっと遅れる。夏休みの始まりとほぼ一緒だ。子どもにとっては、ヤマユリは「夏休みを告げるうれしい花」だ。青空と入道雲に雑木林の道端に咲くヤマユリの花と香りを重ねると、梅雨が明けて真夏がきた、というイメージが広がる。

 渓谷からひとつ山をはさんだ北側に「ヤマユリ分校」があった。小川小・中の戸渡(とわだ)分校で、昭和34(1959)年、同36年、分校生が皇居に地元のヤマユリの球根を寄贈すると、お礼に皇太子夫妻(現天皇・皇后)から『新美南吉童話全集』(全3巻)とメタセコイアの苗木が贈られた。

 分校はやがて廃校になり、建物は「戸渡リターンプロジェクト」の拠点として再利用された。プロジェクト活動の「前進と反発、逡巡と停滞が繰り返され」る(いわき地域学會発行『いわきの地誌』)なか、旧来住民世帯が減り、震災・原発事故が追い打ちをかける。戸渡は「追い出された集落」になった。

 ヤマユリの花が咲くと――。「夏休み」「ヤマユリ分校」を連想したが、これからは「ヤマユリ街道」を加えよう。

2017年7月16日日曜日

イノシシと新ジャガ

 夏井川渓谷の小集落・牛小川――。「K君の畑のジャガイモがやられた」。マチで会った牛小川の住人が言う。“犯人”はイノシシだ。わが隠居でも、下の庭のヨシ原がほじくり返されただけだったのが、7月に入ると上の庭でミミズを探すようになった。菜園の角に大きな穴ができていた=写真。
 Kさんの畑、といってもジャガイモを栽培しているのは、マチに住むKさんの姉さんだという。Kさんはマチの職場に通っていて、野菜の世話をする時間がない。お姉さんが来て残りのジャガイモを収穫した、ということだった。イノシシと人間とで収穫を分け合う結果になった。

 わが隠居の庭はさいわい、これまで“実害”はない。9年前の2008年6月下旬、イノシシが菜園わきの土手を激しくほじくり返した。草刈りがしなくても済むほどのトラ刈り状態になった。その荒々しさに驚いた。それが今までの最大の“被害”。そのとき、近所の様子を見に行ったら、山側のジャガイモ畑に新しくネットが張られてあった。数日前にイノシシが出た、ということだった。
 
 不思議でならない。イノシシの嗅覚が鋭いことは承知している。が、極端な話、「あした、ジャガイモを掘ろうかな」という段になって、イノシシに先を越される。9年前も、今年(2017年)もそうだった。イノシシは体内に、新ジャガがどこにあって、いつごろ行ったら食べられるか、がわかる“センサー”を備えているのだろうか。
 
 わが菜園にあるのは、枯れてさやをもった辛み大根、三春ネギ、トウガラシ、ナス、キュウリだけ。イノシシの好物ではないのか、今のところ順調に育っている。隣の集落にある友人宅ではいろいろ被害に遭っているらしい。「イノシシはヤマユリの根っこを食べんだよ」。昔、仲良くなった牛小川のオバサンに言われたことがある。それもやられたと前に言っていたような……。
 
 そのヤマユリが咲き始めているかもしれない。これから肥大キュウリを摘みに隠居へ行く。ついでに、ヤマユリの花が咲いていれば写真に撮る。

2017年7月15日土曜日

「ナミノハナください」

 夕方、店番をしていると――。近所の農家の奥さんが「ナミノハナ(波の花)を買いに」と言いながら入って来た。思わず反応する、「しばらくぶりに『ナミノハナ』の言葉を聞きましたよ」。「午後になったから」、奥さんが当然のことのように応じた。
 小さいころ、母や祖母が口を酸っぱくして言ったものだ。夕方、食塩=写真=を買いに行くとき、「『ナミノハナをください』って言うんだぞ」と。なぜ「ナミノハナ」なのかは、説明がない。ただ、言われたとおりに店の人に告げて、食塩を買って帰った。記憶に残る「はじめてのおつかい」のひとコマだ。
 
 奥さんは私と同年代かちょっと上くらいだろう。やはり、小さいころ、親から使いに出されるたびに「ナミノハナって言うんだぞ」と教えられたにちがいない。結婚して台所をまかされ、息子一家と同居する今も、午後は「シオ(塩)」ではなく「ナミノハナ」と言わないと落ち着かないらしい。
 
「ナミノハナ」、漢字で書けば「波の花」は宮中に仕える女房詞(ことば)のひとつだったとか。庶民の間では、「夜は塩を買いに行ってはいけない」といったタブーがあった。「塩ください」が「死をください」に通じるというわけで、不吉を避ける意味でも、午後は「ナミノハナ」と言い換えるようになったようだ。一日のなかに昼と夜、つまり生と死がある――そんな日本人の心意の反映だろうか。

 昭和30~40年代、日本は右肩上がりの高度経済成長時代が続いた。そこへ突入する直前まで、子どもたち(私ら団塊の世代)は毎日のように買い物に行かされた。大量生産・大量消費・大量廃棄に踊らされる前の、量り売り・切り売り中心の時代、一升瓶を持って父親が飲む焼酎を買いに酒屋へ、鍋を持って豆腐屋へ……。もしかしたら、私らが最後の「ナミノハナ」世代だったか。

 さて、きょう(7月15日)は、いわきの3海水浴場(勿来・薄磯・四倉)で海開きが行われる。薄磯は震災後初めて、7年ぶりの海水浴再開だ。なぎさにはカラフルな「波の花」が咲くことだろう。