2017年5月30日火曜日

「地球は四角い」

 朝日新聞で作家の多和田葉子さんの随筆「ベルリン通信」が始まった=写真。
 東京からベルリンへ戻り、空港でタクシーに乗る。若い運転手は珍しくドイツ人だった。日本からの客だと知ると、運転手が話しかけてきた――というところから文章が始まる。

「福島の原発事故って本当は起こらなかったんですよね」「あれは事故に見せかけてイスラエルが秘密兵器の実験を行ったんですよね」。それだけではない。「広島に落ちたのも本当は原爆じゃなくて普通の爆弾だったんですよね」。多和田さんならずとも、のけぞった。インターネットに書いてあったという。

 多和田さんは危機感を募らせる。「今ドイツ社会がゆらいでいるのは、難民をうけいれたからでもテロ事件が起こったからでもない。保守も革新も同意していた歴史の輪郭が次の世代に伝わりにくくなってきたからだ」
 
 インターネットにはファクト(事実)もフェイク(虚実)も同列で存在する。ネットの海をさまよっているうちに、虚構を虚構としてではなく、ほんとうのこととして受け入れる、つまりは原発事故も原爆投下もなかったと信じ込む人間が現れた、ということなのだろう。

 震災後、シャプラニール=市民による海外協力の会がいわきに交流スペース「ぶらっと」を開設した。そこで、今もつきあいのある人々と知り合った。フランス人の写真家デルフィンもその一人だ。震災2年目の暮れ、デルフィンがベルリンの多和田さんの自宅を訪ね、それが縁で多和田さんが福島を訪れた。

「2013年夏、Dさんがいわき市に住むTさんを紹介してくれて、その方の案内で(中略)たくさんの方々から貴重なお話を聞かせていただき、感謝の念でいっぱいだった」(講談社PR誌「本」2014年11月号)。福島に足を運んだ結果、「『献灯使』という自分でも意外な作品ができあがった」。
 
 いわきで二度、多和田さんにお会いした。会食の席に呼ばれた。比喩が独特だった。以来、多和田さんの文章をじっくり読むようにしている。「ベルリン通信」では、タクシーを降りるときの、いわば「捨てぜりふ」が痛快だった。

 歴史の輪郭、つまりは人類全体の記憶が溶解したような若い運転手にいう。「ところで地球が本当は四角いってご存じでしたか? インターネットに書いてありましたよ」。しかし、運転手には皮肉は通じなかったようだ。

2017年5月29日月曜日

イノシシの破壊力

 夏井川渓谷はどこを見ても緑、緑、緑。季語でいう「万緑」の一歩手前だ。隠居に着いてすぐ庭をひと巡りしたカミサンが、けげんな表情になった。「なに、この穴は?」
 隠居の庭は二段になっている。石垣の下の庭は、正確にはヨシ原だ。地中の水分が多いらしく、放置しておくとヨシが生える。で、年に2回は業者に頼んで草を刈る。ヨシが1メートルほどに生長した。すでに一面緑に覆われている。

 その緑の一角、石垣のそばが畳2枚分くらいほじくり返されていた=写真。“犯人”はわかっている。イノシシだ。頑丈な吻(ふん)で土を掘り、石を飛ばしてミミズを食べたのだろう。ヨシの地下茎が切断されてむき出しになっていた。

 隠居のある牛小川は戸数10戸ほどの小集落だ。JR磐越東線に沿って県道小野四倉線が伸びる。県道の土手が穴だらけになっていたときがある。丸い足跡があった。イノシシだった。破壊力がすごい。森を巡れば、黒い碁石を大きくしたようなイノシシの糞に出合う。線路の上の畑はトタン板で囲われ、そばの水田には最近、イノシシ除けの柵が設けられた。渓谷はイノシシの王国だ。

 先日、ついにここまで――というニューズに接した、警備会社が双葉郡内を主に、福島県内でイノシシ捕獲事業に参入することになった。市町村から仕事を受注するという。そのためにスタッフ7人が「わな猟」の免許を取った。

 わが家のある平・中神谷地区は、常磐線と夏井川の間に市街が形成されている。イノシシが最近、常磐線を越境して市街に出没するようになった。同じ地区の山の手の行政区では農作物被害が相次ぎ、免許を持つ住人がわな猟を行っている。行政から報奨金が出る。これまでにかなりの数のイノシシを捕獲したようだ。
 
 隠居の下の庭の話に戻る。もともと遊休状態のスペースなので、ほじくり返されても実害はない。むしろ、もっと広くラッセルしてくれたらいい、そうすれば草刈りを頼まなくてすむ――という点で、カミサンと意見が一致した。しかし、なぜそこなのだろう。ミミズのほかに、ゴロンと横になって休む場所にした?

2017年5月28日日曜日

芽ネギを食べる

 きょう(5月28日)は夏井川渓谷の隠居で「三春ネギ」の苗を定植する。
 3週間前、菜園に溝を切り、石灰を施した。でも――。そばに大きくなったシダレザクラがある。菜園の真ん中に高田梅がある。西の敷地の境界にはカエデがある。
 
 先週の日曜日(5月14日)午後、高田梅が溝に影をつくっていた、午前はシダレザクラの影が差す。頭の中の“設計図”を練り直さないといけない。
 
 溝は東西に切った。シダレザクラと高田梅に近すぎた。午後の太陽の軌道を考えれば、南北方向に溝があってもいい。どこにその溝を切るか、太陽の位置と木を見ながら考える(太陽は、きょうの午前中は雲に隠れたままのようだが……)。

 三春ネギは、いわきの平地のネギと違って秋まきだ。昨秋、苗床をつくって「すじまき」にした。余った種はそのわきに「ばらまき」にした。越冬した直後は、「ばらまき」の苗の勢いがよかった。が、春が終わるころには、「すじまき」組がぐんぐん大きくなった。鉛筆くらいに太くなり、丈も40センチ前後に生長して、定植時期を迎えた。

 できるだけ間隔をあけるようにして「すじまき」をした。それで間引きの必要がなかった。「ばらまき」の方は密生状態で、育ちが悪い。このごろは隠居へ行くたびにごっそり間引きをする=写真。昔、近所の住人から「芽ネギを食べるために育てているのかい」と冷やかされた。「そうです、握りにのせて食べます」なんてウソはつかなかったが。

 溶き卵にまぜて焼く。味噌汁や即席ラーメンに加える。ほとんど食感はないが、緑色が鮮やかだ。舌よりも目が喜ぶ。

 きょう、苗床を崩して定植すれば、芽ネギも終わりになる。畑に打ち捨てておくよりは、ちゃんと胃袋に入れてやらないと――。かなりの量が出るはずだから、今夜はカツオの刺し身のほかに、芽ネギをマヨネーズで生食してみようか。シャキシャキ感がたまらなかったりして。

 追記=午前9時前には太陽が顔を出した。「燦(さん)として焼くがごとし」。熱中するな、と言い聞かせる。

2017年5月27日土曜日

足裏が少しきれいに

 ちょうど1週間前(5月20日)のNHK「おはよう日本」で、シリア内戦を避けて隣国レバノンで民族楽器「ウード」をつくっている職人が紹介された=写真。
 ウードは撥(はつ)弦楽器だ。形が琵琶に似る。シリアと違ってレバノンは湿度が高いらしい。ウードには乾燥した木材が必要だが、レバノンではそれが手に入りにくいのだという。

 同じシリアの「アレッポのせっけん」を思い出した。カミサンが、店でこのせっけんを扱っている。一時販売を中断していたが、震災後、輸入会社から連絡が入り、再開した。輸入会社が取引している製造業者は空爆下のアレッポを脱出して、ラタキアへ移った。せっけんは2~3年、寝かせる。まだアレッポ時代の在庫があるということだった。

 アレッポはシリア最古のまち、ラタキアはアレッポの南西に位置する港町だ。レバノンはラタキアの南方にある小国で、西は地中海、北から東はシリア、南はイスラエルに接する。

 アレッポのせっけんを使っているワケは簡単だ。シャンプーで頭を洗うと2日後あたりからかゆくなり、フケがこぼれ落ちる。アレッポのせっけんに切り替えたら、フケ・かゆみが止まった。今風に言えば、ヘアケアとボデイケアに有用なせっけんだ。

 それだけにとどまらない。昨年(2016年)、同じNHKの朝の番組で知ったのだが、足の裏を洗うと潤いが出てくるという。知らなかった。足裏は触りもしなかったから。
 
 アレッポのせっけんで足裏も洗いはじめる。と、変化があらわれた。細胞が死んで角質化し、ひび割れができたりボロボロに皮膚がはがれたりしていたのが、次第に治まった。冬場はこたつを使うので、足が乾いてカサカサ度が増す。それでも足裏は安定していた。ツルツルまではいかないが、角質が消えてやわらかくなった。横文字を使えば、フットケア。アレッポのせっけんの“薬効”を実感している。
 
 東日本大震災とシリア内戦はほぼ同時に起きた。今なお、避難民はふるさとを追われたまま。体をうるおすアレッポのせっけんも、心を慰めるウードも、風土の異なる土地での生産を余儀なくされている。戦争は庶民の生業と生活を破壊する。戦争は壮大なムダ――ときどき、アレッポのせっけんを通して、そんなことを思う。

2017年5月26日金曜日

玉ネギドレッシング

 鶏卵・豆腐・納豆・ドレッシング。単品で宅配してもらっている食品だ。カミサンに代わって品物を受け取るときがある。鶏卵と豆腐は週1回、納豆は月1回。いずれも生産者が持ってくる。
 ドレッシングも月1回届く。先日、初めて生産者の顔を見た。元シェフだそうだ。ドレッシングの入っているペットボトル=写真=のラベルにこうある。商品名:分離液状ドレッシング。原材料名:食用植物性油脂、穀物酢、玉ネギ、ニンジン、砂糖、食塩、ニンニク、胡椒(こしょう)など。ボトルを逆さにして、シャカシャカやってから使う。
 
 生産者とカミサンのやりとりをたまたまそばで聞いた。「新玉(ネギ)を使っているのでサラッとしています。お客さんのなかには『とろみ』が少ないという人もいます」。なるほど、工場で生産する食品とは違うのだ。季節によってサラッとしたりトロッとしたりする、手づくりのオリジナルドレッシングなのだ。

 震災直後から5年間、シャプラニール=市民による海外協力の会がいわきで支援活動を展開した。わが家の近くの伯父(故人)の家を宿舎に、スタッフが常駐した。ときどき、わが家へ酒を飲みに来た。カツオの刺し身と同じくらいに喜ばれたのが、いわきの萩春朋シェフのつくった「昔きゅうりのピクルス」と、このドレッシングだった。ほかにも何人かファンがいる。

 ボトルに入っているときはオレンジ色だ。ニンジンの彩りがあたたかい。サラダに使う。玉ネギとニンジンのうまみに、それとはわからないニンニクと胡椒の風味がまじりあった穏やかな味。飽きがこない。サラダを食べたあとには、残ったドレッシングをすする。ジューシーな味が舌を喜ばせる。

 震災による原発事故で、卵の宅配を受ける人が減った。データで「安全」とわかっても「安心」の出来ない人がいる。その一方で、新たに宅配を希望する人も出てきた。このドレッシングはどうなのだろう、とりこになる人がいるかもしれない。もっとほしい、といえば増産してくれるのだろうか。

2017年5月25日木曜日

青天目澄子は「食べる人」

 朝ドラの「ひよっこ」を昼(再放送)も見る。朝、よくわからなかったセリフ、特に「小名浜中」卒の青天目(なばため)澄子の、重くくぐもった言葉が、1回聞いただけではわからないときがある。
 今は――向島電機で繰り広げられる、昭和40(1965)年夏の乙女たちの青春編、といったところか。同じ年に17歳だった身には、小道具や挿入歌のひとつひとつが生々しい。しかも、「きのう」どころか「さっき」のことのように、当時の情景がよみがえる。昭和40年代を知らない若い視聴者と、当時ハイティーンだった団塊世代の「二兎(にと)を追う」作戦のようだ。

 真夏、工場の生産ラインで乙女たちが首にタオルを巻いてトランジスタラジオをつくっている。同じように、超高層ビルなどの建設現場のアルバイトには、タオルが欠かせなかった(今もそうだろうが)。
 
 歌謡曲が最後に燃え上がった時代でもある。美声の春日八郎や三橋美智也らとは別に、美少年歌手の人気が沸騰した。橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」(昭和37年)、三田明の「美しい十代」(昭和38年)、舟木一夫の「高校三年生」(昭和38年)、少し遅れて西郷輝彦の「星のフラメンコ」(昭和41年)に酔いしれ、なりきって歌った。
 
 きのう(5月24日)のラストシーンでは、夕日に照らされたなぎさで“茨城巡査”の綿引クンが♪アイ・ラブ・ユー……と歌い出す。そこに、原曲の加山雄三のラブソング「恋は紅いバラ」(昭和40年の映画「海の若大将」主題歌)の♪アイ・ラブ・ユー……が重なる。きたきた、次は「君といつまでも」(昭和40年)だな――。
 
 美少年歌手がアイドル化する一方で、グループサウンズがはやり、フォークソングの波が押し寄せてきつつあった。自分で歌をつくる人間が増えていた。加山雄三は、その代表的な存在だ。「君といつまでも」は、やはり昭和40年、映画館で見て覚えた。ほかにも、当時のヒット曲が次々に登場する予感が広がる。
 
 澄子の話に戻る。よく食べる。カレーライス(当時は「ライスカレー」と言っていた)から始まって、バナナ=写真=を食べ、きのうはつまみ食いをして、おむすびまで手に持っていた。
 
 そのころ、叔父が小名浜に住んでいた。義叔母の名前はスミ子。娘が3人いた。いとこたちだ。長女は私より2歳上、次女は1歳下、三女は4歳下だったか。年齢的には、澄子は次女の同級生、ということになる。胸の底で化石化していたはずの“青春”がうごめきだして、コントロールがきかない。

2017年5月24日水曜日

シイ・カシの花

 週に1回、いわきニュータウンへ出かける。国道6号の常磐バイパスを利用する。道沿いの小丘群に点々と黄色いかたまりが見られるようになった。木の名前はわからない。が、スダジイやアカガシなどの花だろう。
 ふだんは主に夏井川流域内を動き回っている。いわきの海岸~平地(暖温帯)は、シイ・カシなどの照葉樹が目立ち、阿武隈高地(冷温帯)は夏緑樹、その中間の夏井川渓谷(中間温帯)はモミ・イヌブナなどが優先する。全山緑となったこの時期、黄色い花のかたまりでシイ・カシ類の分布域がわかる。

 海岸寄り、田んぼの中の小集落を照葉樹が守っている。樹冠を黄色く覆う花がブロッコリーのようだ。内陸=平地のどんづまり、小川の町は、集落の裏山が小丘になっている=写真。メッシュが入ったように黄色いのは、シイ・カシの花。その奥、二ツ箭山は中腹まで人工の杉林が多いこともあって、黄色い点々は見られない。ここらへんが暖温帯の終わるところ、中間温帯との境目、あるいは冷温帯の始まるところなのだと知る。

 若いころ、年に何回か阿武隈の植物を見て回る「山学校」に参加した。いわきに住む植物研究の第一人者(元高校教諭)が先生を務めた。植物の南限・北限を意識するようになった。キノコにも南方系と北方系がある。いわきでは、その両方が見られる。海もしかり。黒潮と親潮がぶつかる“おいしい海域”だ。

 釣りをしないので、大きい声ではいえないのだが、自然を丸かじりするのにいわきほど面白いところはない。

 自然は最大・最強のメディア、そして最も正直なメディアだ、と私は思っている。自然が発する情報に目を凝らし、耳を澄ます。鼻で嗅(か)ぎ、舌で確かめる。暑い、寒い、荒い、穏やか、きれい……。それらをベースに、人間と人間の間を飛び交う情報を吟味する。自然にはファクトがあるだけ。フェイクは通じない。